2005年(平成17年)のブログ「歌舞伎素人講釈」記事
2005/3/30
「ブログ開設とご挨拶」
「歌舞伎素人講釈」の新しい試みとして・ブログを始めることにしました。ブログは最近はやりのツールですが、サイトの日記とどこが違うのかはやってみないと分からないところがあるので、まあ、当分は模索しながら、のんびりやっていきます。
サイトの「歌舞伎の雑談」コーナーとの区別をどうつけるかが悩むところですが、「雑談」の方はサイトやメルマガの補完記事的なところがあるので、ブログの方は「吉之助の日々の雑談」ということにしたいと思います。
次回(4月2日)発行のメルマガ148号は「バロック的なる歌舞伎」というのがテーマです。「バロック」というのは17世紀頃に西欧の建築・美術で流行した特殊様式というのが一般的な理解です。しかし、今回はそれとはちょっと異なる視点をお届けして、歌舞伎のみならず・絵画・音楽までを包括して材料にしちゃおうという壮大な「バロック論」です。だから、メルマガと並行して・サイトでも図版入りで展開をしてくことになります。ちょっと期待できると思います。
2005/4/1
「バロックの概念」
本ブログですが、毎日書き込みというわけには行きませんが、短くてもなるたけ小まめに書き込みをしたいとは思っています。サイトに記事「かぶき的心情とバロック」を追加しました。これはメルマガ148号「バロック的なる歌舞伎」の関連記事です。バロックの概念は図版を入れれば・かなり理解がしやすくなると思います。
ここでの「バロック」の概念は、スペインの美術史家エウヘーリー・ドールスが提唱したものですが、バロックは歴史のさまざまな段階で顔を出す常数であるというのは他には例を見ないユニークな見方です。実は「歌舞伎素人講釈」もずっと似たことを考えておりまして・これを「写実と反写実」と言っておったわけです。バロックとは反写実なのです。「ゴテゴテのゴチャゴチャ」だけがバロックと思っていたらそうではなくて、見方を変えれば・シンプルな幾何学的絵画もバロック的ということも言えるわけです。なかなか深遠な概念であります。
2005/4/2
「本朝廿四孝」
近松半二の「本朝廿四孝」は時代物の大物ですが、筋が入り組んでいて・登場人物の関係がスンナリ頭に入らない難しい芝居ですねえ。「歌舞伎素人講釈」でこの作品を正面から未だに取り上げていないのは・あまり文献を見てないのでまだイメージが沸かないせいですが、この作品は十分読んでおかないと・うかつに取り上げられないなと思っています。
ところで、サイト「歌舞伎のちから」の「雑想」コーナー(3/21「濡衣の年頃」)で、犬丸治さんが「濡衣は年上女房」との考察を書いておられます。この考察は役に立ちます。なるほどなあと思いました。まことに丸本というのはあなどり難いものです。作者は実に綿密に複線を張り巡らしているのです。これはますます「廿四孝」に手を付けるのが遅くなりそうです。
2005/4/3
「第2回・公開講座」
本日は池袋・自由学園明日館において「第2回・歌舞伎素人講釈公開講座」を行いました。期待されました中庭の桜の花の方はまだ三分咲きにもなっていませんでしたが、今回も楽しい講座になったなあと自画自賛しております。参加いただきました皆様に御礼申し上げます。
テーマは前回に引き続き「黙阿弥劇の魅力を考える・その2」でした。今回は写実の意味を考えるということで、全くジャンルの違うマリア・カラスの演じる歌劇「トスカ」の一場面などもご覧戴きました。本来がリアルから遠いはずの歌芝居のドラマからでもこんなにも生々しい感情を描き出せるということをちょっと見ていただきたかったわけです。まして黙阿弥の世話物をや、ということですね。講座の後の懇親会でもいろいろな話題に花咲き・楽しい時間を過ごす事ができました。
2005/4/5
「サイト「千夜千冊」のこと」
松岡正剛氏のサイト「千夜千冊」をご存知でしょうか。氏のご病気で一時中断していましたが、めでたく病気平癒され・ふた月ほど前から再開して・快調に冊数が増えております。昨夜で1,020冊目というのだから、その物凄い読書量にはただ恐れ入るばかりです。
松岡正剛氏はその若き時代に「遊」という雑誌を主宰しておられました・今もそのコンセプトを継続されておられるのですが、実は吉之助は高校生の頃にその「遊」を携えておったわけです。30年以上前の話です。そして、何年か前にこのサイトで再会をしたわけです。「遊」というのは変な雑誌でしてね、膨大な情報量で・何か含蓄ありそうな事を書いてあるようだし・言葉は平易なのですが・読んでみると何だかよく分からない雑誌で、それでも何かありそうで・分かるところだけ一生懸命「つまみ読み」しておったものでした。そうやって、何度も読み返しました。「千夜千冊」もまったく同じ・懐かしい感触ですね。
じつは吉之助のサイト「歌舞伎素人講釈」も多分に「遊」的だなあと思っております。これは松岡氏から若い時に受けた影響がどこかに出てるんだろうと思っております。サイト「千夜千冊」、是非ご訪問ください。いろいろヒントがあると思います。
2005/4/6
「メルマガのこと」
このところ東京は花粉の飛散量が多いようで・吉之助も調子がよろしくなくて、それで筆の方がとんと進みません。メルマガ148号は「バロック的なる歌舞伎・その1」をお届けしましたが、実はまだ次の「その2・かぶき的心情とバロック」が完成していません。この「バロック論」の関連で10本ほどの原稿を並行して書いています。 吉之助は気が散るタイプで・あっちやこっちや飛びながら書いて・手直ししたり・行きつ戻りつしながら進めているもので、肝心の「その2」が出来ないで「その4」の方が進んでしまったりしています。
あと10日くらいあるので・期日までには「その2」が出来るとは思いますが、出来ない場合には「ストック原稿」を出すかも知れません。
2005/4/7
「歌舞伎の普遍性」
サイト「歌舞伎素人講釈」にメルマガ148号「バロック的なる歌舞伎」の補足記事として2本「かぶき的心情とバロック」・「ふたつの魂」を掲載しましたので、ご覧下さい。
書くほどに歌舞伎と離れていくようですが(笑)、そこに共通した心情が流れているということがお分かりいただければよいと思います。反証(らしきもの)はいくらでも挙げられるかも知れませんが、比較文化論というものはその違いではなくて・共通項をこそ見るべきなのです。人間なんて人種が変わろうが・国が変わろうが、そう違ったことを考えているわけではないのですね。みんな同じですよ。歌舞伎の普遍性をこそ大事にしたいと思います。
2005/4/8
「道成寺のこと」
どういう理由だか先月は劇評がついに出ずに終わってしまった渡辺保先生のIT劇評サイトですが、今月は無事に劇評が出ましたね。新・勘三郎の「道成寺」を「ステキな出来」とのことで、私も後日見に行く予定にしていますので・期待したいと思います。
勘三郎の「道成寺」に関して吉之助の期待するところは、六代目菊五郎の幻影を見せて欲しいものだということです。最近の「道成寺」は謡曲との関連において構築されていて・もちろんそれはそれでいいものですが、謡曲とはちょっと離れたところで「歌舞伎の道成寺」を見てみたいという気がしています・六代目の花子はそういうものであったかと想像しています。(これについてはサイトの「菊五郎の道成寺を想像する」をご覧下さい。)そういう「道成寺」が見れるかな。
2005/4/9
「切られお富のこと」
先日の「歌舞伎素人講釈・公開講座」のなかで・お嬢吉三や弁天小僧の役柄を考える関連で、先代国太郎の「切られお富」(昭和55年 国立小劇場)の映像をちょっとご覧戴きました。これがなかなか好評でありました。
「切られお富」と言うと・これはどちらかと云えば小芝居の演目で・近年では国太郎や宗十郎が演じていて、かろうじて私は上記55年の国立小劇場での国太郎のお富を見ておりますが、もしかしたらそれ以来出てないかも知れませんね。最近の歌舞伎は同じ演目の繰り返しばかりが多いですから、こうしたマイナーでちょっとアングラっぽい演目は若い歌舞伎ファンには新鮮な感じがするだろうと思います。案外きられお富のような悪婆役が大好きそうな若い女形さんがいそうに思いますがね。
2005/4/10
「バロック論」
次号メルマガ第149号向けの「バロック的なる歌舞伎・その2」の原稿が完成しました。これで来週は予定通り配信ができます。「かぶき的心情とバロック」という題名で、出雲のお国などをちょっと取り上げます。また、サイトには「バロック論」の関連記事で「日本におけるバロック的なるもの」を掲載しました。
「歌舞伎素人講釈」で取り上げているバロック心情論とは違って「キンキラゴテゴテの装飾過多のバロック」の方ですが、雑誌「芸術新潮」の2003年2月号に「バロック王国ニッポン」という特集号がありました。日本には探せば探すほどバロックがいっぱいなのですね。古本屋でバックナンバーを探したのですが見付からず・今回は手元に雑誌がなく参照せずに原稿を書きましたが、これはなかなか面白い特集号で非常に参考になるので機会ありましたら是非見てください。
2005/4/12
「週刊ポスト」に好評連載中の・井沢元彦氏の「逆説の日本史」は、毎回ユニークな視点から歴史の常識を斬って・私もいつも参考にさせてもらっています。このところ連載は江戸時代に突入、前号までは「戦国文化の江戸的変遷:茶の湯の変質」編でしたが、何となく「これから本論か」というところで終わっちゃった感じでしたね。もう少し「江戸的変遷」の意味を明確にして欲しかったのですけど。
今週号からはいよいよ「演劇の変質」編が始まりました。つまり、室町・戦国期の能狂言から江戸期の歌舞伎への変遷を取り上げるということです。第1回冒頭をホリエモンから入るところが井沢氏らしいところですね。メルマガ「歌舞伎素人講釈」の「バロック的なる歌舞伎」と併せてお楽しみいただけると思います。
2005/4/13
「女形論・再び」
メルマガの「バロック的なる歌舞伎・その3」は女形論にしようと思っています。内容は大体構想の方は頭のなかにはあるのですが、これが書いてみると生煮えのこともよくあることで、書いてみないと実際分かりません。書いていると大体変わっちゃうのです。書き終わって「これを俺が書いたのか」と驚く時は例外なく出来は良いですね。
多分・これがメルマガの第150号ということになりますが、そう言えばメルマガ第100号記念号も女形論でした。「女形の哀しみ〜歌舞伎の女形の宿命論」でしたが、自分が言うのも何だが・女形論としてはかなりユニークで高水準の出来かと思います。当然ながら第150号のものも同じスタンスのものですが、「バロック論」ですから何かもうちょっと違うところを出したいのですが、まあご期待ください。
2005/4/14
「バルト」
ゆっくりと「バロック論・その3」の女形論(表題はまだない)を書き始めましたが、その関連でロラン・バルトの「表徴の帝国」と「エッフェル塔」の2冊(どちらもちくま学芸文庫)を眺めております。どちらの本もバルトの文章は読みやすくて面白くお勧めです。(文庫の解説文の方がよほど難しい。)あまり書くとメルマガのネタばらしになりますが、女形をバロック的な表徴として分析するという線が話の取っ掛かりになりますかね。
2005/4/15
「桜の園」
このところメルマガ執筆の方に掛かりきりで・「歌舞伎の雑談」にはご無沙汰でありましたが、昨晩、サイトの「歌舞伎の雑談」に記事「チェーホフの桜」を追加しました。もともと「桜」関連の文章を書く時のマクラにしようかと思っていた材料ですが、日本人の持つ桜のイメージをチェーホフが共有していたとすれば、これは興味深い考察が可能かと思います。 吉之助も昔から「桜の園」が好きですが、もう少し余裕が出てくれば・「桜の園 」論なども書きたいところですね。
「歌舞伎の雑談」はもともとメルマガにするにはちょっと分量が足りないものを載せるつもりで始めたものですが、どうもこのブログの方がホントの雑談になっておるようです。
2005/4/16
メルマガ「歌舞伎素人講釈」は「まぐまぐ」と「カプライト」のふたつの発行システムにお世話になっております。昨日、まぐまぐの読者数を見ていましたらグッと増えているので「何かあったのか」と思いましたら、まぐまぐの「Weeklyまぐまぐ」のお薦めメルマガで当メルマガが紹介されたようです。このブログを始める前でしたが、先月、カプライトでもお薦めメルマガで紹介をいただきました。有難うございました。そういうわけで、メルマガの読者数はこの1ヶ月で大きく増加しまして・おかげさまにて900名を超えました。こういう理屈っぽい・内容的にとっつき易いとは言えないメルマガがここまで来れたのは嬉しいことです。4年前にメルマガを始めた時は280名が、長いような短いようなですが、これで大台の1千人が見えてきました。読者1千人超えたら記念号発行しますかね。
2005/4/17
「武智鉄二」
本日は書くことが思い浮かばないので、先日紹介した松岡正剛氏のサイト「千夜一冊」から、「歌舞伎素人講釈」的に面白そうなものをピックアップして紹介することにします。これからは材料に詰まった時にはこうしようかな。
武智鉄二:「伝統演劇の発想」
2005/4/18
「フロイト」
武智鉄二の「伝統演劇の発想」はもはや古本屋でしか手に入らないので、「武智歌舞伎」全集であたるしかないでしょう。武智鉄二は吉之助にとって「師」であるということは、メルマガでも書いておりますし「歌舞伎素人講釈」が武智理論の延長線上にあることは間違いありません。本書に限らず武智本は機会あれば是非読んでみてください。本日も「千夜一冊」からご紹介することにします。この本はフロイトの最後の著作ですが、いわば「異端の書」でして・フロイト研究家の間でも評価が分かれておりますが、非常にスリリングな思索の書であります。
ジクムント・フロイト:「モーセと一神教」
この本はいずれメルマガのなかで材料にさせてもらうつもりでいます。どんな場面で使うかは、その時のお楽しみということで。
2005/4/19
「盛綱陣屋」
まだ「バロック的なる歌舞伎」シリーズを書き終えていません(もうちょっと時間掛りそうです)が、その次は「近江源氏先陣館・盛綱陣屋」を書くことにしたいと思います。久しぶりに「盛綱陣屋」を先月見ましたが、やっぱりこの芝居は九代目団十郎が盛綱を演じて・型の整理をしっかりつけてもらいたかったなあ、と痛切に思いますねえ。初代吉田栄三が歌舞伎の「盛綱陣屋」を見て「歌舞伎ちゅうのはけったいなことをしますなあ、あれでは大将づきあいになりまへんがな」と言ったそうですが、同感ですなあ。というわけで、いつになるか分かりませんがメルマガをお楽しみに。
2005/4/20
「桜姫」
6月の渋谷・コクーン歌舞伎は串田和美演出「桜姫」(福助の桜姫、橋之助の清玄/権助)ということだそうです。福助は風鈴お姫のような役は発散できて好きそうでもあるし、玉三郎とは違う桜姫像を見せてくれる期待もあるし、なかなか興味深いのではないかな。橋之助の権助も線の太い演技を見せてくれるだろうと思います。上演時間からすると、原作は相当に刈り込む必要があるでしょうが、演出家にとっては楽しい仕事になりますね。6月は仕事が忙しいので、行けそうにないのが残念ですが。ところで、上演外題が「桜姫」(偶数文字)というのはもう少し頭使って欲しかったと思いますね。
2005/4/21
「歌舞伎座建替え?」
松竹が歌舞伎座老朽化につき建替えを検討するとの発表が本日ありました。着工時期は未定だそうです。あのお風呂屋さんみたいな建物が風情あっていいんだけどねえ。(国の有形文化財だそうです。)昔の新橋演舞場も素敵なレトロでしたが、立派なビルに建替えられてしまうとちょっとがっかりでしたね。東銀座の一等地を高層ビルで効率利用するのが経済的なのはよく分かりますし、やるなら歌舞伎が人気あるいまのうちというのも分かりますけど。どうしても建替えるなら、三階席もちゃんと花道七三が見えるようにして欲しいものです。
2005/4/22
「楽しい能」
週刊ポストに連載中の・井沢元彦さんの「逆説の日本史」ですが、今週号は「なぜ歌舞伎ではなく、能が江戸幕府の式楽になったのか」でした。井沢さんの答えですが、武士階級にとって能とは「見るもの」ではなく自ら「やるもの」であった、とのことでした。ホホウ、さすが井沢さんはなかなか面白い切り口を提供してきましたね。これもひとつの見方だと思います。吉之助だと「写実・反写実」論になっちゃうわけですがね。この時代の能は今よりずっとテンポが早く、もっと写実に近かったものと思われています。武士が一生懸命に稽古に熱中する理由を理解するには、そうした「楽しい能」を想像する必要がありますね。今の能から想像することは難しいことではありますが。
2005/4/23
「シェークスピア」
本日の朝日新聞によれば、英国国立肖像画博物館の発表として、これまで文豪シェークスピア(1564−1616)の存命中の肖像画とされ・その関連本にはかならずと言ってもいいほど掲載されてきた画「フラワー・シェークスピア」は、絵具の化学的分析から少なくとも死後200年ほどたった1814年頃に描かれたものであることが判明したとのこと。それでこの肖像画の価値が下がるわけでもないが、「はげ頭にひげ面」のイメージは変わるかも知れないと英国メディアは心配しているそうな。
「歌舞伎素人講釈」でもいずれシェークスピアの戯曲は何かの関連で取り上げたいとは思っております。いつになるかは分かりませんが。先日BS2で見た映画「恋に落ちたシェークスピア」はなかなか良かったですね。
2005/4/24
2005/4/25
「平次」
昨日に続き、今月の歌舞伎座のこと。「ひらかな盛衰記・源太勘当」は久しく出なかった芝居です。吉之助もその昔、菊五郎の源太・初代辰之助の平次で見て以来です。この一幕だけだと筋がちょっと分かりにくいかな。平次ですが次男坊らしくやんちゃで・我儘で、こういう役は薄っぺらなところを恥ずかしがらずにやれば面白い役なのですが、案外現代人には難しいようです。渡辺先生も褒めていましたが、海老蔵はなかなかよくやっていたと思います。雰囲気をつかんでいますね。
2005/4/26
「能楽におけるバロック」
サイトに記事「能楽におけるバロック」を追加しました。お能というのはもちろん何度か見てますが・吉之助も分かると言えるレベルではございません。まあ、本をいくらかカジッた程度の知識であります。この記事は先行芸能としての能楽を歌舞伎より低く見ているということではありませんので、そこの所はご注意ください。わが師・武智鉄二同様に、世阿弥ら能楽師の写実への追及がさらに異なる形態において試みられたのが「かぶき」なのであろうということを考えています。
2005/4/27
「前進座の佐倉義民伝」
「佐倉義民伝」はまだメルマガでは取り上げてませんが、ある程度は原稿も出来ているのですが・仕上がってないのです。政治思想史的に読んでも・いろいろ問題をはらんでいますので、興味深い芝居です。しかし、大歌舞伎の「佐倉義民伝」の演出は一般的な子別れのパターンから抜け出ていない。というか、政治的な側面から意識的に目をそらそうとしているようにも思われます。そういう意味で前進座の「佐倉義民伝」の舞台の方が芝居として納得いく点が多いと思います。
*5月12日から24日まで国立劇場での前進座公演「佐倉義民伝」、宗五郎は嵐圭史。
2005/4/28
「南北生誕250年」
四世鶴屋南北は宝暦5年(1755)日本橋の生まれ、つまり今年が生誕250年だそうです。これからは南北作品の上演が増えるかも知れませんね。6月歌舞伎座夜は「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」だそうです。吉右衛門の源五衛門、仁左衛門の三五郎、時蔵の小万は配役も揃っていて・期待できそうです。この作品は「東海道四谷怪談」の姉妹編ですが、作劇術(綯いまぜ)の妙ということなら・本作の方がさらに上かも。サイト関連記事もご参考に。
2005/4/29
「NINAGAWA十二夜」
七月歌舞伎座は蜷川幸雄氏が歌舞伎の演出に挑戦するそうです。シェークスピアの「十二夜」を今井豊茂・脚色により歌舞伎に翻案(ということでしょうか?)した『NINAGAWA 十二夜』。出演は菊五郎、菊之助。蜷川氏の起用は菊之助の懇願によるものだそうで、蜷川氏によれば「菊之助君の真摯さに打たれて・若武者を助けるために・爺が駆けつけるような心境」だそうな。その昔(もう二十数年前になるか)「ニナガワ歌舞伎」と呼ばれた頃の、ひな壇の舞台で演じられた「ハムレット」やら・仏壇形式の舞台での「マクベス」(ともに帝国劇場)を思い出しますが、歌舞伎の常識にとらわれない斬新な演出を期待したいと思います。
2005/4/30
「・・ということは」
昨日の「NINAGAWA十二夜」ニュースの続き。・・・ということは、1970年以来ずっと続いて・いわば定番になっていた七月歌舞伎座の猿之助一座の興行が途切れるということです。昨年は玉三郎が座頭を引き受けて一門の興行を続けたわけですが。一抹の寂しさも感じますね。猿之助さんはその後の具合は如何なのですかねえ。
2005/5/1
「メルマガ150号記念」
本日はメルマガ「歌舞伎素人講釈」第150号記念号を無事発行できました。内容的に難しい部類に入るかも知れないメルマガがここまで続き・読者数も徐々に増えていますのは、舞台を楽しむだけじゃ物足りないという方が少なからずいるということでしょうから、嬉しいことだと思います。
今回の「隈取り・荒事」論は難解な内容であったろうと思いますが、我ながら刺激的・というか毒気のある論文でしたね。荒事のどこがバロック的なのかをある程度浮き彫りにできたと思います。フロイトの「一神教」の理論は気にする必要はないのです。「偉大な男(つまり初代団十郎)の強烈な記憶」が隈取り・荒事にはあるのだ・ということさえ分かってもらえればそれで十分だと思います。
2005/5/3
「四谷怪談」
本日も「松岡正剛の千夜一冊」からのご紹介。鶴屋南北の「東海道四谷怪談」は「歌舞伎素人講釈」でも4回ほど取り上げていますが、読めば読むほど「仮名手本忠臣蔵」との関連が気にかかります。南北の名声が近年高くなっているにも係わらず・そうした研究成果が全然反映されずに最近の歌舞伎の上演はますます形骸化して・すっかり「お岩さまのお化け芝居」になってしまっているのは、何と言いますかお勉強不足というか・残念なことです。一度忠臣蔵に絡めて・しっかりした上演をやってみてくれませんかね。
2005/5/4
「研辰」
今月の歌舞伎座は勘三郎襲名興行の三ヶ月目。夜の部は「野田版・研辰の討たれ」です。2日総稽古での野田秀樹氏のコメント「歌舞伎の底力を実感してほしい」とのこと。4年前の本作上演については本サイトでも取り上げました。ところで、こういう4年ぶりの上演の時はギャグなどはご時節に合うように書き換えたりするのでしょうかね。全く同じじゃ芸がない感じがするし、そこのところ興味があるのですが。
2005/5/7
「トゥーランドット」
大型連休も明日で終わりです。この間に原稿をできるだけ仕上げたかったのですが、興味があちこち行くものでどうも筆が進みません。「歌舞伎の雑談」は、先日聴いたプッチーニの歌劇「トゥーランドット」 (ゲルギエフ指揮のザルツブルク・ライヴ)がなかなか面白かったのでこれに絡めて書いてみることにしました。「バロック的なる歌舞伎」を書いている最中のせいか、この曲のバロック的な裂け目の部分が神経にビンビン来るのですね。
2005/5/8
「十二夜に期待」
シェークスピアの「十二夜」の舞台を未だ見たことないので・台本を読み始めましたが、さすがシェークスピアは抜群に面白いですねえ。正直申し上げれば・これをわざわざ歌舞伎仕立てに書き直さなくても・このままで(役名も台詞もそのままで)歌舞伎で掛けてもいいと思いますけども(台詞のテンポが欲しいのですね・間延びしなければいいのですが)、まあ、それは置いておいて、蜷川さんはこれをどう歌舞伎化しますかね。七月歌舞伎座が楽しみですね。
2005/5/10
「独り言」
もともと吉之助にとって歌舞伎は考える材料のひとつに過ぎないのですが、このところ自分で思うに「歌舞伎素人講釈」が歌舞伎の枠(そういうものがあるのかは分からないが)にはまり切らない気配があるようです。と言っても 吉之助のなかでは全然関係ないわけではない、むしろ関係大有りのわけのですが。まあ、「歌舞伎素人講釈」を好んで読まれる方は、こういう転回が面白いと思える柔軟な思考の方が多いであろうと思っております。
2005/5/11
「次回メルマガについて」
今度の日曜日に発行する予定のメルマガ「歌舞伎素人講釈」第151号は「女形論」をお届けするつもりでいました。一応原稿は出来ているのですが、もう少し切り込みが欲しいところで・ちょっと思案しておりましたが・そのヒントらしきものが浮かんだので、今回の発行は遅らせることにします。
今度の日曜日は、ストック原稿から舞踊「道行旅路の花婿」(通称・落人)についての論考をお届けすることにします。このところかなり重めの観念論が続いておりましたのが、久しぶりの作品論です。お楽しみに。
2005/5/13
「ドストエフスキー」
本日も松岡正剛さんのサイト「千夜一冊」からの紹介でお茶を濁す。このところ松岡さんの更新ペースが速いですね。それにしてもホントにこの方は博識の方ですな。 吉之助にとって大事な(好きなという意味ではない・それ以上ということ)小説は何かというと、やっぱりこれになりましょうかね。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」です。長い人生のなかで何度も読み直すに足る小説であります。特に「大審問官」の話は私にとってずっとテーマのひとつです。
「松岡正剛の千夜一冊」〜950夜
ドストエフスキー:「カラマーゾフの兄弟」
2005/5/16
「十二夜論」
「十二夜」論はほぼ骨格が出来まして、あとは仕上げの段階です。これは「歌舞伎素人講釈」で取り上げる最初のシェークスピアですが、もちろん歌舞伎に関連つけてあります。近日お届けできると思いますので乞うご期待。
吉之助は「十二夜」の生の舞台をまだ見たことがないので、映画版(イギリス・1996年・トレバー・ナン監督)のビデオを参考に見ました。原作読んで想像していたのと違った点が少しありました。皆にからかわれるマルヴォーリオが哀れに見えるのはマズイのでは?これはどこまでも滑稽であって欲しいと思うのですが。そう言えば道化もあまり滑稽ではないですね。しかし、原作を忠実に追っていて・いい出来の映画だと思います。
2005/5/17
「逆説の日本史」
今週号の週刊ポストでの井沢元彦氏の「逆説の日本史」ですが、演劇の変質・その4ということで、江戸幕府の女優禁止がそれまでの日本にない独創的演劇「歌舞伎」を生んだということでありました。これは「歌舞伎素人講釈」ではずっと言ってきたことですが、まさにご指摘の通りです。歌舞伎の女形は能の女形の延長ではないし、出雲のお国の男装の裏返しでもないのです。現行の演劇史はこの認識を曖昧にしていると思います。そこに明確な亀裂を見なければなりません。これこそ井沢氏の「逆説」たる所以かと思いますね。次回はどういう展開かな。
2005/5/18
「幸四郎」
本年はセルバンテスの「ドン・キホーテ」が出版されて400年だそうで、朝日新聞によれば・本日これを記念してミュージカル「ラ・マンチャの男」で主役を演じて36年の松本幸四郎にスペイン・ラマンチャ州政府よりラマンチャ栄誉賞なる賞が贈られたそうです。幸四郎は本作出演1,000回を既に越えており、これは日本演劇においても金字塔ですが・歌舞伎にとっても凄いことだと思いますね。
吉之助が初めて見た本格的な芝居は実は幸四郎(当時は染五郎・まだ二十代であった、私はまだホンの子供でありましたが)の「ハムレット」(日生劇場)でありました。今でも舞台が目に浮かびます。そういうわけで 吉之助にとって今でも幸四郎は気になる存在であります。弁慶ばかりでなく・歌舞伎の他の役ももっと演じてもらいたいものです。
2005/5/19
「髪結新三」
今月(5月)歌舞伎座の「髪結新三」ですが、三津五郎が手代忠七と家主長兵衛の二役を勤めているそうです。こういう二役を兼ねるやり方を三代目左団次や十四代目勘弥もやったことがあるそうですが、写実を旨とする黙阿弥の生世話では好ましいやり方とは思えません ね。こうした役の兼ね方は生世話の形骸化ではないでしょうか。三津五郎の役がどうのというのとは関係なく・こうした兼ね方を芸の面白さだなどと許していると、どんどん生世話のフォルムが崩れていくと思いますね。こういう時に批評の役割が試されると思います。
2005/5/21
「スター・ウォーズ」
北米で19日に封切られた「スター・ウォーズ/エピソード3/シスの復讐」(ルーカス監督)が話題です。「なぜ善の存在であるアナキンが悪のベイダーになったのか」の謎がこの映画で解明されるということです。いくつかの批評を見ると、善悪の葛藤に身を引き裂かれたアナキンが悪に傾斜していく姿に「不安と恐怖にかられて力へと傾斜する 9・11後のアメリカ」を重ねる向きが多いようです。テロ被災がトラウマとなってアメリカは無意識のうちに排除意識や攻撃性を強め「ダークサイド」へ傾斜しているということでありましょうか。ルーカス自身もインタビューで「最初の三部作はベトナム戦争の最中に構想されたが、新三部作ではイラク戦争の影を感じてもらえると思う」と言っています。さてルーカスのメッセージをどう読みますかね。日本公開は7月とか。
2005/5/22
「シェークスピア」
このところ仕事が忙しくて執筆がままなりませんが、どうやら「十二夜」論が出来ましたので、これを次回のメルマガ152号でお届けをします。「バロック的なる歌舞伎・その4・女形論」の前座的論考ということになりますかね。7月歌舞伎座の「NINAGAWA十二夜」のご参考にもなろうかと思います。ところでシェークスピア時代の演劇の少年俳優の問題は今は想像するしかない若衆歌舞伎に近いもののようですが、少年の演じるマクベス夫人などはちと想像の域を越えますねえ。私も玉三郎の演じるマクベス夫人は見ているのだけれど、あれとも多少違うものなのでしょう。
2005/5/23
「これからどうなる?」
今週の井沢さんの「逆説の日本史・演劇の変質篇」は、前回の「茶の湯の変質篇」と同じで・これからどうなる?・・というところで終わりなのは残念ですなあ。茶の湯の件も、平等の思想に発する千利休の茶の湯の精神が江戸期において家元制を取り始めることにこそ・その「変質」の問題があるのですね。歌舞伎は女優を奪われたという制約を逆手にとって独自の芸能を作り上げたというのはその通りですが、演劇がこれから先どう捻じ曲がっていくかが問題なわけです。まあ、これから先のことは「歌舞伎素人講釈」の「バロック的なる歌舞伎」の方におまかせいただきましょうね。
2005/5/26
「オペラと歌舞伎」
このところの「歌舞伎の雑談」はオペラのことばかりですが、もちろん遠廻しに歌舞伎に関係あるから書いているつもりなのだけど、どこが関係あるか分かりにくいかも知れませんね。歌舞伎とオペラという芸能(いや芸術か)は何となく似ているのですよ。ご存知でしょうが玉三郎もイタリアオペラファンとして有名です。先日、1961年のNHKイタリアオペラ公演のビデオ(ジョルダーノ:「アンドレア・シェニエ」)を見ましたが、ここでのデル・モナコはまさに十一代目団十郎・テバルディは七代目梅幸であるなあと思ったことでした。ところでこんな本がありますから、興味のある方は是非読んでみてください。
永竹由幸:「オペラと歌舞伎」・丸善ライブラリー
2005/5/27
「オペラと歌舞伎・続き」
オペラと歌舞伎の歴史を眺めてみますと、似たような芸能は大体似たような発展経過を辿るものなのであろうか・芸術の試行錯誤のプロセスというものは自ずと似てくるものなのであろうか・人間の考えることというのは似たようなものなのかな、という気が自然としてきますよ。不思議なものですね。昨日紹介の永竹由幸氏の「オペラと歌舞伎」はその辺を面白く紹介してくれます。
2005/5/28
「勘三郎」
昨日は三ヶ月にわたる勘三郎襲名披露興行の千秋楽でありましたね。今月の舞台は見ませんでしたが、さぞかし昨晩の「研辰」カーテンコールは盛況であったことでしょう。先代が亡くなったのも随分昔のせいか、先代のファンだった私も当代をすんなり「勘三郎」と言えちゃうのが我ながら不思議ではあります。 新・勘三郎と私とはほとんど同世代ですので・頑張ってもらいたいと切に願っています。「研辰」も結構ですが、古典の方もよろしく。
2005/5/29
「表象の軽やかさ」
本日お届けしたメルマガ152号「十二夜を記号論で読む」はシェークスピア時代の演劇の少年俳優のことを取り上げています。ここで重要と思うのは少年俳優の持つ表象の「軽やかさ」のことです。普通に私が表象にイメージするのは重さなのですが、ここではそれが軽やかさになるのです。この点が非常にユニークな点だと思います。機会があればそこのところをもう少し掘り下げてみたいものです。
2005/5/31
「近代能楽集」
さいたま市の彩の国さいたま芸術劇場(6月1日〜19日)において蜷川幸雄氏が三島由紀夫の「近代能楽集」のうち・「卒塔婆小町」と「弱法師」の2編を上演するとのことです。蜷川氏が「卒塔婆小町」を初演出したのは1976年国立劇場でのことで・私はこれを見ましたが、平幹二郎のたくましい老婆が何とも面白かったのを思い出します。今回の舞台も見たいところですが、ちょっと行けそうにないのが残念。この後NYにこの舞台を持っていくそうです。
2005/6/1
「船弁慶」
雑誌をめくっていたら、今月は京都南座で玉三郎が「船弁慶を演るんですね。前シテの静御前はもちろんよろしいでしょうが、後シテの平知盛の霊の方はまったく想像が出来ませんねえ。「一生演じると思っていなかった」と御本人が言っているのだから吉之助如きが想像できるはずがないですが、しかし、玉三郎がどうしてこの役をやる気になったのかは興味あるところです。是非見てみたいものですが、京都までは行けそうにない。
2005/6/4
「隅田川」
今月の京都南座での玉三郎の舞踊公演ですが、「船弁慶」と共に上演の「隅田川」の班女の前も初役だそうです。もうとうの昔に演じていたものと思い込んでいました。私にとって「隅田川」と言えばいまだに六代目歌右衛門のイメージですし、玉三郎にとっても恐らくそうであったでしょう。歌右衛門が亡くなってもう4年ちょっと経ちますが、まあそれくらいの期間が必要であったということですかね。しかし、そろそろ新しい「隅田川」があってよろしいことと思います。
2005/6/5
「坪内逍遥」
本日は高田馬場での歌舞伎学会ほかの主催による「坪内逍遥没後七十年シンポジウム」を聴講してきました。満員盛況とはいかなかったのは残念でした。役者をテーマにするのと違って地味なのかな。逍遥については「孤城落月」などの新歌舞伎の作家というだけでなく・「九代目団十郎以後の歌舞伎」を考える時に非常に重要な存在だと思いますし、「歌舞伎素人講釈」でもしばしばそのお力をお借りしています。今回のシンポジウムでもいくつか考えるヒントをいただきました。いずれ坪内逍遥についても書きたいと思いますが、いつのことになりますか。
2005/6/7
「逍遥・つづき」
坪内逍遥は九代目団十郎の大ファンで「桐一葉」を書いた時も団菊を想定して書いています。(結果としては二人とも死んでしまって実現はしませんでしたが。)逍遥の新歌舞伎作品を考える時にこのことは重要なことで・団菊の芸が間違いなく逍遥の芸術の出発点になっているのです。このことは台詞の抑揚によく現れていますね。シンポジウムでは逍遥の朗読の録音を聞きましたが、非常に興味深いと思いました。
2005/6/8
「藤十郎襲名」
11月30日から始まる京都南座での四代目藤十郎襲名興行の披露狂言が発表されました。初代藤十郎の出世作「夕霧名残の正月 由縁(ゆかり)の月」の復活と「曽根崎心中」のお初だそうです。至極当然というところの演目となりました。他に「先代萩」(東京、福岡)、「夏祭」(大阪)、「盛綱陣屋」(名古屋)などの義太夫狂言は、このところの鴈治郎さんの活動からすると・積極的な脚本演出の読み直しも期待できそうですね。
2005/6/9
「鴈治郎さん」
本日朝のNHKに鴈治郎さん出演でありました。明後日からは米国シアトルで「曽根崎心中」公演だそうです。いや、お元気ですねえ。
2005/6/10
「桜姫」
今月の渋谷コクーンでの「桜姫」はもしかしたら福助の風鈴お姫が仕出かすのじゃないかと気にはなってたのですが・今月は行く予定がないので、テレビでやればいいなと思っています。渡辺保先生のネット劇評は早々出ましたが、これを読むと、ううむ・あまり劇場に行きたい気にはさせてくれませんね。福助の出来は期待してたが・まあまあというところかな。串田氏演出だから舞台装置に見るべき工夫はあるでしょうが。
2005/6/11
「盟三五大切」
昨日と同じく渡辺先生のネット劇評から。今月歌舞伎座夜の「盟三五大切」の源五兵衛について、これまでの歌舞伎のこの役は発端からいかにも殺人鬼の風体であるが・今回の吉右衛門の源五兵衛は最初は凄みのない普通の浪人で・それが裏切られて一転して殺人鬼になるとのこと。なるほどねえ。まあ、歌舞伎では不破数右衛門(源五兵衛の本名)はもともとキレ易くて危ない気質のキャラとされていますから・従来の源五兵衛の解釈もそれはそれで正しいのです。発端を普通の浪人の体でやると芝居全体が世話に傾くように思いますが、その辺を劇場に行って確かめたいところではありますが。
2005/6/12
本日はメルマガ153号「バロック的なる歌舞伎・その4:女形論」をお届けしました。このシリーズはこの後、歌舞伎における三味線の問題について・浄瑠璃における形式の問題について等を予定していて骨子はできているのですが、このところ仕事が忙しいのと・いざ書き出すと細部で気になる点もあって・確認やら何やらで時間が掛っています。ちょっとテーマが壮大に過ぎたかも知れませんね。しばらくちょっと軽めの随想風の評論で間を置くことにします。
2005/6/15
「赤毛物」
昨日夕刊に七月歌舞伎座の「NINAGAWA十二夜」の広告が出ていましたね。明治期のお芝居にはシェークスピアの歌舞伎への翻案物がありました。しかし、シェークスピアを日本の風俗に移すと細かいところで無理も少なくないのじゃないかなと思いますね。ホントは原作そのままで歌舞伎座で掛けて欲しかったというのが 吉之助の思うところですが、やっぱり伝統演劇の殿堂では赤毛物はそのまま掛けるわけにいきませんかね。歌舞伎の新しいジャンルになると思うのだけどな。
2005/6/16
昨日の補足。吉之助が言いたいのは脚本はシェークスピアの台本そのまま・衣装はエキゾチックな無国籍風のデザイン(辻村ジュサブローがデザインするような)で・「これは架空の国のお芝居」ですという見立てで演ればいいのになあ、ということです。そう言えば「十二夜」はイギリスではなくて・架空の国イリリアが舞台なのですね。
2005/6/19
「オデッセイア」
本日は本の紹介。トロイ戦争を題材にしたホメロスの「イーリアス」「オデッセイア」は子供の頃からの愛読書(と言っても物語風に書き下ろした版でしたが)で、実は 吉之助は子供の頃は考古学者になりたかったのです。ところで近松門左衛門に「百合若大臣野守鏡」という時代浄瑠璃がありますが、このなかのいくつかのシーンは「オデッセイア」にそっくりなのです。坪内逍遥は百合若=ユリシーズ(オデッセウスの英語名)説を唱えたくらいです。実に不思議な符号であります。
松岡正剛の千夜一冊:第999夜「オデッセイア」
2005/6/20
「近松の真実」
昨日の近松の「百合若大臣」にからめての本の紹介。近松洋男:「口伝解禁・近松門左衛門の真実」(中央公論新社)ですが、著者は近松の末裔を称するお方です。近松は大石内蔵助とは知り合いで・若き日には赤穂・浅野家の密命を受け・塩の販路開拓に奔走。鎖国後に地下に潜った宣教師たちとも交流があり・スペイン語を習得、時代浄瑠璃が五段構成なのはスペイン詩劇の影響だというのですが、どこからどこまで資料的な根拠があり・どこからが憶測想像なのかよく分からんですね。ホントなら大変なことですが、学会がでんぐり返っている話も聞きませんし。しかし、まあ読み物としては面白いかな。「百合若」を見て・そういうこともあるかなんて想像するのも楽しいことでね。
2005/6/22
「小沢征爾さん」
小沢征爾さんがウィーン国立歌劇場の音楽監督の契約を3年延長で、2010年までとのニュース。報道によれば現地での小沢さんのモーツアルトが不評との話もあるそうですが 、それは何となく分からないでもないが・それなら欧米出身の音楽監督を選べばいいことで、あえて小沢さんを選んだのは歌劇場の首脳にも考えるところがあるのでしょう。歌劇場メンバーとの関係は良好のようですし、今回の契約延長は順当なところかと思います。ムーティがスカラを離れたばかりなので・小沢さんのことがちょっと気になっていたのですよ。とりあえずよかったですね。
2005/6/24
「吉田屋」
今度の日曜日にお届けする予定のメルマガ154号の手配を完了。今回お届けするのは「廓文章・吉田屋」で、和事の起源をテーマにしています。本年暮れの京都南座で鴈治郎が四代目藤十郎襲名披露として「夕霧名残の正月」の復活がちょうど発表されたところですから、タイムリーであったかも知れません。しかし、この後が大変・原稿ストックがなくなったので、何か書かないと。
2005/6/27
今月のコクーンでの「桜姫」は結局見ておりませんが、いくつかの劇評を拝見すると・どうやら「三囲」の場はやらなかったようです。私は「桜姫東文章」のなかで最も詩情あるいい場面は「三囲」だと思いますし・隅田川の世界に直接つながるこの場は「東文章」の要(かなめ)だと思いますけど、もったいないこと。「隠亡堀」のない「四谷怪談」みたいなものかと思いますね。
2005/6/28
「桜姫」
「演劇界」今月号のカラー頁にコクーンでの「桜姫」の福助の写真が出ていますが、なかなか面白しろそうですねえ。これが最終場面・錯乱する桜姫のようですが、まあ、実際に舞台を見たら 吉之助もどう書いたか分からないが(確かに最終場面では桜姫は平然とお姫様に戻るのが本来だと思います・それが南北的ということなんですが)しかし、この写真見るとやっぱり舞台は見ておきたかったなと思いますね。そういう想像掻き立てるところがこの作品にはあるのでしょう。
2005/6/29
「助六・揚巻」
もうひとつ・今月の「演劇界」のグラビアで印象深かったのは、博多座での「助六」の写真です。海老蔵の助六と菊之助の揚巻。何と言うか・こういう写真を見ると、理屈ではなく・助六と揚巻というのはこの位の歳かさのカップルなのだよねというリアルな感動があるのですね。と言って他の年配の方々の助六・揚巻がどうのということじゃないのですが。もちろん芸ということとも別です。しかし、博多のみなさんはラッキーでしたよ。
2005/7/1
2005/7/3
「バロック論」
サイトに「歌舞伎におけるバロック的なるもの」ということで2本(女形・見得と隈取り)の原稿を新たに追加しました。バロック論は非常に観念的な論考ですので・図版があった方がイメージがつかみやすいかも知れません。これまでの歌舞伎論とはひと味違うものになったと思っていますが、バロック論についてはさらに視点を変えた展開をしていきたいと思っています。サイトの「雑談」の方では「演劇におけるジェンダー」ということでの連載ですが、これは「バロック的な女形論」のバリエーションなのです。こちらもお楽しみください。
2005/7/6
「かぶき者」
本日は本の紹介。吉之助は仁侠映画も股旅物もあまり好きじゃないのですが、まあ歌舞伎を研究してれば・いわゆる「かぶき者」のことは調べる必要があります。しかし、この種のことはあまりまとまった本がないのです。そこでお薦めはこの本。猪野健治:「ヤクザと日本人」(ちくま文庫)。著者は日本のヤクザ研究の第一人者ですが、この本の最初の三章は歌舞伎のかぶき者・ごろつきを知るのに最もまとまったものです。歌舞伎を考えるにはこのくらいは知っておきたいですね。松岡正剛の千夜一冊:第152夜:
猪野健治:「ヤクザと日本人」(ちくま文庫)
2005/7/7
「NINAGAWA十二夜」
本日は歌舞伎座の「NINAGAWA十二夜」初日を観てきました。シェークスピアの戯曲を上手に歌舞伎に翻案して・素敵な演し物に仕上がりました。さすが上手いもんですね。これは見る価値ありますよ。できれば原作をお読みになってから舞台見ることをお勧めします。楽しみが二乗になるでしょう。この舞台については近日に何か書きます。次は菊之助さん、「お気に召すまま」のロザリンドは如何。
2005/7/9
「明日のメルマガ」
明日(10日)発行のメルマガは、たまには時事性を出すということで今月歌舞伎座での「NINAGAWA十二夜」についての随想をお届けすることにします。お楽しみに。現在サイトの雑談のコーナーで連載中の「演劇におけるジェンダー」に大いに関連する材料でありますので。
2005/7/10
2005/7/11
「遅れてきた青年」
井沢元彦氏の「逆説の日本史」の連載ですが、時代が江戸に入って・歌舞伎に関連することが多くなりました。先週からの「武断政治から文治政治への展開:古兵と遅れてきた青年たち」は「歌舞伎におけるバロック」でも書きました江戸初期の若者たちの閉塞感について触れています。この感覚が「かぶき者」の心情の原点です。この辺りは荒事の分析に役立つところです。
2005/7/13
「北原白秋」
サイト「松岡正剛の千夜一冊」で北原白秋詩集が紹介されています。私にとっては白秋と言えば童謡でありますが、吉之助がお気に入りで良く聴くCDは白秋の詩をドイツ語訳にして名歌手エルンスト・へフリガーが歌っているもの。それじゃ白秋を聞いたことにならんじゃないかと言われればごもっともですが。しかし、へフリガーの歌を聴くと・白秋の日本語の詩がイメージで浮かんでくるので、日本語での歌を聴くよりこちらの方が 吉之助には何故かいいのですな。
CDは「へフリガー・日本の歌曲を歌う」(東芝EMI,現在は廃盤になっているようですが、再発されたら是非お聞きを。)
松岡正剛の千夜一冊:1048夜:「北原白秋詩集」
2005/7/14
「演劇におけるジェンダー」
サイトの「雑談」で「演劇におけるジェンダー」ということで連載をしております。「ジェンダー」はシリアスに考えれば考えるほど深いテーマで・そんな簡単に結論出るものではありませんので・サラリと流すつもりですが、いくつか興味深い問題提起ができると考えています。ひとつは「その4」に書きました異性装の持つ体制転覆的な要素ということです。このポイントはご注目です。いずれ別の形で検討していきたいと思います。
2005/7/15
「演劇におけるジェンダー・2」
昨日の続き。「演劇におけるジェンダー」のもうひとつ重要なポイントは、「その3」で引用した「女性が神殿に入ることは禁制であった。これはヘラクレスを女々しくさせたオムパレーの傲慢さに対して、女性に与えられた罰である」というロスの指摘です。自己の本性・本来性の喪失への怯えというのは、非常に大きな問題をはらんでいます。この点も機会を改めて考えてみたいと思います。
2005/7/16
「もう売り切れ」
8月は歌舞伎座での夜の勘三郎の「法界坊」でも見てみようかと思ってたら・発売初日でもう前売切符売り切れだそうで・いや凄いもんですねえ。まあ、当日並べばなんとかなりますかね。それにしても昭和50年代の三階席ガラガラ時代の感覚が残っているので・ 吉之助は何だか信じられないような気がしますよ。
2005/7/18
「キーロフ・オペラ」
本日は来年1月に来日するキーロフ・オペラ(ゲルギエフ指揮)のチケットの発売初日でして・演目はワーグナーの「リング」四部作です。これは注目の公演なのですがチケットS席が4万7千円だと!(これでも最近のオペラのお代金としては若干安めですが。オペラは歌手が揃うとS席5万円代が珍しくないのです。)単純に比較はならぬのですが、年に何回も見ないオペラと違って・日常にもうちょっと近いはずの歌舞伎の切符はできるだけ安価でありたいものです。歌舞伎座の勘三郎襲名1等2万円は特別のイベントとは言えやはり高かったかもね。オペラの切符は買って・歌舞伎は出し惜しむ私の神経も次第に麻痺してきそうですが。
2005/7/20
「秀十郎夜話」
吉之助は役者のルポルタージュ的な読み物はあまり興味ないので・パラパラ目を通しても熱心に読まないのですが、この本は数少ない例外。秀十郎は初代吉右衛門の弟子で・いわゆる三階さんですが、千谷氏の筆致は温かい視線を感じさせて、これは教えられることの非常に多い本です。なお、千谷氏には「幸四郎三国志」という・これも面白い本があります。古本屋でしか手に入らないかも。
サイト「松岡正剛の千夜一冊」・第288夜:千谷道雄:「秀十郎夜話」
2005/7/21
「蜷川幸雄・闘う劇場」
今月の歌舞伎座の「NINAGAWA十二夜」を見て面白いと思われた方は、この本をお読みになったらいかがでしょう。蜷川幸雄著「蜷川幸雄・闘う劇場」(NHKライブラリー)読みやすいし、蜷川さんの演劇観・人生観がよく分かります。
2005/7/22
「サイト記事のこと」
サイトでは「雑談」で連載した「演劇におけるジェンダー」を記事にまとめて・図版を付しました。図版あるとやっぱりイメージ沸いてきて理解が違うかと思います。もうひとつ、「義太夫狂言を読む」のコーナーが寂しいので「床本」をいくつか掲載しました。いずれ暇見て解説をつける予定です。なお、本コーナーで使用する床本は、鶴沢八介メモリアルサイト「ようこそ文楽へ」のデータベースにある床本をお許しをいただきまして若干のアレンジをして使用しております。
2005/7/23
2005/7/26
「盛綱陣屋論」
盛綱陣屋についての論考は予定通り2回分が出来ましたので、メルマガにて順次お届けします。一回目はドラマを盛綱側から眺めたもの・2回目は高綱側から眺めたものです。これまでの「盛綱陣屋論」とはまったく違ったものになりますからお楽しみに。3回目は現行の歌舞伎の「盛綱陣屋」の型について書くつもりでしたが、これは「歌舞伎の雑談」の方で断片的に連載することにします。
2005/7/27
「バイロイト」
7月25日、大植英次氏が日本人として初めてバイロイト音楽祭(ワグネリアンの聖地)に登場し「トリスタンとイゾルデ」を指揮して喝采を浴びたとのこと。いまや欧州楽壇での日本人の活躍は当たり前の状況ですが、いやこれは快挙ですね。今後のご活躍を期待したいですね。
2005/7/28
「バイロイト・2」
バイロイトは幕間時間が1時間半くらいありまして・「トリスタン」ですと3幕ものですから・幕間がそれぞれ一時間半で二回、午後3時に始まって・10時近くに劇場を出るという具合です。幕間は劇場の外に出て・食事や散歩。のんびりゆったり観劇三昧というわけです。こういう感じで歌舞伎も見れたら・・・贅沢と思いませんか。
2005/7/29
2005/7/30
「公開講座」
サイトに「黙阿弥劇の魅力を考える・その2」という記事を追加しました。これは本年の4月3日に池袋・自由学園で行った「第2回・歌舞伎素人講釈・公開講座」の草稿でして、すぐサイトに乗せるつもりが・うっかりアップするのを忘れていたものです。メルマガと違って、映像・音声などを交えてお話するのは、視点も変わって面白いものです。原稿でその面白さを察してもらえるといいのですが。第3回の公開講座はまだ予定を決めておりませんが、多分10月か11月には開催できるかと思っています。予定は決まり次第、メルマガ・サイトなどでお知らせをします。
2005/7/31
「サイトのこと」
このところ暑くなりました。吉之助は暑いと思考能力が急激に失われまして・筆が進まないのですが、ちょこちょことサイトの手直しをしております。サイト「歌舞伎素人講釈」も4年半過ぎておりまして、改めて眺めてみるとなかなかのボリュームになりました。サイトでまだまだ取り上げていない作品も多いのですが・それを少しづつ埋めつつ、これからは歌舞伎からちょっと離れたテーマも追いたいと思っています。もちろん基本スタンスを歌舞伎に置いていることに変りはありません。
2005/8/1
2005/8/3
「鶴屋南北」
10月国立劇場は鶴屋南北生誕250年記念で「貞操花鳥羽恋塚(みさおのはなとばのこいづか)」だそうです。昭和55年に上演されて以来で、その時の舞台は見てますが。これもまあ悪くないですが、今年は250年記念の年だから・南北ものをいっぱい見れるかと思いきや、六月歌舞伎座の「三五大切」とコクーンの「桜姫」とこれだけで終わるんですかね、面白いのがいくつもあるのに。
2005/8/4
「今井豊茂さん」
今月の「演劇界」に7月歌舞伎座の「十二夜」脚本を仕上げた今井豊茂さんのインタビューが載ってますが、お若い方ですねえ。シェークスピアを日本の風俗に移し変えるなんて難しいことを・頑張って脚本にされたと感心しました。シェークスピアと歌舞伎の台詞はテンポが違うなんて言う方もいるようですが、そんなこと始めから分かってるんですから。そこを敢えてヤルから意義があるのだと思いますね。これからもますますの活躍を期待したいですね。
2005/8/5
「クルト・ワイル」
本日は本の紹介。クルト・ワイルは吉之助の密かなお気に入りで、ブレヒト脚本の「三文オペラ」の作曲家であります。「三文オペラ」は芝居も音楽も滅法面白いですから、機会あれば是非見てくださいね。サイトの「黙阿弥の芝居を考える・その2」では、ワイルの「ハッピー・エンド」(これもブレヒト脚本)の音楽をお聞かせしました。いわゆるブレヒト・ソングというのは、歌舞伎のツラネみたいなものなんですね。
松岡正剛の千夜一冊:第1007夜:
岩淵達治:「クルト・ワイル」
2005/8/6
「メルマガ「盛綱陣屋」
明日(7日)のメルマガ第157号は「盛綱陣屋」論考ですが、この暑い時に暑苦しい内容なのはお許しを。内容は読み応えあると思いますよ。ただし、次号(158号)も読んでくれないと2つで対になっているので・内容は完結しません。サイトの方でも「歌舞伎の雑談」に現行の歌舞伎の「盛綱陣屋」の型について・コラム形式にて軽く考えてみたいと思います。「軽く」と書いたけど、吉之助のことだからやっぱ重いのだねえ。冷房の効いた涼しいお部屋でお読みくださいね。
2005/8/9
「折口信夫」
昨年暮れに中公文庫から折口信夫の「かぶき讃」が復刻されていたのを先日知りました。もちろん吉之助はずっと前から座右の書にしておりますが、知っていたらすぐにお知らせしたのですが。当用仮名に直してあって・活字も大きめで読みやすくなっています。サイト「歌舞伎素人講釈」をご覧になればお分かりの通り、折口信夫は 吉之助にとっては武智鉄二と並んで大事な師であります。どこを読んでも教えられることばかりのお薦めの本であります。
2005/8/10
2005/8/11
「近松半二」
サイトの「歌舞伎の雑談」に「歌舞伎における盛綱陣屋」ということで・5回程度の連載をします。近松半二はおそらく確信犯なのでしょうが、どちらとも取れる文句とか・矛盾している事柄を散りばめて・わざと観客を混乱させるところがあるようです。それと父(穂積以貫)が儒学者ということもあると思いますが、倫理が人間を押しつぶしていく状況が実に重い重いのですね。非常にバロック的な作家であると思います。この後、できるだけ早く「本朝廿四孝」に取り組みたいと思います。
2005/8/13
「絵本太功記」
11月国立劇場は「絵本太功記」を「二条城配膳」や「妙心寺」を含めて「尼が崎」まで通しで演るとのことです。「妙心寺」が何年ぶりの歌舞伎の上演になるのか知りませんが・とにかく 吉之助も文楽でしか見たことはないので・随分久しく出てないと思いますが、これは国立劇場にしか望めない企画として高く評価できると思います。「太功記」という作品を読み直す絶好の機会と思います。光秀は団十郎。
2005/8/14
2005/8/16
「歌舞伎を救った男」
昨日は終戦60周年ということでしたが、今回は戦後歌舞伎秘話の紹介。戦後GHQによって「忠臣蔵」など重要なレパートリーの上演が禁止されて・存続の危機に瀕した歌舞伎を救ったのが、この人です。ということで、歌舞伎史の一断面を興味深く教えてくれます。ご存知でない方は是非読んでみてください。
岡本嗣郎:「歌舞伎を救った男:マッカーサーの副官 フォービアン・バワーズ」(集英社)・・・確か文庫版もあったような。
2005/8/18
2005/8/20
「盛綱陣屋」
明日(21日)に発行のメルマガ第158号の配信設定を完了しました。近松半二作品は観客に推理を迫るところがあるかも知れません。「・・ということは、あの時の言動はこういう意味があったのか」とドラマ展開を逆に辿ることを要求されますね。「盛綱陣屋」も技巧的な作品ですが、それだけ解釈の楽しみがあるということでしょう。メルマガと併せて・「歌舞伎の雑談」での「歌舞伎における盛綱陣屋」もご参考にしてください。本作への見方が全然変わると思います。
2005/8/21
「メルマガのこと」
「歌舞伎素人講釈」のメルマガですが、吉之助の場合は何本かストック持ってないと落ち着かないもので・大体数本持って2ヶ月ほど先の原稿書くように心掛けているのですが、このところは手持ち原稿がなくて綱渡り状態であります。最近のメルマガのテーマが重くて・簡単に書きあがらないせいもありますね。気になっているのは「バロック論」シリーズで予定の浄瑠璃論がまだ出来てないことです。まずこれを済ませないとね。
2005/8/23
「音楽と社会」
この本はこれからサイトで引用をすることがあるかも知れませんが・教えられることが多い本なので紹介しておきます。ダニエル・バレンボイム/エドワード・サイードの対談集「音楽と社会」(みすず書房)。バレンボイムは先日、パレスチナ人とユダヤ人の合同オーケストラでベートーヴェンの「運命」を指揮したとのことです。純粋に芸術だけに奉仕することのできる勇気のある人です。
2005/8/25
2005/8/27
「団十郎さん」
団十郎さんが病気治療のため半年休演とのニュースが飛び込んできました。30日の舞台を見る予定でありましたが、非常に残念です。とにかく歌舞伎には欠かせない存在なのですからお大事にしてください。
2005/8/29
2005/8/30
「海老蔵さん」
本日は吉之助の街に海老蔵さんが巡業に来てくれましたので・舞台を見ました。実盛は颯爽とした風姿が何ともよろしいですねえ。口上は睨みがないのは残念でした。成田屋の襲名はやはりこれがないと有難味が・・と思いますがねえ。
2005/9/1
2005/9/2
「シカゴ」
本日はブロードウェイ・ミュージカル「シカゴ」を見てきました。ボブ・フォッシーの振り付けで有名な作品です。しかし、まあ不道徳な内容筋書きではありますが、普段時代離れしたのんびりしたのを見ているので・こういうテンポのある作品を見るのは刺激になりますね。
2005/9/3
「今月の歌舞伎座」
9月歌舞伎座の「野次喜多道中」では地球博のキャラクターのモリゾー・キッコロのぬいぐるみが舞台に登場したとのニュースをテレビでやっておりました。画面をチラリ見る限りでは何だか妙な感じでしたが。それはそうと、その前の出し物・雀右衛門の「豊後道成寺」は期待できそうですね。じっくり見たいものです。
2005/9/5
「演劇界」
「演劇界」今月号の特集「志野葉太郎芝居今昔ばなし」はなかなか面白い企画なのだけど・芝居歴80年の表面をサラリ撫でた感じで聞き手の山川 静夫さんにはもうちょっと突っ込んでもらいたいですね。六代目の話などもう少し詳しく聞いておかなきゃならんことがいろいろあるのですが。そうすると紙面が足りんかな。
2005/9/6
「公開講座」
サイトに第3回「歌舞伎素人講釈」公開講座のお知らせをアップしました。ご好評につき・定例化に向けて準備を進めていきたいと思っています。今回のテーマは「バロック的なる女形」です。「歌舞伎素人講釈」の重要な概念であるバロックを女形を材料に考えてみたいと思います。
2005/9/8
「グールド」
グレン・グールドは喰わず嫌いところありますが、吉之助にとっては「聞くピアニスト」というより「読むピアニスト」です。あの演奏時の唸り声がどうも耳障りでして。しかし、グールドの関連書は気になるので・よく読んでおります。これも実に興味深い、しかも深い。
松岡正剛の千夜一冊・980夜:「グレン・グールド著作集」
2005/9/11
「上方歌舞伎」
本日も本の紹介です。権藤芳一:「上方歌舞伎の風景」(和泉書院)全体は戦後の上方歌舞伎の歴史についてのものですが、最終章での座談会「20世紀の歌舞伎を振り返る」の抜き書きはなかなか辛らつで面白く読みました。こうした本音のご発言をもっと聞いてみたいものだと思いました。
2005/9/12
「勧進帳」
昨日紹介の本のなかで権藤氏が「東京の歌舞伎が伝統を守っているというのは嘘でめちゃくちゃにしてる・「勧進帳」でも10箇所以上間違ってる・どうしてこんなことになったのか」と発言しておられますね。こういう間違いは実は他にもたくさんあるようなので、言うべき方(知っている方)が後の人のためにきちんと指摘をして・詳しく教えて欲しいところです。さて10箇所とはどこの部分でしょうね。
2005/9/13
「勧進帳2」
さて「勧進帳」の10箇所ですが、権藤氏の言っている箇所がどこかは分かりませんが、吉之助でも10箇所とは行かなくとも思い当たるところもあります。要するに・素直な目で見て「どうしてこの箇所でこういうことするの?」と思うような不自然なところは大体そういう箇所である場合が多いのですね。そのうち「勧進帳」のビデオじっくり見てみたいと思います。
2005/9/15
「カルショウ」
歌舞伎とは全然関係ない本ですが、クラシック音楽の世界では有名なプロデューサー:ジョン・カルショウの自伝「レコードはまっすぐに(Putting the record straight)」(学研)の翻訳が出ましたので、これを読んでいます。この題名ですが当時のLPレコードは縦置きにしないと曲がっちゃうのですよ。1960年代はクラシック音楽界が最もエキサイティングな時代でありました。 吉之助は70年からの音楽ファンですが、この時代の余熱は十分にありました。その時代をいろいろ思い出します。
2005/9/16
「カルショウ2」
カルショウの代表作と言いますと、ショルティ指揮ウィーン・フィルでのワーグナー「ニーベルングの指輪」四部作の録音であります。いわゆる世紀の名録音というものです。BBCテレビが1964年にウィーンでの「神々の黄昏」の製作ドキュメンタリーをフィルムに残しています。これは実に面白いものです。ショルティのエネルギッシュな指揮振りも素晴らしいですが、カルショウの緻密に計算された小分けの製作指揮がビジネス面でも参考になるところ多いのです。「メイキング・オブ・リング」のタイトルでDVDで出ております。
2005/9/17
「団十郎さん」
報道によれば団十郎さんは診断の結果は良好ということなので安堵いたしました。先日、団十郎さんの「毛抜」の映像を見ましたが、ああ言う・ある意味では馬鹿馬鹿しい芝居を・大らかに・近代人の鋭さを出さずに演じられるのは、やはり団十郎さんしかおりませんねえ。ということであせらず治療し復帰されることを望みたいと思います。
2005/9/19
「公開講座準備」
10月予定の「歌舞伎素人講釈・公開講座」に向けて・当日にお見せできる舞台映像の候補をいくつか選びました。時間多めにご覧戴きたいのはやまやまですが・焦点ボケしてしまうのと話の密度が薄くなるので・映像は大体3分程度が好ましいと思っています。しかし、「バロック的な女形」というテーマであると、取り上げられる映像は自然と限られるようです。どういう形で効果的にお見せできるかは順番なども含めて目下思案中です。
2005/9/21
井沢元彦氏の「逆説の日本史」連載読んでたら、「忠臣蔵・三段目」の原型は「冥途の飛脚」であるとありまして、ホホウと思いました。武士が殿中で鯉口三寸切るのと、町人が公金の封印切るのは同じことだそうです。そういう見方もあるかもしれませんねえ。
2005/9/23
サイトに「歌舞伎素人講釈・別館・もうひとつの吉之助ワールド」のコーナーを新設しました。これはこのところ歌舞伎の枠にはまらないような記事が増えつつありますので、そちらの記事の格納のためです。あわせて昨年来から準備をしていて・まだ十全な内容ではありませんが、吉之助のクラシック音楽の研究コーナーを公開します。こちらは随時手直ししつつ進めていきます。
2005/9/24
「歌舞伎の雑談」改題」
サイトの「歌舞伎の雑談」コーナーで歌舞伎に直接関わりのない話題を出すことも多くなっていますので、今後の流れに対応するためにタイトルを「吉之助の雑談」に改題します。いや、実は回りまわって歌舞伎の考察の方に最終的に関連してくるから「歌舞伎素人講釈」の記事になっているのですけどね。しかし、今後は歌舞伎に関係ない話題が多くなっていくかも知れません。
2005/9/25
「お知らせなど」
サイト「歌舞伎素人講釈」トップ頁にサイト運営の若干の方針変更を掲示しておりますので、ご覧下さい。今後は吉之助の歌舞伎だけでない部分がもう少し出ると言うか、逆にそちらから見るとなるほど歌舞伎はそう見えるという場面が出てくると言うことかと思います。内容はよりバラエティに富むことになるのではないかな。まあ、第2期の「歌舞伎素人講釈」の今後の展開をお楽しみにというところです。
2005/9/26
「次回メルマガについて」
次回のメルマガ161号は三島由紀夫の「鰯売恋曳網」についての論考をお届けする予定です。サイトのお知らせで掲示しました通り、しばらく意識的に「歌舞伎舞台の記憶」コーナーの記事の充実をしていくつもりです。吉之助の見た舞台もあり・見てない舞台はビデオで少しづつ取り上げていきたいと思っています。
2005/9/27
「マーラー」
本日はズービン・メータ指揮バイエルン国立管弦楽団の演奏会に行ってきました。(サントリー・ホール)曲目はマーラーの交響曲第3番。メータの指揮ぶりが仔細に観察できる席でしたので、特に前半の第1・2楽章を非常に面白く聞きました。最終楽章も実に息の深い感動的な仕上がりでした。まさしく巨匠の芸。
2005/9/29
「劇評は感想文ではありません」
「演劇界」の最新号に「劇評」についての座談会があって、座談会が企画された経緯が記してありますが、釈然としませんねえ。ひとりの役者が劇評のあり方にここまで圧力掛けられるということを示すものとして記憶にしっかり留めて置きます。それにしても某氏の「劇評じゃなくて感想文と呼んだらいい」なるご発言には呆れました。
2005/9/30
「劇評」
吉之助の劇評についての考えはサイトに「批評について考える」という記事がありますので、そちらをご覧下さい。劇評というのは確かにご感想から発しますが、感想から止揚(アウフヘーベン)された・別の次元のものであります。あえて「高次元」と申しましょうか。そこを目指さないなら劇評の意味はないのです。現在の劇評の水準についてはいろいろありましょうが、それは結局、役者の水準・観客の水準に帰せられる問題です。
2005/10/1
「加賀見山」
10月歌舞伎座は明日が初日ですが、「加賀見山」は玉三郎の三度目の尾上と・菊之助の初役のお初の組み合わせです。演出も本行に当たって手直ししたところがあるそうで、「尾上部屋」にお初が戻ってくる前に岩藤が登場する入れ事が普通はあるのですが・岩藤を出さず尾上がすでに自害している形に戻している点も興味深いと思います。地道なところでしっかり研究をしているのは立派なことです。
2005/10/3
「筋交いの宙乗り」
今月の国立劇場の「貞操花鳥羽恋塚」では流刑地の讃岐から崇徳院が憤死し天狗の姿に変って飛び去る場面がありますが、今回の宙乗りは客席の上を斜めに横切る・これを「筋交いの宙乗り」というのだそうな。前回の時の団十郎はなかなかの迫力でした(筋交いではなかったが)が、今回の松緑は如何なるものか期待しましょうか。
2005/10/4
2005/10/5
2005/10/7
「メルマガ」
メルマガ「歌舞伎素人講釈」は、「まぐまぐ」と「カプライト」のふたつの発行システムからお届けをしています。昨日のカプライト・ニュースで「歌舞伎素人講釈」を紹介いただきました。おかげさまでメルマガの方も161号まで発行しましたが、幸いにネタの方は豊富にありますので、あとは気力続く限り細く長く続けるつもりでおります。とりあえず200号を目標にいきましょうか。
2005/10/9
2005/10/10
「メルマガ1,000部記念」
おかげさまでメルマガ「歌舞伎素人講釈」はふたつの発行システム合わせて発行数1,000部に到達しました。歌舞伎のファン関連の内容でもない・内容的には重い重い論考中心ですから、この1,000部というのはなかなか意義のある数字かと思います。歌舞伎を考えるというコンセプトに何らか関心を持ってくださる方がこれくらいいるというのは心強いことであると思います。これからも書きたいことをつれづれなるままに書いていきますので、よろしくご支援ください。
2005/10/12
「鴎外」
今月号の「文芸春秋」の随想に森鴎外のオペラ翻訳の話が載っておりました。なるほど鴎外はこういうこともやったのか・改めて偉い人だなあと思いました。結局、鴎外訳での上演は実現しなかったそうですが、鴎外は日本初のオペラ上演のためにグルックの歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」の翻訳を頼まれ・これを行ったとのこと。それにしてもどんな歌詞をつけたのか見てみたいですね。鴎外全集に収録されてるそうです。
2005/10/13
「音楽ノート」
サイトの別館「吉之助ワールド」に吉之助の音楽ノートを掲載します。まずはラヴェルの「ボレロ」です。歌舞伎素人講釈で提唱しているバロックの概念を考える時に重要と思われる作品を少しづつ取り上げていきます。ということですので、歌舞伎素人講釈では何でも歌舞伎に関連してるようなものなのです。ついでに吉之助のお気に入りの演奏も紹介しますが、たぶん紹介する演奏家が偏るでしょうね。まあ、これは 吉之助個人の好みということですのでお許しを。
2005/10/15
「公開講座」
本日は池袋・自由学園にて第3回「歌舞伎素人講釈」公開講座を開催しました。ご参加いただきました皆様には御礼申し上げます。演題は「バロック的なる歌舞伎〜歌舞伎の女形の魅力を考える」ですが、取りとめない話に終始しましたが、女形の引き裂かれた要素の一端をお分かりいただけたらば幸いです。講座後に懇親会も行って、楽しい時間を過ごすことが出来ました。
2005/10/18
「雀右衛門休演」
ちょっと遅い話題ですが、今月の歌舞伎座で「河庄」の小春にでていた雀右衛門が12日から休演とのことだそうです。大事にご養生ください。いずれにせよ・お若い歌舞伎ファンの方には何を置いてもまず大ベテランの芸をしっかり眼に焼き付けておくことをお薦めしたいですね。絶対将来役に立ちますから。
2005/10/21
「難問奇問」
「マクベス夫人には子供が何人いたか?」・「ハムレットは何歳か?」この類の問いはテキスト外の領域に踏み込む難問奇問でありますが、時として思わぬ有益な考察を生む事があります。ジョン・サザーランドの「ヒースクリフは殺人犯か?」・「ジェイン・エアは幸せになれるか?」(共にみすず書房)はいろんな有名小説のそんなところにこだわった本です。なかなか面白い本ですよ。
2005/10/22
「マゼール」
ロリン・マゼール指揮のトスカニーニ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴いてきました。(東京文化会館)創設3年目のまだ若いオーケストラですが、なかなかの力演でした。プログラムはベートーヴェンで・これもいい出来でしたが、アンコールのヴェルディの「ルイザ・ミラー」序曲が素敵な出来で、できればお国のヴェルディかレスピーギのプログラムが聴きたかったですね。それにしてもマゼールの指揮ぶりは見事なものでした。
2005/10/24
「勧進帳」
昨夜のNHK教育では本年4月・醍醐寺薪歌舞伎「勧進帳」(団十郎・海老蔵親子)を放映していましたが、いつもの松羽目と違う雰囲気もなかなかいいものですねえ。荘重な雰囲気がそれらしく見えちゃうのが不思議な気がしました。
2005/10/27
「イメージ・ファクトリー」
この本もなかなか面白そうです。ドナルド・リチー著「イメージ・ファクトリー」(青土社)映画評論家である著者が「もののあはれ」とは未練への否定であり・そこに伝統への否定が伝統であるという日本文化の特質があると説いております。ふーん、なるほどそういう見方もあるかもねえ。
2005/10/29
「桜姫」
サイトの「雑談」は「音楽と言葉」のシリーズはあと二回でとりあえず終了しまして、次に「桜姫東文章」の論考を連載する予定にしています。「桜姫」については昨年に3本の論考を出しましたが・それは作品主題に関するもので・密教との関連でかなり観念的なものでしたので、今回は作品構造と主題の関連をもう少し具体的に考えて見ることにします。
2005/10/31
2005/11/2
「武智光秀2」
国立の「絵本太功記」ですが、今回は「妙心寺」の場が見られるのが何と言っても貴重です。この場を見ると光秀だけでなく、十次郎のイメージも変ります。この場を踏まえた「尼ヶ崎」はいつもの上演より重いものになると思います。橋之助の光秀も期待できましょう。
2005/11/3
「北斎展」
上野・国立博物館での「葛飾北斎展」を見てきました。「富岳三十六景」などおなじみの作品もありますが、実物を改めて見て感嘆するのはその観察眼の鋭さ・筆致の精緻なことです。芝居絵・役者絵の類はあまりないようですが、「忠臣蔵」のシリーズは歌舞伎の舞台面にとらわれず・ストーリーを生かした構成でありました。
2005/11/5
「桜姫」
サイト「雑談」に「桜姫東文章」についての論考を連載します。およそ10回程度の連載になるかと思います。この論考ですが、雑誌「演劇界」の先月(11月)号の劇評についての座談会も併せてお読みになれば・ご参考になるところがあるかも知れません。
2005/11/6
「三島全戯曲上演」
今年は三島由紀夫の没後35年ということですが・「三島由紀夫戯曲全作品上演プロジェクト」が企画されておりまして、今月はその第1回公演として「サド公爵夫人」が上演されるとのことです。新潮社の新全集もほぼ完結ですし、この作家を見直すいい機会でしょう。いずれ歌舞伎作品の方も順次上演されることになると思います。
2005/11/7
「三島歌舞伎」
もし三島の歌舞伎作品を連続上演するなら、演出は根本的に新しいものにして・役者も従来イメージではない方の新鮮な起用を試みてもらいたいものです。特に「芙蓉露大内実記」はそう願いたいですが、誰を演出に起用するかが問題かな。
2005/11/9
「太功記」
渡辺保先生のサイトに今月(11月)国立劇場の「絵本太功記」評が載りましたが、舞台はどうやら場面カットが多かったようで・チト残念でした。「妙心寺」をしっかり描くことで「太十・尼が崎」の本来あるべき姿を提示するのが・今回の上演の意義だと期待していたのですが。
2005/11/11
「サド侯爵夫人」
本日は三島由紀夫全戯曲上演プロジェクトの第1回公演として上野国立博物館の特別室で上演の三島由紀夫:「サド侯爵夫人」の舞台を見てきました。舞台はなかなか素敵な出来でしたよ。夜の博物館のなかでの上演という雰囲気もなかなか良いものですね。行ってトクした気分になりました。
2005/11/12
「サド侯爵夫人・2」
三島由紀夫の戯曲はこの言葉が宝飾細工のようで・キラキラしていて・文字で読んでもその面白さは十分理解できますが、やはり実際に舞台で見てみるとやはりその台詞は舞台で発声されるためにあることをつくづく感じますね。役者さんはそれぞれ熱演であったと思います。この作品についてはいずれ何か書きたいと思いますが、書くのはまだまだ先になりそうです。
2005/11/14
「椿説弓張月」
三島歌舞伎については・いつぞや「椿説弓張月」についてメルマガに書くと予告した記憶がありますが、書くにはもうちょっと掛りますが・準備はしております。刊行中の新潮社の「決定版・三島由紀夫全集」の第41巻・音声篇に三島が「弓張月」上の巻を朗読した録音が収録されています。機会あれば聞いてみてください。実に興味深いものです。
2005/11/15
「わが友ヒットラー」
新潮社の「決定版・三島由紀夫全集」の第41巻・音声篇にはもうひとつ、戯曲「わが友ヒットラー」を本読みした録音も収録されています。長い芝居を淀まず一気に読み上げてしまうのには吃驚してしまいます。ところで近日に全集・補巻で映画「憂国」のDVDも出るとのことで、これも楽しみです。
2005/11/16
「勧進帳」
キングレコードから出ている「勧進帳」のスタジオ録音で8代目幸四郎・17代目勘三郎・7代目梅幸という凄い顔ぶれのがありまして・私はLP持ってますが、山伏問答は力の入ったいい出来です。ところで、この録音日ですが1960年4月18日だそうな。つまり、公演の合間を縫って・深夜に録音したようなのですね。ご興味あれば、下記サイトの日記の11月7日の項をご参照ください。筆者の山崎さんはいつも楽しいクラシック音楽のレポートを下さる方ですが、こういうのも聞くんですねえ。
はんぶるオンライン・・可変日記をご参照ください。
2005/11/18
2005/11/19
「籠釣瓶・2」
「籠釣瓶」の八つ橋の笑いの意味を考えるには、まずは渡辺保先生の「女形の運命」の第3章がご参考になるでしょう。歌右衛門が言うようにこの笑みは「ひとつの意味に決め付けないで見る」のがやはりよろしいようです。
2005/11/20
「景清」
吉右衛門の「日向嶋景清」が評判よろしいようで・気になっているのですが、今月はちょっと都合がつきませんので・残念ですが歌舞伎チャンネルで済ませることにします。来月はいよいよ京都南座で四代目坂田藤十郎襲名ということで、また盛り上がりますなあ。しかし、京都までは行けませんので、これもテレビで済ませます。
2005/11/22
「本朝廿四孝」
大阪の国立文楽劇場での「本朝廿四孝」の夜の部(十種香を中心とした半通し)を見てきました。偽の勝頼と・蓑作をめぐる流れが理解されまして・いずれサイトで論考書く時のために大いに参考になりました。久しぶりの上演である「和田別所化性屋敷」の場は珍品ですねえ。
2005/11/23
「歌舞伎仲間の集い」
本日は大阪での歌舞伎仲間の集いでした。インターネットで場所離れた仲間がご縁ができるのは嬉しいことですね。楽しい時間を過ごすことができました。芝居の話をしていると時間があっと言う間に経っちゃいますね。
2005/11/25
「四代目坂田藤十郎」
本日は京都南座において・いよいよ四代目坂田藤十郎襲名興行の「招き」が掲げられました。どうやらこの時点で襲名となるそうで・ご本人から「藤十郎でございます」と挨拶があったそうです。屋号は「山城屋」だそうですね。上方歌舞伎復興の起爆剤となることを期待いたしましょう。
2005/11/26
「無形文化遺産」
歌舞伎がユネスコの無形文化遺産に認定されたということです。日本では能・文楽に次いで三番目ということですが、まあ、至極当然というところですね。「伝統」の継承のために・ますますのご発展を期待したいです。
2005/11/27
2005/11/29
「女と影」
28日に早稲田大学・大隈講堂で行われた「ポール・クローデル没後50年記念事業」での舞踊詩劇「女と影」はなかなか良かったようですね。見れなかったのが残念。一日だけの公演とはもったいないなあ。
2005/12/1
「伊左衛門」
昨日(11月30日)より・四代目藤十郎襲名披露始まりましたね。紙衣姿の伊左衛門、元禄の再現となりましたでしょうか。残念ながら私は京都まで行けませんので、大晦日(31日)の教育テレビでの放送を楽しみにしております。夕霧は雀右衛門、こちらも期待しましょう。
2005/12/3
「カルメン」
サイト「吉之助の雑談」で「籠釣瓶花街酔醒」についての論考連載を始めますが、冒頭はビゼーの歌劇「カルメン」の考察から始まります。カルメンと八つ橋は似ているのか?それが似ているのだねえ。詳しくは本文をお読みください。いずれにせよ歌舞伎とオペラの類似点はこのところ非常に気になっているところですので、いろんな角度からその点を追求していきたいと思います。
2005/12/5
「公開講座のテーマ」
来年の2月に第4回の「歌舞伎素人講釈・公開講座」を予定していますが、テーマの方はまだ決めてないですが・これまで観念論をつづけましたので・今回は何か作品をひとつに絞って具体論で論じることにしたいと思っています。三大歌舞伎についてちょっと考えたいことがあるので、多分このなかから選ぶことになるかと思います。
2005/12/8
「第4回公開講座のテーマ」
来年2月12日に池袋・自由学園で行う第4回公開講座のテーマは「三大丸本歌舞伎を考える」として・今後3回をひとまとめのシリーズとすることとして、その第1回を「菅原伝授手習鑑」とすることにします。と言っても題名が決まっただけで・何を話すかこれから考えるのですけど。
2005/12/9
「船弁慶」
玉三郎新演出の「船弁慶」を幕見で見てきました。実は吉之助は歌舞伎の「船弁慶」はあまり好きじゃないのです。能に憧れ能に近づきたいというのがモロに出てますね。確かにそれが松羽目の本質です。でもそれならホンモノの能の方を見ればいいことですから。勘三郎の船頭に歌舞伎の松羽目の趣あり。
2005/12/10
「歌舞伎学会」
本日は歌舞伎学会秋季大会を聴講しました。今尾先生の「定式幕」についてのご研究、初代坂田藤十郎についてのシンポジウムなど。定引幕(じょうひきまく)が江戸なまりで「じょうしきまく」と混同されて・いつの間にやら定式幕となったというお説の方が確かにそれらしいなあと感じました。今尾先生のお話の中心は定式幕の「緑・柿・黒」の順番についてでしたが、これも面白く拝聴させていただきました。
2005/12/12
「パルコ劇場」
これはちょっと遅れた話題ですが、来年3月に渋谷パルコ劇場で・人気脚本家の三谷幸喜氏がバルコ歌舞伎「決闘!高田馬場」を染五郎ほかで上演するとのことです。・・・どういう歌舞伎か想像できないですが、何事も挑戦するのは良いことです。しかし、この題名は何とかならんのかと思う 吉之助の感性はやっぱり古いかね。
2005/12/14
「忠臣蔵」
忠臣蔵の季節ですなあ。18日に赤穂義士の顕彰を続ける財団法人中央義士会(東京)が初の「忠臣蔵通検定試験」を実施するそうです。1時間半で50の4択問題を解き、80点以上なら中央義士会から「忠臣蔵講師」に認定されるのだそうな。今年の受験者は約100人だそうな。もちろん 吉之助は受けませんけど。
2005/12/15
「第4回公開講座」
ちょっと先の話ですが、来年の2月12日(日)に第4回「歌舞伎素人講釈・公開講座」を開催します。「三大丸本歌舞伎」をテーマにしまして・3回程度のシリーズとして、今回は「菅原伝授手習鑑」を中心にしようということにします。ご興味ある方はサイトの 「第4回公開講座」のご案内をご覧下さい。
2005/12/18
「メルマガ本年最終号発行」
本日はメルマガ第168号を本年の最終として発行し・ホッと一息というところですが、しかし、サイトの方は適宜更新していきます。近日に「玉三郎の新演出の船弁慶」をサイトにアップ予定です。サイトの「舞台の記憶」コーナーの劇評風随想は徐々に増やしていくつもりですが、なかなか進みません。
2005/12/20
「冬の旅」
ちょっと必要がありまして・シューベルトの歌曲集「冬の旅」を聴いていますが、面白いCDがあったので紹介しておきます。現代ドイツの作曲家ハンス・ツェンダーが編曲した「冬の旅」です。シューベルトの曲のバロック的な要素をよく引き出した編曲だと思います。逆に言うと原曲のシューベルトが実に古典的に聴こえます。
シューベルト作曲・ツェンダー編曲:歌曲集「冬の旅」〜創造的編曲の試み・歌唱ブロホヴィッツ(T)/ツェンダー指揮アンサンブル・モデルン(BMGクラシックス)
2005/12/22
「冬の旅・2」
寒い・寒い、日本列島凍えておりますね。シューベルトの「冬の旅」を聴いているのはバロック的感覚の検証の材料として使おうということです。昔は同じシューベルト/ミュラーの歌曲集でも「美しき水車小屋の娘」の方が歌謡性があって好きでしたが、この頃は「冬の旅」の方に惹かれるのは・最近の暗い時代状況によるのか・・とも思いますね。
2005/12/24
「クリスマス」
折口信夫は「古代生活の研究」(全集第2巻)のなかで、我々が古来の「仕来り」に美や安らぎを感じるのはそれが我々にとっての「善・良きこと」であるからだと言っています。異教徒の行事であるクリスマスが日本の生活に定着しているのも、それが「善きこと」と感じられるからに他なりません。このことは歌舞伎を考える時にも非常に大事なことかと思います。
2005/12/27
「松助死去」
尾上松助死去のニュースには吃驚。これから貴重な役者になると思ってたのになあ。合掌。
2005/12/28
「本年顧みて」
本年の「歌舞伎素人講釈」はドールスの「バロック」の概念を取り入れて・新たな論理的展開を見せまして・なかなか充実した年でありました。これで本サイトは単なる歌舞伎のサイトではなくなったと思います。6年目の来年はさらにこの方向で・まずは三大丸本歌舞伎の様式の検討から進めてまいりたいと思います。その成果は2月公開講座でご披露できると思います。