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故郷へ帰ったつもりで

昭和29年11月・歌舞伎座:「鰯売恋曳網」

十七代目中村勘三郎(鰯売猿源氏)・六代目中村歌右衛門(傾城蛍火)、八代目市川中車(海老名なむあみだぶつ)、五代目高砂屋福助(博労六郎左衛門)

(三島由紀夫の新作初演の舞台、久保田万太郎演出)

 *比較参考)平成17年3月・歌舞伎座:「鰯売恋曳網」
    十八代目中村勘三郎(鰯売猿源氏)・ 五代目坂東玉三郎(傾城蛍火)
    (十八代目勘三郎襲名披露)


1)大らかな笑劇(ファルス)

三島由紀夫の「鰯売恋曳網」は昭和29年(1954)11月歌舞伎座の初演。十七代目勘三郎の猿源氏と六代目歌右衛門の傾城蛍火の舞台は好評でしたが、三島本人としては「芙蓉露大内実記」(昭和30年11月初演)の方が自信作であったらしく て、「「鰯売」を褒められたのには、くすぐったくて、ほんとにいやになっちゃったな」と苦笑いしています。三島はわざと擬古典的な文体を駆使して「鰯売」の脚本を書いていますが、脚本でイメージしている天明歌舞伎のような古風な味わいを今風に軽いタッチで処理されてしまったことに三島ご本人はご不満であったようです。

「勘三郎が脚本のあのセンスをどういう風に解釈しているかっていうのが問題なんですよ。もっと線の太いユーモアなんですよ、あれはね。その辺が割りに鈍感なんですよ、彼は。何かそこへ来ると近代人になっちゃうんだな。」 ・「ばかなところがないな。ばかになりたくない一心なんだね、逆に。(笑)僕がつくづく思うのは、ぼくらはすっかり近代人的生活をしてるから、僕がいくら擬古典主義的なことをやっても、新しいところが出て来る。最大限度の努力を払ってもそれがどうしても出てくる。それで、そいつを隠してくれるのが役者だと思っていたんですよ。ところが向こうは逆に考えているんですね。いやになっちゃう。(笑) ここは隠してほしいというところが逆に彼らにとっての手掛かりになるんだな。」 (雑誌「演劇界」での座談会での三島の発言:「三島由紀夫の実験歌舞伎」・昭和32年5月号)

*上記座談会は、古典芸能鉛と水銀―郡司正勝評論集 (西澤書店)に収録。

「鰯売」について触れた別の文章のなかで・三島は「勘三郎は五条橋の場が良かった、「叶わぬ恋となりにけるかな」の箇所は作者の狙った味がよく出ていた、歌右衛門はいかにもお伽草子中の人物に見えた」と褒めています。しかし、すぐその後に続けて三島はこんなことを書いているのです。

『歌舞伎界は現在どちらかと言うと、大ざっぱな言い方だが、リアリズムに憧れている状態である。新劇界は逆に、様式の摂取を志してきた段階にある。私の歌舞伎新作は、やはり新劇界のこういう志向を背景にして様式美に対する憧憬から生まれたもので、そのために歌舞伎俳優からはあまり喜ばれていないのではないかと思っている。』(「鰯売恋曳網について」・昭和30年1月)

その前の役者への褒め言葉と切れた感じで、どうして三島が突然こんなことを書くのか、読者は奇異な感じがすると思います。しかし、どうも勘三郎・歌右衛門への褒め言葉は半ば社交辞令で、後の文章の方が三島の本音であるようです。三島は「鰯売」初演の成功をあまり快く感じなかったようなのです。

三島は新作歌舞伎を書くにあたり・いくつかの方針を考えました。そのひとつは次のようなものです。歌舞伎には封建道徳とか・義理人情のしがらみであったり・涙の濫用とか・現代人には共鳴でできない部分がある。そこで悲劇からは封建道徳と義理人情を・喜劇からは低俗さを取り去り、人間的な悲劇・喜劇を創造し ようというのです。室町時代のお伽草子は三島の少年時代からのお気に入りでした。そこでその系統の本を探しているうちに目を付けたのが「猿源氏草子」です。鰯売が大名に化けたのに・寝言で鰯売りの呼び声を出して見破られるという筋がいかにも呑気で・これを材料に大らかな笑劇(ファルス)を書いてみたいと思ったのです。

今回取り上げるのは昭和29年「鰯売恋曳網」初演の舞台ビデオです。このような貴重な映像が残っているのは文献としても有難いことです。本稿ではこの十七代目勘三郎初演による映像と・本年(平成17年)の十八代目勘三郎の最新の舞台を見比べてみます。

吉之助が思うには「笑える」ということならば・上演時代の違いもあるので単純な比較はどうかとも思いますが、息子の十八代目の猿源氏の方がずっと巧いということが言えるかと思います。表情の変化・喜劇的な身のこなしなど十八代目はテンポが良くて軽やかで・観客を笑わせるツボをさすがに心得ています。これに比べると、十七代目の猿源氏の方はどこか笑いを抑えたような地味な印象があります。これは久保田万太郎の演出のせいかも知れませんが、まあこれは初演のハンデもあります。猿源氏が寝言を言ってしまい、そのことを傾城蛍火に問われる場面を見てみます。

蛍)「コレ、チャッとお目をさまされませ。おまへの寝言が京洛中にひびきわたってをりますぞえ。」
(猿)「(愕然と起き上がり)エ、身共が寝言を申したとナ。」
(蛍)「それについて問ひたいことがござりまする。」
(猿)「(ビクビクして)問ひたいことはエ?」
(蛍)「こなさんまことは鰯売でござんせうわいなア。」
(猿)「エ、鰯売。コレサこの東路にも名も高き、宇都宮の弾正に向かって何を申す。」
(中略)
(蛍)「ハテそんなら猿源氏とは?」
(猿)「ムウ、その猿源氏とは、ソレソレ猿沢の池の柳や我妹子が寝乱れ髪の形見なるらんといふ歌の心、他愛もない寝言にかこつけ、テモむつかしい詮議よなア。」
(蛍)「さればおしまひに問いますぞえ。(トこらへかねて笑い出しつつ)あの鰯かうえいと仰言る寝言は、どんなゆかりでござんすわいなア。」
(猿)「ムウ。(と言句詰りて、冷汗を拭ひ)サアその鰯かうえいという寝言は。」
(蛍)「サア鰯かうえいとはエ?」
(猿)「サア」
(蛍)「サア」

この場面ですが、 十七代目より十八代目の方が表情を刻々と絶え間なく変化させて、動作がずっと多彩で大きいと思います。例えば十八代目は蛍火の問いに目を白黒させながら答え・冷や汗を流して「イヤ大変なことであった」という感じの表情をして観客を笑わせ、「あの鰯かうえいと仰言る寝言は」と問われて、「参ったな・そんなことまで寝言を言ったか」という思い入れで深いため息をついてがっくりした仕草でまた笑いを取ります。良く言えば心理描写が細やかで、猿源氏のあたふたした心理をうまいこと 表情に表わしています。逆に言うと表現過剰で「ここで猿源氏はあせっています」、「ここで猿源氏はうまく言いぬけた・ヤレヤレという感じです」、「ここの猿源氏は更なる危機にもう駄目かと感じています」というのを説明的に表現しています。 先ほど書いた通り、十八代目はその表情の変化のテンポが実にうまいので大いに観客を沸かせます。しかし、それはどうやら現代喜劇のテンポであるのです。

初演での十七代目の舞台映像を見ますと、そこのところはかなり抑えられています。もちろん十七代目らしい愛嬌も見えますが、吉之助が想像していたより十七代目の演技はずっと控えめな感じです。実は 吉之助ももう少しやらかしてもいいのじゃないかと思えました。しかし、この十七代目の猿源氏でも三島は「くすぐったくて、ほんとにいやになっちゃった」と苦笑いであったのです。「もっと線の太いユーモアなんですよ、あれはね。何かそこへ来ると(十七代目は)近代人になっちゃうんだな。」と三島は言っています。そこのところを考えてみたいと思います。

そのおかし味を想像する参考になるのは、ひとつは狂言の素朴な笑いです。この芝居が室町時代のお伽草子を題材にしているわけですから、同時代の芸能の のんびりとした笑いは当然参考になります。もうひとつは「鳴神」や「毛抜」のような歌舞伎十八番の元禄歌舞伎の大らかな味わいの笑いでしょう。元禄歌舞伎の台詞術というのは狂言の流れを汲んでいます。だから歌舞伎役者が「鰯売」を演じるなら一番手っ取り早いのは元禄歌舞伎の感触を利用することかも知れません。

三島が「鰯売」で意図した笑い・ユーモア、それは何と言いますか、局面でその度毎に反応し表情を変化させるようなセセコマシサがないものです。ゆったりと相手の言葉を受け、あまり表情を変えずに「イデ笑おうか・ワハハハハ」という感じです。現代人の感覚から見ると、タイミングがワンテンポ半くらいずれていて、そこにのんびりとした味が出るわけです。観客を無理に笑わせようとするものではなく、自然に頬が緩んでくるというような大らかな笑いを志向したいものです。

こうした古風な笑いはどこから出てくるものでしょうか。別稿「和事の起源」において、シリアスな表現と滑稽な表現という相反する要素が背中合わせで出てくることを考察しました。狂言の笑いはそれまでにはなかった人間性発露の演劇でした。しかし、狂言のそのような表現意欲・人間観察のシリアスな要素というのはまだあからさまに表面には出てこないのです。そうした行為はまだまだ危険なことでした。だから笑いによってシリアスな部分がさりげなく隠されているのです。狂言の大らかさはそこから出てきます。現代においては笑いは仕掛けるものかも知れません。しかし、狂言の笑いは自然ににじみ出るものです。三島はそうした笑いを表出することを意図していると思います。

だから蛍火の言葉にハッとして驚き・しまった正体がバレたらどうしようと思い・イヤこの危機をどうしようと焦り・そうだこの手があるという風に猿源氏が表情を刻々と変えていくのは 現代劇の発想なのでして、台本のなかにその心理的な手掛かりをほじくり出そうとしているわけです。そこに近代人としての意図がチラチラ見えてしまう。三島としたらそんなことはして欲しくないのです。猿源氏はちょっと困った顔をしてみせるくらいで十分なのです。しかし、そうした近代人の感覚は三島の台本のト書きにも若干現われているようにも思えます。例えば「・・と言句詰りて、冷汗を拭ひ」などと言うト書きがそうです。三島は親切心でちょっとヒントを与えたつもりだったのでしょうが、ト書きは余計なことだったかも知れません。

蛍火がお姫さまから傾城になった経緯を語る場面についても、三島は歌右衛門はクドキの感じになっているが・自分はクドキと言うより物語に近い感じに書いたつもりだと書いています。これも三島の言わんとしているその違いが何となく分かります。音楽劇にしたくない・三島はあくまで台詞劇を目指しているのです。歌右衛門は役を自分の方に引き寄せて演じてしまっているのです。(ある意味で歌右衛門はいつだってそうでした。)


2)故郷へ帰ったつもりで

(杉山誠)「あなたとしちゃ、新歌舞伎的なものとして扱われることが・・・」
(三島由紀夫)「いやなんです、というよりは不満ですね。それに、あの人たち、とっても照れるんですね。こういうことは恥ずかしいと言うんです。」
(杉山)「なるほどね、むしろスパッと入って行った方が、あなたの狙いも生きてきて、かえって面白味が出てくると思うがなあ。」
(中略)
(利倉幸一)「今の歌舞伎役者に三島さんの鰯売が黙阿弥よりももっと前のものだって言う、その程度のことがもっと分かっているとすれば、もっともっと面白くできるんじゃないかと思いますね。」
(中略)
(杉山)「やる方の側としちゃ、そいつを当てがわれることによって、やっぱり一種の新しがりをやってると思うんだ。本当は全然逆のコースを取らないといけないのに。例えば黙阿弥から逆に元禄時代、近松時代、あの辺まで遡ってやらなきゃいけないのに、黙阿弥以後で新しがってやっっちゃってるわけだからね。」
(郡司正勝)「故郷へ帰ったつもりでやればいいんだがねえ。」
(三島)「その故郷を失っちゃってるわけさ。(笑)」
(雑誌「演劇界」での座談会:「三島由紀夫の実験歌舞伎」・昭和32年5月号)

ここに現代歌舞伎のひとつの問題が見えます。新作物を演じる場合に役者が無意識的に新しがりをしちゃうということです。それではわざわざ歌舞伎役者の為に新作を書いた意味がないと思うのですが、そういう傾向が実際あるようです。三島のように擬古典的な実験歌舞伎の場合ならばなおのこと歌舞伎役者の得意技である「古風さ」を生かさなければならないはずです。「こういう古臭いことならどうぞお任せください」と来なければならないはずです。ところが役者が恥ずかしがっちゃうというのが非常に興味深いところです。

あるいは歌舞伎役者には自分は古臭い・時代遅れのことを演っていると人に思われているという意識がどこかにあるのかも知れません。そこで擬古典的な作品を突きつけられると、何だか自分のイヤなところを見せられているような気がしてしまうということなのかも知れません。この辺の気持ち何となく分からなくもありませんが、しかし、三島の脚本がそれを求めているわけですから、やはりここは郡司先生の言う通り、「故郷へ帰ったつもりで」演って欲しいのです。

しかし、「ここは隠してほしいというところが逆に彼らにとっての手掛かりになるんだな(三島)」というのは実に面白い指摘です。先に引用した文で三島はそれが「現代歌舞伎のリアリズム志向」だと書いています。猿源氏は鰯売りの正体を隠して大名に化けているわけですからそこにある種の罪の意識があるはずである・だから蛍火に問い詰められると・ハッとして驚き・しまった正体がバレたかも知れないと思って焦るという心理的反応を示すであろうということになります。だからまずギクッとした表情をして・次にああどうしようと目に焦りの色を出し・表情をこわばらせる・オロオロして汗を拭うという演技になります。

猿源氏の心理を分析し・それを演技にどのように形象化するかというのが、リアリズムの発想です。ところが次の段階になると今度はどこの部分を強調して観客を笑わせるかということになってしまうのです。これは猿源氏の心理分析は確かにリアリズムかも知れませんが、人間は感じていることを表情に余すところなく刻々出すわけではないのですから、演技全体がリアリズム手法になっているとはとても思えないのです。むしろ演技全体がリアリズムを志向しているなら本当は九代目団十郎の「肚芸」のように演技は簡潔なものになっていくのが筋道だと思います。だから、ここで三島の言っている「歌舞伎のリアリズム」というのはあまり根ざしの深くないリアリズム・中途半端のリアリズムなのです。何と言うか・先の座談会の発言を借りれば「本人は新しがってるけど・実は全然そうでない」のです。だから、台本を深読みして・理解の取っ掛かりを見出そうとするほどその齟齬が目立ち始めるのです。そうなると笑いが仕掛けるものに感じられてしまうのです。

先代(十七代目)の演技はそこのところかなり抑えた感じだと思うのですが、しかし、その十七代目の演技でさえ・微苦笑ということであるけれども、三島には「くすぐったくて・いやになっちゃっう」と言われているというのは考えさせられます。「鰯売」が笑劇(ファルス)であることの意味をもう一度考えてみたいですね。

(H17・10・27)


 

 

 

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