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新・十八代目勘三郎の盛綱

平成17年(2005)3月・歌舞伎座:「近江源氏先陣館・盛綱陣屋」

十八代目中村勘三郎(五代目中村勘九郎改め)(盛綱) 、五代目中村富十郎(和田兵衛)、七代目中村芝翫(微妙)

(十八代目中村勘三郎襲名披露)


1)歌舞伎の「盛綱」への疑問

明治14年(1881)10月・春木座において九代目団十郎は「盛綱陣屋」の佐々木盛綱を演じましたが、その後、団十郎は「自分の一番嫌いな役は盛綱である」と言い切っています。演じてみてホトホト嫌になったらしいのです。

『盛綱と云える男、北条時政に仕え居りながら当時の武士が忠義の為には骨肉を屠(ほふ)るという勇気もなく、おのが主君を欺 (あざむ)くに非常なる苦心を為すのみか、欺きたる後その罪を悔いて切腹でもするかと思えば平気な顔をして生きながらえて居るなり(中略)君を欺き、兄弟なりとも敵と内通して恥じる色なきは武士にあるまじきことなり 。』(九代目市川団十郎・「最も嫌いな役」・「団洲百話」)

そういうわけで「盛綱陣屋」は九代目団十郎によって型が洗い上げられなかった大作のひとつです。晩年の三島由紀夫も武智鉄二との対談でこんなことを言ってます。

『僕は前から思っていますが、武智さん演出で見たい歌舞伎がひとつあるんです。それは「盛綱陣屋」なんですよ。というのは「盛綱陣屋」くらい僕はつまらない芝居はないんですよ。あれは団子(だんご)です。団子という五つのエピソードがつながって、みんな同じ大きさで串で刺してあるんですよ、今やっている(歌舞伎の)「盛綱陣屋」は 、篝火の件、微妙の件、盛綱の件・・・みんな同じ重さで、クライマックスもなければ何もないんですよ。よくあんな退屈なものをものを見てると思う。だけど原作を読んでみると、決してそんなことはない。(歌舞伎では首実検の場面を)27分やった人がいるんですってね、なんてバカでしょう。』(三島由紀夫・武智鉄二:「現代歌舞伎への絶縁状」・昭和45年2月)

この点は吉之助も三島に同感で、現行歌舞伎の「盛綱陣屋」は型の練り直しが必要な大作の筆頭であると以前から思っています。特に首実検の場はもったいぶっている割には・段取りのための段取りになっている感じで緊張感がない。首実検から「(小四郎を)褒めてやれ褒めてやれ」に至るまでに時間が掛りすぎて小気味良いリズム感がない。だから盛綱に対する共感を感じ取りにくいと思います。この部分の盛綱には勢いと熱さが必要だと思うのです。じっくりと時間を掛けて考えていたのでは盛綱はああ した行動に出られないと思います。

「当時の武士が忠義の為には骨肉を屠るという勇気もなく・君を欺き、兄弟なりとも敵と内通して恥じる色なきは武士にあるまじきこと」と九代目団十郎は言っています。その論理を一応認めるとしても・それでもなおかつ盛綱が主人時政を欺き・偽首を弟高綱であると嘘を言うのならば、盛綱をそうさせる強い動機(その心情)は一体何なのかを考えてみなければなりません。そうでないならばこの幕を上演する意味はないと思うのです。現代においては盛綱は「命を捨てた甥っ子の健気な行為を見捨てることができず・情においてやむなく偽首を高綱の首であると偽証をした」という解釈であります。つまり、盛綱は戦場の・武士の論理を越えたところでの「情の人」であるというところに歌舞伎は「盛綱陣屋」の現代における上演価値を見出しているわけです。

しかし、この後で盛綱は切腹し・盛綱の家はお取り潰しに追い込まれることになるわけです。「甥っ子の行為を踏みにじるに忍びない」というそれだけのこと(あえて「それだけのこと」と言いますが)が、主人を裏切り・家を捨て・家族や家来までも路頭に迷わせるに足るだけの理由でありましょうか。このことは別の機会にじっくりと考えてみたいと思います。とにかく歌舞伎の「盛綱陣屋」の現行の型は 吉之助を納得させるだけの強い動機を感じさせてくれないのです。九代目団十郎の問いに対しても答えを出せていないと思います。

それでも歌舞伎の「盛綱陣屋」にも・ここが良ければ他のところすべて帳消しにできるという箇所があります。それは首実検で時政が引き上げた後・盛綱が篝火や微妙に自分が偽証した心情を語り・小四郎を褒めてやれという場面です。この場面は初代吉右衛門の遺された 映画(昭和28年)が断然素晴らしいものでした。もう最晩年の芸とは言え、ここでの吉右衛門の長台詞のテンポの良さ・緩急の良さはこれを見なければ歌舞伎の台詞術は語れないとさえ思わせるものです。そして「褒めてやれ・コレ母人褒めておやりなされ・その方なぜ褒めぬ・褒めてやれ・褒めてやれ」の息の良さ・そしてパッと扇を掲げて見せられると、すべて吹っ飛んでやっぱり歌舞伎は最高だとなりますね。そこに至るまでのリズム感が実に良くて・パッと扇を開く瞬間に爆発的なクライマックスへ自然に持っていくわけです。実は「褒めてやれ」の部分は歌舞伎の入れ事で原作にはありません。しかし、結局、 吉之助にとって歌舞伎の「盛綱陣屋」はこの場面を見るためにあると言って過言ではありません。


2)陰々滅々の盛綱

そこで今回の新・勘三郎の「盛綱陣屋」のことです。襲名披露で勘三郎が盛綱を演じると聞いて・「へえー」と思った方は多いと思います。仁(にん)のあるなしを言えば、勘三郎はスケールの大きい時代物の主役の仁ではないかも知れません。しかし、勘三郎があえて襲名披露でこの役に挑もうとするなら・何か心中期するものがあるのであろうとも思えました。ひとつには勘三郎が自分の血のなかにある「菊吉」の吉の部分を見詰めようとしているのならば大変結構なことと思いました。先代勘三郎も・晩年に兄初代吉右衛門の当たり役の数々を意識して勤めましたが、「盛綱陣屋」の盛綱もそのひとつでした。先代勘三郎の盛綱は初代吉右衛門と趣はだいぶ違って、湿っぽいところのある重みのある盛綱でありましたね。

今回の新・勘三郎の盛綱ですが、これは先代ともまた異なる・さらに湿っぽい「陰々滅々の盛綱 」という趣です。身内が敵味方に分かれて戦うなんて状況は悲しい忍びない・ということに深く悩み憂うる盛綱という感じです。まあ、そういう解釈も分からぬことはないですが、最初から重く沈んだ暗い雰囲気なのです。だから芝居が浮き立たちません。富十郎の和田兵衛と・芝翫の微妙はさすがに安心して見られる出来ですが・ともに芸風がシャープで明解なので、これが勘三郎の重く暗い演技としっくり噛み合ってこない感じです。この深く憂うる盛綱のままで首実検に至るので、首実検の場が重くもたれます。さらに篝火を呼び出して・「褒めてやれ」に至る台詞がリズム感に欠け・カタルシスがない。肝心の一気に行くべき台詞に「泣き」が入って台詞がぶつぶつ切れるのです。これすべて「深く憂うる盛綱」の性根の捉え方から来ていると思われます。しかし、これは勘三郎のせいだけでもなく・在来の歌舞伎の型に問題があるのです。今回の「盛綱陣屋」を見て、やはりこの幕は九代目団十郎に演出を洗い上げてもらいたかったなあと改めて思いました。

それにしても歌舞伎の「盛綱陣屋」の場合は「褒めてやれ」でパッと扇を掲げるとすべてパッと帳消しにできるのだから明るくやってもらいたいのです。ちょっと変に思われるかもしれませんが、同じ夜の部の「鰯売恋曳網」の幕切れ・花道での愛嬌のある勘三郎の笑顔、ああいう感じでいいから明るくパッと扇を掲げればよろしいのです。それですべて吹っ飛ばすことができるのです。もちろんニヤけた笑顔ではいけませんが、雰囲気としてはどこまでも晴れやかであって・観客の気持ちをぐっとつかまなければなければならないのです。初代吉右衛門の盛綱も・十五代目羽左衛門の盛綱も勘所はそこだったと思います。勘三郎はそれができる役者だと思いますが。勘三郎はちょっと考え過ぎではないでしょうか。

盛綱を神妙に深刻に演じれば演じるほど、現行の型の出来の良くないところ・齟齬が見えてきて仕方ないのです。こういう役は少なくとも現行の型で行く限りは・勘所をパッと華やかに楽しげに締める。それで映えるものかと思います。

(H17・7・24)


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写真 c松竹、2012年5月、平成中村座、髪結新三
 


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