音楽と言葉
〜オムニバス形式による論考
本稿では言葉と音楽の問題などを逍遥してみたいと思っているのですが、どういう風に展開していくかはお楽しみです。日本は言霊信仰の国だとよく言われます。
磯城島(しきしま)の大和の国は 言霊の助くる国ぞ 真幸くありこそ
これは「万葉集」での柿本人麻呂の歌です。日本は言霊が力を授けてくれる国であると人麻呂は言うのです。「言霊」とは言葉に魂がこもっているということで、言葉の内容に呼応して現実が動くということです。例えば「悪いことが起きる」と口にしてしまえば必ず悪いことが起きると日本人は昔から信じていたのです。ということは、もし悪いことが起きそうな予感がしても・それを口にしては絶対いけないのです。いったん口にしてしまったら言霊の力でそれが実現してしまうからです。これが日本の言霊信仰です。
例えばこういう話があります。貞観年間(859〜877)のことだそうですが、宮中でお神楽のために「磯良が崎」という歌が作られました。「磯良が崎に鯛釣る海人の我が妹子がためと鯛釣る海人の・・・」という歌詞だそうですが、これを歌って変事が起きたために、以後宮中でこの歌を歌うことは禁じられたということです。変事と言うのが何だったのかは伝わっていないのですが、実は海中深いところに棲む「あずみのいそら」(安曇の磯良 ・または磯良丸)と言う妖怪がおりまして、歌の「磯良」は伊勢の地名の磯良が崎のことで妖怪とは全然関係がないのですが・歌を聞いた妖怪が自分が呼ばれたと思って出てきて起こった事件だとされたようです。つまり、妖怪は「磯良が崎」という「いそら」の響きに反応したと考えられたのです。(「池田弥三郎:「日本の幽霊」より)
ここで気が付く大事なことは、言霊は発声されて初めてその霊力を発揮するということです。極端に言えばその言葉の意味などどうでも良いのです。言霊にはその音の響きが必要なのです。
(H17・9・28)
紀貫之による「古今集・仮名序」冒頭に次のような有名な文章があります。
『和歌(やまとうた)は人の心を種にして、万(よろず)の言の葉とぞなれりける。世の中にある人、事(こと)・業(わざ)しげきものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひいだせるなり。花に泣く鶯、水にすむかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地(あまつち)を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女(おとこおんな)のなかをもやはらげ、猛けき武士(もののふ)の心をもなぐさむるは、歌なり。』
ここで紀貫之が言っているのは文学としての和歌というよりは、声に発して詠まれる和歌のことです。と言うか・当時の和歌は声に出して詠まれることを前提としたもので、文字で記録されることは二次的な意味でした。和歌を詠むということは、ある種の節付けをして朗誦するもので・それは純粋な意味での音楽ということではありませんが、まさしくそれは、「歌(うた)=音楽」なのです。
「力をも入れずして天地(あまつち)を動かし・目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」ということは、 朗誦=歌(うた)としての和歌の響きによって引き起こされる言霊の力です。その音の響きが必要なのです。その音を朗々と さらに効果的に響かせるためには節付けが必要です。必然的にそれは音楽に近いものになるのです。
このことは邦楽の伝統音楽に歌唱を伴うもの(声楽)が圧倒的に多いことに関連していると思われます。笛や琴のための・いわゆる純粋器楽ももちろん邦楽にもありますが、それは邦楽の本流をなしてはいません。邦楽の本流は声楽であり・それは言葉に強く結びついているのです。それは何故であるかを証明するのは容易ではありませんが、次のようなことが考えられると思っています。
楽器の音色が妖怪・怪物の心をも和らげる不思議な効果を持つという話は、ギリシア神話のオルフェウスの竪琴の話を例に挙げるまでもなく世界各地にあります。これは日本においても同様です。しかし、日本においてはそのような楽器の音色による魔力をさらに強めるために言葉の・すなわち言霊の力が求められたのです。あるいは言葉の・すなわち言霊の力をさらに強めるために音楽の要素が求められたのかも知れません。どちらが先なのかは分かりませんが、結果として音楽と言葉は互いを求め合う。そうした要素が邦楽の場合は強いのであろうと考えています。
(H17・9・30)
本稿においては「−」はその音程を維持したまま伸ばす、「〜」は音程を自由に動かし・震わせながら長く伸ばす、とお読みください。
日本の音曲では語尾を伸ばして震わせて歌うという独特の技巧が見られます。そうした古い形が伝承されているものに平家琵琶があります。その冒頭「祇園精舎の鐘の音」ですが、「ぎおォ〜ォ〜ォ〜んしょ〜おじゃのォ〜ォ〜」という風に声を微妙に震わせます。
これは何気なく聞くと気が付かないかも知れませんが、実は規則があるのです。「ぎィ〜ィ〜おんしょおォ〜ォ〜じやァ〜ァ〜ァ〜の」と語ることはないのです。こうした語り方をすると 言葉は分解してしまって形をなさないのです。ご注意いただきたいのは、吉之助はここでは「形をなさない」と書きましたので、「意味をなさない」とは書いていません。言霊にとって大事なのは言葉の意味ではないのです。言葉が響きとして形をなし・言霊の霊力を発揮するためには、言葉が形をなさねばなりません。
音を伸ばし・震えさせる(または転がす)のは、言葉のどの部分でも伸ばしていいのではないのです。言葉の響きが形をなすために 音を伸ばすのはそこしかないという箇所があるのです。名詞・形容詞の場合は、それは必ず二字目です。例えば「諸行無常」は「しょぎょォ〜ォ〜ォ〜むじょォ〜ォ〜ォ〜」とは伸ばすことはできても、「しょォ〜ォ〜ォ〜ぎょうむゥ〜ゥ〜ゥ〜じょう」と伸ばすと変に聞こえるのは感覚で分かると思います。音を伸ばし振るわせるのは必ず二字目起しの箇所なのです。助詞の場合はそういう制約がなくて、自由に音が伸ばせますから、日本の音曲では歌詞の語尾がたいてい伸びて震わされています。
言葉が響きとして形をなせば、響きは自然と意味を帯びてくるのです。しかし、その形は如何ようにも受け取ることができます。幾通りかの意味を帯びてくる場合もあります。(例えば別稿「 その1:言霊の助くる国」で触れた「いそら」がそうです。その響きが伊勢の地名「磯良が崎」にもなれば・妖怪「磯良丸」にも掛ってくることになります。)そうしたところに日本の詩歌の「韻を踏む」・「掛詞」などの技巧が発達する背景があるのでしょう。
(H17・10・3)
山田耕作(1886〜1965)は「からたちの花」・「この道」などの歌曲、「赤とんぼ」・「お山の大将」・「ペチカ」などの童謡で有名な作曲家です。山田耕作に師事した団伊玖磨が「山田先生は助詞との接続にはあまりこだわらなくて、名詞の抑揚に特にこだわる人でした」と語り、こんなエピソードを語っています。
『ある曲のなかで「風」という言葉を僕は抑揚をどうしても逆に使いたくて、「カーゼ」とポルタメントで滑っていくように書いたことがあります。それが先生の逆鱗に触れた。「カーゼ」という言葉はないのだ、日本語では「かぜ」なのだから、ここは「 カーゼー」と上げるべきだ。僕が風にもいろいろな感じがあって、頭の上を通っていくような風とか、吹き降ろしてくる風とか、現象的にはいろんな風があるのだから、いろんな風の表現があってもいいのじゃないですかと言うと、イヤそうじゃない、「かぜ」は上がる抑揚だから上げなくちゃいけない。でも頑なな考えの人じゃなかったのだなと思うことは、いざ本番の演奏になったら「風」のところで先生が片目をつぶって、これもいいねって言ったのを覚えていますよ。』(団伊玖磨・「日本音楽の再発見」・・・小泉文夫との対談・平凡社ライブラリー:上記は太字をアクセントと読んでください。)
*団伊玖磨:日本音楽の再発見 (平凡社ライブラリー)
このふたりの論争ですが・曲も聞かないで申し上げますが、吉之助は山田耕作の肩を持ちたいですね。「カーゼ」という言葉の形は日本語にはないのです。「カゼー」ならば まだ分かりますが。「カーゼ」では二字目起しの原則に沿っていないのです。山田耕作が名詞の抑揚にこだわり・助詞ではそうでもなかったというのは、日本の音曲の伝統を踏まえればそれは当然のことかと思います。
武智鉄二が団伊玖磨の歌劇「夕鶴」を演出した時の話ですが、与ひょうの台詞で「畦に鶴が降りて来てよ、矢を負って苦しんどっちゃけに抜いてやったことがあるわ」というのがありますが、曲では「クーロニ、ツールガ、オリテキテヨ、ヤーヲオッテ、クールシン、ドーッタケニ」と一字目を伸ばして歌われているのに気が付いて「歌舞伎の悪いパターン化現象のように思われ」て、「キーテキ、イーッセイ」という唱歌調がどうしても重なって最後まで割り切れない気持ちであったと武智が書いています。(武智鉄二:「伝統演劇の発想」より)これも「カーゼ」とまったく同じです。「アーゼ」・「ツール」という響きでは言葉は正しい形をなさないように思われます。
(H17・10・6)
話がちょっと横道にそれますが、若い頃は洋楽に凝った方が歳取って演歌が好きになるということはよくあることのようです。吉之助はカラオケ好きというわけではないですが、「さざんかの宿」という演歌をご存知でしょうか。作詞:吉岡治、作曲:市川昭介、歌:大川栄策であります。
その昔、NHKのテレビで演歌の作曲家が自作を素人さんの歌唱指導をしますという番組がありました。その番組で市川昭介氏が登場して自作「さざんかの宿」をピアノを弾きながら指導したのです。「くもりガラスを 手で拭いて あなた 明日が 見えますか」という歌詞ですが、この「あなた」の部分を素人の受講者の方が「 あなーたー」と歌ったのです。これはプロの大川栄策もそう歌っておりますから・それを真似たのだと思いますが、ここで市川氏が即座にピアノを止めてこう叫んだのです。「そこは、 あなァ〜タと歌って欲しい、楽譜に私はそう書いたんだ!」これは二字目起しの原則に沿っているのです。さすがに演歌の作曲家は伝統に乗っ取っているとえらく感動してしまいました。この後で模範歌唱ということで大川栄策が歌いましたが、やっぱり「あなーたー」と歌っておりましたねえ。市川氏はちょっと怒ってたかもなあ。
演歌をカラオケで歌う時に、この二字目でこぶしを付けると・格段に情がこもってうまく歌えますからお試しあれ。演歌はやっぱり日本の音曲の伝統を引いて出来ているのです。しかし、このツボをご存知の方は多くはないようですよ。
(H17・10・8)
ここでは音を伸ばして震わせる(または転がす)ことを考えます。「諸行無常」を「しょぎょォ〜ォ〜ォ〜ォ〜」とずっと長く伸ばすと最終的に子音は飛んでしまって、耳に残るのは「オ」の響きです。音を伸ばすと響き渡るのは母音なのです。このことから言葉が響きとなって形をなし・言霊の力を持つのは母音の響きの効果であることが推察できます。母音の響きは音声を発する人の身体(特に頭部・胸部)を振動・共鳴させて、その人の感情の奥底に直接的に作用します。ルドルフ・シュタイナーは母音の響きがもたらす不思議な作用を語っています。
『私たちは全人として、共感活動を育てています。そしてこの共感活動を胸部のなかで絶えず宇宙的な反感活動として絡み合わせています。そして反感と共感のこの相互活動の表現が人間の言語活動なのです。胸部のなかでの共感と反感のこの出会いが頭脳によってはっきりと受け止められる場合、そこに言語の理解が生じます。(中略)言語活動は基本的には感情と同じように、共感と反感の絶えざるリズムの上に成り立っているのです。』(ルドルフ・シュタイナー:自由ヴァンドルフ学校創設における連続講義・1919年 8月)
シュタイナーは母音の作用を次のように説明します。
『私たちが驚嘆という感情のニュアンスを以って宇宙と関わりを持つ時、その驚嘆はO(オー)になります。O(オー)という音声は、基本的には私たちの内部にある呼吸が驚き、驚嘆を発した時の表現に他ならないのです。O(オー)は驚き、驚嘆の表現として捉えることができます。(中略)事物に対する別な感情のニュアンスは、空虚なもの、あるいは空虚なものに似ている黒いものに対して持っている感情のニュアンスです。あるいはまた黒いものと共通している恐怖や不安の感情のニュアンスです。それはU(ウー)として表現されます。これに対して充実したもの、白いもの、明るいもの、明るさや白さに関係あるすべてのもの、さらに賛美や尊敬、これらの感情のニュアンスはA(アー)によって表現されます。ところが私たちが対象から身を遠ざけようとしなければならないという感情を持つ場合、自分を守るために対象から逃れなければならない場合、あるいは抵抗する場合、それはE(エー)によって表現されます。一方、それとは反対に、対象を指示したり、近寄ろうとしたり、ひとつになろうとしたりする感情はI(イー)によって表現されます。』(ルドルフ・シュタイナー:自由ヴァンドルフ学校創設における連続講義・1919年 8月)
ルドルフ・シュタイナー教育講座〈1〉/教育の基礎としての一般人間学
シュタイナーは二重母音についても触れています・例えばAとOとUが共に響く母音があるとすれば、それはまず恐怖と伴っているが、それにも関わらずその恐怖のなかに入っていこうという感情も含まれている・そのような母音によって表現されるものは最高度の畏敬の念であり、この二重母音は特に東洋の言語のなかによく見られるとシュタイナーは言います。
このような母音の生理的効果は西欧言語についてのみ当てはまるというものではなく・深い生理的作用に根ざしたもので、人類全体に共通したものだと言えます。もちろん日本語についても同じです。すなわち、すべての母音は事物に対する我々の魂の営みを反映したものなのです。これが言霊の力の源です。
母音は事物に対する我々の魂の内なる営みを表現するものですが、これを外部から形にするのが子音の役割です。我々が母音だけで語るならば、それは常に事物に対して帰依する態度・基本的につねに共感だけで接することになります。恐怖や驚愕の反応を示す時、我々は対象から離れて自分のなかに引きこもろうとしますが、それさえも共感で形作られているとシュタイナーは言います。そのような共感で作られたニュアンスを、反感によって外部から形になすものが子音なのです。それぞれの民族の言語を固有のものにしているのは子音です。
『胸部の人間のなかに表現される共感は、いったいどんな種類の共感なのだろうか。胸部の人間は反感を鎮め、そして頭部の人間はただそれに従うだけなのだろうか。その根底には音楽的な要素が働いているのです。それは音楽的であることの限界を越えて存在しているのです。根底に存在している音楽的なものが限界を越えて、音楽以上のものになっています。言い換えますと、言語は母音から成り立っている限り、音楽的なものを常に含んでいます。 これに対して、言語が子音から成り立っている場合は彫塑的、絵画的なものを内に含んでいます。そして語る言葉のなかで人間における音楽的要素と彫塑的要素とが総合され、統合されるのです。』(ルドルフ・シュタイナー:自由ヴァンドルフ学校創設における連続講義・1919年 8月・*以上の講義は、「ルドルフ・シュタイナー教育講座・教育芸術T・筑摩書房」に所収。)
このことはシュタイナーの音声言語論の私的理解でありますが、言葉と音楽との関連を考える場合に非常に示唆があると思います。
(H17・10・11)
前稿に少し補足をしておきます。言語における母音・子音の関係はそう単純ではありませんので、簡単に図式化するわけにはいきません。母音もA・I・U・E・Oの五音だ けということではなく、実はAにもいろいろな音があるのです。だから、あまりステレオ・タイプに考えない方がよろしいかと思います。まあ大体そんなイメージであるのかなと漠として捉えればいいのです。
ところで、角田忠信著「日本人の脳〜脳の働きと東西の文化」(大修館書店)という本がありますが、ここに興味深いことが書いてあります。西洋人は言葉を聞く時に、母音は右脳(つまり感情を司る部分)で・子音を左脳(つまり論理を司る部分)で処理する。ところが日本人の場合は母音も子音も同じ左脳で処理 しているというのです。これは日本語では母音単音でも意味をもつ言葉がある(え=絵など)があるからだと推測されます。この研究が示すところは、例えば日本語の「か」は子音のKと母音のAで出来ているのではなく・まさに「か」という音そのものとして日本人は聴いているのではないかということです。
角田忠信:日本人の脳―脳の働きと東西の文化
しかし、この話を聞くとますます興味深いと思うのは、音曲で歌詞を「かァ〜ァ〜ァ〜」とずっと長く伸ばしていきますと、そこまで日本人が「か」の音を一体で持続して捉えているとは思えませんから、 それならば「ァ〜ァ〜ァ〜」と言うのは何であるかということです。これはたぶん言葉ではないのでしょう。言葉の影・尾っぽ、あるいはまさに言葉の裏に潜む霊魂の姿そのものなのかも知れません。そういうものを導き出しているということではないかとも思われます。その 場合には「ァ〜ァ〜」の響きは右脳で処理している部分があるのではないかと思いますが、そこまでは角田氏の本では言及がないようです。
(注:角田忠信著「日本人の脳」は大変面白い本ですが、左右脳の働きについては個人差が大きいようで・一概の判断が下しにくいようです。角田氏の結論にも異論反論も含め・さまざまな評価があるようです。「歌舞伎素人講釈」でもいずれ別観点からこれを材料に取り上げたいと思っています。)
(H17・10・12)
言霊に対する特に強い意識を日本人が持っているのは確かですが、言葉の響きに対する意識はどの民族も同じように持っているものです。欧米の詩歌においても「韻を踏む」技巧は重要です。また欧米ではスピーチの意味が非常に重いのもそのひとつです。政治家にとって演説のうまいことは必須条件です。西洋史の節目には必ずと言っていいほど名演説があるものです。学術論文も印刷出版されただけではその権威は十分なものとは認められません。学会で口頭発表されることで、その論文の意義は公に確認されたものになるのです。言語が音声として発せられることの意味は欧米においてもそれほどに重いものです。
西欧のクラシック音楽の声楽には音を震わせる技巧というのはあまり見られませんが、コロラチューラ唱法では似たような技巧が見られます。一例としてモーツアルトのモテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」(K.165)の最終楽章の有名な「アレルヤ」を挙げておきます。歌詞はただ「アレルヤ」の繰り返しです。コロラチューラ唱法では「ル」の音を転がして「アーレールゥ〜ゥ〜ゥ〜ヤ」と歌っています。ここでも「アレェ〜ェ〜ェ〜 ェ〜ルヤ」なんて歌い方は 決してないのです。本曲では最初の「ア」を転がしている箇所がありますが、よく聞くと「ア〜ァ〜ァ〜ァ〜・アレルヤ」と歌っています。もちろんそう歌わなければ響きが形をなさなず・神を讃える響きにならないのです。音をどこでも引き伸ばして転がしてもいいわけではなくて、ルールは違えど・邦楽と同じように言葉が形をなすことは西洋音楽でも大事なことだと思います。
西欧のクラシック音楽の声楽が言葉と強く結びついていることは西欧言語の論理性との関連からもうなづけることですが、音楽性を追求しようとすれば・当然ながら言葉の制約(あるいは束縛)から放れようとする動きも出てきます。コロラチューラ唱法はその具体的な表れですが、 ただし・これは音楽表現の歪んだ一面を示すものとして退けられて音楽の主流にはなりませんでした。オペラ・ナポリ派のベル・カント唱法も同様です。やはり、西欧音楽の場合は言葉の論理性が非常に重要視される わけです。それが証拠に西欧での作曲の授業は歌が最後です。器楽から始まって、メヌエットを書く、変奏曲を書く、ソナタを書く、そしてオーケストレーションを学ぶ、そうしたことの後で最も難しいものとして歌曲を書くことを学ぶのです。
「言葉が先か・音楽が先か」というのは西欧の声楽に常につきまとう命題です。言葉の束縛から放れようとする動きの反動が、歌唱よりむしろ伴奏の方に強く現われているようです。例えばヴォルフの「メーリケ歌曲集」のなかの「火の騎士」での・まるで伴奏の位置を拒否して人声を乗り越えようとするかのように雄弁なピアノ伴奏、あるいはワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」での色彩的かつ誘惑的なオーケストラの響きを思い出します。ここでは言葉の越えられない制約を伴奏の側から崩そうと試みているようにも思われます。しかし、音楽と言葉のことを考える場合には言葉のイントネーションの問題を考えて見なければなりません。
(H17・10・16)
音楽と言葉との関係についてシュタイナーは次のように語っています。
『彫塑的・造形的なものは人間の個体化のために働き、一方、音楽的・詩的なものは社会生活を促進させるために働きます。音楽的・詩的なものは統一を作り出します。人間は彫塑的・造形的なものを通して個定化されます。個性は彫塑的・造形的なものによって維持され、社会性は音楽や詩の共同活動によって維持されるのです。(中略)だからこそ子供の心のなかに音楽と詩への欲求と特に喜びとが育成されるべきなのです。子供は早いうちから優れた詩文を覚えておくべきです。今日での社会では散文ばかりが幅をきかせています。今日多くの朗誦家がいますが、彼らは人々に散文だけを押し付けて、文芸作品の内容的側面だけに注意を向けています。そして詩を朗読する時にも内容上のニュアンスに重点を置き、そうすれば完全な朗誦になると思っています。けれども本当に優れた朗誦は音楽的要素を強調する朗誦なのです。シラーのような詩人は魂の奥底から詩を生じさせました。シラーは試作する時、しばしば魂のなかに、初めはメロディのようなものが浮かぶのを経験しました。そしてその後で彼はこのメロディのなかへ内容を、そして言葉を沈めたのです。現代風の朗誦の仕方では押し付けになると私は申しました。なぜなら散文、つまり詩の内容だけに主要な価値を置き、しかもそれをまったく抽象的に受け取っているからです。概念内容を芸術によって流動化しなければならないのです。』(ルドルフ・シュタイナー:自由ヴァンドルフ学校創設における連続講義・1919年 8月)
ルドルフ・シュタイナー教育講座〈1〉/教育の基礎としての一般人間学
このように子音(彫塑的・造形的なもの)は人間の個体化のために働き、母音(音楽的・詩的なもの)は社会生活を促進させ、統一を作り出すわけです。ドイツ語はイタリア語と比べると子音が強く響き、そのために論理的要素の強い言葉です。イタリア語はどちらかといえば母音が強く残る言葉です。するとイタリア語を使ったモーツアルトの歌でも、ドイツ人とイタリア人ではアプローチが微妙に違うということも起こります。
名歌手ディーリッヒ・フィッシャー=ディースカウは歌唱における朗読の必要性を重視する人ですが、イタリア人歌手の歌うモーツアルトは自分たちドイツ人から見ると正しく歌えていないと言っています。モーツアルトは子供の頃からイタリア語を学び・流暢にイタリア語を話せたのですが、それは何となくオーストリア訛りの入ったイタリア語であるそうです。だからそれを理解していないと、イタリア人がモーツアルトを歌う時のように必要以上に歌いすぎるというのです。(1993年8月・「レコード芸術」でのインタビューより)
面白い指摘ですが・これは何となく分かる気がします。ミラノスカラ座での「ドン・ジョヴァン二」や「コジ・ファン・トゥッテ」の上演の録音を聴くと、歌は流麗(レガート)なのですが・どことなく引掛っかりが少ない感じがします。逆に言えばイタリア人から見ればモーツアルトの節付けはちょっと変だと感じるところがあるのかも知れません。また、F=ディースカウは「ロッシーニのオペラのレチタティーヴォはしばしば音楽の流れを重視しすぎて・イタリア語のイントネーションから離れているように思われる」ということも言っていますが、これも興味深いことです。
(H17・10・19)
ディーリッヒ・フィッシャー=ディースカウは、ドイツ・リート界における巨人とも言うべき存在です。その詩文理解力は群を抜いており、歌唱において言葉が明瞭なこと、そのイマジネーションと言葉のイントネーションの統一感があることではほとんど比類のない存在と言ってよろしいでしょう。
一方で歌曲ファンには「F=ディースカウはどうも朗読みたいで・歌の面白味に乏しい」と言う方も少なくないのもこれまた事実です。いささか古いですが・例えばハインリッヒ・シュルスヌスやレオ・スレザークの歌う・実に甘美で響きの 滑らかな旋律で酔わせるシューベルトと比べると、F=ディースカウのは理屈っぽくて・どこかゴツゴツしている感触があります。しかし、読みの深さにおいてF=ディースカウほどの歌手はなかなかいないと思います。
シュタイナーの言うところの「音楽的要素を強調した朗誦」とは言葉自体というよりは抑揚(イントネーション)に重きを置いた朗誦です。これを延長していけば、抑揚のなかから自ずとメロディが生まれてきます。そして言葉の意味がメロディのなかに沈んでいくのです。「言葉が咲きか、音楽が先か」というのは、西洋音楽に出てくる永遠の命題ですが、このバランスをどう取るかが大事なのです。
『どういう詩にメロディをつけるべきかが作曲する時の最も大事な点かも知れません。詩によっては、最初からメロディをつけてくれと叫んでいるように見える詩があります。そういう詩に作曲する時は言葉のウェイトをちょっと控えておいてメロディ優先の書き方がとられるでしょう。一方、ある思考を的確に・確固とした形で表明している詩に対しては、むしろメロディにはお休みしてもらって言葉優先という処置が取られることになるでしょう。』(ディーリッヒ・フィッシャー=ディースカウ:1993年8月・「レコード芸術」でのインタビューより)
そのような言葉と音楽のバランスが最もよく取れた作曲家がシューベルトです。まず感心するのはその詩の選択・さらにその読み込みの深さです。そして言葉の抑揚とメロディが緊密に結びつき、逆にメロディが言葉の情感を見事に描き出していることです。
ゲーテは音楽に非常に関心の強い人で、その周囲には音楽家が大勢おりました。彼らはゲーテの詩に競って作曲して・その曲をゲーテに捧げました。しかし、ゲーテ自身はシューベルトの作曲をあまり評価しなかったようです。例えば「野ばら」ですが、ゲーテが好んだウェルナーの「野ばら」を聴きますと・そこに聞こえるのは可憐で素朴な野の花です。シューベルトの「野ばら」を聞くと、その花の色はより鮮やかで妖艶です。まるで「私を摘んでごらん・その代わりあんたを刺してやるから」と誘っているかに聞こえます。シューベルトは詩のイメージを掘り下げ・ある意味で詩のイメージをさらに読み替えているところがあるかも知れません。ゲーテにはそこがちょっと疎ましかったのかも知れません。
(H17・10・21)
義太夫や清元・長唄などを「言葉がよく聞き取れない・分からない」から敬遠するという向きは多いと思います。古いとは言え日本語ですから・部分的には分かると思いますが、全部理解しなくちゃいかんと重圧感じるのでありましょうね。聞き取れなくてもいいと思いますよ。全部聞き取ろうと思うと疲れるじゃありませんか。
西洋でもイタリアオペラを聴く時にドイツ人が・あるいはフランス人がどれだけイタリア語を分かって聞いているのかはよく分かりませんが、ついこの間までオペラは現地の言葉に翻訳された歌詞で歌われるのが普通であったことでその事情は大体察しがつくでしょう。手元に1955年のウィーン国立歌劇場で・当時の音楽監督カール・ベームの振ったモーツアルト:歌劇「ドン・ジョヴァン二」の録音がありますが、これはドイツ語翻訳による上演です。オーストリア出身のモーツアルトの作品が ウィーンで上演されるのに原語(イタリア語)上演でないのです。実はこの時代には外国語のオペラは現地語に翻訳したもので上演されるのが当たり前のことで あったのです。当時はオペラは筋が分かるのが優先であったのです。しかし、たまに外国からゲスト歌手を招聘すると、彼らは自分の国の言葉で歌うので・舞台で三ヶ国語が行きかうなんてことがウィーンでも珍しく ありませんでした。
この慣行を原語上演に直してしまったのは1956年からウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任したヘルベルト・フォン・カラヤンですが、これには物凄い抵抗があったのです。しかし、今ではどこでも原語上演が普通のことになっています。(現在は電光掲示で翻訳を流すということも可能になっていますので状況は改善されています。)カラヤンがオペラの原語上演で意図したものは、作曲者が意図した音楽的表現を実現しようとするものでした。つまり、音楽と言葉の 抑揚(イントネーション)のより緊密な関係の実現です。逆に言えばオペラの筋を理解することは二の次にされたということでもあります。まあ、予習して来なさいということかも知れません。
吉之助も長年オペラファンを自認はしてますが、イタリア語が分かるというレベルではとてもありません。もちろんそれでも十分音楽は楽しめますが、しかし、やはり言葉が分かるに越したことは ありません。台本を広げて・対訳を見比べながら・歌詞を追ってオペラを聴きますと、なるほど作曲者はこういう言葉の抑揚にこういうメロディを当てるのか、言葉の意味と抑揚はこれほどに緊密に結びついているのか、なるほど・・・とその妙に時間を忘れますよ。やはり音楽は原語で聴く方がいいのかなと思いますね。
(H17・10・22)
今回は前稿と逆みたいなことを書きます。手元に「へフリガー・日本の歌曲を歌う」というCDがあります。(1992年5月録音・東芝EIM) ドイツの名テノール:エルンスト・へフリガーが、ドイツ語訳で日本の歌曲を歌ったものです。これが 実に素晴らしいのです。この録音のきっかけは、へフリガー自身がこう語っています。
『外国のアーティストが日本の歌曲を歌うことはこれまでもなかったことではありません。しかし、その多くがアンコールでのご愛嬌の域にとどまっていたのも事実です。私は、その日本歌曲の魅力を、純粋に私自身の目で、耳で、そして心で捉えた解釈で歌おうと考えたのです。』(エルンスト・へフリガー:CD解説より)
歌詞翻訳は村上紀子さんとマルグリット・畑中さんのふたりにより行われたそうですが、この翻訳が素晴らしくて・まるでこれらの歌曲が初めからドイツ語の詩に作曲されたかのように聞こえます。例えば山田耕作作曲・北原白秋作詞の「この道」を聞きますと、
白秋詩「この道はいつか来た道 ああそうだよ あかしやの花が咲いてる」
ドイツ語訳「Ja, diesen Weg / seh ichi mich einmal gehen. / Ja, Ja, auf diesem Weg, / Akazienbaeume seh ich, / Akazien seh ich bluehen. 」白秋の詩の雰囲気をドイツ語詩としてどこまで捉えているかは分かりませんが、曲のイメージはしっかり守られていて・実に音楽的な翻訳であると感心します。言葉の抑揚が音楽に結びついています。ヘンな話であるが、日本語で歌われるよりもずっと良いと吉之助には思われました。いや北原白秋にも・山田耕作にも申し訳ないと思いますが、しかし、このCDはずっと吉之助の愛聴盤なのです。純粋に音楽が味わえる。そんな気がしてしまいます。
吉之助がずっと感じていることは・この試みの成功は翻訳のうまさにだけ帰せられるものではなく・もうちょっと本質的な問題があるのではないかということです。それは山田耕作の音楽がもっと豊かな抑揚を その心底に求めているように思われることです。つまり、日本語の平坦な抑揚では単純過ぎて、微妙な感情の綾を洋楽の手法では十分に拾い上げられない、 あるいは旋律の持つ叙情を日本語の抑揚が支え切れない、そのようなことがあるのではないかと感じます。そのような日本語と西洋音楽を結び付けようとする明治の先達の作曲家たちの苦労のほどが偲ばれる、そんな気がするわけです。ドイツ語の歌詞を得て・山田耕作の曲はやっと安息の地を見出したかのように聞こえるのです。やっぱりリートに向いているのはドイツ語だなあとも思いますね。
(H17・10・25)
*注:「エルンスト・へフリガー・日本の歌曲を歌う」は第3集まで発売されています。
赤とんぼ~浜辺の歌/ヘフリガー、ドイツ語で歌う日本の歌曲 VOL.1
浜千鳥~宵待草/ヘフリガー、ドイツ語で歌う日本の歌曲 VOL.2
花の街~我は海の子/ヘフリガー、ドイツ語で歌う日本歌曲 VOL.3
これも奇妙なことだと思いますが、クラシック音楽を専門で学んだ歌手が歌うと日本歌曲の言葉がよく聞き取れないということがしばしば起こります。シューベルトの歌曲は上手なのに、日本歌曲のイントネーションが変に聞こえるのです。むしろ、アマチュア歌手が歌う日本歌曲の方が発音が素直なのか言葉がよく聞こえます。これは恐らくクラシックの歌手は旋律の流れから情感を意識的に込めようとして・言葉の抑揚を無視してしまい勝ちだからかも知れません。上手の手から水が漏れるという奴です。しかし、両方描き分けられるのがホントのプロなのですがね。
『西洋の声楽家が日本に来て、アンコールに日本の歌をよく歌いますが、向こうの発声法の人であるにもかかわらず言葉がよく聞こえますね。これは日本の声楽家への大変な挑戦状じゃありませんか。向こうの発声法でもそのシステムが本当に身体の中に入り込んでいれば、外国語である日本語を聞いた場合に、自分の発声のヴァリエーションのどこかで日本語をとらえられるのではないですか。おそらくシューベルトの歌を歌う場合とモーツアルトのオペラを歌う場合は発声法を変えているのですね。しかし、それが生半可な習得だと、硬直状態でいつも同じ発声法になってしまうのではないでしょうか。』(団伊玖磨・「日本音楽の再発見」・・・小泉文夫との対談・平凡社ライブラリー)
団伊玖磨・小泉文夫:日本音楽の再発見 (平凡社ライブラリー)
ジェシー・ノーマンがリサイタルのアンコールで「さくらさくら」を歌ったのを聴いたことがありますが、やはり実に素直に歌っていました。「さくらさくら」のような一音符一語の歌であると、「一音符」の長さをひとつの音程で一語を一定に保つことが、西洋歌曲の感覚であると単純過ぎて逆に難しいのだろうと思います。ノーマンは技術があるからそれができるのです。ひとつには息を腹に保つ力の差かも知れません。「さくらさくら」の時もひとつひとつの音を手のひらに乗せて大事に大事に扱うように発声している感じがしましたね。それと意味が分からないまでも日本語の語感を天性でつかんでいるのでしょう。
ここで「一音符一語」の問題が出てきます。団伊玖磨氏は日本歌曲のなかにある「一音符一語主義」に対してこう批判しています。
『日本語をどのような音型化してくかという問題にしても、一音符一語主義が無批判的に伝承されてきて、例えば「私はあなたを愛します」は「ワタシハアナタヲアイシマス」と十三の音符で書いて疑わない。外国の歌で「I love you」なら三つ、「Je t'amie」なら二つの音符で表現できるのに日本語では十三音符が必要だということの不自然さに気がつけば、日本語をどう音楽化するかというシステムを作ったはずでしょう。そういうことだけでも先輩たちの手でできていたら、次の時代にまったく新しい生きた日本語の歌ができていたはずでしたね。』(団伊玖磨・「日本音楽の再発見」・・・小泉文夫との対談・平凡社ライブラリー)
「フランス語では二つの音符で表現できることが日本語では十三音符が必要となる不自然」というのは理屈では納得のいかぬことですが、言葉と格闘しながら作曲する音楽家の気持ちとすれば本音なのでしょうねえ。団伊玖磨の「一音符一語主義批判」については賛否両論あるところだと思いますが、本稿においては日本の歌に「一音符一語」という原則みたいなものがあるらしいと云う認識に留めます。この「一音符一語」についてさらに考えてみます。
(H17・10・27)
「一音符一語」というのは明治になってから西洋音楽が入り込んできて・西洋音階に日本語を無理矢理合わせたために出来たものなのでしょうか。どうもそうではないようです。子供に言葉を教える時に「サ・ク・ラ」、「フ・ジ・サ・ン」と区切って教えることは明治以前にもあったことと思います。だいたい日本語というのは音節が極端に少ない例外的な言語で、いくら小分けしても音節は百もないのですが、こういう言語は珍しいのです。中国語などは「ア」だけでも音節が上がったり、下がったり何種類もあるそうです。
話は変わりますが・明治になって隆盛を見た芸能に娘義太夫(女義とも言う)というのがありますが、これの大スターといえば呂昇でありました。全盛期の呂昇の人気は凄まじいもので、男子学生が劇場に詰めかけ・クライマックスになると「どうする、どうする」と叫ぶので「ドースル連」と呼ばれた追っかけ連中に囲まれていたくらいのもので した。その呂昇が各地を巡業しながら旅先で民謡採集を行い・三味線で採譜をして・それをせっせと東京に送っていたという話があるのです。譜を受け取っていたのは音楽学者の兼常清佐で した。彼は洋楽を研究しながら変った人でして、「ピアノなんぞにタッチなんてものはない、ルビンシュタインが弾こうが、猫が鍵盤の上を歩こうが、同じ音がする」という極説を唱えた人であります。この兼常が呂昇に民謡収集の必要性を説き、これに共鳴した呂昇が民謡収集を行ったのだそうです。呂昇の集めた譜は貴重な文献ですが、呂昇は旅先で土地の人を呼んで・その歌を三味線で音を合わせながら採譜したのです。基本的には今の音楽学者が五線譜に音をとるのと同じ手法です。つまり、やはり原則は「一音符一語主義」 なのです。
呂昇は民謡の音は三味線の譜(つぼ)に決してはまらないものである・その音程のずれをどのようにつかむかが問題であるということも指摘しています。この点は別次元の問題ですが記しておきます。本稿では呂昇が「一音符一語」で採譜していることを確認しておきます。これは何でもないことのように思いますが、やっぱり大事なことです。つまり「一音符一語」というのは別に西洋音階の概念に慣らされた人だけのイメージではないわけです。案外、日本人の自然な言葉のイメージなのかも知れません。
ところが、西洋音階で日本語の歌曲を作ろうとすると・団伊玖磨氏のように「一音符一語」に不自由さを感じてしまう人も出てくるというのが興味深いところです。「一音符一語」を頑なに守ったかに見える師の山田耕作の歌曲も、またその旋律のなかにもしかしたら団伊玖磨氏と同じ割り切れぬ思いをその心底に抱いていたかも知れぬ(別稿「その12:豊かな抑揚への憧れ」をご参照ください)とすれば、音楽と言葉の問題はなかなか微妙なものだということを感じずにはいられません。
西洋の絶対音階の体系で日本語の歌を書くことを仕事にしている団伊玖磨氏のような方が「一音符一語」に不自由さを感じている気持ちは何となく分かります。西洋音楽の授業では器楽から始まって・メヌエットを書く・変奏曲を書く・ソナタを書く・オーケストレーションを学ぶ、そうしたことの後で最も難しいものとして歌曲を書くことを学ぶのです。いわば音楽と言葉の融合作業は最も難しい・究極のものとしてあるのです。
その一方で、そのようなことをあまり深く意識しなければ(というと語弊があるが・気楽に考えればということですが)日本語の歌はびっくりするほどイージーに出来るのです。日本の場合は作曲も・まず歌から始まる場合が少なくありません。これは邦楽というものが声楽が主流で・言葉を転がせばなんだか歌のようになってしまう伝統から来るものかも知れません。
(H17・10・29)
団伊玖磨氏の「一音符一語」批判をもう少し考えます。団氏の山田耕作の思い出話から引きます。
『山田先生のオペラは、一音符一語主義というご自分のシステムに忠実ですから、どうしても人間の思考速度が無視されるのです。歌劇「黒船」のなかの緊迫した場面で、お吉が弁天島で姉さんにものを聞く場面があるのですが、そこで「ね・え・さ・ん/お・し・え・て/ちょ・う・だ・い/な」って歌うんだな。(・は音符の区切り、/は小節の区切りとお読みください)自分の運命がどうなるかという差し迫った時にこんなのんびりした言葉は変だ。「姉さん・教えてちょうだいな」と言うのじゃないですかと言ったら、うん、それはそうだけど、オペラってものは拡大するんだとか言っておられた。劇的な迫力というようなものは管弦楽でつけて、歌はいつも情緒的に歌うのだとういうことを、ご自分独特の楽劇観からつねづね言っておられましたから、あのオペラも四時間くらいかかるでしょう。内容的には一時間半のものだと僕は思います。それがあんなに拡大されると、全部がピントの甘いレンズで見ているようなふやけ方になることにはどうも気がつかれなかった。あれほど演劇に詳しかった人でも自分のオペラになると、自分のシステムに淫したのですね。」(団伊玖磨・「日本音楽の再発見」・・・小泉文夫との対談・平凡社ライブラリー)
山田耕作の「オペラってものは拡大するんだ」という発言が非常に面白いと思います。団氏は「あんなに演劇に詳しかった人なのに・・」と言っていますが、逆に吉之助は「オペラってものは拡大するんだ」という山田耕作の表現は(団氏はよく呑み込めていないようですが)演劇に詳しい人でないと絶対に出てこない発言だと感じるのです。この場合の演劇はもちろん歌舞伎のことを言っています。もっと具体的に言えば黙阿弥の七五調です。黙阿弥の七五調の台詞もまた「拡大する」ものです。「伸びていく」とも言えそうです。劇的な緊張を差し置いて台詞はいつも情緒的に歌われるのです。
「自分の運命がどうなるかという差し迫った時にこんなのんびりした言葉は変だ」というのは自然主義演劇の観点ならばその通りです。「あのオペラは内容的には一時間半のものだ」も多分その通りだと思います。しかし、作品にするとこうなっちゃうわけです。
別稿「試論:黙阿弥の七五調の台詞術」でも触れましたが、吉之助は黙阿弥の七五調の本質は写実に立たねば見えないという考えです。黙阿弥を写実に引き戻すために 「一音符一語」のリズムは崩さなければならないと思っています。その意味では団氏の言いたいことは分かり過ぎるくらいよく分かるのです。しかし、そのような情緒に傾斜し・拡大しようとする傾向を黙阿弥の七五調が持っていることもまた確かなのです。そうして情緒を精妙に描こうとするほど次第に拡大して、ダラダラ調に変化していきます。その勘所が「一音符一語主義」にあると思っています。それと似たような傾向を山田耕作のオペラもどうも同じように辿っているらしいのが、実に興味深く、いじらしく思うのです。これは偶然の一致ではない。音曲に立脚したところの日本演劇の宿命みたいなものかも知れません。
(H17・10・30)
「オペラってものは拡大するんだ」という山田耕作の言葉は西洋のオペラのことを言っているわけではありません。自分が理想とする日本語の楽劇(オペラ)のイメージを言っているのです。これは山田耕作が歌舞伎をかなり研究したことをうかがわせます。日本語でオペラを作るなら「言葉は 自然と伸びる」・伸ばさないで済ますならその方がいいが・それでも伸びようとする方向に向かうものだと考えたのでしょう。「オペラってものは拡大する」という表現は歌舞伎を知っている人でないとなかなか出てこない表現であると思います。
現代歌舞伎の黙阿弥の七五調を見ていますと、一音が一音符一拍子でタンタンタン・・と進み、もはや七五でもなく・拍さえ喪失している印象を持ちます。伸びきっちゃってるわけです。だから、これを吉之助は「黙阿弥のダラダラ調」と呼んでいます。「音楽的」ということを意識すると台詞は自然にそうなってしまうということなのかも知れません。だからこそ黙阿弥の台詞をしゃべる時には写実のベクトルを意識しなければならないわけです。
ところで西洋音楽というのは集積(アキュムレーション)の要素の強い音楽でして、第1主題があって・それが展開して第2主題に移行し・そして全体がひとつの形として構築されるという 建築みたいな感じが強いものです。和声(ハーモニー)も同じで、いろんな音の集積がひとつの内的なイメージに集約するという感じです。これに対して、邦楽の場合はひとつの音があり・それが川の流れのように伸びたり縮んだりしながら・流れに身を任せたり離れたりという感じなのです。この西洋音楽と邦楽の相克のなかで山田耕作は苦しんだのでありましょう。
山田耕作の作品に長唄交響曲「鶴亀」(昭和9年)というのがあるそうです。先日(平成17年10月15日)に東京芸術劇場で「山田耕作の遺産」と題するコンサートがあり、湯浅卓雄指揮東京都交響楽団と長唄囃子連中によって演奏されたそうです。私は残念ながら聴いておりませんけど、聴いた人の話では和洋の オーケストラ(お囃子連中も英語で言うとオーケストラになる)のぶつかり合いが「実に気色悪い」(笑)とのことでありました。これは何となく分かる気もします。しかし、山田耕作がこういう挑戦をしたということを吉之助は重く受け止めたいと思うのです。
(H17・11・2)
(付記)
「吉之助の雑談」での「山田耕作の長唄交響曲」もご参考にしてください。