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黙阿弥の「七五調」の科白術

*本稿では七五調の基本イメージを論じていますが、台詞というものは役者がしゃべる生きた言葉ですから・七五調はこうしゃべらなくてはならないという定型があるわけではありません。しかし、守らなければならないイメージは厳然と してあります。そこのところご注意いただきながらお読みください。


1)黙阿弥再活性のために

最近、黙阿弥狂言で舞台と客席との距離が次第に遠くなっているように感じられます。義太夫狂言においてもこうした不満を感じないこともないのですが、黙阿弥に関しては特に強く感じます。登場人物に生気が感じられないようです。人物表現にピリッとした新鮮さが感じられません。黙阿弥物は「世話物」であると申します。「世話物」というのは、江戸の市井の人情・風俗を写実に(リアルに)描くもののはずです。生きている江戸をビビッドに我々の眼前に見せてくれるものでなければならないはずです。しかし、最近の歌舞伎で見る黙阿弥はどこか色が脱色してしまった古い写真を見ているような気分にさせられます。

一般に黙阿弥の「七五調」というのは「歌い上げる」やり方で発声され・観客を音楽的に陶酔させるものというイメージがあるようです。たとえば十五代目羽左衛門のお嬢吉三、 吉之助はもちろん録音でしかそれを知らないわけですが、そこで発せられる「月も朧に白魚の・・・」というツラネはほとんど歌であり、大事なのは言葉の意味ではなくて音楽的なイメージであるとよく言われます。なるほど黙阿弥の「七五調」の魅力はそういう ところがあるかも知れません。

ブレヒトは自作の芝居「三文オペラ」のなかで「ソング」と呼ばれる劇中歌を多用して、ドラマにダイナミクスを与えています。お嬢吉三のツラネはたしかにブレヒト・ソングに似たところがあるようです。ブレヒトは「三文オペラへの註」のなかで、ソングについてこう書いています。

『歌を歌うことで、俳優はひとつの機能転換を行なう。俳優が普通の会話から無意識のうちに歌に移っていったような振りを見せるほどいやらしいことはない。普通の会話・高められた会話・歌唱という三つの平面は、いつもはっきりと分離されねばならない。高められた会話が普通の会話のたかまりであったりしては決していけないのだ。』(ブレヒト:「三文オペラへの註」〜ソングを歌うことについて)

*ベルトルト・ブレヒト:三文オペラ (岩波文庫)に収録

黙阿弥の「月も朧に白魚の・・・」というツラネは、ブレヒト・ソングと同じような劇的側面をたしかに持っています。「状況から切り離された詩」、そのようにも感じます。しかし、実はそれだけでもないのではないでしょうか。ブレヒト は「高められた会話が普通の会話のたかまりであったりしては決していけない」と言っています。これはまったくその通りだと思います。そうすると歌になろうとする台詞は・台詞の方に引き戻されねばならない。そういうことにあるかなあと思います。ツラネのなかには、芝居と関係ないような修飾語も飛び交いますが、しかし、「思いがけなく手に入る百両」とか、「こいつぁ春から 縁起がいいわぇ」とか、芝居の状況に関することも適宜織り込まれていて、内容は芝居と着かず離れずであります。また、近くで厄払いの声ありこれに「オオ、それよ」とお思い入れあって、「ホンに今夜は節分か・・」と続けるあたりは本当に芝居味あって嬉しいところですが、ここも芝居と「ソング」の間を揺れ動くところに面白さがあるのです。

「黙阿弥の七五調は歌だ」と言いますが、やはり「芝居」であり「科白」であるということは忘れてはなりません。本稿では、黙阿弥の「七五調」を如何にして「写実に」・「歌う」か、を考えてみたいと思います。そのためには、黙阿弥の七五調も「歌」ではなくて「科白」であるという原点にもう一度立ち帰って、そこから改めて「歌」を思い返してみることが、黙阿弥再活性のために必要なのだと申し上げたいと思います。


2)黙阿弥の七五調の背景

黙阿弥の脚本を眺めますと、芝居が開いた直後での「○・△」で示されたような名題下の役者の会話の方が日常語で書かれていてリアルに感じます。それなのに、名題役者が登場してくると途端に会話が「七五調」に流れて行って詰まらなくなっていくような感じがすることがあります。名題役者の科白が写実ではないというのはどういうことなのでしょうか。 吉之助はここに写実から音楽的修飾に逃げる(逃げざるを得ない)という役者の表現意欲の減退を見るような気がします。逆に言えば、作者黙阿弥の側からすると、こういう風に書かざるを得なかった環境要因があるのではないかとも推察します。

周知の通り、黙阿弥は四代目小団次のもとで座付き作者を務め、小団次に育てられたと言ってもいいほどでした。黙阿弥(当時は二代目河竹新七)と小団次との提携は嘉永7年(1854)の河原崎座での「都鳥廓白浪」(忍ぶの惣太)が最初です。当時、黙阿弥は39歳。この時期の江戸歌舞伎はある意味で「端境期」で出来る役者が底を着いていた状況でした。七代目団十郎・四代目彦三郎(亀蔵)はすでに老い、人気役者だった八代目団十郎はこの年(嘉永7年)に自殺しています。五代目彦三郎はまだ若かったですし、この人はどちらかと言えば時代物の役者でした。四代目芝翫・九代目団十郎・五代目菊五郎らが頭角を現してくるのはまだ先のことです。

要するに、当時の江戸歌舞伎は脂の乗った・腕の立つ役者(立役)は小団次だけだったと言ってもいいような状況でした。黙阿弥の脚本での名題役の科白が写実でないのは、当時の歌舞伎界のレベルの低下を想像してもよろしいのかと想像します。こういう状況下で黙阿弥と小団次の提携が始まったのです。

なお、「七五調」というのは和歌・俳句はじめ日本語の伝統の詩のリズムですが、芝居の「七五調」はどれも同じというわけではありません。黙阿弥の「七五調」はすこし前の瀬川如皐の「与話情浮名横櫛」(切られ与三郎)の「七五調」とはちょっと違っております。

切られ与三郎の有名な科白「しがねえ恋の情けが仇、命の綱の切れたのを、どう取り留めてか木更津から、めぐる月日も三年(みとせ)越し・・・」を見ますと、「がねえこいの/さけがあだ/のちのつなの/れたのを」という風に、すべて「七・五」のリズムの頭にアクセントが付きます。これは、いわゆる関東なまりの「頭打ち」のアクセントです。「切られ与三郎」の成功はもちろん人気の美男役者・八代目団十郎の魅力によるところも大きいわけですが、如皐の関東なまりの科白が写実を感じさせたのも大きな魅力であったと思います。(太字のところがアクセントです。)

ところが黙阿弥の「七五調」を見ますと、お嬢吉三の科白「月も朧に白魚の篝(かがり)も霞む春の空、つめてえ風もほろ酔いに心持ちよくうかうかと・・・」では、「つもおぼろに/しうおの/かりもかすむ/はのそら」という風に、「七・五」の二字目にアクセントが付いています。これは「二字目起こし」と言って、上方のアクセントなのです。

小団次は江戸生まれですが、大坂の小芝居で長く修行をした役者で芸風も科白廻しも上方風であったと思います。また、小団次が好んだ竹本・清元など浄瑠璃の多用も上方での修行の賜物だと思いますが、下座音楽とマッチさせる意味でも登場人物の「七五調」のアクセントは二字目起こしでなくてはならなかったはずです。浄瑠璃などの音曲はすべて二字目起こしの原則に沿っていますので、音楽的要素を含んだ科白もやはりその原則に沿わなくてはならないのです。


3)七五調の基本リズム

小団次死後の黙阿弥の最大のパートナーと言えば、それはもちろん五代目菊五郎です。五代目菊五郎の声の録音というのは残ってませんが、武智鉄二氏が七代目三津五郎に「六代目菊五郎(五代目の実子)が五代目に一番似ているのはどこか」と聞いたところ、三津五郎は「それは声です」と即座に答えたそうです。そして「親子というのは、こわいものですねえ。目をつぶって聞いていても、五代目そっくりですよ。あんなに似るものですかねえ。」と言ったそうです。

六代目菊五郎の「弁天小僧」の録音(昭和7年2月ビクター録音)を聞くと、初めて聞いた人は「これが世話の科白なの?これでいいの?」と、ちょっと驚くだろうと思います。 吉之助もそうでした。低い調子でボソボソと、ちっとも歌い上げる・声を張り上げるようなところがありません。有名な「知らざあ言って聞かせやしょう」も余りにも芝居っ気がないというか、テンポはいいのですが、サッサと済ませましょ、という感じにさえ聞こえます。しかし、実は世話はこれでいいのです。一見すると芝居っ気のない・この録音は黙阿弥の科白廻しを考えるのに重要な資料だと思います。

黙阿弥の「七五調」の名手というと、冒頭に挙げたように、まず思い浮かべるのは十五代目羽左衛門でしょう。これに較べるとたしかに菊五郎の「七五調」には歌や陶酔はありません、というより初めから菊五郎はそういうものは眼中にないのです。たしかに菊五郎は低調子の人で、声を張り上げるのは苦手であったようです。しかし、羽左衛門は九代目団十郎崇拝の影響もあって高調子の科白の人でして、朗々として音楽的な科白廻しですけれど、低調子の音羽屋系の本来の科白廻しを伝えているとは言えません。

あるいはこう言えるのではないかと思います。羽左衛門の科白は「世話の草書」なのでして、誰にでも簡単に真似できるような芸ではないのです。それに対して、菊五郎の科白は「世話の楷書」です。世話の科白の基本をピタリと押さえているような気がします。お習字を学ぶ時にもまず「楷書から」と申します。世話の科白を学ぶには、まずは「世話の楷書」・六代目菊五郎の科白から学ぶことだと申し上げたいと思います。

それではどこが菊五郎の科白のツボかと言いますと、「七五調」のリズムの基本をしっかり押さえている、と吉之助には思えるからです。たとえば有名な「浜の真砂と五右衛門が歌に残せし盗人の種は尽きねえ七里ヶ浜・・・」を見れば、「はまのまさごと(7)/ごえもんが(5)/うたにのこせし(7)/ぬすびとの(5)/たねはつきねえ(7)/しちりがはま(5)/」の科白のひと区切り(/から/まで)をそれぞれ一尺の長さとしますと、菊五郎の科白は、(7)の部分は一音が7分の7、(5)の部分は5分の5の変拍子でリズミカルに流れていきます。つまり、感覚的には(7)の部分は早く・(5)はゆっくり、の繰りかえしのリズムが「七五調」の基本リズムなのです。黙阿弥の「七五調」での写実とはどうあるべきかが理解できると思います。

*正しい七五調のリズムのイメージ

ユニットの間隔は一定に保たれ、五は遅く・七が早いという風に緩急のリズムが交互に来る。緩急のリズムの揺れる感覚が七五調の面白さなのです。

現代の歌舞伎役者はそのように「七五調」を処理しているでしょうか。ほとんどの役者がすべての音を同じ5分の5のリズムでダラダラと進めていると感じます。つまり、科白のひと区切りが七と五に交互に伸び縮じみしているだけで、全体がメリハリなく一本調子になってしまっているのです。だから歌になっていないし、もちろん写実にはほど遠くなってしまうのです。

加えて、「歌」というか節回しを意識し過ぎなのか、基本のテンポが遅すぎると思います、しかも年々遅くなっている。「歌」というより悪く言うと「お経」に近い感じです。これでは生きた「七五調」になるはず がありません。 吉之助は個人的にこういうのは本当の「七五調」ではなく、「ダラダラ調」というのだと思っています。



*一般的な七五調のリズム・いわゆる 「ダラダラ調」のリズムのイメージ

リズムは変化せず、五と七のユニットの長さが交互に伸び縮みする。節回し(抑揚)を工夫しないと、単調な印象は避けられない。

 現在の舞台でも黙阿弥を演る時に、「ここで歌って欲しい」と思うところで歌わない役者はいます。現代に黙阿弥を生かすために・生きた人物を描くために、現代の歌舞伎役者も苦闘しているのだなあと思います。それでも七五調のリズムは違っているし、テンポも遅すぎだと思います。七五調で書かれた黙阿弥の科白を歌わないでダラダラしゃべっただけで「写実」になるわけではないのです。「写実」とは「歌わないこと」とは違います。黙阿弥の科白を写実にしゃべるためには、科白が内包するリズム・速度でしゃべらなければならないのです。

黙阿弥再活性のためには、「七五調は歌である」というイメージを一旦捨てて、七五調による「写実」の可能性を追ってみる必要があると思います。しかし、同時にまた、七五調を散文でしゃべっても黙阿弥にはならないことも意識しておかなければなりません。そのためには、まずは十五代目羽左衛門の魅惑をしばし忘れて、六代目菊五郎の黙阿弥の科白を十分研究してみなければなりません。


4)黙阿弥の「七五調」の科白術

それでは「弁天小僧」のツラネを題材にして、黙阿弥の「七五調」の科白の科白術について考えてみたいと思います。なお、以下で記しますことは吉之助の「お遊び」ですからあまり深く考えないでいただきたいのですが、これは 吉之助が黙阿弥の科白は「こうやってくれたらいいなぁ」と思っている科白廻しであり、いわば「吉之助型」というべきものであります。

「知らざあ言って聞かせやしょう。浜の真砂と五右衛門が歌に残せし盗人(ぬすびと)の種は尽きねえ七里ヶ浜。その白浪の夜働き。以前を言やあ江ノ島で年季勤めの児(ちご)ヶ淵。江戸の百味講(ひゃくみ)の蒔銭(まきせん)を当てに小皿の一文子(いちもんこ)。百が二百と賽銭のくすね銭せえだんだんに悪事はのぼる上(かみ)の宮。岩本院で講中(こうじゅう)の枕探しも度重なりお手長講(てながこう)と札附きにとうとう島を追い出され。それから若衆(わかしゅ)の美人局(つつもたせ)。ここやかしこの寺島で小耳に聞いた祖父さんの似ぬ声色(こわいろ)で小ゆすりかたり。名せえ由縁(ゆかり)の弁天小僧菊之助たぁ俺がことだ。」

下記は六代目菊五郎の「写実」の科白廻しをベースにして、これに「歌う」要素を加味してみたら、こうなるかな、というものです。是非、口のなかでモゴモゴと「七五調」を唱えながらお読みください。(なお、人によっては七五の区分が若干変化することもあり得ましょう。)

なお、黙阿弥の科白の基本リズムは「(7)を7分の7で言い・(5)を5分の5で言う変拍子」ですが、「(7)と(5)」が基本ユニットになっていて、時に(7)をゆっくりと伸ばす場合には後の部分を心持ち詰めて早く言ってユニットの長さに合わせる場合もあります。いずれにせよ、「(7)と(5)」のユニットとしての長さはほぼ一定になる、とお考えください。また、基本テンポを今の舞台で見られるものより1.5倍位に早くしたいと思います。

○「知らざあ言って(7)/聞かせやしょう(5)」

ここの部分は導入部で、まだツラネではありません。まずここは自分のことを番頭たちに知らないと言われてキッとなって思わず「シラザアイッテ」を時代に張り上げますが、ちょっと間を取って「聞かせやしょう」を一転して世話に軽く流します。ここの時代から世話への切り替えの「間」が黙阿弥の妙味です。「聞かせやしょう」を張って言う役者がいますが、気持ちいいかも知れませんがこれでは時代物になってしまいます。「弁天小僧」は世話物だということをお忘れなく。

なお、ここで弁天小僧は煙管を灰皿に打ちつけますが、舞台を見てるとコッツンコッツンと調子を取っているように見えます。しかし、これは講談師が張り扇をバンバン叩くのと同じで、観客を制して・注意を自分に引き付けようとするものなので、むしろカッカンと強く叩いた方が写実で本来なのではないかと 吉之助は思っているのですが。

○「浜の真砂と(7)/五右衛門が(5)/歌に残せし(7)/盗人(ぬすびと)の(5)/種は尽きねえ(7)/七里ヶ浜(6)」

ここからツラネですが、まず冒頭の「浜の真砂と」はちょっとたっぷり言ってもいいかも知れません。その場合には「五右衛門が」を少し詰める。そのあとは「(7)を7分の7で言い・(5)を5分の5で言う変拍子」の定石通り。「七里ヶ浜」は字余りですが、ここは小気味よく流して、ここで一息。

○「その白浪の(7)/夜働き(5)/以前を言やあ(7)/江ノ島で(5)/年季勤めの(7)/児(ちご)ヶ淵(5)/江戸の百味講(ひゃくみ)の(7)/蒔銭(まきせん)を(5)/当てに小皿の(7)/一文子(いちもんこ)(5)/百が二百と(7)/賽銭の(5)/くすね銭せえ(7)/だんだんに(5)/悪事はのぼる(7)/上(かみ)の宮(5)」

この部分は「(7)を7分の7で言い・(5)を5分の5で言う変拍子」の定石通り。「悪事はのぼる」を芝居気つけてゆっくり張って少し語尾を上に上げる(持っている煙管を上を指し)。「アクジャアノボル」でよろしいでしょう。「上の宮」を詰めてサッと世話に落とす(煙管を下に下げる)。仕草と音の高低を合わせるところに味が出る訳です。ここで一息。

○「岩本院で(7)/講中(こうじゅう)の(5)/枕探しも(7)/度重なり(5)/お手長講(てながこう)と(7)/札附きに(5)/とうとう島を(7)/追い出され(5)」

この部分は「(7)を7分の7で言い・(5)を5分の5で言う変拍子」の定石通り。「島を追い出され」は「シマアオイダサレ」でいいと思います。

○「それから若衆(わかしゅ)の(7)/美人局(つつもたせ)(5)」

この部分はリズムをちょっと破綻させて、「美人局」の部分も7分の7の速度のまま「12」の感覚で一気に言ってしまう方がよろしいでしょう。

○「ここやかしこの(7)/寺島で(5)/小耳に聞いた(7)/祖父さんの(5)/似ぬ声色(こわいろ)で(7)/小ゆすりかたり(7)」

「小耳に聞いた」の後半からちょっぴりテンポを落としてサビへの導入。「キイタァジイサンノォ」と続けてみたらどうでしょう。「祖父さんの似ぬ声色で」はサビの部分で、この部分はテンポを無視して芝居気たっぷりと歌って良い部分です。「小ゆすりかたり」は、「こゆすり」を心持ちゆっくり「かたり」を早く言って落とす。

○「名せえ由縁(ゆかり)の(7)/弁天小僧(7)/菊之助たぁ(7)/俺がことだ●(7)」

「名せえ由縁の」は、いわば「フィニッシュ前の助走」ですから若干テンポを早めにリズム良く言います。「弁天小僧」はきっぱりと言って、ここでちょっと間を取る。ここの「間」は大事です。「菊之助たぁ」は大きく張って、最後の決めの「オレガコト」はたっぷりと時代に言います。最後の「だ」が字余りになるから、最後が強くリアルに響くわけです。

この部分を「べんてんこぞう(7)/きくのすけたぁ(7)/マおれがことだ(7)」と「マ」を入れてしゃべる役者がいますが、これはいけません。これは「マ」を入れて無意識のうちに七五に語調を整えようとする歌舞伎役者の悪い癖なのです。鶴屋南北の生世話の科白を七五調にしてしゃべるなど、この癖は色々なところで頻繁に見られますから注意してご覧になるといいです。(例:「四谷怪談」隠亡堀の場での直助権兵衛の科白「・・トサ云うところだが、そこを云はねえの。その代わりはお前が・・・・」を「そこを云はねえその代わり」と七五調に整えて言うなど。)

以上のように「七五調」と言っても一本調子にしゃべるものではなくて、そのリズムの中に微妙な伸縮があることに気がつくでしょう。伸びるところはあえて言えば「時代」の要素です。これを「世話」の速さに返してサラリと間を詰めて「七五」の基本ユニットの間尺に納める、というテンポの伸縮・時代と世話の揺り動きが黙阿弥の科白の面白さなのです。こうすることで「七五調」は写実に響くのです。

どこをどう伸縮させるかは役者の個性・科白の読み方によっても変わるでしょうが、基本的には科白がそのなかで要求するリズムを読み取らなければなりません。そのためには何度も口のなかで科白を繰り返してみる必要があります。黙阿弥の科白は「七五調」のリズムである以上は完全な意味でのリアル(つまり実際の会話と同じということ)ではあり得ません。芝居の「写実」は本物の会話そっくりということであってはなりません。それでは芝居は「慰み」にはならないのです。「七五調」の科白の「写実」は、その科白の要求するリズムと速度でしゃべることによって生まれるのです。

「七五調」の「写実」というのは、歌うとか・歌わないとかそんなことで生まれるのではない、ということが理解されませんと黙阿弥の芝居はますます「写実」から離れていくことになるでしょう。現代に黙阿弥を再活性させるために、芝居における「写実」の意味をもう一度考え直してみたいと思うのです。

(H14・4・21)

(追記)

歌舞伎の雑談での記事「黙阿弥の江戸のこころ」

「写実であるということ」もご参考にしてください。

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