演劇におけるジェンダー
〜オムニバス形式による女形論
本稿は「演劇におけるジェンダー」の周辺を逍遥するのが目的で、話は古今東西に飛んで・歌舞伎からしばしば外れますから・その辺はご承知ください。これが「歌舞伎素人講釈」の思考回路ですから。
別稿「十二夜を記号論で読む」において・シェークスピアの喜劇「十二夜」を取り上げましたが、いくつかの関連エッセイを読んだなかで・現代において女優がヴァイオラを演じる時に男装することの「緊張」ということを書いている文章(参考にさせてもらって申し訳ないがあえて名前を伏します)がありました。吉之助は異性装の緊張ということを考えていなかったので・ちょっと「へえっ?」という感じでしたが、こういうことだそうです。
例えば女優演じるヴァイオラが男装してシザーリオになって・公爵に仕えます。シザーリオが公爵に呼ばれてそちらへ行こうとする時に、すれ違った仲間が「たった三日で公爵に気に入られちゃうとは大したものだね」という感じで・すれ違いざまにシザーリオの胸をポンと叩くのです。シザーリオは慌てて舞台端に駆けて行き、胸を押さえて「ああ、女だということが危うくバレるところだった」という思い入れで深いため息をつきます・それを見て観客は大笑いというわけです。もちろん脚本には書いてないことですが、現代ではそういう感じの演出が多いようです。つまり、「緊張」というのはホンモノに見えるか・嘘がバレないかというスリル・恐れみたいなものを言っているらしいのです。
吉之助の読んだそのエッセイでは筆者の方は「シェークスピア時代の少年俳優はシザーリオを自然に演じたであろうが・逆に少年俳優がヴァイオラを演じた時には観客に別の緊張を与えたであろう」というようなことを書いていました。吉之助が考えるには、そういうことは全然ないだろうと思いますね。少年俳優は衣装を取り替えるだけで・容易に男性にも女性にもなり・そこに緊張などが生じることはなかったと想像します。ホンモノに見えるかどうかという「緊張」ということを考えるのは現代のジェンダーの視点ですね。現代の「十二夜」の演出なら・そこにジェンダーを意識するのはよく分かりますけど、その視点でシェークスピア時代の少年俳優を推し量ると間違えてしまうと思います 。
吉之助が想像するのは少年俳優のイメージの軽やかさです。そのイメージは衣装を着せ替えるだけで・男にも女にも容易に変化するのです。シザーリオはオリヴィアを魅了しますが、衣装を変えればヴァイオラになって今度は公爵を魅了します。オリヴィアにとっても・公爵にとっても・それはどちらでもいいことなのです。それは記号であり・余計な重さを背負っていないからです。スティーヴン・ブースはこう言ったそうです。
「自然は男性を分割し、半分は娘たちのため、半分は男たちのためのものとした。」
少年というものは誰のためにも何かを持っているというわけです。この言葉の示す意味は非常に重要であると思います。
一方、野郎歌舞伎の女形はその点が違っています。歌舞伎の女形は「哀しみ」とか「鬱屈」とか・何か重いものを背負っているのです。(別稿「バロック的なる歌舞伎・その4:永遠に女性的なるもの」をご参照ください。)けれども野郎(成人男性)の女形ではなくて、若衆の女形はそうではなかったかも知れません。それはシェークスピア時代の少年俳優と同じようなものを感じさせたかも知れません。そういえば若衆歌舞伎の時代というのは時代も比較的近い(共に1600年前後)のですね。
(H17・7・1)
歌舞伎において・男が女に化けているという異性装の役と言えば・お嬢吉三や弁天小僧がすぐ思い浮かびます。しかし、こうした役柄が歌舞伎に多くあるわけでもないのです。しかも、これらはほとんど幕末の歌舞伎が崩れ始めた時代の役柄です。それ以前だと「扇屋熊谷」(享保15年竹本座)の小萩実は無官太夫敦盛なんてのも確かにないわけではないですが・これはもともとが人形浄瑠璃ではあるし・面白い趣向なのですが・これ以後に同様の役柄続出とは行かなかったのです。
吉之助が思うには「女性の衣装を着て顔にお白粉を塗っていれば・それは女性である」という約束を有名無実にしてしまっては芝居が成り立たなくなりますから、男が女に化ける(またはその逆)という趣向を歌舞伎は意識的に避けてきたのです。そのような合意が観客との間になければ「あそこの女はありゃホントの女なのかね・それともやっぱり化けてるのかね」ということになってしまいます。男の格好をしていれば男であり・女の格好をしているのが女なのです。それで芝居はしっくりきて・安心して見られるわけです。お嬢吉三や弁天小僧という役柄の場合は趣向が行き詰まったところから出ているもので・いわば観客の常識をぶち壊すところに賭けているわけですから、これを「十二夜」のヴァイオラの男装と同列に論じるわけにはいきません。歌舞伎における異性装では「性の境界を越えることの重さ」が非常に強く意識されているのです。
一方、シェークスピアにはヴァイオラの他にも女性が男装する趣向がまだあります。「お気に召すまま」のロザリンド、「ベニスの商人」のポーシャなどです。しかもこれらが少年俳優によって演じられたのを忘れてはなりません。それでは「男の格好をしていれば男で・女の格好をしているのが女だ」という約束がシェークスピア劇にはないのかと言うと、そんなはずはありません。そのことは歌舞伎とまったく同じです。しかし、シェークスピア劇においては少年俳優が女を演じることも・時としてそれが変装して男を演じるのも、ある意味において同列なのです。つまり、少年俳優の演じる役はそれが女であれ男であれ・ともに成人男性俳優の演じる男の役とは常に対立しているのです。このことが少年俳優のイメージの軽やかさを生み出しています。
それがよく出ているのは「お気に召すまま」の納め口上です。ロザリンドに扮した少年俳優が観客に向かってこう言います。
「もし私がまことの女でしたら、私の気に入りましたお髭をお持ちの方々に一人残らずキスして差し上げたいと思うところです。」
それは観客への愛嬌と媚(こび)を含んでいます。
さらに思考は展開します。シェークスピア劇における少年俳優の異性装は、「性の境界を越えるのではなく・初めから越えてしまっている」のか・あるいは「性の境界を越えたように見せて実は越えていない」のかも知れません。もし成人男性の演じるハムレットやマクベスが女装したならば・それは不道徳として糾弾されたかも知れませんが、少年俳優の異性装に関してはそうではなかったのです。
(H17・7・6)
プラトンは「饗宴」のなかでこんなことを語っています。もともと人間は神によって一体の形で創られたのであるが、後に神々が人間の完全な幸福を妬んで男と女に切り離してしまったのであると。この寓話は男性と女性の合体を望む・人間の深層心理的願望を説明しているのです。このことから愛の本質とは自分が愛の対象と同じようになろうとしていることだとも考えられます。だから、相手を真似ることが相手に求愛することになることがあるのです。例えば「アントニーとクレオパトラ」での一場面、クレオパトラは酔いつぶれたアントニーに自分の服を着せて面白がっています。
『あくる朝、九時前に私は彼を酔いつぶれさせたの。で、彼には私の頭飾りと上衣も着せておいて、私は彼の剣フィリッパンを腰に差したの。』(第2幕五場)
この行為は愛し合う男女の・他愛ないじゃれ合いのように見えますが、実はそれ以上の意味があるのです。クレオパトラはギリシア神話に出てくる女王オムパレーの英雄ヘラクレスに対する行為を再現しているのです。ヘラクレスは神々に命じられて・女王オムパレーの望むがままに奴隷のように彼女に仕えます。ヘラクレスは彼女に恋してしまうのです。古い絵ではヘラクレスはオムパレーの服を着て・糸巻き棒を持ち、オムパレーの方はヘラクレスのライオンの毛皮を見に着けて・手に棍棒を持っています。
*写真はコルネリウス・ファン・ハーレム:「ヴィーナスとアドーニス」(1619年) どちらの姿も男か女か見間違えそうな。
このことが意味するところは、ヘラクレスは恋をして・女性の格好をさせられることで、その英雄に相応しい性格ー雄々しさや勇敢さ・大胆さ・行動力その他のすべての神々しい男性的性格を奪い去られたということです。神話研究家アレクサンダー・ロスは、ヘラクレスはオムパレーを愛することで・それまでの偉業をすべて帳消しにしてしまったとして、次のように書いています。
『女性がヘラクレスの名に掛けて誓いを立てること、ヘラクレス神殿に入ることは禁制であった。これはヘラクレスを女々しくさせたオムパレーの傲慢さに対して、女性に与えられた罰であった。』
つまり「アントニーとクレオパトラ」でのクレオパトラの行為は、劇中におけるアントニーの英雄性の喪失をそこに暗示していることになります。このことから思考を展開させると、恋愛とは愛する対象(異性)と同一化しようとする行為なのですが、それは同時に自己の本性(男性ならばその男性的性格)を失わせることでもあると人々は考えたのです。このような感情が異性への憧れと同時に恐れ・忌避を引き起こしたりします。この深層心理のメカニズムから異性装の問題を解き明かす必要があります。
(H17・7・9)
ギリシア神話におけるヘラクレスとオムパレーの逸話の示すところは重要です。恋愛とは愛する対象(異性)と同一化しようとする行為であると同時に自己の本性(男性ならばその男性的性格)を失わせることでもあるのです。例えば「ロミオとジュリエット」において・恋してしまったロミオは剣を抜いてティボルドと闘う気にどうしてもなれずに・とまどってこう叫びます。
『いとしいジュリエット、君が美しすぎるから、僕が女々しくなってしまった。僕の気性は勇気の鋼がにぶってしまった。』(第3幕第1場)
女性に対する情熱は男性を女々しくする・だから女性は男性にとって危険だということになるのです。「女々しい(effeminate)」という言葉はシェークスピアの時代には決まり文句のようなもので、こういう場面でしばしば出てくる言い回しであるそうです。
それでは日本において似たような事例を見出せるでしょうか。これは容易に見出すことが出来ます。日本でも戦場に向かう武士が妻や恋人のことを思うことは「未練である」とされました。このことは現世・俗世の柵(しがらみ)を断ち切れていないということを意味するとされていますが・実はそれだけではないのです。むしろ女性に対する情熱が彼の戦う勇気・あるいは雄々しさを鈍らせることを言っているように思われます。(このことは当時の武士の衆道への関心に大いに関係してくると思います。つまり、若衆を相手にしている限りは自分の男らしさ・男性性は守られるとするのです。しかし、本稿の目的からはずれるので・この点については深入りしません。)このようなセクシュアリティの不安は我々が想像している以上に体制転覆的なものをはらんでいると考えられたのです。
(H17・7・11)
オーゲルは「近代初期の性別の概念は、多分、女性が公的世界で行動すれば男性的と考えられたということに過ぎない」と書いています。1588年・スペイン無敵艦隊がイギリスに迫った時、女王エリザベス1世はティルベリーにおいて兵士たちを前に有名な演説を行いました。「私は自分がか弱い女の身体を持っていることをよく知っているが、私には王の心と勇気がある。・・私のために何か不名誉なことが起きるよりも、私は自分で武器を取り、自分が指揮官となり、戦場での兵士の功績を逐一判断し、正しく報いたいのです。」 このエリザベス女王の演説は後世において「まるでアマゾン族の女帝のような」と評され、兵士の前に鎧をまとった女王のイメージが盛んに喧伝され・その姿は多くの絵になって広まりました。
*写真はトマス・セシル:「甲冑をまとったエリザベス一世」(1630年頃)
史実のエリザベス女王は甲冑などを身に着けることはせず、馬上にあって・職杖を持っただけの姿であったようです。しかし、当時の記述にも「戦争の女王べローナの如くそこにおられ、高貴な励ましの言葉を述べられると、兵士たちはひとり残らずさらなる愛と忠誠心と決意を鼓舞された・・至高の姿を目のあたりにして感じ入ったのである」と確かに記されています。兵士たちがやはり何がしかの男性的なイメージを感じ取ったことは間違いないようです。オーゲルは次のように書いています。
『三軍の指揮官・裁判官・庇護者・戦争の女神・愛の対象・そして感動的な容姿、これらは女王が・このか弱い女性が演じた役割であった。この逆説は女王の理想化の不可欠な部分であった。当時の男の服装のオートクチュールの要素(短刀などの武器を含む)も、同じようなイデオロギーを有している。「おお、わが美しき戦士よ。」 女性が装うのは自分自身の為や・そして他の女性に印象を与えるためだけではない。男性に対して魅惑的な存在になるためである。もし女性の男装が本当にいつも不快なものと思われていたならば ・それは粋(いき)とはされなかったであろうが、ルネッサンス期の男性のなかには(現代の男性のように)自分が憧れる女性のなかに自分自身の姿を見出して喜ぶ者がいたと結論せざるを得ない。」(スティーヴン・オーゲル:「性を装う〜シェークスピア・異性装・ジェンダー」)
思えばギリシア神話における女神アテナは知恵の女神であると同時に戦いの女神でもありました。アテナ神は父ゼウスから与えられた光輝く甲冑を身につけています。男勝りの女性の行動が男たちを鼓舞し・その雄々しさを掻き立てるということが確かにあるのです。甲冑をつけたエリザベス女王の伝説はアテナ神からの連想もあるかも知れません。
日本においても・女性の男勝りな行動が賞賛されることがあります。例えば尼将軍と言われた北条政子が承久の乱を前にしての鎌倉御家人たちを前にした有名な演説がそうです。「頼朝公のご恩をお忘れか」と叱咤されて御家人たちは「女にそこまで言われちゃ男がすたる」と奮い立ったのです。馬に乗った男勝りの源義仲の愛妾・巴御前が魅力的なのも同じような理由であるかも知れません。歌舞伎にもそういう場面があります。「夏祭」で見事な義侠心を見せるお辰に対して三婦は
「ハテ徳兵衛は頼もしい女房を持つたなア。なぜ男には生れて来ぬぞ、あつたら物を落して来たなア」
と感嘆します。「先代萩」の政岡も忠義の重さを教えられて男でさえグッとくるものがあります。「先代萩」の感動は、子を失った母の悲しみだけから来るのではないと思います。
(H17・7・14)
別稿「本当は怖い道成寺」において白拍子の装束について考えました。白拍子とは白い水干(すいかん)に立烏帽子(たてえぼし)・白鞘巻(さやまき)の脇差を指すという男性のなりをして男舞(おとこまい)を舞ったりするものでした。宴に加わって舞いを舞い、歌をうたったりしました。鳥帽子というのはこの時代の青年男子の正装でした。つまり、鳥帽子を着けた白拍子というのは性別の枠を乗り越えて男と対等に生きていこうという意識のある女性です。
出雲のお国は慶長8年(1603)に四条河原で「かぶき踊り」という官能的な前衛踊りを踊って歌舞伎の始祖と呼ばれています。お国は男装をして茶屋遊びをするお大尽などを演じました。お国の男装も白拍子の延長線上に考える必要があります。お国は自立した女性なのです。安土桃山時代のダイナミズム・変革の意識は身分の障壁を壊し・誰でも実力があればのし上がれるという希望を生みました。またある場面において性差の意識も壊していたのかも知れません。女性の男装という行為は強い自己主張であり、「かぶいた(傾いた)行為」の最たるものであったわけです。
*写真はイニゴー・ジョーンズ:「女王たちの仮面劇」のペンセシリアのための衣装スケッチ(1609年) この役はもちろん少年俳優が演じました。
ところでオーゲルは「ヴァイオラあるいはロザリンドのような女性の異性装の場面から利益を受け・そこから力を与えられるのは女性の方である」と書いています。
『結局のところ、ヘラクレスに女の衣装を着せるのはオムパレーであり、アントニーに頭飾りと上衣をまとわせるのはクレオパトラである。それは女性に力と歓びを与える変容として提示されているのである。』(スティーヴン・オーゲル:「性を装う〜シェークスピア・異性装・ジェンダー」)
オーゲルは「利益を受けるのは女性の方である」と書いていますが、これは「男性にとってはそうではない」という意味ではありません。程度の差はあれど男性にとってもそうなのです。ヴァイオラも・白拍子も・出雲のお国も(宝塚の男役もそうだと思いますが)女性の異性装は同様に見る者に力を与えるのです。それが何かしらポジティヴな(前向きな・積極的な)ものを感じさせるせいかも知れません。
(H17・7・17)
女性の異性装は見るものに何かしらの力を与える・なるほどそれは女優が男装して男性を演じるならばよく理解できます。しかし、シェークスピア時代のヴァイオラもロザリンドも女優ではなく・少年俳優が演じたのでした。だとすれば、そこにはどこか屈折した・捻じ曲がった心理があるようにも思われます。女装した少年たちを見る女性観客の心理はどんなものであったでしょうか。
オーゲルは次のように書いています。スカートをはいた少年を見ることは、女性観客にとって極めて女性的なやり方で(ある意味で屈折したやり方で)少年から武器を奪い・その本来性を奪うことで・彼を女性を代行する存在として社会化することであると。だから、女性観客は彼を仲間として(従順な者として)・つまりは女性として見るということになると言うのです。この背景には当時のイギリス社会の構造・とりわけ家長制の問題があります。その説明は長くなるのでここでは省きますが、ここに女性観客の心のなかの・オムパレーのように「奪い取ることの快感」が垣間見えるような気がします。そこに当時の女性の置かれた社会状況が現れているのです。
逆に少年俳優の側には「奪われた」という感覚があるかということも検討しておく必要があります。少年俳優の女装からはそういう「奪われた哀しさ」はあまり見えてこないようです。それが全然無いわけでもないのでしょうが、それはやはり「自然は男性を分割し・半分は娘たちのため・半分は男たちのためのものとした」という少年の中間性によるのかも知れません。「本来性を奪う」という行為が罪の意識にまで至らない程度に軽いのです。それが少年俳優の性の越境の軽やかさの印象につながっています。
一方、歌舞伎の女形を考える時には「本来性を奪われた」という感覚は、非常に重要な点になります。政治的に・強制的に本来性を奪われた野郎(成人男性)の女形には「奪われたことの哀しさ」という負の感覚が明確にあるのです。歌舞伎の女形に見られるのは強い喪失感です。このことが分かれば歌舞伎の女形のバロック性は理解いただけるだろうと思います。
(H17・7・21)
(参考文献)
スティーヴン・オーゲル:「性を装う―シェイクスピア・異性装・ジェンダー」・岩崎宗治/橋本恵訳・名古屋大学出版会
(後記)
蜷川幸雄演出・尾上菊之助主演の歌舞伎版「NINAGAWA十二夜」についての観劇随想は別稿「似てはいても別々の二人」及び「暗喩としてのシザーリオ」を参照ください。
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撮影・岡本隆史、c松竹、2013年5月、歌舞伎座、京鹿子娘二人道成寺