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本当は怖い「道成寺」

〜「京鹿子娘道成寺」


1)道成寺説話について

謡曲「道成寺」は「本朝法華験記(ほんちょうほっけげんき)」第129紀伊国牟婁(むろ)郡悪女の話などの道成寺説話を本説としたものですが、説話をそのままに劇化したものではなくて、その後日談の形になっています。

紀州日高寺(道成寺)で長らく無くなっていた釣鐘を再興することになりました。その鐘供養の日に、僧侶は「仔細あって女人禁制なので決して一人もいれてはならない」と能力(のうりき・寺男)に命じます。ところが、そこへひとりの女性がやってきて拝ませてほしいと頼みます。能力は女が白拍子だと聞いて、舞を舞えばなかに入れようと言います。白拍子が舞ううちに鳥帽子を落とすと、鐘が落下して白拍子は鐘のなかに隠れます。やがて、鐘が上がるとなかから蛇体が現れるのです。僧侶はかつてこの道成寺で起こった不思議な出来事を語り始めます。僧侶がこの日の鐘供養を女人禁制にしたのはそれが理由であったわけです。

ところで、この女性(白拍子)ですが、かつてその昔に鐘に巻きついて山伏を焼き殺した真砂の庄司の娘の怨霊(歌舞伎の場合には「白拍子花子実は清姫の霊」)であるという風にふつうは理解されていると思いますが、よくよく見ると能の台本にはそういう事は書いていないのです。ということはこの女性は、怨霊なのではなくて・「ただの女性(白拍子)」であると解釈することもできるのです。そう考えると、謡曲「道成寺」の別の面が見えてくるようです。

まず僧侶がわざわざ「存ずる仔細のある間、供養の場へ、女人かたく禁制と相触れ候へ」と言うのは、かつてこの道成寺で起こった不思議な出来事を考えると、儀式のなかに女性が入ると因縁のある鐘の呪力が反応してまた事件が起きかねない、と心配をしたからでありましょう。はたして心配した通りに事件が起こってしまうわけですが、ここで鐘の呪力が普通の女性をも魔性(蛇体)に変えてしまうと考えることも可能ではないでしょうか。

もともと紀伊国牟婁郡悪女の話のようなある意味で不道徳な・業が深い・陰惨な物語が説話(仏話)として語り継がれますのは、こういう話を人々に語り聞かせることで、聞く者の業の深さを 自ら戒めさせようとするものなのです。(こういう説話は女性を対象にして説かれたものでこの時代の女性が社会からどう見られていたかという問題にもなるのですが、このことは本稿では触れません。)道成寺説話というのは「このような業の深みに陥ることは誰にでもあるものだ・自分のなかにもどこかに潜んでいるものだ」ということを言っているわけです。

だから、謡曲「道成寺」において、この鐘供養という大事な日に因縁の鐘がふたたびその呪力を蘇らせて普通の女性をも魔性に変えかねないということも十分に心配されることであるし、あるいはそういう鐘の呪力に引き寄せられるようにして普通の女性がやって きたのだ、ということも考えられます。

鐘供養の日に再びあの魔性(蛇体)がやってくるというよりも、普通の女性が鐘の呪力によって魔性に変えられてしまう方が、ずっと怖いと思いませんか。しかも、それは単に女性の外面が変わってしまったのではなくて、女性の心の奥底に潜んでいた何物かが鐘の呪力で拡大増幅されてその女性の外面を 内から変えてしまったものなのだとしたら、もっと怖いと思いませんか。道成寺説話が説いているように「このような業の深みに陥ることは誰にでもあるもの・自分のなかにも潜んでいるもの」なのですから。


2)鳥帽子の意味

ところで、この鐘供養の日に現れた女性は白拍子でした。能力は拝ませてやりたいが・供養の場へ女性が入ることはかたく禁止するとのことで・それはできないと言うのですが、女性は「いやこれは余の女人とは変り候。これはこのあたりに住む白拍子にて候。」と答えます。すると能力はそれでは自分の一存でちょっと拝ませてあげるから・面白く舞いを舞ってみせなさいというのです。

僧侶が「女人禁制」」と言っているのに、能力は意外と簡単に女性をなかに入れてしまうのです。どうしてなのでしょうか。女性は自分は「余の女人ではない」・つまりふつうの女性ではなくて白拍子であると言っています。なるほど白拍子ならば許されるだろうという風に能力はどうやら解釈したようなのです。どうして白拍子なら許されると能力は考えたのでしょうか。

「白拍子」というのは傀儡(くぐつ)から出たものとも言われ、女性が白い水干(すいかん)に立烏帽子(たてえぼし)・白鞘巻(さやまき)の脇差を指すという男性のなりをして男舞(おとこまい)を舞ったりするものでした。宴に加わって舞いを舞い、歌をうたったりしました。白拍子は平安後期・院政期ごろから現れて、鎌倉時代に入ってから流行しました。

白拍子については、男性のなりをして舞を舞う・新奇な趣向の高級遊女であると見ても間違いではないですが、女性の側から見ますと、これは自立した意識を持った職業婦人であって・ある意味で女性の枠を逸脱して男性に近づこう(あるいは対等に振舞おう)とした女性たちであったとも言えます。立烏帽子はそのような白拍子の象徴なのです。鳥帽子というのはこの時代の青年男子の正装でした。つまり、鳥帽子を着けた白拍子というのは性別の枠を乗り越えて男と対等に生きていこうという意識のある女性だとも考えられます。

男装すれば女性は性別越境して女人禁制の枠をも突破できるというような考え方は実際にあったようです。「後宇多院御幸記(ごうだいんごこうき)」によれば、御宇多法皇が正和(しょうわ)2年(1313)に高野山に御幸された時のこと、法皇をひとめ見ようと、近隣の女性たちが集まってきて、彼女たちは男子の姿をして女人禁制の高野山へ入ろうとしたのだそうです。この時、にわかに雷鳴轟いたので行人衆が杖をもって女性たちを追っ払うと、たちまち天は晴れたということです。

世阿弥の作とも言われる謡曲「多度津(ただつ)の左衛門」では、高野山にいる父に会うために、烏帽子と長絹(ちょうけん)を着て男装して不動坂を登る姫と乳母が登場します。ここは女人禁制 であるから入山はできないという聖(ひじり・・・実は父親である)に対して、乳母は、高野山は女人禁制だと知っているからこそ男の姿になったのだと答えています。

このことからすると、謡曲「道成寺」において白拍子と名乗る女性を能力が簡単になかに入れてしまうのは、白拍子が性別を越えた存在である(だから女性ではない)から禁忌(タブー)には触れないと能力が解釈したという風に考えられましょう。それで、能力はちょうどそこにあった烏帽子を彼女に与えて、結界のなかに入れるのです。能の舞台ではシテの白拍子は後見座で鳥帽子を着ける物着(ものぎ)の後、女人結界のなかに入れます。( ここでは物着がひとつの儀式として重要な意味を持たされていることが分かります。ただし、流派によっては、鳥帽子を手渡されることで済ます場合もあります。)

謡曲「道成寺」では、白拍子が鳥帽子を着けて踊っている時には何事も起こりません。しかし、踊りが進んできて白拍子が扇を振り上げて・鳥帽子を跳ねのけてしまうと、突然、鐘が落ちてくるのです。このことは男子の象徴である鳥帽子を 着けているあいだは性別は越えられており・したがって禁忌には触れなかったわけなのですが、鳥帽子を落とした途端に白拍子は女性に戻ってしまう・だから禁忌に触れて鐘が落ちるということであると解釈されましょう。


3)そして歌舞伎の「道成寺」へ

さて、ここで歌舞伎での「京鹿子娘道成寺」を見てみたいと思います。白拍子花子が登場すると、所化たちは色めきたって「白拍子か、生娘か」などと騒ぎますが、ここで言う「白拍子」というのは「遊女」というのとほとんど変わりません。舞を舞い・歌をうたう高度な芸能者であった白拍子も、次第に変化して室町時代には性を売る要素の方が強くなってしまったのです。だから歌舞伎の「娘道成寺」では鐘供養の日に女人禁制を犯す禁忌の意味があまり伝わってきません。乱拍子を踏んで、白拍子が鳥帽子を取り落としても鐘は落ちません。まだまだ踊りはつづくのです。

もちろん歌舞伎の「娘道成寺」では、白拍子は実は清姫の怨霊であるとはっきりと明記がされています。怨霊ですから、その本性を現すのは怨霊の都合次第なのですから、別に鳥帽子を落とすのがきっかけである必要はないわけです。つまりこのことは、鐘自体には呪力はないということにもな ります 。

このように歌舞伎の「娘道成寺」の場合は、全体の最初と最後に謡曲「道成寺」の筋を借りているだけで、その間の部分はまったく本説とは関係のない歌舞伎レビューの踊りなのです。謡曲「道成寺」にあった本当に怖い部分というのは、もう形骸化していてサラリとしてしまっています。しかし、そのような「娘道成寺」であっても不思議な瞬間が現出するのですから、まことに芸能というのは面白いものではありませんか。

「あの『道成寺』の舞台をつくり出した江戸時代の劇場と観客の雰囲気は、桜の花のいっぱい咲いた中にやたらに美しい娘姿を踊らせて恍惚としていたので、日高川を泳ぎ渡って、鐘の中の男を焼き殺してしまう女の凄まじい執念などはどうでも良かったのである。そういう理屈のない世界の馬鹿々々しい美しさ、気味の悪い美しさを菊五郎の白拍子はふんだんに持っていた。菊五郎の『道成寺』を見ていてある老婦人が『こんなにも面白くていいものでしょうか、そら恐ろしい』という言葉のせっぱつまった実感は私にもうなづける。菊五郎の『道成寺』はそういうものであった。」(円地文子「京鹿子娘道成寺」)

ここで円地文子の書いている菊五郎とは、六代目菊五郎のことです。おそらくは昭和10年前後の菊五郎全盛期の「娘道成寺」です。この頃の菊五郎は頻繁に「娘道成寺」を踊っています。『こんなにも面白くていいものでしょうか、そら恐ろしい』という菊五郎の「娘道成寺」、それはかつて踊りに命を掛けた白拍子たちの魂が何かの形で乗り移ったようなものであったのかも知れません。あるいは男性でありながら女性を演じなければならなかった女形の宿命と もどこか重なるものであるのかも知れません。

(参考文献)

細川涼一:「白拍子の男装・能の女装〜中世芸能民の性別越境」(「逸脱の日本中世 (ちくま学芸文庫)に収録)

(H15・2・16)



 

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