八つ橋の悲劇
〜「籠釣瓶花街酔醒」
本稿は「籠釣瓶花街酔醒」を論じるのが目的ですが、唐突ですが・最初は「カルメン」から話が始まります。ビゼーの歌劇「カルメン」は恐らく数ある歌劇のなかで最高の人気作です。主人公カルメンは自由奔放なジプシー女で、周囲の男たちを幻惑します。堅物の伍長ホセもカルメンの誘惑の虜となって身を持ち崩してしまいます。しかし、闘牛士エスカミリオという恋敵が登場して状況は一変し、絶望に打ちひしがれたホセはカルメンに自分のもとに戻ってくれと懇願しますが撥ね付けられて、逆上したホセはカルメンを刺し殺します。
まあ、この幕切れは男と女の痴情のもつれのありふれたドラマのようではあります。しかし、演出によっては何だかカルメンは自分からホセに殺されに行っているようにも見えることがあるのです。例えば1978年ウィーン国立歌劇場でのフランコ・ゼッフィレッリ演出です。何となくカルメンはホセにぶつかっていって自ら殺されるようにも見えます。やっぱりカルメンはホセを愛していたのか・・・そんなことを考えてしまいます。(この舞台はDVDで見られます。カルロス・クライバー指揮、カルメン:エレナ・オブラスツォワ、ホセ:プラシド・ドミンゴ)
しかし、カルメンが最後の場面でホセの懇願に対して同情したり・ほだされたりすることはありえないのです。なぜならカルメンは「自由に生きて自由に死ぬ」ことを信条にしている ジプシー女であって、誰にも束縛されることを良しとしないからです。この場面でホセを拒否すれば・殺されるしかないわけですが、それでもカルメンは断固としてホセを撥ね付けるのです。メリメの原作小説からこの場面のカルメンの台詞を抜き出してみます。
『私を殺そうというんだろ。ちゃんと知っているよ。顔に書いてあるからね。だがね、お前さんの心には従いませんよ。ホセ、お前さんはできない相談を持ちかけているよ。私はもうお前さんにほれてはいないのだよ。ふたりの間のことはすっかりおしまいになったのだよ。お前さんは私のロム(情夫)だから、お前さんのロミ(情婦)を殺す権利はあるよ。だけど、カルメンはどこまでも自由なカルメンだからね、カリに生まれてカリで死にますからね。今では私は何も愛したものなんかありはしない。そして、私はお前さんにほれたことで自分を憎らしく思っているのだよ。』(メリメ:「カルメン」)
「カリ」とはジプシーの女のことで・「カリに生まれてカリで死にますからね」というのは、あくまでも自分らしく死んでいくの意味です。そうするとカルメンは「誰にも束縛されないジプシー女の自分らしさ」を断固として主張して・その信条に殉じるということになるのでしょう。もちろんそう考えることも出来ると思います。しかし、そうすると殺したホセが何だかただ女に振り回されただけの馬鹿者のようにも見えて・何だか哀れに思えます。「カルメン」が愛の悲劇であるならば・もう少しそこのところを考えてみたいと思うのです。
(H17・12・4)
2)カルメンは症候である
1978年ウィーン国立歌劇場でのフランコ・ゼッフィレッリ演出:歌劇「カルメン」の舞台にはもうひとつ印象的な場面がありました。それは第3幕の「トランプ(カルタ)」の場面です。カルメンがトランプを引くと何度引いても死を告げる トランプが出ます。愕然とするカルメンが背後の気配にギョッとして振り向くと、そこに今は密輸団の一味に落ちぶれたホセが死神のような貧相な顔をして立っているのです。トランプは明らかにカルメンの身に間近に迫っている死を予告しています。この時までカルメンは周囲の男たちの運命を自分の魅力で思うがままに翻弄してきたと思っていたのですが、実は自分の運命が目の前のみすぼらしい男ホセに握られていることを知るのです。最終場面で・ ゼッフィレッリ演出のカルメンはまるで自らを断罪するかのように・短剣を構えたホセの胸のなかに身を投じるのかも知れません。
このことは1983年に発表されたピーター・ブルックの「カルメンの悲劇」(日本では1987年3月・銀座セゾン劇場で上演)ではもっと明確な形で提示されました。ブルック版は何だかビゼーの歌劇の簡略上演版みたいな感じもあって・見る方は歌劇のイメージにどうしても捉われてしまうので・もっと歌劇から思い切って離れた方が良いのにと思うところもありましたが、最終場面は衝撃的でした。歌劇では闘牛場から牛と闘うエスカミリオの 勝利を讃える観客の大歓声が聞こえるなかで殺人が起きるわけですが、ブルック版ではエスカミリオは闘いに破れ・牛に突き殺されるのです。カルメンの目の前を担架に乗せられたエスカミリオの死骸が通ります。魂の抜けたようになったカルメンはホセを人気のない場所に連れて行き、ホセの目の前にひざまずき・自分を殺してくれと哀願します。もはや関係修復は不可能と知ったホセは深い絶望のなかでカルメンを刺し殺すのです。
ブルック版はカルメン像を整理し過ぎたきらいがなくもないですが、カルメンの死への衝動を観客にはっきりと示して見せました。「トランプ」の場面でカルメンは自分の死すべき運命を知ります。恐らくカルメンはこれまで何人もの男たちを誘惑し・破滅させてきたのです。 自殺した男もいたかも知れません。そうやって男から男へと渡り歩き・喰いものにしながら彼女は生きてきたのです。ホセもそのようなカルメンの寄生の材料のひとりに過ぎなかったのです。しかし、カルメンは自分のことを性的魅力で男たちを翻弄し・男たちを自由に操っていた「主役」であると思っていたのですが・実は全然そうではなくて、自分が男なしでは生きられず・ 本当は男たちの欲望の的として弄ばれるだけの無力な存在であったことを悟るのです。「自由に生まれ自由に死ぬんだ」と叫びながら、カルメンは実は自分が犠牲者に過ぎず・勝手放題に振る舞いながら実は自由に餓えており・生に絶望していることを悟るのです。「死を示すトランプ」はそのようなカルメンの潜在的な死への願望を表すのです。それはカルメンがジプシーという西欧で虐げられている階層に属していることにも深く関連しています。カルメンはまさに社会の「症候」なのです。そのようなカルメンの虚無的な・潜在的な死への衝動が現在の恋人エスカミリオの死によって一気に噴出すわけです。
カルメンがホセに殺してくれと頼むのは、カルメンがホセを愛していたからでしょうか。それは分かりませんが、昔は愛していたことがあったかも知れないけれど・今のカルメンはホセに愛のかけらも感じていないようにも思われます。今はホセが自分に対する殺意を剥き出しにしているから・死にたいと思っている今の自分には好都合な男だということだということだっただけかも知れません。しかし、ホセがカルメンに自分を殺してくれと頼まれて・彼女を刺し殺すのはほとんど絶望的な愛だと言えます。だから「カルメン」は愛の悲劇なのです。
(H17・12・6)
3)ホセもまた症候である
カルメンはタバコ工場で働く女工ですが、大勢の女たちのなかでもひときわ目立つ存在です。その色香はカルメンが登場するだけで・男たちが色めき立つほどです。ところが男たちのなかにただひとり・カルメンにまるで無関心な男がいて・それがホセなのです。ホセは田舎から出てきたばかりの純朴な青年で、ミカエラという許婚もいます。カルメンは「ハバネラ」を歌いながらホセに近づいて・赤い花を投げつけます。(以上はビゼーの歌劇の設定で、メリメの原作とは若干異なります。)「ハバネラ」の歌詞は次のようなものです。
「あんたが嫌いでも/私は好き/私が好いたら御用心/あんたは捕まえたつもりでも/ 鳥ははばたき逃げてゆく/恋が遠けりゃ待つがいい/待つのをやめりゃそこにいる/あんたのそばに素早く来ては/素早く消えてまた舞い戻る/あんたは逃げるつもりでも /恋があんたをとらえてる」
カルメンがホセに花を投げつけたのはあまり深い意味はなくて、恐らく自分に魅せられている男たちばかりのなかで・ただひとり自分に関心を見せないこの男ホセの気を惹いてみたくなったという・ただそれだけのことです。カルメンは自分に関心がない男・自分の前にひれ伏さない男がいるのが癪なのです。しかも、ホセは見ればなかなかいい男でもあります。それでホセに花を投げつけるのですが、自分の企み通りにホセが自分に惚れてくると・途端にわずらわしくなってホセを遠ざける・ただそれだけのことです。カルメンは恋をしているのではなく・ 恋に恋している・あるいは恋をゲームにして弄んでいる・それだけのことで ・カルメンには何も信じられるものがないのです。男から男へ渡り歩いていなければ自分という存在が確認できないということもあります。これがカルメンの症候です。
一方、ホセというのは純情一途な男で・惚れてしまえば道を外してもどこまでもカルメンを追いかけて行きます。ホセがカルメンに弄ばれた哀れな犠牲者であると言うことはもちろんできます。しかし、もうひとつ別の見方をすれば、ホセがカルメンに惹かれているのは彼女が魅力的な性的対象としての女性であるからではなく、カルメンがホセの破滅への衝動を引き受ける存在だからだということです。ホセはカルメンから花を投げつけられますが、ホセはその意味を「俺はこの女から惚れられているのだ」とか色々勝手に妄想したあげくに、カルメンに惚れてしまうのですが、ホセは自ら喜んでカルメンに惚れ・堕落し・破滅するという見方もできるわけです。カルメンが社会の症候を示すものであるならば、ホセもまたそうであるということが言えます。
(H17・12・8)
4)「籠釣瓶」と「カルメン」との符号
「籠釣瓶花街酔醒」を考えるために・ここまでビゼー:歌劇「カルメン」のことを考えてきました。一見するとカルメンと八つ橋太夫は結びつかないかも知れません。片や自由奔放で積極的なジプシー女、片や吉原でも教養と品格を誇る太夫です。八つ橋は自分の思っていることをストレートに表現するような自己主張の強い女性には見えません。
しかし、状況を仔細に見ていくと「籠釣瓶」と「カルメン」は符合するところが多いのです。歌劇「カルメン」第1幕を見ていきます。セヴィリアのタバコ工場は産業革命まっただなかにある西欧社会の・搾取されつづける階層のある様相を示しています。これは江戸のなかで社会から隔離された悪所である吉原に相当します。タバコ工場で安い賃金で働かされている女たちは吉原で働く女郎たちと同じなのです。カルメンら女たちがジプシーだという設定も被差別階層である廓の人々の状況に符号します。カルメンはそこで働く女たちのなかでも抜群の色香を持ち・男たちの注目の的です。つまり、これは吉原で権勢を誇る八つ橋太夫であります。最初はホセはカルメンに何の興味も示しません。次郎左衛門はただ見物するために吉原を訪れて・すぐに宿に帰るつもりでありました。そしてホセはカルメンに 赤い花を投げつけられて恋に落ちてしまいます。次郎左衛門もまた八つ橋に不思議な笑みを投げ掛けられて、宿に帰るのがいやになってしまうのです。佐野次郎左衛門は顔にあばたがあって男ぶりが悪いことになっています。ホセは舞台では純情ないい男に描かれる場合が多いですが、メリメの原作小説を読めば、彼は故郷で何か不祥事をやらかし・故郷を追い出されるようにして・ここセヴィリアに来ていることが暗示されています。つまり、ホセはただ純情一方の優さ男というわけではなく、心にあばたを持つ男なのです。
ビゼーの歌劇「カルメン」は1875年(=明治8年)パリ・オペラコミック座での初演。(メリメの原作小説は1845年=弘化2年)その初演は下層のジプシー女が主人公だというので興行の失敗が噂されたのですが、初演されてみると熱狂的な喝采で迎えられて・数あるオペラ作品のなかでも最高の人気作となっています。三代目河竹新七の「籠釣瓶花街酔醒」は1888年(=明治21年)千歳座(後の明治座)での初演ですが、本作は黙阿弥の「縮屋新助」(「八幡祭小望月賑」・1860年=万延元年市村座初演)の影響を強く受けています。
このような大まかな作品成立年代の符号は世界史レベルで見ると偶然のこととは思われません。別稿「歌劇におけるバロック」のなかで明治36年(1903)の九代目市川団十郎の死 (すなわち江戸歌舞伎の終焉)と大正15年(1926)ミラノ・スカラ座でのプッチーニの歌劇「トゥーランドット」初演(すなわちグランド・オペラの終焉)がほぼ同時期に起こっていることを指摘しました。このことを考え併せれば、歌舞伎と歌劇というふたつの芸能は場所を遠くはなれ・もちろんお互いに何の関連もないのですが・結果としてほぼ同時期に同じような軌跡を描きながら変遷しているのです。(このことは別の機会に考えます。 別稿「歌舞伎とオペラ」〜新しい歌舞伎史観のためのオムニバス的考察を参照ください。)
(H17・12・11)
5)赤い花
昭和23年10月東京劇場で上演された「籠釣瓶」序幕新吉原仲の町の場での八ッ橋が花道で次郎左衛門へ投げかける「笑み」について、初役で八つ橋を演じた六代目歌右衛門の演技は今では伝説になっています。(この時の次郎左衛門は初代吉右衛門でした。)歌右衛門の笑みが人々に与えた衝撃は戦後の歌舞伎の復興がここから始まったと言っても過言ではないものです。渡辺保氏は昭和26年1月の新装なった歌舞伎座での八ッ橋を見て「この歌右衛門の八つ橋が笑うのを見たとき、私は歌右衛門の美しさをみながら、ほとんどなにを見ているのか分からなかった。私はそのとき私自信の肉体の中で何かが美しい音をたてるような感触を体験した。まるで私自身がなにものかにひたされていくような感触のものであった。こういう体験はこの先にもなく、後にもない。』と書いています。(渡辺保:「女形の運命」より)
それまでの役者の八つ橋の演技(初演の五代目歌右衛門を始めとして)では、六代目歌右衛門のようにはっきり笑うというものではなかったそうです。だいたい吉原の花魁は自然にか自分の意志かはともかく・笑うという事があまりなかったようです。それはそうでしょう。太夫と言えども所詮は籠の鳥、真の自由などないからです。太夫というのは人工の美しい造り物・太夫の権勢と言ったところで吉原という限定された空間だけのことなのです。しかし、六代目歌右衛門は見事に自分の意志で笑って見せました。そこに「戦後」の何かが反映されたに違いありません。歌右衛門は吉原の太夫もひとりの人間・ひとりの女性であることを肉感的な形で観客に実感させたのかも知れません。
あの八つ橋の笑みの意味は何かという質問を歌右衛門はたびたび受けたようです。口を開けて自分に見とれる田舎者の阿呆面が可笑しくて笑うのか・自分に魅せられている男がいるのが嬉しくて自然に笑うのか・女郎の商売上の媚態であるのか・それとも次郎左衛門を誘っているのか。加賀山直三との対談で歌右衛門は「この笑いは、もちろん、私は次郎左衛門の姿を可笑しいとだけ思って笑っているのではありません。遊女の職業としての習性ということもありますが、それに広い意味での歌舞伎の演出ということも考えられます。つまり、これは例になりますかどうですか、例えば「鏡獅子」の弥生が出てきて、踊りにかかる前にお辞儀をしますとご見物が引き入れられる、まず最初に惹きつける。そういった様なものもあると思います」と語り、さらに「この笑いははっきりと割り切らないで見るべきものではないかと思うのです」とも語っています。
八つ橋の笑みの意味はどのようにでも考えられると思います。しかし、八つ橋の笑みが次郎左衛門を虜にしてしまったことは間違いありません。次郎左衛門は田舎から出てきて・評判の吉原の夜景を見てみようと立ち寄ったまでのことで・その足で宿に帰ろうとしていたところです。そこで八つ橋が自分に対して何か笑みを浮かべたらしいことで、次郎左衛門はビビッと来てしまって「・・・宿へ行くのがいやになった」となってしまうのです。まさに「あんたは逃げるつもりでも /恋があんたをとらえて」いたのです。八つ橋の笑みはカルメンがホセに投げた赤い花なのです。
(H17・12・14)
6)虚構の権勢
吉原というものは江戸の文化サロンであったとか・いろんな評価も出来ますが、一面を見ればそれはやはり社会の暗部であるということは意識しておかねばなりません。歌舞伎を語る場合に遊郭文化のこと を外すわけにはいきませんが、しかし、あまり過度に美化するわけにもまいりません。その昔、室町時代に一休禅師が泉州堺の遊郭で評判の地獄太夫をたずねた時、地獄太夫が「出家して仏に仕えることができれば救いもあるものを」と嘆くと、一休は「五尺の身体を売って衆生の煩悩を安んじる汝は邪禅賊僧にまさる」と言って慰めたそうです。(別稿「桜姫の聖性」をご参照ください。)そのように娼婦を菩薩とあがめる伝統が日本には確かにありました。しかし、現実には (江戸期においては)彼女たちは奴隷同然であったということもまた事実なのです。
八つ橋ですが吉原で権勢を誇り・尊敬を一身に集める太夫であっても、所詮は売り物買い物でありますから本当の自由などないのです。八つ橋が持っているのは限定された場面での権勢であり・虚構の自由です。しかし、八つ橋にもそのバーチャルな権勢を真に自分のものと錯覚してしまう時があったかも知れません。またそう思わないと生きていけなかったかも知れません。八つ橋にも自分の魅力で吉原の世界を生き抜いてきた自負があったでしょう。実際彼女を目当てに大勢の男たちが客として散財をしてきたのです。八つ橋が花道でにっこりと笑ってみせた時、向こうで田舎者がへナへナとなるのを見て・八つ橋は自分の権勢に酔ったかも知れません。しかし、実はそれは八つ橋の錯覚で・実はその権勢は虚構のものであるのです。彼女は男たちに弄ばれるだけの無力な存在であるのです。八つ橋もまたカルメンと同様に「社会の症候」であるということが言えます。
八つ橋はある種の権力の上に立ち・男たちを操ろうとしますが、同時に絶えず苦しみ・自由を求め・あるいは逆におぞましい暴力の犠牲になることを渇望しているのです。そのような女はしばしば曖昧で実に詰まらない人間の奴隷であったりします。八つ橋のヒモである繁山栄之丞がそういう人間です。このような歪んだ状況が縁切り場という事態にいたって次郎左衛門の眼前であからさまになるのです。
八つ橋がまっとうな生活に憧れ・身請けを望み・このような歪んだ世界を抜け出そうとしていたのか。そこのところははっきりしません。もちろん次郎左衛門を好いていたのかさえも分かりません。次郎左衛門が嫌なのなら最初から身請けを承知しなければいいというのは理屈です。だから兵庫屋縁切りの場では周囲の人間はみんな次郎左衛門に同情して・八つ橋の肩を持つ者は誰もいません。しかし、八つ橋はこう言い切ります。
「及ばぬ身分でありんすが、仲三町を張るこの八つ橋、いったんイヤと言い出したら、おまえたちが口を酸(す)くして百万だら進めても、わたしゃ身請けは不承知さ。エエ、わたしゃイヤじゃわいな。」
そう言いながら八つ橋は苦しんでいるのか・楽しんでいるのか、はたまた周囲をを弄んでいるのか・彼女自身が弄ばれているのか、それもはっきりしないのです。どちらの状況もが両方この縁切り場に現出するのです。八つ橋がやっていることは・本人はどう思っていようが、周囲の人間からすればバラバラで矛盾しており・ある種のヒステリー症状を呈しているのです。 次郎左衛門のなかで八つ橋は圧倒する脅威を以って迫ってきます。この時、次郎左衛門の眼前で八つ橋の幻影が音を立ててガラガラと崩れ去るのです。
(H17・12・16)
7)「つくづくイヤになりんした」
「籠釣瓶花街酔醒」原作は八幕の長編で因果話が絡んでいるそうです。佐野次郎左衛門という男が江戸吉原で八つ橋という女郎を嫉妬の挙句に惨殺したというのは享保年間の実話で、これはその後いろいろな芝居や講釈に仕組まれて伝わりました。三代目新七の「籠釣瓶花街酔醒」はその講釈の流れを汲んでおり、次郎左衛門の生い立ちやら、「籠釣瓶」という名の名刀村正( これは水も漏らさぬ切れ味の良さという意味であります)が次郎左衛門の手に入る経緯も前段までに描かれています。つまり次郎左衛門はその前歴のなかに何か暗い因縁を秘めた男であったということです。しかし、今の上演のように「仲の町見初めの場」から始める構成ならば、あまり深いこと を考えず・次郎左衛門をあばた顔にコンプレックスのある純朴一途な田舎者と考えてもそう間違いではないでしょう。
大事なことは八つ橋が次郎左衛門に何を思って笑みを投げかけたかも全然無関係なところで、次郎左衛門は自ら望んで恋に落ちて・縁切りをされ・勝手に破滅したということです。原作では次郎左衛門が江戸に出立する前に或る僧が次郎左衛門はいつか身を滅ぼすであろうと予言する場面があるそうで、それが名刀「籠釣瓶」の魔力の仕業であるようなことを暗に匂わせています。まさに次郎左衛門はホセと同じように、自らが望むように破滅すべく恋をして・裏切られ・そして破滅するのです。
縁切りの場面で八つ橋は「わたしゃつくづくイヤになりんした」と言っています。この台詞は脚本を見ると九重の「それではどうでも佐野さんを・・」の台詞を受けてのものですから 八つ橋は次郎左衛門を嫌になったと取るのが文脈であります。しかし、この台詞は八つ橋が「自分という人間が(あるいは女郎である自分が)つくづくイヤになりんした」と言って嘆いているように 吉之助には聞こえるのです。六代目歌右衛門の呻くような台詞は吉之助にはそのように聞こえました。
「わたしゃつくづくイヤになりんした」
この台詞は二つの点でドラマのなかで決定的な意味を持ちます。ひとつは次郎左衛門の希望に止めを刺し・彼の存在をも否定し去る言葉としてです。もうひとつは八つ橋の心の奥底に潜む「死への衝動」を明らかにする言葉としてです。
次郎左衛門が縁切り場でいきなり刀を振り回すのでなく・再び登楼して八つ橋を殺すのに月日が立っているのが不自然だという指摘もあるようですが、このことにより瞬間的な激昂で次郎左衛門が殺しをするのではないことが明らかです。次郎左衛門は妖刀の魔力に誘われるようにして登楼して八つ橋を斬殺するのですが、その死も八つ橋が間違いなく自ら望んだことであるのです。
「わたしゃつくづくイヤになりんした」、この台詞を発した時点で八つ橋はもう生きることをやめているように吉之助には思えます。その後の八つ橋は生物学的には生きていても・演劇的にはすでに死んでいるのです。次郎左衛門は舞台上で八つ橋を斬ってみせて 正しい形にして見せたに過ぎないのです。「わたしゃつくづくイヤになりんした」、そう言われた男が男であり続けようとするならば・次郎左衛門は八つ橋の症候に同化し・宿命を一身に引き受けるしかありません。ここで次郎左衛門が八つ橋を殺すのは絶望的で・かつ献身的とも言える八つ橋への愛なのです。
(参考文献)
スラヴォィ・ジェジェク:「斜めから見る―大衆文化を通してラカン理論へ」(鈴木晶訳・青土社)
(後記)
「吉之助の音楽ノート・ビゼー:歌劇「カルメン」も参考にしてください。
(H17・12・18)