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吉之助の雑談38(令和2年7月〜12月)


〇コロナ以後の生活・その5

7月の東京の天気はグズついてましたが、8月1日に梅雨明け宣言が出たら急に暑くなりましたね。歌舞伎役者にとって8月1日は、忘れられない日になったかも知れません。3月以来コロナ感染対策で休場(間に当初から予定されていた内部改修のための2か月休場を含む)していた歌舞伎座が、八月花形歌舞伎で、実に5か月ぶりに興行を再開しました。吉之助は昨日(3日)、第3部「吉野山」・第4部「源氏店」を見てきました。築地界隈を歩き回って・そのまま歌舞伎座に入ろうとしたら、熱波で思いのほか体温が上昇していて入り口の検温であやうく引っ掛かりそうになりました。盛夏で熱中症が心配されるなか、まず地下の木挽町広場で身体を少し冷やしてから、歌舞伎座にお入りになることをお勧めします。

このところ東京のコロナ感染者また増えて心配なことです。吉之助ももう若いわけではないし・呼吸器系に若干弱いところを抱えているのでコロナにかかれば・いちコロと覚悟しています。しかし、このようなサイトを主催しているからには、歌舞伎座再開となれば歌舞伎応援のため行かないわけにいかないじゃアありませんか。もちろん三密回避・あっちこっち色んなところを触らない・マスクと頻繁な手洗いは励行しています。

久しぶりの歌舞伎座はいつもとちょっと違った雰囲気で、いろんな場面でお客を迎える側の緊張がピリピリ伝わってくる感じでした。そういう点では劇場も役者も気にし過ぎるくらいコロナ対策してる感じでしたが、それでも何かあったら大変ですからねえ。舞台のことは観劇随想で別に書く予定にしていますが、「吉野山」の清元・竹本連中が飛沫防止で特殊な黒いマスクをしていたのは秘密結社のメンバーが後ろに居並んでいるようで異様であったし、「源氏店」幕切れで再会した与三郎(幸四郎)とお富(児太郎)がヒシと抱き合うと思いきやソーシャル・ディスタンスをしっかり守って終わったのはご愛敬でしたが、こういうコロナの歪んだ非日常が一日でも早く終わって、また「普通に」芝居が出来るようになることを願わずにはいられませんでした。しかし、まだしばらくはこういう状況が続きそうです。

(R2・8・4)


〇コロナ以後の生活・その4

芸術・エンタテイメント関係でもコロナ以後の模索はいろいろされているようですが、ひとつ所に大勢の人間を集めるということになると当然「密」は避けられないわけで、これはという決定的な対策が見当たらないのが頭痛いところです。

このようななか、東京交響楽団が現在イギリスで待機中の音楽監督ジョナサン・ノットとリモート指揮で共演すると云う試みをして、先日(25日)のサントリホールでの演奏会ではその4回目の試みだったそうですが、ベートーヴェンの第3番「英雄」を見事に演奏したそうです。まあ確かに指揮というのはその場にいてオケと心を一体にして行なうものかも知れませんが、コロナによる渡航規制で物理的に来れないのじゃ仕方がない。そこでどうやったのかと云うと、吉之助はその現場には居合わせませんでしたが、聞くところでは、イギリスにいるノットがあらかじめ指揮した録画映像に合わせてオーケストラが演奏するというものです。楽団向きに(つまり客席とは反対向きに)大型テレビを三台設置し、オーケストラは画面に映った指揮者を見ながら演奏する。客席向けにはもう一台テレビを設置するという形だったそうです。実際にライヴ通信でノットが現地で音を聴きながら指揮をする手法を模索したが、距離によるタイムラグを技術的に解決できず断念して、録画映像となったそうです。リハーサルではあらかじめノットの細かい指示が伝えられて、何度か録音をノットと交換して、修正を掛けたそうです。ノットは「ベートーヴェンは第九番初演の時、耳が聴こえなかったが、指揮が出来たではないか」と語ったそうです。なるほどねえ、吉之助は指揮というのは一種の「こっくりさん」みたいなものだと思っていますが、全員の「念」が一致するならば「奇蹟」は起きると思います。

幸四郎が図夢(ずーむ)歌舞伎・全五回のオンライン公演を先日(第5回目は25日)無事やり切って、「こんな形でも歌舞伎は成立するんだ」と感涙極まったそうですが、その気持ちは良く分かります。

(R2・7・30)


〇コロナ以後の生活・その3

コロナ疲れと・このところの天候不順で体調がいまひとつです。5月25日に新型コロナ緊急事態宣言が全国レベルで解除されて、長い自粛引きこもり生活にも疲れてきたところでもあり、ヤレヤレこれで少しずつ日常が戻ってくるかと期待しましたが、このところの状況を見ると日毎に感染者が増えて来たようで、どうやら感染第二波がやって来たのかも知れませんねえ。もうすぐ久しぶりの歌舞伎座8月興行が始まると云うタイミングでのコロナぶり返しには気が気でありません。歌舞伎座8月興行はコロナウイルス感染防止対策により四部制ということで、演目はそれぞれ1時間前後の一幕物の舞踊や芝居となっています。観客席は密集状態を避ける観点から前後左右を空席にする・いわゆる市松模様の席割りで、と云うことは収容人数が半分以下になるということなので、採算面でもなかなか厳しい再スタートということになります。吉之助も見に行く予定にしていますが、何とか無事に再開に漕ぎつけてもらいたいということで、先日銀座に寄った時に歌舞伎座稲荷に祈願して来ました。

欧米音楽界を見ても、6月中旬ごろから演奏会は徐々に再開の動きになっていますが、オーケストラは密集状態を避けるために各奏者の座席位置を離し、特に管楽器は飛沫飛散のリスクがあるので・もっと距離を取るという対策が取られています。オケは配置が変わると、音が伝わる時間が変るのでアインザッツを合わせるタイミングが微妙に変わって来ます。再開直後の演奏会では、ベルリン・フィルやウイーン・フィルでも音量や響きの調整に苦労していたようです。この配置だとマーラーやブルックナーなどの大編成の作品は無理がありそうで、プログラムはロマン派中期辺りまでの小規模編成のものが多くなっています。特に声楽合唱・裏方さんまで伴う歌劇場は再開の見込みが未だ立っていないところが多そうです。元通りになるのには、かなり時間が掛かりそうです。

コロナによる経済面の影響はいろんな方面に出ていますが、芸術・エンタテイメント関係にこれほど深刻な影響を及ぼすとは想像だにしませんでしたねえ。早くコロナが終息して、安心して演奏会や芝居に行ける環境に戻って欲しいものです。

(R2・7・24)


〇コロナ以後の生活・その2

今新型コロナウイルス感染防止の観点から3月以降の歌舞伎興行が軒並み中止になってしまいましたが、3月分については国立小劇場を始めとして・歌舞伎座・京都南座での無観客上演映像が期間限定で公開されたのは、大変有難いことでした。芝居というのは生(なま)で見るのが本来に違いないですが、特に3月は菊之助の「千本桜」三役挑戦・大顔合わせの「新薄雪」・白鸚が一世一代としていた「沼津」の平作など意欲的な演目が並びましたし・今後同じ形での再演は難しいだろうと思われるので、例え無観客上演であっても、これらの舞台が映像で残せた意義はとても大きいと思います。(これら一連の舞台の吉之助の観劇随想はこちらでお読みいただけます。)

ただしYoutubeでの各演目での再生回数を見た感じでは、例えば国立の「千本桜」だとAプロの「渡海屋」はまあまあの回数だが・Bプロ「鮓屋」・Cプロ「四の切」になるにつれて再生回数が極端に落ちて行く。これは歌舞伎座の「新薄雪」通しでも同じ傾向で、「花見」はまあまあの数字だが「詮議」・「合腹」になると・これも再生回数が極端に落ちて行く。どんなものかとYoutubeの映像をチラと覗いてはみたが・何だこんなものかと云うところで終わって・その後の回への興味が続かなかった方が、相当な割合でいらっしゃったということです。この結果は役者や関係者には衝撃ではなかったかと思いますねえ。少なくとも吉之助にとってはショッキングな結果でした。お客は歌舞伎に何を求めているのですかねえ?「新薄雪」は確かによく知れた演目でないかも知れませんが、やはり大顔合わせの「合腹」をこそ見てもらいたかったと思います。事実それだけの出来栄えでしたからね。これは現代の歌舞伎はお客が期待するものを提供できていないということか?それとも世間への歌舞伎の啓蒙を相当頑張らないといけないということか?と考え込んでしまいました。

そりゃあ確かに芝居は生で見るのが本来で・無観客上演映像なんて気の抜けたビールでまともに見る対象にならないと云う考え方もあるでしょうが、吉之助が見る限り、今回の無観客上演映像を取り上げた劇評も、紹介記事的なものはありましたが、まともなものは渡辺保先生のサイトでの「詮議」・「合腹」評くらいしか見当たらないというのも寂しいことでした。歌舞伎コンテンツとしての映像は、芝居の世界ではまだまだ受け入れられないみたいですね。

ところで幸四郎・猿之助らが中心になって図夢(ずーむ)歌舞伎と云う、インターネットの会議プレゼン・ツール(Zoom)をイメージした「忠臣蔵」を映像で再構成した新しい試みをしている最中です。これは全五回の試みで・本日時点では三回目(六段目)まで終了ですが、進物場では別取り映像を組み合わせて本蔵と師直(どちらも幸四郎が演じる)が同時登場、喧嘩場では平身低頭する師直を判官からの視線で映してみせるなど、現実の劇場では実現不可能な映像を試みました。次回(第4回)の七段目では祖父・初代白鸚の由良助の過去映像と組み合わせて・現在の幸四郎の平右衛門が同じ画面で共演するそうです。これは普段では出来ない気楽な「お遊び」として楽しめればそれで十分ですし、ここに新しい歌舞伎表現の可能性があるかもなんて身構える必要は全然ないですけれど、しかし、まずは試みてみないことには何も始まりませんね。

(R2・7・13)


〇コロナ以後の生活

今回はホントの雑談です。本年年頭の「雑談」で「節目の2020年」と書きました。あれは五月から始まる予定であった十三代目団十郎襲名興行のことを書いたつもりでしたが、新型コロナウイルス感染防止の観点から襲名興行は延期になってしまいました。吉之助も二月初旬の歌舞伎座での観劇以来、都内に出るのを自粛して引きこもり生活に入り、以来芝居にもコンサートにも行けていません。CDとビデオ映像で渇を癒すという状況です。本日現在(7月2日)、歌舞伎座は8月から興行を再開するという明るいニュースも入って来ましたが、観客席は前後左右を空ける・いわゆる市松模様の座席になるようで、これは収容人数が半分になると云うことだから、まだ日常に戻ったと言えない状況です。演劇関係はこれからも苦しい状況が続くでしょう。年初にはこういう状況になると想像だにしませんでしたねえ。改めて2020年は、歌舞伎だけでなく・いろんな場面で、コロナ以前とコロナ以後の大きな節目の年になりそうです。ただし今は節目の真っ最中ですから、以後がどう変わるかは皆目分かりません。

昨年10月渋谷シアターコクーンで海老蔵が「オイディプス」を演じましたけれど、この時のイギリスの演出家マシュー・ダンスターのコンセプトが、古代ギリシアの悲劇を近未来に置き換えたものでした。疫病が蔓延するテーバイの街は、大気が病原菌で汚染されているので分厚いシェルターに守られています。換気扇の低い機械音が耐えず響いており、街外へ出る人はみなさん物々しい防護服とマスクを着用しています。街に入る人はゲートでシャワーで除染・消毒をして防護服を脱いでから舞台中央に登場します。為政者は直接人民に語り掛けるのではなく、カメラに向かって「にこやかな」笑顔を作り、大テレビ画面でリモート演説するという具合でした。半年後にこれとそっくりの場面が現出するとは。今時この舞台を出したら「ワル乗りし過ぎだ」と怒る人がいるかも知れませんねえ。これはまあダンスターの慧眼であったと言って置きましょうかね。しかし、今思えばあれはなかなか暗示的であったなと云う気がします。この世界に在って・これまで見えてこなかった歪みがいろんなところで顕在化して来そうです。

ところで別稿「語り物演劇の系譜」でも触れましたが、近頃吉之助は文楽床本を朗読することを始めました。自粛生活を続けて数か月も外出を控えていると、体力も落ちるし、他人と会話する機会がめっきり減ったせいか、しゃべっていて言葉がどうもスムーズに出てこないもどかしさを感じることが多くなりました。歳のせいかボケが兆して来たのかも知れません。吉之助は人前で歌舞伎の話をすることもあるので、これでは困る。そこで脳の訓練のために床本を朗読することを始めたわけです、義太夫語りを学ぶわけではないので節附けは加えず、いわゆる朗読ごっこに過ぎませんが、これがなかなか役に立ちます。床本朗読はまだ始めたばかりですが、ここから「歌舞伎素人講釈」の新たな記事が生まれるかも知れません。

(R2・7・2)


 

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