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三島由紀夫没後50年記念企画

三島由紀夫:小説「獣の戯れ」と歌劇「フィデリオ」

*三島由紀夫は昭和45年(1970)11月25日没。


1)「獣の戯れ」と歌劇「フィデリオ」

三島由紀夫の小説「獣の戯れ」は、昭和36年(1961)6月から9月にかけて「週刊新潮」に連載されました。三島にとって5番目の長編小説になります。新潮社から書き下ろし小説を依頼されたが、何を書くべきか見当がつかず、とりあえず「夏」と「海」の題材を求めて、昭和35年・夏に三島は西伊豆の安良里(あらり)という小さな漁港に一週間ほど滞在し周辺の取材を行ないました。このとき得た土地のイメージが後の「獣の戯れ」の材料となるわけですが、結局、この時は小説の構想がまとまらないまま、三島は11月に当時まだ新婚間もない瑤子夫人と共に世界一周旅行へ旅立ちました。そして翌年1月5日に滞在先のミラノのスカラ座で、三島はヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮するベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」を聞いたのでした。

『旅行中、この小説(「獣の戯れ」)の構想がまとまらず、しじゅう頭に引っ掛かっていた。それが音楽の影響で一夜にしてまとまったのだが、こういうことは私にとってはじめての経験である。それは今年(昭和36年)のお正月に、ミラノのスカラ座でカラヤン指揮のオペラ「フィデリオ」を見た晩のことである。私はあんなに官能的なベートーヴェンを聞いたことがない。耳から入るものには鈍感な私だが、カラヤンの棒は音楽をはつきり目に見せるのである。それは例の「レオノーレ第3番」であって、暗い世界苦の潮の中から壮麗な官能的な歓喜が徐々にわき起こるあの音楽は、その晩の私から、完全に眠りを奪ってしまった。ホテルの一室で、深夜、突然「獣の戯れ」の構想が、すみずみまで心にうかんできた。あとは帰朝後、虚心に原稿用紙に向かえばよかったのである。』(三島由紀夫:「わが小説ー「獣の戯れ」」・昭和36年11月13日・朝日新聞)

記録によると、カラヤンは1960年12月17日・20日・22日と、翌1961年1月3日・5日の5回にわたり、ミラノ・スカラ座でベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」を振りました。当時カラヤンはスカラ座のドイツ・オペラ部門担当で、同じ時期にカラヤンが音楽監督を勤めていたウィーン国立歌劇場でのプロジェクトを、主要歌手陣を含めてほぼそのままこれをミラノに持ち込んだものでした。配役は、ビルギット・二ルソン(レオノーレ)、ジョン・ヴィッカーズ(フロレスタン)、フランツ・クラス(ドン・ピッツァロ)、ゴットロープ・フリック(ロッコ)、ヴィルマ・リップ(マルツェリーネ)、ハンス・ホッター(ドン・フェルナンド)という錚々たるものです。舞台演出はカラヤン自身によるものでした。なおカラヤンがスカラ座で振った「フィデリオ」のライヴ録音は、12月17日と20日の録音が遺されていますが、残念ながら三島夫妻が聴いた1月5日当夜の録音はないようです。

12月20日の時のライヴ録音を聴くと、当時のカラヤンらしく、テンポが若干速めの、キリッと引き締まった筋肉質な演奏です。第2幕半ばで演奏されるレオノーレ序曲第3番は、吉之助には質実剛健に聞こえて「官能的」という感想がすぐには浮かんで来なかったのですが、これを「官能的」と聴いたところが三島の感性なのです。それにしてもほぼ同じ時期でのウィーン国立歌劇場の録音のドイツ的な渋い暗めの音色とは異なり、ミラノ・スカラ座のオケの演奏は直截的な音の塊がぶつかって来る粗削りな力強さが際立って、時折明るい陽射しに照らされたように音楽の構造がくっきりと見えて来るようです。

ところで吉之助はオペラが好きで五十年近く聴いてはいますが、正直に云えば、ベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」は、オラトリオみたいに音楽が絵画的・静止的で、オペラティックな魅力からはいまひとつ遠い作品かなと思っています。昔から「フィデリオ」はオペラとしては評価が半ばする作品ではあるのですが、しかし、このベートーヴェン唯一のオペラは、至高の夫婦愛・人類愛を描いて、そのテーマの崇高さから、多分、決して悪く言ってはいけない作品ということになっています。或る意味「フィデリオ」は観念オペラで、オペラの官能性というところから意識的に遠ざかろうとしている作品のように思われます。男装するレオノーレの役(フィデリオ)を、ベートーヴェンが「ズボン役」と呼んで色気を消し去ろうとしたのと同じような雰囲気を感じます。ベートーヴェンは、フィデリオをケルビーノ(フィガロの結婚)と同じに見て欲しくなかったのです。確かに「フィデリオ」にもマルツェリーネがフィデリオに惚れてしまう「危険な」(あわや同性愛になりそうな)場面はあるにはあります。そこにベートーヴェンもジング・シュピールの俗な要素を取り入れてはいるのですが、最終的にそれは忘れ去られます。夫婦愛を描いてはいても・なるべく甘美さの方に目を向けさせないようにして、暗い監獄に閉じ込められた抑圧された精神の開放という崇高な主題(これには誰も文句が言えません)の方へ視線を誘導するようなところがあるようです。

それにしても、カラヤンが振った「フィデリオ」を聞いて、三島が「私はあんなに官能的なベートーヴェンを聞いたことがない」と書いたところにハッとさせられるのです。「フィデリオ」に官能的という妖しい言い方は相応しくないと感じるかも知れませんが、そう云えば、吉之助も「フィデリオ」でそのようなことを感じた瞬間があったことをフト思い出したからです。

それは2004年11月18日東京文化会館での、サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による、ザルツブルク・イースター音楽祭引っ越し公演の歌劇「フィデリオ」のことでした。記録のために記しておくと、歌手陣は、カミッラ・ニールンド(レオノーレ)、ジョン・ヴィラーズ(フロレスタン)、アラン・ヘルド(ドン・ピッツァロ)、ラインハルト・ハーゲン(ロッコ)、ライザ・マイルン(マルツェリーネ)、マティアス・ヘレ(ドン・フェルナンド)、演出はニコラウス・レーンホフでした。

歌劇「フィデリオ」(2003年ザルツブルク・イースター音楽祭、サイモン・ラトル指揮、演出:ニコラウス・レーンホフ)

第2幕前半は、地下牢獄の奥深くの独房のなかでフロレスタンが鎖につながれて苦しんでいる場面から始まります。そこで彼は妻レオノーレが自分を救いにやって来る幻想を見て、レオノーレが自分を天国へ導いてくれると歌ってその場に倒れ込みます。やがて牢番ロッコに連れられてフィデリオがやって来て、墓穴を掘り始めます。レオノーレは男装し「フィデリオ」と名乗って・行方不明の夫を救い出すため・この牢獄に潜入したのです。墓穴は遅れて地下牢にやって来る悪人ピッツアロがフロレスタンを殺して遺体を埋めるための穴なのです。しばらくしてフロレスタンが目覚め、フィデリオ(レオノーレ)はその囚人が夫であることを横顔と声で確認します。フィデリオは衰弱したフロレスタンに飲み水を与え、パンの皮を食べさせます。フロレスタンは感謝しますが、彼が妻レオノーレであるとは気が付きません。レオノーレは再会の喜びに打ち震えていますが、ここでは自分がレオノーレであると夫に明かさないのです。レオノーレは、足元で鎖につながれて・うずくまってパンの皮を食べる夫を、ただ見詰めているだけです。

ここで吉之助が感じたことは、多分「フィデリオ」が本来意図するところと全然違うことだろうと思います。しかし、これが三島の小説「獣の戯れ」創作に深いところで関連すると思うので書くのですが、舞台を見ながら吉之助がフト感じたのは、「なぜこの時にフィデリオは夫に自分が妻レオノーレであることを知らせないんだ?」ということです。場所は暗い牢獄のなかです。ロッコは、少し離れたところで墓穴を掘っています。フロレスタンの耳元で小声で「私はレオノーレよ、あなたを救いに来たのよ、もうちょっとの辛抱よ、必ずあなたを救い出すから」と囁いたって良いはずです。絶好のチャンスなのです。それなのにどうしてレオノーレはそれをせずに、ただ黙って足元にうずくまる夫を眺めているのか?ということです。

実は答えは明らかです。この後悪人ピッツアロがフロレスタンを殺すために地下牢にやって来るからです。ピッツアロがあわや夫を殺さんとした時に、フィデリオが立ちはだかり、「私こそがこの人の妻レオノーレです、私は夫を救いにやって来たのです」と高らかに宣言せねばなりません。そのようにこの「フィデリオ」(つまり救出オペラ)は作られているのです。最高にドラマティックなシーンはそれに相応しい最高の場面が用意されねばならない。だからレオノーレがその正体を夫に告げる場面が保留されるのです。正確に言うならば、厭らしくも、「意図的に引き延ばされている」のです。

このことに気が付いた時に、吉之助は涙がポロポロ流れちゃんたんですよねえ。イヤこれは自分でも意外なことでした。そもそも吉之助は舞台を見ても滅多に泣かない人間です。泣いちゃうと批評が出来ないんですよねえ。吉之助は頭から批評を書くことが離れないので、これは芝居を見る時でも音楽を聴く時でも同じことです。その吉之助が泣いちゃったのだから、多分レーンホフの演出の出来が良かったのでしょう。それともラトル指揮の音楽のおかげかな。(この稿つづく)


2)意図的に引き延ばされた歓喜

作家が小説を書く時、個人的な経験も含めて・過去の様々が事象が無意識に材料に取り込まれるということは、これは確かなことです。しかし、作家のインスピレーションというものは、過去の材料を取り込んでも、それを置き換える・倒置する、或いは雑ぜ合わせると云う手法で生じるものだけとは限らないのです。例えば三島がカラヤン指揮の「フィデリオ」を聞いて「獣の戯れ」の構想を得たからと云って、例えばフロレスタンが逸平、妻レオノーレが優子で、ピッツアロが幸二で置き換えられると考えることは、作品分析としてはよくありそうな類ですが、あまりよろしいものとは思われません。それなら定次郎がロッコで、喜美はマルツェリーナになるかな。そのような手法で得られるものがないとは言いませんが、もしそうだとしても、そういうものはまあ形而下的な結果に過ぎません。作家のインスピレーションというものは、過去の材料を取り込んで・それを論理的に発展する形で生じるものではないのです。(注:「獣の戯れ」に関して・そのような文芸批評を吉之助は目にしてはいませんが、他の作品・作家ではそんな感じの作品分析をよく目にしますねえ。)

恐らく作家の高次元のインスピレーションと云うものは、過去の材料からエッセンスとしての核心のみを取り出し、これを感性によって止揚(アウフヘーベン)する、そのような形で生じるものです。したがって作家にとって大事なものは設定(シチュエーション)ではなく、感情(エモーション)です。感情の一点のみを取っ掛かりにして、ワープするのです。この時、過去から来た材料は溶解し、まったく別のものに変容します。「獣の戯れ」と「フィデリオ」を並べてみると、このことを強く感じますねえ。むしろ内容的には、両者は似ても似つかぬと云って良いのではないかと思います。三島が告白していなければ「フィデリオ」との関連は想像さえ出来ません。しかし、ただ一点においてのみ、「獣の戯れ」は「フィデリオ」に感性的に深く繋がっていることを思わせます。つまりそれは三島が、カラヤン指揮で聞いた「フィデリオ」を「官能的」と評したことに関係するのですがね。

それは「フィデリオ」のなかで、フィデリオ(実はレオノーレ)が「私こそフロレスタンの妻レオノーレです」と高らかに宣言する・彼女にとっての最高のシーンは、それに相応しい最高に劇的な場面で行なわれなければならないということです。傍に牢番ロッコしかいない・この暗い牢獄は、まだその時ではないのです。第一に、まだピッツアロがここに来ていない。あいつに言ってやらねば、彼女は気が済まないのです。これでは、再会の歓びが甘美なものになりません。再会の歓びが最高の味わいにするために、時を選ばなければならないのです。もっともっと最高の場面が来るまで、そのシーンは保留されねばらないのです。レオノーレが自らの正体を明かす最高のシーンで、愛の勝利を告げるトランペット・ファンファーレが高らかに鳴り響きます。その時が訪れるまでは、夫フロレスタンにとって残酷なことですが、彼にはもうちょっと待ってもらわなければなりません。歓喜の瞬間は、意図的に引き延ばされねばならないのです。

もうひとつ付け加えておきたいのは、夫が行方不明の間、レオノーレは必死に夫を探し続けていたのですが、その間にレオノーレのなかで守って来た夫フロレスタンのイメージがあるわけです。レオノーレのなかでは夫は勇敢な闘士です。光り輝いている。ところがやっと夫を見付け出した時、レオノーレは目の前にうずくまっている惨めで痩せ衰えた男、それは確かに夫フロレスタンに違いないのですが、自分のなかの夫のイメージと目の前の実像とのギャップに戸惑うのです。これがレオノーレが黙って夫を見ている理由のもうひとつでしょう。

 そこにレオノーレの夫に対する至高の愛があるのです。これは悲しいほど研ぎ澄まされた愛です。ほのかな悪意を感じてしまうほどです。レオノーレが自らの正体を夫に明かさず足元にうずくまる夫を黙って眺めている光景に、吉之助はレオノーレの夫に対する官能的なほどの愛を感じるのです。だから吉之助は涙がポロポロ流れちゃったのです。恐らく三島も同じことを感じたに違いない。この気付きは後に続くレオノーレ序曲第3番によって、三島のなかにさらに明確な形を成したと想像します。

三島が「あんなに官能的なベートーヴェンを聞いたことがない」と評したレオノーレ序曲第3番は、地下牢獄のシーンである第2幕前半から、幽閉された囚人たちが開放される第2幕後半にとの間に慣例的に演奏されたものでした。(序曲第3番演奏中は幕が閉じられます。演奏時間は13分ほど。) これはグスタフ・マーラーがウィーン国立歌劇場の音楽監督を勤めていた時(1904年)に始めて行なわれたもので、現在でもウィーンではこの形式で行われますが、劇的緊張が濃縮された名曲なので・却ってフィナーレの感動を損なうと云う批判も多くて、近年は序曲第3番を演奏しない上演の方が多いようです。(吉之助が見たラトル指揮の「フィデリオ」でも序曲第3番は演奏されませんでした。)しかし、吉之助の個人的な好みでは、序曲第3番があった方がお得感もあるし、腹応えがする気がしますねえ。オットー・クレンペラーは、「フィデリオ」上演でこれまで序曲第3番を演奏したことがなかったのに、1961年のロンドン・コヴェントガーデン上演で初めて序曲第3番を演奏したことを聞かれて、次のように答えたそうです。

『これまでは劇(ドラマ)は牢獄場面で終結し、その後にフィナーレが来ると思っていたんだ。でも今はそうじゃないと思っている。確かに劇は終結するよ。でもベートーヴェンはその後で、鎖につながれ横たわっっているところを忠実な妻に救出されるという一人の男の個人的運命を普遍化しているんだ。一個人の運命が人類全体の運命になる。ここで表現されているのは、もうフロレスタンの運命なんかではなく、ベートーヴェンの世界観なんだ。序曲第3番を挿入することで物語の筋を再現することになるわけだ。だから私はそうすると劇全体の意味が広がると思うんだ。』(オットー・クレンペラー)

序曲第3番はレオノーレによる夫救出完成後に演奏されるもので、曲の内容からすると・これまでの筋をもう一度繰り返すものだから・オペラの流れを却って混乱させるという意見もあります。確かに序曲第3番の冒頭部をここで聞くと、「また最初から始まるのか」とチラッとは思います。しかし、曲が優れているからそのことはすぐに忘れてしまいます。ここではまさにオペラの粗筋が早廻しで回想されることが大事なのです。おかげで官能性のイメージはさらに研ぎ済まされて、三島のなかでインスピレーションが火花を発したと思います。(この稿つづく)


3)対立しているけれども実は同志

「フィデリオ」台本を読むと、フロレスタンと妻レオノーレの年齢について特に言及がありませんが、感じからするとフロレスタンは40歳くらいで、レオノーレの方はかなり若いようで・年齢差があるようです。これはレオノーレが男装して刑務所で他の男性と寝起きしていて女性であることを気付かれない、つまりレオノーレは中性的な雰囲気を持っており・その意味ではまだ成熟していない風があります。

『フロレスタンとレオノーレの年齢差が大きいという確信は、劇を理解する上で重要である。ひどく年下の若妻が、結婚した途端に一個の完成した人格としての夫を目にしたとする。その場合彼女は、夫の成長を共に苦労して体験した場合と比べて、あるかに大きく夫の持つ理念に感化されるのだ。理念とか強力な人格はどれも、その成立生成過程を見なかった人々のもとでは、そうでない場合と比べて、桁外れに強力に影響を与える。』(ヘルマン・W・フォン・ヴァルタースハウゼン:「フィデリオの戯曲的構成」)

夫フロレスタンがレオノーレの元から消えて行方不明になったのは、もう二年ほど前のことでした。夫を探し続けて、どうやら国営刑務所に収容されているらしいという情報を得て、レオノーレは男装してフィデリオと名を偽って刑務所に潜入します。レオノーレにとって夫は、単なる夫以上の存在です。レオノーレは、「あなたがどなたであるにせよ、私はあなたをお助けします」と言っています。これは夫婦愛に動機付けられた救出行為ではもはやなくなり、個人レベルを超えた高次元の倫理的行為となるのです。もちろんベートーヴェンはそのように考えたわけです。ベートーヴェンはフランス革命の理念(自由・平等・博愛)に共鳴してこのオペラを書いたのです。

このことはスラヴォイ・ジジェク的に捻って考えてみると、次のように考えることも出来るでしょう。レオノーレのなかで、自己と、夫救出という目的とが完全に同一化しているのです。「あなたがどなたであるにせよ、私はあなたをお助けします」という超自我の命令に従って彼女は動いていることになります。そうなると「フィデリオ」は一転して様相を変え、レオノーレの自己愛(エロス)の実現のドラマとなるのです。(これはベートーヴェン本来の作意とは異なることはもちろんです。)レオノーレが自己達成の歓びを味わうために最高のタイミングを選ぼうとするのも、そういうことです。つまり或る種の倒錯状態にレオノーレはあるわけです。三島は「フィデリオ」をそのように見たのです。

このことは、実はフロレスタンを殺そうとするピッツアロについても、まったく同じです。彼も自分の政敵だった男に復讐することだけ考えて生きていました。何があったのかは分かりませんが、ピッツアロはフロレスタンのことを「この人殺し」とさえ呼んでいます。よほど酷い仕打ちをフロレスタンから受けたのでしょう。ところが独房にやってきたピッツアロはさっさとフロレスタンを殺せば良いのに、突然マントを脱ぎすてると、「俺はお前が殺そうとしたピッツアロ様だ、お前が俺に対してやったことを、ここで思い出させてやる」とか何とか長々と演説を始めるのです。おかげでフロレスタンを殺すタイミングを逃してしまいました。レオノーレが横から飛び出して邪魔をされ、さらにモタモタしているうちに、大臣の到着を知らせるトランペットが鳴り響きました。万事休す。ピッツアロは、フロレスタンを殺すだけでは物足りなくて、復讐の甘美さをたっぷり味わいたかったために、結局タイミングを逃してしまったのです。

つまり、これは、その瞬間を引き延ばすということでは、ピッツアロはレオノーレと同じことをやっていたわけです。この意味において、ピッツアロは悪の権化で憎悪と抑圧を体現し、レオノーレは善の天使として愛と自由を体現して、まったく正反対に見えますが、実はそれは鏡に写したように対称的な姿を見せています。二人には共通項があります。それは不屈の意志です。しかもピッツアロは、このことをちゃんと認めます。レオノーレがピッツアロの前に立ちふさがって、「私はこの人の妻です。真(まこと)の心この人に、そしてお前には復讐を誓ったのです」と云った時、ピッツアロはまるで感動し褒め称えるかのように、「妻だって?何と云う法外な勇気だ!」 と叫ぶのです。つまりレオノーレとピッツアロは概念的に対立しているけれど、或る意味において両者はフロレスタンという存在を引き立てるための同志であると云えるでしょう。

「フィデリオ」幕切れで大臣ドン・フェルナンドが牢番ロッコに「フロレスタンの錠を説いてやれ」と言いかけて「イヤ待て」と止めて、レオノーレに向かって「気高い女性よ、彼を完全にほどいてやれるのは、あなただけにふさわしい」と言います。大臣の言によってレオノーレの「愛(エロス)」の世界が完結するわけです。

以上の考察で三島がベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」から何を得たかについては、ほぼ尽くされたものと考えます。先ほど「フロレスタンが逸平、妻レオノーレが優子で、ピッツアロが幸二で置き換えられると考えることは、作品分析としてはあまりよろしいものとは思われない」と書きました。この後、本稿で三島の小説「獣の戯れ」の筋と対比してその関連を論じることは、同じ愚を犯しそうなので、多分、するべきではないでしょう。「獣の戯れ」をお読みいただければ、それはお分かりいただけることです。三島が「フィデリオ」の筋の置き換えをここで試みたのではないことは、明らかです。しかし、三島が回想した通り、それが「フィデリオ」から触発されたものであったことも明らかなのです。三島は「フィデリオ」から、論理的な過程をまったく踏まず、実に軽やかに感性的にワープして、まったく新しいストーリーをそこから創り上げたわけです。

恐らく「獣の戯れ」を読み解く鍵になるのは、第1章において優子が幸ニの身元引受人になるために刑務所を訪れた時、被害者の家族が犯人の身元引受人になるなどという話は聞いたことがないと咎めた刑務所長が優子を見て感じる印象であろうと思います。

「度し難い己惚れだ」 女が犯罪のあらゆる複雑な原因を、自分の一心に引き寄せたがるこの傾向は、そんなに珍しいものではなかった。彼女は「原因」というドラマチックな美的な塊りでありたい。世界を底辺において引きしぼろうとするこの己惚れは、いわば魂の妊娠状態をいうべきで、男には嘴を容れる余地がないのだ。 「この女は何もかも孕みだたっている」と所長の疑わしげな目が語っていた。 「何もかも、罪も、永い後悔も、惨劇も、男たちの群がる大都会も、人間みんなの行為を原因を、自分の生温かい腹の中へ納めようとしている。何もかもだ。」・・・

 「獣の戯れ」最終場面では、廃人状態の夫逸平を殺した幸二は死刑となって・優子は終身刑となるわけですが、最後の刑務所の面会室の場面で優子はこう言います。

「本当に私たち、仲が好かったんでございますよ。私たち三人とも、大の仲良しでした。これ以上の仲良しはないほどでした。わかっていただけますわね。」

そうなんだなあ。フロレスタンとピッツアロとレオノーレの三人は、ホントは仲好くなれたのかも知れませんねえ。喧嘩するほど仲がいいって云うじゃありませんか。ベートーヴェンの作意とは全然違うようだけれども。

*本稿での「フィデリオ」の考察は、アッチェラ・チャンバイ編名作オペラブックス(3)ベートーベン フィデリオに所収の論考を参考にしています。

決定版 三島由紀夫全集〈8〉長編小説(8)(「獣の戯れ」・創作ノート所収)

(R2・10・14)





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