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長五郎と与兵衛〜「引窓」の人物関係

昭和43年9月国立劇場:通し上演「双蝶々曲輪日記」〜「浮無瀬・引窓」

二代目中村鴈治郎(南与兵衛後に南方十次兵衛)、三代目実川延若(濡髪長五郎)、二代目中村霞仙(母お幸)、二代目中村扇雀(四代目坂田藤十郎)(女房お早・藤屋都、山崎与五郎二役)、六代目沢村田之助(藤屋吾妻)他

(この稿は未完です。)


1)運のよいのと悪いのと

「引窓」で主筋のために殺人を犯した濡髪長五郎が母親お幸を頼って八幡の家にやってきます。濡髪は遊女時代のお早(都)と顔馴染みで・再会を喜び合いますが、この時、二人は妙な会話を始めます。

「都殿。これはしたり。さては願ひのとほり与兵衛殿と夫婦になってか」、「マア悦んで下さんせ。わしを請け出した権九郎は根が贋金師で牢へ入る。殺された幇間は、盗人の上前取りで追剥になって殺し徳。なんの気がゝりなう添ふてゐやんす」、「ソレハ幸なこと。同じ人を殺しても、運のよいのと悪いのと、ハテ幸なことぢゃの」

この会話はこれ以上進まないし・そもそも「引窓」だけだと観客は事情が呑み込めないので、何気なくスルーしてしまいそうな箇所ですが、「殺し徳」とは聞き捨てならない。そこで何かと思って調べてみると、これは確かに由々しいことです。三冊目「新町揚屋」の場で与兵衛は太鼓持ち(幇間)の佐渡七に襲われますが、腕の立つ与兵衛は逆に佐渡七を殺してしまいます。この時佐渡七が与兵衛の左手の小指を喰いちぎってしまいました。これを知った都はかねて自分に横恋慕していた手代権九郎になびくと偽って受け出されて・心中を見せよと欺いて権九郎に小指を切らせます。それで権九郎は佐渡七の犯人と間違われて役人に連れて行かれます。そのおかげで都は与兵衛と一緒になることが出来て、今彼女は堅気の女房お早となっているのです。(注:「揚屋」の件は昭和43年9月国立劇場での通し上演では一冊目「浮無瀬」の場と絡めて台本がアレンジされました。以後の「浮無瀬」上演ではこの版が使われています。)

お早が云う「殺し徳」とは、この事です。何より驚くのは、「引窓」の与兵衛は小指が欠けているらしい(?)ということです。南方十字兵衛の辞令を受けに役所に出頭した与兵衛に小指がないのを見て役人は驚かなかったのかと、余計な心配をしたくなります。普通の浄瑠璃であれば「因果が巡り来る」展開になるはずだから、この後に与兵衛とお早夫婦にも因果の火の車が回って来るのであろうか・・とそんな結末までも想像してしまいます。しかし、結局、「双蝶々」丸本をざっと見たところでは、そう云う面倒な事態は起らぬようです。与兵衛に小指が欠けていることは何の伏線にもなっておらず、その後の与兵衛の人生に何の影響も与えません。どうやら浄瑠璃作者自身がいつの間にやらこのことを忘れてしまったようですねえ。「引窓」での与兵衛は小指が再生したと、まあそう考えても不都合はなさそうです。

しかし、濡髪が思わず口に出す「運のよいのと悪いのと」と云う述懐は、「双蝶々」ではその対称性が大きな意味を持ちます。藤屋で仲が良かったふたりの遊女のうち、都は好きな男(与兵衛)と一緒になって堅気の女房に収まることが出来ました。もう一人の吾妻は相手の与五郎がトラブル続きで気が狂ってしまうし、気苦労ばかりです。殺しの件では、与兵衛はうまいこと他人に罪をなすりつけて逃れることが出来ました。しかし、濡髪の方は人相書を配られて追っ手から付け狙われる日々です。その対称の落差。まさに「運のよいのと悪いのと」なのです。しかし、それは都や与兵衛が正しかったとか・吾妻や濡髪が悪かったと云うことではなくて、ただ運が良かったのと運が悪かっただけの違いである、ただそれだけのことだと、濡髪は云うのです。濡髪は「運のよいのと悪いのと、ハテ幸なことぢゃの」と呟いて「ハテ」に自分の不運を思いやってちょっとシンミリはしますが、それ以上の感慨を濡髪はほとんど示しません。

一方、「引窓」では、新たな対称性がドラマの軸になって行きます。それはお幸の義理の息子である与兵衛と、実の息子である濡髪長五郎と云う、二人の息子の対称です。(なお「引窓」の老母は丸本には名前がなく、お幸は歌舞伎での呼び名です。)片や庄屋代官に取り立てられ士分となって過分の出世、片や正当防衛とは云え殺人を犯して追われる身です。さらに庄屋代官としての与兵衛に最初に与えられた仕事が近辺に潜んでいるらしい濡髪探索でした。これもまた「運のよいのと悪いのと」と云うことになるわけですが、これを「ただそれだけのことだ」と片づけられるかどうか、これがその後の「引窓」のドラマになって行くのです。

ところでそれまでは頻繁に上演されたと言えなかった「引窓」を一躍人気狂言に押し上げたのは、大正期の初代鴈治郎の与兵衛の功績でした。しかし、その頃の劇評家は「引窓」は与兵衛の芝居ではない、濡髪の芝居だ、それを鴈治郎は何でも自分の芝居にしてしまうと苦言を呈したものでした。「引窓」は殺人を犯した濡髪が、老母のことを考えて義理の兄弟になる与兵衛の職務を立てるためにわざと捕縛されようとするが、与兵衛の情けによってこの場をひとまず落ち延びると云う筋なのだから、「引窓」の主人公はあくまで濡髪だとしたのです。確かにこの解釈は一理あります。文楽で与兵衛が登場するまでの「引窓」の端場を「欠け椀」と通称するのも、「引窓」を濡髪主体で解釈するからでしょう。

なぜこの端場を「欠け椀」と呼ぶかといえば、それは「申しなんにもお構ひなくとも、欠碗で一杯ぎり。ついたべて帰りましょ」と云う濡髪の台詞から来ています。「欠け椀」とは牢扶持を暗示するもので、この後濡髪が役人に捕縛されるのを覚悟していることを表しています。捕まる前にせめて母親に一目会いたいと思って、濡髪はここに来ているのです。ただし与兵衛が庄屋代官として濡髪探索の仕事を受けることになるとは、この時点の濡髪は知る由もないことです。(この稿つづく)

(R2・5・16)



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