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「歌舞伎素人講釈」観劇断想・4  (平成30年〜)

*観劇随想のうち単発の記事にならない分量の断片をまとめたものです。
記事は上演年代順に並んでいます。


〇平成30年1月歌舞伎座:「箱根霊験誓仇討」

勘九郎の勝五郎・七之助の初花

六代目中村勘九郎(飯沼勝五郎)、二代目中村七之助(女房初花)、六代目片岡愛之助(滝口上野・奴筆助二役)


今回の上演外題は「箱根霊験誓仇討」となっていますが、本来の外題は「箱根霊験仇討」(はこねれいげんいざりのあだうち)で、当節「躄」という語句の差別的な響きが嫌われて外題が変えられたものです。昨今は滅多に掛からなくなりましたが、仇討ち狂言としてその昔は人気があった芝居で、実は主人公が「躄」だということが、この芝居のキーポイントです。業病で脚が不自由になった飯沼勝五郎が妻初花とともに、敵滝口上野を討つために苦難するという話です。最後は初花の犠牲によって箱根霊験の奇蹟が起って勝五郎の足腰が立ち、勝五郎は目出度く本懐を遂げます。

別稿「返り討ち物の論理」で触れましたが、歌舞伎の仇討ち物というのは、実は返り討物とでも呼んだ方がふさわしいくらいのもので、敵を追い求める側(善人側)がどれほどの辛酸を舐めるかが芝居の核心となります。返り討ちするのは、敵だけとは限りません。貧苦や病など悲惨な状況によって敵の探索が困難になること、これも状況による返り討ちだと云えます。だから仇討ち狂言には数限りないバラエティがあるわけです。乞食となって敵を追い求める非人討ちとして有名な「敵討襤褸錦(かたきうちつづれのにしき)」という芝居があります。このなかに「今日の檻縷は明日の錦」という言葉が出て来ます。
状況は彼らをあざ笑うかのように「これでもお前たちは仇討ちを続けるつもりか」と厳しく迫って来ます。襤褸を纏っていても、心は高貴だ、いつかは本懐を遂げて見せると云う気概だけで、彼らはこの苦境を乗り越えようと します。主人公が足腰立たず躄となって敵を追い求める「箱根霊験仇討」も、またそうです。これらが「やつし」のバリエーションであることは、別稿「吉之助流・仇討論・その3」で触れました。

初花が勝五郎の土車を引いて登場するのは、作者が「小栗判官」から思い付いた趣向です。夫婦の出に小栗の狂言に使われる「綱手車」の唄が演奏されるのは、そのためだそうです。説教「おぐり」については、別稿「小栗判官とは何だろうか」で取り上げました。「小栗」は江戸期の庶民に広く知られた話で、芝居でもよく上演されました。餓鬼となった小栗判官を土車に乗せて綱を引いて熊野へ向かう照手姫の姿と、同じく勝五郎を土車に乗せて綱を引く妻初花の姿が自然と重なったものでしょう。観客は、初花に照手姫と同じ聖性を見たのです。初花は敵上野に懸想されており、上野に従うと見せてこれを討とうして逆に殺されますが、初花の一念が箱根権現に通じて遂に勝五郎の足腰が立ちます。云うまでもなく箱根権現は云わずと知れた曽我兄弟を祀る寺社でした。ですから「箱根霊験仇討」の本質は返り討ち物ですが、筋に霊験譚を取り入れたことで、芝居の感触が中世説話の暗さを引きずったように感じられるのが、興味深いところです。この芝居の初演は享和元年(1801)のことで、南北が活躍した文化文政期はすぐそこですから、それほど古い芝居ではないわけですが、やっぱりこれは霊験譚仕立てのせいでしょう。

こういう芝居は、多分、若い世代には感覚的に理解が難しいだろうと思います。勘九郎の勝五郎は真面目に勤めているのだけれど、足腰が立った歓びを表す場面がコミカルに見えてしまいます。勘九郎と七之助の夫婦は感触がサラッとして、芝居の湿った暗さを感じ取りにくいですが、それは前半の、病で足腰の立たぬうえに敵を前にして女房を奪われる口惜しさ・情けなさをじっくり描けていないせいに違いありませんが、多分、それだけではなく、ドラマの組み立てとして、奇蹟で足腰が立ったことの、スカッとした歓喜へ芝居のクライマックスを置きたいと考えているからです。これは気持ちが分からぬことはないですし、人気役者がやることだから観客もこの芝居はこういうものかという感じで受け入れているところがあるけれども、ここは逆でありたいと思います。それは歓喜ではあるのだけれど、苦い歓喜なのです。それは女房の犠牲によって得られたものであって、本来、彼が望んだ形での、女房と一緒に味わいたかった歓喜ではないのです。前半が「やつし」のバリエーションであることが分かれば、勘九郎の演技も変わってくるのではないかと思いますね。

(H30・1・26)


〇平成30年2月歌舞伎座:「一條大蔵譚」

十代目幸四郎襲名の大蔵卿

十代目松本幸四郎(七代目市川染五郎改め)(一條大蔵長成)、五代目中村時蔵(常盤御前)


新・幸四郎の大蔵卿をなかなか面白く見ました。本性に立ち返った大蔵卿の立ち姿が颯爽として、やはり幸四郎の仁にはこういう役が似合うと改めて思いました。今回の弁慶や熊谷だと幸四郎は役の大きさと懸命に格闘している感じがしなくもない(注:悪いと言っているのではなくて、よく頑張っていると言いたいのです)ですが、大蔵卿の場合は、すんなり幸四郎の仁に収まって如何にも無理がありません。だから安心して見ていられます。

ところで大蔵卿に関しては、幸四郎は叔父・吉右衛門から指導を受けたそうですが、昨年7月国立劇場での菊之助の大蔵卿も吉右衛門から指導を受けたとのことでした。別に優劣を付けるつもりも毛頭ないですが、同じ吉右衛門から指導を受けても、これを受け継ぐ役者の仁・或は感性の違いによって、同じはずのものが微妙に異なった様相を呈してくるわけで、興味深いことだなあと思いました。もちろんそれらのどちらも正しいのです。そこに芸の受け渡しの面白さがあるということです。それにしてもふたりの芸の後継者に恵まれた吉右衛門は幸せなことですねえ。

菊之助の大蔵卿は、阿呆と正気とどちらが大蔵卿の本性だか分からないところに、その面白さがあったと思います。時勢に背を向けて阿呆を装う倒錯の様相が表れて、大好きな狂言舞いが自虐的な歓びと同化しているこの点が役の本質を見事に突いたものとしていました。

一方、新・幸四郎の大蔵卿であると、心ならずも時勢に背を向けて阿呆を装う大蔵卿の苦しさが胸を衝きます。もちろん大蔵卿は狂言舞いが好きに違いないのですが、一方で醒めた一面もあって、世を拗ねたポーズを自分が取っていることへの口惜しさ・悲哀というものも大蔵卿はしっかり認識しているのです。自分が阿呆を装うことには彼なりの信念があって、それがあるからこそ自分はこの虚ろな世の中の状況に耐えられるわけです。だからこのポーズを取り続けることは俺にとっても結構辛いんだよというところが、幸四郎の大蔵卿を見るとよく理解できます。

もしかしたら幸四郎の大蔵卿が本心を語る時に「とっとといなしゃませ」などと阿呆を混ぜる瞬間に、或る種の硬さ・ぎこちなさを感じる御方もいらっしゃるかも知れません。しかし、吉之助が思うには、幸四郎の大蔵卿は、この箇所を阿呆と正気のチャンネルを鮮やかに切り替えして見せる場面とするのではなく、まさに自分が演じている阿呆が偽りであること、そうせざるを得ないゆえに自分は本当の自分を生きていないという不本意に必死で耐えていることを、幸四郎はその演技で明確に見せているのです。これも菊之助とは異なる角度から、大蔵卿という役の本質を見事に突いたものだと云えます。このような乖離した演技が出来るところに、八代目・九代目から十代目へと連なる高麗屋の芸の系譜があると云うべきです。乖離については別稿「七段目の虚と実」で九代目幸四郎の由良助について触れましたから、それをお読みいただきたいですが、これならば新・幸四郎が演じる「七段目」の由良助もきっと期待ができると思います。

(H30・2・10)


〇平成30年2月歌舞伎座:「一谷嫩軍記〜熊谷陣屋」

十代目幸四郎襲名の熊谷直実

十代目松本幸四郎(七代目市川染五郎改め)(熊谷直実)、二代目中村魁春(相模)、五代目中村雀右衛門(藤の方)、七代目尾上菊五郎(源義経)


杉贋阿弥は「舞台観察手引草」のなかで「そもそも熊谷の山は、実は出と引っ込みにある、要するに「陣屋」は花道の芝居である」と書いています。このことは大事なことで、九代目団十郎型の「陣屋」は、その他の登場人物も含めて、すべては幕切れの直実の憂い三重の引っ込みの為にあるのです。新・幸四郎の直実は、その花道の引っ込みが、なかなか情感がこもって良いものでした。我が子を失うことの悲嘆が胸に突きささり、無情を悟ろうとしてなお悟り切れぬところが良く出ていましたね。直実の息子の小次郎は十六歳という設定、幸四郎の息子の新・染五郎が十二歳ということでもあり、実年齢としても幸四郎の直実は当然リアリティがあるものになります。今後、幸四郎が直実を演じていく為に、この花道の引っ込みを起点に「陣屋」全体をじっくり掘り下げていくことを期待したいと思います。

多分、その身体付きから来るのですが、幸四郎の直実の引っ込みを見て、吉之助は初代吉右衛門の映画での熊谷が思い出されて、それをとても興味深く思いました。初代吉右衛門は時代物の名手と云われましたが、映像・写真で見ると意外と身体の押し出しが貧弱で、同時代のライバルたちと比べればこの点では劣ると言わざるを得ません。しかし、初代吉右衛門はそれを補って余りある表現力と、時代に対応するセンスがありました。だからこそ名優と云われたわけです。これまでの歴代の「幸四郎」のイメージになかった「線が細いけれども優美で繊細 」な要素を持つ新・幸四郎が未来の時代物の名手になるために、初代吉右衛門がきっと大きなヒントになるはずです。

映画の初代吉右衛門の直実の花道引っ込みは昭和25年(1950)4月東京劇場のもので、つまり終戦から数年も経っていない時期のことでした。役者も観客もすべての人が、何らかの形で身内或いは知り合いを戦争で失った体験を共有していました。だから自然と厭戦気分が強い直実になって来るわけです。初代吉右衛門はそこに時代のリアリティの取っ掛かりを掴んで演じていたのです。幸四郎の直実も、我が子を失うことの悲嘆ということは良く分りました。それはもちろん良い点であるのですが、これを平成の時代の気分とどのように結びつけるか?これはなかなか難しい問題ですが、そこを掘り下げることを今後の課題にしてもらいたいと思います。そうすれば自然と前段の演技も変わってくるに違いありません。

というのは幸四郎の直実は、前段の演技、つまり直実が僧形になるまでに、まだ掘り下げの余地があると思えるからです。幸四郎は、全体の段取りにおいて父・二代目白鸚の型を忠実に写しています。 角々の見得も力感あるところを見せています。そこのところでは手堅いところを見せており、一応の成果を挙げています。これは当然のことで、幸四郎の出発点がそこになければならないのは当たり前です。だから今はこれで良いですが、これからは受け継いだ型を自分の仁に合わせて消化せねばなりません。

吉之助が思うには、二代目白鸚の直実は、女房相模に対しちょっと威丈高に過ぎるようです。人前で涙を決して見せず平気に振舞い、誰もいないところでひとり泣くのを男の美学とする直実のようです。まあそれも分からぬこともないです(昔はそういう男の美学が確かにあった)が、そうすると花道引っ込みの直実の大泣きが白々しく感じられるのですねえ。それならばもうちょっと相模に対して情を見せても良いじゃないのという気になります。一方、新・幸四郎も相模に対して高圧的なところを引き継いでいますが、花道引っ込みにはそこまでの白々しさは感じません。 その点は上手く抑制が出来ています。これは良い点なのですから、これをベースに「陣屋」全体をじっくり掘り下げてもらいたいものです。 特に相模に対する情の表出に留意を願いたい。ヒントは初代吉右衛門の映画に有りと言っておきます。(これについては別稿「熊谷と相模」或いは「幸四郎の熊谷」(この幸四郎は九代目を指す)で詳しく書いたので、ご参照ください。)

(H30・2・13)


〇平成30年2月歌舞伎座:「仮名手本忠臣蔵・七段目」(奇数日)

充実した「七段目」〜二代目白鸚襲名の「七段目」

二代目松本白鸚(九代目松本幸四郎改め)(大星由良助)、十五代目片岡仁左衛門(寺岡平右衛門)、五代目坂東玉三郎(遊女お軽)

(二代目松本白鸚襲名披露狂言)


今回の「七段目」の白鸚(由良助)・仁左衛門(平右衛門)・玉三郎(お軽)での組み合わせは、昭和55年(1980)3月歌舞伎座での当時の若手花形による「忠臣蔵」通し以来のことで、これはもう38年前のことになるのですねえ。もちろん当時の白鸚はまだ六代目染五郎、仁左衛門は孝夫と云いました。白鸚は、この時の由良助が初役であったと思います。今回の38年後の「七段目」では、三人共にあの時の若々しさはそのままに、年相応の芸の成熟を見せており、ふくよかさと情感が増して、同じだけの時間をお付き合いしてきた吉之助にとっても、「長いような短いような歳月だったけど、ホントにお互いみんな成長してきたんだねえ」みたいな感慨が胸に来ました。大げさだなあとお思いでしょう。しかし、吉之助の脳裏に38年前の彼らの舞台が蘇って来るのですよ。彼らが相変わらず若々しいからなのでしょうねえ。

まず襲名の白鸚の由良助のことですが、後半の実事の由良助が良いのは白鸚ならば当然のことですが、今回一段の芸の進境を見せたのが、前半の由良助のやつしの芸です。白鸚の由良助については別稿「七段目の虚と実」で、平成20年2月歌舞伎座での舞台を取り上げました。そこで吉之助が論じたことは、「七段目」の由良助の乖離感覚、すなわち一般的な時代物ではそれで十分説明が出来る虚=忠義の論理・実=人情の図式が、「七段目」では捻じれていると云うことを、白鸚の由良助は実感させるということでした。それから約10年が経って、今回(平成30年2月歌舞伎座)の白鸚の由良助が さらに良くなったのは、乖離の感覚をオブラートで包み込んで、「いなす」形で曲げて出す、そのようなやつしの芸が一段と上手くなったことです。「四段目」の由良助より「七段目」の由良助が難しいと云われるのは、まさにこの点です。これは近年の白鸚が余分な力が抜けて、演技のリアルさが増してきたからこそなせる技です。これは御世辞ではなくて、吉之助がベストと信じて来た初代白鸚つまり御父上の由良助に迫る出来と言って良いです。初代白鸚の由良助は本物の大石内蔵助もこんな人だったのだろうと思わせましたが、当代もまたそうです。

仁左衛門と玉三郎の兄妹コンビも、相変わらず素晴らしい。別稿「誠から出た・みんな嘘」では、平成19年2月歌舞伎座での舞台を取り上げています。平右衛門とお軽のじゃらじゃらが万華鏡のような感覚を見せるのは、期間は短いながら遊廓での虚構の生活のなかでお軽の神経が正常でなくなってしまっていること、だから平右衛門が真剣に語りかけてもお軽はそれを正しく受け取れなくなっていること、 そのために二人の会話はすれ違い、おかしな展開をして行きます。相変わらず華やかなお二人は、そのような兄妹の哀しい状況を、可笑し味を以て教えてくれます。じゃらじゃらは、そのために必要なことなのです。二人のやり取りの愉しさ・華やかさは、38年経っても変わりません。しかし、今回の舞台では歳月が付け加えた深みがあるのは当然のことで、「父さんはお元気、母さんも元気・・」と無邪気に喜んでいるお軽の顔を見詰める平右衛門の悲しそうな目付き、或いは「勘平さんは三十になるやならずに・・」のクドキで見せるお軽の悲嘆に真実味が増しました。その分じゃらじゃらは多少抑えられたところはあるようでしたが、深みが一層増したと言えます。

平成の「七段目」としてまったく申し分ないバランスであり、長く芝居を見てきて良かったとつくづく思うのは、こういう舞台に出会える時ですねえ。これからももっと芝居を見続けていたいという気にさせられます。

(H30・2・5)


○平成30年2月歌舞伎座:「仮名手本忠臣蔵・七段目」(偶数日)

海老蔵の平右衛門、菊之助のお軽

二代目松本白鸚(九代目松本幸四郎改め)(大星由良助)、 十一代目市川海老蔵(寺岡平右衛門)、五代目尾上菊之助(遊女お軽)

(二代目松本白鸚襲名披露狂言)


今月(平成30年2月)歌舞伎座は高麗屋襲名興行ですが、夜の部の「七段目」はダブルキャストが組まれており、奇数日が仁左衛門(平右衛門)と玉三郎(お軽)、偶数日が海老蔵(平右衛門)と菊之助(お軽)となっています。別稿「充実した七段目」では奇数日の舞台を新・白鸚の由良助を含めて記したので、本稿は偶数日について平右衛門とお軽に絞って記すことにします。

ダブルキャストということは観客は仁左玉と比較することに自然となるわけで、やる方も或る種張り合う気概で舞台に臨んで当然ということかと思います。そういう目で見るならば、一応それなりの舞台の成果は挙げているとしても、海老菊の兄妹はちょっと華やかさに欠けるところがあるようです。どこか陰翳を帯びた兄妹と云う印象を受けます。これは「七段目」の主題からすると決して齟齬があるわけではありません。だから実直な感じが して、封建社会に生きて忠義の論理を貫こうとする庶民代表(本来彼らにはそこまで主人に忠義を尽くさなければならないほどの身分ではないのですが、それでも忠義を貫くのが自分たちの人としての責務だと健気に信じているのです)としての誠は尽くせています。それはもちろん良いことですが、それだけだと「七段目」は十分に面白くならないのです。と云うか、「七段目」はもっと面白く出来るのです。そのヒントが仁左玉が演じる兄妹にある別稿「誠から出た・みんな嘘」を参照ください)のですから、良い意味において競ってもらいたいのです。若い彼らよりもベテランの仁左玉の方が華やいで見えるというのでは、これはちょっと困ってしまいます。

それでは仁左玉のどこを学んでどこを改良すべきかということですが、まず海老菊は台詞を意識してもう少し高調子に置く(半音かもう少しピッチを上げる)ことをお勧めしたいです。これだけで、台詞の華やかさがグッと増して 聞こえるはずです。但し書きを付けますが、普通の義太夫狂言ならば吉之助はむしろ低めの調子をお勧めしたいところですが、「七段目」の平右衛門とお軽に限っては高調子をお勧めしたいのです。正確に云えば、由良助の声質とは異なる高めのピッチをお勧めしたいのです。これにより浄瑠璃作者が「七段目」を掛け合い場に設定した意味が明確に出せると考えます。掛け合い場の意図とは、太夫のピッチの交錯、音曲の統一感覚の破壊です。吉之助が平右衛門とお軽の調子を高めに置きたいと考えるのは、そこが目的です。(別稿「七段目の虚と実」を参照ください。)

次に台詞の息の緩急、間合いを意識してもっと大きめに取ることです。そうすれば当然動作にも緩急が付いて来るはずです。海老菊は演技がちょっとインテンポ気味に思われます。だから実直な感じが出るとも云えますが、もっと演技を揺らした方が、「七段目」に回る感覚が出て来ると思います。この感覚が「七段目」に絶対必要なのです。その辺も仁左玉の舞台を見れば分かることかと思います。それが十分出来るならば、海老菊は仁左玉に負けない素材であるのですから、もっと面白い「七段目」に出来ると思いますが。

最後に海老蔵のことですが、茫洋として大きいところのある平右衛門です。そこは海老蔵らしいに違いないですが、大きさが華やかさというところに直結して来ないもどかしさがあります。もう少し演技にくっきり輪郭を付けた方が、持前のオーラが明瞭になり、大きさが生きて来るのではないでしょうか。それでも大きい感じはあるので、海老蔵の平右衛門は何となく時代っぽい印象がします。しかし、平右衛門という役はもっと世話に砕けた方が良くなります。

まず早急に改良すべきところは台詞ですが、もっと言葉を噛んで言うようにして欲しいですねえ。これだけで印象がまったく変わってくると思います。演出家ミヒャエル・ハンぺの本に出て来る話ですが、名バリトン歌手ティト・ゴッビは、スカルピアのような性格的な役柄ではピカイチでしたが、彼は歌唱の言葉を明確にするために、ワイン・コルクを口に咥えて歌を唄う、それで言葉が明瞭に聞き取れるまで徹底的に練習をしたそうです。「台詞には、観客に聞こえなくてはならない単語が二つある、これだけは必ず観客に聞き取れるようにすること」とも、ゴッビは言っています。海老蔵の台詞は、フガフガして肝心なところが明瞭に聴こえない傾向が、このところ強くなっているようです。コルクを口に咥えて台詞を云う練習を、是非お試しいただきたい。どなたか海老蔵さんにお伝えいただけないものでしょうか。

ミヒャエル・ハンぺ:オペラの学校

(H30・2・23)


○平成30年3月歌舞伎座:「滝の白糸」

壱太郎の滝の白糸、松也の欣也

初代中村壱太郎(滝の白糸)、二代目尾上松也(村越欣也)


「滝の白糸」の原作である泉鏡花の小説「義血侠血」(明治29年)との関係については別稿「鏡花とかぶき的心情」で触れたので 特に付け加えることはありませんが、芝居の「滝の白糸」と原作小説とはまったく別物と考えた方が良いでしょう。しかし、世間の鏡花のイメージは「滝の白糸」や「婦系図」・「日本橋」など新派の芝居で作られているところが多いので困りますが、芝居の「滝の白糸」の方は純愛物の悲劇と云うべきだと思います。

危惧した通りでしたが、最後の幕が閉まるところで客席の拍手がちょっとパラパラな感じでした。これは壱太郎(滝の白糸)や松也(村越欣也)のせいではなく、脚本のせいです。原作の設定がもともと奇矯でもあり、これを純愛物に仕立てた芝居の無理も重なって、現代の観客には滝の白糸の心理が理解しがたい かも知れません。観客が 突然ふたりとも自害してしまう結末にどう反応していいか分からず戸惑っている雰囲気が伝わってきました。欣也の言葉を受けて全身に歓びを表して証言を翻す滝の白糸の心情は、「盛綱陣屋」の首実検で甥の自害をきっかけに証言を翻す佐々木盛綱の心情とまったく同じもの、これはまさしくかぶき的心情なのですから、歌舞伎をよく知っている観客はそこを理解の取っ掛かりにすれば良いと思います。

その意味でも本作を初演した喜多村緑郎が裁判所の場面にしょんぼりした様子で登場した三代目翠扇(滝の白糸)にダメを出して、「この時の滝の白糸は口先ひとつで裁判所を騙せると思ってウキウキしてるはずだ よ」と言ったエピソードは、この芝居の勘所だと思います。背中だけで演技を見せるのは大変なことですから、このような心理主義的な場面ではリアリズムから思い切って離れて、時々グッと後ろに身体をねじって決まって見せるような、歌舞伎的手法を使ってみても良かったのではないでしょうかね。確かに最後の裁判所の場面は、 写実的な舞台面では心理的描出が難しく(広い歌舞伎座ならばなおさらのことで)、この点は今回の演出(玉三郎に拠る)でも十分とは云えなかったと思います。どちらかと云えば、 「滝の白糸」は小空間が向きの芝居だと思いますねえ。そういうなかで、壱太郎(滝の白糸)も松也(欣也)もよく頑張っていると思います。 素直な感性で、描くべきものはそれなりに描けていたと思います。台詞が客席によく通るということは、大事なことですね。

(H30・3・8)


○平成30年3月国立劇場:「増補忠臣蔵〜本蔵下屋敷」

四代目鴈治郎の若狭之助

四代目中村鴈治郎(桃井若狭之助)、四代目片岡亀蔵(加古川本蔵)


「本蔵下屋敷」は初代鴈治郎が得意とした演目で、大正から昭和の初めはよく出たものです。しかし、戦後になると上演が極端に少なくなりました。この演目が出来たそもそもの動機は、「仮名手本忠臣蔵・九段目・山科閑居」で命を落とす加古川本蔵が、主人桃井若狭之助の元を辞するのにどういう経緯があったか(そこに大きなドラマがあったであろう)、本蔵が持参する敵高師直館の絵図面を本人は一体どこで手に入れたのか(そんな伝手が どこにあったのか?)、そこら辺りを解明しようと云う興味からだったようです。当然ながらこれは世間の「忠臣蔵」への関心と予備知識を前提とした芝居です。このような人気狂言のスピンオフ・ドラマは他にも 「寺子屋」に対する「松王下屋敷」などと云うのもありますが、戦後の庶民から歌舞伎に発する、そのような精神的土壌が失われてしまうと上演機会が失われていきます。

「仮名手本忠臣蔵」を見ると若狭助は血の気が多く、良く言えば正義漢で一本気、悪く云えば短慮なところが見えます。この欠点を陰で補佐していたのが本蔵であったわけです。「九段目」でこびへつらひしを身の科にお暇を願うて・・」と しか本蔵が述懐していないその経緯は、普通に考えればこれは、本蔵が金品で師直を懐柔したことを快く思わない若狭助が、本蔵のお暇願いを慰留せず冷淡に受け取ったということではないかと思われます。一方、「本蔵下屋敷」での若狭助は、悪臣番左衛門を傍に置いて表面だけ疳癖の強いところを見せて馬鹿殿を装っていたということです。最後に実は本蔵の忠義を感じている情け深い殿さまであったということが分かるという、「一條大蔵卿」と見掛けは全然違いますが、主人公のイメージのどんでん返しということならば同じ趣向です。

だから若狭助の前と後で印象がガラリと変わるところが本作の味噌です。初代鴈治郎が若狭助を得意としたというところからすると、この役のご機嫌な気分が想像できると思います。こういう芝居は理や情で見せるものではなく、パッと明るく決めてみせればそれなりに面白くなるのです。

そこで当代(四代目)鴈治郎の初役での若狭助ですが、後半の、情け深い殿様若狭助の方はまあ良いとして、前半の疳癖が強く、本蔵が師直に贈賄したことに対し憤激極まりなく、本蔵をすぐにでも手討ちにしたい風を強く出して、後半とのイメージの落差を大きく付ける工夫がもう少し欲しいなあと思います。「奥座敷」では足取り忙しなく登場して本蔵を憎々しく睨み付け、すぐにでも手討ちにしたい風を見せる、このくらい疳癖を強調した芝居が欲しいところです。本蔵をやりこめる時の台詞の置き方にも、疳癖を強く見せる工夫が欲しい。いよいよ本蔵を手討ちにすると見せて、身体を返して背後の番左衛門を斬る場面は、この芝居の眼目でここが決まると面白くなります。糸に乗れと云う意味ではなく、ここは竹本のリズムと間合いを思い切って生かしても良い。その辺の工夫が付いて来れば、芝居をもっと面白く出来ると思います。

幕切れで「こりゃ待て、待て」と本蔵を呼び止める台詞は忙しない調子で高く鋭く、一転して「主従は三世じゃぞ」という台詞を甘く引き延ばす、この辺の緩急の押し引きがちょっと臭いくらいで、初代鴈治郎はそこが上手かったのだろうと、そういうことを想像するのですがねえ。このような珍しい芝居を何とか後世に残してもらいたいので鴈治郎には頑張ってもらいたいと思います。

(H30・3・11)


○平成30年4月歌舞伎座:「裏表先代萩」〜「御殿」

五代目時蔵初役の政岡など

五代目中村時蔵(乳人政岡)、七代目尾上菊五郎(仁木弾正)、初代坂東弥十郎(八汐)、九代目坂東彦三郎(荒獅子男之助)他


「裏表先代萩」は時代物の「伽羅先代萩」を基に、鶴千代暗殺のための毒薬を仕込んだ町医者大場道益を殺す悪党小助の筋を絡めて、時代と世話の裏表に仕立てたところが趣向ですが、吉之助の興味は時蔵初役の政岡にあるので、本稿はこれを中心に雑談として記すことにします。時蔵は昭和30年生まれなので吉之助と同じ世代になります。今回の初役の政岡は、これまで積んできたキャリアが伊達ではないところを見せてくれて、嬉しくなりました。情味のある良い政岡に仕上がりました。

平成の女形の嗜好は、玉三郎に代表されるように、どちらかと云えばサラりとした明るく清潔な感触へ傾斜しています。これは時代の嗜好ということでもちろん良い悪いではありませんが、昔の女形が持っていた濃厚な味わい、これをエグ味というと悪く聞こえるかも知れませんが、良い意味に於いて女形の陰翳を思い出させてくれる女形は少なくなりました。時蔵はもちろん平成の女形ですから新しい感触も兼ね備えたところで、祖父三代目時蔵の古風な感触をどこかに引き継ぐ貴重な女形なのです。

政岡について云えば、玉三郎の理性的に制御が効いた政岡(別稿「女形芸のリアリズム」をご参照ください)があり、これはもちろん素晴らしいものですが、これが今後の政岡の 標準になって行くに違いありません。現代の女形である時蔵もその影響を受ける(受けざるを得ない)位置に居ます。

一方、かつて(戦前の昭和のことだからもう80〜90年そこら前のことになります)三代目時蔵や七代目宗十郎が演じた政岡は、「千松、よく死んでくれた、まことに国の礎ぞや」で両手を上げた姿がまるで万歳をしているようで、我が子が見事に死んでくれた倒錯的な歓喜に浸っているように見えて 「痴呆的」な政岡と評されたものでした。これが古風な女形の政岡と云えるものです。三島由紀夫はこのような感触を「クサヤのような味わい」と評して愛しました。(別稿「三島由紀夫の歌舞伎観」を参照のこと)六代目歌右衛門の政岡は、そのような 伝統的な感触を踏まえつつ、近代的感性でこれを処理して、「痴呆的」と批判される寸前で踏みとどまりました。この伝統と現代のせめぎ合いが大事なことになります。六代目歌右衛門の政岡が戦後昭和を代表する政岡であったことは、今更申し上げるまでもありません。

もし当代(五代目)時蔵の政岡が「控えめで、もう少し突っ込んで演じてみても良いのではないか」という不満を呼び起こすとすれば、多分、そこのところなのです。時蔵の祖父譲りの古風な女形の感触がそう思わせるのです。(長年の観客からすると、その再来を期待したい気持ちがある。)一方で、この時代の嗜好も踏まえておかないと観客に受け入れられないですから、そこが難しいわけです。確かに「千松、よく死んでくれた、まことに国の礎ぞや」のクドキは、時蔵の政岡は抑え気味に見えました。ここは玉三郎の政岡の行き方を踏まえるならば、当然こうなるわけです。ここを派手に持っていくことは、現代の感性では躊躇せざるを得ない。これは理解が出来ます。今回は初役のことですから、初役でこれだけの政岡が出来れば十分だと思いますが、今後のことを考えれば、身近なところで六代目歌右衛門の政岡がヒントになるかもと申し上げたいですねえ。大事なことは、伝統と現代とのせめぎ合いです。

弥十郎の八汐は大きな体躯で立役が女形を演じることでの憎々しさは出せてはいます。しかし、政岡への虐めがストレートに過ぎるようです。ここで大事なことは、女形が持つねちっこさ・厭らしさです。立役が女形を演じることでこれらを批評的に表現するのが、八汐の芸の面白さだと思います。「コレ政岡、現在のそなたの子、悲しうはないか」は、「悲しう」のところで政岡の泣きを引っ張り出すように悲しみのトーンで ねちねち煽る、それでいて突き刺した短刀をぐりぐり引き回す、そう云う押しと引きの工夫が必要になります。

菊五郎の床下の仁木は大きさが十分で、じっくりとした引っ込みを堪能させてもらいました。さすが円熟の芸だと思います。彦三郎の男之助は期待しましたが、持前の声の通りの良さにまだ頼っている感じがしますねえ。これは昨年5月歌舞伎座での彦三郎襲名の「対面」の五郎でも同様であったと思いますが、荒事で大事なのは大声を出すことではなく、ひとつひとつの音をしっかり噛むこと。つまりリズムの刻みを前面に出すことで、これで台詞に推進力を付けるのです。良い声を持っているのですから、これが出来れば 必ず彦三郎のものになります。

(H30・4・18)


○平成30年5月歌舞伎座:「弁天娘女男白浪」

菊五郎、五年ぶりの弁天小僧

七代目尾上菊五郎(弁天小僧菊之助)、四代目市川左団次(南郷力丸)、十一代目市川海老蔵(日本駄右衛門)、四代目尾上松緑(忠信利平)、五代目尾上菊之助(赤星十三郎)他


菊五郎が弁天小僧菊之助を演じるのは、歌舞伎座杮落し公演の時の平成25年4月以来、5年ぶりのことです。言うまでもなく菊五郎の最大の当たり役であり(と云うか昭和40年6月東横ホールでの菊五郎 (当時は菊之助)の弁天の登場は戦後歌舞伎の特筆すべき事件のひとつであったとさえ思いますねえ)、もちろん吉之助の弁天のイメージも菊五郎で出来上がっています。しかし、時系列で思い返してみれば菊五郎の弁天も真っ直ぐ一筋道でここまで来たわけではなく、試行錯誤を繰り返して来たと思います。特に吉之助が驚いたのは、平成20年5月歌舞伎座での弁天で、これは重い時代の感触の弁天でした。これはどうしたもんだかなあ・・と思いましたが、ここ2・3年の菊五郎は、どんな役でも余分な力が抜けた自然な演技が素晴らしい。果たして今回(平成30年5月歌舞伎座)の弁天は一時期の重ったるいところが抜けて、かつての世話の軽みを取り戻し、期待通りの仕上がりとなりました。

弁天初演の時(文久2年)に五代目菊五郎は19歳だったわけで、本来の弁天という役には若さが、それも肉体的な若さが必要とされていたと思います。そういうものはもちろん菊五郎75歳の弁天に はもはや望めないものですが、菊五郎は代わりに芸の自在さと云う「若さ」を獲得しています。まさにヘルマン・ヘッセの云う「人は成熟するにつれて若くなる」というところを見せてくれて嬉しくなりました。

ヘルマン・ヘッセ:人は成熟するにつれて若くなる (草思社文庫)

若手役者によるフレッシュな弁天はもちろん魅力的ですが、ベテラン役者の演じる弁天も独特の味わいがするものです。菊五郎の弁天は見顕わしの後からが断然良いです。それはぼってりと厚みのある肉体が醸し出すグロテスクな味わいです。そこに在るはずのないものが、デンとしてそこに在ると云う感覚です。 ひとつは、美しい娘だか美しい男だか見分けの付かぬものが、そこにあるということ。もうひとつは、美しいものという観念がまず在って(女形と云うのは美しいという観念を提示する存在ですから)、眼前に見えている裾をからげでふんぞり返っているグロテスクなものとの観念的なギャップがそこに在ることです。それが世話の軽みを伴って出て来た時、特にいい味わいを醸し出 すのです。菊五郎は台詞の軽く自然なところがとても良いです。まさに世話のお手本と云うところを見せてくれました。

ところが、菊五郎の弁天が素晴らしいにも関わらず、「浜松屋」は舞台全体の出来としては今ひとつです。それは菊五郎がせっかく世話の軽みに回帰しているのに、周囲がその変化に対応出来ていないからです。全体にマンネリ感が漂っています。左団次の南郷は、正体がバレた後の、世話への変化がもっと欲しい。台詞が重ったるいので、弁天との会話のやり取りが浮き立って来ません。海老蔵の駄右衛門は、弁天に対し年齢的なバランスに無理があるのは承知ですが、もっと弁天を押していくところがないと面白くならないのではないか。台詞は粘るし、受けっぱなしの演技では仕方がありません。松也の鳶頭も台詞が七五に割り過ぎで様式的に違和感が強い。芝居のアンサンブルが 、どうもしっくり来ないのです。

「稲瀬川勢揃い」になると、ガッカリ感がさらに強くなります。世話のお手本(菊五郎の弁天)がそこにいるのだから、若手連中はその調子に少しは合わせることをすべきではないでしょうか。これはもちろん座頭である菊五郎にも責任がないわけではないですが、「周囲は関係ない、俺は俺のやりたいようにやるだけさ」みたいな、様式的にバラバラな台詞廻しを聞くと、歌舞伎の将来を想って 暗〜い気分にさせられます 。歌舞伎のアンサンブルと云うことを、少し くらいは考えて欲しいものです。

(H30・5・27)


○平成30年5月歌舞伎座:「六歌仙容彩〜喜撰」

菊之助初役の喜撰

五代目尾上菊之助(喜撰法師)、五代目中村時蔵(祇園のお梶)


「喜撰」の踊りは、若い頃よりも芸に脂気が抜ける頃(五十代以降)の方が似合う踊りだと云うのは確かですが、菊之助40歳での喜撰への挑戦は、随分思い切ったもの だと思います。踊りの方は丁寧に踊っていて、技術的にはそれなりだと思いますが、菊之助の場合は、どちらかと云えば滑稽な印象が優るようです。洒脱な味わいにまで至らないのは致し方ないところです。それは身体から発散されるオーラみたいなものです。 それは菊之助もこれから十何年も踊り込んでいくことで備わって行くものです。当然そんなことは見越しての、今回の挑戦だと思います。

「喜撰」は平安期の六歌仙の世界の喜撰法師が江戸期の下世話な世界にタイムスリップして茶汲み女のお梶(当然小町に見立てられています)と戯れるという趣向の踊りですが、どこか生臭い(つまり助平な)ところもあってそこが面白いわけですが、あまりその要素が強く出過ぎてもいけないので、そこの塩梅が難しい。菊之助の踊りに滑稽な印象が優って見えるのは、身体の若さのイメージ故です。 そういう印象は年を取るにつれ奥に引っ込んで行くものです。

喜撰は平安期の六歌仙の世界の住人ですから、大事なことは「色好み」と云うことです。平安当時の人々の概念では人間の一番高い立派な特性が、色好みということでした。これは「源氏物語」の光源氏を考えてみれば 、よく分かります。逆に云えば、徳のない人がこれをする場合には、色好みに対して、「すき心」とか「すきもの」という語を使ったものでした。昔の日本人は、色好みということは、人情を豊かにして、生活を美しく華やかにするものと考えていました。だから色好みの対象は男女の性愛とは限らないわけで、本来はもののあはれに感応するすべてのものが色好みの対象にな るのです。ですから喜撰法師が色好みであることは、本当はもののあはれに感応する、その徳の高さから来るわけです。

しかし、人生のなかで気持ちが動かされる一番のことと云えばそれは男女のことに違いありませんから、色好みの話題は当然男女のことが多くなって来ます。そんなことから江戸期には漢語の「好色」が当てられて、「色好み=好色」の構図が自然と出来上がって行きますが、本来の色好みは 、好色とは重なるところも多いものだけれども、ぴったり当てはまるわけではないのです。しかし、これは江戸の人々の見方が間違っているということではなく、色好みと好色と、ふたつがダブって見えて しまう。或いは、像がふたつに乖離して見えるということなのです。ですから喜撰法師の性格が好色というところに傾けば、その印象は滑稽の方へ傾き、もののあはれに感応する色好みの方に傾くならば、その印象は洒脱の方へ傾くと考えます。

このことを喜撰の踊りで考えてみれば、「あねさん本所かえ」で男が女の身振りを真似して、上半身が男で下半身が女の心で踊ると云う「ワルミ」の振りも、別の観点から見ることが出来ます。武智鉄二は「伝統演劇の発想」(昭和42年)のなかで、「ワルミ」とは割り身であり、それは腰が入っている状態(農耕生産の伝統的な動き)が根本にあるとしました。「ワルミ」が宝暦・天明期の舞踊の特徴的な動きであるのは、根本に伝統的な(ナンバの)動きを保持しながらも、日常生活では筋肉の動きを内へ取って、エネルギーのロスをできるだけ抑えようとする、当時の消費的な都会生活者(江戸町人)の動作(非ナンバ)を反映するとするのです。つまり「ワルミ」の振りは、上半身と下半身と、ふたつの動きに乖離していると云うことです。この場合、喜撰の消費的な振りが、好色(滑稽)の印象に重なって来ることになります。 印象の乖離を楽しむ余裕が宝暦・天明期の江戸町人の気分であると言っても良いです。

菊之助の喜撰の踊りを見ていると、その辺の、振りの設計図が透けて見えたような気がするのですが、イヤこれは皮肉で言っているのではありません。それだけ振りがしっかり取れているということだと思います。あとは年季だけですね。

(H30・6・3)


○平成30年6月歌舞伎座:「妹背山婦女庭訓」〜御殿

五代目時蔵のお三輪のことなど

五代目中村時蔵(お三輪)、四代目尾上松緑(鱶七)


時蔵のお三輪はニンがぴったりで、素材としてとても良いです。襲名の時(昭和57年6月歌舞伎座)のお三輪も良かったけれど、あの時の初々しさも失われていません。普通の女の子がとんでもないことに巻き込まれて、しかし、まったく本人が預かり知らぬところで、その死が国家の危難を救う奇蹟を起こすと云うのが「妹背山御殿」の筋ですが、その前提条件になるお三輪の恋心の一途さを、時蔵は等身大の感覚で見せてくれま した。等身大感覚ということはとても大事なことで、つまり女性観客がそこに自己を投影できるということだからです。時蔵のお三輪を見ると、そこのところが自然に感得されます。

ただしお三輪の疑着の相と云うのは、ただ嫉妬に怒ったとか、恥を掻かされて怒ったと云う表面的なことではなく、もっと根源的なところから出る「生きることの不条理・理不尽さ」への憤りから来るものです。(別稿「疑着の相を考える」を参照ください)この気持ちが人一倍強いからこそお三輪は「選ばれ」るのです。はっきり云えば、お三輪の意志のあるなし と関係なく、無理やり連れ去られるのです。そこに「御殿」の非情さ、強引さ、つまり時代物の厳しい論理があるのです。

時代物の論理は、これはお三輪が描くものではありません。と云うよりドラマの骨格として考えると「御殿」のなかでのお三輪の存在は、この芝居はホントにお三輪の芝居なのか?と思ってしまうほど弱々しいものです。 これはいわば時代物の論理で以て外側からお三輪を締め付けることによって、はじめて「御殿」はお三輪の芝居となるのです。だから 吉之助は「御殿」のドラマは甲殻類的構造という風にイメージします。お三輪以外の周囲の役者がしっかりしてこそ、芝居は正しく「婦女庭訓」の様相を見せ ます。

問題は今回(平成30年6月歌舞伎座)の舞台が、そのような正しい様相を見せていたかということです。せっかく時蔵のお三輪と云う好配役を得ながら、舞台全体の印象では、残念ながら、そのように見えませんでした。上演時間1時間53分が実に長く感じられます。誰が悪いとかどこが長いとか殊更目立ったところはないけれも、全体にダラダラ〜ッと芝居が流れて行きます。特にいじめ官女が下品 な感じで、見ていていたたまれません。いじめ官女を立役が演るのは歌舞伎らしい工夫ですが、悪乗りが強くなっている気がします。彼女らは確かに欲求不満の意地の悪い女ですが、かりそめにも御殿の官女なのですから、それなりに品位がなくてはならないと思います。これではマズイという意識を役者全体で共有してもらいたいと思います。芝居には、それに相応しい正しい間尺というものがあると思います。結果としてお三輪の悲劇が浮かび上がって来ない。ならばこれは鱶七の芝居なのか?と云うと、そのようにも見えない。一体何の芝居を見たのかなあというのが、芝居を見終わった時の吉之助の気分でした。「御殿」のなかの各場面の間尺が正しく取れていないと感じます。とりあえずいじめ官女の段取りから締め直してみたら如何でしょうか 。

(H30・6・28)


○平成30年6月歌舞伎座:「夏祭浪花鑑」

女武道としてのお辰〜五代目雀右衛門のお辰

五代目雀右衛門(徳兵衛女房お辰) 、五代目中村歌六(釣船三婦)


女武道の成立については別稿「源之助の弁天小僧を想像する」で取り上げました。鬱屈した押さえつけられた気分 、女形という職分はどこかにそうした気分がつきまとうものです。そうした陰鬱な気分を振り払う、華々しいスカッとしたものを、女形は無意識に欲するということです。そうことならば、「夏祭浪花鑑」のお辰など、その典型的な役です。「三婦内」で、主筋の磯之丞をお辰に預けるのを「こなたの顔に色気があるゆえ・・」と言って渋る三婦に対して、お辰が火鉢にかけた熱い鉄弓を取って 右頬にグッと押し当てて火傷を付けて、「これでも色気がござんすか」と見込む場面は、 カッコいい場面です。もちろん「夏祭」は人形浄瑠璃オリジンです。延享2年(1745)の初演ですから、時代的にも歌舞伎の女武道と直接的に関連はしないのですが、「夏祭」が歌舞伎のなかに取り入れられていくなかで、お辰と云う役女武道の発想で段々と練り上げられていったことは疑いのないことです。

磯之丞を連れて三婦内を出る時、お辰が花道で「うちのひと(夫徳兵衛)が好くのはここ(私の顔)じゃない、ここ(私の肚)でござんす」と胸を張って笑うのは、如何にもお辰の気風(きっぷ) を示すもので、演じる女形にはたまらなくスカッとする場面です。悪婆役者であった四代目源之助が得意とした型ですが、この場面は歌舞伎の入れ事なのです。女武道の発想を考えるならば、こういう型が生まれ て来ることも、なるほど必然の流れであったのだと思います。この型が殊更めく(わざとらしい・おおげさな)という批判も一部にはあるそうですが、それを言うならお辰という役自体がそういうものでしょう。ここはスカッと決めてくれないと面白くなりません。だから吉之助は、歌舞伎のお辰という役を女武道の範疇(はんちゅう)において捉えたいと思うのです。

ところで「夏祭」は団七や徳兵衛・三婦など大阪の男の義侠心を描く芝居ですが、これはお辰 ほか女においてもまたそうです。この芝居で分かることは、男のモラルを女が真似する、或いは夫に追随 した形で女房の義侠心があると云うことではなく、女には女の義侠心が確固としてあると云うことです。三婦は「こなたの顔に色気があるゆえ」と云い、お辰のことを所詮 はか弱い女だ、男にほだされれば、なびきかねないと思っているのです。つまり一顧の人間としてお辰を見ていないのです。お辰の自傷行為は、これに反発する、お辰の強い自己主張から発しています。つまりこれは「かぶき的心情」で、男が自己の潔白を主張する為に、指を切ったり・時には腹を切ってしまうのと、質的に同じ行為です。美しい女が自分の顔に傷つけるということは、それくらいの重い行為なのが明らかです。

と云うか、こういう突飛な行為をするということは、お辰は相当気が強い鉄火肌の女なのが分かります。そうするとお辰が角々でいわゆる女形らしい嫋々としたイメージを見せることが却って邪魔になることも考える必要があります。加役になる十七代目勘三郎のお辰が良くて(十八代目のも良かったですね)、真女形の玉三郎のお辰がいまひとつ だったというのも、そこら辺から来ます。だから女形という職分にまとわりつく、鬱屈した押さえつけられた気分を意識した方が、お辰はうまく行く はずです。

雀右衛門は襲名以来、着実に芸境を拡げているのは嬉しいことです。吉之助はいつぞや「梢(石切梶原)のような娘役はもうそろそろ似合わなくなって欲しい」と書いた覚えがありますが、4月御園座で演じた梢も、5月歌舞伎座での「毛抜」の巻絹も、だいぶそんな感じになって来ました。(褒めてるんですがね。)そこで今回(平成30年6月歌舞伎座)の「夏祭」のお辰は初役だそうですが、こじんまり引っ込んだ感じ ではないけれども、まだまだ押し(自己主張)が足らぬようです。真女形の雀右衛門にとっても、玉三郎と同様、お辰はなかなか難しいところがあると思います。

そこでこんなことを考えてもらいたいのです。三婦に「こなたの顔に色気があるゆえ」と云われた時、お辰はムカッとしたと思います。「他の女ならいざ知らず、 選りによってこの私に向かって何て失礼なことを言うのよ、そんなら見せてあげようじゃないの」という気分がなければ、鉄弓を取って自分の顔に火傷を付けるなんてことは、到底できるはずがありません。それは個を無視して、「女」という定型のイメージを一顧の人間に押し付けることに対する憤りです。一方、次元は違えどもまったく同じ要求を強制されている職分こそ歌舞伎の女形なのです。そんな風に考えたら如何でしょうかね。

(H30・6・19)




 

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