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ファム・ファタール神話の崩壊

平成22年7月新橋演舞場:「名月八幡祭」

十代目坂東三津五郎(縮屋新助)、九代目中村福助(芸者美代吉)


1)新助の偏執狂的性格

田舎から出てきた純朴な商人縮屋新助が深川きっての芸者美代吉に騙されて発狂し深川八幡の祭礼の夜に惨劇に及ぶ・・と「名月八幡祭」の筋をひと口で言えばそういうことになると思います。まあ筋としては確かにそうですし、今回の三津五郎の新助・福助の美代吉もその辺はしっかり押さえていて・うまいものです。もちろんそれで十分エンタテイメントになります。しかし、本作は大正7年(1918)8月歌舞伎座で二代目左団次が初演した新歌舞伎です。新歌舞伎というのは社会的視点を含んだ新しい感覚の歌舞伎のことを言います。本作は池田大伍が黙阿弥の「八幡祭小望月賑(はちまんまつりよみやのにぎわい)」を改作したものですが、都会に出てきた純情な田舎者が女に騙されて破滅したというだけならば筋としては昔からよくあるような話で、さほど新しい感覚には思われません。もし本作に新視点を見出すならばどんなところでしょうか。吉之助はそこにこそ作者の意図・左団次の工夫があると思うわけです。本稿ではそのことを考えてみたいと思います。

大詰「深川仲町裏河岸」において町の衆が様子の変な新助を捕まえようとすると・新助はそれを振り払って「江戸っ子が何だ、口先ばかり巧いこと言ったって、みんな銭が欲しさだ」と叫んで、チャリンと小判を落とします。驚いて小判を拾う男たちを見て、新助はヘラヘラと笑います。三津五郎演じる新助はあまりはっきり笑いませんが、ここはもっと嘲笑して欲しいところです。「お前たち(江戸の奴ら)はこれ(小判)が欲しいんだろ、これだけなんだろ」という感じで高笑いしてもらいたいのです。この新助の台詞で分かることは、もちろん新助は美代吉に裏切られたことがきっかけで発狂したのですが、美代吉個人への恨みもさることながら・江戸に対する強烈な僻みがそこに見えることです。

何が原因なのか分かりませんが(作品はそのことを書いてはいません)、田舎者の新助には江戸に対する強烈なコンプレックスがあるようです。それは江戸に対する強い憎しみであると同時に強い憧れが入り混じったもので、それが深川芸者美代吉に重ねられているのです。ですから傍には新助の実直さと見えるものは実は彼の非常な卑屈さであり、傍には新助の真面目さと思われるものは実は彼の非常な偏執さなのです。その原因は彼生来の病的な気質から来るものかも知れず、江戸での商売のなかで何か辱めを受けたせいであったと断定はできません。黙阿弥の原作では妖刀村正の魔力のせいであったりしますが、まあこうした書き換え物は主人公は原作から性格を引き継ぐということもあったりするのであまり深く考える必要はないでしょう。とにかく新助のなかで江戸と美代吉は同じもので、美代吉は江戸の表象であるということをここでは押さえて置きたいと思います。ですから芝居の筋としては新助は美代吉に裏切られて発狂したのですが、実は新助は江戸に裏切られて発狂したのです。そこに本作を考える手掛かりがあります。

作者は作中の台詞のなかでそのような卑屈で偏執的な新助の性格を匂わせる箇所をいくつか書いています。もっとも新助はそれを実直・正直な田舎者の仮面で隠そうとしているので表面に あからさまには出ませんが、それは何気ない台詞の語尾のちょっとした調子の強さに出たりします。そのような箇所がいくつかあるなかでも一番大事な箇所は、美代吉が「いっそ田舎へ引っ込んで・・新助さんの故郷へ行って、一緒に雪でも見て暮らそうかねえ」と何気なく言うと、新助が「姐さん、そりや本当のことでございますか」と言う台詞だと思います。この台詞は語尾を強く押して言わねばなりません。こういう場面に強く反応するのがポイントです。何故ならば新助は美代吉と一緒になることなど夢の夢と諦めており・それが強いコンプレックスになっているのですから、美代吉が例え冗談でも「一緒に暮らして良い」と言ったなら藁にすがる気持ちでそこに喰い付いていくのです。それは銭さえあればこの夢をものにできるという妄想とつながっています。新助にとって江戸がそういう町であるからです。

「姐さん、そりや本当のことでございますか」と新助に押して言われれば、美代吉がウッと詰まるのは当然です。もともとそんなつもりで言ったわけではないのです。美代吉としてみれば「どこか田舎に引っ込んで静かに暮らしたい」と言ったまでのことで、別に新助と夫婦になりたいと言ったつもりなど毛頭ないからです。しかし、真正面から問われたことで美代吉はここでちょっとおかしな返答をしてしまいます。「本当も嘘もありゃしないや。今日の夕方があたしの生死の境目だ。もう分別もありゃしないや。」 この返事をきっかけに結果として新助は自分から穴に転がるように破滅に向かっていきます。この会話はこの芝居のなかで大事な転換点です。ここで肝心なことは新助は「姐さん、そりや本当のことでございますか」を、ここでその返事を聞かずには置かないという感じで強く押して言うこと。その気迫に押されて美代吉はウッと返答に詰まりますが、この時点では美代吉は捨て鉢な気分になっていますから、「本当も嘘もありゃしないや。」を投げやりに言う。この会話はそういう感じでありたいのです。三津五郎の新助・福助の美代吉の会話ではその辺がちょっと弱かったと思いますね。

別稿「左団次劇の様式」で二代目左団次の初演した新歌舞伎作品 群の様式は台詞の語尾を強く詰めること・詠嘆調では言わないということを指摘しました。魚惣内の幕切れで新助が美代吉の乗った舟が去った方向を見やりながら言う「・・・あそこが鉄砲洲、(気を変えて)いい景色でございますな〜あ」と台詞の末尾を三津五郎は詠嘆調で言いますが、あれではまったく黙阿弥ものの幕切れになってしまいます。吉之助は左団次がああ言ったとは思いません。池田大伍がそう書いたとも思いません。このことはこの芝居だけ考えているのでは決して分かりません。左団次劇の様式というものをひと括りにして考えて初めて分かることなのです。これは三津五郎のせいと言うよりも・演出(池田弥三郎)のせいでしょう。ここを詠嘆調で引き伸ばせば「芝居らしい」ということになる・普通はまあそれがパターンですが、そこをわざとしないところが左団次劇なのです。「いい景色でございますな」と語尾を詰めて言うところが左団次劇の様式なのです。この場面は左団次ならば鉄砲洲の方を見てギラリとした凄みを一瞬見せたと思います。そこに見えるものは新助の美代吉への嫉妬か・憎しみか、いずれにしろ歪んだ愛なのです。

(H22・7・24)


2)壊れたファム・ファタール神話

「名月八幡祭」が黙阿弥の「八幡祭小望月賑」の改作であることは先に触れましたが、同じく黙阿弥の影響を強く受けた作品がもうひとつあります。それは三代目河竹新七の書いた「籠釣瓶花街酔醒」です。初演は明治21年(1888)5月千歳座で、初代左団次によって初演され・二代目左団次も当たり役にしたものです。別稿「八つ橋の悲劇」で本作を取り上げました。佐野次郎左衛門を縁切りする場面で花魁八つ橋は「わたしゃつくづくイヤになりんした」と言います。この台詞は八つ橋が「自分という人間が(あるいは女郎である自分が)つくづくイヤになりんした」と言って嘆いているように聞こえるということを書きました。八つ橋はある種の権力の上に立ち・男たちを操ろうとしますが、同時に絶えず苦しみ・自由を求め・あるいは逆におぞましい暴力の犠牲になることを渇望しているのです。縁切り場で八つ橋がやったことは・本人はどう思っていようが、周囲の人間から見るとその状況はバラバラで矛盾しており・ヒステリー症状を呈しています。

別稿「八つ橋の悲劇」は「籠釣瓶」をビゼーの歌劇「カルメン」(1875年)と対照して論じています。カルメンは典型的なファム・ファタール(宿命の女)です。ところでファム・ファタールは男を破滅させる悪女であると巷間よく言われます。表面の筋だけ見るとそういうことになりますが、ドラマツルギーを考えるにはさらに深い考察が必要です。カルメンは生に対して空虚感あるいは倦怠感を感じており、いつもそこから逃げたいと感じています。そのことを一時的でも忘れる方法のひとつは享楽することです。つまり男に寄生して消費・散財することです。それは決して彼女を満たすことはありませんが、その享楽的な性格が男からすると彼女を魅力的に見せます。彼女に寄って来る男達も生に対する空虚感あるいは倦怠感を抱いています。だから彼はカルメンのために散財する時に喜びを感じることができます。つまりお互いに似た者同士の男女が引き合っているのです。カルメンとホセはそのような関係です。しかし、お金がある時は良いですが・お金が尽きた時が縁の切れ目で、そこで悲劇が起きます。

もちろん男が特定の女にのめりこんで破滅する悲劇はいつの時代にもありました。例えば玄宗皇帝と楊貴妃、アントニーとクレオパトラなどがそうです。しかし、19世紀末に改めてファム・ファタールがことさら特別な意味を持ってクローズアップされるのは「男を破滅させる魅力的な悪女」ということがポイントではないのです。彼女の持つ享楽的・消費的な性格こそがポイントです。産業革命後の大量生産経済社会は「楽しまないと生きている感じがしない・消費しないと楽しんでいる感じがしない」という幻想を盛んに振り撒きます。そのような幻想を振り撒くのはマスメディアです。当時であれば新聞・雑誌であり、現代ならばテレビやインターネットもそうです。実は現代でもこのような状況は強まりこそすれ決して弱まってはいません。大衆は絶えず消費を煽られ、享楽に向かわされます。消費していないと生きている心持ちがしないのです。産業革命を経た19世紀末の消費社会にファム・ファタールが改めて象徴的な意味を持って登場します。ビゼーの歌劇「カルメン」(1875)やマスネの歌劇「マノン」(1884)・プッチー二の歌劇「マノン・レスコー」(1893)などはそのような風潮を踏まえて出てきた作品です。同時代の日本に「籠釣瓶花街酔醒」(1888)が登場したことも決して偶然ではありません。これらは19世紀末の全世界的な時代的気質を踏まえています。

その後・20世紀初頭においては映画女優がファム・ファタールの享楽的・消費的な性格を受け継ぐことになります。例えば谷崎潤一郎の「痴人の愛」(大正13年)のヒロインのナオミはファム・ファタールの性格を持っています。小説では彼女の容貌を映画女優のメアリー・ピックフォードに例える場面が繰り返し登場します。これは谷崎が酔狂でそう書いたのではありません。映画女優という職業が持つ消費的享楽的性格を谷崎が正しく感じ取って書いているのです。付け加えれば、それは操り人形のイメージを取る場合もあります。現在連載中の「生きている人形」をご参照ください。

話を深川きっての芸者美代吉のことに戻しますと、深川芸者は辰巳芸者とも言い、意気と張りを看板とし、羽織を引っ掛けて座敷に上がり、男っぽい喋り方をして、芸は売っても色は売らない心意気を自慢としました。辰巳芸者は江戸の粋の象徴と称えられたものでした。つまり、消費都市としての江戸を象徴するのが辰巳芸者です。カルメンや八つ橋と同じように、生に対する空虚感あるいは倦怠感からくる破滅願望を美代吉も感じているでしょうか。それは確かにあります。船頭三次との自堕落な生活、借金に追いまわされる日々。美代吉が「いっそ田舎へ引っ込んで・・新助さんの故郷へ行って、一緒に雪でも見て暮らそうかねえ」と何気なく言うと、新助が「姐さん、そりや本当のことでございますか」と聞きます。ここで美代吉は「本当も嘘もありゃしないや。今日の夕方があたしの生死の境目だ。もう分別もありゃしないや。」と答えてしまいます。この美代吉の返答がドラマを考える時の転換点です。「わたしゃつくづくイヤになりんした」と嘆く八つ橋の心情と確かに同じものがここにあります。そこを新助に付け込まれたのです。

「付け込まれた」と書くのには理由があります。美代吉も日々の生活に空虚感を抱いているのですが、美代吉はそういうことをあまり深刻に考える女ではないのです。薄っぺらですが、普通の女なのです。日々を適当に楽しんでいればそれで良いのです。だから借金に追われて一時的に自暴自棄になって、ちょっとブルーな気分になってみただけということです。その時の気分としては真実で・そこに破滅願望が確かに漂っていますが、しかし、それは美代吉の一時の気まぐれに過ぎず、美代吉自身は自分の置かれた状況をそこまで深刻に悩んでいるわけではありません。新助が「姐さん、そりや本当のことでございますか」と真顔で聞かれて、美代吉はちょっとおかしな返答をしているということを前章で書きました。文脈的には美代吉は新助の質問に正しくイエス・ノーを答えていないからです。美代吉にしてみれば「どこか田舎に引っ込んで静かに暮らしたいねえ」と言ったまでのことです。新助に百両調達してくれれば「有り難い・嬉しい」とは言っていますが、「新助と一緒になりたい」と言ったわけではありません。しかし、新助の方はこれを「百両調達してくれれば有り難い・嬉しい・だから新助と一緒になっても良い」という風に勝手に受け取ったのです。このように我田引水に解される要素がどこにあったのかと言うと、「本当も嘘もありゃしないや」という台詞のなかにある自暴自棄の破滅願望の気分のせいです。一時的なものであれそれは確かに真実である。そこを新助に付け込まれたのです。

「百両調達してくれれば有り難い・嬉しい・ならば新助と一緒に暮らしても良い」という手前勝手な妄想を新助がどうして抱いたのかが問題になります。「こんなことを言うのは美代吉は俺のことを好いているからだ」という風に勝手に思い込んで、突如新助は百両の工面に走り出します。どうしてそんな妄想に陥るのでしょうか。それは新助は美代助のことを「この女は金でものにできる女だ」と考えているからです。つまり店で売っているお人形 のようなものです。別稿「生きている人形・2」でフランス語のMusumeという単語について触れました。美代吉に対する新助の気持ちは、ロティのお菊さんに対する気持ちとほとんど変りません。江戸というのは消費的・享楽的な都市で、金さえあればそういうものを提供してくれる都市であるというのが新助の江戸のイメージです。江戸の華と呼ばれる辰巳芸者の美代吉は新助にとってはそういう存在なのです。それが愛であるかと言えば、確かに愛には違いないでしょうが、ただしそれは歪んだ身勝手な愛なのです。

「名月八幡祭」では窮地に陥った美代吉のもとに藤岡の殿様の粋な計らいで百両が届くので、新助の努力が無駄になって、観客には新助が気の毒に見えるかも知れません。しかし、もし藤岡の殿様の百両がなかったらこのドラマがどうなったか考えてみて欲しいのです。「百両調達してきました・さあ姐さん一緒に暮らしてください」となって、美代助がどう言うかです。有難うハイ一緒に暮らしましょ・・となるでしょうか。そうではなくて、「百両用意してくれれば嬉しいと確かに言いましたよ。でも一緒に暮らしても良いなどと言った覚えはありしゃないよ。お前さん、この美代吉を百両で買おうというのかい。冗談お言いでないよ。」と美代吉が言うのは確実です。傍目から見ればあれはその程度の会話なのです。だから駆けつけた魚惣も抗弁のし様がないので、新助を連れ帰るわけです。生に対して倦怠感を覚え・享楽によってそれを忘れようとする似た者同士の男女が互いに惹かれ合い破滅するというのがファム・ファタールの悲劇の図式であるならば、新助は美代助とそのような関係になりたいと勝手 に妄想して・拒否されて発狂するわけです。しかし、カルメンに対するホセがボロボロにされて地獄に堕ちても・「それでもなおこの女を愛す」と叫ぶ狂おしさがここには決定的に欠けています。だから吉之助が「名月八幡祭」ファム・ファタールの悲劇と見ることは出来ないのです。言うなれば、これは壊れてヒビの入ったファム・ファタール神話です。実はそこが20世紀的な要素なのです。

「籠釣瓶」の次郎左衛門であれば同じく金が先に立っていても立花屋に正式に見受けの申し入れをして・八つ橋本人もまんざらでもないらしい・・という状況のなかでドラマが進行していきますから、縁切り場で恥をかかされた次郎左衛門の気持ちは観客に十分納得できるものになります。しかし、新助の場合にはひとり合点で・自ら望んで悲劇に落ちて行くものとしか言いようがありません。「籠釣瓶」と「名月八幡祭」の違いがそこにあります。付け加えておきますが、これは「名月八幡祭」のドラマの欠陥ということではありません。このドラマを田舎の生産性と・これを食い物にする都市の消費性という収奪構図で考えることももちろんできますが、むしろ作者池田大伍は新助の生の空虚感・虚無感というものを冷静に見詰めていると解釈すべきでしょう。 このことが無人の舞台に満月がボーッと浮かび上がる幕切れに暗示されてなかなか見事なものです。この違いはひとつには「籠釣瓶」(1888)と「名月八幡祭」(1918)という成立時期の違い・わずか30年の差から来るものです。もうひとつは座付狂言作者と外部の作家の視点の違いからくるものです。ですから「名月八幡祭」を見る場合はむしろ同時代の谷崎潤一郎などの関連から見ていった方がよろしいわけです。そこに大正という時代の空気を取り込んで書かれた新歌舞伎の独自の視点があるわけです。

(H22・7・31)


 

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