(TOP)           (戻る)

疑着の相を考える〜五代目玉三郎のお三輪

平成24年1月・ル テアトル銀座:「妹背山婦女庭訓」〜道行・御殿

五代目坂東玉三郎(お三輪)、四代目尾上松緑(鱶七・後に金輪五郎)


1)お三輪は選ばれるべくして「選ばれた」

「妹背山婦女庭訓」のお三輪の件(杉酒屋〜道行〜御殿)ですが、三輪山伝説から来ていることはご存知の通りです。
三輪山は、大神神社(おおみわじんじゃ)の神体山として、古来常人が足を踏み入れることができない神聖な山とされてきました。三輪山伝説は神が姿を変えて女のもとに通うという神婚譚です。謡曲の「三輪」では、やまとの三輪に住む玄賓僧都のもとに、ひとりの女が来て僧都の衣を一枚めぐんでほしいと頼みます。僧都が衣を与えて、女の住みかを聞くと、「わが庵は三輪の山本恋しくば訪(とぶ)らひ来ませ杉立てる門」という歌を詠んで消えます。僧都がそこを訪ねると、神木の杉に衣が掛かっており、金文字で「三つの輪は清く清きぞ唐衣来ると思ふな取ると思はじ」と書かれています。やがて巫女の姿を借りた神霊が現れて、三輪明神にまつわる神代の伝説を物語るというものです。

それにしても烏帽子折園原求女(実は藤原淡海)は何かの意図を以ってお三輪に恋を仕掛けたのか。芝居を見ているとそのような疑問が湧いて来るかも知れません。求女のことを政敵入鹿の妹(橘姫)とお三輪を二股掛けて権力闘争に利用した狡猾な男だということを書いている歌舞伎の解説本もあるようです。まあそういう見方も分からなくはないですが、まずはそういう枠組みをすっ飛ばして・お三輪の純粋一途な恋心だけを感じ取ってもらいたいと思います。このお芝居は三輪山伝説から来ているのですから、求女はその心の感じるままに・つまりある使命を負わされたなかで自然に行動しています。「自然に」ということを「気儘に」ということを同義であると解釈しても良いですが、自分勝手ということではなく、「成るがまま」ということです。意図する・しないに係わらず、その行動は結果的にある必然を帯びることになります。それは求女(実は藤原淡海)がやんごとなき存在(=神と見てもよろしい)であるからです。そのなかでお三輪は選ばれるべくして「選ばれた」のです。その必然を逆から読んではなりません。

ですから金輪五郎に刺されて苦しむお三輪が、「女よろこべ。それでこそ天晴れ高家の北の方。命捨てたる故により、汝が思う御方の手柄となり入鹿を亡ぼす術のひとつ。ホホウ出かしたなあ」と言われて、「有難いもったいない・・」と言いながら死んで行くことを、現実には無駄に死んでしまうのに「北の方」だと持ち上げられて・ただ政治闘争に利用された犠牲者であると読むことほど、ツマラない読み方はありません。お三輪は心底「有難いもったいない・・」と我が身の果報を思いながら死んだと考えなければなりません。然り・・しかし、無残なことやなあ・・・と思うことで時代物の枷(かせ) の意味を初めて感じ取ることが出来るのです。これが時代物を読む時の鉄則です。

2)玉三郎の「道行」のお三輪

今回(平成24年1月)ル テアトル銀座での「妹背山婦女庭訓」の道行・御殿の上演は、平成13年12月歌舞伎座以来11年ぶりであるということで吉之助もちょっと驚いたのですが、坂東玉三郎サイトの今月のコメントに拠れば、玉三郎がお三輪を演じたのは昭和45年8月国立小劇場での上演が最初のことで・その後演舞場・国立劇場でも演じていますが、平成13年12月歌舞伎座までで通算100回を超えたばかりであるとのことです。お三輪は女形にとってとても重要な役のひとつですし、吉之助にとっても玉三郎のお三輪は当たり役というイメージが強かったので、これほど上演回数が少なかったことに意外の感を覚えました。まあこういうことは巡り合わせとか・いろいろな要素が絡むので一概には言えませんが、あるいは玉三郎にとってお三輪は慎重に演じるべき・特に大事な役であるということなのかも知れませんねえ。

11年前の平成13年12月歌舞伎座での玉三郎の「妹背山婦女庭訓」の道行・御殿の舞台は見ましたが、この時の「道行恋苧環」は文楽座出演で全員(勘三郎の求女・福助の橘姫)が人形振りで踊るという形でありましたし、また御殿後半ではお三輪が疑着の相を現す件で本文に沿った演出を試みるなどの興味深い点がありました。(この時の上演については別稿「殺されることで救われる」をご参照ください。)この時の「妹背山道行」人形振り上演の時のことですが、花道に倒れたお三輪が苧環の糸を手繰ってみると、求女の服の裾につけたはずの糸が切れている。これを見て玉三郎のお三輪は大きく肩を震わせます。もちろん人形振りですから表情は無表情です。この場面に鮮烈な印象を覚えました。「疑着の相」を現すお三輪の魔性は、見た目の変化にあるのではなく、その心の内面の変化にあるのです。お三輪が苧環の糸が切れた時に憤るのは、単純に嫉妬からということではなく、恋する自分の気持ちがうまく行くないことへの憤り・これほどに恋しているのに頼みの糸が切れてしまうという理不尽さへの憤りなのです。つまりこれはかぶき的心情です。そして大きく肩を震わせるお三輪の姿には、お三輪の内面に沸沸とたぎっているお三輪の魔性・疑着の相の兆候がはっきりと見られました。これこそ玉三郎が人形振りで意図したものではなかったかと吉之助は思いました。

ひとつには玉三郎の小顔長身の体形が文楽人形に似た風情を醸し出して・お三輪によく似合ったということがあったかも知れません。しかし、それならば他の義太夫狂言でも同じはず。八重垣姫でも雪姫でも何でもそうであるはずなのだけれど、何だか分からないけれども玉三郎にはどの役より芸質的にお三輪が一番よく似合うように吉之助は思いました。他の役であると・悪い言い方になりますが、もうちょっと作り物めいた感じになるようです。お三輪の場合はより素に近い感じです。玉三郎はお三輪の情念をとても素直に等身大で表現できている・そこに現代女性の感性に通じる自然さ・リアリティがあったということかと思います。今回の「御殿」でも官女に甚振られる場面のお三輪のいじらしさはやはり玉三郎ならではのものでした。

今回のル テアトル銀座での「道行」は人形振りではありませんが、そのせいでもあるか・花道に倒れたお三輪が苧環の糸を手繰って怒る場面は世話にあっさりした感じに処理されてしまった感じで・この点は残念でしたが、玉三郎にはお三輪がよく似合うという印象に変わりありませんでした。

3)疑着の相を考える

「御殿」の今回の上演では、官女たちが花道七三までお三輪を運んで行って放り出され、お三輪が立ち上がったところで御殿奥から「婿取り済ませた」の声が聞こえます。そこでお三輪の表情がキッと変わって「あれを聞いては、帰られぬ」となります。これはル テアトル銀座の狭い舞台と斜めの花道をうまく利用したものでしょう。前回(平成13年12月歌舞伎座)よりもお三輪の変化がさらにスピーディになって、玉三郎はいきなり疑着の相の方へ核心を持って行きます。ただし、今回の演出は一長一短で・良し悪しがあるようです。官女たちに恥かかされた憤りが直接的に疑着の相の方へ向かうことが観客によく理解できるということが、まずは良い点であると言えます。そこを評価する方も当然いらっしゃるでしょう。悪い点はこれと裏腹になりますが、お三輪の変化がストレートに過ぎて・心情にしなりがあまり見えない点です。つまり、お三輪は自分がそうなろうとしてそうなるのではなく・内に秘めた心情が表皮を突き破るが如くに・お三輪の意思とは関係なく・否応なしにそのような疑着の相へ変化するということが充分に表出できていないと思われることです。それを表現する為には、それだけの充分な演劇的過程(プロセス)が・すなわち充分な演劇的時間が必要になります。そのやり方は役者によって異なると思いますが、もう少しねっとりと・バロックにやらないと歌舞伎の感触が乏しくなる気がしますねえ。

玉三郎の表情自体は確かに迫力ありましたが、その表情が一気に変化するのではなく、沸々とした心情の煮えたぎりを以って内面から変化することを観客に実感させてもらいたいと思います。このことは・今回の「道行」に遡りますが・花道に倒れたお三輪が苧環の糸を手繰って怒る場面が世話にアッサリした感じに処理されたことにも出ているのであって、先ほど「玉三郎はお三輪の情念をとても素直に等身大で表現できている」と書きましたが、まさにその点がここで一長一短となるわけです。玉三郎は疑着の相を嫉妬や怒りで案外単純に捉えているように思われます。

「疑着の相」とは執着の相のことを言うのですが、どうして執着の相ある女の生血が入鹿の霊力を無くすほどの力を持つのでしょうか。そのことを考えてもらいたいのです。自然の摂理に反して生まれてきた入鹿は魔性の存在です。これを滅ぼすにはこれに対抗する魔性をもって立ち向かわねばそれは叶いません。だとするならば、お三輪の疑着の相というのは、単なる嫉妬や怒りの形相ということではないのです。なにかとんでもない「魔の形相」だと言わねばならないものです。同様なものを例えば「日高川入相花王」の清姫に見ることができます。清姫はそのような形相(蛇体)に変化するまでに川を泳ぎきらねばなりません。それだけの過程と時間が必要なのです。同じことがお三輪にも言えます。お三輪が疑着の相に変化するのは、確かに嫉妬や怒りという強い感情がきっかけです。しかし、それだけならば程度の差があっても誰でも持っている感情であって、お三輪だけが特殊だということではないのです。嫉妬や怒りの感情が疑着の相にまで至るには、お三輪にしかあり得ないもの・もっと強い資質が必要となります。それが嫉妬や怒りの感情を契機にお三輪の姿を内面からジワジワと変えることが実感されなければなりません。だからお三輪が「選ばれた」のです。別稿「やすらえ、花や」で触れましたが、その瞬間に観客に「そのままでをれ。じっとして居よ」と感じさせるものが必要です。その感覚があってこそ歌舞伎なのです。歌舞伎の従来型で花道のお三輪が入れ事で長々しく演技することも、確かにダレて見えることも少なくないようですが、型の創始者の発想は恐らくそこにあったに違いありません。

それは兎も角鱶七(金輪五郎)に刺されてから落ち入るまでの玉三郎のお三輪は、自分の死が恋しい求女の役に立つということを心底「有難いもったいない・・」と我が身の果報を思いながら死ぬという感じがあって、「玉三郎はお三輪の情念をとても素直に等身大で表現できている」ということが、この場面ではその芸質が良い方に出ていると思います。疑着の相から開放されて、ここではお三輪が普通の娘に戻ることが、とても自然に表現できています。

松緑の初役の鱶七(金輪五郎)について触れておきます。小顔の体形がこれもどこか文楽人形を想わせ、なおかつ豪快な荒事味も感じさせてなかなかの出来で感心しました。初役でこれだけ出来ればまあ結構ですが、いちおう注文付けますと・金輪五郎の正体を現す以前の鱶七は太いタッチのなかにも軽い世話の味が欲しいと思うのですねえ。大時代の御殿の舞台に漁師が登場するということ自体が実に奇妙なのです。だから観客が「何でコイツがここにいるんだ?」と思うような・大時代の雰囲気に刺さりこむ違和感が欲しいわけです。台詞をやや一本調子で張り上げ気味にしていますが、台詞を無理に太く取ろうとする必要はありません。むしろ軽さが欲しいのです。鱶七は豪快さを腹に持って演ることが出来ていればそれで十分なのです。小柄であった二代目鴈治郎の何とも素晴らしい鱶七の映像が残っていますから、それなども参考にしてもらいたいと思いますね。

(H24・1・9)



(TOP)          (戻る)