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殺されることで救われる

〜妹背山婦女庭訓・「御殿」をかぶき的心情で読む


1)疑着の相とは

「妹背山婦女庭訓」四段目切「御殿」の場(文楽では「金殿」と言う)は、その複雑かつ作為的な筋立てとスケールの大きさでひときわ異色な作品です。本稿では「御殿」の最後の場面・お三輪が鱶七に刺し殺される場面を中心に考えてみたいと思います。

鱶七(実は藤原淡海の家来で金輪五郎)はなぜお三輪を刺し殺すのでしょうか。このことは鱶七の述懐で明らかになります。年取った蘇我蝦夷には子供がいなかった、そこで占いの博士の進言により白い牝鹿の生血を母親に飲ませてその霊験により男の子を得たのが蘇我入鹿でありました。入鹿が悪の超人的な力を有するのはそのためなのです。この入鹿の悪の力を打ち破るには、爪黒の鹿の血汐と・疑着の相ある女の生血を笛にかけて吹くこと、そうすると入鹿は正体を無くして滅びるのだというのです。そこで鱶七は疑着の相あるお三輪を刺し殺し、その血を笛に注ぐのです。

「疑着の相」というのは執着の相のことを言います。どうして執着の相ある女の生血が入鹿の霊力を無くす力を持つのでしょうか。入鹿のように自然の摂理に反して生まれてきた人間はいわば「魔性」の存在です。これを滅ぼすにはこれに対抗する「魔性」をもって立ち向かわねばそれはかないません。だとすれば、お三輪の「疑着の相」というのは単なる嫉妬や怒りの形相ではありません。なにかとんでもないような「魔の形相」だと言わねばならないでしょう。


2)お三輪のかぶき的心情

三輪の里の杉酒屋の娘お三輪は、烏帽子折りに身をやつしている求女(=じつは藤原淡海)とわりない仲でありました。ところがその求女のもとに夜な夜な通う正体不明の女(じつは入鹿の妹橘姫)がいることを知り、お三輪は激しく嫉妬します。「道行恋苧環」では、この求女をめぐる二人の女の争いがあり、求女の裾につけた糸に手繰り寄せられるようにして、ドラマは「御殿」に流れ込んでいきます。

歌舞伎では、お三輪を嬲り・からかう官女たちは立役から出るので視覚的にも滑稽・グロテスクで、面白いところです。彼女らは世間から遮断された宮廷の生活のなかで、性に飢えて愛の不毛の世界のなかでひからびてしまった女たちです。官女たちは鱶七の男性的な体臭に狂喜しすがりつこうとする(しかし鱶七は相手にしない)一方で、迷い込んできた身分の低い同性の・お三輪には冷酷ないたぶりを仕掛けます。彼女らにとってはこれは単なる憂さ晴らしのつもりでしょうが、同時に、自分たちにおよそ無縁な「愛」というものに胸を焦がしている・若い娘の健康的な性欲に対する強い憎しみが感じられます。この辺りは半ニがうまく描いています。官女たちは鱶七に相手にされなかったので、余計にフラストレーションを感じてお三輪をいびって楽しむのです。

官女たちは散々にお三輪を嬲ったあげくに立ち去りますが、ここでお三輪は「エエ胴欲じゃわいの。男は取られその上にまたこの様に恥かかされ、何とこらえて居られようぞ。思えば思えばつれない男。憎いはこの家の女めに見かえられたが口惜しい」と叫んで、袖を喰い引き裂き、髪を振り出して駆け出します。「エエ妬ましや、腹立ちや、おのれおめおめ寝さそうか」

この時のお三輪の心境ですが、求女をひたすらに恋しいと思う心が、官女たちに散々からかわれて、そのプライドがズタズタにされた悔しさ・怒りで燃え上がっています。ここにおいてお三輪はその形相を「疑着の相」に変えるのです。ここでお三輪が「疑着の相」を現すというのは、これは単なる嫉妬の表情ではありません。歌舞伎でお三輪がかつらをさばき・片肌を脱ぐのは、お三輪の人格が変わったことを意味します。舞台のお三輪は見た目はたいして変化していないように見えるけれども、心は「魔女」か「化け物」に変身していると考えるべきだろうと思います。行く手に立ちふさがる鱶七に「オオそなたも邪魔しに出たのじゃな、そこ退きゃ」と叫ぶお三輪の形相は、目はつり上がり口は裂け、鱶七に喰いつかんばかりの形相だったに違いありません。

謡曲「道成寺」で若い僧・安珍を追って日高川を蛇体に変身して追い、ついには鐘に巻きついて鐘のなかの安珍を焼き殺してしまった庄屋の娘の話を思い出します。ここでのお三輪は、「道成寺」の逸話にも似て、その嫉妬と怒りの心がお三輪をこの世ならざる存在に変身させてしまったものと思えるのです。蛇体にこそ姿を変えてはいないものの、疑着の相を持つお三輪の生血が入鹿の魔力を打ち消す力を持つこともおぼろげに理解されてきます。

「御殿」での官女のいじめは、お三輪のこの形相を引き出すために用意されていたものだったのです。だからこそ、ネチネチと・じっくりと時間を掛けてお三輪はいじめられなければなりません。また、そこにお三輪の哀れさと・それでも求女を恋しいからひたすらに耐えるというマゾヒズムも表出されなければなりません。

そして、お三輪の感情を爆発させるのはやはり「かぶき的心情」です。お三輪は「男は取られその上にまたこの様に恥かかされ、何とこらえて居られようぞ」と叫びます。ここでお三輪は「求女という男を恋する私」の正当な認知を求めているのです。それが否定されただけでなく、このような形でからかわれ・嬲られたことで、お三輪はそのプライド・人間性までもが否定されたのです。「恥かかされて、女のプライドが傷付けられた」ことにお三輪はひたすらに怒っており、その怒りがお三輪を変身させるのです。お三輪の怒りの原点は嫉妬ではなく「 意地」の観念であると思います。

だとすれば、お三輪の怒りの感情は演劇的にそれなりの流れをもって爆発せねばなりません。歌舞伎の普通のお三輪の演技ですと、官女たちに花道に放り出されてから、いったんは「子太郎を呼んで来てこの意趣返しして腹をいる」などの入れ事の科白を言いながらしょぼんとして花道を帰り掛けますが、花道七三で御殿の奥から聞こえる祝言の声を聞いて「あれを聞いては・・・」でお三輪は髪をさばきます。これだと段取りとしては間が空き過ぎで、お三輪が一度は恋を諦めたように見えて、その間にお三輪の怒りの感情が(そして観客の気持ちも)冷えてしまっているように思われます。祝言の声を聞いて「あれを聞いては・・・」で怒りの表情をしたのでは、結局、お三輪の怒りが単なる嫉妬から来るもののようにしか見えないのです。

その点で昨年(平成13年)12月の歌舞伎座での玉三郎のお三輪の型は納得できるものだったと思います。玉三郎のお三輪は、入れ事を省いてしまって、官女たちに胴上げされて投げだされてすぐに髪をさばきます。丸本に近い段取りになってい るわけです。お三輪の怒りの原点が「 意地」であることを、玉三郎は単刀直入に示しました。お三輪の怒りは持続し、祝言の声を聞いてお三輪の怒りはさらに高まり、ついに臨界点に達するのです。


3)殺されることで救われる

「疑着の相」についてさらに考えてみたいと思います。白い牝鹿の生血を飲んだ母親から生まれたのが超人・蘇我入鹿でした。つまり、入鹿は神の摂理を犯すことによって生まれた子供です。「疑着の相」・つまり恋する男に執着する気持ち・お三輪の妄執的な性愛は、「子供を欲しいと切望し・通常の手続きではない手法をとってでもこれを得ようとする気持ち・不毛の愛」とは明らかに反対の性質を持つものです。このことが、お三輪の生血が入鹿の魔力を打ち消す効果に通じるのではないかと想像されるのです。

それゆえお三輪の死は恋する求女・すなわち藤原淡海の役に立ち、鱶七(=金輪五郎)から「女よろこべ。それでこそ天晴れ高家の北の方。命捨てたる故により、汝が思う御方の手柄となり入鹿を亡ぼす術のひとつ。ホホウ出かしたなあ」と称えられることになるのです。

「天晴れ高家の北の方」と呼ばれてもお三輪の未練は満たされるはずがない、そう感じられるかも知れません。たしかに、お三輪の場合は彼女が自ら望んで淡海の犠牲になったわけではありません。お三輪は被害者そのもので、ある意味では政治的に利用されただけに過ぎないように見えるかも知れません。しかし、お三輪は鱶七の「天晴れ高家の北の方」の言葉をあっさりと受け入れます。「のう冥加なや。勿体なや。いかなる縁で賤の女がさうしたお方と暫しでも、枕かはした身の果報、あなたのお為になる事なら、死んでも嬉しい、忝い。」

お三輪は恋する男の役に立つことを信じ、「高家の北の方」と呼ばれることだけで満足して死んでいきます。お三輪は本当にそれだけで満足して死んでいったと私は思います。それは三段目「山の段(吉野川)」において、恋する男を助けるために白刃のもとで観念して目を閉じる雛鳥の姿に照応します。(これについては別稿「ますらおぶりの情緒的形象」を参照ください。)ここにおいて、雛鳥と同様に、お三輪もまた女の道徳・「婦女庭訓」に殉じるわけです。

お三輪は「疑着の相」を現し、いったんは「この世にあらざる魔の存在」に変身するのですが、鱶七に殺されることで救われるとも言えましょう。しかし、半ニはここでお三輪に「高家の北の方」と呼ばれて喜んで死んでいくだけで芝居を終らせてはいません。それだけだとあまりに時代物的に納まりすぎになってしまいます。そうでないから最後のシーンが観客の心に残ると思います。お三輪は最後に元の町娘の性根に戻って、こう言います。

『「・・・とはいふものゝいま一度、どうぞお顔が拝みたい。たとへこの世は縁薄くと、未来は添ふて給はれ」と這ひ廻る手に苧環の「この主様には逢はれぬか、どうぞ尋ねて求女様もう目が見えぬ、なつかしい、恋しや」といひ死にに、思ひの魂の糸切れし。小田巻塚と今の世まで、鳴り響きたる横笛堂の因縁かくと哀れなり』

芝居のなかではお三輪は「高家の北の方」として死んでいくわけですが、お三輪が最後まで恋い慕うのは「求女」であって「淡海」ではなかったのです。お三輪にとって政治なんてどうでもよかったのです。「御殿」の場も時代浄瑠璃ならではのスケールの大きな幕切れを迎え、お三輪の死もそのなかにからめ取られてしまうのですが、このお三輪の最後の場面に杉酒屋の娘の恋心の「真実」が描かれていると思います。まことに近松半ニはお三輪の恋心を大切にして・深い同情を込めてこれを描き切っていると感心させられます。

(追記)

「歌舞伎の雑談」での「妹背山道行について」も併せてご覧下さい。

(H14・2・24)




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