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「暗闇の丑松」の幕切れについて

平成18年6月歌舞伎座:「暗闇の丑松」

九代目松本幸四郎(丑松)、九代目中村福助(お米)


1)長谷川伸の映画的感覚

映画化された文学作品(小説・戯曲)数は長谷川伸が圧倒的に多いそうです。言わゆる股旅物というジャンルになる「沓掛時次郎」・「瞼の母」などは映画だけでなく、大衆演劇・あるいは素人芝居でも盛んに上演されたものでした。長谷川伸は国民的に愛された作家であると言って良いと思います。ところで「一本刀土俵入」や「刺青奇偶」・「暗闇の丑松」と言った作品は長谷川伸が六代目菊五郎のために書き下ろした新歌舞伎作品でした。長谷川伸は自分の作品を六代目が演じてくれるのが嬉しくてたまらず、六代目が自分の戯曲をどう料理してくれるか・勝負のつもりで書いたということです。

『さすがに六代目だと感心することが多いのですが、そのひとつは「一本刀土俵入」序幕の第二番の利根川べりの開きに角兵衛獅子を出したこと。これには負けたと思いました。あの角兵衛獅子が出ているために利根川の川幅があらわせるのです。この工夫はうまいものです。後に私が六代目にこのことを話すと、六代目はすぐには返事しなかったが、「そりや、そうよ」と得意そうに答えました。思うに六代目は、川幅を出すための工夫とはっきりした意識を持っていたわけではなかったらしい。ところが私に言われて、アッと気が付いた。が、そこは役者、「そりゃ、そうよ」という返事になったらしい。私はそう釈っているのですが、しかし、この辺のイキというものは六代目と言う役者は一分の隙がなかった。偉い役者でしたね。』(長谷川伸談話:「一本刀土俵入」いろいろ話・「演劇界」・昭和32年11月号)

作者の実感がよく出ている談話です。と同時に・この談話から六代目菊五郎と・長谷川伸の写実の感覚の微妙な違いがよく分かります。もちろんどちらが良いとか正しいとかと言うことではありません。生世話の写実も・映画の写実も・リアリズムには違いありません。しかし、どこか微妙に感覚が違います。このことは長谷川伸の芝居を考える時の大きなヒントです。六代目菊五郎の写実はやはり黙阿弥の生世話から発するところの舞台感覚であって、主役登場までの雰囲気作りが目的です。長谷川伸の写実はどちらかと言えば 映画的感覚で、角兵衛獅子が出てきた時に目前にパァーッと利根川の向こう岸までが見えてくるパノラマ感覚なのです。

現行の「暗闇の丑松」の舞台はほぼ六代目菊五郎の演出(昭和9年6月東京劇場)で固まっています。例えば序幕・鳥越の二階から丑松とお米が逃げる幕切れでは屋根の上に立った丑松がお米を抱いて右手で下を指して静止してきまる形が六代目菊五郎の型です。しかし、長谷川伸はこの場面をセリで上げることを想定して脚本を書いたようです。昭和29年6月歌舞伎座で二代目松緑と現芝翫が共に初役で演じた時には・作者のたっての希望で、ふたりが屋根にいる時にセリが上がり・ふたりは見つけた梯子を使って屋根から本舞台に下り・そのまま花道から揚幕へ駆け入るという幕切れを見せました。このセリの使い方は映画的な発想です。いつもはカットされてしまう序幕第2場・丑松とお熊が言い争う「階下の場」も・セリの使用によるスピーディな舞台転換で見せることを作者は想定していたことが分ります。

長谷川伸の芝居が映画的であるということには根拠があります。実際、長谷川伸は映画好きで・アイデアを映画から取り入れることがしばしばあったからです。映画監督の稲垣浩氏がこんな思い出話をしています。

『戦後のある日先生に、アメリカ映画の「シェーン」は「沓掛時次郎」の焼き直しではないですかと話したことがあった。先生の答えは「あれは上手に作ってあるね」だった。抗議してはどうですかと言ったら、「なあにこっちも「紐育の波止場」にヒントを得て「刺青奇偶」を作ったのだからお会いコさ」と笑い飛ばされた。」(稲垣浩:「長谷川先生に学ぶ」・長谷川伸全集月報9)

「暗闇の丑松」の舞台を見ても、映画的であるなあと感じる場面がいくつかあります。例えば大詰「相生町の湯釜前」の場面です。普通に考えれば「湯殿の長兵衛」よろしく丑松が四郎兵衛に恨みの言葉を投げつけ・派手に風呂場で殺しの立ち廻りを見せた方が歌舞伎らしくて効果的なのです。ところが、そこを敢えてしないのが長谷川伸です。凄惨な殺しは舞台裏で丑松がやったことにして・周囲の人間の舞台表の騒ぎのなかで殺しを表現してしまいます。場面作りとして・なかなか巧いなあと思いますねえ。(あるいは六代目菊五郎の仕どころを敢えて封じたということか。)結果として当時の菊五郎劇団の芸達者な脇役たちを生かしているわけです。

序幕「浅草鳥越の二階」でも・丑松が登場すると「階下でふたり(お熊と浪人)を殺しちまった」と言わせて済ませてしまって・殺しの場面を芝居で描いていません。まあ、殺しの背景は大体察しがつくわけでして・はっきり言えばどうせ大したことでないのです。丑松が「不幸な奴・ついてない奴」ということが観客に感じられればそれで十分なのであって、その不幸がどういう原因から来てるのかということに作者はあまり関心がない。その辺は行間のニュアンスに任せて・役者の工夫を待つというところがあるようです。


2)六代目菊五郎演出の工夫

「新歌舞伎というのはどこが歌舞伎なんでしょうか・何だか歌舞伎の名を借りた普通のお芝居に見えますが・・」というご質問を頂くことがあります。吉之助はこういう時には「歌舞伎役者が演る芝居はみんな歌舞伎なんです」と答えることにしています。これは別に答えをはぐらかしているつもりはないのです。「新歌舞伎」と呼ぶからにはどこかに歌舞伎たる何ものかがあるはずです。ひとつには吉之助が日頃言っていますように「かぶき的心情」という視点から新歌舞伎を見るという次元があり得ます(これについては別稿「新歌舞伎のなかのかぶき的心情」をご参照ください)が、劇様式的に見ると「新歌舞伎」は新劇と大して違いはないということは確かに言えそうです。作者の近代的感性が作品に反映するのは当然のことですし、それを殺して擬古典的な作品を書こうとするなら・そのこと自体に無理が生じます。だから新歌舞伎を歌舞伎の感触にするのはやはり役者の味ということになるでしょう。

「暗闇の丑松」の場合で言えば、どういうところに六代目菊五郎の歌舞伎の味を加えた工夫があるでしょうか。全体を生世話の感覚で処理しているということも確かにあるわけですが、劇様式的に見れば・それは各場の幕切れに明確に現われています。

例えば序幕・鳥越の二階から丑松とお米が逃げる幕切れでは屋根の上に立った丑松がお米を抱いて右手で下を指してきまります。幕切れを絵面の形にしてこれを様式的に納めようとする意識が見えます。(注:別稿「長谷川伸作品のヒロインたち」に六代目菊五郎のこの場面の写真がアップしてあります。)あるいは「相生町の湯釜前」で四郎兵衛を殺した後にこの場を逃げさる丑松の花道の引っ込みです。これは明らかに「夏祭浪花鑑・長町裏」で義父義平次を殺した後の団七九郎兵衛の花道引っ込みを連想させます。もちろん「夏祭」のようなドラマティックな引っ込みではないですが、丑松の引っ込みもこれを様式的に納めて・歌舞伎らしい幕切れにしようという意識が見えます。

その一方で演出家と作品との格闘ということになれば、そこに取り落とした(あるいは切り捨てた)ものも見えてきます。序幕で言えば、丑松とお熊が言い争う第2場「階下の場」をカットしたことです。これは六代目菊五郎がセリを使って映画的な処理になるのを嫌ったから結果的にそうなったのでしょう。逆に言えば序幕の幕切れを絵面の形で歌舞伎的に終わらせることに六代目菊五郎はその位こだわったということかと思います。

まあ、序幕幕切れのことはどちらでも良かろうと思います。そう大きい問題だとは吉之助も思いません。しかし、大詰:相生町の湯釜前・幕切れの処理については六代目菊五郎が作品から取りこぼしたものは結構大きかったように思います。問題のひとつはこの後に続く「金子道場の場」をカットして・大詰「相生町の湯釜前」の丑松の花道の引っ込みで幕にしてしまって・この芝居のクライマックスが四郎兵衛殺しであるかのような印象を作ってしまったことです。ふたつめは、そのために芝居を丑松の復讐譚にしてしまって・丑松のお米に対する心情面の表出が弱くなったと思えることです。


3)六代目菊五郎演出の問題点

「暗闇の丑松」を見ると、丑松を次第に心理的に追い込んで・丑松が兄貴分の四郎兵衛を殺す必然を積み上げていく過程を・この芝居は厳密に採ってないように感じられます。丑松に焦点を絞った 復讐劇として見るとカタルシスがいまひとつである。ここら辺が主役を演じる六代目菊五郎からすると、頭が痛いところになります。つまり主人公丑松を演じる役者からすると・主人公を次第に追い込み・積もり積もった鬱憤をついに爆発させるという段取りが脚本に弱いように思われて、六代目菊五郎はその点に不満を感じたことは察しができます。

「湯釜前」の花道の引っ込みでドラマチックに芝居を締めて・この後の「金子道場の場」をカットしてしまったことに六代目菊五郎の意図がよく現れています。なにしろ「金子道場の場」は道場に逃げ込んだ丑松が金子市之丞とのやり取りをして去った後・市之丞ひとりぽつねんとしたまま寂しく終わるのです。

(市之丞)「・・まだ居たのか」
(丑松)「へえ、先生にどうやら難儀がかかりそうな気がしたもんですから、出足が鈍ってそこに突っ伏してました。それに又、もうひとつ、心をひかれることがありまして。」
(市之丞)「何に心がひかれたんだ。」
(丑松)「先生のお顔がねえ。」
(市之丞)「俺の面が、どうして。」
(丑松)「先生に、妹さんはありませんでしたか。」
(市之丞)「あったよ。と言っても昔だ。俺は話に聞いたばかりよ。里っ子にやってそのまんまになったとやらだ。」
(丑松)「もしや、妹さんの名はお米といやしませんか。」
(市之丞)「お米ってのがお前の死んだ女房か。」
(丑松)「今年二十三になった女です。」
(市之丞)「何を夢を描いてるんだ。行けよ、うるせえやな。」
(丑松)「じゃあ、やっぱり俺の妄想だったか。さようなら、有難うござんした先生、お恩は決して忘れません。」
(市之丞)「(ひとつところを見つめていたが急に)おい、お前の女房はどこに埋めてあるんだ。おい・・おい・・・もう行ってしまいやがったか、まあ、いいや。・・・(酒の栓を抜いて飲んで・飲み止めて)・・・おい。」
(急に引窓の上に声を掛け・返事を待つ。が、何も聞こえない。どことなくジッと見つめている。夜警の柝の音が聞こえてきた。犬が吠え出した。捕り物の声が遠くの方で。)(幕)

「金子道場の場」はこの芝居は題材を天保六歌撰に採っていることを示しています(市之丞も丑松も天保六歌撰の人物です)ので・それでなければ主人公は別に「暗闇の丑松」の名前でなくても良いわけですから・そういう意味でも重要なのですが、もうひとつ、ここで何だかシンミリとして・ピアニシモで締めるような・芝居の幕切れとしては何だか寂しいのが・おそらくは作者長谷川伸からしてみれば味噌なのです。逆に主役を演じる六代目菊五郎からするとここが何だか不満に感じるところです。自分の役が悪くなるような・舞台感覚から言えばそういう感じになるのかも知れません。

六代目菊五郎が「暗闇の丑松」を「湯釜前」の丑松の花道引っ込みで締めて・その後の「金子道場の場」をカットしたことの最大の問題点は、芝居を丑松の復讐譚にしてしまったこと です。つまり、兄貴分四郎兵衛・お今の夫婦を殺したことで・「お米よ、お前の仇(かたき)は俺がとったぜ」で幕になる芝居にしてしまったことです。そうすると何だかお米の哀れさのことが飛んでしまって・丑松の悲惨さだけが浮いてくる感じがします。

「暗闇の丑松」の現行の舞台を見ると「湯釜前」の丑松の花道引っ込みの後・なんだか後の場が続くような中途半端な気分が残ります。事実この後に原作では「金子道場の場」が続くのですからこの気分は正しかったわけです。現行の幕切れでは丑松も・お米も救われない気持ちになります。まあ、題名が「暗闇の丑松」なんだからこんなもんですかね。しかし、芝居を見終わって、あんまりいい気分にならないじゃありませんか。


4)「金子道場の場」の重要性

ところが原作を読む限りでは・丑松のドラマの核心は四郎兵衛殺しにはないのです。もちろん丑松は四郎兵衛を殺す目的で江戸相生町に現われるのですが、作者が意図したドラマのなかでは四郎兵衛殺しは重要ではないのです。だから作者は四郎兵衛殺しは舞台裏で行われたことにして・芝居では出さないのです。核心は舞台上で行われるお今殺しの方にあります。

舞台を見ても分ることですが・当初は丑松はお今を殺すつもりはなかったのでして・四郎兵衛だけを殺すつもりで四郎兵衛宅を訪れるのです。お今からは四郎兵衛の行方を聞けばそれで良かったのです。事実四郎兵衛が湯に行ったと聞いて丑松はそちらへ行こうとします。ところがお今が丑松のただならぬ気配にたじろぎ・丑松に媚態を示してその場を切り抜けようとするので、丑松がカッと来るのです。

(丑松)「(お今の絡む手を振り払い)姉さんお前、俺が怖くなって、その手で助かる心算になったね。」(お今)「え。(看破されたので怖気が強くついた。)」(丑松)「俺には分った、ちゃんと今こそ判った。女ってものの心はそうなんだろう。亭主を助けたい、うぬも助かりたいで、怖え男に体を投げ出す・・お米もやっぱりこの伝(でん)だったんだ。(後ろ向きにお今を引き倒し、匕首でひと突きにした。)俺あ。そこが憎いんだよ。女のその心持ちが憎い。悲しい、ああたまらねえ。姉さんもそうだった、お米だってそうだったんだからなあ。」(四郎兵衛家の場)

殺すつもりのなかったお今を殺してしまった時の丑松のたまらない心情こそが「暗闇の丑松」の芝居の核心です。「一本刀土俵入」や「刺青奇偶」もそうですが、長谷川伸作品すべての通じる聖母(マドンナ)信仰みたいなものがそこにあります。丑松の心のなかにある聖母信仰が汚されてしまうことがもう「たまらない」わけです。

そう考えるとお今殺しの後の「湯釜前」の四郎兵衛殺しは丑松は決められた殺しの段取りを決められたように取っているに過ぎないのです。また「金子道場の場」が付け足しの場ではなく・エピローグとして重要な場であることも・そう考えれば理解ができます。

(丑松)「先生、(自分が逃げまわっているのは)あっしはただ命が惜しいのじゃねえ。あっしの手で不運な目にあって死んだ女房の墓を建ててやりてえんです。あいつは身寄りが一人もねえんだから、あっしの他に、香華を手向ける者はねえんです。」
(市之丞)「 どんな女だったか知らねえが、手前、見かけによらねえいい亭主だったと見える。」
(丑松)「あっしはつまらねえ男ですが、女房はいい奴でした。自分の体にどっぷり黒いシミをつけられても、あっしの無事を願っていてくれたんでさ。」
(市之丞)「涙ぐむなよ。人間世間は考えものだぜ。お前は泣きの涙の一生と自分では思っているらしいが、幸せなところもあるさ。そんな気立ての女が女房になってたってのが大の幸せ。短かったろうが果報者よ。」
(「金子道場の場」)

原作では「金子道場の場」の幕切れでお米の清らかなイメージを残り香のように観客の心のなかに残して幕にすることが明らかに意図されています。主役とすれば・最後は高揚した気分で自分自身で舞台を締めたい気持ちはよく分かります。 六代目演出の幕切れにはいつも自分が真ん中にいたい・菊五郎のお山の大将的な性格が出ているわけです。だから菊五郎が「湯釜前」の丑松の花道引っ込みで幕にして・「金子道場の場」をカットしてしまった意図は理解できなくはないですが、しかし、丑松が一番大事であった者の印象だけをその場に残して・主役は舞台からサッと身を引いてしまうようなさりげない幕切れが本来のものなのです。これでこそお米も浮かばれるというものです。現行の幕切れでは観客にとっても救いがないと思います。


5)幸四郎の丑松

そこで今回・平成18年6月歌舞伎座での幸四郎による「暗闇の丑松」のことです。序幕の幕切れでは・幸四郎は六代目菊五郎の演出を採用していません。幸四郎の丑松はお米を抱いて隣の家の屋根へ移り・観客席に背を向けながら暗闇のなかへ静かに消えていきます。セリを使わない形での・別の意味で映画的な幕切れとでも言いましょうか。ふたりの行く手の暗い運命を予感させるこの幕切れもなかなか悪くないと吉之助は思います。六代目の幕切れはそれは歌舞伎らしい発想で・もちろん結構なものですが、幸四郎のような行き方を長谷川伸の芝居は否定するものではありません。

幸四郎の丑松の・幸四郎らしいところは、四郎兵衛宅においてお今に媚態を投げかけられた時のニヒルな冷笑によく現われています。聖女幻想が破られて・絶望に駆られた丑松の気持ちがよく出ています。ならば幸四郎の「暗闇の丑松」では「金子道場の場」での幕切れを是非見たかったという気がしますが、お芝居はいつも通り「湯釜前」の丑松の花道引っ込みで終わりでありました。部分的な手直しだけで終わり・六代目演出を全面的に見直すところまでは行かず、「暗闇の丑松」を見て感じる中途切れの感覚はやはり残ったままでした。

いずれにせよ「暗闇の丑松」においては六代目演出が絶対的なものではなく、作品視点から見れば・その演出にまだ大いに改良の余地があるということは考えてみて良いと思うのです。特に「金子道場」の場は是非復活してもらいたいと思います。こういう改良を試すことのできる役者(ひと)は幸四郎さんしかいないと思いますが、次回は是非そこのところお願いしたいところです。

(H18・6・23)

(参考文献)

佐藤忠男:長谷川伸論―義理人情とはなにか (岩波現代文庫)


 

 

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