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吉之助の雑談42(令和4年7月〜12月)


〇令和4年9月歌舞伎座:「仮名手本忠臣蔵・七段目」・その3

役の印象(イメージ)は、それを演じる役者によって、微妙に色合いを変えるものです。お軽は、山崎の田舎から祇園町に来て、多分まだ二ヶ月か三ヶ月くらいしか経っていません。玉三郎がお軽を演れば、普通の奥さんだったのが短い期間でもう色街の水にすっかり慣れてしまった女の哀しさみたいなものを思いますねえ。雀右衛門が演れば、色街にまだ馴染んでいない初心(うぶ)な雰囲気になる、そこにお軽の寂しさが見える、そんな感じでしょうか。どちらかと云えば、パッと華やかな遊女の虚よりも、しっとりとした人妻の実(じつ)の方に傾いた印象がしますが、これは雀右衛門の持ち味(ニン)であるからそれで良いですが、そこからどんなお軽像を作り上げるかです。

雀右衛門の場合、ここはやはり夫勘平を失ったことの深い悲しみから逆算して構築していかねばならないでしょう。雀右衛門のお軽は、やっていることは正しいです。しかし、もう少し夫を失った悲しみがツーンと胸に来て欲しいですねえ。そこにお軽の実があるのですから、実を際立たせるために、もう少し虚の要素が欲しい。つまりその前の・お軽が夫の死を知るまでの段取りにもう少し工夫が必要だと云うことなのです。そこが雀右衛門の課題(お軽だけに限りません)です。しかし、それはもちろんお軽独りだけでは出来ません。それには平右衛門の協力が不可欠です。平右衛門の方から状況をガチャガチャ掻き回しに掛からねばなりません。そこで海老蔵の平右衛門が問題になって来るわけです。

海老蔵の平右衛門は、4年前・平成30年・2018・12月歌舞伎座での上演(この時のお軽は菊之助)以来になりますが、その時とあまり変わらぬ(はっきり言えば進歩していない)印象の平右衛門ですねえ。確かに茫洋とした大きさはあります。しかし、その大きさが華やかさに直結して来ない。だから何となく重ったるい・もっさりとした平右衛門です。これだと色合いが暗めの雀右衛門のお軽にいまいちフィットしないのだな。ストレート一辺倒の単純人間でも良いから、平右衛門にもっと熱く急くところがあれば良いのですがね。そうすると割り切れた感じの仁左衛門の由良助にもフィットすると思うのですが、この辺は仁左衛門さんから何か良いアドバイスがもらえなかったのでしょうか。

今回(令和4年9月歌舞伎座)の平右衛門に関しては、巷間聞くところでは、「声が小さくて台詞が聞き取れない」という感想がとりわけ多いようです。海老蔵の発声の課題については、吉之助は本サイトでもう十年来繰り返し書いて来ましたから、今更驚くほどのことはありません。吉之助の見た日には、最初の出の三人侍の時には意外と声が通っていました。しかし、まあここは自分のペースでしゃべっていてもいい場面で、二度目の出のお軽との掛け合いになると、相手に合わせないといけないから、もう声が通っていない。突如声が出たり・出なかったりするのは、これは喉の置き方が分かっていないからです。「海老蔵での最後の舞台」がこんな感じで終わることになるのは、ちょっと残念ですね。

と云うわけで、今回の「七段目」は、由良助・お軽・平右衛門それぞれ三様に課題があって・芸が互いに噛み合わぬ、もどかしい舞台でありましたね。

(R4・9・29)


〇令和4年9月歌舞伎座:「仮名手本忠臣蔵・七段目」・その2

名作と云うのは、いろんな解釈の余地を持つものです。七段目の由良助だって、こうやるのが正解だなんて、絶対的な解釈があろうはずはありません。それはそうですけれど、歌舞伎のなかで、「七段目の由良助は、四段目の由良助よりもはるかに難しい」と長年云われてきたことは、重い事実です。それはつまり、四段目の由良助は忠義一点張りでもなんとか為る、しかし七段目の由良助のなかの虚と実をどのように描き分けるか、そこがなかなか難しいということなのです。

そこで今回(令和4年9月歌舞伎座)の仁左衛門の由良助、東京では13年振りと云うことになる由良助のことです。仁左衛門の由良助については、吉之助も長く見て来て、虚と実のバランス配合がなかなか上手い由良助だと云う印象を持っていましたが、近年ちょっと変わって来た気がしますねえ。前回(3年前・令和元年・2019・12月京都南座)の由良助を見ましたが、虚と実をはっきり切り分けたやり方になっていました。このため理に付いた由良助、「俺は思う所あって酔った振りをしているのだよ」と云う印象の由良助になっていたと思います。今回の由良助を見ると、前回よりも、さらに虚と実のコントラストを明確に付けたものに仕上がっています。

今回の舞台で云えば、例えば三人侍の件(ここはいつも通りの出来)が終わって・力弥が手紙を持って茶屋にやって来る、そこで立ち上がった由良助が花道七三へ向かう、この時の由良助の表情は酔いが冷めて、完全に素に戻っています。目付きも鋭い。力弥に向けての台詞も、ビシッとして甘いところを全然見せない口調です。「祇園町を過ぎてから急げよ」は、命令口調の冷たい感じに聞こえました。前回の顔見世の時はここまで醒めた感じではなかったけどなあと、吉之助はちょっと驚きましたよ。おかげで、見ている吉之助はホンワカ気分がすっ飛んでしまいました。この後に、九太夫との蛸肴の件が来ますが、もうホンワカ気分は戻りません。九太夫の前で、由良助が心にもないおふざけをしていることが明らかです。蛸肴を喰わされたのは、さぞや辛かったでしょうねえ。お軽とのジャラジャラも、彼女を殺すつもりで身請けの話しをする由良助の苦しさがよく分かる、そう云うメリットはあるかも知れませんね。これを底を割っていると見るか、由良助の苦渋に焦点を当てたと見るかです。今回の仁左衛門さんの、虚実を鮮やかに切り分けた由良助の意図は、そこにあるのですかねえ。

幕切れ近くで九太夫を打ち据えて言う「獅子身中の蟲とは・・」の長台詞は、なかなか見事です。そこはさすが仁左衛門です。まあ七段目も何度も見慣れてくれば、「由良助は口ではああ言ってるけど・本心は仇討ちで決まってるんだよ」という芝居に違いありませんから、仁左衛門の由良助は、その意味で「割り切れている」ということですね。「由良助の内心の苦しさがよく分かる」と仰るお客も多いことでしょう。しかし、それでは現代演劇の視点と何ら変わりないと思いますがね。歌舞伎の、和事の由良助にはならないと思います。人形浄瑠璃の「七段目」の由良助は、当時の人気役者であった初代沢村宗十郎が延享四年(1747・つまり竹本座での「忠臣蔵」初演の前年)に京都で粂太郎座で演じて評判を取った歌舞伎「大矢数四十七本」の大岸宮内の茶屋場遊びをモデルにして作られたと言われています。そこで歌舞伎の口伝で「七段目の由良助は、四段目の由良助よりもはるかに難しい」と長年云われてきた事実をどう考えるかだと思います。(別稿「誠から出た・みんな嘘」をご参照ください。)「割り切ってしまえば」、楽になりますけどね。せっかく歌舞伎でやってるのだから、それじゃあ詰まらないのではありませんか。(この稿続く)

(R4・9・27)


〇令和4年9月歌舞伎座:「仮名手本忠臣蔵・七段目」・その1

今月(9月)歌舞伎座・秀山祭は、昨年(令和3年)11月に亡くなった二代目吉右衛門・「一周忌追善」と銘打たれており、故人所縁の演目が並びます。第三部では、仁左衛門が由良助を勤めて、「七段目(一力茶屋の場)」が上演されました。吉右衛門の当たり役は数多かったけれども、七段目の由良助をその代表作に挙げることに、吉之助も異存あろうはずがありません。七段目を一幕で見るならば、それは「仇討ちの意志なしかと思われた由良助は、実はそうではなかったのです」というドラマであり、「密書を盗み見てしまって殺されそうになったお軽はあわやというところで救われ、平右衛門は最後に義士の仲間に加えてもらって、良かった・良かった」というドラマなのです。ドラマは落ち着くべきところに収まった、「そは然り」と云う感覚に於いて、吉右衛門の由良助ほどピッタリ来る由良助はいなかったのです。吉之助は臍曲がりだから「古典的な感覚に収まり過ぎ」とか厳しいことを書いたこともありましたけど、あれは吉右衛門の芸の伸びしろを期待したからです。果たして晩年(昨年・令和3年1月)の、吉右衛門最後の七段目(コロナのため釣灯籠からの変則的な上演ではありましたが)では、吉右衛門は虚と実の境目にあまり落差を付けぬ・まことに味わい深い由良助を見せてくれました。

幕切れ近く「獅子身中の蟲とはおのれよな・・」と九太夫を打ち据えた後・由良助が立ち上がると、その時の由良助は、まだ興奮冷めやらぬ厳しい表情に、どうしてもなるものです。そうすると、物音を聞いた仲居たちが「由良さん、ご用かえ」と来かかると、そこから由良助が表情を笑顔へと変える境目が、デジタル的にパッと切り替えた感じになりやすい。ところが吉右衛門の最後の由良助は、そこのところが実に印象的でした。仲居たちの方へ振り返った時の柔和な表情への変化が実にさりげない。そこには作為的に表情を切り替えたような印象がまったくなかったのです。振り返れば、それは九太夫を打ち据える時の長台詞を過度に熱いものにしなかったと云うことかと思います。その結果、表情の変化の落差がやや平坦な感じになった。だから九太夫を打ち据える時も・仲居たちに笑いかける時も、どちらもあまり変わらぬ由良助という印象になったと云うことかと思います。(同じような感触がした吉右衛門の舞台を、もうひとつ思い出します。それは吉右衛門の大蔵卿の最後の舞台(平成28年・2016・9月歌舞伎座)でした。)

これはつまり、七段目では、由良助はついに本心を明らかにしなかったことになると感じたのです。確かに幕切れで由良助は「俺は主君の仇を討つ」という大望を明かしました。しかし、これが由良助の本心だと云うことではないのです。由良助の本心は、後段・九段目で吐露されることになります。九段目で由良助は「御主人の御短慮なる御仕業。今の忠義を戦場のお馬先にて尽くさば」と言っています。これが由良助の本音(実・じつ)です。それは「仇討ちすることの虚しさ」でした。

吉右衛門は、吉之助が予期しなかったところで、「然り、しかしこれで良いのだろうか」という七段目の由良助を最後に見せてくれたことになりました。まあそう云うわけで、吉右衛門の最後の由良助は、吉之助にとって忘れられない舞台のひとつなのです。(この稿続く)

(R4・9・24)


〇令和4年6月博多座:「鷺娘」

本稿は、令和4年6月博多座での、菊之助による「鷺娘」舞台映像の観劇随想です。菊之助は、舞踊会などで「鷺娘」を何度か単発で踊っていますが、本興行としては今回が初めてであるようです。ところで「鷺娘」が変化舞踊からの一曲であることは、よく知られています。これは、二代目瀬川菊之丞が宝暦12年(1762)4月・江戸市村座で初演した四変化・「柳雛諸鳥囀」(やなぎひなしょちょうのさえづり)のなかの一つで、まず「傾城」、次に「鷺娘」、後に「うしろ面」・「布袋」と続けて、切に「花笠踊」を付けたものであったようです。(このため五変化と記している文献も見えますが、四変化とするのが正しいようです。)ちなみに変化物が盛んになるのは文化文政期以降のことで、宝暦生まれの「鷺娘」はこれ以前の作品です。

変化物の全盛は江戸の終わりの時期であり、妖怪変化が踊るものというイメージが付きまとうせいもあって、ともすれば変化物は、ケレン味が強い・正統を外れた舞踊という見方をされ勝ちのところがあると思います。しかし、「同じ役者が複数の役を兼ねて踊る」ということには、実は演劇的な意味があるのです。(これについては別稿「兼ねることには意味がある」で論じました。)つまり、「ひとつの人格(役者)が、表面的な姿を変化させながら複数の役を演じる、しかし芯となる人格は変わらない(同じ役者が演じている)」ことに、変化舞踊の本来的な意味があるわけなのです。さらにこのことは、「そこに見える姿はひとつの人格がまとった仮の姿である」という哲学的観念にまで至るものです。

こういうことは、「鷺娘」だけを単独で切り出して踊る分にはあまり関係ないと思うでしょう。変化物のひとつの場面を見せるに過ぎないと考えることはもちろん出来ます。しかし「鷺娘」は、歌詞を読んでも、作品イメージを確固たるものにすることがなかなか難しいようです。例えば舞台で踊るのが鷺の精であるのか・人間の娘が鷺になったのか、生霊であるのか・死霊であるのか、或いは冒頭の白無垢は婚礼の衣装ではなく・葬礼の衣装であるとの説もあって、いろんな解釈があり得るし・どのような解釈も許容する、そんなところがあるようです。「鷺娘」の場合、許容される解釈の幅がとりわけ大きい気がします。それは、ひとつには「鷺娘」が変化舞踊の欠片(ピース)であることから来ます。だからホントは「柳雛諸鳥囀」全体の流れを振り返って考える必要があるのでしょうねえ。もうひとつは、本作が菊之丞の初演以降も様々な変遷を経て、いろんな演出・解釈を取り込んで来たことです。「鷺娘」とされるものは、少なくとも三種存在します。これらが相互に影響し合っているようです。さらに大正期には、アンナ・パヴァロヴァのバレエの名品「瀕死の白鳥」のイメージまでも取り込んで、変容を続けてきました。

「鷺娘」に見えるものが「ひとつの人格(踊り手)が呼び起こす仮のイメージ」であるとすると、逆説的に、こんなことが言えるかも知れませんねえ。つまり、ひとつの作品(「鷺娘」)によって、踊り手の個性があぶり出されるということです。舞台とは、「鷺娘」が見せる仮のイメージである。長い歴史のなかでも「鷺娘」が持つ本質は変わらないと云うことでしょうかね。

「鷺娘」については、我々は玉三郎による名品をよく覚えています。ただし玉三郎は「鷺娘」をもう踊らないと宣言してしまいましたから、現在ではこれを映像で見ることしか叶いませんが、玉三郎の「鷺娘」は、これはまさに日本版「瀕死の白鳥」だと納得してしまう芸術的な舞台でありましたね。玉三郎が踊るのは、人間に恋してしまった罪で地獄の業火の責めを受けなければならぬ鷺の精でありましょうか。イヤ玉三郎本人がどのような解釈だったか分かりませんが、吉之助にはそのように思われたのです。この玉三郎の舞台を「鷺娘」の究極の形と考えたいのですが、ただし感触がジャパニーズ・バレエになってしまったような、日本舞踊の美意識から逸脱してしまった気もしなくもない。そこをどう評価するかと云うことはあるかも知れませんね。

そこで今回(令和4年6月博多座)の菊之助による「鷺娘」のことですが、演出・段取りとして玉三郎のものをほぼ踏襲しているようですが、受ける印象はかなり違います。菊之助の「鷺娘」には、もう少し人間(娘)の方に寄った実(じつ)の感覚があります。それは素材としての菊之助の肉体、あるいは菊之助の端正な所作から来るものでしょう。玉三郎の美意識がピーンと張った「鷺娘」の方から比べると、菊之助の「鷺娘」は、日本舞踊の本来の感触へと「引き戻した」印象がします。それでちょっと「ホッと安心する」ところがあります。余白があると云うか、観客に解釈の余地を許容するという感じがある。おかげでとても心地良く舞台を見ました。

(R4・9・22)


〇令和4年6月博多座:「魚屋宗五郎」・その2

このことは本サイトで何度か触れましたが、世話物「らしく」みせようと演技を「軽い」感覚で処理しようとすると、役の肚(性根)が弱くなって、却って世話のリアリティが失われてしまうことが起きやすいのです。こうなるのを防ぐには、丹田に息を詰めて構えることを心掛ける必要があります。「肚」の持ち方が大事なのです。肚とは、役の解釈・役に成りきるという方法論ですが、「ハラ」と呼ぶことでも分かる通り、丹田に息を詰めて構えると云う身体論と表裏一体にあるものです。

菊之助の宗五郎が見事なのは、役の性根を正しく掴んでいることはもちろんですが、丹田に息を詰めて構えることがしっかり出来ているからです。台詞のひとつひとつが、感情の裏打ち(実・じつ)を以て発声されています。近年の菊之助の充実ぶりは、ここから来ます。身分差から来る憚(はばか)りと磯部公に対する恩義から抑えつけていた内心の憤(いきどお)りが・酒を重ねるに連れ・表に出始める過程を、菊之助はしっかりと描きました。

『何だって妹を殺しやがった。妹は木偶(でく)じゃねえんだ、人間なんだ。あのお蔦にはナ、れっきとした親もありゃあ、兄貴もいるんでエ。誰に断って殺しやがった!』

現代の観客はこの台詞を至極当然に聞くでしょうが、これは江戸の世にあっては、肚のなかにあったとしても、決して言えなかった台詞でした。「魚屋宗五郎」は明治16年(1883)5月東京市村座の初演ですが、黙阿弥も、もし17年前であったならば、芝居であっても書けなかった台詞でした。それを酒のせいにしてでも宗五郎に言わせたところに、明治期の黙阿弥の真骨頂(新しさ)があるのです。依田学海だって、立場上認めなかっただろうけれど、このことは分かったはずです。

ですから宗五郎が怒るのは、直接的には「妹が殺された」ことに違いありませんが、決してそのことだけで宗五郎は怒ったわけではないのです。殺された理由がそれならば仕方がないと思えるものならば、宗五郎は怒りを飲み込んだでしょう。宗五郎が怒りが爆発するのは、その理由が断じて納得出来ないからです。磯部公がそのような無謀な振る舞いをした背景に、身分社会の理不尽な論理があることを宗五郎ははっきり意識しています。身分が高いからって何をしても許されるのかと云うことです。吉之助は、黙阿弥がこの芝居の主人公を「宗五郎」と名付けたのには、意図があると思っています。黙阿弥は宗五郎の酒乱の荒れのなかに御霊神としての佐倉宗五郎を重ねているのです。(別稿「荒事としての宗五郎」を参照ください。)菊之助の宗五郎は、演技の段取りが正しく取れているから、そのことをはっきり実感させます。それは目付きや気迫に表れています。

宗五郎内の出来が良いのは、菊五郎の宗五郎だけでなく、梅枝の女房おはま以下、共演の役者たちが等しく頑張っているからです。菊之助に合わせたひと廻り若い配役ですが、十数年後でもこのメンバーでして欲しいような、配役バランスとテンポの良さがありますねえ。それが全体を引き締まった印象にしていると思います。強いて言うならば、これは菊之助の宗五郎にも云えることですが、台詞をもうホンのちょっと低調子に置いてくれると、さらに芝居の据わりが良くなるだろうと思いますがねえ。世話物・特に音羽屋系統の世話物はやはり低調子が基本なのです。しかし、この若いアンサンブルであれば・キーの凸凹が目立つわけでもないので・全体に調子が高めでもあまり気になりませんでしたが、まあ十数年後にこのメンバーでやるならば、調子も自然なところに落ち着くことでしょう。

テンポが良かった宗五郎内と比べると、後半の磯部邸(玄関先と庭先)は、若干問題がありそうです。全体にテンポが間延びして、宗五郎内との印象の落差が大き過ぎるように思います。場所が武家屋敷であるから・ここは時代にして・宗五郎内の世話と対照を付けようと云う意図かも知れませんが、余計な配慮だと思いますねえ。もっとサラリとやって欲しいと思います。特に権十郎の家老十左衛門の台詞が、えらく大時代に粘ります。恐らくこれは武家の論理の偽善性を強調するために(宗五郎も聞かずに寝てしまう程度の内容だと)意図的にそうしているのだろうと推察はしますが、菊之助の宗五郎のテンポと、まるで水と油ですね。そこまでする必要はないと思います。まあ吉之助も個人的には、ドラマは宗五郎内で終わっており・このように宗五郎夫婦がぺこぺこ畏まる形で芝居を締めざるを得ないところが黙阿弥の限界かななどと思ったりもしますが、もう少し良い工夫はないものかねえと、今回もそこのところはやっぱり疑問が残りました。

(R4・9・18)


〇令和4年6月博多座:「魚屋宗五郎」・その1

本稿は、令和4年6月博多座での、菊之助主演による「魚屋宗五郎」舞台映像の観劇随想です。明治10年頃から20年代に掛けて、歌舞伎の高尚化というお題目を掲げて、荒唐無稽を排除し・史実を尊重しようと云う演劇改良運動の嵐が吹き荒れたことは御存知の通りです。この時・旧弊の権化の如く・槍玉に挙げられたのが、黙阿弥でした。多分明治20年頃の話だと思いますが、或る日、演劇改良運動の急先鋒・依田学海(よだがっかい)が楽屋を訪れて、例によって黙阿弥批判をまくし立てていたところ、見かねた或る人が、「依田さんはそう仰いますが、活歴なんかより、黙阿弥の芝居の方がずっと面白いじゃないですか」と抗弁したらしいのです。すると学海は相好を崩して、「そうさなあ、魚屋宗五郎が禁酒を破って・だんだん酒に酔っていくところなどは、なかなかあんな風に書けるものじゃないよなあ」と言って笑ったのだそうです。芝居好きの顔になっていたそうです。だから学海はちゃんと分かっていたのです。黙阿弥の芝居が面白いのは認めるが、しかし、それと俺の信条・立場は別だと云うことです。こういう輩は厄介ですなあ。

そこで酒乱の癖を持つ宗五郎が酒を飲んで・だんだん人が変わっていく場面(シーン)のことですが、今回(令和4年6月博多座)映像を見直してみても、この場面は実に上手く書けていて、黙阿弥の名場面は数多いと言えども、段取りの自然さ・写実の巧みさ(写実度)と云う観点で、これ以上の出来のものを他にちょっと思い出せない気がしますねえ。宗五郎だけではなく、周囲の人物の性格がしっかり描き分けられて、それぞれの絡みが実に面白い。下座が芝居の段取りと・これほど見事にシンクロしているものも他にないように思われる。やっぱり黙阿弥は上手いもんだなと・感心しきりでありました。それもこれも今回の舞台の出来が良かったからだと思います。

菊之助の宗五郎は本興行としては今回が初めてですが、平成27年(2015)11月巡業が初役であったので、これが二演目になります。巡業の舞台を吉之助は見ていませんが、その時は品行方正な菊之助と宗五郎の酒乱のイメージが合わさらず・可愛い魚屋さんになっちゃわないかと心配したものでした(失礼!)。仁(ニン)にあるのないのと、当時は口さがない声も聞きましたが、令和4年(2022)の今となったら、そんな失礼なことを思う輩はもうおらぬと思います。この数年で菊之助は芸格がぐんと大きくなって、目を瞠る成長を見せました。菊之助45歳の宗五郎は美しい。美しいというと・もしかしたら市井の魚屋に相応しくない表現かも知れませんが、確かに生活感とか脂ぎった体臭みたいなものは未だしです。しかし、そう云うものは菊之助がこの役をあと10年も演じ込んでいけば自然と身体から発散されるものです。菊之助45歳の身体から発散されるものならば、今はこれで良いのです。芝居で「美しい」ということは、正しいということです。芝居では正しければ、酒乱でさえも美しく見えます。菊之助は正しい芸の過程を踏んでいると思いますね。(この稿つづく)

(R4・9・16)


〇十三代目団十郎襲名披露興行の全容発表

満を持してと云うべきか、一部報道の通り・役者との調整が難航したせいなのか、よく分かりませんが、襲名までもう2か月を切っているのに・なかなか出なくて・どうなることかと心配していた、11月・12月歌舞伎座の、十三代目団十郎襲名披露興行の全容が、昨日(9月3日)夕刻に、やっと発表となりました。豪華だった十二代目の襲名披露興行のことが記憶にあるせいか、全体としては、華やかさに欠ける・こじんまりした内容に思われます。ホント市川家の慶事に特化しちゃったような印象ですねえ。もう少し梨園全体で盛り上げようと云う気運があって欲しい気がしますが、コロナの心配もまだあることだし、仕方がないのかな。

目新しいニュースとしては、本興行の前に前夜祭とでも云うか、顔寄せ手打ち式が行なわれる特別公演が2日間組まれたことです。(仁左玉共演の「勧進帳」) これで襲名ムードが盛り上がってくれれば良いですね。

    

(R4・9・4)


〇令和4年8月国立小劇場:「色彩間苅豆」

尾上右近自主公演・第6回・研の会を見てきました。「色彩間苅豆」で右近は、興味深い実験を試みました。かさねも与右衛門もどちらの役もやってみたいと云う欲張りな気持ちが発想のきっかけであったそうですが、自分がかさねを勤める時は与右衛門が人形・自分が与右衛門を勤める時はかさねが人形と云う形で、相手役をそれぞれ文楽人形に任せて、二役を勤める形にしたわけです。人形遣いは、文楽座の吉田蓑紫郎が勤めます。当然ながら文楽人形は、人間と比べればサイズが小振りになるし、三人遣いになりますから、舞踊にした時の印象は、見た目も間合いでも違って来るでしょう。吉之助が選んだのは、右近がかさねを勤める回です。これは右近が勤める女形をもう少し数多く見ておきたかったからです。

吉之助も若い頃はそうでしたが、「色彩間苅豆」の関心は最初の内は、前半はどうしてももたれるところがあって、どちらかと云えば関心は、後半の髑髏が流れて来て以降、つまりかさねの面相が醜く変化して以降ということになろうかと思います。しかし、最近は、吉之助も歳取ったせいか・前半の、与右衛門の心変わりをまだ認識していない時の、かさねを「あはれ」と感じるように変わってきました。与右衛門は最初からかさねを殺すつもりはなかったと思います。かさねの面相が変わって怖くなったから・彼女を殺することになったと思いますが、前半でかさねのクドキを聞いても、与右衛門の心は決して動きません。与右衛門の心は、冷えているのです。与右衛門が内心考えていることは如何に彼女を振り切って・自分だけ遠くに逃げるかと云うことだけです。ですからかさねは与右衛門の不実をまったく疑っていませんが、前半のかさねのクドキは与右衛門の心とは、まったくのすれ違いです。そこにかさねの「あはれ」があるし、そこがしっかり描けていなければ、後半のかさねの恨みも利いて来ません

そんなことを考えた時、吉田蓑紫郎が使う文楽人形・与右衛門には、役者が踊るのとは全然違う異次元の感触があるわけなのです。かさねと与右衛門は、決して心が通じ合うことはない。二人の冷めた関係が視覚的に形象化されて、「あはれ」を誘います。文楽人形の起用は、なかなか秀逸なアイデアだったと思いますね。国立小劇場のような狭い空間であるからこそ、このアイデアが生きました。後半の立ち廻りも、捕り手との動きが混み合わず、なかなか良い感じで見せたと思います。

右近が勤めるかさねは美しいですが、前半のクドキの振りにもうちょっとタメが欲しいですねえ。もう少し振りに情が出てくれば、前半の人形を使ったクドキのアイデアがもっと生きたと思いますが、感触がサラリとしていました。どちらかと云えば、右近の関心は、後半の「恐ろしかりける」かさねの方にあったのかも知れませんが、まあそんなところも年季を経てくれば、自然と変わって来るものであろうと思います。

(R4・8・26)


〇令和4年7月大阪松竹座:「嫗山姥」

「嫗山姥」兼冬館は、通称を「しゃべり」とも言います。これは八重桐が廓噺にかこつけて、別れた夫(煙草屋源七実は坂田蔵人時行)への恨みつらみを語る場面から来ています。上方和事の名手であった初代坂田藤十郎は「しゃべり」と呼ばれる雄弁術を得意としました。これは立役の「しゃべり」のことですけど、その後人形浄瑠璃に移籍した近松門左衛門が、女は口数が少ないのが美徳とされた時代に、ぺらぺらしゃべる女役をこしらえたと云うのが面白いところです。これは近松が歌舞伎の藤十郎の「しゃべり」を女役に応用したわけなのです。八重桐の仕方噺は、その代表的なものです。このことはその後の女形芸の発展に大きなヒントを与えました。

武智鉄二が、歌舞伎の八重桐の仕方噺は役者が地に取る箇所がやや少なめで「しゃべり」と云うよりも「おどり」の方に近くて、近松がここで試みたかもしれない女形への「しゃべり」への挑戦が十分見えてこないと指摘しています。(注:近松の人形浄瑠璃移籍の原因として、歌舞伎の名女形・初代芳沢あやめとの不仲があったとの説あり。)武智演出では八重桐の台詞を増やして「しゃべり」を強化した仕方噺の工夫をしています。それは兎も角、今回(令和4年7月大阪松竹座)の「嫗山姥」はいわゆる在来の演出ですから、八重桐の仕方噺はそのままですが、まあそれはそれとして在来の演出もなかなか面白いものです。

孝太郎の八重桐は、台詞が明瞭であるので・竹本との掛け合いが際立ち、「しゃべり」が映えました。所作もなかなか良くて、仕方噺を楽しく見せました。幕切れの大立ち回りも面白かったですね。ストレス発散出来て楽しかったのではないでしょうか。前半を明るく処理したのも良かったと思います。夫への当てつけでついつい言葉が過ぎてしまったけれど、根に持つところがない・カラッとした八重桐の性格もよく出ました。妻の直言のひとつひとつが夫・時行にグサリと突き刺さります。甘いといえば甘いわけなのだが、時行は彼なりに時節を耐えて自己の目的を果たさんと耐えてきたつもりです。しかし、時行の願望は、妻である八重桐にことごとく論破されててしまいました。そうやって(八重桐自身にそんなつもりは全然ないわけだけれど)時行は少しずつ絶望の淵へと追いやられて行くのです。

幸四郎の時行は、もちろん優男なところに申し分はないとしても、例えばめざす敵を妹白菊が先に討ってしまったと聞いて驚く、そこに通り一遍の驚きしか見えないようですね。この場面の時行は茫然自失の体なのです。妹に先を越されたことで時行の自尊心は踏みにじられ、情報収集さえも儘ならぬ自分の無力さに、時行は愕然とするしかありません。そのような絶望の果てに、自分は自害して・八重桐の新たな子供として自分は強い男に転生せんとする一念が生まれて来るわけですから、八重桐との会話のなかで論理的・かつ段階的に深い絶望へ追い込まれて行く過程をしっかり見せて欲しいのです。幸四郎の時行は、感触がサラリとし過ぎです。演技にもっとタメが欲しい。例えば、妹が敵を先に討ったと聞いて「エッ」と驚き、「・・・信じられん」と云う絶句あって、「それならばこの俺の立場はどうなる」という思い入れあって、「もう俺は生きてはおられぬ」と云う絶望にまで至る、これを一瞬の間のなかで走馬灯の如く見せねばならぬ、それが演技のタメと云うものです。そうすると幕切れで時行の一念が八重桐の胎内に入り込む奇蹟が心情的に腑に落ちると思います。(こうして生まれた子供が、足柄山の金太郎です。だから八重桐の方にも死んだ夫に対する強い悔悟があるのです。)そこのところもう少し工夫が欲しいと思います。

まあそんな不満も若干ありますが、全体として役者も手揃いで・テンポ良く仕上がりました。「嫗山姥」は滅多に出ない時代物ですが、と云うか滅多に出ない演目だからかも知れませんが、みんな真剣に取り組んでいました。時代物に対する取り組みを増やすことが、将来の歌舞伎のために大事なことだと思いますね。

(R4・8・20)


〇朗読と演劇の台詞・オペラ歌唱との関係

渡辺知明先生と吉之助との対談「日本の伝統芸とコトバのリズム」映像はご覧いただけましたでしょうか。

東京春音楽祭の「イタリア・オペラ・アカデミー」でリッカルド・ムーティは、歌唱に生きた感情を盛り込むために、台本を繰り返し声に出して読むべきであると言っていました。歌手は旋律を美しく歌うのが仕事です。しかし、ただ旋律を滑らかに美しく響かせるだけではダメです。そこに生きた感情を盛り込まなければなりません。旋律の基礎となるものは自然な会話の息・抑揚ですから、これをしっかり掴むために、まず台本を口にして朗読すべきだと言うのです。

「ヴェルディは言葉が歌になるまで、何度も何度も繰り返し台本を口にして読んで、そうやって旋律を書いたのです。ヴェルディは、すべての音は歌われるべきであると言いました。メロディを歌うのが、私たちの仕事です。そのためには、歌詞の息と意味、次のフレーズ、そのまたフレーズの先のことまで考えてやってください。」(リッカルド・ムーティ)

ピアノ・リハーサルでムーティは、イタリア出身でない歌手の発音の、実に些細な違い(訛り)を指摘して、根気よく修正していました。それは我々日本人からすると、ネイティヴはこだわるかも知れないが、どちらでもそう大した違いがないじゃないのと思うくらいの、些細な違いです。ところが、驚くべきことに、そうした訛りが修正されるに連れて、歌唱がまるで別もののように生き生きして来るのです。作曲者(ヴェルディ)が台本を朗読する息に近づくことで、作曲者のなかで旋律が生成する秘密に少しづつ迫っている実感があるのです。これは実にスリリングな体験です。

演劇においても、サラ・ベルナールでも九代目市川団十郎でも、偉大な舞台俳優の台詞は、しばしば「音楽を聞くようだ」と評されるものです。しかし、いきなり抑揚をつけて・言葉を転がして「歌うかのように」台詞をしゃべろうとしても、無駄なことです。「まるで音楽を聞くようだ」となるのは結果論に過ぎません。台詞術の基礎にあるものは、自然な会話の息・抑揚です。だから台本を手にしたらまずは、繰り返し何度も台詞を朗読すべきです。台詞術の基礎は朗読であると云うことが、昨今の演劇では、方法論としてどれくらい意識されているのでしょうかねえ。

このように書くと、自然な会話の息・抑揚と、舞台俳優の台詞と、オペラ歌手の歌唱との間に、吉之助がまるで境目を見ていないように読めるかも知れませんが、或る意味においては、その通りであると思います。吉之助は、演劇の台詞でもオペラ歌唱であっても、すべての基礎は朗読にあると考えています。そこに「写実」表現の原点を見るということです。

しかし、このことは、朗読を高めたものが演劇の台詞であり、そのまたさらに高めたものがオペラ歌唱だと云うことではありません。ヴェルディが言葉を歌にしたのも、そのようなプロセスではありません。そこは誤解をしないでいただきたい。そういえば、ベルトルト・ブレヒトが次のように書いていますね。

『歌を歌うことで、俳優はひとつの機能転換を行なう。俳優が普通の会話から無意識のうちに歌に移っていったような振りを見せるほどいやらしいことはない。普通の会話・高められた会話・歌唱という三つの平面は、いつもはっきりと分離されねばならない。高められた会話が普通の会話のたかまりであったりしては決していけないのだ。』(ブレヒト:「三文オペラへの註」〜ソングを歌うことについて)

演劇の台詞は非日常空間の会話ですから、いわば次元(ディメンション)が異なるのです。高められた朗読が演劇の台詞になるのではありません。両者の間は、「様式」の名の下に、はっきりと一線が引かれなくてはなりません。朗読とオペラの歌唱との関係も同様です。「普通の会話・高められた会話・歌唱という三つの平面は、いつもはっきりと分離されねばならない」、そこのところ、吉之助の考え方はブレヒトとまったく同じです。

それでは歌舞伎の台詞を、歌舞伎の「様式」にするものは何でしょうか。答えは「心情」ということです。歌舞伎には共通した心情のスタイルがあって、これらが集まって歌舞伎の様式を為すのです。心情は、台本の徹底した読み込み(解釈)のなかから掴み取るべきものです。もちろん朗読からも得られますが、「考えて読む」ということなので声に出す出さないと云うことではなく、まったく別の問題です。しかし、ここから掴んだ「心情」で改めて台本を朗読すると、台詞はまったく違ったように聞こえます。

渡辺先生との対談では、そんなところをお話ししたつもりです。対談映像をお楽しみいただけましたら幸いです。

(R4・8・18)


〇対談「日本の伝統芸とコトバのリズム」映像公開

「表現よみ」(コトバ表現とその朗読法)を研究なさっている渡辺知明先生から提案をいただきまして、先日(8月4日)、「日本の伝統芸とコトバのリズム」というテーマで対談を行ないました。その時の映像が、渡辺先生のYoutubeで公開されましたので、紹介をいたします。

対談「日本の伝統芸とコトバのリズム」映像
渡辺知明vs山本吉之助, 2022.8.4)

渡辺先生は、40年の長きに渡り、朗読分野での日本語とその表現に関する実践的研究を続けて来られました。著作ばかりでなく、Youtubeでも古今の名作の朗読映像を多数アップしていらっしゃいます。渡辺先生は、武智鉄二との関連で吉之助のサイトに辿り着き、吉之助の(主としてリズムの見地から論じた)伝統芸能に関する台詞の様式論に興味をお持ちいただいたそうです。吉之助は、歌舞伎の「アジタート」(音楽用語としては、激しく・苛立つようにと云う意味)な気分が、どのような形で演劇様式として定着するかということを、長年考えて来ました。渡辺先生は、朗読というお立場から言葉の表現方法を考えていらっしゃるわけですが、そのなかでアプローチは異なれども、吉之助と同じような結論に至っていることが、この対談からもお分かりいただけるかと思います。対談させていただいて、吉之助も大いに鼓舞されました。対談では、吉之助が普段考えていることを要領良く引き出していただいたことは、大変有難いことでした。この映像は普段吉之助の「歌舞伎素人講釈」をお読みいただいている方にも良い手引きになるものと思います。

なお渡辺先生は、これまでに20人以上の各方面の表現に係わる方々との対談映像をYoutubeにアップしていらっしゃいます。ご興味あれば、その他の映像もご覧ください。渡辺先生の素晴らしいところは、ジャンルの異なった表現関係の皆さんと分け隔てなく接して、色んな知見を柔軟に取り入れ、自らの理論の懐をどんどん深くしていらっしゃることです。この姿勢は大いに見習いたいものだと思っています。

渡辺知明先生の「表現読み」研究サイト

(R4・8・9)


〇令和4年7月歌舞伎座:「風の谷のナウシカ 上の巻」・その3

ここ数年の新作歌舞伎を見ると、作家も・役者も、「これじゃあ全然歌舞伎になってない」と云われたくないのだなあと感じます。そこで、台詞を古文にして、隈取とか見得・立ち廻りなど、歌舞伎の伝統的・様式的な技法が、新作芝居を「かぶき」にすると、多分そのように考えているのだろうと思います。何が芝居を「かぶき」にするか、そこをもっと突き詰めて考えてみた方が良いです。このためには、真山青果の作品を研究することが、大いに役に立つと思います。「元禄忠臣蔵」の台詞は古文調ではありません。隈取もないし・見得もない、義太夫も入りません。それでも青果の芝居を「かぶき」だと強く感じるのは何故なのか。そこをよく考えて欲しいのです。舞台からほとばしる「心情」が、芝居を「かぶき」的なものにすると云うことを、青果劇ほど教えてくれるものはありません。演劇評論家尾崎宏次は、青果の台詞術(つまり青果劇の様式)の源泉は「くやしさ」であるとして、次のように書いています。

『青果のセリフ術が論理的であるということに入っていかねばならないが、結論をさきにいってしまうと、その論理性のでてくる源は、「くやしさ」ということである。くやしい、ということは、容(い)れられるはずのことが容れられないからくやしいのである。くやしいという感情は、そういう状態をひき起こす事物や制約をきわめて即物的にならべたてることのできるものである。したがって、青果の戯曲にそなわっている論理性というのは、論理的に証明するためのものであって、論理的な発展のためのものではない。そう断言してしまうと例外がでてくるけれども、しかし、秀作のほとんどはそうである。そして、くやしさから出て来る論理性が、まさに青果の生きた時代の大衆にとって、魅力のある芝居になりえたのだ。』(尾崎宏次:「青果のセリフ術」〜真山青果全集・別巻1・真山青果研究)

ここで大事なポイントは、「容れられるはずのことが容れられないからくやしい」というところです。歌舞伎の名作の数々を考えてもらいたいですが、武士の対面やら商人の義理やら男の一分(いちぶん)やらいろんな論理が裏に絡みますが、その論理において「在るべき状況」が、そのような正しい形になっていないことが、くやしい・或いはやるせない・憤懣やるかたない。歌舞伎とは、すべてそのような「心情」から発するドラマなのです。(吉之助はこれを「かぶき的心情」と呼んでいます。)曽我兄弟は父親の愛を受けて育ちたかったのに・それがならなかった(父親を殺された)から「くやしい」・だから仇討ちを決行するのです。お初徳兵衛はただ二人愛し合って暮らしたかっただけなのに、いろんな事情が絡んでそれが叶わなくて「くやしい」、ならば二人一緒に死んでやろうじゃないのとなるのです。松王丸は名付け親菅丞相に御恩があるのに・危難に際して何も出来なかったから「くやしい」・だから我が子を身替わりに立てて御恩報じをするのです。大星由良助は喧嘩両成敗であるべきところ・一方的に塩治家断絶の裁断が下されたことが「くやしい」・だから高家討ち入りを行なうのです。

「風の谷のナウシカ」に、そのような「心情」の要素はあるでしょうか。人類は破滅的な戦争の果てに環境を破壊させてしまい、生き残った人々は汚染されなかった限定的な環境のなかでかろうじて暮らしている。そんななかでも依然として人は争い、醜い覇権争いが慎ましく暮らす民の生活を脅かす。民のささやかな願いさえ踏み潰す、このような状況は受け入れがたい、それは「くやしい」ことだと思いますけどねえ。そこが「ナウシカ」歌舞伎化の取っ掛かりになると思います。同時にこれが最も今日的な心情であるべきです。

吉之助がアニメ映画版「ナウシカ」を見た感じでは、主人公にそのような「くやしさ」が見えないわけではないけれど、表面的には淡い印象がしますね。そして物語が救世主待望へと情緒的に流れて行く、つまり熱い「心情」の物語になっていないと云うことです。そこが吉之助が「ナウシカ」を歌舞伎には向きの題材でないと感じるところですが、「ナウシカ」をどうしても歌舞伎にしたいならば、登場人物のなかに在る個人的な「くやしさ」の感情を抉り出し・増幅して、原作アニメファンが「ナウシカやクシャナにはこんな強烈な一面があったのか」と吃驚させるくらいに、ドラマを濃厚に作り替えてもらいたいものだと思いますね。歌舞伎にするならば、それくらいでちょうど良いのです。

(R4・8・2)


〇令和4年7月歌舞伎座:「風の谷のナウシカ 上の巻」・その2

歌舞伎版「風の谷のナウシカ」については、令和元年(2019)12月新橋演舞場での初演の観劇随想をお読みいただきたいですが、吉之助はあまり感心出来なかったのです。恐らくこの種のものは「原作漫画とここが違う・あそこが違う」とアニメ・ファンの細かなチェックが入いるので、舞台のための大胆な改作が出来かねる。このため長い原作漫画のエピソードを羅列したドラマ的に平坦なものになりやすい、その典型的な例に思われました。今回(令和4年7月歌舞伎座)の再演は、初演の前半(昼の部)を主人公ナウシカの対立的キャラクターとでも云うか・トルメキア国の皇女クシャナの線で再構成したものですが、吉之助の全体的な感想として、初演の時と大して変わるものではありませんでした。そこのところは、原作漫画を読んでもおらぬし、そもそも「ナウシカ」を論じる資格は吉之助にはないと自覚していますが、純粋に舞台作品として見た場合「まことに物足りない」という感想に変わるところはありませんでした。この点はまず正直に告白しておきます。

ただし今回の再演は、筋の枝葉が刈り込まれた分(初演の昼の部が約2時間40分、再演が約2時間、休憩時間含まず)、少し流れがスッキリ見えて来たところがあるようでした。また主演のナウシカ・クシャナ以下、初演とは演者が変わった役が複数あるので、どちらが良い・悪いではなく、それに応じて芝居の色合いも微妙に変わって見えて来る。同じ役でも役者が変われば、「フーンこの役はこう云う感じもありなのだね」と云う気付きがある。これが今回演出を担った菊之助の、新作歌舞伎に対する考え方を伺わせるところがあって、これも興味深いと思いました。古典の「千本桜」だって「忠臣蔵」だって、同じ題材を手を変え・品を変え・役者を変え、何度も何度も繰り返して今日の形になったわけです。「ナウシカ」を数回やったところですぐ古典にはなるまいが、試行錯誤を繰り返すことは古典化への道に違いないと思います。十八代目勘三郎が「野田版・研辰の討たれ」を同じ面子で再演・三演して「同じ配役で押し通す」と豪語したことがありましたが、本来古典化への道は、菊之助がやった通り、手を変え・品を変え・役者を変えてやるべきことです。

今回の米吉のナウシカは清らかで可愛らしく、なかなか良かったのではないでしょうか。と云うと初演の菊之助のナウシカが良くなかったように聞こえそうですが、菊之助の資質としてナウシカはやや重めで・女形の色気が出過ぎていたと思います。それだけ女形として菊之助の芸格が重いということですが、現在は娘方が似合う米吉には、ナウシカはちょうど間尺が合うようです。令和の若い女性の感覚を踏まえたナウシカだったかと云う点ではまだ工夫の余地があると思いますが、米吉の初々しさが生きていたと言えます。クシャナについては初演の七之助が宝塚男役風に凛とした風情で評判が高かったですが、菊之助のクシャナも、「なるほどこう作ってきたか」と云うところがあって、クシャナと云う役の別の側面を見るようで、これは興味深いものがありました。菊之助のクシャナであると、女性的な面が強調されるようで、役の感触としては若干重めになるようです。しかし、再演はクシャナの線で再構成されているので、米吉のナウシカとのバランスも含めて、菊之助のクシャナは納得できるところです。ただしこれは菊之助の個性であるから仕方ないことでもあるが、ドロドロの情念の表出にまでは至っていない。今回の再演はクシャナの情念に焦点を当てたかったのだろうと察しますが、そこに脚本の限界が潜んでもいます。他にも印象的な役者はいますが、とりわけ目を引いたのは、幼い大蟲(オーム)の精を演じた丑之助です。踊りの足取りと云い・手の振りの決め方と云い、非凡な感性を見せました。蜆売りの三吉以来、丑之助は目を瞠る成長ぶりです。(この稿つづく)

(R4・8・1)


〇令和4年7月歌舞伎座:「風の谷のナウシカ 上の巻」・その1

この数年、新作歌舞伎の動きが出て来たようです。題材としては、漫画から採ったものが多いのが特徴かと思います。正直申すと、吉之助のような偏屈爺は、新作を迷惑に感じてしまう方です。見る分には、慣れた古典の方がやはり神経的にいくらか楽なものでね。新作だと、何となく緊張してしまいます。しかし、昭和30年代や40年代の「演劇界」などをパラパラめくってみると、昔は、歌舞伎座の毎月の演目に、必ず一つや二つ新作が挟まっていたことに気が付きます。大正や昭和の初めの歌舞伎でも、演目に新作が挟まるのは当たり前のことでした。二代目左団次がその多くを初演して、現在「新歌舞伎」という大きなジャンルを成していることは御存知の通りです。当時は、これらを新作歌舞伎と呼ばず、「書き物」と呼んだものでした。ところが吉之助が歌舞伎を見始めた昭和50年代に入ると、歌舞伎から書き物が顕著に減って来ます。吉之助が歌舞伎を見た、昭和50年代から平成の終わり頃までの、約40年間と云うのは、歌舞伎の長い歴史から見ると、例外的に書き物(新作)が少なかった時期であったことに、改めて気が付きます。

演劇は、歌舞伎に限らず、それが興行される時代の空気をどんどん取り込んで変化して行くものですから、古典と並んで新作が上演され続けないと、演劇的な活力が疲弊すると云うことが、確かにあると思います。だから新鮮な血液を輸血する感じで、絶えず新作が供給されないと、例え伝統芸能であったとしても、命が尽きるかも知れないと云うことなのです。現代日本においては、漫画が時代の何かを切り取った、ひとつの先鋭的なカルチュアであると位置付けられます。だから伝統芸能にとっても、漫画が新鮮な血液になるであろう。(今月、能狂言でも、野村萬斎演出で新作「能狂言「鬼滅の刃(やいば)」がただいま上演中です。どんな漫画であるかは吉之助は知りません。)まあそんなことは理屈では分かってはいますが、吉之助なんぞは、古典ばかりのプログラムが当たり前みたいな環境下でずっと歌舞伎を見てきたので、古典偏重主義者に育ってしまったわけですね。(と自嘲的に笑う。)

昭和50年代から平成の終わり頃までの約40年間、新作が少ない時代が何故続いたかと云う問いは、考えてみる価値がありそうです。ひとつの大きな原因が、歌舞伎を書ける力量・知識のある作家が払底したことにあるのは、疑いありません。しかし、作家のせいだけではなく、才能ある若い作家を見出し・育てようとする努力を、役者サイドがあまりしなかったと云う面もあると思います。そう云う努力をしなくても、伝統芸能ということで尊敬されるし、興行的にまあまあの利益が得られた、伝統芸能としては、或る意味「心地良い」時代が長く続いたと云うことです。この時代は、観客の嗜好を見ても、保守的傾向が強かったように思います。作家・役者・観客相互の原因が、複合的に絡んでいるようです。それが再び新作歌舞伎の動きが出てきたと云うことは、「心地良い」時代でなくなって来たと云うことを、役者が何となく感じ始めたと云うことであろうと思います。(この稿つづく)

(R4・7・30)


〇令和4年6月歌舞伎座:「信康」

「信康」は昭和49年(1974)3月歌舞伎座で初演された田中喜三の新作(信康は沢村精四郎・後の二代目沢村藤十郎)ですが、今回(令和4年6月歌舞伎座)は、染五郎(17歳)が信康を演じます。史実の徳川信康が切腹したのは20歳の時でしたから、実年齢に近い配役ということになります。なお染五郎は、この舞台が初主演だそうです。舞台は祖父・白鸚が徳川家康を勤め、周囲の役者も魁春・鴈治郎・錦之助・高麗蔵ほか揃っており、次代のホープ・染五郎に対する松竹の期待の程が察せられます。

史実の家康の嫡男信康が切腹に至る経緯については諸説あり、真相は定かではありません。本作「信康」に於いては、信康が天下人・織田信長から何らかの不興を買ったらしいと云うことで済ませており、政治的側面の深いところには踏み込みません。ドラマの焦点は、父(家康)と子(信康)との関係の方に置かれています。圧倒的な権力から嫡男の切腹を厳命された時、父はこれをどう思い、子はどう振る舞ったかと云うことです。このような状況に追い込まれた時、父は我が子を殺すに忍びないということは親の感情として当然渦巻くでしょうが、大事なポイントは、信長の意向を拒否するならば、徳川家は織田家と一戦交えることになるのは必定である、当時の状況からすれば、それはほとんど徳川家が滅亡することを意味すると云うことです。(すでに甲斐の武田家が風前の灯です。信長は容赦しないでしょう。)理不尽な要求を断固拒否し・あくまで息子を守り抜き・親としての道を貫くために信長と戦うと云うことは、如何にも正しく・美しいことのように思われますが、それでは一族郎党・多くの家来たち・領民までも戦火に巻き込むことになる。未来に徳川家の滅亡と荒廃しか思い描けません。徳川家の頭領とその嫡男として、家康も信康も、それぞれの立場で、そこのところをトコトン考えたのです。結果として、二人とも、「べき」論では動かなかったということです。本作「信康」で描かれるのは、そのような父と子の人間ドラマなのです。田中喜三は父の苦悩を察し・自ら切腹への道を選ぶ信康の心情を上手く描いたと思います。

本作「信康」は昭和49年初演ですが、感触としては岡本綺堂の新歌舞伎(左団次劇)の風味がしますねえ。台詞が新歌舞伎様式で発せられることを期待していると感じます。今回(令和4年6月歌舞伎座)の舞台は役者も揃っていますから、手堅い出来を示しています。一応の感銘は得られますが、細部の台詞廻しにおいて、もうちょっと新歌舞伎様式を意識してもらいたいなあと感じるところが随所にありますね。つまり何と云うか、歴史劇には見えるけれども、新歌舞伎には見えないと云うことなのです。これはちょっとした違いですが、そのちょっとしたところが大事なのです。信康の心情を、例えば綺堂の「番町皿屋敷」の青山播磨に重ねて、「散る花にも風情があるなア」と云う様式的感覚で捉えて欲しいと思います。フォルムが芝居を歌舞伎にするのです。これは主演の染五郎だけに云うのではなく、舞台の全員がそれを強く意識してもらいたいのです。家来たちの怒り・苦しみが、そのまま家康や信康の思いでもあるのですから。48年前の本作初演を吉之助は見ていませんが、この時期であれば、綺堂物でも青果物でも、新歌舞伎風味はまだしっかり残っていました。初演の舞台もそうであったはずです。近年は、そう云うものが消えかかっているようですね。

染五郎の信康は台詞が一本調子のところがありますが、17歳の若さなのだから・そこのところは今はまだ良いのです。それよりも評価したいところは、染五郎のひた向きさと爽やかさ、そこが散りゆく若者の潔さに相通じるということです。そこはしっかり出来ています。台詞については言葉の息・抑揚に応じて緩急と・声の調子(色合い)を微妙に変えていくことを学んでほしいですね。そのためには台本を口に出して徹底的に読み込むこと(朗読すること)、この訓練がまだ十分ではないようです。立派なお手本(祖父白鸚)が傍にいるのですから、早急にそれを習得してもらいたいものです。ともあれ初主演として上々のスタートを切ったのではないでしょうか。

(R4・7・24)


〇令和4年7月歌舞伎座:「夏祭浪花鑑」・その2

海老蔵の発声の問題については本サイトでも何度か触れましたが、改善の兆しが見えぬまま、団十郎襲名を迎えることになりそうなのは、大変残念です。歌舞伎役者の魅力は「一声、二顔、三姿」と云うくらいですから、発声は大事なのです。発声はハラの息の溜め方・喉の置き方とか姿勢にも拠るので、ひょんな具合で身体全体が共鳴する良い発声が出る場合もあります。今回(令和4年7月歌舞伎座)の海老蔵の団七も、吉之助が見た日には、最後の「親父っさん、許してくだんせ」と云う台詞は、声がよく出てました。(この台詞が駄目じゃア話しになりませんが。)あともう一箇所声がよく出た台詞がありましたが、出来たのはその二か所。鳥居前も含めて・他の台詞は口先で云う感じになっています。声がよく出た時の、喉の置き方とか感覚をしっかり覚えておいて、他のところでもそのように発声出来るように試してみることです。ご本人は大声を発しているつもりだろうが、それだけでは声は隅々にまで届かない。世話の軽みを表現したつもりでも、それだけだと役の肚(性根)を弱く感じてしまうのです。こういう世話の台詞では、時代の台詞よりも尚更、丹田に息を詰める「ハラ」の据え方が大事になるのです。これが出来るようになれば、荒事の台詞もずっとずっと改善されると思いますがねえ。

ところで、このところ「夏祭」を見てつくづく感じるのは、「夏祭」という芝居には歌舞伎座という入れ物(劇場)は大き過ぎると云うことですね。これは同じ純世話でも、「引窓」などではさほど感じないことで、「夏祭」でのみそう云う不満をより強く覚えるのは、それだけ「夏祭」のドラマが濃密な人間描写を求めている、肌が触れ合ってベタベタするくらい距離が近い人間関係のドラマであるからだろうと思います。ここでもリアリティの問題が出てきます。今回の「夏祭」と同じ配役でも、これがもっと小さい劇場であれば・それなりに見えるのかも知れませんが、すきま風がヒューヒュー吹く心地がしてしまうのが、この劇場のせいであるならば、少々気の毒な気もします。だからこそ、その分余計に、肚(性根)を据えて掛からねばならないわけです。そこが歌舞伎座でやる「夏祭」の難しさです。

左団次の釣舟三婦は飄々とした好々爺の風があり、それはそれとして(特に鳥居前は)興味深く思います。しかし、三婦はもともと侠客であって・そのような危険な熱い感情を・今は数珠を耳に下げて抑え込んでいる、だから表面上は人の良い表情を見せているが・内面は結構尖ったものがある、まあ達観したポーズを取ろうと自ら必死に努めているということです。(これは「三人吉三」の土座衛門伝吉も似たところがあると思います。)左団次の好々爺の三婦からは、そのような土性骨が見え難いようです。そこに工夫の余地があるかも知れません。

同じようなことが雀右衛門のお辰にも云えます。「夏祭」が面白いところは、団七や徳兵衛・三婦が何かと云えば「男が立たぬ・一分(いちぶん)が立たぬ」と喚きだすのとまったく同じことを女もやる、そのような「侠気の世界」だということです。ですから、自分の貞操を疑われたとか・自分のプライドがそれでは許さぬとか、理屈を云えば確かにそんなことになりますが、夫徳兵衛と同じ侠気がそこにあるわけです。お辰が「女が立たぬ」と云い始めたら、もう見境がない。雀右衛門のお辰は性根において誤るところはないけれど、まだ行動が理屈の上に乗った感じがしますね。焼けた鉄弓を頬に押し当てるという行為は、その理屈の延長線上に決して出て来ません。それがお辰の侠気なのです。それはどこか狂気にさえ通じます。だから女武道の原点にお辰をイメージしてみると良いと思いますね。そうすると(丸本にはない台詞ですが)「うちの人が好くのはここ(顔)じゃのうて・ここ(肚)でござんす」と云う台詞での、女形の愛嬌がもっと生きると思います。そこが改善点だと思いますが、しかし、今回の舞台の出演者のなかでは、雀右衛門のお辰が最も実(じつ)のある演技が出来ていたと思います。

市蔵の義平次は頑張って、憎々しさはよく出せています。あと大事なのは、団七は義平次の娘(お梶)の亭主なのに(つまり味方になって然るべきなのに)、どうして団七にこんなヒドい仕打ちをするんだ?というところです。つまりこれは「お前ばっかり良いカッコしやがって何じゃい、お前なんてナンボのもんじゃい」と云う強烈な僻(ひが)みなのです。団七は出目(境遇)から脱出しようとして、出目に足を絡めとられ、そして破滅するのです。だから団七にとっての義平次は、自分の出目を思い出させる醜い亡霊みたいなものです。ともあれ市蔵の義平次はよく頑張っています。歌舞伎の義平次役者が払底するなか、是非モノにしてもらいたいものです。

(R4・7・18)


〇令和4年7月歌舞伎座:「夏祭浪花鑑」・その1

最近の世話物の舞台を見ると、リアリティに乏しいなあと不満を覚えることが多いですね。世話物と云うのは、市井の人物の生活や感情を生き生きと活写するものだと思います。これは南北や黙阿弥にも共通することですが、本稿で話題としたいのは、世話物の義太夫狂言のことです。「鮓屋」や「勘平腹切」などは時代物浄瑠璃のなかの世話場であるので、別に考えることにします。世話物の義太夫狂言は、近年とみに上演頻度が落ちてきているようです。このうち「夏祭」や「引窓」・「油地獄」・「封印切」などは割と上演されますが、「野崎村」にしても、「堀川」・「帯屋」・「朝顔日記」にしても、近年これを敬遠する傾向が見られます。東京の役者には上方なまりが難しい・それがリアリティ欠如の原因であるように云われますが、それだけが原因であるとは思われません。もっと根本的な問題があるのではないか。それは肚(ハラ)の問題です。

肚ということは、これは役の解釈・役に成りきるという方法論を包含するものです。しかし、「ハラ」と呼ぶのだから、丹田に息を詰めて構えると云う身体論と、実は表裏一体であるのです。そのどちらが欠けても、肚は成立しないのです。例えば「鮓屋」や「勘平腹切」のような時代世話では、作品自体に外側から役者を縛る感覚が強いものです。義太夫の素養としての上方なまりは大事なことに違いないですが、もしそれらが多少欠けていたとしても、様式が持つ約束事・縛りに従ってさえいれば、それが自然に「らしい」方向に役者を導いてくれる、そう云うものなのです。だから上方なまりが不十分でも、何とか「らしさ」は出せるものです。結局、肚があると云うことは「らしく見える」こととぴったり一致ではないのだけれど、「らしく見える」ことで・肚があるように見えるのです。それさえ出来れば、権太や勘平が立派に勤まります。勤めているうちに肚も自然と備わって来るでしょう。

一方、純粋な世話物の義太夫狂言では、このプロセスが上手く働かない場合が、しばしばあります。世話物では、外側から役者を縛る感覚が、それほど強くないからです。外から役者を「らしい」方向に導いてくれる力が弱い。だからそれは役者自身で創り出さねばならぬのです。役者が身体の内側に持つ肚が、とても大事なことになるのです。ここで丹田に息を詰めて構える「ハラ」のことを考えねばなりません。

時代物と比べれば、世話物の台詞は「軽い」感じに聞かせることが多いものです。しかし、時代物の対話は相手の台詞を待っても、受けることが出来ます。世話物の対話であると、そうは行きません。これだと「間」(ま)が空いてしまいます。それでは写実の会話に聞こえません。だから世話物の対話では、丹田に息を詰めて構える「ハラ」が、一層大事なのです。表裏一体のこととして、役の解釈・役に成りきるという方法論もますます大事になるのです。

世話物らしく見せようと、台詞を「軽い」感じに発すると、役の肚(性根)を弱く感じてしまうことがしばしば起こります。これは実際吉之助が浄瑠璃丸本を朗読しても痛感するところです。しかし、世話物では外側から役者を「らしい」方向に導いてくれる力が元々弱い。だから、役の肚が弱いと見せないために、役者がより一層「ハラ」を据えて掛からねばなりません。丹田に息を詰めて構えることをしっかり行なう必要がある。世話物の台詞は、時代物よりも、そこが難しい。ですから、丹田に息を詰めて構えることが出来なければ、役の解釈・役に成りきるという方法論でさほどの違いがなくとも、肚が弱いと見えてしまいます。つまり「ハラ」の持ち様ということです。

今回(令和4年7月歌舞伎座)の、海老蔵の「夏祭」の団七のことですが、演技の手順・役の解釈において不足があると思いません。見掛けも良いですが、役の肚を弱く感じてしまうのは、そこです。つまり「ハラ」の持ち様が足らぬということです。海老蔵は世話味を表出しようとして、台詞を軽くしゃべろうとしているでしょう。このため台詞を口先で言う感じになっています。台詞がハラから出ていない。これが十分でないから、役の肚を薄く感じるのです。もっと努めて丹田に息を詰めて構える必要があります。ただし、これは海老蔵に限った問題ではありませんがね。近年の世話物の義太夫狂言の舞台に共通して感じることです。(この稿つづく)

(R4・7・15)


〇仕切り直しの・十三代目団十郎襲名披露興行の演目発表

本来であれば令和2年(2020)5月〜7月歌舞伎座で三ヶ月に渡り行なわれていたはずの、十三代目団十郎襲名・並びに八代目新之助初舞台の披露興行が、世界的な新型コロナ・ウイルス蔓延のために延期されたまま、もう2年の歳月が経ちました。社会・経済の状態は以前の水準にまで回復しておらず(むしろ新たな火種も抱えており)、歌舞伎興行も7月現在ではまだ三部制・収容人員制限が解除されていません。現状の客足は良いとは云えない。海老蔵にとってはまったく不運なことで、本人及び関係者の口惜しい思いは察して余りあります。しかし、やっとこさ仕切り直しで、本年(令和4年・2022)11月〜12月歌舞伎座で十三代目団十郎襲名・並びに八代目新之助初舞台が行なわれることが決まって、本日(7月7日)は、襲名披露演目が発表になりました。

   歌舞伎座11月            歌舞伎座12月

   

ところで歴代の団十郎の功績は素晴らしいものに違いありませんが、歌舞伎は古今東西綺羅星の如くの名優たちによって今日の姿となったのです。団十郎だけが偉かったわけではありません。明治36年(1903)の九代目団十郎の死以後「団十郎」が神格化され、これを旗印に歌舞伎が自身を盛り立てて来ました。事実、そういうことが、歌舞伎が危機であった時期を助けたことも何度かあったわけなのです。このため現行のマスコミの報道は、歌舞伎史的に評価した時の・「団十郎」の本来あるべき位置(実像)を逸脱した、はるかに大きな「虚像」で、「団十郎」を見ているきらいがあると思います。しかし、おかげで十一代目団十郎以後の市川家(前名である「海老蔵」も含め)は、過酷過ぎるほどのプレッシャーをずっと受けて来ました。本人は「団十郎」らしくしないと・・と意識過剰になり、周囲は団十郎ばかり特別扱いが気分的に面白くないということにもなる。このため「団十郎」が、何だか周囲から浮いた「孤独な」存在になってしまいました。(ご本人に帰することもありますが)これがマスコミが作り出した状況です。興行サイドや劇評家らにも責任はあると思います。だからこれから大事なことは、「団十郎」を、或る意味において、「普通(あるべき位置)」の名跡に戻すことだろうと思うのです。また「団十郎」も率先して「普通に」振る舞って、周囲に溶け込んで行かねばなりません。団十郎・団十郎と気張らぬことです。襲名前の・9月歌舞伎座での舞台で海老蔵は「七段目」の平右衛門を勤めますが、このように先輩・後輩の舞台に積極的に付き合う、そんなことの積み重ねが大事になります。そうすることで、「団十郎」は令和歌舞伎のなかでのしっくりした・本来あるべき位置を見い出すことになるでしょう。今後も海老蔵はそのことを努めてもらいたいですねえ。それは勸玄くんのためにもなることです。

襲名演目を見ると、「勧進帳」・「助六」はもちろん団十郎襲名に欠かせない演目ですが、安全指向と云うか面白味に欠けると云うか、まだ荒事に固執し過ぎの印象がします。もちろん団十郎=歌舞伎十八番=荒事であるし、海老蔵の魅力が目力(めぢから)であることも確かですが、襲名の時には或る程度やりたいことが出来るのだから、自分で自分の可能性を狭める必要はないと思います。今後各地の劇場で披露興行が引き続き行われるわけですが、そこでちょっと冒険してみることも一興ではないかな。

(R4・7・7)


〇令和4年6月国立劇場:「彦山権現誓助剣〜杉坂墓所・毛谷村」

6月国立劇場の鑑賞教室は、杉坂墓所と毛谷村の二幕です。筋立ても分かりやすく、芝居が初めての高校生にとっては良い演目ではなかったでしょうか。吉之助が後方の席で見ていた感じでは、ウトウトしていた生徒さんもいましたが・まあ一割くらいのもので・思ったよりも少なく、みんな熱心に舞台を見ていました。又五郎の六助は堅実な芸風が生きて、安心して芝居が見られました。弾正に騙されたことを知って怒り心頭に発する件りは、高校生たちにも芝居がしっかり伝わっていたと思います。と云うことで後半はなかなか良かったと思いますが、前半は六助のお人好しなくらいの人の良さをもう少し前に押し出してくれると、もっと良かったかと思います。のんびりした農村風景と相まって、六助の明るい人柄が伝わって来るともっと良い。又五郎のでんでん太鼓を叩いての物語は手堅い印象が先に立つ感じがしますが、ここはやはり手堅さよりも愉しさを感じさせてもらいたいのです。懐剣を構えるお園を気合いで制止しつつ、六助の洒脱な遊び心と余裕をさりげなく見せる、ここは剣術の達人たる六助の手並みを見せるところなのですから、愉しくあってもらいたいと思います。大事なことは、語りの息の詰めであると思います。先年亡くなった吉右衛門はそこのところが良かったことは、又五郎もよく覚えていると思います。六助については、やはり吉右衛門のことが真っ先に思い出されます。

孝太郎のお園は七代目芝翫譲りのもので、これも安心して見ていられる出来です。前回(令和2年11月国立劇場)所演に褒めた記憶があるけれども、あの時の六助は仁左衛門でした。今回共演の又五郎のように堅実な六助を相手役にした場合には、芝居の華みたいなものは、やはり女形が率先して取って行かねばならぬのではないか。しかし、今回は孝太郎のお園も、手堅さの方が先立つ印象がしますねえ。そこが女形孝太郎の今後の課題になると思います。花道から登場した時にあまり男を強調しなかったのは、芝翫も確かにそのようであった気がしますが、もうちょっと派手さを出すことを意識した方が良いかも知れません。六助が許婚と分かってグニャグニャになるところは、もう少し変わり目を強調して欲しい。例えば大臼を軽々と動かすお園の怪力を見て六助が唖然とするのに気付いて、「アラ嫌だ、私としたことが・・・」と微笑む辺りは、女武道の女形の愛嬌を見せる大事なところですから、客席から笑いが湧き上がるくらいであって良い。そう云うところの工夫の詰み重ねで、孝太郎のお園は、当たり役となる可能性を十分持っていると思います。

(R4・7・1)


 

 

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