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対話劇としての「勧進帳」〜十三代目団十郎襲名本興行の弁慶

令和4年11月歌舞伎座:「勧進帳」

十三代目市川団十郎(十一代目市川海老蔵改め)(武蔵坊弁慶)、十代目松本幸四郎(富樫左衛門)、四代目市川猿之助(源義経)

(十三代目市川団十郎白猿襲名披露興行)


1)対話劇としての「勧進帳」

本稿は、令和4年11月・歌舞伎座・十三代目団十郎襲名披露本興行での「勧進帳」の観劇随想です。まず先立って10月31日に行なわれた「特別公演」での「勧進帳」のことに触れておかねばなりません。台詞のテンポを遅めに、速度をあまり変えず、リズムをしっかり踏んでいく弁慶でありました。荒事の台詞廻しの原点は、「しゃべり」の芸です。これが富樫を勤めた仁左衛門の指導の成果であったことは明らかです。おかげで新・団十郎の長年の課題である発声に大きな改善が見られたことは嬉しいことでした。ここから「気付き」を得て、これが一時の成果で終わることなく、今後も彼がこの方向で努力を続けるならば、団十郎のみならず・歌舞伎にとっても目出度いことです。この視点から、今月・11月7日から始まった襲名披露本興行での「助六」(助六)と「勧進帳」(弁慶)の二役に於いて、団十郎がこの経験をどの程度深く自分のものとしたか、興味を以てこれを見ました。

助六については別稿にて詳しく触れることとしますが、大筋に於いて、特別公演の成果が見えるものであったと見て宜しかろうと思いました。これまでの彼の助六とは若干趣きが異なり、芸の端正さが意識された助六になっていました。助六については、とりあえず安心しました。しかし、弁慶の方は、特別公演と比すると、リズムが若干崩れた感じになってしまいました。テンポも早くなって、その分リズムの刻みが浅くなっている。このため発声についても上ずる調子になり、発声に芯がない方向へ若干戻った感じです。ただし前回(令和元年5月歌舞伎座)の弁慶よりは、大分ましですが。その理由は、明らかです。助六は、自分のペースで芝居しても何とかなる役です。「助六」は対話劇と云うほどのものでないからです。しかし、「勧進帳」では、そうは行きません。相手(富樫)がいるからです。「勧進帳」は、当時(初演は天保11年・1840)からすると画期的な対話劇でした。弁慶だけで山伏問答は出来ません。

こう書くと、今回(令和4年11月・歌舞伎座)の弁慶の発声が特別公演の時より悪くなったのは、富樫(幸四郎)のせいだと聞こえたかも知れませんが、もちろんそう云うことではありません。幸四郎に相手(団十郎の弁慶)のことまで気遣う余裕はないでしょう。しかし、「勧進帳」は対話劇だと云う観点から山伏問答というものを考えて欲しいとは思いますね。

幸四郎は、先月(31日)の特別公演「勧進帳」の舞台を見たと思います。見たのであれば、前回(令和元年9月歌舞伎座)の「勧進帳」で富樫を勤めて、仁左衛門の弁慶に対した時、あくまで仁左衛門の弁慶をベースにした場合の話ですが、「あの時の自分(富樫)はこのように弁慶に対すれば良かったのだ」ということが分かったはずです。仁左衛門の弁慶の弁慶は、テンポを遅めにして・速度を変えないインテンポの行き方でした。これで弁慶は、何事にも動じない・沈着冷静な印象となります。対する幸四郎の富樫は、問答が進むにつれ・次第にテンポを上げて・声を高く強めていくやり方でした。その結果、富樫ばかりが熱くなり・いきり立つように見えて、撃沈してしまいました。(注:仁左衛門の弁慶に対して撃沈した富樫は、幸四郎だけではありません。十八代目勘三郎の富樫もそうでした。)ホントはここは仁左衛門が自分のテンポ設計を幸四郎に話して・これに合わせてもらうようにすべきでした。テンポを次第に上げて行く幸四郎のやり方の方が、山伏問答のテンポ設計として常識的なものではあるのです。しかし、相手のことに構わず・ただ自分のペースでやっていたのでは、対話劇にならないでしょう。対話劇としての「勧進帳」の富樫は、主役であり・大先輩である仁左衛門に譲って、弁慶のテンポ設計に臨機応変合わせることが出来ねばなりません。その答えが特別公演の時の、仁左衛門の富樫にあったと云うことなのです。こうすれば弁慶と富樫はがっぷり四つに組んだ印象になり、幸四郎の富樫が大きく見えたはずです。幸四郎はそこのところをどう見たでしょうか。

幸四郎の富樫は、何度か見ました。幸四郎も未だ役の肚を掴みかねているようで、見る度に印象が微妙に異なるように思います。今回(令和4年11月・歌舞伎座)の富樫では、謡掛かりに歌う感じが全体に強くなりました。台詞が高調子に浮く感じがします。台詞の末尾が伸び気味なのも気になります。山伏問答は、テンポを次第に上げて行く・いつものやり方です。どうも印象が希薄に感じますが、肚の持ち様に課題がある気がします。

そこで団十郎の弁慶へ目を転じると、どうやら幸四郎の富樫のスタイルの方へ引っ張られて中途半端になってしまったようです。台詞のテンポが早くなって、リズムの打ちが浅くなってしまいました。器用なタイプではないのだから、良い意味において、自分のスタイルを押し通すところがあって良いと思いますがね。相手に合わせようとしちゃうのだな。他の狂言に於いても、団十郎は、対話というほどでなくても・他の役者とやり取りする場面では、声が上ずる傾向がしばしば見えます。多分会話の「軽み」を出そうとしている「つもり」なのでしょう。しかし、このため発声が弱くなったり・強くなったり、不安定な感じに聞こえます。器用ではないのだから、この「勧進帳」の弁慶でも、もっとデーンと構えた方が良い。団十郎の発声のことだけを考えても、その方が良かったのです。(この稿つづく)

(R4・11・11)


2)新・団十郎の弁慶

そこで新・団十郎の弁慶を見ると、花道上で「関を破って通るべし」と勇み立つ仲間を止める弁慶の第一声「やあれ、暫く御待ち候へ」は、しっかり二拍子のリズムを踏んでなかなか良かった。ここは声は出ていましたが、富樫との対話になると声が次第に上ずって来るのは、富樫に引っ張られて台詞が早くなって・リズムがしっかり踏めていないからです。ここを自分のペースで押し通して行ければ、大きい弁慶に出来るのですがねえ。

山伏問答は、弁慶・富樫互いのテンポ感覚に微妙なズレがあり、がっぷり四つに組んだ問答にまで至っていません。もっとも近年ホントに感服できる山伏問答に出会うことは滅多にありませんけどね。特別公演での仁左衛門の富樫との問答も・あのインテンポに近い速度設計では、対決の熱さ・迫力と云う要素はどうしても犠牲にならざるを得ません。その代わり四つに組んだ横綱相撲の「型」みたいな大きさは確かにあったと思います。実はこの感覚が大事なのです。この感覚さえあれば、対決の熱さは「型」に於いて感得されます。しかも荒事の原点たる「しゃべり」の芸を踏まえたものになります。これは能取り物(松羽目物)としての「勧進帳」の風格に沿うものなのです。今回(令和4年11月・歌舞伎座)の山伏問答では、互いのリズムがズレたため、この点に不足が見えました。役者は対話に関してアンサンブルということにもっと敏感であるべきですね。

ともあれ山伏問答はズレが見えるにしても双方どうにか持ち堪えたかに見えましたが、むしろ続く弁慶の義経打擲の方へこのツケが回ったようですね。富樫が弁慶を止めて言う一声「早まり給うな」がまるで悲鳴のような金切声です。これは非常にマズい。弁慶が富樫に責め拷問を食らわせて、富樫が悲鳴をあげた如くに聞こえます。これでは富樫が小さく見えてしまいます。ここは弁慶・富樫双方に問題があると思います。後に「打擲は弁慶の咄嗟の計略であった、お見事であった」みたいな話になるから・これは弁慶が計算ずくでやったことみたいに思うでしょうが、あの時富樫が止めなければ・弁慶は義経を打ち殺していたはずです。あれは弁慶にとって天からの救いの声なのです。そのように聞こえるようにして下さい。富樫は澄んだ声で、荒ぶる神を鎮めるように落ち着いて、「早まり給うな、番卒どもの由なし僻目より・・」を言わねばなりません。また弁慶は富樫にそのように言わせるように持って行かねばなりません。ですから詰め寄りから打擲に至るまでの双方のアンサンブルに問題があるのです。どこかお互い喧嘩腰で乱暴に見えているということだと思います。詰め寄りは舞踊なのですからキレイにやって欲しいですね。ここは再考の余地があります。

延年の舞いについては、特別公演の時も「もっと大らかさが欲しい」と感じましたが、今回も同様です。団十郎の弁慶はまだ富樫に気を許していない風がありますねえ。本行の「安宅」は兎も角、歌舞伎の「勧進帳」での延年の舞いは、明らかに富樫を祝福するために舞われるものです。弁慶も富樫も共に義経信仰に殉じることになるのですから。

一行がこの場を立ち去る時、笈を背負った弁慶が富樫に対ししっかりと礼を取るのは、良いことです。他の弁慶では頭を下げると同時にお尻を持ち上げているようなのが多いですが、団十郎はしっかり礼を取っています。これはとても良いことです。幕外の飛び六方の引っ込みは豪快で良かったと思いますね。猿之助の義経は、恐らく富樫の方が向きではあろうけれど、神妙に勤めていましたね。

(R4・11・14)



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