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悪態の祭祀性〜十三代目団十郎襲名興行の助六

令和4年11月歌舞伎座:「助六由縁江戸桜」

十三代目市川団十郎(十一代目市川海老蔵改め)(花川戸助六)、五代目尾上菊之助(三浦屋揚巻)、四代目尾上松緑(鬚の意休)、四代目中村梅玉(白酒売新兵衛)、十五代目片岡仁左衛門(くわんぺら門兵衛)、三代目中村又五郎(朝顔仙平)、八代目市川新之助(堀越勸玄)福山かつぎ)、四代目中村梅枝(三浦屋白玉)、四代目中村鴈治郎(通人里暁)、十代目松本幸四郎(口上)他

(十三代目市川団十郎白猿襲名披露・八代目市川新之助初舞台)


1)悪態の祭祀性

「助六」は悪態の芸術だと云われます。ところで、折口信夫がこんなことを言っていますね。

『「助六」には、洗練された悪態があります。悪態は祭りが代表的な場所だから、祭りの場所へ行ったような気がしたのでしょう。吉原の桜祭りのようなね。祭礼には、両町内懸け合いで、「あくたい」のつき較べをする、それが仕来りとして盛んになる。様式化して詞章が練られて来る。神楽や神事芸能に対しても、盛んに之を発します。同時に「ほめ詞」も言いかけます。芝居などでも、ほめ詞が様式化し、儀礼化して保存されましたが、悪態は自由に分散し、見物に放任するようなことになって行きました。これが必ずしも町奴、侠客などの専有でないことは、「助六」を見ると一等よく分かります。』(折口信夫:「助六座談会」・昭和21年5月・「演劇界」)

別稿「悪態の演劇性」でも触れましたが、「助六」で興味深いことは、悪態をつくのが助六や意休のような町のならず者たちだけではなくて、福山のかつぎのような町人も悪態をついて喧嘩を売り、揚巻のような女郎までも見事な悪態をつくことです。つまり、このようなかぶき者の気風が一般人にまで膾炙していたということです。

しかしこれは町のならず者が芸能神事を意識していたと云うことではなく(もちろん起源はそこにあるわけですが)、彼らは「男伊達」でありますから、それにふさわしい振る舞いをして見せないと「男がすたる」のです。つまり悪態は常に周囲の目を意識したものです。そこに度胸とセンスの良さが光るから、「カッコいい」のです。これが悪態の演劇性・祭祀性と云うことです。

歌舞伎の「助六」で見る悪態は舞台で様式化されたものですから、悪態が持つ原初的な力は既に失われていますけれど、荒事の二拍子のキビキビしたリズムのなかにかつての江戸っ子の意気地を想像することは十分に可能だと思います。しかし、悪態が生(なま)っぽいものになってはいけません。そういった生なものは端正さのなかに押し込められねばなりません。そうすることで悪態は様式になって行くのです。

新・団十郎の助六は、初役(平成12年・2000・1月新橋演舞場でのこと・当時は七代目新之助)の時は、その生っぽさ・荒々しさで世間に衝撃を与えました。吉之助も「これで歌舞伎は20年位寿命が延びた」と感激したものでした。それは事実ですけれど、その後の団十郎は持ち前の荒々しさをうまく制御出来ませんでした。吉之助も助六再演の度に大いに期待をしたものでしたが、色々試行錯誤はあったと思うけれども、残念ながら、海老蔵時代には荒々しさを端正さのなかに押し込めることが出来ないまま、団十郎襲名を迎えることになってしまいました。発声術に根本的な問題があったと思いますね。荒事の二拍子のリズムをしっかり踏む「しゃべり」の芸の基本が出来ていないのに、荒々しさ・力強さを無理に出そうとしても、様式が崩れるばかりなのです。だから思い切って、二拍子のリズムをしっかり踏んで自然な発声を心掛けること、台詞の端正さの側面から「しゃべり」の芸を立て直して行く方が、団十郎にとっては、結局、台詞改善の早道なのです。もっとも彼自身がこのことを自覚せねばどうにもなりませんが。

しかし、先日(10月31日)新・団十郎襲名特別公演の「勧進帳」で、仁左衛門の指導(と吉之助は理解しています)によって、良きヒントが与えられたと思います。特別公演の弁慶は、しっかり二拍子のリズムを踏んで・発声のペースを崩さない行き方(つまりそれまでの彼にはない行き方で)端正な印象に仕上がって、これはなかなか良いものでした。彼の持ち前である荒々しさは抑えられましたが、どうやらこれで弁慶の格好が付いたと思います。ここで彼が何か「気付き」を得たのであれば、この「気付き」が弁慶だけでなく・助六にも・或いはその他の役にも適用できると云うことが分かったはずです。台詞改善はそこから始まります。

と云うわけで11月7日から始まった襲名披露・本興行の「助六」は、その後の団十郎の方向性を占う意味でも注目しましたが、大筋に於いて、特別公演の成果が見えるものであったと見て宜しかろうと思いました。これまでの彼の助六とは若干趣が異なって、芸の端正さが意識された助六になっていました。助六については、とりあえず安心しました。(この稿つづく)

(R4・11・16)


2)悪態の様式性

今回(令和4年11月・歌舞伎座)の新・団十郎襲名の助六は、(これまでの彼にはない)しっかり二拍子のリズムを踏んで・発声のペースを崩さない端正な行き方で、いわば基本に立ち返ろうとした印象がします。その代わりかつて我々を感激させた荒々しさの要素は希薄になったと思いますが、こう云う要素は、芸の成熟につれて振り捨てていかねばならないものです。願わくば「荒々しさを様式の端正さのなかに封じ込める」となってもらいたかったですが、もう現在の団十郎は、芸の荒々しさにこだわり続けるか・芸の端正さを目指すかという二者択一をせねばならない段階に来ていると思います。それならば今後歌舞伎役者として成長して行くために、どちらを選ばねばならないかは、明らかなのです。答えは、明らかに後者です。

台詞のテンポを遅くして・リズムをしっかり踏んだ発声を心掛けること、「しゃべりの芸の原点に戻ること」、それが現在の団十郎に一番求められることなのです。その結果、今回の新・団十郎の「助六」は、どことなく仁左衛門の「助六」(平成30年10月歌舞伎座)に近い感触を感じさせるものになりました。団十郎が端正さを心掛けることで逆に取り落とすものは大きいと・これを惜しむ方も少なくなかろうと思いますが、これは45歳となった団十郎が台詞を改善し・これから歌舞伎役者として成長して行くために経なければならぬ過程だと思います。まあはっきり云えば、「しゃべりの芸の原点」に立ち返って出直しということですね。芸の端正さへの意識は、助六登場の花道での出端の踊りにも、良い影響を与えていました。しっとりとした面持ちが見えて来たと思います。

その観点から今回の助六を見ると、本舞台での名乗りのツラネは声も出て、近来になく良い出来であったのではないでしょうか。身の丈にあったテンポでしっかり二拍子を踏んだおかげで、喉に無理ない発声が出来ていたからです。これを勢い良くまくし立てようとすると、声が上ずってしまいます。助六は、自分のペースで芝居しても何とかなる役です。「助六」は対話劇と云うほどのものでないからです。だから発声の不安定なところが目立ちません。

この点は興味深いことですが、松緑の意休の台詞にも同じことが言えます。松緑は声はよく通る人ですが・抑揚に癖が強いところが大きな課題だと思いますけれど、今回の意休では、あまり発声の癖が目立ちませんでした。意休の台詞がゆっくりテンポで踏みしめるような様式だから、これが松緑の喉に良い作用をしたと思います。これも今回の団十郎の台詞改善と同じ理屈です。松緑の意休はちょっとスケールは小振りであったかも知れませんが、思いの外、団十郎の助六と噛み合って見えたのは、両者の行き方が一致していたからです。なかなか良い意休でしたね。

話を団十郎の助六に戻しますが、今回も、対話というほどでなくても・他の役者とやり取りする場面で、声が上ずるところが見えないわけではありません。例えば、気に障るほどのものでもないが、くわんぺら門兵衛との、「もう好い加減に了見してやるものだ、ヨォ」の、「ヨォ」で声がやっぱり浮いちゃいますね。多分会話の「軽み」を出そうとしている「つもり」なのでしょうが、ここは調子を抑えた方が良い。まあそういうところがあるにしても、大筋では、今回の助六は特別公演の成果が見えるものであったと見て宜しかろうと思いました。他の狂言でも、この方向で台詞の改善努力を続けてくれるのならば、歌舞伎にとってもいくらか光明が見えて来るでしょう。

台詞のことを書いてきたので、ここで初舞台の新之助の、福山のかつぎの悪態についても触れておきます。威勢よく台詞をスラスラ巻き出してなかなかの舞台度胸で、大したものでした。9歳でこれだけ出来るのは凄いことだと思いますし、感性がまっすぐ素直であるのも貴重なことだと思います。ここまでは新之助を褒めるとして、これからは新之助の台詞指導をなさった方に申し上げたいですが、「スラスラ滑らかに早くしゃべれば良い」と云う意識が本人に強いようですねえ。その通りスラスラ元気にしゃべれていますが、リズムが前のめり気味です。ここはもっと遅く、できるだけ遅く、この1倍半くらいか・もっと遅くしゃべらなければ、悪態のツラネの様式にならないでしょう。もっとしっかり言葉の粒を立たせることが出来るまで遅くすることです。最初が肝心であるから「様式」を意識させる指導をして欲しいと思います。そのためには周囲の方の台詞をよく聞く習慣を付けさせることです。このことは昼の部の「外郎売」でも同じことです。「早口言葉だからスラスラ早く言わないと」ではなく、それはツラネの、「しゃべりの芸」の様式をしっかりと持っているのです。そこを感覚で掴むことですね。

本稿冒頭で触れた通り、「助六」には洗練された悪態の様式があって、町のならず者たちだけではなくて、福山のかつぎのような町人も悪態をついて喧嘩を売り、揚巻のような女郎までも見事な悪態をつきます。それは常に周囲の目を意識したものであり、度胸とセンスの良さを競うための・虚勢を張った祭祀的行為なのです。

菊之助の揚巻は立派なものです。このところの菊之助は数々の大役を見事にこなして・ホントに大きな役者になってきました。菊之助の揚巻は、「実(じつ)」の印象がしますね。これは例えば揚巻の意休に対する悪態でも、恋人助六のことを詰(なじ)られた揚巻が本気で怒っている・意休に斬られる覚悟で物申したいという・女の「実」の気持ちがあるものとして理解できそうで・それはそれで十分納得は出来ますけれど、菊之助の揚巻は何だか健康的な感じがしますね。吉原は江戸の総合文化センター・揚巻はそこのトップ・スターと云うことならばそれは分かりますが、菊之助はそんな感じでやっているのかも知れませんねえ。しかし、遊郭というのは「悪所」であって、猥雑な反道徳的なエネルギーが満ち溢れている場所です。いわば揚巻は「悪の華」なのです。悪態が周囲の目を意識した虚勢を張った行為であるとすれば、もうちょっと町のならず者を間夫に持つ遊女の爛(ただ)れた・不健康なところがあって欲しい気がしますが、まあこれは菊之助の芸の持ち味だから仕方がないところでありましょうか。「忠臣蔵」のお軽でも、菊之助は六段目には似合うが、七段目だとちょっとしっくりしないのと同じことがここで起きているようです。玉三郎であると七段目はホントぴったりなのだが、六段目だと艶(なま)めいた感じになってしまいます。玉三郎と菊之助の芸質は多分その辺微妙に異なるのでしょうねえ。

(R4・11・19)



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