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十三代目団十郎襲名披露の弁慶〜「勧進帳」

令和4年10月31日歌舞伎座:「勧進帳」

十三代目市川団十郎(十一代目市川海老蔵改め)(武蔵坊弁慶)、十五代目片岡仁左衛門(富樫左衛門)、五代目坂東玉三郎(源義経)

(十三代目市川団十郎白猿襲名披露記念・歌舞伎座特別公演)


1)新・団十郎の弁慶

令和4年(2022)10月31日・歌舞伎座での、「十三代目団十郎白猿襲名披露記念・特別公演」を見て来ました。いつもだと襲名披露本興行の初日を終えた時点で新しい名前になるものだと理解していますが、今回の場合は、本日・特別公演を終えた時点で・晴れて十三代目団十郎になったということだと思います。世界的なコロナ蔓延で襲名興行が約2年半延期されるなど波乱万丈でした。無事に襲名に至ることが出来て、まことに目出度いことです。これからの歌舞伎のために頑張ってもらいたいと思います。

さて本稿は、当日の襲名披露演目「勧進帳」の観劇随想です。まず結論を先に書くと、今回(令和4年・2022・10月31日・歌舞伎座)での、十三代目団十郎襲名披露の弁慶は、吉之助も彼の弁慶をこれまで何度か見ましたけれど、恐らくそのなかで最も出来が良いものであったと思いました。これまでの彼の弁慶に見られなかった・芸の端正さへの意識を垣間見ることが出来ました。この弁慶であれば、新・団十郎の弁慶として、将来へ向けての期待が持てます。そのことを素直に慶ぶと同時に、この「初心」を忘れて欲しくないと強く願うものです。

本人は分かっていることと思いますが、この弁慶は決して新・団十郎ひとりで出来上がったものではないと云うことです。仁左衛門の富樫と玉三郎の義経、この二人の大先輩の、芸の導きと下支えがあってこそ可能になった弁慶です。歌舞伎の未来は、決して明るいわけではありません。歌舞伎のために団十郎に頑張ってもらわねばなりません。団十郎が良い役者になってくれなければ、歌舞伎が困ります。そのために仁左衛門と玉三郎が、ホントに献身的に新・団十郎の相手を勤めたことが、舞台を見ていてよく分かりました。お二人の、歌舞伎に対する、後輩に対する大いなる愛を感じました。おかげで今回の、この団十郎の弁慶が出来たのです。これはホントに有難いことです。

正直に申し上げると、今回の「勧進帳」に際し、吉之助はあまり過度な期待を持たないようにしていたのです。一番大きな理由は、ここ10幾余年、海老蔵の芸が独りよがりになって、芸の規格がどんどん崩れて行く様子をずっと見て来たからです。弁慶に関して云えば、初めてそれを見た時は、粗削りでまだ欠点は多いが・素材として良いものを持っている・これなら将来が大いに期待できそうだと感じましたが、期待に反して、見る度ごとに具合が悪くなって、ガッカリすることが多かったのです。残念ながらこれは弁慶だけのことではなく、助六でも、他の役でも同様なことでした。恐らく芸に関して周囲に親身にアドバイス・直言できる人がいないのでしょうねえ。まあアドバイスしても本人がどれだけ聞いたか分かりませんが。そう云うわけで、今回の「勧進帳」を見る前の吉之助は、期待よりも不安の方が大きかったと云うのが、正直なところでした。今回上演に際しては、仁左衛門と玉三郎が、ホントに真摯に芸の指導をしたと思います。そうでなければ、弁慶の・この改善はなかったと思います。だからこそもう一度繰り返しますが、この「初心」を決して忘れて欲しくないと思います。そうであれば歌舞伎の先行きに光明がいくらか見えて来ます。(この稿続く)

(R4・11・1)


2)仁左衛門の富樫

よろしければ別稿「台詞劇としての勧進帳」をご覧ください。これは3年前・令和元年(2019)9月歌舞伎座での、仁左衛門(当時75歳)の弁慶による「勧進帳」の観劇随想です。台詞のテンポを遅めに、速度をあまり変えず、言葉を噛みしめるようにリズムをしっかり踏んでいく弁慶でした。「この倍の速度で台詞をしゃべろ」と云われても難なくこれをこなすであろう・歌舞伎界随一の台詞術を持つ仁左衛門が、敢えてこの遅いテンポを押し通す意図はどこにあるかと云うことです。それは「しゃべりの芸の原点に戻れ」ということです。当時の吉之助は、次のように書きました。

『この仁左衛門の弁慶を、是非海老蔵に見てもらいたかったなあと思うのです。確かに仁左衛門の行き方は海老蔵とは全然違います。真反対と云っても良いかも知れません。しかし、「歌舞伎十八番はしゃべりの芸だ・しゃべりの芸の原点に還れ」という主張は、これは実は吉之助が海老蔵に一番言いたかったことです。現在の海老蔵の課題が台詞の改善にあること、これは衆目の一致するところです。海老蔵が持つ荒ぶる資質(これは何にも代えがたいものです)を端正さの様式に押し込めること、これが今一番海老蔵の歌舞伎十八番の役々に求められることなのです。そうすれば海老蔵の芸のエッジが立って来ると思うのですがねえ。そのヒントが仁左衛門の弁慶にはあると云うことを指摘しておきます。』(「台詞劇としての勧進帳」)

今回(令和4年10月31日・歌舞伎座)の、新・団十郎の弁慶は、「しゃべりの芸の原点に戻る」ことを意識したところが見える弁慶でした。このような姿勢は、これまでの彼には見えなかったことです。それは、台詞のテンポを遅めに・速度をあまり変えず・リズムをしっかり踏む台詞廻しにはっきりと現れました。もちろんまだ十分なものではありません。癖のある抑揚も直したいところはあるにしても、今回一番改善が見えたのは、声が無理なく良く出ていたことでした。これが仁左衛門の指導の成果であったことは、明らかなのです。

荒事の発声というのは「甲高い大声で・急き立てるように喚く」ことであるようなイメージが世間にあるかと思います。それは必ずしも間違いとは言えません。しかし、それは背景にしっかりとした二拍子の「しゃべり」の技術があればこその話です。「しゃべり」の芸の基礎がまだ出来ていないのに、いきなり大声でスラスラ早口で「らしく」台詞をまくし立てようとしても、発声に無理が出るばかりです。海老蔵時代の彼は、そう云う状態であったのです。ならばいっそのこと台詞のテンポを遅くして・リズムをしっかり踏んだ発声を心掛けること、「しゃべりの芸の原点に戻ること」、それが現在の団十郎に最も求められることなのです。そのお手本のような台詞が、あの仁左衛門の弁慶です。

今回、仁左衛門は団十郎にしゃべりの芸の原点に戻った弁慶を教え、自らは富樫へ廻って、自分が弁慶を演った時に富樫役者に「こういう風に押してもらいたい」と感じていたであろうことをそっくりそのまま演ってみせたと理解しました。弁慶役者の側からすればホントにやりやすい富樫でした。と云うか、「ホラ俺のこの調子に付いてこい」とまるで弁慶を導くかのような富樫の山伏問答でありましたねえ。今回、仁左衛門は、団十郎のために出来ることをホントに最大限してみせたと思います。指導に応えて団十郎も頑張ったことは、素直に認めたいと思います。

願わくば、この「初心」を忘れず、これが今回だけのことにならず、他の役においても・助六についても、「しゃべりの芸の原点に戻れ」と云う仁左衛門の教えが適用できるんだと云う「気付き」が、団十郎のなかにあって欲しいと思います。(この稿続く)

(R4・11・2)


3)玉三郎の義経

一方、玉三郎の義経も、やはり台詞のテンポを遅めに・リズムをしっかり踏む台詞廻しで、これも仁左衛門の富樫に相応したやり方で、新・団十郎の弁慶を別角度から支えていたと思います。正直申し上げると、義経という役は、玉三郎の体質に必ずしもぴったり嵌らないところがあると思います。女形が義経を演じることは多いですが、艶の質感が向きの方と・そうでない方がいらっしゃるようです。例えば七代目梅幸には向きますが、六代目歌右衛門にはあまり向きとは申せませんでした。優美さが先に立つ玉三郎にも、そんなところがあります。しかし、今回の玉三郎の義経に表現を実(じつ)の方向へ持っていこうとする意識が特に強く見えたのは、仁左衛門と同じく、やはり団十郎の弁慶を端正なしゃべりの芸へ導こうという意図からであったに違いありません。玉三郎もまた、団十郎のために出来ることをホントに最大限してみせたと思います。

発声が良くなって「勧進帳」前半はなかなか引き締まった出来になりましたが、後半の弁慶の舞いについては、まだ改善の余地があるようです。もっと大らかさが欲しいと思います。「茫洋な」とでも言いましょうか、団十郎の名跡に相応しい・ゆったりした大きさですかね。所作に若干急く感じがあると云うか、生(なま)な感じがまだ強いようです。そう云うところは彼の美質でもあるのですがね。それは分かるのだが、それが却ってスケール感を小さくしているきらいがあります。そう云うものは芸の成熟に連れて振り捨てて行かねばならないものです。詰まるところは台詞と似たような問題なのですが、彼のなかの荒ぶる資質を端正さの様式に押し込めることを心掛けて欲しいですね。そうすることで彼の「勧進帳」は、団十郎らしい・もっと大きいものに変わって行くと思うのです。

今回(令和4年10月31日・歌舞伎座)の新・団十郎の弁慶は、台詞・発声に関しては、いくらか光明が見えました。これも仁左衛門・玉三郎の導きのおかげです。この経験から団十郎が何某かの「気付き」を得て、今後もこの方向で発声の改善努力を続けて行けるかどうかは、まずはこの11月から始まる襲名披露・本興行での、弁慶と助六を見れば、占うことが出来ると思います。願わくば、そう在ってもらいたいものです。

(R4・11・3)



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