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台詞劇としての「勧進帳」〜十五代目仁左衛門の弁慶

令和元年9月歌舞伎座:「勧進帳」

十五代目片岡仁左衛門(武蔵坊弁慶)、十代目松本幸四郎(富樫左衛門)、初代片岡孝太郎(源義経)


1)歌舞伎十八番は「しゃべり」の芸である。

今月(令和元年9月歌舞伎座)の「勧進帳」は、仁左衛門の、平成20年4月歌舞伎座以来、11年ぶりの弁慶が話題です。今回の弁慶も台詞を遅めにして、速度をあまり変えず、言葉を噛みしめるようにリズムをしっかり踏んでいく、そのコンセプトは前回と変わりません。しかし、そこに十一年の歳月を経た芸の成熟があり、また我々も前年(平成30年)11月歌舞伎座で仁左衛門が演じる助六を見てもいるので、元禄歌舞伎の集大成としての歌舞伎十八番に対する仁左衛門の意図が一層はっきり見えて来ることになりました。仁左衛門なりの主張が、台詞のテンポに出ています。それは「しゃべり」の芸として歌舞伎十八番を読み直そうと云うことだと思います。「勧進帳」については、言うまでもなく天保11年(1840)七代目団十郎に拠る初演ですから、他の十七番と異なり・そこに確固としたドラマ構造が備わっているわけですが、元禄の古(いにしえ)の「しゃべり」の芸の心を追求するならば、「勧進帳」は台詞劇の様相を呈することになるでしょう。ただしそこで切り捨てられた要素は決して少なくなく、一長一短があると思います。それはそうだが、まあそこも飲み込んだうえで、本稿では台詞劇としての「勧進帳」について考えてみることにします。

まず元禄歌舞伎について触れておきます。歌舞伎の発祥は慶長8年(1603)出雲のお国の「かぶき踊り」に発すると云われ、そこから数えれば歌舞伎の歴史は四百年超と云うことになりますが、実際には、当時のお国歌舞伎は現行歌舞伎の形態とは似ても似つかぬものであって、女優の禁止など政治権力の規制などもあって、その後の歌舞伎は変化します。百年の長い歳月をかけて次第に変化して、ちょうど元禄の初代団十郎の時期になって、現行歌舞伎にかなり近い形態に定着したと云うことなのです。現在我々が見ることが出来る「対面」や「暫」の舞台は、そのような最も古い時期の歌舞伎の雰囲気を残すものです。後年七代目団十郎が制定した歌舞伎十八番は代々荒事を得意としてきた市川家の家の芸を標榜するものですが、期せずして、それは元禄歌舞伎の荒事の集大成と云うことになりました。ただし「勧進帳」だけが別格です。「勧進帳」だけは、初代・二代の芸を踏まえつつ、未来志向で新しい市川家の芸を志向するものでした。(これについては別稿「勧進帳のふたつの意識」をご参照ください。)

元禄歌舞伎の台詞術の基礎になるものは何かと云うことですが、それは狂言の台詞術です。歌舞伎が歌舞伎様式の台詞術を何もないところから創り上げたわけではありません。どんな芸術様式であっても、それは既存の様式を材料にして・それに創意を加えて新しいものを造るものです。初期のお国歌舞伎には、狂言師が多く参加していたことが知られています。恐らく彼らは、当時の能狂言の状況に飽き足らず新しい演劇の創始を夢見て歌舞伎の世界に飛び込んだものに違いありません。創世期の歌舞伎においては、(芝居と云ってもまだ他愛のないものだったでしょうが)そのドラマ構造・演技理念においても、骨格を与えたのが狂言なのです。これを「かぶきらしく」独自にアレンジを加えたのが、元禄歌舞伎の台詞術だと考えれば良いです。そのような元禄歌舞伎の「しゃべり」の芸が、どんなところに出るかと云えば、例えば「暫」での鎌倉権五郎の花道上でのツラネ・「助六」のツラネ・或いは「外郎売」の早口の言い立てなどです。これは主役の台詞だけがそうなのではなく、他の役だってみんな同じことです。しかし、現行の「暫」や「対面」の舞台を見れば、どの役も伸びきったウドンみたいな台詞廻しです。それが「かぶきらしい」と信じていて、狂言の台詞が根本にあることを、どなたもあまり考えていないようです。

狂言では、言葉を噛み砕くようにしっかり発声し、言葉のひとつひとつの粒を大事にします。台詞のリズムは一定で、タンタンと小気味よく進みます。歌舞伎の荒事では、台詞は急発進したり急停止したり、突然大きく張り上げたり・時に声を裏返したり、変化を大きく付けて、そこにアジタートな(急きたてる)気分が横溢しますが、実は荒事の台詞の基礎に、狂言の台詞廻しがあるわけです。と云うよりも、そもそも台詞の基礎がしっかりしていなければ、いくら力んで大声を張り上げたとしても、急な変化が際立たないので荒事の台詞術が生きて来ません。「勧進帳」に限らず・最近の歌舞伎十八番の舞台を見ると、そのことを痛感させられます。(別稿「アジタートなリズム〜歌舞伎の台詞のリズムを考える」を参照ください。)

そこで今回(令和元年9月歌舞伎座)の「勧進帳」での、仁左衛門の弁慶ですが、狂言を意識したかは兎も角、台詞のリズムはタンタンと小気味よく、言葉のひとつひとつがよく聞き取れて、台詞の意味がよく分かります。どんなピンチにおいても自分のペースを乱さぬ、沈着かつ理性的な弁慶の風格で、これは在来の弁慶の在り方に一石を投じるものであると感じ入りました。これはすなわち「しゃべりの芸の原点に還れ」と云うことなのです。「この倍の速度で台詞をしゃべってみろ」と云われても難なくこなすであろう・歌舞伎界随一の台詞術を持つ仁左衛門が、敢えてこの遅いテンポを押し通すと云うことは、失礼ながら仁左衛門さんは結構頑固なお方なのであろうとは思いますね。

ただし切り捨てられた要素は決して少なくありません。山伏問答なんて・相手がワーッと云うからワーッとやり返すようなもので、台詞の意味なんてどうでも良い、それよりも大事なものは勢い・或いは気迫だと云う考え方もあります。当然ながら仁左衛門の弁慶では、そうした荒事らしい要素は失われています。「勧進帳」は歌舞伎十八番(荒事)なのですから、そこは大事にしたいと思いますが、しかし、歌舞伎十八番は「しゃべり」の芸でもあるのです。「しゃべりの芸の原点に還れ」という主張は、心して受け止めたいと思います。(この稿つづく)

(R1・9・26)


2)端正な山伏問答のために

しばしば出る問いに、「勧進帳」は踊り(舞踊劇)か・芝居(台詞劇)かと云うのがあります。これは、多分、「そのどちらでもあり・そのどちらでもない」と云うのが正しい。或る意味「勧進帳」は義太夫狂言みたいなところがあります。義太夫狂言は竹本が作る音楽的構造に乗せて作る芝居ですが、「勧進帳」の場合、これを下座音楽の長唄が作るわけです。長唄の場面(ここでは役者が合わせて所作をする)と、役者が台詞をしゃべって芝居する場面は途切れているのではなく、両者はつながっており・互いに連関しています。芝居(台詞劇)の局面においても、台詞は何らかの音楽的感覚を帯びることになります。純然たる素の台詞で良いというわけに行かないのです。「勧進帳」は音楽劇であるからです。(別稿「勧進帳は音楽劇である」を参照ください。)音楽的感覚は様式にも通じますから、これは本行である能「安宅」の様式から来るものだとも云えます。そう考えると、「勧進帳」に踊りと芝居の理想的な配合バランスを見出すことは、結構難しいことになると思いますねえ。もうひとつ大事なことは、配合バランスは役者によって変わるもので、そこに正解はないのです。例えば仁左衛門の弁慶と海老蔵の弁慶とでは、その芸質に拠って理想の配合バランスが当然異なります。もちろん共演の富樫・義経との兼ね合いによっても変わります。

今回(令和元年9月歌舞伎座)の仁左衛門の弁慶を見ると、台詞はタンタンと小気味よく、頑固にこのテンポを押し通します。全体にインテンポの感覚です。だから言葉のひとつひとつがよく聞き取れて、台詞の意味がよく分かるという利点が確かにあります。そこに「しゃべりの芸の原点に還れ」と云う仁左衛門の主張がよく出ています。もとより主人義経を何としても守り抜くという肚において不足はありません。だから弁慶だけに限って見ると、文句の付けようのない見事な台詞廻しです。しかし、幕がしまって改めて思い返してみると、この沈着冷静な弁慶のドラマに理屈では納得出来るとしても、「勧進帳」としては何か大切なものが抜け落ちた気がしてなりません。

そう書くと「もともと仁左衛門は力で押す荒事の弁慶の柄ではない」みたいなニンの話になるかも知れませんが、吉之助はそう云うことを言いたいのではないのです。ニンでないならば・ないなりの弁慶を作れば良いだけのことです。吉之助が申し上げたいことは、「しゃべりの芸の原点に還れ」と云う主張を受け止めるならば、さらにもう少し工夫が必要ではないかと云うことです。下座音楽の長唄が作り出す・そして刻々変化する劇的緊張を積極的に利用して、もっと自在な台詞のテンポ設計をすべきなのです。このインテンポ感覚にはちょっと不満が残ります。「勧進帳」全体を見渡すと、仁左衛門の弁慶だけ泰然自若とし過ぎる感じがします。周囲はハラハラしているけれども、このくらいでは弁慶は毛ほども動じない、降りかかってくる難題を自らの知力・胆力で余裕たっぷりに切り返す、すべて計算通りと云う風に見えるのです。これは仁左衛門の台詞のインテンポの感覚から引き出される印象です。

この欠点が端的に現れているのが、山伏問答です。これについては平成20年4月歌舞伎座の「勧進帳」の観劇随想でも触れました。故・十八代目勘三郎の富樫がテンポを速めて押しに掛かっているのに、仁左衛門の弁慶がこれを受けに行かないので、富樫ばかり妙にいきり立って見える不自然な問答になってしまいました。このため勘三郎の富樫が評判が甚だしく悪かったのです。今回(令和元年9月歌舞伎座)の、幸四郎の富樫を相手にした問答では、弁慶が後半わずかにテンポを上げたおかげでそこまで酷い感じにはなりませんでしたが、「そもそも九字の真言とはいかなる義にや・・」では、やはり富樫が「この人どうしてこんなに熱くなってるの?」と云う感じに見えました。それは富樫が押す同じテンポで弁慶が押し返さないから、両者の力が拮抗しないからです。富樫が悪いのではなく、弁慶が悪いのです。

まず山伏問答になぜ音楽的設計が必要なのか考えなければなりません。本来山伏問答は本行である能「安宅」にないものでした。もし本作に山伏問答がなければ、外題は「安宅」のままであったでしょう。しかし、「勧進帳」を創始した七代目団十郎は、当時の講談の呼び物であった「弁慶と富樫の山伏問答」を講談師燕凌(えんりょう)と南窓を招いて実演させて、ふたりの人気講談師の丁々発止の話芸を芝居のなかに取り込みました。団十郎の意図は、初代・二代目から代々伝わる元禄歌舞伎の「しゃべりの芸」を踏まえ、さらにこれを発展させて、まったく新しい市川家の芸を創造することでした。

山伏問答とは、弁慶一行を未だ信用しかねる富樫が、弁慶に山伏の心得や秘法の呪文について矢継ぎ早に質問して、弁慶が本物の山伏か糺そうとするものです。「嘘の勧進帳をでっちあげたり・問答に答えたりするくらい弁慶にとって朝飯前のことだ」みたいなことを云う方がいらっしゃいますが・これはトンでもない見当違いで、迂闊にも用意していなかった勧進帳を読めと言われたり、次から次への質問を繰り出されて、弁慶は一難去ってまた一難・果たしてこのピンチを切り抜けられるかと、観客は手に汗を握りながらこの問答を聞くのです。なかなかボロを出さない弁慶に「これでもか」と云うように、富樫は質問を繰り出します。しかし、「阿吽の二字」と弁慶が富樫の質問を断ち切るように叫ぶ場面では、さすがの弁慶もここでは「質問はこれまで。もう答えないぞ」と叫んでいるかのようです。しかし、富樫は許そうとしません。「そもそも九字の真言とはいかなる義にや・・・・ささ、なんと、なんと」と畳み掛けて行きます。ここが山伏問答のクライマックスです。質問を重ねるたびに、テンポは次第に早まっていき、ここでスピードが最高潮に達します。問答には、そのようなアッチェレランド(次第に早くなっていく)のテンポ設計がされているのです。これは団十郎が講談師燕凌と南窓の話芸から取り入れたものです。

ここで弁慶が息を継ぎます。「九字の大事は神秘にして語りがたきことなれども・・」などともったいぶっているけれども、そう言いながら実は弁慶は息を整えているのか、或いは何を答えるべきか考える間を取っているのかも知れません。「これ以上質問を出されたらボロを出してしまいそうだ、だからこれで問答を終わらせてしまおう」という気迫で答えるのです。弁慶が最後の返答を猛スピードで終わらせるのは、気迫で富樫の次の質問を封じ込もうという魂胆です。もしさらに富樫が質問を継いで来たら、もう弁慶は耐えられないと云う寸前まで来ているのです。山伏問答とは、まさにピンチの連続、最後に一番の難所が待ち構えているという、手に汗握る問答です。局面の緊張の変化が、アッチェレランドのテンポ設計に現れています。

大事なことは、この問答のアッチェレランドのテンポ設計を主導するのは、富樫の役割だと云うことです。次第に速まっていく富樫の質問の末尾のテンポを受けて、そのテンポで弁慶は返答を開始せねばならない、これが鉄則なのです。ところが今回(令和元年9月歌舞伎座)の「勧進帳」の山伏問答を見れば、これがまったくそうなっていません。仁左衛門の弁慶が富樫のテンポ変化をその通りに受け取らずテンポを変化させない、自分が思うテンポを頑固に押し通しているからです。仁左衛門はこれを意図的にやっていますね。だから問答が進むにつれて富樫と弁慶の台詞のテンポのズレが次第に大きくなってしまい、このため音楽的設計が取れず、ギクシャクした印象の問答になってしまいました。

但し書きを付けると、幸四郎の富樫は決して悪くない出来です。昨年(平成30年)4月御園座での富樫と比べると、かなり良くなりました。今月(9月)歌舞伎座での三役(番隨長兵衛・武部源蔵・富樫)のなかでは、富樫が気合いが入って一番良い出来だと思います。幸四郎が問答で取るアッチェレランドのテンポ設計は常識的なもので、他の弁慶が相手ならば、これで十分良いと言えるものです。問題は、富樫のテンポ主導に合わせない弁慶の方にあります。弁慶のせいで幸四郎の富樫が随分損な役回りに見えてしまったと思います。しかし、「勧進帳」は弁慶のドラマであるのと同じくらいに富樫のドラマでもあるはずです。

真相はそう云うことなのですが、それは兎も角、ここで「しゃべりの芸の原点に還れ」と云う仁左衛門の主張を受け止めて、敢えてテンポをあまり動かさないコンセプトで山伏問答を設計してみたらと云うことをちょっと考えてみたいのです。幸四郎と十分話合ったうえで、今回だけは仁左衛門が意図するテンポで富樫が質問を発してもらう、実は弁慶がテンポ主導しているのだけれど・そのように見えないように富樫のテンポ設計を調整してもらう、これは可能なことだったと思うのですよね。そうすれば問答は両者の力が均衡して見えることになり、緊張感ある問答に仕上げられたと思うのです。インテンポに近く、しっかりした理屈の応酬となったことでしょう。端正な山伏問答、それは本来の(七代目団十郎の意図した)山伏問答ではないかも知れませんが、まあそれはそれでも良いことです。自分の主張を確固としたものとしたければ、仁左衛門は幸四郎に話して、そこまで付き合ってもらうことを頼むべきであったと思いますが、残念なことをしました。歌舞伎役者には、アンサンブルと云うことをもう少し考えてもらいたいと思います。

ところでこの仁左衛門の弁慶を、是非海老蔵に見てもらいたかったなあと思うのです。(今月は出勤がなかったようだから、もしかしたら見たかな、それならば良いのだが。)確かに仁左衛門の行き方は海老蔵とは全然違います。真反対と云っても良いかも知れません。しかし、「歌舞伎十八番はしゃべりの芸だ・しゃべりの芸の原点に還れ」という主張は、これは実は吉之助が海老蔵に一番言いたかったことです。現在の海老蔵の課題が台詞の改善にあること、これは衆目の一致するところです。海老蔵が持つ荒ぶる資質(これは何にも代えがたいものです)を端正さの様式に押し込めること、これが今一番海老蔵の歌舞伎十八番の役々に求められることなのです。そうすれば海老蔵の芸のエッジが立って来ると思うのですがねえ。そのような考えるヒントが仁左衛門の弁慶にはあると云うことを指摘しておきます。

最後に付け加えますが、孝太郎の義経はなかなか良かった。優美ななかにも凛とした趣きがあって、近頃得難い義経で、仁左衛門の弁慶に華を添えました。

(R1・9・29)



 

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