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二代目吉右衛門のコロナ以後の由良助

令和3年1月歌舞伎座:「仮名手本忠臣蔵〜七段目」

二代目中村吉右衛門(大星由良助)、五代目中村雀右衛門(お軽)、四代目中村梅玉(平右衛門)

*本稿中で初代と二代目吉右衛門が交錯します。単に「吉右衛門」と記する時は二代目のことを指すとお読みください。


1)コロナ以後の吉右衛門

昨年(令和2年)コロナ・ウイルスにより全世界が予期せぬ困難に直面することとなり、それはまだ現在も続いています。歌舞伎座は昨年3月から7月まで興行中止を余儀なくされ、8月からは客席を半分に限定するなどの感染対策を施したうえで興行を再開して現在に至ります。コロナ禍の恐怖は、人と人との係わり合いを分断してしまいました。それは「エンタテイメント悪場所」論的な様相を呈しています。そのなかで歌舞伎役者の誰もが、「歌舞伎は今必要とされているのか?」、或いは「歌舞伎は今この時代が必要とするものを提供できているか?」という問いに直面することになったと思います。

別稿「コロナ以後の歌舞伎」のなかで、「理不尽なコロナの状況に対して震い立つところを誰よりもはっきりと見せてくれたのは吉右衛門であった」と書きました。もちろん「震い立つ」と云っても、その表わし方は人それぞれのことです。やるべきことをいつもの通りに淡々と行うことが「震い立つ」であっても、それはちっとも構わないのです。それにしても観世能楽堂での無観客上演のオンライン配信「須磨浦」での吉右衛門(熊谷直実)の気迫は突き刺さるようでありましたね。さらに昨年11月国立劇場での「平家女護島・俊寛」の俊寛も、とても印象深いものでした。これまでの吉右衛門の俊寛には、(これは誰の俊寛であってもそうだと思いますが)沖合いの船影を少しでも追おうとする意志的なもの(と云うか生への執着とでも云うか)が動きのなかにあったと思います。しかし、11月国立での俊寛では、そのような生臭いものが後ろに遠く引いてしまって、足取りが何だか無意識的な虚ろな動きに思われて、花道傍の席で見ていた吉之助は一瞬驚きました。幕切れの岩上に佇む俊寛の姿に「吉右衛門はついにもう一段階上のステージに到達したなあ」ということを思いました。

今回(令和3年1月歌舞伎座)の吉右衛門の七段目の由良助についても、同じようなことを痛切に感じますねえ。イヤ正確に云えば、このような吉右衛門の芸の円熟はこの2〜3年ほどの舞台にも出ていたに違いないですが、昨年11月の俊寛・今月の由良助に於いて、それは明白なものとなりました。そこにコロナ禍のなかでもタダでは置かない吉右衛門の「憤(いきどお)り」があったということではないですかねえ。「憤り」と云っても荒事のように力み返って・肩肘張ったものではなくて、吉右衛門の場合の憤りは、それは無駄な力が抜けて・アクが抜けた自然な形となって表れて来たようです。

吉之助は、もしかしたら晩年の初代吉右衛門の俊寛や由良助もこんな感じであったかなと云うことを思いました。初代吉右衛門が亡くなったのは昭和29年(1954)9月で、それは吉之助が生まれる以前のことです。だから吉之助の想像の手掛かりは遺された晩年の3本の映画(「熊谷陣屋」・「寺子屋」・「盛綱陣屋」)しかないわけですが、現・吉右衛門の由良助に、写真でしか知らない初代の由良助の面影をふと感じたのです。こういうことは、これまで思わなかったことでした。(この稿つづく)

(R3・1・24)


2)初代吉右衛門の芸の秘密

初代吉右衛門は六代目菊五郎と並んで「菊吉時代」を作った名優で、その本領は時代物にあったということは、よく云われるところです。時代物を得意とするならば、大抵その役者は押し出しが利いているものでしょう。そういう先入観があるので、初代吉右衛門は線が太くて・スケールが大きい役者だっただろうと想像する方が多いのではないでしょうか。ところが武智鉄二は初めて初代の舞台を見た時「何と云う、小さな貧弱な役者か」と驚いたと記しています。坪内逍遥などは、初代について「線がおそろしく細い、あんまり細すぎる」とさえ書いています。(別稿「初代吉右衛門の写実の熊谷」を参照ください。実は吉之助も、映画「熊谷陣屋」(昭和25年4月東京劇場)で初めて初代の熊谷を見た時、「大播磨はこんなに線の細い役者だったのか」と驚いたことをよく覚えています。これは見た目だけのことを云うのではありません。その時感じたことを思い出すと、初代の熊谷は演技が良く云えばスッキリとして自然、悪く云えば三味線に当てるところがなくて・義太夫狂言のコクがちょっと乏しいようにも感じられました。見得する時も、動きを大きくゆっくり取るのではなく、サッと軽く決めて見せるという感じでしょうかね。当初は想像していたのと違って軽くガッカリみたいな気分になったのですが、映画をじっくり見直すと、初代の芸の凄さがまざまざと分かって来ます。

例えば熊谷の花道の出で云えば、大抵の熊谷役者は花道をゆっくり歩いて七三で立ち止まり、手に数珠を持っていたことに気が付いて・数珠を袖に収めて・カラ二の三味線でチンと決まる、そして陣屋へ向かって歩き出すが・制札の前で立ち止まり・制札を一瞥した後・陣屋の門を入るということになります。ここは二代目松緑がそうであったし、現・吉右衛門もそのようにしています。ところが初代の熊谷は、七三で立ち止まらず・歩きながら数珠を袖に収めてしまいます。うっかりすると観客は熊谷が数珠を手にしていたことに気が付かないくらいにさりげない。制札の前でも立ち止まらないし、一瞥さえしません。これで済ませられるというのは、凄いことです。

陣屋に入ると熊谷は相模が来ていることに気付きますが、大抵の熊谷役者は相模に対し「何故ここに来た、おれは怒っているんダゾ」と威嚇する感じで袴を強く叩いて、段上へ上がるでしょう。(松緑もそうしたし、現・吉右衛門もそのような感じです。)一方、この箇所の初代の熊谷の演技は、とても興味深いものです。初代の熊谷は、相模に対して「何しにここへ来た」と言いたい・しかし内心に後ろめたいものがあるからそれが言えない、それでウウウ・・と詰まってしまって、仕方がないので袴を叩いて・さっさと上に上がってしまうという感じです。たったこれだけで熊谷が置かれた難しい状況を分からせてしまいます。

つまり初代の熊谷は、「義太夫狂言らしい」当てるところや重々しさ・武張ったところがなく、だから描線が細くなって・スケールは確かに小振りに見えます。しかし、万事が心理主義的で・筆致が実に細やかです。そこで初代の芸の秘密にハタッと思い至ることになります。初代と同時代には、七代目幸四郎・七代目中車・初代鴈治郎ら、線の太い・スケールが大きい時代物役者がズラリ揃っていました。演技の線が細い欠点を持つ初代が、居並ぶライバル達に対抗して、なおかつその上を行って、時代を代表する名優となれたのは、何故かということです。心理主義的かつ筆致の繊細さこそ、初代の芸の決め手であったのです。それが二十世紀初頭の芸術思潮とも合致していたからです。それゆえ初代の芸は、常に「新しかった」のです。

『(初代)吉右衛門にいたって「型」を活かして、裏付けるに力強い精神を以てした。多くの場合空なる誇張と目せられたある種の「型」は、吉右衛門によって吉右衛門と特有の命を盛られた。自己天賦の個性と閲歴とも残りなく傾け尽くして、古き「型」に新しき生命を持った吉右衛門の努力は、旧方になずむを棄てて、われから古(こ)をなさんとする意気を示すものである。』(小宮豊隆:「中村吉右衛門論」・明治44年・1911)

平成28年8月に早稲田大学で初代の映画「盛綱陣屋」(昭和28年歌舞伎座)が上映されるイベントがありまして・吉之助も見に行きました。上演に先立ち現・吉右衛門が登壇し、「映画は初代晩年のものなので、初代のベストが記録されておりません、ホントの初代の芸はこんなものではありません」という趣旨のことを言っていました。吉右衛門は多分卑下というか謙遜を込めてそう語ったのであろうけれども、吉之助としては、自信を以て「初代の芸の繊細なところを是非見てください、初代はこれで勝負したんです、初代がその時代を代表する名優であった所以はそこです」とはっきり言って欲しかったのですがねえ。映画「盛綱陣屋」での初代が例えベストの演技でなかったとしても、それでもそれは吉之助には目を瞠るほど素晴らしいものでした。「褒めてやれ・褒めてやれ」と云う初代の盛綱の長台詞の、息の良さ・テンポの良さ・間合いの良さ、これで胸が熱くならない観客などいないと思います。(この稿つづく)

(R3・1・26)


3)二代目吉右衛門の由良助

現・吉右衛門は初代よりもずっと体格が良くて押し出しが利きます。これは時代物役者として絶対的に有利な点です。そのせいもありますが、もちろん吉右衛門の熊谷は現代の歌舞伎のスタンダートとしてまず筆頭に挙げるべきものに違いないですが、これまでの吉右衛門の熊谷は、どちらかと云えば二代目松緑のものに近い感触であったと思います。しかし、今もし吉右衛門が熊谷を演じるならば、初代に近い感じの熊谷になるかなと云う気がするのです。それは吉右衛門が役者としていよいよ晩年期に入ったと云うことでもありますが、役者としての豊潤な実りの時期を迎えたと捉えたいですねえ。

話しを「七段目」の由良助に戻しますが、吉之助が見たのは7日の舞台でしたが、聞くところでは・その前日(6日)幕切れ近く由良助が九太夫を打ち据える長台詞を言い終わったところで吉右衛門が立ち上がれなくなったアクシデントがあったそうです。平右衛門役の梅玉と黒衣が介添えして立ち上がって・その後の段取りを終えたようです。そのようなことがあったのでとても心配しましたが、吉之助が見た翌日の舞台は、手紙を読む前に由良助が手水鉢で手を洗って立ち上がる場面にちょっと危うい感じがあったくらいで、九太夫を打ち据える場面は由良助は中合引に腰をおろして無事に済ませて、幸いなことに・さほど大きな支障は見えませんでした。発声が以前よりやや弱くなった印象がしましたが、それでも声が小さかったわけではなく、むしろ梅玉・雀右衛門よりも声は通って・台詞はよく聞こえたことを付け加えておきます。

今回(令和3年1月歌舞伎座)の「七段目」は、上演時間を一時間前後に制限する・いわゆるコロナ仕様で、芝居は由良助が釣灯籠で手紙を読み・二階からお軽が手鏡で盗み読む場面から始まりました。つまり前半の遊興三昧の由良助がバッサリ省かれたわけです。これについての不満は同じことを毎度書かないことにします。ところで前節で「もしかしたら晩年の初代の由良助もこんな感じであったか」と書きました。吉之助の手掛かりは遺された初代晩年の3本の映画(「熊谷陣屋」・「寺子屋」・「盛綱陣屋」)くらいしかないわけですが、これまで見て来た吉右衛門の由良助とは明らかに趣きが変化した箇所があって、そこに初代の由良助の感触をフト想像したのです。

ひとつは縁の下に九太夫が隠れていることを知って・お軽に「よくまあ(風に)吹かれてじゃのう」と云って床にぺったり座る場面であり、ふたつめは請け出されるのを素直に喜ぶのを見て「嬉しそうな顔やいわい・・」でサッと扇子をかざし苦しい本心をお軽に隠す場面であり、みっつめは幕切れで九太夫を打ち据えて立ち上がったところで「由良さんお呼びかえ」と仲居たちが登場したところでふっと表情を和らげて酔態の態に戻る場面です。

共通して言えることは吉右衛門が、仇討ちの本心を隠して遊興三昧する由良助(いちおうこれを「虚の由良助」としておきます)と、仇討ちの大望に向けてストイックに自分を追い詰めていく由良助(これを「実の由良助」とします)のチャンネルの切り替えの落差を、あまり付けない方向へと変化しているということです。言い換えれば、由良助の本心が虚であるか・実であるか、どちらか分からない感じになっています。だから印象が軽やかになります。

これまでの吉右衛門の由良助(例えば平成28年11月国立劇場)は、虚と実の由良助の落差を明確に付ける行き方でした。こうすると虚と実の対照が強められ、確かに由良助の線が太くなります。観客は筋をよく知っており、「由良助はああは言っても・本心は別のところにあるんだヨ」となる。だから芝居は「然り、そは正し」という古典的な感覚に納まります。これも「七段目」のひとつの在り方ではあります。仇討ちが大義・誰も抗うことが出来ない絶対の正義であるとするならば、確かにそうなります。

しかし、こういうことを考えて見ても良いのです。悪意もなく密書をつい覗いてしまったお軽を口封じで殺してしまうことに大義があるかは疑問です。もしかしたら敵師直に通じた憎い奴であるとしても九太夫を情け容赦もなく殺してしまうことも人間として許されることかと云う疑問も生じるでしょう。そんな空恐ろしいことをにっこり笑って配下に指示することの恐ろしさを一番知っているのは、由良助その人であるはずです。この時、由良助の実だと見えたものが実は虚であるかも知れず、虚と見えたものが実はもっともっと大虚の闇であるかも知れず、ホントの実は一向に見えて来ません。(「七段目」では、そのような実は平右衛門とお軽の兄妹愛が持つものでしょう。)そう云うことを意識するならば、「実の由良助」と「虚の由良助」との落差が自然と小さくなって行くだろうと思うわけです。九代目団十郎の芸談にもある「七段目の由良助は、四段目の由良助よりもはるかに難しい」ということの意味がそこにあります。

今回(令和3年1月歌舞伎座)の吉右衛門の由良助が良くなったのは、そこのところです。縁下にいる九太夫の企みを知った驚きから「よくまあ吹かれてじゃのう」で床にペタッと座りこむ段取りが流れるようにさりげない。「嬉しそうな顔やいわい・・」でサッと扇子を顔にかざす時、どんな由良助役者もカチャッとチャンネルを切り替るが如く深刻な暗い表情を鮮やかに切り替えて見せるわけですが(これまでの吉右衛門もそうでしたが)、今回の吉右衛門の由良助であると表情がいくぶん緩くなった感じがするわけです。つまり虚と実の落差が弱まっている。こうすると後の「三日様、三日様・・」への段取りが取りやすくなるのですね。或いは九太夫を打ち据えた後の由良助はどうしたって表情が厳しくなるわけですが、吉右衛門の由良助が仲居の方へ振り向く時に見せる表情の変化は、ホントにさりげないものでした。そう云えば九太夫を打ち据える時の長台詞も無理な力を入れる感じがなく、語調がちょっと弱くなった感じさえしましたが、その分虚の由良助への段取りが取りやすくなったようです。

このような吉右衛門の変化は、虚と実の落差を弱めたところから出る軽やかさのおかげです。人によっては演技の振幅が弱まったと、これをネガティヴに捉える方もいらっしゃるでしょう。確かに演技が小振りに見えるかも知れませんが、吉之助は、由良助の心理表現がより繊細に・より細やかに変化したところをポジティヴに評価したいのです。これでこそ七段目の由良助です。吉之助はそこに、写真でしか知らない初代吉右衛門の由良助の面影を見るわけです。(この稿つづく)

(R3・1・29)


4)芝居の間尺のバランスについて

このように吉右衛門の由良助は素晴らしいものでしたが、今回(令和3年1月歌舞伎座)の「七段目」はコロナ仕様で前半の酔態の由良助がカットされましたから、真価が十二分に味わえなかったことは、残念なことでした。ところで芝居には間尺のバランスというものがあります。同じ「七段目」でもいつものものと、今回のように釣灯籠から始まる場合とは、当然間尺が異なります。だからバランスが変って来るわけで、役者がいつものことを同じように演じたとしても、必然的に観客の目に映るドラマの様相が変わって来ます。それゆえバランスの変化に応じて役者は演じ方を微調整しなければなりません。

例えば「七段目」を釣灯籠から始めると、いつもの時よりも由良助の比重が軽くなるでしょう。そうすると由良助はドラマの上置きの位置付けになり、このためドラマは平右衛門とお軽の兄妹の様相が前面に出て来ることになります。つまり釣灯籠から始まる「七段目」のドラマと云うのは、仇討ちの仲間に加えてもらいたい足軽の平右衛門が身分格差ゆえなかなか認めてもらえない苦しい状況がまずあって、しかし、密書を盗み見た妹(お軽)を由良助が口封じに殺そうとしていたのを知って、「それならばいっそ俺にお前を殺させてくれエ・そこまでしなきゃ俺は由良助様に認めてもらえないんだア」というところまで平右衛門が追い込まれます。兄が妹を殺す・その最後の最後の寸前に心底を見極めた由良助が登場して・これを制止して平右衛門を仲間に加えることを許す、これで「七段目」の「許し」の構図がいつもの時より明確に浮かび上がることになります。とすれば平右衛門とお軽は演技をどう微調整せねばならないでしょうか。

今回の問題は、平右衛門(梅玉)・お軽(雀右衛門)が、このような「七段目」の「許し」の構図を正しく表出できていたか?ということかと思います。もちろん梅玉も雀右衛門もニンとしては「実」の役者ですから・やるべきことはキチンと出来ていますが、切羽詰まった緊迫感が十分であったとは云えないと思います。追い込まれるところまでトコトン追い込まれた兄妹の悲哀がツーンと来る所にまでは至っていない。だから「許し」の構図がぬるく見えてきます。ひとつには、両人ともに声が小さ過ぎて台詞が通らないせいです。前述した通り、体調万全と云えない吉右衛門の由良助よりも台詞が小さくて聞こえないというのでは、これではちょっと困ります。もうひとつは、梅玉と雀右衛門の兄妹が何だか暗くて・沈み込んでしまいそうな雰囲気であるせいです。ここはもっと浮き立ってもらいたい。(これは歌舞伎の入れ事ですが)兄妹の会話のじゃらじゃらした華やかさが、この兄妹が置かれた状況が悲惨であればあるほど、ますます必要になって来るのです。それがないと正しい形の歌舞伎の「七段目」にはなりません。そう考えると平右衛門とお軽はつくづく難しい役だと思いますね。(これについては別稿「誠から出た・みんな嘘」をご参照ください。)

そういうわけで今回の「七段目」はトータルの感銘度において万全と言えないところがありますが、吉右衛門の由良助に関しては、役者としての豊潤な実りの時期を迎えたことを認めて、今後の初代の当たり役への挑戦に大いに期待を抱かせるものであったと思います。

(R3・1・30)

追記:吉右衛門は17日から24日まで体調不良により休演。25日に復帰。



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