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六代目時蔵の顔世・五代目菊之助の判官

令和7年3月歌舞伎座:通し狂言「仮名手本忠臣蔵」・Bプロ・昼の部

                                  *大序・三段目・四段目・道行

四代目尾上松緑(大星由良助)、八代目中村芝翫(高師直)、五代目尾上菊之助(塩治判官)、二代目尾上右近(桃井若狭助)、六代目中村時蔵(顔世御前)、初代坂東弥十郎(石堂右馬之丞)、九代目坂東彦三郎(薬師寺次郎左衛門)、二代目中村錦之助(原郷右衛門)、六代目片岡愛之助(早野勘平)、初代中村萬寿(腰元お軽)、三代目坂東亀蔵(鷺坂伴内)他


1)恋歌の意趣

本稿は令和7年3月歌舞伎座:通し狂言「仮名手本忠臣蔵」・Bプロ・昼の部の観劇随想です。歌舞伎座での通し上演は平成25年・2013・11〜12月(二か月連続)以来のことになります。

舞台について触れる前に、例によって作品周辺を逍遥したいと思います。「仮名手本」が赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件(元禄赤穂事件)を材料としていることは周知の通りです。当時はこうした事件をそのまま劇化することは許されませんでしたから、便法として室町期の架空の出来事として・「太平記」を下敷きにして「仮名手本」が成立しているわけです。史実の浅野内匠頭は「この間の遺恨覚えたるか」と叫んで吉良上野介に斬りかかったと伝えられています。刃傷の原因が何であったかについては諸説あり、現在も定説がありません。しかし、何が原因だか分からぬと云うことは、芝居では何を原因にしても「それもあり得る」と云うことでもある。だから「仮名手本」では塩治判官の美しい奥方に高師直が懸想して・それで判官に嫌がらせをしたのが刃傷の原因だと云うことにされています。

これについては「太平記」巻21・塩冶判官讒死の事に典拠があります。「太平記」が描く高師直(足利尊氏の執事)は、神仏をも畏れぬ悪逆非道の人物です。その師直が塩冶判官の奥方(名前は記されていない)に懸想して、判官が陰謀の企てをしていると讒言し、遂に塩治一族を皆殺しにしてしまう話が出てきます。塩冶家の滅亡は史実ですが、師直の恋についてはこれを裏付ける同時代史料が見当たらず・作り話の可能性が高いそうです。実際には判官と吉野南朝との繋がりが深かったことが謀反の噂の遠因であったようです。まあそれは兎も角、江戸期には「太平記」の話がホントのことだと信じられていました。当時は「太平記読み」と云うことが盛んに行われており、武士のみならず庶民にとっても歴史観・倫理観の基礎になっていたのが「太平記」でした。だから観客は「太平記」の世界定めの大まかなところを心得ていたわけで、「仮名手本」で恋歌の意趣を刃傷の原因とすること自体は、ごく自然な成り行きだったのですね。(別稿「恋歌の意趣」をご参照ください。)

それにしても師直が恋の意趣返しで塩冶家を滅ぼしてしまった件は、「太平記」の記述がホントであるならばの話ですが、まったく理不尽なことで・ヒドい話ではありますねえ。こうした事情も重なって歌舞伎の「仮名手本」の方の師直のイメージも(つまり吉良上野介のことですが)この世の悪意を体現したかのような人物に仕立てられていくわけです。(この稿つづく)

(R7・3・29)


2)時蔵の顔世御前

顔世御前は切腹して果てる判官の奥方と云うことだけで悲劇のヒロインの資格十分ですが、師直と判官との諍いの原因がそもそも自分にあると云うことで、その悲劇性が一段と濃いものになるはずです。しかし、判官は何故これほど師直に虐められねばならぬか事情が分からないまま怒り狂って刃傷に及んでしまいました。当然由良助もそこのところの事情を知る由もありません。以後は由良助が主人の怨念を引き受けて・討ち入りへと筋が進みますから、「仮名手本」後半(五段目以降)では「恋歌の意趣」の件が忘れ去られたかの如くです。こうして顔世は事情を誰にも打ち明けられず、長い悔悟の日々をこれから過ごさねばなりません。

そう云うわけで「仮名手本」では「恋歌の意趣」の趣向が尻切れトンボの感がせぬこともない。この点は「仮名手本」作者も気になったのではないでしょうか。まあその後の筋の展開のアイデアは沢山あったであろうし、筋の整理は避けられないことです。その過程で捨てられてしまったのでしょうが、顔世の件で「仮名手本」に筋を通すと云う選択肢も有り得たかも知れませんね。

ところで昨年(令和6年)10月に東京バレエ団による「ザ・カブキ」(モーリス・ベジャール振付・演出)を見ました。本作は「仮名手本」を要領よくアレンジして約90分のバレエに仕上げたものです。その場割りを見ますと、

第1場(兜改め)、第2場(おかる・勘平)、第3場(殿中松の廊下)、第4場(判官切腹)、第5場(城明け渡し)、第6場(山崎街道・勘平切腹)、第7場(一力茶屋)、第8場(雪の別れ)、第9場(討ち入り・切腹)

となっています。一見してお分かりの通り、加古川本蔵絡みの件(二・八・九段目)が省かれて、代わりに「南部坂雪の別れ」が挿入されています。(もう一つ最後に四十七士の切腹シーンが挿入されているのが大きな変更点ですが、これについては「ザ・カブキ」観劇随想を参照ください。)「南部坂雪の別れ」は、講談・あるいは黙阿弥の「四十七刻忠箭計(しじゅうしちこくちゅうやどけい)」として有名なエピソードです。ただし討ち入り前夜に内蔵助が瑤泉院の元を訪ねたという史実はなくて、これは作り話です。

ベジャールの「ザ・カブキ」(雪の別れ)では、発覚を恐れて由良助は最後まで顔世に討ち入りの意思を明かしません。顔世は失望し、背後に判官の霊が現れて由良助に仇討ちの命令の遂行を求めます。討ち入りの直前に「雪の別れ」を挿入することで、「ザ・カブキ」は情念のドラマとしての筋を一本通すことが出来ました。これはベジャールの発案でないのは明らかですが、誰がベジャールにアドバイスをしたか、黛敏郎か花柳寿輔かは分かりませんが、慧眼であると思いますね。

上記考察は「仮名手本」通しに「南部坂雪の別れ」を加えるべしと書いているのではありませんので、そこのところはご注意ください。ただ「仮名手本」(と云うよりも「忠臣蔵」と云うべきですが)を読む時に顔世(=瑤泉院)の悲しみを思いやる気持ちを持っていたいと思うのみです。それが仇討ちに懸ける内蔵助たちの思いを清らかなものにします。

芝居を見ながらそんなことを考えたのは、多分、四段目での時蔵の顔世の出来がとても良かったからでしょう。昨年(令和6年3月歌舞伎座)の「寺子屋」の千代のことを思い出します。この顏世に於いても、顔世の悲しみがこの薄幸な女性の「人生」或いは「宿命」そのものに見えました。吉之助がこれまで見たなかでも出色の顔世でありましたね。(この稿つづく)

(R7・3・30)


3)菊之助の塩治判官

史実の浅野内匠頭は生来短慮な性格であったと伝えられます。しかし、辞世の歌を読むと・つい先ほど殿中で脇差を振り回して暴れた男の歌と思えない静かさでありますねえ。

風さそう はなよりもなお われはまた 春の名残りを いかにとやせん

これは吉之助の推測ですが、刃傷事件について世間の浅野に対する同情にこの歌が果たした役割は結構大きいものがあったように思います。この歌からは、自分が犯した事の重大さに今更ながら気付いて切腹の裁きを神妙に受け止める気持ちが感じられます。死してなお恨みを晴らさんという雰囲気はここには微塵も見えません。しかし、理由は何だか分からないが、内匠頭が激しく怒ったことは事実です。このギャップが人々にどことなく「荒ぶる神(怒れる神)」を想起させます。これは辞世の歌の内匠頭のイメージが無力・無垢であるからそうなるのです。例えば天神様・菅丞相(菅原道真)もそうです。歌舞伎の荒事に出て来る主人公たち(御霊)はみんな、政治だか世の中だか、理不尽なことに強く怒っているのです。

文楽の四段目を見ると、判官は死ぬ間際まで「無念」の感情を持ち続けており、最後に「由良助。この九寸五分は汝へ形見。我が欝憤を晴らさせよ」と明確に命令をしています。しかし、歌舞伎の四段目では、大筋のところは踏襲していますが、意志伝達のプロセスが極力曖昧にされています。それは判官と由良助との無言の対話で描かれます。その分、判官のイメージが清らかで無力なものになっています。つまり判官を辞世の歌のイメージに近づけようとして」いるのです。これが長い歳月を掛けて歌舞伎が行ってきたことです。

喧嘩場(三段目)で判官が怒り出すのは鮒侍の件ですが、それは芝居のきっかけに過ぎないのであって、判官が怒るのは何かもっと大きいことです。それはこの世に蔓延る悪意・理不尽さに対する強い怒りでなければなりません。判官をそのような印象に見せるために、おっとりして滅多に怒らなそうな温厚な男が何か突如として激しく怒り出す驚き(ギャップ)が必要です。そこから清らかで無力な判官の印象が浮かび上がります。この点で吉之助が思い出す理想的な判官役者は、やはり七代目梅幸ですね。

今回(令和7年3月歌舞伎座)の「仮名手本」通し上演ではAプロの勘九郎の判官が見事なものでしたが、Bプロの菊之助の判官もこれに負けず劣らず見事なものでした。この両人の判官を、今回通し上演の一番の成果としたいと思いますね。勘九郎の判官は「あはれさ」をベースに殿中で抜刀せざるを得なかった我慢のプロセスをしっかり描いて見せました。これに対し菊之助の判官は、「清らかさ」がまず先に在って・つまり師直は「この男ならこのくらい甚振っても怒りはしない」と安心して判官を虐めるわけですが、判官が突如ブチッと切れて怒り出す。菊之助の判官には、そのような怒りの唐突さが見えます。だから判官の「清らかさ」の印象がますます引き立つのです。四段目の判官も当然良い出来です。菊之助の持ち味の「かつきり」した印象が、判官の「清らかさ」を写実に見せながらも、それがきっちり様式に落とし込まれていく感じです。(これは同じくAプロでの菊之助の勘平もまったく同じような印象です。)これはまさに祖父・七代目梅幸の判官の感触を思い出させるものでした。

芝翫の師直は持ち味の風格の大きさを生かして・このくらい出来て当然だと思いますが、欲を云えば滑稽味を出そうとして・やや重量感を損ねているのではないかな。芝翫ならば二代目松緑の師直を覚えているはずです。どす黒い・この世の悪意を体現した人物、そんなずっしりした質感が欲しいところではあります。右近の若狭助は、この人物の短気なところをよく形に出来ています。(この稿つづく)

(R7・4・2)


4)松緑の由良助

別稿「四段目の儀式性を考える」で考察した通り、四段目は主君鎮魂の趣で厳かに始まり、我ら一家中の生活の安穏を奪い取った悪しきもの・不実なものに対して、やがて静かに・しかし着実に憤(いきどお)りの心情を増幅させて行くのです。四段目での由良助は、単発幕の人物だけを演じているのではありません。「仮名手本」全体のなかで由良助の存在が一貫して「世界」を支配する、このことが観客に実感されて初めて「仮名手本」の儀式が完成することになります。

形式面から見ると、文楽でも四段目・城明け渡しは特殊な終わり方になっています。義太夫は「ハッタと睨んで」とのみ語り、かなり長い時間・由良助の無言の演技が続きます。由良助はこの憤りの感情をどこにぶつければ良いのか、未解決に留め置かれたまま、ドラマは「仮名手本」後半(五段目以降)へと流れ込んで行きます。「未解決の気分」と云うのは、息を吸って・そのまま息を詰めて・息を吐き出せないままの苦しい状態のことです。いつもの切場のように三味線をシャンと鳴らして由良助が睨んで決まって幕にすればどんなに気持ちが良いことか。しかし、意図してそれを封じたところに四段目の幕切れの眼目があるのです。

歌舞伎の四段目は、そこのところはもしかしたら更に激烈であるかも知れません。文楽では判官切腹の後・由良助が九寸五分を取りあげて大泣きする場面がありますが、歌舞伎ではこの詞章を門外に移して行うのです。それは

「血に染まる切っ先を打守り、拳(こぶし)を握り、無念の涙はらはら。判官の末期の一句五臓六腑にしみ渡り、さてこそ末世に大星が忠臣義臣の名を上げし根ざしはかくと知られけり」

の詞章です。ここで判官の「無念」と由良助の「悔しさ」とが交錯します。したがってこの場面の由良助の感情は「憤り」どころのものではなく、それは「憤怒」とも云うべき熱い感情になっています。歌舞伎の四段目幕切れの由良助は、この「未解決の気分」のまま硬化する。由良助は怨念のブラック・ホールとなるのです。それが由良助の憂い三重による花道引っ込みです。

さて今回の松緑初役の由良助ですが、大筋ではさすがに出来てはいるけれども、本年1月歌舞伎座・「熊谷陣屋」での松緑の直実と問題点はまったく同じで、由良助個人の悲しみに感情移入し過ぎで、泣きが強い・いささか「暑苦しい」印象でありますねえ。泣きが強過ぎると、そこで息が抜けてしまいます。役に感情移入すれば写実になって良いこともありますが、それが過ぎると様式が壊れてしまいます。息が抜けては腹のなかで「未解決の気分」を維持し・憤りの感情を増幅させていくことは出来ないのです。それでは由良助個人の感情に留まってしまうことになります。四段目幕切れの「世界」を由良助個人レベルの憤りで終わらせるのではなく、もっと広い意味に於けるこの世の悪・邪悪なものに対する憤りのレベルにまで高めて欲しいのです。そのためにはもっと息を詰めなければなりません。こうして四段目は「仮名手本」全体にとっての「儀式」になるのです。

ここでは由良助の「初一念」のようなものを考えてみたら良いと思いますね。「初一念」とは、後から考えてみれば・自分がここまでやってこれたのは・「これ」があったからだったのだなと思えるような心情のことです。それを見失ってしまえば・つまり息が抜けてしまえば、もうそれで事は成らなくなるのです。但し書きを付けますが、「初一念」って真山青果が創った近代的概念じゃないのかと云う方が居そうですが、そうではありません。吉之助は「仮名手本」の舞台を見る度に・「元禄忠臣蔵」を執筆した時に青果がどれほど「仮名手本」を繰り返し読んだか・そのことを思わずにはいられません。「仮名手本」と「元禄」との間に心情的に異なるところは何もありません。

追い出しの舞踊「落人」は、萬寿のお軽・愛之助の勘平共に華やかさのなかに・ほど良い実(じつ)があって、「仮名手本」通しのなかでの良い息抜きになりました。

(R7・4・3)


 


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