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五代目菊之助の松王・四代目梅枝の千代〜「寺子屋」

令和6年3月歌舞伎座:「菅原伝授手習鑑〜寺子屋」

五代目尾上菊之助(松王丸)、六代目片岡愛之助(武部源蔵)、初代坂東新悟(戸浪)、四代目中村梅枝(六代目中村時蔵)(千代)、初代中村萬太郎(春藤玄蕃)、六代目中村東蔵(園生の前)、七代目尾上丑之助(小太郎)他


1)菊之助初役の松王

本稿は令和6年3月歌舞伎座での、菊之助初役の松王による「寺子屋」の観劇随想です。五代目菊五郎・六代目菊五郎も松王を当たり役としました。「寺子屋」が音羽屋にとって大事な演目であることは言うまでもありません。また岳父・故・吉右衛門も松王を得意としました。このところ新たな立役の数々に挑戦して成果を挙げて来た菊之助ではありますが、松王を演ると聞いた時にはやはりちょっと驚きました。音羽屋を継ぐ者として松王は何としてもモノにしたい役なのですねえ。(注:源蔵については、菊之助は平成23年・2011・12月平成中村座で初役を経験しています。)

ところで当代・七代目菊五郎は、歌舞伎上演データベースで調べると、「寺子屋」では戸浪や千代を演じた記録はありますが、松王も源蔵も演じていないようです。松王は兎も角、源蔵はやっていても良さそうに思うのですが(さぞかし良い源蔵であろうと思うのですが)演っていないのです。何か理由があるのでしょうかねえ。ただ機会(チャンス)がなかっただけのことかも知れませんが、当代菊五郎は新たな領域に踏み入れることにわりかし慎重であるように思います。しかし、菊之助はそこのところ実に果敢と云うか、特に今回の松王に関しては、一歩ならず二三歩踏み込んできたなと思いますね。

松王という役は、前半の敵役の太いイメージと・後半で善人にモドることによるイメージの振幅がとても大きい。これを一つとするところに至難があると思います。どちらかと云えば優美さとか律義さのイメージが勝る現在の菊之助にとって、必ずしも役のイメージがすんなり重なるとは云えないかも知れません。特に前半が難しいことになると予想されます。しかし、新調したばかりの服が最初はしっくり来なくても・着こなすうちに次第に身体に馴染んで来るのと同じように、くり返し演じる内に役は役者にだんだん馴染んでいくものです。同時に役者のニンも少しずつ変化していく、こうして芸は深化していくものです。

先日・1月国立劇場公演での「石切梶原」の観劇随想に於いて、菊之助の梶原は「まとまり過ぎている」、予定通りにドラマが進み・予定通りの出来で終わる、そのような優等生的な印象を突き破る「熱さ」あるいは「興奮」が欲しいと書きました。そのために「役の本質を或るひとつの括りで大きく掴み取って、そこから細部を彫りこんでいくことが大事である」と書いたわけです。今回(令和6年3月歌舞伎座)の「寺子屋」で感心したことはまさにこの点で、今回の松王には、これまでの菊之助の優等生的な印象を突き破ろうとする「熱さ」が見える、役の本質を大きく掴み取ろうとしている、少なくともその方向がはっきり見えたと云うことです。

これについてはもちろん菊之助を褒めるべきことですが、改めて痛感することは、やっぱり「寺子屋」は作品としてよく出来た芝居だなあと云うことですねえ。つまり松王を演って熱くならない役者なんていないと云うことです。これで菊之助も一皮剝けたと思いたいですねえ。もうひとつは、愛之助の源蔵以下・共演者一同気合いが入ったとても良い出来であったことです。共演者のおかげで菊之助の松王がより引き立って見えました。(この稿つづく)

(R6・5・1)


)愛之助の源蔵・新悟の戸浪

菊之助初役の松王は、確かに五十日鬘と病鉢巻が似合わないとか・登場した時には見た目の違和感は若干ないでもないですが、思いの外に役の太さを強く意識した演技で感心しました。成功した要因は、台詞を低調子に持って来たところにあると思います。義太夫狂言では台詞の低調子は床(義太夫)との兼ね合い上大事なことですが(昨今はこれが出来ていない役者が多い)、おかげで芝居が水っぽくならず・しっかりと安定感を以て味わえました。これはモドリの役ところである松王の性根を考えた結果でしょうが、松王だけではなく、義太夫狂言では常に低調子を意識してもらいたいですね。役者によっては前半の松王は敵役だから低調子、後半になると善人にモドると云うので声の調子を高めに上げる不届き者がいますが、さすがに菊之助はそんなことはありません。おかげで前半後半で松王の人物の整合性がしっかり取れました。

もうひとつ感心することは、名優たちの過去映像などもいろいろ見たと思いますが、菊之助が台詞廻しをよく研究していることが分かることですねえ。角々のニュアンスの表出がキメ細やかで、とても上手い。例えば後半千代に対し「泣くな、泣くな、エエ泣くなと申すに」と叱る場面でも、「泣くな」のニュアンスをそれぞれ微妙に変えて、最後の「エエ」を強めに言ってから・次の「泣くなと申すに」をちょっぴり自分の涙も加えて・シンミリ聞かせる辺りなどは、数多い松王役者のなかでも上手い部類ではなかったでしょうかね。兎に角、台詞廻しのニュアンスのキメ細やかさが松王の性根の裏付けを以て聞こえるところは大したものでした。それだけ作品のなかで松王の人物像がしっかり描き込まれていると云うことでもありますが、期せずして菊之助は「役の本質を或るひとつの括りで大きく掴み取る」ことが出来ていました。初役でこれだけの出来ならば上々吉と云わねばなりません。

前半・首実検の松王もなかなか良かったですが、ここでは愛之助の源蔵・新悟の戸浪の夫婦が緊迫感をしっかり盛り上げてくれたことも大きく貢献しています。このところの愛之助は、菊之助と共演しても・幸四郎と共演しても・上手く対照が付いて・互いを引き立て合う、ますます貴重な役者になって来たようですね。肚が座った太い印象の源蔵に仕上がっています。「せまじきものは宮仕え」を台詞で言わずに・床に取らせるのは松島屋のやり方ですが、一理あるところです。この台詞はとても難しいと思います。なぜならば「せまじきものは・・」と言いながら結局源蔵は弟子子を斬ってしまうからです。この気持ちは肚にぐっと収めておけば良いと云う理屈は納得できる気がします。

新悟の戸浪も勤めるところはしっかり勤めて隙のない良い演技でしたが、ちょっとだけ注文があります。源蔵が首桶抱えて奥に向かう時に戸浪の方をきっと振り返る瞬間、もうひとつは首実検で床が「天道様、仏神様、憐み給えと女の念力」という場面、この二つの箇所で新悟の戸浪は顔を伏せたまま演技をしているようでした。ここの為所は観客に分かるようにはっきり顔を上げて演技をした方が宜しいかと思うのですが、ここはどなたかの型であるのですかねえ。良い戸浪であるだけに、もったいない気がしますね。(この稿つづく)

(R6・5・2)


3)梅枝の千代

しかし、今回(令和6年3月歌舞伎座)の「寺子屋」での一番の上出来を挙げれば、それは梅枝の千代であったかも知れません。梅枝の千代は不思議な雰囲気を持っていますねえ。もちろん我が子を身替わりに供せねばならぬ母親の悲しみを表現しない千代役者などいません。どの役者だってそこのところに如才はありません。しかし、梅枝の千代が独特だと感じるのは、何と云いますかねえ、母親の悲しみが形象化して・千代が悲しみそのものに見えることです。この薄幸な女性の「人生」とか・「宿命」そのものに見えることです。これは本人が意識してそう出来ることではなく、まったく梅枝のニンから来ることですね。同じことは本年(令和6年)1月国立劇場公演で見た梅枝の葛の葉にも言えることです。

ところで折口信夫は「手習鑑雑談」のなかで、こんなことを書いています。「菅原伝授手習鑑」の外題は何だかおかしい。道真が伝授したとしても菅原と呼び捨てなのは畏れ多くて合点がいかぬ。「菅家伝授」ならばまだ分かるが。なぜ菅原と据えたか外に理由があるに違いない。近松門左衛門に「賢女手習並新暦」(けんじょのてならいならびにしんごよみ、貞享2年・1685)というのがあり、これも熟せない外題であるが、仮名草子の伝統には「賢女鑑」というものがある。近松は手習いと賢女は艶書手習いと関係があるとしてみたものであろう。そこで今度は、賢女の艶書で行くところを正しい教えの書道で行くということで菅原伝授とふりかざしてみた気がする。だから外題にひょうきんな洒落があると云うのです。

『この浄瑠璃で、手習いを名のる理由は、勿論「伝授場」「寺子屋」もあるが、主としては、いろは送りの処の文句にあると思ふ。近松以来果されなかつた、その、賢女手習と言ふ語の意義を、ここで解決してゐるのだと思ふ。天神の伝授と言ふべきところを、ただの理由でかう言ふ冒涜な言い方はしないだらうと思ふ。外題の表現は、一番難しい。ことにこの時分の作者は、その表現に、のたうち廻つたと思ふ。そして前代の人々に出来きらなかつたものを、次第に表現して行つたのだと思ふ。それを考えて来ると、いろは送りが、千代の持ち場になつている理由も分かると思ふ。(折口信夫:「手習鑑雑談」・昭和22年10月)

このように折口信夫はいろは送りの場面に特別重い意味を見ているわけです。梅枝の千代を見ながら、実は吉之助はこんなことを考えたのです。ご存知の通り、文楽の「寺子屋」の最後の場面・いろは送りはまったく千代の持ち場になっています。いろは送りの詞章に合わせて千代が躍るような仕草を見せます。これはちょっとおかしいだろうと云うことで、歌舞伎ではこれをしません。これには吉之助も同感で・いろは送りで千代が躍るのは不自然だと思っています。(別稿「千代について」をご参照ください) これは初演で千代を遣った名人・吉田文三郎の我儘の産物ではないかと吉之助は考えているのです。ところが梅枝の千代を見ながら、吉之助は折口信夫の上記の文章をフト思い出して、いろは送りで梅枝の千代が躍る場面を見てみたいと思ったのです。何か大事なヒントを与えてくれそうな気がします。これまで「寺子屋」を何回見たか分かりませんが、こんなことを考えさせてくれた千代は梅枝が初めてですねえ。

(R6・5・3)


 

 


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