返り討ち物としての「仮名手本」
令和7年3月歌舞伎座:通し狂言「仮名手本忠臣蔵」・Aプロ・夜の部
*五段目・六段目・七段目・十一段目
六代目片岡愛之助(大星由良助)、五代目尾上菊之助(早野勘平)、六代目中村時蔵(お軽)、二代目坂東巳之助(寺岡平右衛門)、六代目上村吉弥(母おかや)、初代中村萬寿(一文字屋お才)、五代目中村歌六(不破数右衛門)、初代中村萬太郎(千崎弥五郎)、二代目尾上右近(斧定九郎)、七代目尾上菊五郎(服部逸郎)他
1)返り討ち物としての「仮名手本」
本稿は令和7年3月歌舞伎座:通し狂言「仮名手本忠臣蔵」・Aプロ・夜の部の観劇随想です。「仮名手本」を昼・夜を通して一日に見たのは久しぶりのことでしたが、Aプロ・昼の部がなかなか気合いの入った出来であったので夜の部の方も期待しましたが、こちらも引き締まった仕上がりで安心しました。歌舞伎の伝統はこれからも続いていくなあと感じましたよ。
まず例によって作品周辺を逍遥しますが、先日(1月新国立劇場)の「彦山権現誓仇討」通し上演の時、「仇討ち狂言と云うものは、つねに返り討ち狂言なのである」と云うことを申し上げました。現代ではこのことはすっかり忘れ去られてしまいました。「彦山」の仇討ちでもお園の妹のお菊が微塵弾正の返り討ちに遭って死にました。もし「仮名手本」が返り討ち狂言であるならば・それはどんなところに表れるか、そう云うことも考えてみて欲しいと思うのです。
例えば勘平がそうです。返り討ちは仇(かたき)が行うものとは限りません。勘平は忠心を誰もが認める人物ですが、或る言い訳が出来ない事情により仇討ちの連判に加わることが出来ず、焦ったあげくに更なる罪を犯してしまい、遂に腹を切るに至った人物でした。これは「状況の返り討ち」であると云えないでしょうか。これは仇討ちする者に対して天が与えた試練みたいなものです。この試練の果てに大願成就があるのです。返り討ち狂言では、仲間の者が返り討ちされたら、その者の怨念を別の者が引き継いで、さらに仇の行方を追うのです。仇討ちの道程は苦難の連続です。仇を追う者はそれまでの地位を打ち捨て、病気になっても乞食になっても、それでも仇の行方を追います。それを下らぬことだ・詰まらぬことだと赤の他人が笑うことは簡単なことです。それにしても、そのような難行苦行を強られても・それでも彼らに仇討行を続けさせる・その思いとは一体何なのでしょうか。四段目幕切れの・あの由良助の花道引っ込みを見れば、誰だって背筋がピンとするはずです。そこの思いの正体をしっかり受け止めることが、「古典」を読むと云うことだと思います。(別稿「吉之助流・仇討ち論」をご参照ください。)
視点を変えれば、九太夫や定九郎だって状況の返り討ちの被害者なのです。主人があんなことさえしなければ塩治家は安泰で、九太夫は相変わらず家老でいられたはず、定九郎だってお坊ちゃまでいられたはずです。まあピンハネ・賄賂・裏金作りなどの悪事は日常的にしたかも知れませんが、末代までも「不義士」と誹られることはなかったと思います。ですから仇討ちに参加しなかったり・或いは途中で脱落して不義士と呼ばれることになった人たちが大勢いたのです。思いもよらぬ主人の刃傷沙汰のおかげで、多くの人たちの運命が・生活が狂わされてしまいました。主人がもう少し我慢していれば、みんな普通の人たちとして生涯を終えたことでしょう。だから広義には彼らはみんな状況の返り討ちの被害者なのです。さらに塩治家中の人だけではなく、それは桃井家家臣の加古川本蔵も・その娘小浪(力弥の許婚)も、大坂商人・天川屋義平らも巻き込んで彼らの人生を狂わせてしまいました。
「仮名手本」後半(五・六段目、七段目、九段目、十段目)は、不安・疑念・不信・裏切りなどの感情が渦巻く状況の返り討ちのドラマであると見ることが出来ます。そんななかからかろうじて救い上げられた人もいるし(お軽・義平)、死なねばならなかった人も出るし(本蔵)、悲しい犠牲を強いられた人もある(小浪)と云うことです。そのような試練のドラマを踏み越えたなかから由良助を頭とする四十七士が現れるのです。(この稿つづく)
(R7・3・21)
2)返り討ち物としての六段目
音羽屋型の六段目は、「舅与市兵衛を殺したのは誰か」と云うドラマです。だから舅を殺した真犯人が明らかになると観客は、もう少し早く真相が分かっていれば勘平は腹切らずに済んで・仇討ちに参加出来たのに「あはれ」なことだなあと云う気分になるでしょう。これは六段目の解釈として全然間違ってはいません。単発幕としてはこれで十分なのです。しかし、「仮名手本」を返り討ち狂言として読むならば、勘平の悲劇にさらに陰影が必要になります。つまり「舅を殺してしまったのはこの俺だ」と勘平自身が思い込んでしまったところに悲劇があるのです。なぜそうなってしまったかと云えば、勘平が誰だか分らぬ死体から縞の財布を奪って逃げたところから始まっています。勘平の真の罪がここにあります。これがなければ勘平の悲劇は起きませんでした。
別稿「四段目の儀式性を考える」で「四段目での由良助は、単発幕の人物だけを演じているわけではなく、「仮名手本」全体のなかで由良助の存在が一貫して「世界」を支配することになる」と申し上げました。五・六段目には由良助は登場しませんが、実はこの場においても由良助の存在が重く圧し掛かっています。「由良助の本心は何か、由良助の判断は如何に」という疑問が五・六段目を支配するのです。勘平は勤務中にお軽とのデートにかまけて主君の大事に間に合わないという失態を犯しました。(三段目・裏門の場)しかし、勘平は忠心厚く・何としても仇討ちの仲間に加わりたい。この願いを由良助に受諾してもらう為に、何かの貢献をせねばならぬ。討ち入りの資金を用立てたならば由良助も喜んで仲間に入れてくれるであろう。勘平はそのように考えており、勘平のことを応援したい千崎がこの相談に乗ってくれました。これが五段目のドラマですね。
ところが差し出された五十両の金子を由良助は受け取りませんでした。今は猟師として暮らす勘平には分不相応な大金だと思ったのか。何かしら良からぬものを由良助は感じ取ったのです。事の真相を詮議するため由良助は原・千崎の両名を派遣しました。(歌舞伎では不破・千崎となる。)その判断は両名に委ね、もし問題なしと二人が判断するならばその場で勘平を連判に加えても良いと云うことで、連判状を持参させたのかも知れません。しかし、聞けば五十両は舅を殺して取った金だと云う。このため原は怒って
「渇しても盗泉の水を飲まずとは義者の戒め。舅を殺し取つたる金、亡君の御用金になるべきか。生得汝が不忠不義の根性にて、調へたる金と推察あつて、突き戻されたる由良助殿の眼力、ハヽ天晴れ天晴れ。さりながら、ハア情けなきはこの事世上に流布あつて、塩谷判官の家来早野勘平、非義非道を行ひしといはば、汝ばかりが恥ならず、亡君の御恥辱と知らざるか。こなこな、うつけ者めが。勘平、コレサ勘平、御身はどうしたものだ。左程の事の弁へなき、汝にてはなかりしが、いかなる天魔が魅入りし」
と勘平を叱るわけですが、この台詞がそのまま由良助のものと考えて良いと思います。この台詞に「渇しても盗泉の水を飲まずとは義者の戒め」とある通り、人を殺して奪った金であることこそ由良助が問題とするところです。そうであるならば勘平ばかりの恥ではありません。六段目では、結果的にはそれが、勘平が殺したのが裏切り者の定九郎で、舅を殺した定九郎を討ったのだから勘平は正しい行為をしたのだと云う別の論理にすり替わりますから観客の目が眩まされてしまいますが、もう一度繰り返しますが、勘平が誰だか分らぬ死体から縞の財布を奪って逃げたところに勘平の真の罪があるのです。だから勘平は「舅を殺してしまったのはこの俺だ」と思い込んで自ら墓穴を掘ったのです。
勘平は三段目で言い訳出来ない失態を犯してしまいました。この失態を取り返して・何とか由良助に認めてもらおうと勘平は必死にあがきました。あがいたあげくに更に大きな深みに嵌まって、腹を切るところまで追い詰められて行く。これこそ典型的な「状況の返り討ち」のドラマです。こうして仲間が、各人に各々の事情がどうあれ、一人また一人と消えていく・・・由良助にはこの有様を悲しく眺めるしか手がありません。これが「仮名手本」を返り討ち狂言として読んだ時の五・六段目のドラマの様相です。この場に登場しない由良助の慟哭が聞こえて来るではありませんか。(この稿つづく)
(R7・3・22)
3)返り討ち物としての七段目
七段目もまた返り討ち物のドラマとして読むことができます。祇園一力茶屋での由良助の遊興三昧に、周囲の誰もが疑心暗鬼に駆られています。敵を欺くための計略か・それとも真(まこと)の放埓か、敵方や世間だけでなく、討ち入りの仲間にも分かりません。
史実でも、煮え切らぬ内蔵助の態度に愛想を尽かし、何人もの仲間が内蔵助の元を去っていきました。彼らもまた「状況の返り討ち」の犠牲者です。周囲の者たちはみな「由良助の本心は何か、由良助の判断は如何に」と考え、イライラしながら答えを待ち続け、由良助の本心を推し量って、勝手に各々怒ったり・落胆したり、また思い直したり・喜んだりしています。こうしたなかで各々の人間性が次第に露わになって行くことになる。これが由良助の意図したものかは別として、結果として、こうして討ち入りの仲間は総勢四十七人の精鋭に絞られて行くことになるのです。中心に居て・ジッとして動かず・態度を曖昧にしているかのように見えた由良助の存在が、実はブラック・ホールの如く・強烈な力で周囲の空間を歪ませていたことがこれではっきり分かります。
これは「仮名手本」に限ったことではなく、講談でも小説でも映画に於いても、「忠臣蔵」のドラマの最も面白く・かつ核心となる場面は、由良助の遊郭での遊興シーンです。七段目では手紙を偶然盗み見てしまった遊女お軽が由良助に殺されそうになって・既の所(すんでのところ)で助けられました。お軽が勘平の女房でなければ・平右衛門の妹でなければ、疑いもなくお軽は殺されていました。そうなれば七段目は返り討ち物として、平右衛門・お軽兄妹の悲劇のドラマになるところでした。このようにニッコリ笑って軽口を叩きながら、衣装の裾からギラりと光る刃を見せる、もちろん目に涙を浮かべてはいますが、この由良助の倒錯した感覚を華やかな廓で見せるのが七段目です。嘘から出た誠もすぐに嘘に返してしまう、そしてそのことの虚しさに最も苦しんでいるのが、七段目の由良助なのです。(別稿「七段目の虚と実」をご参照ください。)(この稿つづく)
(R7・3・24)
4)菊之助の勘平
今回(令和7年3月歌舞伎座)の「仮名手本」・Aプロ・夜の部では、まず菊之助の勘平の「かつきり」した印象が心に強く残りました。勘平役者は誰だって「桜花のように散っていく若者の運命の儚さ」を描くことに如才はありません。菊之助の勘平もそこのところはしっかり押さえています。これはニンとでも云うか・視覚的な印象から来ると思いますが、菊之助の勘平はとても優美で美しい。ちょっと優美に過ぎるかもと思えるくらいで、そうなると芝居がムーディー(情緒過多)に流れそうなところですが、菊之助の場合そうならないのです。それは菊之助の勘平の「かつきり」した印象から来ます。論理的にしっかり詰められたところでドラマが動いている。だから芝居が浮つかないのです。菊之助の勘平は「儚い美しさ」がそこに在って、しかもそれが通し狂言のなかでぴたりと嵌まっている印象です。なるほどこれこそ音羽屋の勘平であるなと納得させられます。理知的であって・しかも美しいということです。
菊之助は脚本をよく研究していると感じますね。例えば六段目のドラマは四つくらいに場面を分けることが出来るでしょうが、さらに事細かに心理局面が描写されています。局面は押したり引いたりを繰り返しながら更に次の大きな局面を用意します。その押し引きは、芝居での台詞の微妙な色合いの変化として現れるものです。例えば、勘平が家に戻ると、どうやら内に取り込みのある様子、
「母者じゃ人、ここにおいでのお方は、ありゃあ、どこのお方でごさりまするか」
何気ない日常会話のなかで、これはもう「縞の財布」の発覚に向けての段取りを用意し始めているのです。勘平は昨晩誰だか分からない人を殺して金を奪って、「やったゼ、これで俺は武士に戻れるぞ」と思っています。これから舞台で何が起ころうとしているか、勘平本人にも分かりません。しかし、勘平はどうも気になるのです。形にならない不安とでも云いましょうか。或いは罪の意識がそうさせるのかも知れません。上記の台詞を菊之助はほんのちょっとですがトーンを落として・やや時代に重い感じで言っています。
「コレ着替えを持ってくるならば、ご紋服を持って来てくりゃれ。ついでに、大小も、持って来てくりゃれ。」
客人が誰なのか分からないが、俺は猟師じゃない・元は武士なんだぞ、いざとなったら容赦はしないぞと、多少威嚇を込めた気分が伺えます。「大小も・・」では語調がさらに時代に強くなる。おかやもお軽も何か隠している様子なので、勘平のなかで不安が高まっているのです。「昨夜の雷がナ、五作の納屋に落ちました」などと軽い調子で世間話を交えながら、勘平の心はそこにありません。
「これには何ぞ深い様子が、母者人女房共、その様子聞こうかエ。」
着替えを済ませて心の準備が整った勘平がおもむろに話を切り出します。この台詞は明らかに武士の性根で・つまりトーンを落として時代に強く言うものです。このように勘平が家に戻って着て・着替えをするまでに、世話と時代の小さな揺れ動きがあり、揺れを繰り返しながら勘平の不安が次第に高まっていきます。六段目にはそのような箇所が他にもあります。
このように世話と時代の揺れ動きを意識的に強めに取った勘平を吉之助はよく記憶しています。それは十七代目勘三郎の勘平でした。もちろん岳父・六代目菊五郎の系譜を引くものです。だから吉之助は、音羽屋の勘平は理知的な印象で、局面々々を論理的に積み上げてドラマを構築していく芸であると理解しています。それが「かつきり」した芸の印象を生むのです。同じように「かつきり」した・折り目正しい芸の印象が菊之助の勘平にも見えます。だからなるほどこれは音羽屋の勘平だと感じるのです。(この稿つづく)
(R7・3・26)
5)菊之助の勘平・続き
このように菊之助の勘平は論理的な段階をしっかり踏んで演技していますが、ただ一ヶ所だけ疑問の箇所があります。しかもそこが大事な箇所なのでちょっと触れて置きますが、それは「自分が殺したのは舅だ」といつの時点で勘平は思い込んだのかと云う問題です。
菊之助の勘平は、お才が「縞の財布」の話をしている最中は目線をスルーして、ほとんど目立った反応を見せませんでしたねえ。この時点で自身に舅殺害の疑いが生じたわけではなかったようです。疑念が生じるのは、1)お才が「与市兵衛が祇園町を出たのは四つ半か九つ頃」と言うので・そう云えば「あの場所・あの時刻」にほぼ符合するとフト思い、2)「その財布をちょっと拝見を」と言って現物を手にして見てからの事です。そして3)二つの財布の柄を見比べて見て・まったく同じ縞の模様であることを確認する、以上の三段階を経て、これで「昨夜鉄砲で撃ち殺したは舅であった」とはっきり認識する(ただし思い込みである)のはこの時点だと云う解釈であったかと思います。
そういう解釈もあり得ると思います。しかし、長年歌舞伎で培われて来た音羽屋型の段取りでは、お才が話をしている最中に何気なく財布に目をやる、その瞬間に勘平は「自分が殺したのは舅だったのかも」と疑念を強く抱いたと云う解釈であると吉之助には思えるのですがね。その瞬間、勘平は身が凍り付いて・身体の色が変わったかと思うほどの反応を見せるのです。それでも勘平はまだ「そんなはずはない、自分が殺したのは舅ではない」と思いたい。しかし、「舅の祇園出立が四つ半か九つ頃」・「二つの財布の柄がまったく同じ」という状況証拠が、すがる思いの勘平の希望を無惨に打ち砕いてしまう、こうして疑念は疑念でなくなって・「俺が殺したのは舅であった」という認識に変わる。つまり論理プロセスとしては反対の経路を辿ることになりますが、音羽屋型の段取りは勘平の心理の綾を深く読み込んで・実に巧妙に作られていることに感嘆してしまいますね。まるでヒッチコックの心理サスペンス・ドラマを見るようです。
ですから菊之助の勘平は「縞の財布」に目をやった瞬間身震いするくらいの強い反応を見せて欲しかったと思います。菊之助に対する注文はそれくらいですねえ。今回(令和7年3月歌舞伎座)の五・六段目は、勘平だけでなく・共演者にも良い人材を得て、引き締まった舞台に仕上がりました。菊之助の勘平は「桜花のように散っていく若者の運命の儚さ」を見せて、単独幕のドラマとして高い完成度を見せながら、しかも通し狂言のなかの一幕としての位置付けも見失っていません。世話と時代のバランスが良いと云うことです。主君判官が桜花のように散っていった(四段目)、その後を追いように勘平も儚く散っていった(六段目)、この二人の無念の思いを受け取って由良助はどのような道を行こうとしているのか、これが返り討ち狂言としての「仮名手本」の読み方であると思います。(この稿つづく)
(R7・3・27)
6)愛之助の由良助
愛之助の由良助は初役ですが、当然ながら仁左衛門の型をその通り踏襲しています。仁左衛門型の性根は、「計略のための見せ掛けの遊興」と云うところにあります。「俺は遊びたくて遊んでいるのではなく、実は俺には深い考えがあるのだよ」という面をはっきり押し出した割り切れた由良助なのです。例えば力弥から手紙を花道七三で受け取る場面などでは、仁左衛門の由良助は完全に酔いが醒めて・ギラリとした目付きに変わります。だから或る意味・始めから底を割ったようなきらいもありますが、「口ではああは言っても、本心はそうではないんだよ」と云うのがよく分かるので、初見の観客にも理解がしやすい由良助だと思います。そこが仁左衛門型の特長と云えましょうか。
ただし同じ手順であっても、役者の持ち味によって型の色合いが違って見えるものです。仁左衛門ならばその持ち味である優美な特性が、着物の裾からギラリと覗く刃の煌めきを適当に覆い隠してくれます。高調子の台詞廻しが遊郭の華美な印象を裏打ちすることにもなるでしょう。他方、愛之助は仁左衛門型をよく咀嚼し・丁寧に演じていると感心しますが、愛之助の持ち味としては、これは仁左衛門と比べた場合の話ですけれど、色調がいくらか渋い印象になるかも知れません。(酔態が弱いということを云っているのではありません。それはまた別次元のこと。)だから同じ仁左衛門型であっても、愛之助の由良助の方が実(じつ)の要素がより強く出ることになる。よりオーソドックスになるとも云えます。つまり「俺は遊びたくて遊んでいるのではなく、実は俺には深い考えがあるのだよ」と云う仁左衛門型の本質が、愛之助の方により強く現れることになる、これが愛之助の由良助の特長であったかと思います。
別稿「誠から出た・みんな嘘」・「七段目の虚と実」で論じた通り、七段目はぐるぐる廻る万華鏡のような乖離した感覚に読むことも出来ます。そのような読み方もありますが、しかし、仇討ち狂言(=返り討ち狂言)としての「仮名手本」の根本はもちろん実の要素にあるわけですから、由良助の実を踏まえなければ・いずれにせよ七段目は始まりません。愛之助の由良助は、初役にして立派な成果を挙げたと思います。嘘を実に紛らせる「やつし」の技巧は、今後役を繰り返し演じるなかで自然と身に付いて行くものです。
今回(令和7年3月歌舞伎座)の七段目の実の印象は、もう一人・巳之助の平右衛門から来るものでもあります。肝心なことは、嘘と虚飾に塗り固められた遊郭の世界(七段目)に在って、平右衛門だけが唯一まともな人間であると云うことです。そのような平右衛門の実の性格は
「・・髪の飾りに化粧して、その日その日は送れども、可愛や妹、わりゃ何にも知らねえな」
というお軽への嘆きの台詞によく出ていますが、例えば冒頭の三人侍に付いての登場でも、由良助の遊興三昧に業を煮やして・事によったら手討ちにせんといきり立つ三人侍(つまり彼らは状況の返り討ちに陥る瀬戸際なのです)に対して平右衛門の方がずっと冷静であって、事の真偽をしっかり見極めようとする心がある、そんなところを考えれば、平右衛門が唯一の真人間であることはすぐ分かることだと思います。巳之助は、そのような平右衛門の実の要素を手堅く表現して好演です。
だからお軽も本来ならば実に根差すべきことになりますが、廓での生活に染まってしまってお軽は実の性格を一時的に忘れてしまっていました。だから兄妹の会話はすれ違いを繰り返し、無意味なジャラジャラにならざるを得ません。そのような遊女の哀しみを時蔵のお軽はとても上手に表現しました。時蔵は五段目のお軽も良かったですが、七段目のお軽はさらに良い。横顔にちょっと陰の差すような女性がホントに似合いますねえ。
平右衛門・お軽兄妹の協力も相まって、七段目の実の要素が色濃く反映した舞台に仕上がったと思います。通し狂言として、菊之助の五・六段目に・この愛之助の七段目を繋げると、仇討ちに参加出来ぬまま死んだ勘平の無念の思いがいくらか晴らされ、お軽は苦界から救い出されて、平右衛門は四十七士に加えられることとなる。六段目では未解決のまま置かれた筋が七段目で回収されて(まあ完全にと云うわけでもないのだが、それについてはこちらをご覧ください)、通し狂言としての充実感が高まった感じがしますね。
(R7・3・28)