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恋歌の意趣〜運命に翻弄される女性・顔世御前

〜「仮名手本忠臣蔵・三段目」


1)高師直の恋

「仮名手本忠臣蔵」が元禄14年(1701)に江戸城内で播磨赤穂藩主・浅野内匠頭長矩(ながのり)が高家・吉良上野介義央(よしひさ)に刃傷に及んだ事件に端を発しその一年半後に その家来である大石内蔵助良雄(よしたか)以下四十七名が亡君の無念を晴らすという一連の事件を題材にしているのはご承知の通りです。しかし、当時は江戸幕府の規制が厳しく、こうした事件をそのまま劇化することは許されませんでしたから、便法として室町時代の架空の出来事ということにして「忠臣蔵」が成立しているわけです。

当時は「太平記読み」ということが盛んに行われており、それが武士のみならず庶民の歴史観・倫理観の基礎になっていました。だから討ち入りの報を聞いた時に江戸の庶民が思い浮かべたのは、「大石内蔵助は楠木正成の生まれ変わり だ」ということでした。(これについては別稿「内蔵助は正成の生まれ変わりである」をご参照ください。)したがって、「忠臣蔵」が太平記の世界に設定されることは、まさにその「必然性」があったということです。

浅野内匠頭を塩冶判官に・吉良上野介を高師直に見立てたのは、赤穂の塩と高家筆頭職(幕府儀典係の筆頭)からの連想でありましょうが、しかし、よくまあこんな格好の材料が「太平記」のなかにあったものです。高師直は足利尊氏の執事なのですが、「太平記」には高師直は塩 冶判官の奥方 (名前は記されていない)に懸想して、塩冶判官が陰謀の企てをしているという讒言をしてついには塩谷の一族を皆殺しにしてしまう話が出てきます。湯上がり姿の判官の奥方を師直が覗こうとする件などはお堅い「太平記」にしては珍しく色っぽい場面です。(「太平記」巻21・塩 冶判官讒死の事・覚一真性連平家(かくいつしんちつれへいけ)の事)

そういうわけで「太平記読み」の習いがある庶民には、塩冶判官と高師直と言えば、その諍いの原因は当然ながら判官の美しい奥方への師直の懸想でなければならないということになるわけです。だから「忠臣蔵」の発端もそうなっています。浅野内匠頭の刃傷の原因は諸説ありますが、内匠頭の奥方(搖泉院)が原因ではなかったことだけは確かです。しかし、刃傷の本当の原因が何だかよく分からないということは芝居では何を原因にしてもいいわけ(?)で、それで高師直の懸想が「忠臣蔵」の発端になったのでありましょう。ここの部分は「太平記」の設定を借りてきているということです。


2)運命に翻弄される女性

ところで、「忠臣蔵・大序」において師直に付文をもらって困りきった顔世御前を若狭之助が助けます。このあと歌舞伎では顔世御前は花道を引っ込んでしまいますが、じつは歌舞伎での「かほよは館へ立ち帰る」という竹本は入れ事で、これは本文にはありません。文楽でも顔世御前は幕切れまで舞台にいます。つまり帰りそびれてしまうわけです。と言ってもさして為所があるわけでなくて、師直と若狭之助の喧嘩を見ながらハラハラドキドキ (何と言っても自分が原因ですから)、足利直義が前を通る時にはお辞儀をしたりと最後まで気を揉みながら心配顔で舞台にいます。

実はこうした役の扱われ方が顔世御前の置かれた状況を象徴しているとも言えます。顔世は状況を自分ではどうにもできないままに気を揉みハラハラしながら、運命に翻弄されるがままなのです。それが顔世という女性なのです。

「三段目」で師直が判官をいじめる時に「貴殿の奥方はきつい貞女でござる。ちょっと遣わさる歌がこれじゃ。つまならぬつまな重ねそ。ああ貞女貞女。ア其元はあやかり物。』と言います。この師直の言う「貞女」という文句はじつは意味深に使われているらしいのです。

まず顔世はかつて後醍醐天皇の十二人の内侍の一人でした。ということは当然天皇と関係があったと見えます。さらに「大序」の兜改めにおける『顔世が馴れし義貞の兜にて御座候』から見て、よく見知った義貞の兜と解さずに、義貞に馴れし・つまり義貞とも関係があったと見ます。昔は引き出物に女性を添えて副賞と して下されることが多く行われましたから、義貞と顔世が関係があっても不思議ではないのです。そういうことから顔世が師直に送ってよこした『さなきだに重きが上の小夜衣・・』という古歌の引用に対して、師直が「ああ貞女貞女」と嫌味を言うのだというわけです。つまり、すでに三人の夫を持った身なのにいまさら貞女ぶりおって・・というニュアンスがあるのです。

こうなると判官もその辺の事情は承知しているでしょうから、自分の妻を「貞女貞女」と言われた判官の方もあまりいい気はしないわけです。こうして判官も自分がどうしていじめられるのか理由がわからないままに、だんだんと不愉快になっていきます。

「三段目」には「恋歌の意趣」という副題が付いています。師直のしつこい横恋慕に対してさりげなく断ろうというのが顔世が師直に古歌を贈った意図でした。文箱を夫の判官に持たせたのも考えた末のことだったと思います。したがって 、この顔世の歌の「忠臣蔵」のドラマのなかで持つ意味は重要です。

本蔵の賄賂が効いて師直は若狭之助に心にもなく平伏したり もしましたが、若僧に平伏したために虫の居所のよくない師直のところへ運悪くやってきたのが判官でした。最初はとばっちりを食った感じで師直にいじめられていたわけですが、しかし、顔世の歌を読んだ後からは師直は本気で判官をいびり始めます。つまり、顔世が歌を届けたタイミング が最悪であったわけです。

歌舞伎では文箱を判官が持って登場せずに、あとで小坊主に持ってこさせることも多く行われますが、これは本文通りに判官自身が文箱を持ってくるのがよろしいようです。師直が歌を読んで「(この歌は)我が恋の叶わぬしるし。さては夫にも打明けしと怒りをさあらぬ顔』とあるわけですから、後で小坊主が届けに来たのでは顔世が判官に打ち明けただろうと師直は邪推したりはしないでしょう。

結果としては訳を夫に話さずに夫に文箱を持たせたことが最悪の結果を生んだわけです。自分が何でここまで嘲られなければならないのか分からない判官は、ついに堪忍袋を切ってしまいます。ほとんど自分の意志で行動しない(できない)顔世が自分でした唯一の判断が、 判官の城中での刃傷という結果になるのです。このことは顔世が誰にも言えないことで、だからこそ「四段目」において顔世は自分を責めて嘆き悲しむわけです。


3)切腹の場での顔世

歌舞伎の「四段目」での判官切腹の場には顔世はいませんが、本文では夫の切腹の場に顔世は立ち会っています。夫の死の場面を否応なく目の当たりにしなければならないのも、顔世の置かれた状況の残酷さを感じさせます。そして顔世は判官の亡骸に抱きついて泣き叫びます。

『御台はわっと声を上げ、さてもさても武士の身の上ほど悲しいもののあるべきか、今夫(つま)の御最後に言いたい事は山々なれど、未練なと御上使のさげしみが恥しさに、今まで堪えていたわいの、いとをしの有様やと亡骸に抱きつき前後も分かず泣給ふ。』

夫の切腹の原因が自分であることを知っているのは顔世独りなのですから、そのつらさはひとしおであるわけですが、それを顔世は「言いたいことは山々なれど・・」と呑み込んでしまいます。結局、判官刃傷の真相は誰にも知られないままになってしまいます。そこにまた政治の厳しさ・ 哀しさを感じさせるのではないでしょうか。

歌舞伎の「四段目」では焼香の場面でやっと顔世が出てきて、髪を切った横顔(つまり仏門に入るということですが)を由良助に見せて「これ見て給も」などと言うだけで、由良助にうなじを見せたりするのは、これは由良助と何か関係あるようにも見えてどうもいけません。殿様が切腹すれば奥方が悲しむのは当然のことですが、顔世はまさに殿様切腹の原因を作ってしまったわけですから、身を切られるほどにつらいはずなのです

「忠臣蔵」のドラマの発端を作ってしまったこの女性のつらさ・悲しさが本文の「四段目」には残酷なほどに描き込まれていると思います。

(参考文献)

武智鉄二:「忠臣蔵各論」(定本・武智歌舞伎・第一巻





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