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円環感覚の喪失〜木ノ下歌舞伎の現代劇版「桜姫」

令和5年2月池袋あうるすぽっと:木ノ下歌舞伎・「桜姫東文章」

石川静河(桜姫・白菊丸・九郎八)、成河(清玄・釣鐘権助・伝六)、竹谷公雄(長浦・山田郡治兵衛・軸谷宗毒)、谷山知宏(残月・軍助・甚太夫)、安部萌(松若丸・葛飾のお十)、森田真和(粟津七郎・丑島眼蔵・有明仙太郎)他

(木ノ下歌舞伎、脚本・演出:岡田利規、補綴:木ノ下裕一・稲垣貴俊)


1)円環感覚のエンディング

本稿は、令和5年2月池袋あうるすぽっとで行われた、木ノ下歌舞伎による現代劇版「桜姫東文章」の観劇随想です。例によって冒頭は一見関係なさそうなオペラの話から始まりますが、話題はそのうち「桜姫」に絡んで行きます。

  

*石川静河(桜姫)、成河(清玄・釣鐘権助)

あまり上演されないオペラですが、歌劇「死の都」という曲があります。初演は1920年のことです。作曲者はエーリッヒ・ヴォルフガング・コーンゴルトで、この時彼は何と23歳でした。コーンゴルトはまったく「遅れて生まれてきた大天才」と云うべき作曲家でした。既にオペラは衰退期に入っており・二つの世界大戦もあって、彼は才能を十二分に開花させる機会を得られませんでした(コーンゴルトは後にアメリカに渡って、映画音楽作曲家としてアカデミー賞を受賞)が、「死の都」の音楽は、実に素晴らしいものです。原作はベルギーの象徴詩人ジョルジュ・ローデンバックの幻想小説「死の都ブルージュ」に拠っています。オペラ台本は作曲者とその父ユリウスがパウル・ショットという変名で執筆したそうです。しかし、本稿ではとりあえず音楽のことは関係がありません。取り上げたいのは、オペラのエンディング(結末)の処し方です。

舞台は、19世紀末の古都ブルージュ。主人公のパウルは、愛する妻マリーの死を受け入れることが出来ずにおり、自宅に「なごりの間」と名付けた一室を作って、そこにマリーの肖像画や遺品などを陳列して、引きこもり同然の生活を送っています。ところが或る日パウルは、亡き妻に生き写しの踊り子マリエッタと出会います。パウルはマリエッタにのめりこんで・放蕩三昧。パウルの行動に呆れた友人や家政婦など周囲の人々は次々と彼の元を去っていきます。しかし、最初はちやほやされて喜んでいたマリエッタも、パウルが自分を亡き妻の代用品にしていたことに気付いて、憤懣をつのらせます。(そうなることは自然の成り行きですねえ。)怒ったマリエッタが亡き妻の遺品を弄びます。これを見たパウルはかっとして衝動的にマリエッタを絞殺してしまいます。我に返ったパウルは遺体を見下ろして、「マリー、これで彼女も君と同じになった」と呟きます。ここで舞台が暗転しますが、ここまでの筋が原作小説に準拠しています。以下がオペラ独自のエンディングとなります。

再び舞台が明るくなり、パウルが目を覚ますと、部屋にはマリエッタの遺体はありません。彼の元を去ったはずの家政婦も友人もいます。すべてはパウルが見た幻想であったのです。友人に諭されたパウルは、亡き妻への思いと決別し、古都ブルージュから離れることを決心します。

吉之助が歌劇「死の都」を初めて見た時のことを思い出します。(音楽の素晴らしさは置くとして)パウルの絞殺シーンでは「この救いようのない筋をどうやって結末に導くんだ」という感じで暗澹たる思いでありましたねえ。このオペラには寸切れの幕切れしかあり得ないように思いましたが、「すべてはパウルが見た幻想であった」という結末には、ホントに救われた気分になりました。同時に、1920年代ということを考えると・この時代のオペラならば、このエンディングに収める以外のやり方は考えられないと思いました。

吉之助もそうだけれど、オペラの観客は保守的と云うか、基本的に常識人なのです。怖いもの(現実)は見たいのだけど、ホントに怖くなると、「私の見てるものはたかがエンタテイメントですから」というところに逃げちゃうのです。しかし、怖いもの(現実)を見たことを忘れてしまったわけではありません。それは心のどこかにしっかり残っています。人はみな柵(しがらみ)だか何だか、過去の亡霊みたいな何某かに縛られながら生きているようなものです。或る時にそれと対峙し、殺さねばならぬことがあるのかもしれませんねえ。まあそんなことを思いながらも、また明日からは日常に戻って・いつもながらの生活を続けなければなりません。観客は「さっき見た怖いシーンはすべて幻だったのです」と聞いてほっとして、これで安心して家に帰ることができます。そのような観客の健康な感性に則ってオペラ興行は成立しているとでも言いましょうかね。(このことは歌舞伎興行でも同じだと思うのです。)

もしかしたら「すべてはパウルの幻想であった」という結末は、取って付けたような、安直なエンディングに感じるかも知れませんが、吉之助にはオペラや演劇というようなパフォーミング・アーツでは、どうしても収拾が付かない筋を終える為には、これが一番手っ取り早く・かつ効果的な終わり方に思われるのです。(もちろん筋にも選りますけどね。)パフォーミング・アーツでは、エンディングにどうしても閉じた感覚が必要になるからです。それが作品を古典的な印象に収めます。(ただし、現代演劇においては最初からそのような閉じた感覚を拒否したものが出てきますが、それはまた別次元の話。)

そこで話を「桜姫東文章」の方に転換しますけれど、山の宿で・夫権助が弟梅若を殺して都鳥の一巻を奪って吉田家を断絶に追い込んだ張本人であったことを知った桜姫(風鈴お姫)が、権助と我が子を刺殺して、まったく何の逡巡も見せず元の吉田家のお姫様に戻ってしまうエンディングも、まったく同じ感覚で捉えられるだろうと思うのです。「すべては桜姫が見た幻想であった」にほぼ近いものです。清玄も権助も死んだ今、お姫様に戻った桜姫がこう言うのです。

「こうすれば白菊丸も自休もいなかったことになる。清玄も権助もいなかったことになる。・・・その上、ひょっとしたら、この私ですらも・・・それも心々ですさかい」

ですから「桜姫東文章」のエンディングは、円環感覚で捉えることが出来ます。これは芝居を閉じた感覚で終える為のパターンのひとつで、上述の「死の都」と同じです。ぐるりと回って・また出発点に戻ったと云う感じです。しかし、これはリセット(すべての設定を初期状態に戻す)ではありません。元の場所へ戻ったとしても、もう桜姫はあの時の桜姫と同じではあり得ないのです。(別稿「桜姫断章」をご参考にしてください。)(この稿つづく)

(R5・2・10)


2)円環感覚が生み出すもの

令和3年(2021)歌舞伎座に於いて「桜姫東文章」が、玉三郎(桜姫)と仁左衛門(清玄/権助二役)の組み合わせで、4月上の巻)・6月下の巻と上下2回に分けて上演されて、大きな話題となりました。これは令和3年歌舞伎界の特筆されるべき成果でしたね。ただしこの時の上演は、(演者の体力的負担とかコロナとか諸般のやむを得ぬ事情があったにせよ)本来は1日で行う通し狂言を4月と(一月の間を空けて)6月と上下2回に分けて上演したことに依る多少の不具合もあったと思います。それは下の巻の大団円(桜姫が元の吉田家のお姫様に戻る結末)を正しく円環感覚に収められなかったことです。つまり下の巻だけであると、始まりが正しくないから・いつもの終わり方が正しく見えて来ないわけなのです。

この件については別稿四代目鶴屋南北と現代」で触れましたが、もう一度お浚いしておきます。吉之助がこの時の周囲の観客の反応を観察したところでは、4月(上の巻)では「私は今凄いものを見ている」という観客の興奮と云うか、高揚感が凄かったと思います。終演後のお客さんの表情が、いつもと違っていると思いました。そりゃあ初めて玉三郎の「桜姫」を見ればそうなると思います。40数年前の吉之助だってそうであったのですから。そうすると下の巻への期待がいや増すのは当然のことで、6月の切符はすぐ売り切れになりました。だから6月(下の巻)の客席は大いに盛り上がるだろうと思っていたら、意外なことにそうでもなかったのです。もちろん舞台の出来は素晴らしかったのですが、観客の反応は、上の巻終了時点での期待があまりに大きかったせいか、下の巻・冒頭・岩淵庵室の暗くおぞましい展開に、「えっ?こういう展開になっちゃうの?」という戸惑いがとても大きかったようでした。何だかシラーッとした空気が客席に漂っていましたねえ。山の宿で桜姫が夫権助と我が子を殺す展開に唖然、大団円で桜姫が元の吉田家のお姫様に戻るエンディングに呆然。終演後は割り切れない表情をしていた方が多かったと記憶します。吉之助の観察では、それは6月(下の巻)単体では・芝居が正しい始まりと正しい終わりにならなかったことに原因があります。「桜姫」はやはり通し狂言として1日で行うことで、正しい円環感覚に収めなければならぬ演目だと思います。

吉之助はえらく円環感覚にこだわるなあ・・とお感じかも知れませんが、吉之助は「桜姫」と云うシュールな物語を古典の感触にするのはこのエンディングである、と云うか、このエンディングで以て本作の「世界」が成立すると考えているのです。もちろん本作の根底にあるものは、「隅田川の世界」とか「清玄桜姫の世界」とか、材料はいろいろあるでしょう。そう云うものは、一般的な歌舞伎の教科書に出てくる「世界」の概念で、いわば和歌の歌枕みたいなものです。しかし、吉之助がここで「世界」と呼ぶものは・それとは若干違っていて、「桜姫」全体を大きく取り込む南北独自の宇宙観とでも云うべきものです。円環感覚があってこそ、ハチャメチャで崩壊しそうな世界全体にしっかり箍(たが)が嵌(は)まるのです。

これは南北自身もしかとは意識していなかったものかも知れませんねえ。このような円環感覚のエンディングが生み出す南北的宇宙の衝撃ということでは、南北物も数あれど、成功したものはそう多くはなさそうです。結末が良く出来ていると感じるのは、まず挙げるべきは「桜姫」・それと「盟三五大切」の2作品でしょうかね。それと「東海道四谷怪談」もそうですね。

ところで、木ノ下歌舞伎のように、現代の事象も取り込んで、新たに脚本を自由に書き直して古典を現代劇化しようと云うのであれば、主題を研ぎ澄ますために、適切なアレンジを施す必要があると思います。そこで現代演劇の視点から「桜姫」を読むと、一番最初に気になって・いじりたくなるのは、恐らく、この大団円の・桜姫が元の吉田家のお姫様に戻るエンディングだと思います。現代劇の立場からだと、このエンディングが許せないと云うか、封建主義の芝居の究極のベタなエンディングに見えるでしょうねえ。

今回(令和5年2月)木ノ下歌舞伎の「桜姫」ですが、案の定と云うか・当然そうなると云うべきか、この大団円のエンディングがばっさりカットされています。もちろんそれはそれで良いのです。アレンジを自由自在に出来るところが木ノ下歌舞伎の強みであるわけですから。そこで大事なことは、上述した「桜姫東文章」全体を大きく取り込む南北独自の宇宙観に置き換わる、まったく別の「桜姫」の様相がそこから見えて来るだろうか。「桜姫」現代劇化の成果は、そこが問われると云うことかと思いますね。(この稿つづく)

(R5・2・11)


3)切り取られた台詞

木ノ下歌舞伎は現代劇ですから・現代語でやるわけですが、その根底に原典(丸本などオリジナルの台本)に立ち戻ってドラマを読み込むことが、木ノ下歌舞伎の基本コンセプトにあると理解しています。大歌舞伎であると、長い歳月を掛けて先人が工夫が積み重なって、定形となったやり方で上演をするのが普通のことです。もちろん考え抜かれた優れた型もありますが、仕勝手で改変されたものも少なくありません。時間の関係で枝葉がばっさりカットされて、筋が分かりにくくなってしまった演目も多い。何より困るのは、現行歌舞伎では自分は新たな工夫で独自性を主張してみようと云う試みがあまりなくて、舞台の画一性が強まっていることです。定形のやり方をただ無批判に踏襲するのが「伝承」みたいになっています。このようなダル〜い現状を洗い立てのワイシャツにアイロンをかけたように・シャキッとした感触に仕立てるためには、常に原典に回帰する姿勢を持たねばなりません。そうすれば、「先人のこの型はこう云う発想で出来上がったものなのだ」と云うことが分かってきます。だから原典回帰とは、常に創造に立ち帰ると云うことなのです。

そのような基本コンセプトから、木ノ下歌舞伎は過去の「三人吉三」や「四谷怪談」でも、現行歌舞伎でもはや上演しない場面を取り上げて(現代劇での急ぎ足のダイジェストですから「復活」とは言えません)、「ああなるほど歌舞伎の舞台じゃ分からなかったが、あそこの場面で主人公がこうするのは・そんな背景があったわけだね」と新たな発見を与えてくれます。同じことを歌舞伎の舞台で原作通りやろうとすれば相応の上演時間枠が必要ですが、木ノ下歌舞伎ならそこは端折りだから簡単に出来ちゃうのです。だから歌舞伎でいつもそれをやれと云うわけに行きませんが、たまにはそう云うことを試みても良いのにと思うことはあります。

そこで今回(令和5年2月)木ノ下歌舞伎の「桜姫東文章」でも、そう云う場面があるにはあります。三囲の場は、漆黒の闇のなか(桜姫を探し求める)清玄と(わが子の行方が気になる)桜姫がすれ違って・再会が叶わぬ哀しい場面です。ここに幕切れ付近の桜姫に印象的な台詞があります。清玄が赤子のため焚火しようとしますが、風雨のため火がうまく付きません。ふと見ると捨ててある傘があるので、これを差しかけて風雨避けにして火をくべます。焚火の明かりで・傘に書かれた文字が提灯のようにかすかに浮かび上がります。そのすぐ横を桜姫が通りかかりますが、周囲の暗さで二人は互いにそれと気付きません。桜姫は傘に書かれた文字を見やり、こう言います。傍に清弦がいるわけだから、心のなかでそう言ったということでしょう。

桜姫:「「ほころびし花の袂(たもと)は風のみか、わりなく濡るる雨もいとわめ」、女子(おなご)の手跡(しゅせき)、心ありげな、正(まさ)しく恋歌。身(み)のいたずらもほころびし、花の袂も今の身は、ありなく濡るる、ああ雨もいとわめ。今のこの身に。(とほろりとする。)」(大南北全集・第8巻・春陽堂より)

ここにある和歌は、実は三囲の前の場である(現行歌舞伎ではカットされる)「押上植木屋の場・郡司兵衛内の場」に関連するものです。しかし、前場が上演されないので、現行歌舞伎では桜姫の台詞との関連がまったく見えなくなっています。どういう経緯で誰が詠んだ和歌なのか分からない。ともあれ台詞自体は桜姫が自らが置かれた境遇を嘆いたもので、なかなか捨て難いものがあります。

まず台詞から分かることは、(現行歌舞伎だとそうしませんが)清玄と桜姫はホントに着物が触れ合うくらい近いところにいると云うことです。夜の闇はそれほど暗くて、互いに誰と分からないのです。雨で湿った焚き木にやっと付いたくらいの頼りない炎では、間近に寄らなければ文字はしかと読めないでしょう。この場の二人の距離感覚は、歌舞伎座の大きい舞台ではピンと来ません。あうるすぽっとの舞台くらいの大きさでちょうど良いのです。このことは向島・三囲神社の現地を知っていれば、南北が場面を写実感覚で描いていることが実感出来ます。

ところで「ほころびし花の袂(たもと)は風のみか、わりなく濡るる雨もいとわめ」の和歌は、前場で桜姫の身替り首にするために父親(郡司兵衛)に斬られた小雛という娘が傘に書いた和歌でした。その傘が巡り巡って三囲の境内に捨てられ、これを偶然に清玄が拾ったのです。小雛が身替りになった経緯にドラマがあるわけですが、一見したところ家来筋はみな「御家大事・吉田家の存続のために姫様の命には変えられぬ」と云う論理で動いており、郡司兵衛内の場に長い愁嘆場があるわけでもなく、格別のドラマがあるようにも思われません。(ただし一見すればですが。)興味深いのは、小雛は、桜姫様は「ほころびし花の袂」が風雨にさらされてお可哀そうに・・出来ることなら私が代わって差しあげたいものを・・」と云う心で和歌を詠んだと云うことです。これは劇中で小雛本人がそのように言っています。ただし私は身替り首となって殺されたいと詠んだわけではありません。(前場のドラマは小雛が思いもしない展開をしますが、その件は本稿では触れません。)

一方、上述の台詞を見ると、桜姫の方は小雛の和歌を恋の歌であると読んでいます。けれども、これは桜姫の読み違えではありません。和歌というものはいろんな解釈の余地があるもので、読む方に様々な読み方が出来るから面白いのです。とにかく桜姫はこれを恋の歌と受け取っており、我が身と重ね合わせてホロリとします。

そこで、片方に主筋(桜姫)のために身替りとなって死んだ哀しい娘(小雛)がおり、もう片方にそんなことはお構いなしに・道ならぬ恋に身を持ち崩す(つまり御家存続のために奔走する家来達の気持ちも考えず自分勝手に振る舞う)お姫様がいると云うことで、両者が対比されている・桜姫が批判されていると考えることは出来ないことはないです。まあそう云う理屈も考えられるでしょうが、しかし、この情緒ある三囲の場の最後の方にそんな理屈が飛び出す必然はないことです。ここは素直に桜姫の気持ちを受け取りたいものです。傘に書かれた和歌を読んで桜姫は、

「何だか曰くありげな恋の歌。今の私(桜姫)のように、道ならぬ恋に身を焼き・苦しんでいる娘がきっとどこかにいるのね。」

と言って泣いています。どこの誰かは知らねども、結果的にそれは桜姫が小雛のために泣いたことになるのです。文化14年初演当時(前場を見た)観客は、これは死んだ小雛の気持ちがそうさせたとはっきり分かっています。日本人にとって、和歌はそのような作用をするものなのです。(注:「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛けき武士の心をもなぐさむるは、歌なり。」・・「古今集・仮名序」) ですから桜姫の涙がそのまま小雛のための供養になるのです。そして観客はどこかできっと小雛が桜姫のことを見守っていると感じたことでしょう。このことが三囲の場を一層しみじみとした気分にします。ですから上述の台詞を読んで吉之助が感じることは、四代目南北はお主のために儚く散った小雛のことを忘れていなかった、「南北さん、やっぱりあなたは分かっていたんですね」と云うことです。(この稿つづく)

(R5・2・15)


4)古典と対峙すると云うこと

これは演出家・蜷川幸雄が言ったことなのだけど、「チェーホフの芝居を見ていて・あれから100年経ったけど・現代はチェーホフが夢見た世界じゃないなあとつくづく思う」と云うのです。(NHK・「100年インタビュー」・2009年9月放送) 現代人が「古典」を読む時にこのような姿勢が大事だなあと吉之助は思います。「桜の園」の幕切れに(アーニャ)「さようなら、古い生活」(トロフィーモフ)「こんにちは、新しい人生」という台詞があります。桜の園を離れる彼らがどんな世界を夢見たでしょうか。それは、彼らがモスクワに移ってからどんな生活をしたかとか・と言っても間も無く彼らは革命の波にさらされることになるとか、具体的なことを想像することではありません。それより大事なことは、彼らの気持ちのピュアなところを考えることです。それは結局、「豊かな日々で優しさと喜びに包まれた人間的な世界であればいいなあ」と云うことだと思います。そういう漠然としたイメージである方が良いのです。そこで作中のアーニャやトロフィーモフの思いを受け止めて、100年後の現代の我々が彼らの思いを実現出来ているのかと思えば、何となく恥じる気持ちになると思います。2023年現在の世界はますます混迷の度合いを深め、不安と焦燥と諦めが漂っています。このようなことは今更書かずともお分かりかと思います。

つまり「古典」に接することで、現代の我々はそこで過去を何某かの形で批評するわけですが、同時に我々は過去から批評されていると云うことです。「古典」にはそのような作用があるのです。吉之助は歌舞伎を見る時に、現代の我々は、近松が夢見た・南北が夢見た・黙阿弥が夢見た世界を実現できているだろうかと云う気持ちを決して忘れたことはありません。

多くの人々は前者(過去を批評する)の方はやりますが、後者(過去からの批評を受け止める)の方はあまりやらないようです。松王丸がご主人を守るために身替りに自分の子供を切るなんて何て残酷だ・信じられない、由良助が主人の無念を晴らすために師直邸へ討ち入るって・ありゃ集団暴力行為じゃないか・とんでもない、ということは初めて芝居を見た人ならば誰でも即座に脳裏によぎることです。そのような疑問を感じることは、もちろん大事です。そこに歌舞伎を考える取っ掛かり(ヒント)があるのです。しかし、ここでハタッと立ち止まり、「現代は過去から批評されている」ということを思い起こしてもらいたいのです。そうすると封建社会・身分社会の不条理とか理不尽とか・そう云うことを言うのはちっちぇえ・ちっちぇえ、そう云うことを現代の我々が批判する権利など何もないことが分かってくるはずです。松王丸が・由良助が夢見た世界を、現代の我々は未だに実現出来ていないのであるから。この気付きから真の「古典の読解」が始まります。

そのような気付きの後には、封建社会・身分社会の不条理とか理不尽とか云う視点は、思い付いた時には如何にも現代的な・かつ普遍的な切り口であるかのように思うけれど、実はホントにっちゃいことなのです。松王丸由良助も、自分が信じることの実現のために、命を張っている。これがホントの「寺子屋」や「忠臣蔵」の背骨ではないのですかねえ?そうでなければ、現代人の吉之助がこれらの芝居に感動する理由が説明出来ないのです。「君ら自分が信じることの実現のために一生懸命生きてるかい?命張ってるかい?」と言われた気がしないでしょうか。

そこで今回(令和5年2月)木ノ下歌舞伎の「桜姫」のことですが、岡田利規の演出には興味深いところが多々あるにはあります。あうるすぽっとの・それほど大きくない舞台で、役者が演技して・自分の役割(パート)が済むと、舞台脇とか前方に・演技者を取り囲むようにたむろします。ペットボトルの水を飲んだり・休息するポーズを取りながら、その時はドラマの観察者になっている。同時に観客でもあるのでしょう。彼らが時折演技者に掛け声らしきものをかける。と云っても歌舞伎の大向うみたいに威勢が良いものではなく、何だかダルそうな・気のなさそうな声で、「ブルガリヤ」とか「ポメラニヤ」とか(屋号らしい)掛け声を発します。これは彼らの演劇スタイルで以て歌舞伎の掛け声を模しているのででしょう。

そこで最後の方の山の宿での、桜姫が夫権助と我が子を刺し殺す場面です。桜姫は死んだ権助の懐から時鳥の一巻(これこそ吉田の家の再興に不可欠なもの)を取り出します。それでどうするのかと思ったら、桜姫は「時鳥」をポーンと高く後ろに投げて捨ててしまうのです。そこで後方に立つ葛飾のお十役の女優さんが「ハレルヤ」と・これもダルそうな声を掛けて、これで芝居はお終い。原作での、桜姫が元の吉田家のお姫様に戻る大団円はありません。尻切れトンボの、「これで終わり?」という幕切れでしたねえ。閉じた感覚で芝居を終えることをあらかじめ拒否する現代演劇では良くあるスタイルです。

最後の「ハレルヤ」の掛け声ですが、それまでの舞台脇からではなく・舞台後方からの掛け声ですから・第3者の観察者としてではなく、これは葛飾のお十からの「ハレルヤ」ですね。なるほど、このオチを付けるために、「ブルガリヤ」とか「ポメラニヤ」とか声を掛けてたわけですね。ところで「ハレルヤ」というのは「神を褒め称えよ」と云う意味です。それにしても気のない「ハレルヤ」ですが、そこに桜姫がやってきたことへの葛飾のお十の気持ちが表現されていると云うことです。

例えば「Please do it as you like.」と云うと、直訳すれば「あなたのお好きなようにやってください」ということですが、捨て台詞で言われると、これは良くない意味になるのです。それは「好きなようにやればいいさ、勝手にすればいいさ」と云うことです。この葛飾のお十の「ハレルヤ」は、そういう意味でしょう。つまり「私達家来はお家のために・お姫さまのために・家族を犠牲にして・自らも犠牲にして頑張って来たのに、そんなこともお構いなく主人のあなたはまだ好き勝手なことをするのね、ならば好きにすればいいわよ」と云うことですね。

・・まあねえ古典を材料にして現代演劇をやるのだからご自由にやれば良いのです。しかし、木ノ下歌舞伎は、現代の視点から「古典」を積極的に読み直すということをコンセプトとしていると理解しますから、その読み直したものを、ポジティブなものであれ・ネガティブなものであれ、ご提示をいただかねばならないと思います。この「勝手にすればいいさ」と云うエンディングは、これはただ「言ってやったぜ」ということだけです。ただ言い捨てただけのことで、批評にも何にもなっていない。これじゃあ「古典と対峙」したことにはなりません。岡田氏には、桜姫のために新たな結末を創作してもらいたかったと思いますね。桜姫の現在の気持ちを長々独白させても良い。「都鳥」を投げ捨てた(お家再興を拒否した)桜姫は、自害するか・出家するか・それともこれからは自分の力だけで生きていくと云うのか、自分の力でやるったって大変ですよ、そこどうするわけ?そこを「ハレルヤ」でお終いにして良いのでしょうか。閉じた感覚を拒否するのが現代演劇でもあろうけれど、しかし、古典と対峙するって云うことは、そう云うことをすることだと思いますよ。岡田氏は南北にあまりインスパイアされなかったように感じましたが、残念でしたね。

(R5・2・18)


〇補足

木ノ下歌舞伎の現代劇版「桜姫」については、別稿「円環感覚の喪失」にて論旨は尽くされていますが、雑談的に補足をすることにします。吉之助が見た初日から間もない5日の上演では、観劇随想に記した通りの・寸切れの幕切れでした。或る方に教えていただきましたが、千秋楽近くの幕切れは、これとは若干やり方が違っていたそうです。都鳥の一巻を持った桜姫に葛飾のお十が近づいて行き一巻を受け取り、お十が一巻をポンと後ろへ投げ捨てたそうです。「ハレルヤ」の掛け声は別の脇にいる役者さんが発したそうです。

まあ演出の岡田利規氏も、幕切れに悩んで・いろいろ試行錯誤しているのだなあと云うことは分かりました。ただし相変わらずちっちゃいところにお悩みだなとは思いますねえ。封建社会・身分社会の不条理とか理不尽とか云う視点は、それを思い付いた時には如何にも現代的な・かつ普遍的な切り口であるかのように思うだろうけれど、それは実はホントにちっちゃいことなのです。そんなところにこだわっている限り、打開策は見つからないでしょう。そう云うことを芝居で言いたいならば、別に材料が「桜姫」である必要はないはずです。仇討ち物だか身替り物でやれば、もっと批判視点が明確に出来ます。しかし、それさえちっちゃいことなのですがね。「忠臣蔵」に封建批判がないわけではないでしょうが、それを越えたところで「それでも俺はやらねばならない」と云うところに人間ドラマがあるのです。芝居中の登場人物に対し、ポジティブなものであれ・ネガティブなものであれ、共感が得られなければ古典の再解釈は出来ぬものです。

芝居中の人物は生きているのです。桜姫はもちろんですが、葛飾のお十も、残月・長浦も、悪五郎でさえも生きているのです。もし葛飾のお十が都鳥の一巻を投げ捨てたとしたら、これでお十は彼女がこれまで生きてきたことのすべてを否定したことになるのです。桜姫のためと云うか・お家存続のために命を掛けてきた人すべてを否定したことになるのです。そんなことがあり得ますか?詰まらないことかも知れないけれど、そんな詰まらぬものにこだわりながら、この不条理で理不尽な世の中に人は生きているのであって、そのなかで桜姫もお十も両方が「立つ」結末をお考えいただきたいものですねえ。「勝手にすればいいさ、ハレルヤ」では何も生まれません。それは古典から何も受け取っていないということです。まあ見解の相違ということですがね。

別稿「円環感覚の喪失」で詳しく触れましたが、三囲の場で登場する小雛の和歌は、片方に主筋(桜姫)のために身替りとなって死んだ哀しい娘(小雛)がおり、もう片方にそんなことはお構いなく・道ならぬ恋に身を持ち崩す(つまり御家存続のために奔走する家来達の気持ちも考えず自分勝手に振る舞う)お姫様がいると云うことで、桜姫が批判されていると考えることは(こじつければ)出来ないことはないかも知れません。しかし、前場の郡司兵衛内の場を読むと、小雛の許婚・半兵衛が和歌を「不義の証拠だ」と決めつけるのはまったく無理繰りの解釈ですが、和歌のなかにそう云う気分(恋の気分)がないわけではないのです。桜姫の惨めな状況を傍に置いて、小雛は自分には半兵衛という許婚がいることの幸せを感じています。だから桜姫はこれに感応して「まさしく恋歌」と呟くのであって、半兵衛もまさにそこを捉えて・小雛を桜姫の身替りにするための口実に無理矢理しているわけです。つまり半兵衛は分かっているのです。と云うことは、三囲の場でこれがリフレインされる時、小雛の和歌は示導動機(ライトモティーフ)としてどのような暗喩を持つでしょうか。そこをもっと深く考えてもらいたいものです。

郡司兵衛内の場は文化14年の初演以来上演されていませんが、一見すると本筋と関係なさそうなドラマに見えるこの場を、桜姫の本筋に繋ぎ止めるために、桜姫の涙が必要であったのです。そうでなければ、この場は本筋から切れてしまうでしょう。桜姫の涙がそのまま小雛のための供養になるのです。同時にそれは三囲で傘で雨をしのぎながら焚火して・わずかな暖を取る清玄の心象風景とも重なってきます。清玄の心のなかは桜姫のことで一杯です。桜姫のためならば・・雨も風もいとわめ。これを言いたいためだけに南北は小雛の和歌を三囲の場に登場させているのです。それで十分ではないでしょうか。そこに自分勝手に振る舞う桜姫への皮肉などが入り込む余地などありません。そう云うことは、ちっちゃいことなんです。まあこれも見解の相違ということですがね。

(R5・3・1)



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