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桜姫の業(ごう)の仕業〜T&Tによる・久しぶりの「桜姫」

令和3年4月歌舞伎座:「桜姫東文章」・上の巻

五代目坂東玉三郎(稚児白菊丸・桜姫二役)、十五代目片岡仁左衛門(清玄阿闍梨・釣鐘権助二役)、五代目中村歌六(僧残月)、六代目上村吉弥(局長浦)、四代目中村鴈治郎(入間悪五郎)


1)36年ぶりの「桜姫」

今月(令和3年4月)歌舞伎座は、玉三郎と仁左衛門(かつてのT&T)のコンビでの、久しぶりの「桜姫」(上の巻)上演ということで、大きな話題になっています。歌舞伎座の客足も、久しぶりによろしいようです。今回の「桜姫」は、昭和60年(1985)3月歌舞伎座以来の36年振りの上演ということです。(ただしその間に平成16年(2004)7月歌舞伎座での段治郎(現・二代目喜多村緑郎)との共演があったことも忘れられません。)

この半年の歌舞伎座は、新型コロナ感染対策ということで劇場収容人数を制限していますし、劇場内は出来る限りの対策を施しているとは言え・自宅と劇場との往復などを考えれば・或る程度のリスクは付きまとうわけで、そんなことから好きな芝居見物を目下控えていらっしゃる歌舞伎ファンは少なくないと思います。そんなこともあって、これは歌舞伎に限ったことでもないと思いますが、現状の歌舞伎座の客足は厳しいのが正直なところだと思います。そんななかコロナ以後再開された歌舞伎座の舞台に9月以来玉三郎が断続的に立ち続けていることは、「歌舞伎が危機に瀕している時に自分が頑張らないと・・」という使命感が玉三郎にもあるのだと思います。そこに、候補としては当然挙がるに違いないが・多分それは玉三郎の体力的な問題から無理だと諦めていた「桜姫」が出たということは、吉之助にも大きな驚きで、松竹はついにエースのカードを切ってきたなあと思いました。これを契機に歌舞伎座の客足が回復してもらいたいものですねえ。・・というところですが、このところ、全国のコロナ新規感染者がまた増え始めて心配なことです。気を引き締めて・油断することなくコロナと付き合って行かねばならないと思います。

ところで玉三郎の「桜姫」が、戦後昭和の歌舞伎のなかでどのような意味を持つかということは、サイトのなかで折に触れて論じて来ました。(とりあえずサイトの記事のなかでは昭和42年3月国立劇場で玉三郎が初めて白菊丸を演じた時の観劇随想をご参照いただきたい。)もちろん吉之助にとっても、玉三郎が演じる桜姫というのは特別な役です。以前吉之助は、玉三郎の三役として、桜姫(と云うよりも風鈴お姫としたいのだが)・雲の絶間姫(鳴神)・それとお軽(七段目)を挙げました。これら三役に共通する要素は、軽やかな「しゃべり」の芸ということです。玉三郎のそれは、もちろん伝統的な裏付けを持っているのですが、若い頃(もう四十数年前のことになりますが)の吉之助が玉三郎の桜姫に魅了されたのは、伝統的な女形芸のエグ味から解放された爽快感・軽やかさということでした。当時の吉之助はそこに女形の未来みたいなものを思い浮かべたものでした。あれから50年近い歳月が経ったわけです。

ただし五十年も時が経てば、世の中も変るし・歌舞伎も変わる、玉三郎も歳を取ったし・もちろん吉之助も同じだけ歳を取ったということで、普通ならば、「ゆく河の流れは絶えずして・しかももとの水にあらず」という理(ことわり)を思い出すことにもなるわけです。とは云え、歌右衛門70歳当時の舞台を思い起こせば、単純な比較をすることは慎まねばなりませんが、現在70歳の玉三郎は、これはもう「奇蹟」という言葉を使わなければいけないほど、「美しい」。(これは孝夫も同様です。イヤ今は仁左衛門。)今回(令和3年4月歌舞伎座)の「桜姫」の舞台を見ながら、もちろんそっくりそのままであるはずがないけれど、そこに四十数年前の戦後昭和歌舞伎の最後の光芒を見る思いがして、吉之助にも感慨深いものがありました。(この稿つづく)

*玉三郎は本年4月25日に満71歳になります。

(R3・4・11)


2)濃厚な色模様

別稿「南北の感触は何処に」は本年(令和3年)2月歌舞伎座での、玉三郎と仁左衛門コンビによる「於染久松色読販」の観劇随想です。この原稿を書いた時点では、4月歌舞伎座「桜姫」がまだ発表されていませんでした。その後「桜姫」がアナウンスされた時に吉之助が感じた一抹の不安は、もしかしたら幕末歌舞伎の・重く粘った感触の「桜姫」に変化していないかと云うことでした。これについては以降で述べますが、結果としては、確かに感触が重めに変化してはいましたけれど、危惧したよりもしっくり行っていた印象を持ちました。如何にも「かぶきらしい」濃厚な味わいの色模様を堪能できたと思います。

まあこの印象は、昭和60年3月歌舞伎座での(36年前の)「桜姫」から平成16年7月歌舞伎座の(17年前の)「桜姫」に向けて引っ張った線の、その延長線上で予測できたことではあります。吉之助が「危惧したよりもしっくり行っていた」と書いたのは、同じ南北物でも・生世話の「於染久松」とは違って・「桜姫」は時代の方へ寄った作品ですから、現在の玉三郎と仁左衛門の芸質に「桜姫」がより相性が良いからです。もうひとつの理由は、今回の「桜姫」上演が上の巻(発端・稚児ヶ淵から三囲の場までの前半)のみということであるので、これであると上の巻の基調が時代なので、南北のバラ書きの味わいがあまり目立たないと云うことに拠るでしょう。(注:上の巻・下の巻という区分は原作に本来あるものではなく、上演のための便宜上の区分です。)

今回上演の「桜姫」は感触の方向性として、吉之助は映像でしか知りませんが、昭和42年(1967)3月国立劇場での、四代目雀右衛門の桜姫に似通ったものを感じさせました。もちろん雀右衛門と玉三郎は芸質が異なりますから、あくまで「方向性」として似ていると理解いただきたい。南北の「桜姫」は文化14年(1817)以来百数十年上演されなかったわけですが、もし本作が幕末・明治と継続的に上演されていたならば、「伝統」の古色が付いて絵草紙風の濃厚さが自然と生まれただろうと思うわけです。それに似た味わいが玉三郎と仁左衛門コンビの個性に於いて・それなりに醸し出されていたということです。

こういう「桜姫」も有りだと思います。30代の時分の花もあれば、70代の時分の花もあります。この「桜姫」に玉三郎と仁左衛門コンビの現在が反映されていると見るべきです。だから吉之助も、この絵草紙風の濃厚な「桜姫」を愉しませてもらいました。ただし、これが「南北的な感触なのか」ということになれば別の思いも浮かんで来ます。このことは、恐らく下の巻(6月歌舞伎座で上演予定)に於いて明確なものになって行くでしょうが、今月(4月)の上の巻においても探せばそれは見えます。

例を挙げるならば「桜谷草庵」で権助が帰ろうとするところを、桜姫が「イイヤそちは去なされぬ。マア待ちゃ。・・・苦しうない。ここへおじゃ」と引き留める場面です。ここから濃厚な色模様が始まるわけですが、今回の玉三郎の桜姫を見ると、ここの感触が若干重めになっているようです。悪いと言っているのではないので、ご注意を。これ以前のお姫様然とした桜姫と・これ以後の桜姫に一貫性を持たせようとしたやり方です。前者が建前で・後者は本音・しかしどちらも一人の女性たる桜姫から出た言葉という感じなのです。もちろん、そういう考え方もあるわけなのです。それゆえ場面の移行が自然に感じられたでしょう。しかし、南北的な感触と云うことからすれば、両者は関連性がなく、胴体と手足はバラバラという考え方になるのです。そうすると境目がはっきり切れて見えなければなりません。「イイヤそちは去なされぬ。マア待ちゃ」という台詞は、それまでの桜姫のお姫様の口調から途切れて、一転して軽く、もしかしたら誤解を生じるかも知れませんが「世話に・砕けて」、発声されねばならないのです。ということは全然別の人格に切り替わったということですが、そう見えた方が良い、これが南北的な感触なのです。この分裂した感覚が、四十年前の玉三郎の桜姫には在ったということなのです。(この稿つづく)

(R3・4・13)


3)何が起ころうとしているのか?

吉之助にとって歌舞伎とオペラは等しく大事なものですが、歌舞伎でもオペラでも、表現が志向するものは、ひとつだと思います。それは「ドラマの真実」と云うことです。吉之助は現在名指揮者リカルド・ムーティのイタリア・オペラ・アカデミーをオンライン受講中なのですが、ムーティがこんなことを言っていました。

『(ヴェルディのオペラの)リズムの変わり目には、常に注意を払ってください。これから何が起ころうとしているんだ?何か違うことが起きようとしている。そこを考えること。』

そこで「桜谷草庵」に話を戻しますけど、これがもしオペラであるならば、この桜姫の「イイヤそちは去なされぬ。マア待ちゃ・・」の直前で、リズムが大きく変化せねばならないと感じるのです。吉之助には、そのようなイメージに聞こえるわけです。ここでドラマの局面がガラリと変ります。何かこれまでと違うことが起きようとしている。それは何でしょうか?

ひとつは、桜姫がお姫様の仮面(建前)をかなぐり捨てて、折助との道ならぬ恋(本音)の世界に生きるようとしていると云うことです。もちろんそう云うことですが、それは表面で見えていることです。裏で起こっていることは、何でしょうか?それは桜姫が、突然まったく別のものに桜姫が乗っ取られて・操られ始めたように見えることです。そこに居るのは確かに桜姫だけど、桜姫を動かしているものは別のものなのです。この乖離した感覚がとても大事です。

この時に桜姫を動かすものが白菊丸(前世の桜姫)に深く関係することは疑いありません。しかし、これは白菊丸の霊ではありません。もしそうであるならば、この場面において舞台は暗くなって・薄ドロが掛かるのが芝居のお約束です。例えば「かさね」のように。南北はそのような指定をしていないのですから、これは白菊丸の霊ではありません。これは桜姫の業(ごう)なのです。「業」というのは、その人が背負った「定め」みたいなものです。それを言うなら白菊丸の業ではないかと仰る方がいらっしゃるでしょう。それも正しいですが、桜姫は白菊丸の生まれ変わりですから、白菊丸と桜姫はまったく同じ連続した業を背負っています。だから現在に於いては、それは桜姫の業です。

「桜姫東文章」を阿闍梨清玄の転落物語であると読んでみてください。桜姫の業は、新清水の場で・それまで開かなかった桜姫の左の手を突然開かせて・そこから落ちた香箱で、桜姫が白菊丸の生まれ変わりであることを清玄に知らせました。後から思えば、これは桜姫の業の、清玄に対する宣戦布告のようなものでした。これは清玄だけに分かることです。桜姫の業は、桜谷草庵の場において早速作戦を開始します。桜姫(=白菊丸)の業に与えられたミッションとは、あの時に一緒に死んでくれなかった自休(後の清玄)の不実を責めるということです。あの時に白菊丸は「来世で女子に生まれ変わって・必ずあなたと一緒に・・」と言って身を投げたのです。なのにあなた(自休)は臆して死ななかった・・・だから私(白菊丸)は桜姫に生まれ変わって・約束を破ったあなた(清玄)の不実を責める・・・これが桜姫が背負う業なのです。このミッションは後の稲瀬川の場で明確になりますが、その手始めとして、桜姫は権助という・トンでもない男に恋をするのです。これが「桜谷草庵」で「イイヤそちは去なされぬ。マア待ちゃ・・」という桜姫の台詞をきっかけに始まることです。

業(ごう)が桜姫を操る乖離した感覚は、20世紀初頭の表現主義のセンスであれば、これはどこかキッチュな(俗悪で・安っぽい・滑稽な・時にはおぞましい)感覚になるでしょう。フロイト心理学は、心の奥底にある・理性では制御出来ない何ものかによって束縛され・支配される木偶(人形)のようなものだと教えてくれました。魂のない人形の動きの滑稽なイメージです。このようなことは文化14年(1817)初演の「桜姫」と全然関係がないと思うかも知れませんが、滑稽の作家と云われた鶴屋南北と不思議な符合を持つことがお分かりになるはずです。南北は「無意識」という概念を知っていたのかと思うほどです。

ご承知の通り、歌舞伎で化政期から継続的に上演されてきた南北物は意外に少なくて、それは「四谷怪談」や「馬盥の光秀」くらいしかないわけです。南北物の伝統は、幕末で一旦途切れたのです。「桜姫」も長い間上演されないでいて、戦後昭和になってようやく「発見」された芝居でした。それが玉三郎の「桜姫」だったのです。つまり半分新作みたいな古典なのですから、現代人の感覚によって「桜姫」が読み直しされることは絶対に避けられません。ですからキッチュな感覚は現代に復活された「桜姫」の時代的要請であると云うこともありますが、実は深いところで南北の本質に繋がるものであるのです。南北は、現代に対して約二百年先駆けていたと云うわけです。(この稿つづく)

(R3・4・15)


4)「桜姫」と云う業(ごう)

「桜姫」は清玄が桜姫に惚れる経緯が唐突で不自然だと感じる方がいらっしゃるかも知れません。白菊丸が桜姫に生まれ変わったことの連続性・或いは同一性が分かれば、清玄が論理的なプロセスで桜姫に惚れたことがスンナリ理解出来るはずです。ドラマ的な必然がそこにあるのです。輪廻の流れは、続いているようだが切れている、切れているようだけれど確かに繋がっているのです。清玄は密教の阿闍梨ですから、このことを感知できる人間なのです。まず「稲瀬川」の幕切れ・(桜姫が産んだ)赤子を抱いた清玄が「桜姫ヤーイ」と花道を行く場面の台詞を見て見ます。ここで清玄は奇妙なことを言っています。

「桜姫、桜姫。ようも愚僧を偽って、ここを逃げても逃がしはせぬ。堕落なしたもそなたゆえ・・」

どうして清玄は「桜姫に偽られた」と云うのでしょうか。そこでちょっと遡って桜姫と清玄の会話を見てみると、ふたりの会話がすれ違っており、全然噛み合っていないことが分かります。清玄が会話している相手は、明らかに白菊丸(桜姫の前世)です。桜姫には何のことだか全然分かりません。桜姫は清玄に「力になってくださりませ」とは言いますが、「一緒になってくれ」なんて一言も言ってはいません。

清玄 「人を助ける出家の身。これは女に迷ひし出家。我れは無実の罪ながら、これまで過ぎにし十七年、散りゆく花の白菊と」
桜姫 「エエ又かいな、その白菊とは何かいなア」
清玄 「サア菊の盛りを散らしたる、その罪人は即ち清玄。さればこの姿この見せしめ、かかる業因深き身の、浮む瀬いつか世もあるまい。然らば今より破戒堕落の前生にて、契りし稚児と思ひかへ、今日より姫と(ト桜姫の手を取りキッとなって思い入れ)そなたの力となりませう」
桜姫 「エエすりゃ便りなき自らゆえ、御出家さまが勿体ない、力となって下さりまするか。エエ忝う思ふわいなア」
清玄 「その歓びに愚僧も満足。今より力となるからは、こなたの心の落ち着くよう、破戒堕落の身となりて、姫と改め、祝言しませう」
桜姫 「エ。アノ自らを、清玄様が・・。」

清玄は、白菊丸の生まれ変わりが桜姫であると認識しています。しかし、「我れは無実の罪ながら、これまで過ぎにし十七年・・」と言うところを見ると、あの時・稚児ヶ淵で身投げし損なって白菊丸に不実したことを清玄はあまり深刻に考えていない様子ですねえ。「その罪人は即ち清玄」とも言ってはいますが、迷った白菊丸をあはれと思う気持ちの方が強いようです。清玄が破戒して桜姫と祝言しようと言ったのは、恐らく「この世に迷って転生した白菊丸の業を自分が救い取ってやろう、それが仏道に生きる者の務めだ」と云う心であったでしょう。「力になってくださりませ」という桜姫の言葉を、白菊丸の言葉として、清玄はそのように聞いたのです。「来世で一緒になる」と云うのが、もともと白菊丸と交わした約束であったのですから。その約束を今果たそう・・・だから清玄は論理的なプロセスに於いて桜姫に惚れて、そして本気になったと云うことです。清玄にとって破戒がどれほど重い決断であったかは云うまでもありません。

ところが清玄の考えは甘かったのです。不実は清玄の方にあったのです。桜姫の業に与えられたミッションは、あの時一緒に身投げしなかった清玄の不実を責め、どんなに清玄が桜姫と一緒になろうとあがいても・ことごとくこれを拒否し、清玄に妄執の苦しみをとことん味あわせることでした。つまり清玄は、この世に迷った白菊丸の業を救おうと破戒したつもりが、実際には、破戒したことで桜姫に迷う無間地獄へ堕ちたのです。清玄が救われるためには桜姫と結ばれなくてはなりません。しかし、この世でそれが実現することは決してない。桜姫の業の、この恐ろしい陰謀に気が付いた時には、時すでに遅く、清玄は破戒してしまい、桜姫に対する気持ちは本気になっていて、後戻りが出来ない状態でした。もう清玄は必死になって桜姫を追うしか残された道はありません。「白菊丸、ひどいじゃないか、あの時来世で一緒になろうと云うのが、お前との約束ではなかったのか、それなのに・・・」と云うのが清玄の気持ちなのです。だから清玄は「桜姫に偽られた」と言うのです。(この稿つづく)

*台詞は「大南北全集・第8巻」(春陽堂)より。

(R3・4・17)


5)キッチュな感覚

清玄が桜姫を必死に追い掛けて一緒になろうとしても、気持ちはいつもすれ違い・決して受け入れられることはない。それが桜姫という業(ごう)の「定め」なのです。しかも興味深いことは、桜姫が自らの定めを全然認識していないことです。このことは清玄だけに見えています。桜姫本人にしてみると、ただ自分の気持ちのおもむくままに行動しているだけのことです。しかし、清玄から見れば、桜姫は業に操られる人形そのもので、桜姫と権助の爛れた関係もただ清玄に「見せ付ける」ために行なわれていることが明らかです。だから清玄は嫉妬にもがき苦しみます。

このような乖離とすれ違いの構図が「桜谷草庵」後半以降に見えるものですが、このことは芝居に於いて、どのような感覚で表現されるべきものでしょうか?それは南北の様式では、どこかキッチュな(俗悪で・安っぽい・滑稽な・時にはおぞましい)感覚となって現れます。先述した通り「草庵」での桜姫と権助との色模様は、表面的に見れば、桜姫がお姫様の仮面(建前)をかなぐり捨てて、折助との道ならぬ恋(本音)の世界に生きるようとしていると云うことです。しかし、実はこの色模様は「実が全然なくて・薄っぺらい」。つまり本当は、真実の世界の出来事ではないと云うことです。だから色模様が醸し出す情緒にどっぷり浸りこむのでは駄目で、情感へ沈み込もうとすると常に逆の作用が働いて、邪魔が入ったり・まぜっ返されたり、観客を情緒に浸らせないための工夫が必要となります。

例えば「草庵」では、残月と長浦のコンビがまぜっ返しの役割であることは、見ればお分かりでしょう。今回(令和3年4月歌舞伎座)「桜姫」での、歌六(残月)と吉弥(長浦)は感触が生々しくて品がなく、桜姫と権助のオウムのように見えて、役割を正しく果たせているとは言えませんねえ。乾いた感触でコミカルにまぜっ返すのが、このコンビの役割です。

今回の「草庵」の玉三郎(桜姫)と仁左衛門(権助)の色模様については、「濃厚な色模様にどっぷりと浸って美しさの極み」と云うご感想が多いだろうと思います。まあこの場面が今回の最大の見どころであることは、衆目一致するところです。こういう場面で文句を言うと無粋だと怒られそうですが、本当はそのようにさせないところでまぜっ返すのが、南北物の感触です。「雪暮夜入谷畦道・大口寮」の直侍と三千歳の色模様みたいな濃厚な感触になってはいけないのです。これでは幕末歌舞伎の重ったるい感触になってしまいます。舞台をよく見れば二人の色模様のなかにも、桜姫の懐を探った権助が「何だ、コンナもの」と香箱を放り投げる場面とか、外の気配が気になった権助が見に行こうとすると桜姫が帯を引っ張って・権助がクルクル回ってしまうとか、笑いを取る工夫がされているのが分かります。しかし、こういうところだけではなく・全体的な感触として、今回のように情感へ沈み込むのではなく、常に醒めたものを以て・情感と反対の方向へ表現を引っ張り・滑稽でまぜっかえす、「ナーンちゃって、今のは嘘事だヨー」という申し訳を付けるのが、南北物の本来の様式です。それは化政期の庶民の健全な精神の所産なのです。(この稿つづく)

(R3・4・21)


6)乖離とすれ違いの構図

続く「稲瀬川〜三囲」の場においても、乖離とすれ違いの構図があることが明らかです。「桜姫東文章」は、世界を「隅田川」から取っています。梅若塚は三囲神社からほど近く、舞台が謡曲「隅田川」と重なります。桜姫は産み落とした赤子とはぐれて、稲瀬川(隅田川)堤を彷徨います。その姿に人買いにさらわれた我が子梅若を探して彷徨う狂女の姿が自然と重なって来るでしょう。桜姫は赤子に会えるのでしょうか。しかし、桜姫は「みどり子」とか「我が子」とか言いますが、その後も赤子を名前で呼ぶことが一度もないのです。この赤子には名前さえなく、まるで道具同然にあっちやこっち人手に廻されたあげく、最後には桜姫によって殺される可哀そうな存在です。これで本当に桜姫に母親としての情があると言えるのでしょうか。これはちょっと疑問ですねえ。結局、「三囲」では、桜姫は赤子と出合うことは叶わず、清玄も桜姫と出合うことは出来ません。親の役割は清玄に押し付けられて、すれ違いのまま幕となります。謡曲「隅田川」の詩的感情はチラッと観客の頭のなかによぎるだけで、現出することはありません。だから「三囲」は母性喪失の、出来損ないの「隅田川」なのです。

滑稽の観点から見ると、例えば「稲瀬川」幕切れで赤子を抱いた清玄が「桜姫やアい」と呼びながら花道を退場する場面がそうです。「大南北全集」台本には

清玄(赤子を)抱えて向こうをきっと見詰める。これをきっかけに木の頭(かしら)。
「桜姫やアい」
ト赤子をいぶりつける。木のキザミ。よろしく時の鐘の送りにて。拍子。(幕)

とあります。「いぶりつける」と云うのはぴったりした現代語が見付からないですが、要するに赤子を泣かせたり・赤子を材料にどうぞ自由に芝居してください・そこのところ「よろしく」という作者の指示です。今回(令和3年4月歌舞伎座)の仁左衛門の清玄は、この箇所をあっさり済ませて揚幕に入ってしまいました。しかし、吉之助の記憶に間違いがなければ、昭和53年(1978)10月新橋演舞場での海老蔵(後の十二代目団十郎)の清玄は、向こうを見込んで「桜姫やアい」と叫ぶと・赤子が声に驚いて泣き出す、これをあやして赤子がやっと泣き止んだところで改めて「桜姫やアい」と叫ぶが・また赤子が泣き出す(当然観客は笑い出す)、これを三度繰り返して、清玄は桜姫の千切れた袂を振って赤子をあやしながら揚幕に入る段取りを取ったと思います。清玄にまったく不似合いな父親の役割を押し付けたところが、滑稽かつ哀れです。今回は時間の関係もあって省いたのかも知れませんが、実はこう云うところの滑稽の工夫が、後で効いてくるのです。

「稲瀬川〜三囲」の場は、背景に「隅田川の世界」が濃厚に漂うせいか、ついつい情緒に傾いて重ったるい処理がされてしまいます。このため今回も、感触が時代に傾いて、テンポが滞るきらいがあるようです。冒頭に非人の集団が登場することでも分かるように、本来はもう少し世話の軽めの感触に処理すべきではなかったでしょうかね。ここは思い切って、桜姫も清玄も含めて、台詞を軽めの写実に取った方が、芝居にテンポが出るし、すれ違いの滑稽感覚も表出できた気がします。(この稿つづく)

(R3・4・22)


7)「桜姫」上の巻のバランス

「桜姫東文章」を通しで一気に上演してしまうのと違い、今回(令和3年4月歌舞伎座)のように、事情はともあれ、上下のパートで分ける、今月は上の巻で読み切りで・下の巻の方は2か月先の6月に上演と云うことになると、見える様相が違って見えることになるでしょう。普通に考えれば、筋は上から下へ移行していくに連れて生世話味が次第に濃くなっていくわけですが、上の巻(発端・稚児ヶ淵から三囲の場までの前半)は時代が基調となると考えても、まあそれはそれでよろしいものです。しかし、上の巻で読み切りで・実質的に見取り上演となれば、そのなかに芝居が収束する自然な流れ(オチ)を付けて行かねばならぬと思います。これは読み切りにするならば、大事なことなのです。だから芝居のバランス感覚ということが大切になるわけですが、これは教えてそうなるものでなく・役者の感覚に負うところが大きいものです。(別稿・本年1月歌舞伎座「七段目」の観劇随想のなかで芝居の間尺のバランスについてちょっと触れました。)

「桜姫」上の巻で読み切りと云うことになれば、「三囲」幕切れで「さてさて清玄桜姫の・その後の運命や如何に?二人は出合えるのか?はたまた権助は次は何をやらかす?興味津々・・では今月はこれ切り」と云う感じで終えなければなりません。今回上演ではそのようになっているでしょうか?美しく情感たっぷりの清玄桜姫のすれ違いで・まあここはさすが玉三郎・仁左衛門のコンビだけに美しさの限りですが、後半「稲瀬川〜三囲」は舞台ムードが暗いこともあって、幕切れの感触がちょっと重い感じがしますねえ。上の巻読み切りの場合には、そこが問題になろうかと思います。

だから吉之助は、先ほど「桜谷草庵」での桜姫が権助にしなだれかかる「イイヤそちは去なされぬ。マア待ちゃ・・」の台詞が変わり目になると申し上げたわけです。ここから桜姫の業(ごう)の清玄に対する仕掛けが始まります。にわかに世界は歪み始め、清玄に対して鋭い牙を剥きます。そう云うことですから、この桜姫の台詞以降は、ここまでと同じ調子で時代を基調にした芝居を続けていたのでは、芝居の色合いが変らずバランスが悪いことになります。もっと世話に・と云うと多少誤解を生じるかも知れないが、もっと滑稽味を加えた写実味、軽やかさが欲しいところです。これは主演の玉三郎・仁左衛門だけのことではなく、全体的に云えることですねえ。

(R3・4・22)

(追記)玉三郎の桜姫・仁左衛門の清玄と権助二役の詳細については、6月歌舞伎座の下の巻と併せて取り上げることとします。なおコロナ感染が再び増加したことにより・東京都は三度目の緊急事態宣言発出となり、4月歌舞伎座公演は、25日から千秋楽(28日)までが休演となってしまいました。

*令和3年6月歌舞伎座:「桜姫東文章・下の巻」の観劇随想もご覧ください。

*補足記事として別稿「鶴屋南北と現代」を追加しました。



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