(TOP)               (戻る)

「桜姫」という業(ごう)

平成16年7月歌舞伎座・通し狂言「桜姫東文章」

五代目坂東玉三郎(白菊丸・桜姫二役)、初代市川段治郎(二代目喜多村緑郎)(清玄・釣鐘権助二役)、五代目中村歌六(残月)、三代目市川笑三郎(長浦)、初代市川右近(三代目市川右団次)(入間悪五郎)、二代目市川春猿(河合雪之丞)(葛飾のお十)、八代目市川門之助(粟津三郎)他


1)性格破綻の悲劇

晩年の三島由紀夫が対談で次のような発言をしています。

「(歌舞伎の様式を使うということは)それはキャラクターの対立だろう。一種の性格悲劇のようなもんだな。歌舞伎にはその廻りにいろんなものがなければ駄目よ。それに加えるに、ああいうアナクロニズムの妙テケレンな衣装があり、ムードがある。人間の悲劇や性格を越える、あるもうひとつバカバカしいものがなければ成り立たないと思うんだね。」 (昭和45年7月・演劇評論家・尾崎宏次氏との対談)

このなかで「キャラクターの対立・一種の性格悲劇」という発言が非常に印象に残りました。三島の発言はこういうことかと思います。自然主義の演劇においては「ひとつの人格は一定の心理的プロセスを以て行動する」と考えます。これは役柄をあるパターンにはめ込むというのとはちょっと違うのですが、自然主義演劇では主人公の生い立ち・状況などからして「この人物はこう考え・こう行動するのが自然で、誰が見ても納得できる」と思われる設定・筋書きが求められるのです。主人公が殺人を犯すとすれば、その行為には「動機」が必ず必要です。しかもその「動機」には主人公が殺人にいたるのももっともだと思わせる必然と・同情すべき状況が備わっていなくてはなりません。例えば主人公の悲惨な生い立ち・心理的傷害(トラウマ)が彼を殺人に追い込むなどとします。そうすることで主人公の行為に陰影がつき・ドラマに深みとリアリティが出るというのが自然主義演劇の考えです。

ところが、実際には「その行動がその場限りで・性格が一貫しない」ようなことも多いわけです。動機なき殺人というのもあり得ます。人間の心理というものは理解し難いもので「この人がこんな行動をするのか」と驚くこともあるし、「何で俺はあんな馬鹿なことをやったんだ」と落ち込むことも実際にあります。現実の人間はそんな必然やまっとうな動機で・それに沿った筋道立った行動をするものとは必ずしも言えません。こういう人間を描くのは自然主義演劇のもっとも不得意とするところです。しかし、歌舞伎ならそれを案外簡単に描けるのかも知れません。久しぶりに「桜姫東文章」の舞台を見ながらそんなことを考えました。

自然主義の観点からみて、清玄はまったく納得できるキャラクターです。長谷寺の所化自休は相承院の稚児白菊丸と衆道の恋に落ち・江ノ島児ヶ淵で心中を図りますが、白菊丸は死ぬけれども・岸壁の波に恐れをなして身を投げることが出来ず、死に損ないます。死に損なった自休・すなわち後の清玄はその後、長谷寺の阿闍梨(あじゃり)に出世するのですが、死に損なった男の 後ろめたさ・惨めさをトラウマ(心理的外傷)として背負い続けています。そして、十七年後に清玄は桜姫に出会うことになるのです。

自休(=清玄)は白菊丸と衆道の誓いとして同じ香箱を取り交わしていました。「新清水の場」は桜姫が清玄阿闍梨の手によって剃髪し尼になろうとする場面から始まります。桜姫は左手の指の開かない片輪に生まれた前世の因果・また父少将や弟梅若の菩提を弔うという理由から剃髪しようとしていたのですが、その時、突然左手の指が開きます。桜姫の開いた左手から出てきたのは、清玄にとっては忘れられない十七年前の香箱でありました。この瞬間に清玄は、桜姫がまさに白菊丸の生まれ変わりであることを直感します。そこから清玄の人生が狂い始めます。

ここから「草庵」での桜姫の不義破戒の罪を・清玄が自ら引き受ける行為も、いつしかそれが桜姫の邪恋に変わっていく心理も、じつによく理解できます。清玄が無実の罪を着るのは白菊丸への罪滅ぼしという意味があったでしょう。そして、桜姫に恋するのは、こうして破戒した今・果たされなかった白菊丸との約束を現世で果たそうとする切ない思いであったでしょう。「因果応報」などということを知らなくとも、自然主義の読み方で清玄の心理・行動はその必然というものがよく理解されるでしょうし、実に人間的な迷いであると実感されます。

ところが桜姫の方がまったくそうではないのです。前世が白菊丸であろうがなかろうが・そんなこと今の私に関係ないわよというのが桜姫です。桜姫の生き方は刹那的で、彼女はまったくその場限りの感情で動いています。何でお姫様が折助の権助とああいうことになるのでしょうか。「だって好きなんだも〜ん」以外には理由がないのです。それで場面によって波に揺られるように・あっちへ行ったり・こっちへ行ったりしているのが桜姫です。

そういう意味で桜姫は非常に興味深いキャラクターです。自然主義の観点からすれば、桜姫の性格は脈路がありません。姫の高貴・処女性と、女郎の卑俗・娼婦性が入れ替わり・立ち替わり現れるだけで、そこに何の関連もないのです。つまり、桜姫は性格破綻のキャラクターと言えますし、あえて今風に解釈しようとすれば多重人格ということになりましょうか。

しかし、おそらく大南北はそんなに深く考えずに桜姫というキャラクターを創造したと思います。「桜姫」初演の十年前・文化4年のことですが、品川宿の飯盛女郎に「こと」という名前の女がおり、この女が自分は京都の日野中納言の息女であると言い出して・色紙や短冊に歌を記し、正二位または左衛門内侍局などと署名していたそうです。次第に噂が高くなって奉行所がおことを呼び出すと、その時のなりかたちは「冠下の由にて髪を下げ、紫縮緬を以て鉢巻」をしていたそうです。結局・この事件はまったくのデタラメとして処分されるのですが、南北はそのことを芝居の趣向に面白く生かしたのでしょう。

ここで三島の言うところの「キャラクターの対立・一種の性格悲劇」に話を戻しますと、面白いのは自然主義では「対立・悲劇」となることが歌舞伎では「趣向・技巧」になってしまうということです。これは次のように考えればよろしいかも知れません。

歌舞伎の役柄には二枚目・三枚目とか悪役とか、いろいろなパターンがあります。作品によりそのキャラクターは様々ですが、それは一定のパターンのなかに収まっているわけです。つまり、役柄というのは「記号」です。その後、時代を経るにつれて役柄は次第に細分化されて複雑になっていくのですが、それはしばしばパターンの配合です。たとえば、モドリは悪役と善玉との配合だと考えられますし、悪婆は世話の女形のキャラクターと女武道との配合という風に考えられます。(悪婆については別稿「源之助の弁天小僧を想像する」をご参照ください。)歌舞伎の役の性根の把握というのは基本パターンの把握 なのです。

桜姫というのはお姫さまと女郎のパターンの混合体であって、しかもそれが完全に混じり合っていないことが特徴です。色と比重の違うふたつの液体を混ぜ合わせると、最初は混じっているが次第に液体が比重の違う二層に分離していきます。その分離途上の段階が桜姫の性格の色合いです。液体は時に混じり合って微妙な色合いを現出し、時にはその分離した独自の色を主張するのです。

これを自然主義の観点で敢えて理解しようとすれば、やはり「多重人格者」と解釈すべきでありましょうか。しかし、そう無理に理解しようとする必要もないのでして、大南北はじつに単純に・役のパターンの混合と切り替えの面白さを狙ったと思います。カチャカチャとお姫様と女郎のチャンネルを切り替える、そして二つのキャラクターが前後の関連もなく飛び出す、そういう面白さが桜姫であると思います。


2)三島由紀夫の玉三郎観

そこで平成16年7月歌舞伎座での「桜姫東文章」のことです。玉三郎が19年ぶりに当り役の桜姫を演じるというのが話題です。

冒頭に三島由紀夫を出したので、玉三郎のことも三島から入りたいと思います。三島が玉三郎を発見するきっかけは、これは吉之助の推測ですが、昭和42年3月国立劇場での郡司正勝演出の「桜姫東文章」の舞台ではなかったかと思います。この公演は雀右衛門の桜姫・十四代目勘弥の清玄・八代目三津五郎の権助という配役でしたが、この時に「発端・江ノ島稚児ヶ淵」が初演以来初めて復活されました。この時に白菊丸を演じたのが若き玉三郎でした。後に三島は昭和44年11月国立劇場での「椿説弓張月」の白縫姫に玉三郎を抜擢することになります。

「その奇蹟の待望の甲斐あって、玉三郎君という、繊細で優婉な、象牙細工のような若女形が生まれた。・・・玉三郎君という美少年の反時代的な魅惑は、その年齢の特権によって、時代の好尚そのものをひっくり返してしまう魔力をそなえているかもしれない。」(三島由紀夫:「玉三郎君のこと」昭和45年)

晩年の三島がどうして若き玉三郎を絶賛したのかというのはよくよく考えてみれば不思議なことに思われます。玉三郎の芸質は三島がよく言うところの「くさやの干物のような味」の歌舞伎味(三島が若い時に贔屓にした七代目宗十郎のような芸質)からはよほど遠いと思われるからです。また三島が惚れこんだ六代目歌右衛門の「時代と対峙したところの危機美」ともちょっと違うようです。玉三郎は「時代を背負う」というような使命感とは無縁なところで・突然天から舞い降りてきたような「象牙細工のような若女形」なのです。玉三郎はその魔力で三島の「好尚そのものをひっくり返してしまった」のかも知れません。

吉之助が思うには、玉三郎の芸質は蒸留された香りの高い液体のようなもので・その香りは純なもので臭みというものがありません。(もちろん褒めているのです。)だから玉三郎は姿かたちをいろいろに変えるけれども、そこに体臭をあまり感じさせない役者である・だから役のイメージをピュアなかたちで観客に提示できる、そこが玉三郎の魅力であろうという風に考えています。三島は玉三郎にこれまでの歌舞伎の女形とは全然違う在り方を見てショックを受けたのだろうと吉之助は思っています。

これがまさに桜姫の役のイメージそのものなのです。桜姫と風鈴お姫の人格はひとりの肉体に宿るふたつの「記号」です。記号は交じり合うことはありません。入れ替わり・立ち替わり現れるだけで、そこに何の関連もないのです。「お姫様がこんな悲惨な境遇に陥って悲しくはないのか」・「どうして何食わぬ顔してお姫様に戻れるのか」などと考えて・そこに一貫した人格を描こうなどと考えると面倒なことになってしまいます。その局面々々の桜姫の心情はすべてそれはその時々の真実なのです。そして、どの心情にもまったく連関がないのです。歌右衛門も雀右衛門も難儀したというこの役を玉三郎は難なく演ってのけてしまうのですね。恐いもの知らずということもあったかも知れません。こういう役は考え過ぎると返って良くないのかも知れません。


3)一抹の不安

実は吉之助は19年ぶりの玉三郎の桜姫に大きな期待を寄せながらも・一抹の不安を持っていたということを告白しておかねばなりません。それは平成14年12月歌舞伎座での「椿説弓張月」での白縫姫が吉之助の期待と違ったせいでした。悪かったというのではないのですが、吉之助の想像していた白縫姫のイメージとちょっと違っていたのです。

玉三郎の白縫姫は昭和44年11月の本作初演の時の役に演じて ・作者三島由紀夫が絶賛した当り役でした。この初演の舞台を吉之助は生では見ていませんが、国立劇場の当時の記録映像フィルムは見ました。白縫姫というのは桜姫に似通ったところがある役なのです。吉之助の白縫姫のイメージというのは、固い蕾(つぼみ)のような・硬質の冷たい美しさのお姫さまです。もちろん白縫姫は姫といっても・為朝という夫もあり舜天丸という子もある女性なのですが、どうも「処女妻」のような硬いイメージがあるのです。それは初演の時の玉三郎の白縫姫の写真のせいかも知れません。

降りしきる雪のなかで白縫姫の弾く琴に合わせて腰元たちが裸の男に釘を一本づつ打ち込んで血を流しながら嬲り殺す「琴責め」は三島がよだれをたらしそうな変態趣味です。白縫姫の「琴責め」は姫が変質的な狂気や熱さを感じさせては駄目なのであって、姫はあくまで超然として・冷たく凍っていなければならないのです。眼前の責めの情景と・白縫姫が琴を弾く情景には亀裂が入っていないといけない。それを三島は玉三郎に期待したと思います。ところが33年ぶりの玉三郎の白縫姫はふっくらとしてどこか歌舞伎絵になっておりました。「成熟して歌舞伎らしくなった」と言うべきかも知れません。しかし、吉之助の思い描いていたのとはちょっと違っていたわけです。

実は白縫姫と桜姫は役としてどこか似たところがあるのです。今回の19年ぶりの桜姫に対する吉之助の不安は、もしかしたら玉三郎が成熟して「しっかり歌舞伎の桜姫」に変わっているのではないかということでした。先ほど玉三郎の桜姫の成功は「恐いもの知らずであったのかも」と書きました。玉三郎があれほどの当り役を19年もやらなかったというのはなぜなのか。それは玉三郎が桜姫という役を「考え始めた」からではないかと吉之助は本気で心配していました。玉三郎自身が記者会見で言っているように「桜姫というのは予想以上の重労働で・休む暇さえない役であって・それを考慮した上演形態を望んでいたために今まで出せなかった」ということがあったにせよです。

その不安は若干当ったところがあります。今回の玉三郎の桜姫は聖と俗の変転をその一体に表現して間然とするところがありません。矛盾が矛盾として見えてこないで、玉三郎のなかである程度の内部統一が計られてしまったようなところが若干ありました。多分、これは「技巧的にうまくなった・役者として成熟した」ということなのだと思います。そう思ってみれば、特に「岩淵庵室」と「山の宿町」は見事としか言いようのない出来でありました。だが、南北の場合ならば・技巧は技巧として浮き上がってもよかったのです。聖と俗の裂け目がはっきりと見える方がよろしかったのです。


4)桜姫という業(ごう)

しかし、思いもよらなかったことを今回の玉三郎の桜姫は考えさせてくれました。それは桜姫は運命のいたずらに翻弄されて・右に行ったり左に行ったりして・いわば他動的に分裂した性格の変幻を見せる役だとばかり思っていたのですが・実はそうではないらしいということでした。桜姫こそが周囲を翻弄していた張本人だったのです。

今回の・19年ぶりの玉三郎の「桜姫東文章」は、周囲の役者たちが玉三郎よりひとまわり以上若かったこともあって、玉三郎の存在が突出して・さながら玉三郎奮闘公演の感がありました。文化14年(1817)3月河原崎座での初演を見れば、桜姫を演じた五代目半四郎は安永5年生まれの41歳、清玄/権助のふた役を演じた七代目団十郎が寛政3年生まれの26歳でした。この年齢バランスは今回の玉三郎(昭和25年生まれの54歳)と段治郎(昭和44年生まれの35歳)に近いわけですが、桜姫役者のウェイトが突出していることが案外この作品の勘所のように思えたのです。

桜姫の存在が「桜姫東文章」の世界の連関性を喪失させる原因そのものであったのです。桜姫の存在が、周囲を惑わせ迷わせる・そうやって彼らの連関性を消し去ってしまうのです。それは桜姫が自ら仕掛けるわけではなく・桜姫の意志とはまったく関係なく・桜姫の存在そのものがそのような不思議な作用を周囲に及ぼすのです。

思えば白菊丸が江の島稚児ヶ淵から海に飛び込んだ時、彼は清玄との来世での再会を願ったでありましょう。「お前と一緒に未来まで、どうぞ女子に生まれ来て・・・」その願い通りに白菊丸は桜姫に転生するのですが、清玄の方が後を追って死ぬことが出来ずに白菊丸を裏切っていたわけです。本来ならば・同じく生まれ変わった清玄と再会して結ばれるはずなのが、桜姫は生き残った清玄の不実を責める存在として転生することになります。その時から世界はねじれてしまったのです。桜姫の存在がこの世のねじれを生み出すのです。

桜姫に出会って清玄の運命が狂い出すのですが・もちろん清玄が自ら勝手に堕ちていくわけで桜姫にはあずかり知らぬことです。しかし、清玄が言 う通り・確かに「これも誰ゆえ桜姫」なのです。清玄は贖罪の気持ちなのか・失われた過去を取り戻そうというのか「女性に生まれ変わった白菊丸」に執着しているわけですが、それがいつのまにか目の前の桜姫への邪恋にすり替ってしまいます。これも桜姫の意志ではないのですが、しかし、考えようによっては・桜姫はその存在によって清玄の不実を責めて・嬲っているのです。そのために桜姫はわざと権助のようなとんでもない男に恋するのです。そうすることでさらに清玄を責めさいなむのです。清玄は自分が白菊丸から責められていることが分っています。だからこそ清玄はみじめったらしくもなおも桜姫を追うのです。

桜姫という存在が翻弄しているのは清玄だけではありません。権助も悪五郎もそうです。あるいは長浦も残月もそうかも知れません。権助は桜姫の運命を振り回しているように見えますがじつはそうではなく、女郎にまで堕ちて風鈴お姫と名前は変われど桜姫は桜姫であって・その本質はちっとも変わっているわけではないのです。権助は桜姫という美しい花の匂いに迷って寄ってくる毒虫みたいなもので・用がなくなれば桜姫にあっさり殺されてしまう人物なのです。

桜姫という存在こそが宇宙の整合性を消し去り・この世の本来あるべき姿をねじれさせ・周囲の人々を翻弄しているのです。桜姫はこの世の連関性喪失を象徴するものとしてあるのです。このことを桜姫が自覚していようがいまいが、これが桜姫という存在が背負った業(ごう)なのです。つまり、「桜姫という業(ごう)」だけがデンとして作品の中心に一貫してあると言えます。

真言密教の教えによれば「業(ごう)」というものは宇宙の律なのです。その律によって桜姫はその色を変えます。桜姫は高貴な姫にも・我が子を探し求める哀れな母親にも・汚辱にまみれた女郎にも姿かたちを変えることができ、生きたまま律そのものになるとすれば・愛欲の情念にも・母親の慈愛にも・聖女の清らかさにも身を変えることができるのです。「桜姫東文章」は桜姫を中心に置いた曼荼羅絵の様相を呈してきます。真言密教の根本経典とも言うべき「理趣経」の冒頭に次のような文章があります。

『妙適清浄の句、是(これ)菩薩の位(くらい)なり。欲箭(よくせん)清浄の句、是菩薩の位なり。蝕(しょく)清浄の句、是菩薩の位なり。愛縛清浄の句、是菩薩の位なり。』

つまり、桜姫という存在は真言密教の教えそのものであると言えます。さらに吉之助の想像は展開します。だとすれば桜姫に翻弄される清玄は真言密教の僧でなければならないことになります。清玄はこの世の律の恐ろしさをまざまざと実感できる人物でなくてはなりません。では清玄の宗派は何でしょうか?鎌倉の長谷寺は真言宗豊山派のお寺なのでした。そのために清玄は真言密教の僧に設定されねばならなかったのです。

だとするならば、白菊丸が桜姫に転生し・清玄を責めるのは「法罰」なのかも知れません。清玄はこれはお大師さま(空海)の与え給うた罰に違いないと観念したでありましょう。それでも清玄が救われようとするならば、白菊丸(=桜姫)をひたすら想う自分の真(まこと)の心を以って桜姫に許され・結ばれることしか救いの道はないのです。だから「女々しい」と言われようが・「未練がましい」と言われようが、清玄は桜姫につきまとい「救い」を求めるしかないのです。そこに清玄の絶対の「哀しさ・切なさ」があるのです。

なるほど「桜姫東文章」は一見バラバラのように見えるけれど、しっかりした思想(というより「イメージ」というべきであろうが)が作品を貫いていることが分って驚嘆します。玉三郎が座頭として奮闘公演の感を呈し・その圧倒的な存在を見せつけた今回の舞台が、このことを期せずして教えてくれたのでした。

(後記)

別稿「桜姫・断章」もご覧下さい。

歌舞伎の雑談での記事「桜姫という業(ごう)」「桜姫の世界と密教思想」もご参考にしてください。

(H16・8・15)


 

 (TOP)              (戻る)