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四代目源之助の「弁天小僧」を想像する


1)源之助の弁天小僧

「(見てない役者の中で誰が見たかったかと聞かれれば)それはやっぱり源之助だなあ」という事を芝居歴の長い先輩の何人かから聞いたことがあります。四代目沢村源之助、浅草田圃に住んでいたので「田圃の太夫」と呼ばれました。亡くなったのは昭和11年ですから、源之助の舞台を覚えている方も少なくなりました。源之助は江戸歌舞伎の錦絵のような古い感覚を残した芸風と言われ、女団七・鬼神のお松・蝮のお市・姐妃のお百といった悪婆の役柄を得意としていました。その特徴あるしゃがれた口跡は声色屋の飯の種でした。

悪婆物と言えば、どちらかと言えば小芝居の演し物でして最近はほとんど上演されることがなくなりました。ところで「悪婆」といいますと、お色気たっぷりの年増女を想像するかも知れませんが、ホントは婚期を逃したという程でもない若い娘でして、小悪魔的な魅力を持った活発な女性といったところでしょう。濃厚な色気より、本当はピチピチした健康的な色気のほうが悪婆にはふさわしいのかも知れません。だとすれば、吉之助も国太郎の切られお富とか宗十郎のうんざりお松は見ているのですが、こちらの頭のなかにある悪婆のイメージは混乱してしまって、源之助の芸というものを想像するのはなかなか難しいことになります。

源之助の芸についての証言は数多くありますが、ここで名脇役であった尾上多賀之丞の話を材料にして話を進めたいと思います。

「(源之助の)『白浪五人男』の弁天なんかこりゃ飛び抜けてましたね。私はまあ、先輩に聞いたんですけれど、五代目(菊五郎)よりいいんじゃないかって話でしたよ。間合いなんかはね、これはとても五代目だって真似ができないって。・・・それからお嬢吉三もよかったね。寺の場のよさなんてものはねえ。欄間から降りて来て「お坊か」「お嬢か」「あ、久しぶり」でさっと尻をまくってね、「会いたかったねえ」なんてとこなんかはもう・・・。あたしはどっちかっていうと、毒婦もんの出刃包丁振り上げる役よりも、お嬢吉三や弁天小僧なんてものの方がね。・・・そのまた後にうちの師匠(六代目菊五郎)の弁天小僧を見ましたけど、やっぱり、どうひいき目に見ても田圃さんほどいいとは思いませんでした。」(尾上多賀之丞芸談:昭和46年季刊雑誌「歌舞伎」第11号)

この多賀之丞の談話は最初は吉之助にとって「源之助は悪婆だけでなく、こういう役も演ったんだなあ」という印象でしかなかったのですが、ある頃からこれは「弁天小僧の役を考える手掛かりになる」と考えるようになりました。


2)悪婆について

まず「悪婆」という女形の役柄から考えてみたいと思います。

折口信夫は「もともと歌舞伎芝居は女形の演じる女を悪人として扱っていない。立女形や娘役には昔から悪人が少ない。昔の見物は、悪人の女を見ようとしなかったのである」と言っています。古い時代の歌舞伎の女は類型化されていて、本質的に「善人」であると言えます。ところが、作品の筋が複雑になってくると悪の要素を持つ女も歌舞伎に少しづつ登場して来ます。たとえば「中将姫」に登場する岩根御前などは悪人ですが、こうした枠にはまらない役が繰り返されていくうちにある特別な女の性根が出来てきます。これが「女武道」の成立に繋がっていくのだと折口は言います。

「女武道」と言いますと、「ひらかな盛衰記」のお筆・「毛谷村」のお園のような役どころです。根本的には正義の役どころなのですが、芝居の正義というものは道徳的な正義とはちょっと違っていて、別に立廻りや殺人をしなくてもいいのです。演じる役・見る側の胸がスクような、発散できるものが女武道の正義だと言えます。

そして、江戸末期になって成立した「毒婦・悪婆」も同じ要素を持っています。悪婆というのは、いわば世話の「女武道」なのです。だから、切られお富の科白に「お家のためなら愛嬌捨て憎まれ口も利かざあなるまい」というのは女形のある特性を示している重要な科白だ、と折口は言っています。つまり、女形としてあるまじき事(女武道)をするのも忠義のためだから仕方ないと断りをすることで、「女形本来の性質である善人に立ち返っている」のだと言うのです。

そういう断りを入れることで、スカッとすることの正当性を主張しているわけです。つまり言い換えると、それだけ女形という役柄が鬱屈した・陰湿な気分を演じる者(役者)に強いるということでもあります。だから逆にスカッとしたものが求められるということです。

悪婆といってもその役は多種多様です。「切られお富」のように包丁振り回したり、「鬼神のお松」のような英雄型の役は典型的な悪婆ですが、「蟒(うわばみ)およし」といった少しも悪くないのも悪婆で、「女団七」のお梶のような善人も悪婆です。悪婆という役どころが世間に認められるようになったのは幕末の名優八代目半四郎の頃からなのですが、どうも半四郎や三代目田之助が演じた役で、類型にはまらない役はどれも悪婆に分類されているような感じがあります。

「三人吉三」のお嬢吉三の役はもともと八代目半四郎のために書かれたものでした。「弁天小僧」は若き日の五代目菊五郎が初演したものですが、お嬢吉三と同様に、半男女物というべきですが傾向から言えば「悪婆もの」の範疇に入れることができます。このことは弁天小僧の役柄を考える場合に大切なポイントです。

四代目源之助は容姿が美しい人で、背は高くないけれどスッキリとして立ち姿が良く、江戸の下町女房のような粋な雰囲気をもった役者でありました。これは悪婆の第一条件でもあります。また、源之助は若い頃には九代目団十郎や五代目菊五郎の相手役を勤めたもある実力派でもありました。(それがいろいろ紆余曲折あって源之助は後に小芝居に走り、歌舞伎の主流からはずれることになります。)

源之助の芸は、芸の形成される若い時にその相手役を勤めたこともあって、五代目菊五郎の影響を最も直接的に受けています。菊五郎は本来が立役ですが、芸域の広い役者でしたから女形も多く勤めています。(というよりもともと尾上の家は女形の家 なのですから。)菊五郎は女形の芸を誰から取ったかというと、半四郎あるいは田之助ということになります。したがって、半四郎や田之助の芸を菊五郎を通して源之助がほぼ映していると言うことができます。世間は源之助に半四郎・田之助の芸の再現を期待して・イメージを重ね合わせて、それで源之助の悪婆役者としての定評が作られていったのです。


3)「悪婆もの」としての弁天小僧

黙阿弥の「三人吉三」は万延元年市村座の初演。お嬢吉三は粂三郎(後の八代目半四郎)でしたが、これは粂三郎の芸がおとなしくて人気がパッとしなかったのを何とか売り出そうというので考え出された役でした。お嬢吉三といえば、十五代目羽左衛門の江戸前で歯切れのいい男っぽいお嬢のイメージが定着してしまっていますが、本来は、真女形の粂三郎が男を演じ・女に化けて男の正体を現すという倒錯趣味がこの役の面白さであろうと思います。したがって、お嬢吉三の役の性根は本来は娘の方に置くべきであると思います。このことは弁天小僧についても同じことが言えるのではないでしょうか。

同じく黙阿弥の筆による「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」(通称:「弁天小僧」)は、文久2年(1862)3月市村座の初演です。弁天小僧菊之助は当時19歳であった十三代目羽左衛門(後の五代目菊五郎)でしたが、これは配役が南郷力丸(権十郎:後の九代目団十郎)・忠信利平(四代目芝翫)・赤星十三郎(粂三郎)であったことからも分かるように、名人と言われた関三十郎の日本駄右衛門をお目付け役に置いた若手売り出し興行という感じです。

これについては別稿「半四郎の幻の弁天小僧」をご参照いただきたく思いますが、黙阿弥は「弁天小僧」の構想に際して、最初は弁天小僧役に粂三郎(すなわち後の八代目半四郎)を意図していました。それが何かの理由で五代目菊五郎の方に役が回るわけですが、弁天小僧はお嬢吉三と同じ発想で書かれたものなのです。このことが分かりませんとあの有名なツラネの持つ演劇的な意味が理解できません。

あの有名な七五調のツラネ(「月も朧に白魚の・・・」(お嬢吉三)/「浜の真砂と五右衛門が・・」(弁天小僧))の高らかに詠い上げる行為というのは本来ならば立役の行為なのです。ツラネを高らかに詠い上げるという「本来の女形の身にあるまじきこと」をあえてするという意識を持つことで「悪婆は改めて自分の本質が善人であるという意識に立ち返る」のです。そうした意識が、役者にも見物にもあるからこそ、朗々としたリズムが独特のカタルシス・独特の悪の美を生み出すことになるのだと思います。

こう考えますと、「悪婆は常に女形の本質である善人に立ち戻る」という折口信夫の指摘は非常に重要だと思います。もともと黙阿弥の登場人物は善と悪の間に揺れても本質的には善人なのが多いのですが、お嬢吉三も弁天小僧もまた例外ではないと感じます。

こうして「悪婆」の観点から弁天小僧を見ていきますと、弁天小僧がかたりの正体を現しもろ肌脱ぎになった後も、両性具有的な妖しい雰囲気・独特の柔らか味が漂ってくるのが本来の弁天小僧の味であるのだろう、と想像します。また、花道で弁天小僧が南郷と交わす会話なども、両者の妖しい関係を想像させるようないちゃいちゃした感じがもう少しあってもいいのではないかと思います。あるいは店内で娘の姿でいる時も、番頭たちが大騒ぎするくらいですから、男たちの気を引く挑発的なところがもっとあってもいいのかも知れません。つまり、娘姿の時も正体を現した後も、どこか男性と女性がダブった不健康な妖しい雰囲気こそが、半男女物としての悪婆の味であろうと想像します。

現在よく見る弁天小僧は、女から男への変わり目を強調しようとし過ぎているように思われます。女から男へのチャンネルの切り替えが鮮やか過ぎる、つまり、ある意味では健康的なのです。それはそれで面白いものではありますが、女形という存在の持つ本質的な陰湿さを意識させてくれません。真女形の演じる弁天小僧はなかなか興味深いものだろうと想像するのです。源之助の弁天小僧を想像するのは、「弁天小僧」の原点を考えることにつながると思います。

(参考文献)

折口信夫:「役者の一生」(かぶき讃 (中公文庫)に収録されています。)

別稿「半四郎の幻の弁天小僧」もご参照ください。
 

(H13・9・2)


   

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