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八代目菊五郎・六代目菊之助襲名の弁天小僧

令和7年5月歌舞伎座:「弁天娘男女白浪〜浜松屋から滑川土橋まで」

八代目尾上菊五郎(五代目尾上菊之助改め)(弁天小僧菊之助)、十三代目市川団十郎(日本駄右衛門)、二代目尾上松也(南郷力丸)、五代目中村歌六(浜松屋幸兵衛)、四代目尾上松緑(鳶頭清次)、初代市村橘太郎(番頭与九郎)(以上浜松屋見世先)

六代目尾上菊之助(七代目尾上丑之助改め)(弁天小僧菊之助)、八代目市川新之助(日本駄右衛門)、初代尾上真秀(南郷力丸)、六代目坂東亀三郎(忠信利平)、五代目中村梅枝(赤星十三郎)(以上稲瀬川勢揃い)

八代目尾上菊五郎(五代目尾上菊之助改め)(弁天小僧菊之助・伊皿子七郎)、十三代目市川団十郎(日本駄右衛門)、七代目尾上菊五郎(青砥左衛門藤綱)(以上極楽寺・滑川土橋)

(八代目菊五郎・六代目菊之助襲名披露狂言)


1)七代目から八代目菊五郎へ

令和7年5月歌舞伎座の「八代目菊五郎・六代目菊之助襲名披露興行」・夜の部を見てきました。襲名披露狂言は「弁天娘女男白浪」の半通しです。浜松屋の弁天小僧を新・八代目菊五郎が勤めて、稲瀬川勢揃いの弁天小僧は新・六代目菊五郎が勤めます。稲瀬川では新之助の日本駄右衛門以下同世代の・これから一緒に未来の歌舞伎を盛り立てて行くことになるちびっ子五人男が共演すると云う襲名披露ならではの趣向です。

ところで弁天小僧が七代目菊五郎の超当たり役であることは今更言うまでもありません。普通であると娘か若衆かどちらかの感触に寄ってしまいそうなものです。例えば見顕しする前の娘の間が男っぽくぎこちなかったり、或いは見顕した後の若衆が嫋々とした感触になったりするものです。ところが、若い頃の七代目菊五郎の弁天小僧であると、娘から若衆へカチャッとチャンネルを切り替えたように変わり目が鮮やかで、しかもどちらもが誂えたようにピッタリと嵌まるのですね。或る意味に於いてカラッと健康的な弁天なのですが、これが戦後昭和の時代の感覚にフィットしたのです。七代目菊五郎の弁天の出現は、戦後歌舞伎のひとつの事件であった気がしますね。

吉之助もその内の五十年ほどを見てきたので、七代目菊五郎の弁天が一様の流れで現在まで来たわけでないことをもちろんよく知っています。1960〜70年代の七代目菊五郎の弁天は当時の若者風俗(ヒッピーと呼びました)の、既存の価値観に反抗して・飽くなき自由を求める気風を反映したものでした。これは当時の吉之助にとってもホントに新鮮で共感出来る感覚でしたが、その後の七代目菊五郎の弁天は、回数を演じる内そのようなヒッピー感覚を少しずつ落としながら、緩やかに様式化(=古典化)の様相を呈して来ます。21世紀に入って押しも押されぬ平成歌舞伎の重鎮になっていく時期の弁天は、吉之助にはこれはちょっと困るなあ・・・と感じるくらいに時代っぽく重いものでした。これは七代目菊五郎の芸の成熟の過程と、もうひとつにはこの時代の保守的な傾向を素直に反映したものでしょうか。しかし、歌舞伎座が新装開場がなった辺りからは、再びかつての世話の軽みを取り戻して、世話と時代のバランスが絶妙な弁天を見せて現在に至ります。

一方、新八代目菊五郎(47歳)の弁天のことですが、五代目菊之助襲名(当時18歳)の時はどちらかと云えば娘の方に寄った感触であったけれど、持前の筋目の良さで不良少年の感覚もほどよく踏まえたところで、これはこれで弁天のひとつの典型であると思えるものでした。新菊五郎の弁天は平成26年2月歌舞伎座以来なので、今回が11年振りのことになります。令和2年4月演舞場で弁天を演じるはずがコロナパンデミックのために中止になったことも大きかったですが、その後の新菊五郎が立役志向を明確にして・次々と大役に挑んできたせいもあって、新菊五郎は意外なほど弁天と云う役に距離を置くことになってしまったようですね。(この稿つづく)

(R7・5・11)


2)新菊五郎と新菊之助の弁天小僧

今回(令和7年5月歌舞伎座)の新八代目菊五郎(47歳)の弁天小僧は、七代目菊五郎が昭和から平成に移行する前後(年齢として今の八代目とちょうど同じくらいの頃)の弁天に近いような印象を受けますねえ。前述した通り・この頃の七代目菊五郎の弁天は緩やかな様式化(=古典化)の途上にありましたが、まだ重ったるいところにまでは行っておらず、写実と様式との折り合いが程よく付いた古典的な弁天であったと記憶しています。思い返せば七代目菊五郎の弁天はこの50歳前後が脂が乗りきって最も良かったと思いますが、まあこれには若き日の吉之助の思い入れが含まれていることは否定しませんけどね。

今回の新菊五郎の前半の娘の時が美しいのはもちろんのことですが、11年振りの今回は騙りの正体を見顕わしてからの男とのバランスがグッと良くなりました。後半の押し出しが利いているので、前半の娘からの変わり目が映えるのです。これは新菊五郎がこの数年立役の大役を数々勤めて、役者としての重みを一段と増したからです。「さては女と思ったは、騙りであったかヤアヤア」というサプライズは芝居の絵空事に過ぎないのだけれども、これを絵空事に終わらせないで・しっかり芝居のリアル感覚のなかに収めてみせるのが、これが歌舞伎の「芸」の面白さと云うものです。そのような七代目菊五郎の弁天の域に、今回の新菊五郎はかなり迫ったと云って良いのではないでしょうか。

新菊五郎の弁天が古典的な印象になるのは・その理知的な芸風に拠るところが大きいですが、弁天に関して云えば、例えば「知らざあ言って聞かせやしょう」の七五調のツラネが基本二拍子に出るところによく表れています。新菊五郎はリズムが軽快なので重ったるさを感じさせません。そこに工夫があるわけですが、写実の言い回しとは言えないところがあります。どちらかと云えば様式的に割り切れた感じの言い回しであるので、だから古典的な印象になって来ます。親子だから当然のことですが・ここは七代目菊五郎の弁天にも似た感覚がありますから、新菊五郎の弁天も今後はさらに様式化の方向を辿ることになるでしょうが、感触が重ったるくなることだけは避けてもらいたいと思いますね。現時点では写実と様式との折り合いが程良いバランスで決まっているので、このくらいの感触を維持して欲しいものです。(黙阿弥の七五調に関する吉之助の考え方については別稿を参照のこと。)

今回の浜松屋が古典的な感触にしっくり納まったのは、一座の共演者に恵まれたこともあります。団十郎の駄右衛門のみちょっと異質な感じがしますが、まあさほど気になるほどでもありません。他の面々は、歌六の主人幸兵衛・橘太郎の番頭・松緑の鳶頭以下世話物の世界にきっちり納まっています。なかでも今回は南郷役の松也の成長を頼もしく感じました。昨年の魚屋宗五郎などを見ると、松也は上手いしお客にもよく受けていたけれど・何だか歌舞伎の世話物の感覚にぴったり嵌まっていない印象をちょっと持ちましたが、今回は新菊五郎の弁天と噛み合っており、違和感を感じさせませんでした。しっかり世話物の南郷になっていたと思います。そう遠くない時期に新菊之助が浜松屋の弁天に挑む時が来ます。その時には松也が良い南郷で新菊之助をサポートしてくれると思います。

一方、次の稲瀬川では勢揃いの弁天を新菊之助(11歳)が勤めます。これからどんどん成長して変わっていくのだから、この年齢の段階で台詞が良いの悪いの云ったって仕方のないことです。今は素直に元気にやってくれれば、それで十分です。それよりもそれぞれのお父さんが息子に台詞をどのように教えているか察せられるのが興味深いところではありますね。新菊之助の弁天に関して云えば、昼の部の「娘道成寺」の花子についても云えることですが、新菊之助は次の台詞・次の所作に向けての心構えがしっかり出来ているところが素晴らしい。よく考えて演技をしていると云うことです。そこに父・新菊五郎の指導の成果が出ていると思いますが、この調子でスクスク伸びて行って欲しいですね。

(R7・5・13)


 


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