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二代目松也・初役の魚屋宗五郎

令和6年1月浅草公会堂:「魚屋宗五郎」

二代目尾上松也(魚屋宗五郎)、初代坂東新悟(女房おはま)、初代市村橘太郎(父太兵衛)、初代中村種之助(小奴三吉)、五代目中村米吉(召使おなぎ)、初代中村隼人(磯部主計之助)、中村歌昇(浦戸十左衛門)、二代目坂東巳之助(岩上典蔵)他


本稿は令和6年1月浅草公会堂での初春歌舞伎の夜の部・「魚屋宗五郎」の観劇随想です。松也の宗五郎は初役、新悟のおはまも初役(おなぎはすでに経験済み)、米吉のおなぎは2回目であるようです。

別稿「源氏店」観劇随想(「写実か様式か」という話題)の続きになりますが、芝居の出来としては、昼の部・「源氏店」よりもこちらの方がしっくり来るようです。松也はじめ・若い役者たちが生き生き演じています。アンサンブルも噛み合っているし、安心して芝居を見ていられます。同じ世話物でも「源氏店」(嘉永6年・1853・初演)よりも、「魚屋宗五郎」(明治16年・1883・初演)の方が様式の重圧(プレッシャー)が少ない。だから表現の自由度が高くて芝居が演じやすいと感じるのでしょう。

如皐と黙阿弥のスタイルの違いもあろうけれど、これはやはり成立年度の違いが大きいです。間に明治維新が挟まって、江戸から明治へと世の中が転換しています。チョンマゲ・帯刀の風俗は既に過去のものになっていました。初演年からすると30年しか違わないけれど、ふたつを比べると、写実(リアル)の感覚が変わったことがはっきり感じ取れます。この2年前(明治14年)に黙阿弥は66歳で引退を声明しました(しかし劇作は続けました・周囲が完全引退を許さなかったのです)。主たる理由は演劇改良運動論者たちの激しい攻撃でした。しかし「魚屋宗五郎」は、改良論の急先鋒・依田学海(よだがっかい)さえ「宗五郎が禁酒を破って・だんだん酒に酔っていくところは、なかなかあんな風に書けるものじゃない」と唸らせたほどの出来となりました。黙阿弥は彼らを黙らせようという気概で芝居を書いたと思います。

大事なことは、酒にだんだん酔っていく「芸」の過程(プロセス)と、磯部の殿様への義理で押さえ付けていた怒りの感情が表面に出始める過程が、ドラマとぴったり重なっていることです。これを写実(リアル)だというのは酔いっぷりの芸が上手いと云うことではなく、「理不尽な理由で妹が殺された」ことへの怒りが生々しいもの(つまりリアル)でなければ、ドラマは決して立たないわけなのです。宗五郎を得意にした六代目菊五郎が「私はいつも現代劇をやっているつもりです。だって宗五郎はちゃんと現代の観客の心を打ってるじゃありませんか」と言ったのは、そこのところです。

酒に次第に酔っていく「芸」、これは歴代の宗五郎役者のイメージが積もり重なって「様式=フィクション」となっている。そのようなフィクショナルなイメージを少しでも「なぞって」行かないと「かぶき」の感覚に沿って来ないと云うことは確かにあると思います。しかし、「理不尽な理由で妹が殺された」ことに対する怒り、「身分が高いからって何をしても許されるのか」という憤りがリアルなものでなければ、世話物の芸は決して研ぎ澄まされたものにならないのです。

松也の宗五郎はまだその入り口に立った段階ではありますが、役者としての色気・量感も兼ね備えた宗五郎として上々の出来ではなかったでしょうかね。様式と写実のバランスは、役者として永遠の課題です。新悟の女房おはまも息の合ったサポートを見せて好演です。

(R6・1・22)


 

 


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