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六代目菊之助襲名の「娘道成寺」

令和7年5月歌舞伎座:「京鹿子娘道成寺」

八代目尾上菊五郎(五代目尾上菊之助改め)(白拍子花子)、六代目尾上菊之助(七代目尾上丑之助改め)(白拍子花子)、五代目坂東玉三郎(白拍子花子)

(八代目菊五郎・六代目菊之助襲名披露狂言)


1)六代目菊之助襲名の「娘道成寺」

本稿は八代目菊五郎・六代目菊之助襲名披露興行・昼の部の「京鹿子娘道成寺」の観劇随想です。新菊五郎と新菊之助の花子に玉三郎が加わって、「三人花子」の趣向で華やかに舞います。まずは舞台について触れる前に、昼の部を見ながら脳裏に去来したことなどちょっと書いておきたいと思います。

吉之助も「襲名披露」と名の付くものはいろいろ見ましたが、今回の襲名披露興行については、いつになく歌舞伎の「世代交代」のことを強く思いました。そもそも「襲名披露」とはそう云うものではないのかと言われてしまえば、それまでのことです。襲名披露興行とは、梨園の大先輩・先輩・同輩・後輩が結集して、それに観客も加わって「みんなで歌舞伎を盛り立てて行こうよ」とお祭り感覚が強いものだと思います。今回だってそうに違いないのですが、これは出演の世代間の相対的なバランスからそのように感じてしまうわけですが、今回はとりわけ新菊五郎の同輩以下の若い世代が前面に出た印象が強い。若い力の台頭をいつもより強く感じるのです。令和の歌舞伎はこれから一気に四十代以下の世代へ重心が移っていくことになる、イヤもうすでにそうなっているのだなアと強く感じたのです。

このことは三年前の十三代目団十郎襲名披露興行にも予兆はあったことです。平成の幹部連中に体力的な陰りが差しています。吉之助にとっては同世代の、十八代目勘三郎・十代目三津五郎ら・生きていれば今回興行の中核を勤めたはずの役者の「空白」を思うことになる。まあこのことは今更言っても詮無いですが、だからこそ若い世代には一層の奮起を願わねばなりません。恐らく歌舞伎にとって、この十数年くらいがホントに大事なことになります。今回の興行は単に音羽屋だけのことでなく、新菊五郎の同輩以下の若い世代にとっても重い意味を持つものになります。

もうひとつ感じることは、今回はもちろん八代目菊五郎が芯ですが、実はそれ以上に六代目菊之助襲名披露興行なのだろうと云うことですねえ。この点は新菊五郎の人柄から控え目に仕立てて目立たないようにしているけれど、今回の襲名披露狂言「京鹿子娘道成寺」を見てもこのことを感じますね。新菊之助は期待に違わぬ舞台を見せてくれました。(この稿つづく)

(R7・5・6)


2)三人花子の趣向

昨年(令和6年)5月に八代目菊五郎・六代目菊之助襲名が発表された時点では、襲名披露狂言として「京鹿子娘二人道成寺」がアナウンスされていました。この外題はかつて八代目菊五郎(当時は菊之助)が玉三郎と共演した時(平成16年1月歌舞伎座)の演出コンセプトを思い起させます。これは菊之助の実(じつ)の花子に玉三郎の花子が憑依霊(あるいは背後霊)として取りつくみたいな舞台でした。似たようなコンセプトで今回(令和7年5月歌舞伎座)の襲名の「道成寺」を出すつもりなのかなと思っていましたが、その後5月興行に玉三郎が参加することが決まったので・それならば大和屋の兄さんにも「道成寺」に是非出てもらいたいと云う話になって、サテそうなると「京鹿子娘三人道成寺」というわけに行かない(外題が三人並列の印象になるので畏れ多い)と云うことになって、上演外題を「京鹿子娘道成寺」に戻したところで振付の全面練り直しが図られたのかも知れないナと・・・まあこれは吉之助の想像に過ぎませんけどね。

このように白拍子花子が二人であろうが・三人であろうが、簡単に踊りが仕立てられちゃうところが「歌舞伎のフレキシブル」(融通が利く)と云うことですかね。そう云えばいつぞや「五人道成寺」と云うのも見ましたねえ。さすがに五人花子ともなると完全な「ショーピース」にならざるを得ませんが、それでも本来は花子が五人であるならば・五人であるための理屈が正しく用意されていなければならないと思います。

歌舞伎の「二人花子」の趣向がいつ頃から出たか・不勉強にして知りませんが、多分その発想は謡曲「二人静」から来たものでしょう。能の舞台ではシテ(静御前の亡霊)とツレ(若菜を摘みの乙女)が同じ衣装を着けて同じ舞い(相舞)を見せます。しかし、吉野勝手神社の神職の前で舞っているのは、実は菜摘の乙女一人なのです。神職の目には菜摘の乙女と・彼女に憑依した静御前の面影とが二重写しになって見えている、それで二人が踊っているように感じられるわけで、だから「二人静」なのです。恐らく「二人花子」についてもその最初期に於いては、「二人静」と同じように二人花子であるための理屈がしっかり用意されていたに違いありません。しかし、そういう理屈がやがていつもの事になってしまって、二人花子が単なるショーピースの趣向に墜ちてしまう、そのような形骸化の道程を辿ったものでしょう。観客の立場からすれば・踊りが華やかでありさえすればショーピースであろうが・それで宜しいわけですが、踊りを製作する側(振付)からすると・やはりその辺の理屈付けをしっかり意識してもらいたいと思うのです。

サテ今回(令和7年5月歌舞伎座)の「京鹿子娘道成寺」での三人花子の場合は、そこはどうであったでしょうか?(この稿つづく)

(R7・5・8)


3)新菊之助の白拍子花子

新菊五郎(47歳)は、現時点が盛りの花子であることはもちろんです。一方、玉三郎(75歳)は、既に「娘道成寺」を止め狂言にしていますが、一時代前を代表する花子である。それぞれの時代を代表する二人の花子が、これからの時代を背負っていくことになる新しい花子の誕生を優しく見守りながら華麗に舞う・・・まあそのような筋(ストーリー)が浮かんで来ます。このような筋を「娘道成寺」のオリジナルの筋(安珍と清姫の物語)に重ねて、改めてそこから新たな「三人道成寺」の筋をどのように紡ぎ出すかなのです。吉之助も最初のうちは視線を三人等分に配っていましたが、そのうち自然と視線は新菊之助(11歳)に向けて集中して行くことになります。そこはその意図をあからさまにしない・慎ましくさりげない形になってはいますが、この「娘道成寺」が実質的に六代目菊之助がメインであることは明らかなのです。

今回(令和7年5月歌舞伎座)の「京鹿子娘道成寺」の舞台にもそのような意図を体現する瞬間があったことは書いておかねばなりません。しかし、三人花子ともなれば、踊り手の交代が入れ込んで交通整理が難しくなるのは仕方のないことです。今回の振付では、新たな「三人道成寺」の筋の展開のなかで新菊之助の花子にどのような位置付けを与えるかというところにまでは、十分な心配りが出来ていたと言えません。やはりショー仕立ての感覚になってしまいました。それじゃあどうすりゃいいんだと言われてもアイデアないけどね、やはり三人花子でそれをやろうと云うこと自体に若干の無理があったと云うことです。例えば冒頭の道行で新菊五郎と新菊之助が一緒にスッポンからセリ上がって登場する、さらに新菊五郎が本舞台に移動したところで・今度は新菊之助がセリ下がる、そういうところで新菊之助の花子を虚(きょ)の感覚にしちゃってますね。これでは新しい花子の誕生という実(じつ)の筋(ストーリー)が立たないことになる。だから舞踊では安直なセリの使用を避けねばならぬわけですが、21年前の別稿で憂えた通り、近年はますますその傾向が強くなっていますね。

玉三郎と新菊五郎の花子については本サイトでも何度も取り上げたわけだし、ここでは「いつも変わらぬ美しさ」と書いておけばそれで十分かと思います。新菊之助の花子が腰をしっかり据えた安定した踊りを見せたことに感心しました。新菊之助の踊りの良いところは、「控える」という感覚があることです。「控える」と云うことは次の動作(振り)に向けての心の準備がしっかり出来ていると云うことで、よく考えて踊っていると云うことですね。新菊之助がこれまで勤めた役に女の子はありましたっけ。新菊之助は立役の方向であろうが、しかし、今回の花子はなかなか可愛らしくて良かったですよ。

(R7・5・10)


 


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