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五代目菊之助・初役の俊寛

令和6年10月歌舞伎座:「平家女護島〜俊寛」

五代目尾上菊之助(俊寛)、五代目中村歌六(丹左衛門)、二代目中村又五郎(瀬尾太郎兼康)、初代中村萬太郎(丹波少将成経)、三代目中村吉之丞(平判官康頼)、初代上村吉太朗(海女千鳥)


1)菊之助・初役の俊寛

本稿は令和6年10月歌舞伎座での、菊之助初役による「俊寛」の観劇随想です。来年(令和7年)5月に八代目菊五郎襲名が予定される菊之助の挑戦が止まりません。今月は俊寛を初役で勤めて、来年1月国立劇場公演では「毛谷村」の六助をやはり初役で勤めるそうです。盛綱石切梶原を勤めて・それなりの成果を上げているのだから、もはや俊寛や六助くらいで驚くことはありませんが、演じたい役をリストアップして・やりたい順番で演じているのだろうと思えるマメさですね。しかし、こうして自分の領域を着実に拡げていくことで、菊之助の役者としての風格も次第に備わって来ました。その結果としての来年の菊五郎襲名であろうと思います。

菊之助の課題を強いて挙げれば、「菊之助初役で〇〇に挑戦」という話題が、何となくお客の「入り」に直結していないように思われることです。と云うことは、現況の菊之助の立役志向が、歌舞伎ファンが菊之助に求めるものに、必ずしも合致していないのかも知れません。恐らく歌舞伎ファンの多くが菊之助に望んでいるのは、もう少し女形も極めておいて欲しいと云うことだと思うのです。実は吉之助もそうです。菊之助は今年は政岡玉手御前を演じました。これは良いのだが、例えば今年9月に玉三郎が演じた「妹背山」の定高なども是非とも視野に入れておいて欲しい役だと思います。(「鏡山」の尾上とか「九段目」の戸無瀬などもそうです。)勉強熱心な菊之助のことだから玉三郎の舞台は見たと思いますが、「菊五郎」と云えばもちろん立役のイメージなんだけど、もう少し立女形の役どころに挑戦する機会を増やしてみたら如何でしょうか。そこで「八代目」の特性をアピール出来ると思うのですけどね。

話を俊寛に戻しますが、菊之助は岳父・吉右衛門の最後の俊寛(令和2年11月国立劇場)にも付き合っているし、昨年7月(大阪松竹座)には仁左衛門の俊寛とも共演していますから、研究は万全というところかと思います。吉右衛門の俊寛は当たり役でしたが、特に最後の俊寛の幕切れはホントに無我の境地で・忘れがたいものでした。若い菊之助がこの境地に至るまでにはまだ長い芸の道程が必要です。菊之助(47歳)は菊之助なりの俊寛を造形すればそれで良いことです。(この稿つづく)

(R6・10・27)


2)感情の変わり目の表現

今回(令和6年10月歌舞伎座)の「俊寛」では、遠見で沖合いを行く御赦免の船がまるで滑るように上手に走り去って観客の失笑を買っていました。「繋ぎ」の場面は時間の無駄だからサッサと済せましょという感じに見えました。こう云うのをご出演の役者さんたちはオカしいと感じないのですかねえ。ここはこの倍の時間を掛けても良いくらいです。レトロな手作り感覚の・のんびりしたムードを醸し出すことが必要です。これから政治絡みの・生臭い人間ドラマが始まるのです。その直前に観客の気分をほっこりさせる・・・よかったなあみんな都へ帰れるんだなあ・・・ところが後で始まるドラマは全然そうではなかった・・というところが大事なのですから。菊之助は主演としてそういうことを指摘できるようになって欲しいと思います。

芝居では「変わり目」が常に大事です。音楽に例えれば旋律が変わるところ・ここが大事なのは誰でも分かるでしょうが、転調するところ・リズムが変わるところ、旋律のなかで急に音符が高く跳ね上がったりするところ、そのような箇所は感情がちょっぴり揺れる「変わり目」なのですから、そこをどれだけ細やかにニュアンスを表現できるか、そんなところで演奏家の技量の差が出てきます。ホンのちょっとの差異ですが、それがホントに大きな感動の差になって現れるのです。芝居でも同じことではないでしょうか。

今回の「俊寛」を見ると、前半(流人三人が船に連れ去られて・千鳥ひとりが取り残されるまで)での流人側(千鳥も含む四人)の芝居が何となく平板に感じられます。前半での芝居の流れはどう云うものでしょうか。「今生よりの冥途」とまで云われる島の厳しい生活、絶望に打ちひしがれるなかで・ひょっこり咲いた可愛い愛、それを喜んでいる内に・沖合いに見える御赦免船、しかし御赦免状には俊寛の名はなかった、絶望の淵に突き落とされたところで・俊寛にも追加の赦免の知らせ、喜んで船に乗ろうとしたら・船に乗れるのは三人だと云われて・千鳥の乗船が拒否される・・・これだけの喜怒哀楽の変転が前半の芝居のなかにあるのです。

まず最初に書いておかねばなりませんが、菊之助の俊寛以下流人側4人は、やるべきことはしっかり出来ています。性根も正しく取れていると思う。そこのところは認めますけれど、何だか芝居が平板に感じられます。まだ芝居味が薄いとでも云いましょうか。良く云えばアッサリ風味なのだが、もっと出汁を効かせて欲しいのですがね。それが感情の「変わり目」のニュアンスをたっぷり出すと云うことです。このことが芝居味にも通じます。そのような課題が4人それぞれにありますねえ。例えば康頼と俊寛との会話、

「三人の伴ひもこの頃四人になつたるを、僧都は未だ御存知なきか」
「なに、四人になつたるとは、さてはまた流人ばしあつてのことか」
「イヤ、左様ではなし。少将殿こそやさしき海士(あま)の恋にむすぼれ、妻を設け給ひし」
と、言ふより僧都にこにこと、
「珍らしゝ珍らしゝ、配所三歳(みとせ)が間、人の上にもわが上にも、恋といふ字の聞き始め、笑ひ顔もこれ始め。殊更海士人の恋とは大職冠行平も、磯にみるめの汐なれ衣。濡れ初めはなんと、なんと。」

に表れるものは、この厳しい環境で生まれた「愛」への心からの感動です。康頼は俊寛に喜んで欲しい。驚かせたい。死にそうな気分だった俊寛のなかに生きる希望が次第に蘇ってくる、そのような感動です。菊之助の俊寛だと「この結婚話を心から喜んでいる」と云う気持ちは確かに伝わって来るのだけど、ここで吉之助が欲しいのは「感動」です。ウキウキして踊り出したいような気分です。ウワーッと叫びたいような熱い感情です。菊之助の俊寛にそれが全然ないとは言わないけれど、まだまだお行儀が良いレベルにとどまっています。菊之助はそこを突き抜けて欲しいですねえ。そうすれば菊之助の俊寛はホンモノになると思います。繰り返しますが、これはホンのちょっとの差異です。しかし、それがホントに大きな感動の差になって現れるのです。(この稿つづく)

(R6・11・2)


3)俊寛の悲劇の意味

吉右衛門の最後の俊寛(令和2年11月国立劇場)は、「自分の代わりに千鳥を乗せてくれ」との懇願をすげなく拒否された瞬間、キッと瀬尾を睨み付ける目付きの鋭さがまことに印象的でした。この時点まで俊寛は瀬尾を殺すなんてことは考えていなかったと思います。殺意は急に芽生えたのです。それではこの殺意は衝動的なものなのか?それとも或る論理的段階を経て俊寛のなかに生じたものなのか?そこを考えてみたいと思います。

もし仮にですが、有り得ないことですが、瀬尾が俊寛の願いを受け入れたとします。千鳥が代わりに船に乗せられて・「さらば・さらば」となって俊寛一人が島に残されたと想像してみて下さい。その場合であっても、俊寛が自らの意志で島に残ることを選んだことに変わりありません。「思い切っても凡夫心」で俊寛が孤独に耐えきれなくなって泣き叫ぶ場面はあるだろうから、いつもの「俊寛」のラストシーンとそこそこ変わらぬ感動が味わえそうです。そうすると、瀬尾が殺されないのと・殺されるのとでは、俊寛の悲劇の何が変わることになるのか?そう云うことは、巷間議論がされておらぬようですね。

そこで俊寛が瀬尾に止めを刺そうと・刀を振り上げた時に・丹左衛門がこれを留める場面での二人の対話を見てみます。

「勝負はきつと見届けた。止めを刺せば僧都の誤り科重なる。止め刺すこと無用々々」
「オヽ、科重なつたる俊寛、島にそのまゝ捨て置かれよ」
「いやいや、御辺を島に残しては、小松殿能登殿御情けも無足し、御意を背く使ひの落度。殊に三人の数不足しては、関所の違論叶ひ難し」
「されば、されば。康頼少将にこの女を乗すれば人数にも不足なく、関所の違論なきところ、小松殿能登殿の情けにて、昔の科は赦され帰洛に及ぶ俊寛が、上使を切つたる科によつて、改めて今、鬼界が島の流人となれば、上(かみ)御慈悲の筋も立ち、お使ひの落度些かなし」

丹左衛門は通行手形に「三人」とあることを気にしており、この場に於いても俊寛を船に乗せて・千鳥は島に残すことを考えているようです。丹左衛門は情けある人物ですが、規則を曲げてまでそれを押し通すようなことはしません。その意味で丹左衛門は普通の小役人です。

規則通りの丹左衛門に対し俊寛が言うことは、驚くほどに論理的です。「小松殿能登殿の情けで、昔の罪が赦された俊寛が、上使を切つたる罪によって、改めて島の流人となる、これで上(かみ)への言い訳は立ち、千鳥を乗せれば手形の三人に合致するから、お使いの落度もない」と云うのです。これによって島に一人残される俊寛の悲劇の意味がまったく変わります。

丹左衛門はこれを「流人と上使との私的な喧嘩沙汰」で処理しようとしていました。これに対し俊寛は、「鹿ケ谷の変に加担し・平家に反旗を翻して・この島に流された私は、平家の暴政に対してあくまで抗議の姿勢を貫くぞ」と主張するのです。それまでは何となく世話物的な悲劇の風を呈していたのが、これでフェーズがガラリと変わって、明らかに時代物悲劇の様相となります。その「変わり目」を示すのが、あの吉右衛門の俊寛が一瞬見せた「殺意の目付き」であったのだなあと云うことですね。(この稿つづく)

(R6・11・5)


4)時代物悲劇としての「俊寛」

つまり「俊寛」のドラマは自己犠牲で一人島に残されることになる俊寛の悲劇であるに違いないですが、大事なことは、それは時代物の政治的な構図の下で俊寛が自ら選び取った悲劇であることです。そのことが分かるのが、俊寛の台詞の、

「小松殿能登殿の情けにて、昔の科は赦され帰洛に及ぶ俊寛が、上使を切つたる科によつて、改めて今、鬼界が島の流人となれば・・・」

という箇所です。ここで「俊寛」が時代物悲劇であることが、はっきり示されます。しかし、そこまでに島で起こった人間模様を見ると、どちらかと言えば世話物的な様相を呈してるように見えるかも知れません。そうした流れからすると、丹左衛門が「流人と上使との私的な喧嘩沙汰」で処理しようとしたこともまんざら間違いでないわけです。この判断が採用されるならば、「俊寛」は世話物悲劇同然になってしまいます。まあそれでもそれなりの感動は味わえるわけですが。

しかし、「俊寛」が時代物悲劇であることを踏まえれば、本作のどこにクライマックスに置くべきかは明らかです。俊寛が瀬尾に止めを刺して島に残ることを宣言する場面こそ、「俊寛」のドラマの真のクライマックスです。

前章に述べた通り、「俊寛」には細かな喜怒哀楽の揺れがあり、その「変わり目」をしっかり描くのが大事なのです。そのような小さな「揺れ」が何度も繰り返されて・やがて大きな揺れとなって(それが俊寛と瀬尾との死闘です)、最後に黒々とした時代物の厳しい論理が現れる、これが俊寛が「私は新たな罪を引き受けて島に残る」と叫ぶことの意味です。この時俊寛はオイディプスのように偉大となります。

もちろんこの揺れは主役の俊寛だけで作るものではなく、クライマックスに向けて全員で作り出すべきものです。今回(令和6年10月歌舞伎座)の「俊寛」では、そこのところの揺れが若干弱い。このため特に前半の芝居がやや平板な印象になってしまいました。このことが後半(俊寛と瀬尾との死闘)への段取りを弱くします。そうならないためには、感情の変わり目をくっきりと・たっぷりと描くことを心掛けねばなりません。大事なことは、その時にクライマックスに向けての方向性を常に意識することです。「一体これから何が始まろうとしているんだ?」、このことを観客にはっきり印象付けることです。その辺の設計が俊寛を含めた流人側の今後の研究課題だと思います(つまり先月・9月歌舞伎座での・菊之助主演による「合邦庵室」に感じた課題とまったく同じだと云うことです。これがこれからの令和歌舞伎の一番大きな課題と云うことになるかも知れませんねえ。)

ところで、吉右衛門の最後の俊寛は、幕切れの沖合いを見つめる表情がまさに無の境地だと思えたことが未だに忘れ難いですね。一方、今回の菊之助の俊寛は、まだどこかに煩悩の思いを残して呆然と立ち尽くすかのように見えました。これは若さをまだ十分に残した壮年の俊寛には相応しい終わり方であったと思います。菊之助も演じ込んでいくことで(つまり年齢を重ねていくことで)故・吉右衛門の行き方に近づいていくだろうと思いますが、今は初役にして十分な成果を手に入れていたと思います。

(R6・11・9)


 


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