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俊寛と東屋〜二代目吉右衛門の俊寛

令和2年11月国立劇場:「平家女護島〜清盛舘・俊寛」

二代目中村吉右衛門(平清盛・俊寛僧都二役)、五代目尾上菊之助(俊寛妻東屋・丹左衛門二役)、五代目中村雀右衛門(海女千鳥)、三代目中村又五郎(瀬尾)、五代目中村歌六(平教経)


1)俊寛の無の境地

「俊寛」の幕切れは役者によって色々な工夫があり、未来に希望を託する俊寛、諦観の情を見せる俊寛、絶望を見せる俊寛、なお生きることの執着を断ち切れないでいる俊寛など様々な感情表出があり得るわけで、どの解釈がいいとか悪いではなく、そのどれもがそれぞれ味わい深いものを見せてくれます。俊寛は吉右衛門の当たり役であるし、吉之助も何度も見ましたけれど、それにしても今回(令和2年11月国立劇場)の吉右衛門の幕切れの俊寛は、これまでの舞台とも色合いがまた異なり、いちだんと静かな無の境地に達したと思われて、ひときわ感慨深いものがありました。こう書くと他の俊寛が無の境地に達していなかったように読めるかも知れませんが、この感動には他の舞台を比較する意図は一切なく、吉之助は今回の吉右衛門の幕切れの俊寛はホントに無に還ったことをただ言いたいのみなのです。

俊寛はひとり島に残ることを決意し・替りに千鳥を乗せた今、彼には生への未練は一切ないのです。覚悟は出来ています。しかし、何とはなく人恋しさと云うか・ツンと来る寂しさが募ってきて、自然に足がツツ・・と動いてしまうのです。そこが人間の哀しいところです。しかし、決して生への未練を見せているのではないと云う感じですかねえ。「オーイ、オーイ」と船に向かって手を振っていても、別に「その船に乗せてくれ」と云っているわけではない。岩へよじ登る動きもバタバタする感じは一切なく、何だか影が動くような淡い印象がします。詞章には「思い切っても凡夫心・・」とありますけれど、そういう印象は淡くなっています。吉之助は吉右衛門の力の抜けた動きを見て一瞬驚いたのですが、幕切れの俊寛の無の表情を見て心底納得が出来ました。吉右衛門は筋書の演者の言葉のなかで、

『赦免船を見送った後の幕切れで、実父(初代白鸚)から「石になれ」と教わりました。俊寛は全てを忘れて身も心も天に委ねたのではと考えております』(中村吉右衛門:当月筋書の演者の言葉)

と書いています。その通りの幕切れでしたねえ。今回の「俊寛」は、この幕切れの感動に成果があったと思います。ただし先ほど「思い切っても凡夫心・・」という印象は淡くなったと書きましたが、これほど無の境地に達した俊寛であると、幕切れからさかのぼって、たとえ「自分の替わりに千鳥を船に乗せてやりたい」という意図があったにせよ、それが瀬尾を殺してしまう(丸本を見ると俊寛は瀬尾の首を斬り落とすことまでするのです)強い殺意が、この無の境地の俊寛から引き出されるものだろうかと云う疑問が生じるかと思います。結論から云えば、俊寛の瀬尾への殺意は、多分、俊寛がこの絶海の孤島に在っても片時も忘れることが無かった妻・東屋が京都で死んだことを知らされた失意から来るのでしょう。吉右衛門の俊寛は、そこのところを一段と重く見ているのです。その箇所を床本で見ますと、

「アヽこれ船に乗せて京へ遣る、今のを聞いたか、わが妻は入道殿の気に違ふて斬られしとや。三世の契りの女房死なせ、何楽しみにわれ一人、京の月花見たうもなし。二度の嘆きを見せんより、われを島に残し、代りにおことが乗つてたべ」

ですから動機に順番を振るのも何ですが、妻・東屋が京都で死んだと知って・もう京に帰る希望がなくなった・それならば替わりに千鳥を船に乗せてやろう・だから自分は島に残るということです。亡くなった愛妻への思いがすべての起点です。つまり吉右衛門の俊寛は「我が妻への愛に殉じた」ということになりましょうか。(この稿つづく)

(R2・11・14)


2)東屋と俊寛のドラマ

我が妻への愛に殉じた無の俊寛ということは、主人公である俊寛がひとり内面的な領域に入り込んでいくということです。そうなると「平家女護島」に見える時代物の構図は薄らいで、ドラマは世話物的な、等身大の悲劇の様相を呈することになるでしょう。これは確かにひとつの問題点で、吉之助のような原典主義者にはちょっと気になるところはあるのですが、吉右衛門がここまで突き詰めなければならなかったことも吉之助にはよく理解出来るのです。幕切れの吉右衛門の俊寛の表情を見れば、清盛への憎しみさえも消え、俊寛は絶対の孤独のなかで自らの内面に対しています。吉之助は前回(平成30年9月歌舞伎座)の吉右衛門の俊寛を「世話の俊寛」と形容しましたが、今回(令和2年11月国立劇場)ではさらに深化して、吉右衛門は世話の俊寛の究極のところを見せてくれました。

ところで今回の「俊寛」には、序幕として清盛館が付いています。東屋が清盛の情けを受けることを拒否し・俊寛への貞節を貫いて自害する経緯が描かれます。実はこの後の場面に清盛に息子の教経が自害した東屋の首を見せて諌言する件があって、本来はこちらが序幕のドラマの芯なのですが、そこがばっさりカットされています。せっかく吉右衛門が清盛を勤めたのにもったいない、これで「清盛と俊寛」の対立構図が明確に出来るのにと思うところはありますけれど、それは兎も角、そう云う不満はあるとしても、ここで東屋の死の経緯を見せたことで、鬼界ヶ島の場で妻の死を知った時の俊寛の悲嘆が具体的になったと思います。まあ今回はこれで十分なのでしょう。おかげで、時代物の「清盛と俊寛」の対立構図とは異なるところの、「東屋と俊寛」という新たな世話のドラマ視点を打ち出せて、これで吉右衛門の俊寛の幕切れの感動が一層深いものになったと思います。

余談ですが、この吉右衛門の世話の俊寛であれば、瀬尾を殺す大義についても、もう少し補強を施した方が更に良くなるかなという気がしました。瀬尾は情けがない嫌な奴ですが、規則を規則通りに扱う実直な官僚に過ぎず、俊寛から恨みを受けて殺されねばならないほどそこまで悪い人物には思えないからです。それでも「清盛と俊寛」の対立構図が強ければ、俊寛は清盛に見立てる心で瀬尾を殺したという理屈が成り立つと思います。しかし、吉右衛門ほどに世話に徹した俊寛となると、瀬尾を殺す大義が弱く見えてしまうきらいがあります。「千鳥を船に乗せてくれ」という懇願をにべもなく撥ね付けた瀬尾の後ろ姿をキッと睨みつけた吉右衛門の目付きの鋭さにはハッとさせられました。しかし、ここで俊寛に殺意が兆したとしても、瀬尾を殺すための大義の裏打ちがもう少し欲しいのです。なにしろ床は「瀬尾受け取れ恨みの刃」と語っているのですから。恐らく前進座の三代目翫右衛門もその辺を悩んだのだろうと想像するのですが、前進座台本では、瀬尾が東屋が首討たれた経緯を詳しく語り、「洛中に潜んでいた東屋を探し出して清盛に差し出したのはこの自分だ 」と俊寛に毒突く入れ事がされました。(注:丸本を読むと、東屋を清盛に差し出したのは瀬尾ではなく、三位の中将重衡です。)この入れ事ならば、俊寛は妻の仇を討つということになり、瀬尾個人を殺す大義が強化されます。これで「我が妻への愛に殉じた俊寛」の世話のドラマ視点が多少でも強化できるのではないでしょうかね。

今回も播磨屋ファミリーと云うべき役者たちが周囲を固めて、吉右衛門の俊寛の写実の演技をよく引き立てました。

(R2・11・17)



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