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五代目菊之助の玉手・五代目歌六の合邦

令和6年9月歌舞伎座:「摂州合邦辻〜合邦庵室」

五代目尾上菊之助(玉手御前)、五代目中村歌六(合邦道心)、六代目上村吉弥(合邦妻おとく)、六代目片岡愛之助(俊徳丸)、五代目中村米吉(浅香姫)、初代中村萬太郎(奴入平)他


本稿は令和6年9月歌舞伎座の、菊之助の玉手御前による「摂州合邦辻〜合邦庵室」の観劇随想です。今回は秀山祭での上演ですが、二代目吉右衛門は合邦道心を勤めたことはなかったと思うので、演目の選定は初代とのご縁と云うことです。菊之助の玉手は平成22年(2010)5月大阪松竹座が初役(当時菊之助は32歳)で、同じく平成22年10月日生劇場での通し上演が東京での初役となります。日生劇場での舞台については観劇随想を書きました。

また今回の「庵室」上演は、たまたま同じ月(9月)浅草公会堂での・右近の玉手による上演と競合する形になって10日で二度同じ「庵室」を見ることになったため、嫌でも比較して見てしまうことになりますけれど、さすがに初役揃いの浅草よりも歌舞伎座の舞台の方が一日・二日の長を示しています。これは当然そうでなければなりません。しかし、浅草の観劇随想で指摘した不満は多かれ少なかれどの上演にも当てはまることであるので、今回の歌舞伎座上演にもやはり同様の不満はあります。一番大きい不満は、「庵室」のドラマで何を訴えたいのか、これから舞台の上で何が起ころうとしているのか、「その演劇的な根拠をカラーで以てはっきり示してください」というところが、この歌舞伎座の舞台でも十分でないと云うことです。

「しん/\たる夜の道、恋の道には暗からねども、気は烏羽玉の玉手御前、俊徳丸の御行方、尋ねかねつゝ人目をも、忍びかねたる頬かむり包み隠せし親里も今は心の頼みにて馴れし故郷の門の口」

義太夫狂言は数あれど、冒頭からこれほど暗く重苦しいムードの芝居もあまりないと思います。合邦夫婦は娘が死んだと思って念仏を唱えています。死者の魂を迎え入れる百万遍の響き、そんなところへまるで吸い寄せられるかのように重い罪を背負うて死んだと思った娘がやって来る、絶望の気分のなかでこれから一体何が起ころうとしているのか、そんな不安な芝居の出だしなのです。そのような出だしであるのに、舞台の印象があまり暗くない。「明るい」とまでは言わないが、暗い印象ではない。もっと暗く・押しつぶされるように沈痛なカラーを全員強く意識してもらいたいのです。これは役者面々が発声を低調子に取っていないことから来ますが、これをリードしない竹本の責任も大きいです。「しん/\たる夜の道」という詞章の意味はとても大事なのです。

しかし、今回(令和6年9月歌舞伎座)の「庵室」上演に一日・二日の長があるのは、玉手(菊之助)と合邦(歌六)の父娘の関係が確かに意識されていたからだろうと思います。歌六の合邦は「もとより娘は斬られて死んだ」の台詞をはっきり外の戸口にいる玉手に向けて言っていました。歌六の合邦は頑固一徹な印象が弱めで、そこのところは若干物足りなさを感じなくもない。その代わり娘を気遣う真情が滲み出ています。歌六の合邦の良さは、玉手がすべては自分の計略であるとの告白を聞いて、合邦が玉手の行為を認めて「オイヤイ」と頷く場面に集約されます。この場面の菊之助の玉手は、平成22年日生劇場での上演の時もそうでしたが、いつものやり方とは違っており、

「父さん・・」「・・オイヤイ」「父さん・・」「・・オイヤイ」・・

と玉手と合邦との掛け合いに変えています。原典主義者の吉之助は・こういう改変に物申すべき立場なのかも知れませんが、頑固な印象が弱めの歌六の合邦であると、この行き方がとてもよく似合います。「父さん」と娘に呼び掛けられて、義理と立場から頑なに身構えていたものが合邦のなかからボロボロ剥げ落ちて・父親の真情が露わになる過程が目に見えるようで、このやり方はなかなか捨て難いものがありました。

菊之助は当年47歳になるわけで、平成20年(当時32歳)の菊之助に感じた・役の年齢に近いリアリティのある・しかし或る種の生々しさを持つが故に「危うさ」を孕んだ美しさ(これは今月・9月の右近(32歳)の玉手に感じるのと同様のものです)は、14年後の玉手では当然ながら後ろの方へ引いて、代わりにしっとり落ち着いた感触の美しさへと変化しています。歌舞伎の場合、やはりこの方が芝居のなかにしっくり納まる気がしますねえ。芝居の設定では「十九(つづ)や二十の年輩(としばい)」の役どころなのだけれど、歌舞伎女形の玉手はやはりもう少し年増の女をイメージしてちょうど良い具合に芝居に納まるようです。これは「庵室」が根底に持つ「背徳感」をあまり生(なま)に押し出したくない・玉手をあられもない女には見せたくないという自制が歌舞伎に働くからでしょうね。ここは結構大事なポイントであろうと思います。昔の見物は悪人の女を見ようとしなかったのです。「玉手は口ではあんな不道徳なことを言っているが、根は決してそうではあるまい」と見物は思いたいというところに「モドリ」の趣向がある。だから芝居のなかの登場人物たちは玉手がモドッて驚くけれど(これは当り前ですが)、見物にとっては、それは驚くことではない。「モドリ」の意義は、「やはり思った通り、玉手は善心の女であったのだな」と云うところにあるのです。この結末によって見物も癒されると云うことです。

もしかしたら吉之助が今月の右近の玉手が良くなかったと書いたように聞こえたかも知れないので但し書きを付けますが、これは菊之助32歳当時の玉手の感触のなかにもあったもので、言わば「時分の花」です。そこで見える風景にはまたそれなりの「庵室」の真実があります。しかし、右近も年を重ねて・芸の成熟を迎えるなかで、玉手の性根をどこに置いて役を突き詰めていくべきかと言えば、ヒントはやはり今月(9月)歌舞伎座での菊之助の玉手に在ると云うことになるでしょうね。

(R6・9・29)


 

 


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