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二代目右近・初役の玉手御前

令和6年9月浅草公会堂:「摂州合邦辻〜合邦庵室」

二代目尾上右近(玉手御前)、二代目市川猿弥(合邦道心)、初代尾上菊三呂(合邦妻おとく)、四代目中村橋之助(俊徳丸)、二代目中村鶴松(浅香姫)、二代目市川青虎(奴入平)他

(尾上右近自主公演・研の會・第8回公演)


1)私は演劇的な根拠を求めているのです

本稿は令和6年9月浅草公会堂での、「合邦庵室」の自主公演「研の會」の「摂州合邦辻・合邦庵室」の観劇随想です。もちろん注目は期待の若手右近が初役で玉手御前に取り組むことです。実は吉之助は、右近が玉手に挑戦ということを聞いた時、ホウこれはまた仕掛けてきたものだなと思いました。もちろん自主公演でのことだから、自分のやりたい役・興味のある役から取り上げるのは当然ですが、玉手と云うのはなかなか難度が高い役ではあります。順番としてはもう少し後であっても良い気がしました。右近のために先に取り組んでおいた方が良い役が他にありそうに思います。例えば本年2月に徳兵衛・3月に治兵衛を勤めましたが、この際上方和事系の役を重点的に浚っておこうと云う考え方もあるかと思います。まあ経過はともかく、玉手に挑戦と云うことは、右近はどう云うところに目論見を見ているのであろうか?と云うのがちょっと気にはなったのです。しかし、もちろん玉手という役に興味を抱くとすれば大方その辺かなと思い当たるところはありますけどね。

そういうわけで右近・初役の玉手御前を興味深く見せてもらいました。まず「合邦庵室」全体の仕上がりについてちょっと触れておきたいのですが、みなさん一生懸命に芝居をしているし、見るべきところは色々あると思う。このことを認めつつも、芝居総体としては個々の演技の関連性が見失われており、「庵室」として描かれるべきものが十分に描かれていないと云う不満がかなりあります。もちろんこれには主演である右近も、床(義太夫)までも含みます。「研の會」は勉強会と云うことでもあるわけだから、ある程度時間を掛けても一同集まってまず「本読み」から始めるくらいのことをしてもらいたいと思いますね。その時にどなたが指導するかも大事なことですが。「庵室」はそれくらい真剣に取り組むべき難物だと思いますよ。

たまたまのことですが今回の公演は、リッカルド・ムーティによる「イタリア・オペラ・アカデミー vol.4」と期間が重なってしまい、吉之助はそちらの方を1日欠席して右近の公演を見たのです。ムーティはリハーサルで実に細かい、些細なことを次々と指摘します。例えばオーケストラのトゥッティ(全奏)のなかで「弦はそこをもうちょっと小さく」と指示する、大して変わりないようなことだけど、そこをちょっと変えただけで音楽が描き出すべき情感がよりクッキリ浮かび上がる、そのような場面を幾度となく体験してきました。「そんなのちょっとしたニュアンスの違いじゃないの、俺はちゃんとやっているよ」と思っている奴は、一生芸が上手くなることはないのです。

「細かいことを言っているようだが、私(ムーティ)は音楽的な正確さにこだわっているのではなく、演劇的な根拠を求めているのです。」

とムーティは言っていましたねえ。そこで話を「研の會」の「庵室」のことに戻しますが、吉之助には、舞台のうえで行なわれている個々の役者の演技の、演劇的な根拠が見えて来ませんでした。やるべき手順は教えられたように行われていたと思います。ただしそれが「らしく」行われていただけのことで、それらは演劇的な根拠を以て、ひとつの方向性を以て連動して動いてはいなかった。その結果「庵室」として描かれるべきことが、十分に描き出されないまま終わりました。演劇的な根拠とは、「玉手御前の恋は偽なのか・それとも本物か」と云うことももちろんあります。「どうして玉手はこんな手の込んだ仕掛けを仕組んだのか」と云うことももちろんあります。しかし、それだけではなくて、中世から江戸中期まで民衆がここまで引きずってきた説教浄瑠璃のなかに秘められた世界観・人生観と芸能の長い系譜があるのです。そう云ったものまでもすべて包括したところの背景(バックグラウンド)こそ演劇的な根拠です。

今回(令和6年9月浅草公会堂)の「庵室」からは、そのような背景が消し飛んでいるようです。一応付け加えておけば、今回の「庵室」が特にヒドイというわけではなく、これは昨今の歌舞伎の舞台にはどれでも多かれ少なかれあることなのです。しかし、今回の芝居がたまたまムーティのリハーサル聴講の最中のことで、演目が難物の「庵室」であったために吉之助が我慢出来なかったということに過ぎないのだから、まあ笑ってお聞き流しくださいね。それにしても「イタリア・オペラ・アカデミー」の若い研修生たちはホントに真摯に海の向こうの文化に取り組んでいます。この真摯さを歌舞伎役者も見習って欲しいとは言いたくなりますね。

またまた話が飛ぶようですが、先月(8月)歌舞伎座の新作歌舞伎「狐花」観劇随想のなかで「鎮魂術としての推理小説」ということに触れました。

『日本でも旧時代の「政談」類が、長く人気を保ったのは、この原始的な感情を無視せなかった所にあるとも言える。(中略)人間の処置はここまでで・これから先は我々法に関わる者の領分ではないと言ふ限界を、はっきり見つめて、それははっきりと物を言っているのである。すなわち法律が神の領分を犯そうとすることを、力強く拒んでいるのである。』(折口信夫:「人間悪の創造」・昭和27年)

この世においては禍福が必ずしも合理的にもたらされるものではありません。慎ましく誠実に生きて来た人が、幸福になるとは限らない。逆にひどい災厄を蒙る場合さえあります。そんな時に法が(或は社会の機構・ルールが)正しく裁いてくれることを期待したいものですが、大抵は被害者の気持ちを十分に救いあげることが出来ません。しかし、正しい者は救われなければいけないはずだ。悪い奴にはしっかりと罰を与えなければならない。そうならないのであれば、神も仏もあるものか。そのような思いが募って来ます。そのような民の憤る気分を、探偵小説がちょっとだけ和らげてくれると折口信夫は云うのです。

名探偵は「世の中に不思議なことなど何ひとつありません」と言って、難事件を見事に解き明かしてみせますが、これだけでは被害者の気持ちが癒されることは決してありません。かと云って復讐・仇討ちという手段に訴えようとすれば、これも虚しい結果に終わらざるを得ない。つまりどちらであったとしても、結局探偵小説には、何かしら割りきれない・満たされない思いが付きまとうことになるのです。但し書きを付けますが、吉之助は別に「割りきれない・満たされない思いが多ければ、その推理小説はいい出来になる」と言っているわけではありませんのでね。そこは作品次第です。しかし、どんな推理小説にも多かれ少なかれ・その要素はあるのです。

そこで「庵室」を推理小説だと思って読んでみることにしましょう。つまり「美しき若妻はなぜ義理の息子に危険な恋を仕掛けたのか」という謎の推理と云うことです。トリックは、俊徳丸の面相を変えてしまう毒薬と、丑の年月日時が重なる女の生血の不思議。犯人とされるべき玉手御前は自分で腹を切って長い告白をしますから、ここには探偵はいないのですけどね。「これで玉手御前の無実は見事に証明された。どう?これでバッチリ決まりでしょ」・・・右近主演の「庵室」は吉之助にはそのような随分と割り切れた感触に見えたのです。

玉手の悲劇のどこかに割りきれない理不尽な思いがあるはずだ。その割り切れない思いが見えて来ない、これが困るのです。だから芝居が「然り。しかし、これで良かったのだろうか?」と云う時代物の古典悲劇の構図になって来ないのです。芝居がそのような構図に仕立てるためには、玉手だけでなく・周囲の役も含めてそれぞれの割りきれない・満たされない思いを救い上げてみせなければなりません。割り切れない思いの正体をより研ぎ澄ませるために演劇的な根拠が必要になって来るのです。(この稿つづく)

(R6・9・10)


2)カラーで以てはっきりと示してください

「しん/\たる夜の道、恋の道には暗からねども、気は烏羽玉の玉手御前、俊徳丸の御行方、尋ねかねつゝ人目をも、忍びかねたる頬かむり包み隠せし親里も今は心の頼みにて馴れし故郷の門の口」

上に引いたのは、玉手御前が登場する場面の義太夫の詞章です。吉之助の「合邦庵室」冒頭の印象は、漆黒の闇です。うっかりすると引きずり込まれてしまいそうな漆黒の闇です。義太夫狂言には暗く重い結末の作品が数多くあります。しかし、冒頭からこれほど暗く重苦しい義太夫狂言もあまりないのではないでしょうかね。(今回の芝居では出ませんが)百万遍の念仏を唱える人々の声と鉦の響きが交錯し、死者の魂を迎え入れるために掲げられた高燈籠のボーッとした明かりが観客の想念を遠い遠い中世の精神世界へと誘います。玉手もまたそのような世界に引き寄せられたが如く花道に登場します。そこが玉手が生まれ育った故郷です。

前章で「庵室」の「演劇的な根拠」ということを申し上げました。「玉手御前の恋は偽なのか・それとも本物か」と云うことはもちろんあります。「どうして玉手はこんな手の込んだ仕掛けを仕組んだのか」と云うことももちろんあります。確かにそうですが、実はそのようなことは本作のなかの「演劇的な根拠」の、ホンの上澄みに過ぎないのです。それは小っちゃいことなのです。その下に足が底に付かないほどの深さの漆黒の闇が潜んでいます。そちらの方に目を向けて欲しいと思います。現代人の感性からすると、漆黒の闇のなかに何か得体の知れない魔物が潜んでいそうな・非合理の世界かも知れません。しかし、日本人の感性はそこから発しており、令和の今でも深層的なところでしっかりと繋がっているのです。説教の「しんとく丸」・「愛護の若」とか・そんなことを知らなくたって、闇の奥に日本人の精神の故郷があることが何となく感じ取れるはずです。漆黒の闇こそ「庵室」を読み解くための「演劇的な根拠」です。

「庵室」にとって冒頭部(玉手が登場し・家にたどり着くまで)がとても重要です。それは本作全体の出来を左右するほどに重要であると思います。リハーサルでムーティは、

「これから舞台で何が起ころうとしているんだ?それをカラーで以てはっきりと示してください。」

と何度も言っていましたねえ。オペラで描くならば、ここは弦のピアニッシモの低いトレモロの響きでしょうか。(吉之助個人のイメージです。)ムーティはこうも言っていました。

「ヴェルディのトレモロは早いのではない。もっと早いのです。それは何か危険な信号です。」

「庵室」冒頭で漆黒の闇のなかから響いてくるものとは何でしょうか?高安館での高手御前狂乱の報は、既に合邦夫妻の耳に届いています。父母としては、娘の身が気掛かりなのは当然です。しかし、後妻が義理の息子に色狂いするなんて当時の道徳では絶対許されません。それに合邦は高安殿に多大な恩義を受けていました。いくら愛する娘とは云え決して許すことは出来ない。大方(おおかた)娘は捕まって手討ちに遭って死んだに違いない。合邦夫妻の心のなかで、もう娘(玉手)は死んだものと必死で自分に言い聞かせようとしています。だから冒頭が暗い百万遍の場面になるのです。そんなところに玉手が戻ってくるわけですが、父母が喜んで迎え入れるはずがない。無論そんなことは玉手も分かっています。それならばどうして玉手は生まれ故郷に戻ってくるのでしょうか?これから舞台で何か始まろうとしているのでしょうか?そこを考えないと。「庵室」冒頭が見せるカラーとは、そんな暗い危険な予感です。

今回(令和6年9月浅草公会堂)の「庵室」でこれを見ることにします。但し書きを付けますが、今回の「庵室」が特にヒドイということではなく、これは昨今の歌舞伎の舞台にはどれでも多かれ少なかれあることですから、例(サンプル)として挙げているだけのことですので、そこのところ宜しく。

「庵室」冒頭で、村人2人と母おとくが語らっています。脚本が端折られているので仕方ない点がありますが、これが百万遍念仏が終わった後の会話だという雰囲気が伝わって来ませんね。茶飲み話をやっているみたいです。百万遍念仏とは大勢の人たちが集まって念仏を唱え合うもの。そうするとみんなの気持ちが結集されて得られる功徳もより大きくなるのです。村人のなかには身内の故人を偲んで念仏を唱える者もいるはずです。そんなところで見慣れない戒名の位牌があれば、「あれは誰の仏?」という話にもなるだろう。会話は百万遍の気分を引き継いで、口調は自然とシンミリした調子にならざるを得ません。

新しい戒名の位牌は、合邦夫婦が人知れず用意したものでした。それは死んだ(と思い込んでいる)娘お辻・つまり玉手御前の位牌です。母おとくは「今日の仏というのは実はわしの娘・・」と言いかけて、慌てて言い直し・その場を紛らわせますが、百万遍念仏のなかでおとくも娘の成仏を必死で願ったはずです。このような百万遍念仏の暗い余韻が、おとく(菊三呂)にも・後に登場する合邦(猿弥)にも見えて来ない。もっと暗く重苦しい・押しつぶされるような感覚が欲しいのです。そのような暗い雰囲気(カラー)が、玉手の登場のために用意されなければなりません。

それと今回の舞台に限ってのことではありませんが、照明が明る過ぎる気がしますねえ。吉之助の記憶では、昭和50年代の六代目歌右衛門や七代目梅幸の「庵室」の舞台は、照明が薄暗かったと思います。幕が開いた時から既に暗い雰囲気が漂っていたと記憶します。感覚としては現代よりも光量が20%くらい低かったのではないか。当時の映像を見れば、このことは何となく確認出来ると思います。もちろん現代の歌舞伎の明るい照明に、それなりの意味がないわけではないです。江戸の感性の明晰な側面を引き出して、それが効果的なこともしばしばあります。しかし、「庵室」の舞台照明は、もう少し薄暗くすることが望ましい。それはやはり「庵室」の感性のベクトルが過去へ・中世説教の世界の方へ向いているからでしょうね。(別稿「舞台の明るさ・舞台の暗さ」をご参照ください。)

右近の玉手が登場します。花道の途中で立ち止まり、後ろを見返る。ワーキレイ!という歓声が上がって掛け声が掛かる。まあ確かに綺麗です。それを否定するほど吉之助も野暮じゃないつもりだが、この玉手は何のために後ろを見返るのでしょうか?それが明確に見えぬようです。特に思い入れするわけでもないようです。玉手は高安館の大騒動から逃れて・やっとここまでたどり着いたのです。後ろを見返るのは、追っ手が来ていないかを確認するためです。同時に全身に緊迫というか・不安感が漂っていなければなりません。と云うのは、やっとここまでたどり着いたけれど、両親が自分を受け入れてくれるかどうか玉手には分からないからです。父・合邦は怒り心頭であろうから、簡単には家に入れてもらえないだろう。俊徳丸が家に居るのかも分からない。そんなところで玉手はここまでたどり着いたのだから思いは複雑です。そのような玉手の気分が漆黒の闇の雰囲気(カラ−)の上に乗らねばなりません。

「母様(かかさん)、母様、ここ開けて」、右近の玉手の台詞はトーンが高い・なおかつ声が大き過ぎます。もっとトーンを低めに落として・出来るだけ小さい声で母を呼ばねばなりません。ひとつには、低い声が「しんしんたる夜の道」の静けさの雰囲気をより強く印象付けるためにそれが必要です。もうひとつは玉手としては、母を呼ぶ声が父に届いて欲しくないからです。父は怒り心頭であろうから、家に入れてくれるはずがない。この声は母だけに届いて欲しいのです。と云うことは、自分のしたことがどれほど罪な行為であるか・玉手はこのことをはっきり自覚していると云うことなので、これも漆黒の闇の雰囲気(カラ−)の上に乗って来るはずです。

しかし、玉手の声は懸命に念仏を唱える母の耳には聞こえず、合邦の方が先に娘が来たことに気が付いてしまいました。ここで夫婦が「さては幽霊か狐狸の化けたのか」などと言い合うのは、これが死者の魂の来訪を待ち受ける行事である百万遍の気分と重なることはもちろんです。夫婦は娘が既に手討ちに遭って死んだものと覚悟していました。そんななかで夫婦は「生きた娘」の来訪を真(まこと)の事態であると俄かに認識が出来ません。このように「庵室」冒頭の百万遍のシーンは現行歌舞伎ではまったく大事に扱われていませんが、「庵室」のカラーの提示のためにとても重要であることが分かるはずです。なおここで合邦(猿弥)がおとくに向かって、

「もとより娘は斬られて死んだ

と言いますが、文楽にはこの台詞は実は戸口にいる娘・玉手に向かって言う心だと云う口伝があるはずです。この口伝はとても大事なことを示唆しています。このことを次節において検討します。(この稿つづく)

(R6・9・13)


3)娘・玉手と父・合邦との関係

玉手御前の性根として大事なことは、このことは芝居が終わった後に明らかになることですが、玉手は父・合邦に刺されるために実家に戻って来たのだと云うことです。これはもちろん自らの生血を病身の俊徳丸に与えて元の身体に戻すためですが、俊徳丸がいないところで刺されては元も子もないですから、父に刺されるタイミングは十分計った上でそれが行われなければなりません。何時(いつ)刺されるか、刺されるべき時は今だ、そのタイミングで父の感情を爆発させて・父に刺される、玉手はそういう機会(チャンス)をずっと探し続けています。玉手は父が今どのような心理状態であるか・始終このことを気に掛けつつ行動しています。だから「庵室」の玉手のドラマは、最初から最後まで父と娘の関係性で計らなければなりません。

「もとより娘は斬られて死んだ

文楽では合邦のこの台詞は戸口にいる娘・玉手に聞こえるように言う心だと云う口伝があるそうです。つまり目の前のおとくに言う(猿弥の合邦はそうしていましたね)のではなく、顔をあげて戸口の方に向かって、大きめの声ではっきりと、娘に対して拒否の意志を示すのです。この台詞は、父と娘の関係を観客に最初に提示する大事な台詞です。合邦だって娘の身を案ずる気持ちは父として誰にも劣るものではありません。しかし、後妻が義理の息子に色狂いするなんて当時の道徳ではあり得ないことです。それに合邦は高安殿に多大な恩義を受けていました。それだけではなく、合邦は讒言を受けて出世街道から外され・それでも世にへつらうことをせず、ずっと清貧を押し通して来た頑固者でした。合邦は飛びぬけて清廉潔白な人物です。当然合邦は娘をそのように育てたはずでした。その娘が不義したとあっては、合邦が許せるはずがありません。つまり合邦が娘に対して怒るのは、義理や世間体からもありますが・それ以上に、合邦の怒りは自身のアイデンティティに等しいところから発していると云うことです。それほどまでに合邦の怒りは深く・大きい。

このことから、何故玉手が「父に刺されて死にたい」と願ったか理解できると思います。つまり父・合邦のアイデンティティを裏返せば、そのまま娘・玉手のアイデンティティになるのです。つまり清廉潔白ということですが、ここに戻ることで、玉手はやっぱり合邦の娘であったのだなと云うことになるのです。義理の息子に色狂いする行為の背後に、高安殿の後妻としての玉手がそうすることしか手段がなかった、やむにやまれぬ事情があったに違いありません。「他に方法があったのではないか」とか・「そんなことまでする必要はないじゃないか」とか・第三者は無責任にいろいろ言いたがるでしょうが、そこに事の本質があるわけではないのです。玉手にはそうするしかなかった。玉手の不義とは、人間が生きていくなかでどうしようもなく抱えてしまう業(ごう)のようなものを示しています。そのような玉手の負のイメージは、頑固者の父によってこそ消し去られなければならなかった。父に認められることで玉手は清浄な存在に戻され、やっと合邦の娘に戻ることが出来るわけです。

「庵室」前半で玉手が色狂いする場面、例えば、

「母様のお詞なれどいかなる過去の因縁やら、俊徳様の御事は寝た間も忘れず恋ひ焦れ、思ひ余って打ちつけに、云うても親子の道を立て、つれない返事堅いほどなほいやまさる恋の淵・・」

「エゝわっけない事云はしゃんすな、わしゃ尼になること嫌ぢゃ/\、アイ嫌でござんす、モせっかく艶よう梳き込んだこの髪が、どう酷たらしう剃られるもの、今までの屋敷風はもう置いて、これからは色町風随分派手に身を持って、俊徳様に逢うたらば、あっちからも惚れて貰ふ気・・」

などの玉手の台詞は、明らかに父親に向けて、父親を怒らせるために発せられています。しかし、この時点では、俊徳丸がこの家に居るのかどうか確証が取れていません。だからまだ父親を怒らせ過ぎて刺されるわけに行きませんが、来るべき時のために父親を十分怒らせて置く必要があるのです。だから玉手は或る意味とても冷静だと云うことです。

しかし、このような娘・玉手と父・合邦との関係がスッキリ見通せることが、現行歌舞伎では意外と少ないようですねえ。どうしても色狂いする娘と怒る父親という単純構図になってしまいます。しかし、演じる役者は役の性根としてこのことを心得ておいて欲しいと思います。今回の(令和6年9月浅草公会堂)の合邦(猿弥)・玉手(右近)親娘も例外ではありません。この場面は観客の興味が玉手の不道徳性の方へ向くのは当たり前のことで、その観点からすれば右近の玉手は妖艶で憑かれたところを見せてなかなかのものでした。それで十分じゃないかと思うかも知れませんが、吉之助に言わせればその不道徳は父親の方に向けられなければならぬものです。ここは受ける合邦の演技にも工夫が要るかも知れませんね。

後半になって・俊徳丸と浅香姫が登場すれば、玉手の性根は一層はっきりして来ます。ここで玉手が考えることはシンプルで、どれくらいやれば父親の感情を爆発させることが出来るかです。いつ父親は刃物を構えて飛び出してくるか、玉手の狂いは奥にいて身体を怒りでワナワナさせている父親に向けて、これでもか・・これならば父さんは飛び出してくるか・・という感じで行われなければなりません。奥にいる父親が意識されていなければ、舞台上でただ色狂いしてるだけではダメなのです。いくら色狂いが強烈であってもダメです。玉手はそこが難しい。

ここで娘・玉手と父・合邦との関係を「モドリ」のパターンで整理しておきます。「モドリ」の主人公が前半で悪役らしく振舞っている時に心底怒っている人物こそ、主人公が本心を分かってもらいたいと願っている人物です。例えば松王丸に対する源蔵(寺子屋)、いがみの権太に対する弥左衛門(鮓屋)がそうです。前半の主人公は意識してその人物を怒りに怒らせておいて、「モドリ」の後に心中を告白した後、主人公はその人物に一番理解されたがっている、一番許されたがっているのです。娘・玉手と父・合邦との関係もまた、そのようなものです。ここに「庵室」のドラマの芯があると理解して欲しいですね。(この稿つづく)

(R6・9・15)


4)母おとくとの関係

母おとくとの関係も併せて考えておきたいと思います。頑固に娘を拒否する合邦を押しとどめて、おとくは母の情を以て娘玉手を家へ引き入れるとするのが現行歌舞伎では普通かも知れませんねえ。合邦が義理と建前ならば・おとくは情だと、まあ今回(令和6年9月浅草公会堂)の菊三呂のおとくもそのような性根であると思うし、同月(9月)歌舞伎座での吉弥のおとくもそんな感じがしますね。しかし、この解釈であると前章で論じた、娘を許すことが出来ず苦しむ父合邦と、その父をわざと怒らせて・殺されに行く娘玉手という構図の間におとくが割って入って邪魔する形になってしまいます。このため父と娘の関係がストレートに見えて来ないことになる。そうならないように、おとくの性根をちょっと考えて直してみたいのです。娘を家へ入れることを懇願するおとくは夫に次のように言います。

「ハテ娘と思ヘば義理も欠ける、が幽霊をうちへ入れるに、誰に遠慮もあるまいぞえ」

おとくの台詞は合邦の「もとより娘は斬られて死んだ」という理屈を踏まえており、これを言われれば夫は拒否出来ないわけですが、このことからおとくは夫の気持ちをよく理解しており、夫の立場を徹頭徹尾立てていることが分かります。夫(合邦)の立場をもう一度確認しておきますが、娘の無事を願う気持ちは夫にとっても誰にも劣るものではない。むしろ人一倍強い。しかし、清廉潔白な夫の生き方からすれば・いくら娘を受け入れたくても、娘を許したい自分の気持ちを認めることは夫には絶対出来ないということです。おとくはそんな夫の気持ちをよく理解しており、彼女の気持ちは夫と共にあるのです。但し書きを付けますが、このことをおとくは夫に隷属しており自分の意見を持っていないなどと考えないでいただきたい。これが当時の夫婦の倫理関係なのです。この点を踏まえて、おとくの次の台詞を読んでみます。

「世間の噂にはの、そなたはアノ俊徳様とやらに恋をして、館を抜けて出やったのイヤ不義ぢゃのと悪う云へど、そなたに限りよもや/\さう云ふことはあるまいの、コリャアノ嘘であろ嘘であろ、オホヽヽヽ、ヲヽ嘘か/\」

これをおとくが「あそこで父さんが恐い顔しているよ、俊徳さまへの恋のことは嘘であろ、ホラ嘘と云や、嘘と云や」と言っていると考えることはもちろん出来ますけれど、もしそうであるとおとくの気持ちは夫とは違うと云うことになりますね。しかし、夫の立場を徹頭徹尾立てようとするおとくならば、「俊徳さまへの恋のことは嘘であろう、嘘であると言ってくれ」というのが、実は夫合邦の本音でもあるということになるのです。これはホントは合邦が一番娘に問いたい質問であった。しかし、怒りで一杯になった合邦は岩になってしまって・その質問を問えない。だから問えない夫の代わりにおとくが問うのです。傍にいる合邦は聞かぬフリをしながら、実は「俊徳さまのことはホントは嘘じゃ」という玉手の返事を一番待っているのが合邦である。ここはそう云う場面なのです。したがってこれを裏返せば、

「母様のお詞なれどいかなる過去の因縁やら、俊徳様の御事は寝た間も忘れず恋ひ焦れ、思ひ余って打ちつけに、云うても親子の道を立て、つれない返事堅いほどなほいやまさる恋の淵・・」

という玉手の台詞は、明らかに父合邦に向けて放たれていることが分かるのです。

今回のように・おとくの気持ちは夫とは違うと云う感じに見えてしまうと、娘玉手と父合邦との間におとくが割って入るようなガチャガチャした印象が生まれてしまいまず。これではチトまずい。おとくの性根として徹頭徹尾夫の立場に沿うこと、これが「庵室」に於ける娘と父との関係性を強化するために大事なことになります。(この稿つづく)

(R6・9・17)


5)俊徳丸の位置付け

名探偵は「世の中に理屈に合わない不思議なことなど何ひとつありません」と言い、難事件を見事に解き明かしてくれます。「庵室」に名探偵は登場しませんが、玉手御前は自分で腹を切って長い告白をして、「父様いな、何と疑ひは晴れましてござんすかえ」と言い、合邦は「オイヤイ/\、出かしをった」と答えました。「美しき若妻はなぜ義理の息子に危険な恋を仕掛けたのか」という謎は、確かに解明されました。しかし、見事に解決されたと思われる事件でも、被害者の心はそれで完全に癒されることはない。例え多額の補償金が支払われたとしても・これで被害者の心が晴れることがないように、歌舞伎の悲劇の「モドリ」の構図もまた、「然り。しかし、これで良かったのだろうか?」という懐疑の形で終わるのです。

このように玉手の悲劇には、どこかに割りきれない理不尽な思いが付きまといます。義理の息子に色狂いする行為の背後に、高安殿の後妻として玉手がそうすることしか手段がなかった、やむにやまれぬ事情があったに違いありません。つまり玉手の不義とは、人間が生きていくなかでどうしようもなく負わされてしまう業(ごう)のようなものを示しているのです。と書くと、玉手個人の問題を一般論に拡大されてはぐらかされたように感じるかも知れませんが、実際玉手の問題は玉手のことだけで考えてみても仕方がないのです。「他に方法があったのではないか」とか・「そんなことまでする必要はないのではないか」とか・第三者は無責任にいろいろ言うでしょうが、そこに事の本質があるわけではありません。玉手はそうするしか手がなかったのです。

むしろ「庵室」の場合、玉手が背負う業(ごう)の重さは、彼女が生血を与えて救った俊徳丸から眺めてみた方が、スンナリ納得が行くのではないでしょうかね。はるか昔の中世から連なる説教「しんとく丸」や能の「弱法師」などの先行芸能の系譜、そこから江戸の民衆のなかにしっかり根付いて来た俊徳丸のイメージ。病になって面相が変わり・目が見えなくなってヒイヒイ苦しみながらも、それでも懸命に生きる俊徳丸が背負う業(ごう)の深さのことです。人生には割りきれない理不尽なことがたくさんあります。しかし、人はそれでも生きていかねばならないのです。誰だって何某かを背負いながら生きているのです。江戸の観客の心のなかにある・これら先行芸能での俊徳丸のイメージを考えるならば、玉手のことはそこからスンナリ納得出来ると思います。「庵室」の俊徳丸の位置付けが、そこに在るはずです。

先行芸能である能の「弱法師」では、四天王寺の西門は極楽浄土の東門と向かい合っていると云う「日想観(じっそうかん)」の信仰が描かれます。「庵室」には日想観のことがまったく出てきませんし、「弱法師」と「庵室」は随分雰囲気が異なった芝居に見えると思いますしかし、これも過酷な業(ごう)を背負いながら健気に生きる俊徳丸の姿を共通項として読むならば、四天王寺の西方に位置する合邦が辻で起こる奇蹟として「庵室」のドラマが理解出来ます。

だから「庵室」での俊徳丸は、哀れななかにも・業(ごう)に健気に立ち向かう凛とした強さが欲しいと思います。今回(令和6年9月浅草公会堂)の橋之助の俊徳丸は悪くはありませんが、ちょっと哀れさの方が勝った感じがありますね。芝居では玉手の生血で救われるわけですが、これだけであると受け身の救済になってしまいます。そうではなくて、俊徳丸のなかに資質として備わった強さがあって、それ故「彼は救われるべくして救われた」と考えたいのです。俊徳丸の核心の場面は、蘇った姿を瀕死の玉手に見せる箇所であると思います。俊徳丸が元の身体に戻ったことで、実は玉手が救われているのです。このことを風情で見せるのは至難なことですが、このような凛とした強さを持つ俊徳丸として吉之助が思い出すのは、やはり七代目芝翫ですね。(この稿つづく)

(R6・9・22)


6)右近・初役の玉手御前

現代人が「庵室」を見る時、「玉手御前の恋は偽(計略の恋)なのか・それとも本物(真実の恋)か」と云うところに関心が行くことは仕方がないと云うか・まあ当然のことかも知れません。しかし、歌舞伎とは過去から発し・過去に鼓舞される芸能ですから、これを見る時、そこに常に「過去」を意識する態度がとても大事なことになります。このような態度を取った時のみ、古典は自ら胸襟を開いて語り掛けてくれます。玉手の悲劇を必ずしも因果であるとか・業(ごう)であるとか考える必要はないのです。昔も今も、誰だって何某かを背負いながら生きているのです、玉手もそうであったことに気が付くと、何だかツーンと来ます。この世に生きるとは何と「あはれ」なことであるか、そう感じた時「庵室」から遠い中世の説教浄瑠璃の世界までも浮かび上がって見えて来ます。「古典」を知ると云うのは、そう云うことだと思います。

七代目梅幸は芸談のなかで「私の玉手は俊徳丸を愛していた、好きだから俊徳のために死ぬと云う解釈です」と確かに語っていました。梅幸の玉手は表面は狂いの形を取ってもどこまでも清らかに見せましたけれど、後から改めて考えてみると、あの狂いはあくまで段取りとしての狂いであった、父合邦に刺されに行くために・冷静に仕掛けた狂いであったのだなアと納得が出来る玉手でありました。そうすると逆に「玉手の恋は真実か嘘か」という議論が、どちらであっても良いような気になって来るのですね。だから結果的に「庵室」のモドリの構造が素直に浮かび上がることになるのです。

ですから本稿冒頭に戻りますけれども、「庵室」が何を訴えたいか、これから何が起ころうとしているのか、その演劇的な根拠をはっきりカラーで以て示して欲しいのです。「庵室」のカラーは暗いと思います。真っ暗闇ではなくて、ボーッと薄暗い。凝視してやっと相手の顔が判別できるくらいの薄暗さ(或いは薄明るさ)。今回(令和6年9月浅草公会堂)の「庵室」からは、残念ながらそのようなカラーが見えて来ませんでした。これは主役・玉手だけで作るものではありません。そのようなカラーを出演者(床も含む)みんなで一致協力して作り出して欲しいですね。

若い右近(32歳)の玉手が「玉手御前の恋は偽なのか・それとも本物か」というところへ向かう、狂おしい恋に身を焼く玉手の役作りを凝らすことは、「モドリ」の役どころとして当然です。歌舞伎の玉手はベテラン役者が演じることが多いですが、作中の玉手は「十九(つづ)や二十の年輩(としばい)」と云うことですから、右近の玉手には素材としての肉体が発するリアリティがあります。今現在の右近にしか出せぬ「危うさ」・何とも云えぬ危険な美しさがあって、浅香姫や林平相手に立ち回りするのさえ美しく見えます。そこはもちろん大いなる魅力に違いありませんが、まだ「初役として一生懸命勤めました」と云う域である。今後右近の玉手が当たり役になる可能性は大いにありますが、芸の成熟過程で玉手の性根をどの辺に置いて・これから役を突き詰めて行けるかが大事なことになるでしょう。

まずは玉手と父・合邦との関係性をしっかり読み直すことだと思いますねえ。玉手は父に殺されるために・この庵室へ来る、つまり「父に罰せられるため」庵室へ来るのです。だから玉手のなかで自分の罪がはっきり意識されねばなりません。右近の玉手はこの点への理解がまだ甘いようです。つまり薄暗さのカラーの表出がまだまだだと云うことです。「モドリ」となって玉手の真実が明らかになり・父がこれを認めることで玉手は救われます。しかし、どんな場合であっても、何かしら割りきれない・満たされない思いが残ることになるのです。「然り。しかし、これで良かったのだろうか?」と云う古典悲劇の感触に落とし込むことこそ歌舞伎役者の役割です。

(追記)同じ月(令和6年9月)に歌舞伎座で上演された菊之助の玉手御前による「合邦庵室」の舞台については、こちらをご覧ください。

(R6・9・27)


 

 


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