初代隼人・初役の河内屋与兵衛
令和6年3月京都南座:「女殺油地獄」
初代中村隼人(河内屋与兵衛)、初代中村壱太郎(豊島屋女房お吉)、二代目尾上右近(豊島屋七左衛門)、四代目片岡松之助(叔父山本森右衛門)、六代目嵐橘三郎(父河内屋徳兵衛)、六代目上村吉弥(母おさわ)他
1)上方歌舞伎の味わい
本稿は、令和6年3月京都南座・三月花形歌舞伎での、隼人の与兵衛・壱太郎のお吉による「女殺油地獄」の観劇随想です。本年(令和6年・2024)は、享保9年(1724)に亡くなった近松門左衛門の没後300年に当たります。これをきっかけに歌舞伎でも近松作品を数多く取り上げて欲しいと思います。戦後の一時期は「日本のシェークスピア」と云われてもてはやされたこともありましたが、近年近松はあまり顧みられなくなりました。コンスタントに上演がされるのは、「廓文章」・「吃又」と「俊寛」・それに「油地獄」くらいのものでしょうかね。「河庄」・「封印切」も西の成駒屋の演目として切れ目なく上演はされていますが、上方歌舞伎の現状では将来が心もとない。だから、上方弁・或いは上方味と云うことではハンデが少なからずあるとしても、東京から役者を呼んででも、何としても上方歌舞伎の存続を図って貰わねばならないと思います。今回(令和6年3月京都南座)の花形歌舞伎では、鴈治郎が右近に紙屋治兵衛(河庄)を、仁左衛門が隼人に河内屋与兵衛(油地獄)を指導すると云うことで、まずはここから上方歌舞伎の存続・さらに復興へ向けて足掛かりを作ってもらいたい。いずれは廃絶の危機に瀕する多くの上方歌舞伎作品の復活に取り組んで欲しいと思います。
幸い吉之助は関西の生まれなので・上方歌舞伎のニュアンスはそれなりに感じ取れるつもりですが、例えば「河庄」での隼人の孫右衛門と右近の治兵衛の兄弟のやり取り、右近も隼人も東京の役者であるから当然上方弁は心もとないし・動きも何だかぎこちない、上方のニュアンスはもちろん十分に表現出来てはいない、それは確かであるけれども、京都南座のお客さんは、東京歌舞伎座のお客さんとは違った反応を見せる。そこがとても興味深く思いました。どこがどうだと言い難いですが、笑いのタイミング・あるいは笑い方のニュアンスが微妙なところで明らかに違う。やはり関西やなあ思いますね。歌舞伎座ならば同じ演技でもシラーッとした空気が漂うのではないかと思うようなところでも、南座のお客さんは好意的に反応して、役者の背中を押してくれていると感じました。演者が東京の役者であっても、お客の方が演技のツボを心得て・それなりに先読みしてくれているようです。そんなお客さんの反応に乗せられて、右近も隼人もだいぶ力を貰ったのではないかと思います。
だから上方歌舞伎の修業をするならホントは関西でやらなきゃダメなのだろうねえ。今回の上演をビデオか何かの形で残しておいて、右近も隼人も、何度も繰り返し見直して欲しいと思います。その時に南座のお客さんから反応があった箇所をよく確認してみることです。そこが上方歌舞伎の演技のツボでっせとお客さんが教えてくれている個所なのです。お客さんに教わることも多々あるものなのです。そこから二代目鴈治郎などの古い映像で当該箇所をじっくり研究すれば宜しいでしょう。
そこで「女殺油地獄」(桜プロ)の隼人の河内屋与兵衛ですが、実は吉之助はちょっぴり不安でおりました。と云うのは、本年1月浅草公会堂での切られ与三郎がガチガチに様式を意識した硬い演技であったのと、当日昼に見た「河庄」(松プロ)の孫右衛門もほぼ似たような印象であったからです。それで夜の「油地獄」の与兵衛はどんなものになるであろうかと、まあ正直申し上げると「覚悟して」舞台を見たのですが、何とこれが素敵に出来た与兵衛でありました。もちろん上方弁とか上方味とか・そんなところには課題があるにしても、まずドラマとして与兵衛という役をしっかり押さえたものになっていました。これはやはり仁左衛門の指導の賜物に違いありませんね。(この稿つづく)
(R6・3・14)
2)「女殺油地獄」は「情」であるか
恐らく南座3月花形歌舞伎の主導的位置にあるかと思われる壱太郎が、右近・隼人と三人の総意だと思いますが、当月筋書の演者のコメントとして・こう語っています。
『(今回プロの三演目はそれぞれ)「河庄」は愛、「女殺油地獄」は情、「忍夜恋曲者(将門)」は艶(あで)と、テーマを掲げています。』(中村壱太郎)
なるほどねえ、今の若い役者にはこれらの作品がそう云う風に見えているのだねえと云うことで、吉之助にはそれをとても興味深く思いました。これらを「間違っている」などと云うつもりは吉之助には毛頭ございません。ただし吉之助に見えるものとは、だいぶ異なっているようではありますね。世代の違いとか・そう云う感性(受け止め方)の違いもあるでしょう。他の演目についてはそれぞれの観劇随想で取り上げることにして、本稿では「女殺油地獄」のドラマを一言で括れば「情」と云うことになるのか?と云うことを考えます。
別稿「与兵衛の悲劇」において、「女殺油地獄」のドラマを詳しく論じました。そこで論じた大事なポイントは、「近松の世話悲劇が描くものは「状況」であって・「行為」ではない」ということでした。与兵衛がそのような選択をしてしまう状況に置かれていることがそもそも悲劇なのです。これまでの与兵衛はビタ一文盗むこともせず、借金の期限が遅れても何とか苦労してこれを返して来ました。同じ状況下でも、これまで何の悪事もせず過ごして来たのです。これからもそうであるはずでした。その時と状況は大して変わらぬようなのに、たまたま(と言ったら語弊があるかも知れないが)フト魔が差す瞬間が訪れてしまいました。与兵衛が置かれた状況が突然牙を剥いた瞬間に、たまたまお吉がその場に居合わせたのです。これが与兵衛の「悲劇」です。
そのような「悲劇」のなかに「情」が関与するところがあるのでしょうか?例えば同業者のよしみ・或いは近隣・幼馴染みのよしみでお吉が与兵衛に掛けた「情け」(親切)に、金に切迫している与兵衛が「溺れる者は藁をもつかむ」思いで縋り付いた、こうして思わぬところで強盗殺人事件に発展する、そう云うことでありましょうかね。或いは放蕩三昧の息子に怒りながらも・実は見えないところで息子のことを心底心配して見守っている母おわさ・義父徳兵衛の「情け」、親の思いに応えようと焦りまくった与兵衛が、周囲のことが見えなくなって・ただ借金の返済のことばかりに頭が行ってしまい、それが思わぬところで強盗殺人事件に発展する、そう云うことでありましょうかね。いわば与兵衛に掛けた「情け」が、トンでもない形で跳ね返って来たわけだ、「女殺油地獄」というのはそういうドラマなのでしょうか。
「情けは人のためならず」という諺がありますが、これは情けは他人のためにするものではなく、いつかは巡り巡って自分に返って来るものだ、だから他人のために「やってやる」ではなくて、自分のためでもあると思って他人にも親切にしなさいという意味です。しかし、いつ頃からか、「情けは人の為ならず」は、「情けをかけることは、結局はその人のためにならない、だから親切はしてはいけない」と解釈する人が巷間次第に多くなっているそうです。そう云う方々は「女殺油地獄」を見れば、「やはり過度な情けは人を駄目にするから、してはいけない」との思いを新たにするのかも知れませんねえ。今回の舞台では上演されませんが、下の巻・豊島屋お吉の三十五日法要・「逮夜」の場で捕縛された与兵衛が自分の身を嘆いてこう言います。
『一生不孝放埓の我なれども、一紙半銭盗みといふことつひにせず、茶屋、傾城屋の払は、一年、半年遅なはるも苦にならず、新銀一貫目の手形借り、一夜過ぎれば親の難儀、不孝の咎(とが)勿体なしと思ふばかりに眼(まなこ)つき、人を殺せば人の嘆き、人の難儀といふことに、ふつと眼つかざりし。』
後になって与兵衛に状況を説明させれば、そう云うことになります。それを今さら説明されても観客にはどうしようもなく、もう与兵衛を許すことは叶いません。しかし、「アア人間とは何と愚かしいものか、人は誰でもフトしたことからこのような過ちに陥らぬとは限らぬものだ、人間とは何と哀しいものか」と与兵衛のために泣いてやることは出来るかも知れませんね。「あはれ」を感じ取ることが近松の世話物浄瑠璃を聞く時の正しい態度だと思うのですね。
ですから吉之助は、芝居の本質を一言で括ることは難しいが・敢えてそれをするならば、「女殺油地獄」は「あはれ」としたいと思いますね。「女殺油地獄」は哀しい芝居だと思います。(この稿つづく)
(R6・3・16)
3)上方和事としての与兵衛
別稿「与兵衛の悲劇」で広末保先生の論考を引用しました。「女殺油地獄」では与兵衛を取り巻く人たちの「情」のドラマが細やかに描写されますが、「それらは或る種雰囲気みたいなものとして納得されるだけで、悲劇への必然的な段取りになっていない」、だから本作は悲劇として完全ではないと広末保先生は仰るのです。しかし、吉之助の見立てでは、「主体的な意思決定の場が失われている」ことこそ本作が近世悲劇であるための核心なのです。本作が悲劇であると見極めようとするならば、視点を与兵衛の哀しい「状況」へと向けなければなりません。そのことを示唆する台詞は何かと云えば、それは
真っ暗になった豊島屋店先でお吉に向けて短刀を構えた瞬間の与兵衛の、『オオ死にともないはず、もっとももっとも。こなたの娘がかはいいほど、おれもおれをかはいがる親仁がいとしい。銀払うて男立てねばならぬ。諦めて死んでくだされ。心でお念仏。南無阿弥陀。南無阿弥陀仏。』
という台詞以外にありません。
巷間云われるように上方和事を「優美で鷹揚な若旦那が落ちぶれて・女性的な柔らかい仕草や台詞回しを見せる芸である」と表面的に理解するのでは、「油地獄」の与兵衛を上方和事のキャラクターの範疇に入れることがとても難しくなります。
与兵衛は殺人犯ですから演者が共感出来ないのは当然であるし、与兵衛の性格はどこか偏執狂的にカーッと来る熱い側面があります。これは「河庄」の紙屋治兵衛とは感触がかなり異なります。江戸期の歌舞伎で「油地獄」が上演されなかったのには色々理由があるでしょうが、そこが大きなネックになったことは疑いないと思います。しかし、平成・令和の現代の我々にとっては、与兵衛を上方和事のキャラクターとすることは案外スンナリ受け入れられるだろうと思いますね。これはもちろん十五代目仁左衛門の与兵衛が、現代の「油地獄」の規範になっているからです。(別稿「和事芸の多面性」をご参照ください。) 十五代目仁左衛門の与兵衛があるから、その後の、例えば愛之助や幸四郎の与兵衛もあるし、今回(令和6年3月京都南座)の隼人の与兵衛もある、このことをつくづく思いますねえ。それぞれの芸質(いわゆる仁)に於いて感触は微妙に異なりますが、どれも与兵衛のカーッと熱くなるシリアスな性格をしっかり捉えています。そこから逆に上方和事の本質を考えることが出来ると思うのです。別稿「ガイド:和事」で触れた通り、上方和事の本質とは、「私が今していることは、本当に私がしたいことではない。本当の私は別にあって、今の私は本当の私ではない」と云う気分です。 この気分を当て嵌めながら・先ほど引用した与兵衛の台詞を読むと、お吉に向けて短刀を構えた瞬間の与兵衛の心理が渦巻く有り様が苦しいほどに見えて来ます。「おれもおれをかはいがる親仁がいとしい」という与兵衛の言葉に偽りはありません。これは美しい感情です。しかし、その美しい感情は「銀払うて男立てねばならぬ」という論理に打ち消されて、今度は「諦めて死んでくだされ」というおぞましい醜い感情へと大きく振れます。この醜い感情は「南無阿弥陀仏」の念仏で打ち消されようとします(つまり与兵衛はお吉を殺すことを思いとどまろうとしていたのです)が、しかし、完全に否定されることはなかったのです。完全に否定されていれば、与兵衛は短刀を鞘に収めたはずです。この台詞はそのような与兵衛の哀しい「状況」(有り様)を示しています。この気分の「揺らぎ」こそ上方和事の本質です。(この稿つづく)(R6・3・19)
4)隼人初役の与兵衛
現代演劇の分野でも「女殺油地獄」は興味深い舞台に出来ます。しかし、その場合の与兵衛は、解釈の切り口が現代的で鮮やかであるほどリアル感が増して、自己中心的な人物になるか・或いは主体性を持たない滑稽な人物に描かれるか、いずれにしても同情の余地がない人物になってしまいそうです。恐らく歌舞伎の場合のみ、どうしようもない悲惨な悪事を犯した人物なのだけれども、それでもどこか同情してしまうと云うか、「可哀そうな奴だなあ」と憐れみを以て眺めることが出来る与兵衛になるのです。
歌舞伎の与兵衛がどうしてそのような感触になるかと云うと、それは写実と様式の微妙なバランスに拠って起こるのです。「私が今見ているのは(凄惨な殺人現場を見ているのではなく)リアルに迫った・そう云う見事な芸を見ているのだ」という申し訳に於いて(別の言い方をすれば多少の「余裕」を以て)観客はこの恐ろしい場面に耐えることが出来ます。現代演劇ならば「この現実を直視せよ」というメッセージを観客に向けて放つことになる、現代演劇とはそう云う立場なのです。これに比べると歌舞伎の場合は「ズルい」と云いますかねえ、観客をトコトン追い詰めることはしない、そこのところを上手に逃げるのです。
前章で上方和事の本質とは「私が今していることは、本当に私がしたいことではない。本当の私は別にあって、今の私は本当の私ではない」と云う気分であると申し上げました。これと反転した関係に於いて、同様なことが観客の心のなかにも起こっているのだろうと思います。「私が今見ているのは(殺人現場を見ているのではなく)リアルに迫った・そう云う見事な芸を見ている」と申し訳するとは、そう云うことなのです。こうして上方和事はリアルとエンタテイメントとの微妙な境目を行きます。そんな際どい与兵衛を描くことが出来るのは、歌舞伎だけでしょうね。そのような上方和事の見事な与兵衛役者が十五代目仁左衛門なのです。(別稿「和事芸の多面性」をご参照ください。)
今回(令和6年3月京都南座)の舞台を見る前の吉之助は、隼人の与兵衛は「上方和事の様式感の表出に難儀するかな」と云う予想でありました。確かに上方弁や和事の柔らかみ・滑稽味というところではまだまだ課題が多い。そこは東京の役者であるし、初役であれば仕方がないことです。しかし、隼人の与兵衛は、役が持つ偏執狂的にカーッと来る熱い側面をよく捉えており、これを取っ掛かりに与兵衛の人物を太いタッチで描けていました。だからナヨッとした甘ったるさは少ないけれど・シリアス感覚がやや強まったところで、上方和事の様式の「揺れ」がそれなりに出ていたと思います。これはもちろん仁左衛門の指導の賜物であるが、隼人と役との相性が良かったということでもありますね。他の上方和事の役ならば・こうは行かなかったかも知れませんが、隼人がこれだけ与兵衛を見事に演じ切ったことは、今後の歌舞伎界にとって朗報であると思います。特に豊島屋での殺し場・花道の引っ込みの場面のシリアスさはなかなかのものでした。
前章で「女殺油地獄」に於いては「情」の要素は或る種雰囲気みたいなものとして納得されるだけと書きましたが、もちろん背景としての「情」がしっかり描かれなければドラマの「あはれ」は際立って来ないのです。周囲を上方勢で固めて隼人をサポートしてくれたおかげで、どれだけ隼人の与兵衛の「あはれ」が引き立ったことか。壱太郎のお吉は、「情」もあり・哀れさもある、申し分のない好演でありました。
(R6・3・22)