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与兵衛の悲劇〜六代目愛之助の与兵衛

令和4年12月京都南座:「女殺油地獄」

六代目片岡愛之助(河内屋与兵衛)、初代片岡孝太郎(豊島屋女房お吉)、六代目嵐橘三郎(父河内屋徳兵衛)、四代目中村梅花(母おさわ)、二代目中村亀鶴(与兵衛兄太兵衛)、初代片岡千之助(妹おかち)、初代中村壱太郎(芸者小菊)、四代目片岡松之助(与兵衛伯父山本森右衛門)、初代片岡進之介(豊島屋七左衛門)他


「芸術にかんして、芸術家はつねに精神分析家の先を行くのであり、精神分析家はそれゆえ、芸術家が彼に道を開いてくれるところで心理学者ぶる必要はない。(中略)文字の実践は、無意識の使用と同じ場所に行き着く。』(ジャック・ラカン:「オマージュ」・1965年)


1)「女殺油地獄」は悲劇なのか

本稿で取り上げるのは、令和4年(2022)12月京都南座での、愛之助の与兵衛・孝太郎のお吉のコンビによる「女殺油地獄」の舞台映像ですが、舞台について記する前に、例によって作品の周辺を逍遥したいと思います。近松研究の権威・広末保先生の著書「近松序説〜近世悲劇の研究」(1957年・未来社)を取っ掛かりにして「女殺油地獄」のことを考えます。考えなければならないことは、「女殺油地獄」は悲劇か・そうでないのか、悲劇であるとすればそれはどういう悲劇かと云うことです。まずは広末先生の文章をお読みください。

『一口に言って、「女殺油地獄」は、行為を失ったところ、行為がすでに押しつぶされたところで、はじめて、なりたっていたのである。(中略)「曽根崎心中」にしても「心中天網島」にしても、近松は上之巻で最初の基本的な矛盾関係を設定していた。そして、その矛盾が中の巻で激化し、決定的な段階に達してゆくように構成されていた。だが「女殺油地獄」の上の巻では、そのような状況設定をみることができない。そこで作られた事件は、テーマの本質に結びつき発展してゆくようなものではない。』(広末保:「増補近松序説」〜「女殺油地獄」の位置)

この箇所には吉之助には物申したい点がありますが・それは後のことにして、もう少し広末先生の言い分を聞くことにします。続きをお読みください。

『お吉の方からすれば、(与兵衛に)殺さるべきどんな筋合いもないのである。(中略)お吉殺しという事件は、全く偶然な出来事のように起こる。近松は、その出来事のために、必然的な葛藤を用意することが出来ない。その替わりに、そういう惨劇が起こりうるかも知れないような雰囲気をお吉と与兵衛の間につくっている。そのために、近松はお吉の性格を上・中・下の各々の巻を通して、巧みに描き出してゆく。(中略)言うまでもなく、このようなお吉の雰囲気は、何も彼女が殺害されねばならない直接の原因にはならない。』

『中の巻(河内屋内)の場面は、構成上からいうと全く任意の場面であった。近松はただ、家族の暗い葛藤を、どこかで書かねばならなかった。書くことで、一層具体的に封建的な家の矛盾を表現する必要があったに過ぎない。だが、芝居として最も重要なお吉殺しの場面が、心理的な方法に主としてよらねばならなかったことは、この作品の本質的な性格を物語っている。行為による葛藤の必然的な展開を追求しえず、任意の断面を心理的な方法でつないでゆくという方法は、悲劇の方法ではない。この作品には悲劇的な感動はないのである。

『「心中天網島」で、近松の世話悲劇は到達点に達していた。だがこのような世話悲劇は、行為と葛藤の展開を発見すること自体もともと困難であった。その行為の発見を放棄し、葛藤の単一な連関を放棄することによって、逆に、どうしようもない現実の悪矛盾をそれとして凝視し、その結果の散文化を、お吉のイメージや、お吉殺しの興奮を舞台化することによって克服しようとする。(中略)しかし、それ以上には伸びてゆくことはできない。もともと、近世悲劇は世話悲劇としてしかありえなかった。問題は、世話悲劇成立の、最初の出発点に帰ることになる。「女殺油地獄」は、世話悲劇がその必然によって生み出した作品だったと言うことが出来る。』

最初に書いておかねばなりませんが、吉之助ははるか昔、広末保先生の著書「心中天網島」(岩波書店の「古典を読む」シリーズ・1983年)で、「心中天網島」の上・中・下の三部形式の形式美を学びました。だから広末先生の言いたいことはよく分かっているつもりです。しかし、広末先生は、「心中天網島」を世話悲劇の最高傑作(到達点)と崇めるあまり、「女殺油地獄」を悲劇としてなかなか受け入れられない。世話物悲劇の形式美が崩壊していくその果てに「女殺油地獄」を見ているようです。「出来損ないの世話悲劇」とでも言いましょうか、広末先生はそうは書いていませんが、そう言いたそうにも読めます。しかし、ホントにそうでありましょうか。

広末先生は、近松の観察と写実の克明さを認めつつも、「それが或る種雰囲気みたいなものとして納得されるだけで、悲劇への必然的な段取りになっていない」と不満を述べています。広末先生が「行為が失われている」・「葛藤が展開しない」と書いているのは、そういう意味です。このように広末先生が考える根拠は、世話物浄瑠璃の上・中・下の三部形式にあります。すなわち、上の巻でまず基本的な矛盾関係を提示し主人公の葛藤を描く(序)、中の巻ではその矛盾が露わとなって激化する(破)、下の巻で主人公はどうしようもなく破滅へと追い込まれる(急)、この流れで世話悲劇が完成すると云うことです。つまり作品のなかに「何が何してこうなった」という論理の流れ(序破急)があって、葛藤を経ながら「行為」というものが完成していく、それが悲劇だと云うことでしょうか。

確かにそういう読み方もあるのです。事実「心中天網島」はそのような読み方で以て世話物浄瑠璃の完璧な形式美を納得させてくれます。吉之助が広末先生から教わったことがそれです。このことに関しては広末先生に大変感謝しています。しかし、この見方を世話悲劇全般の定義としてしまうと、例えば「槍の権三重帷子」や「女殺油地獄」が捕捉出来なくなってしまうのです。結局これらの作品を「出来損ないの世話悲劇」の位置付けに置かねばならぬことになります。そう云えば或る対談で、広末先生は「近松も「女殺油地獄」辺りになってくるとね、僕はあのあと近松が生きているとどうなっているかと思うことがあるけどね・・」と仰ってましたね。(郡司正勝との対談「近松と南北の意味するもの」・「国文学」・1971年9月号)まあお気持ちは分からぬでもないですが。

ですから「心中天網島」を至上のものとすることは・それはそれでもちろん結構なのですが、世話物浄瑠璃の上・中・下の三部形式については、「槍の権三重帷子」や「女殺油地獄」をも包括できる読み方へと発展させていく必要があると考えます。吉之助の世話悲劇についての考え方は、別稿近松世話物論〜歌舞伎におけるヴェリズモ」をご覧ください。(この稿つづく)

(R5・12・20)


2)拘束された人間のドラマ

近松の世話浄瑠璃は上・中・下の巻で構成される三部形式です。この形式は「曽根崎心中」(元禄16年:1703:竹本座)で近松が創始したものでした。以後近松の世話物24作品の場割りはそれぞれ微妙に変わりますが、すべてこの三部形式が基本です。この基本形式は「時代物浄瑠璃の三段目を独立させたもの」と云われています。形式の外面的なところはその通りであると思いますが、これだけでは何故近松が時代物の三段目を世話物の形式として独立させねばならなかったか・その必然の説明にはなりません。別稿近松世話物論〜歌舞伎におけるヴェリズモはこの疑問に挑戦した論考です。

吉之助の論考の要点は、近松の三部形式の世話物浄瑠璃は上・中・下の巻を一括りにして「一幕劇」として理解されるべきであること、対比されるべきは19世紀末ごろに欧米に登場した一幕物のヴェリズモ・オペラ(現実主義的オペラ)、或いはストリンドべリに代表される一幕物の芝居であると云うことです。ドイツの演劇評論家ペーター・ツォンディは「現代演劇論」において、一幕物とは「拘束された人間のドラマ」であると規定しました。一幕物の主人公においては演劇的状況は最初からそこに在り・主体的な意思決定の場は奪われているのです。広末先生が「女殺油地獄」で「行為が失われている」・「葛藤が展開しない」と度々指摘する不満が、現代演劇の一幕物ではそのまま当てはまります。つまり近松の世話物浄瑠璃は、その内的ドラマツルギーにおいて欧米現代演劇の潮流に約200年先駆けたと云うことなのです。

このような近松の世話物浄瑠璃の定義であれば、もちろん「曽根崎心中」にも「心中天網島」にも適用できて、さらに「槍の権三重帷子」や「女殺油地獄」をも包括できる読み方に出来ます。もちろんそうなれば、「心中天網島」もこれまでとは違った様相で見えて来るはずです。作品のなかに「何が何してこうなった」という論理の流れ(序破急)があって・葛藤を経て「行為」が完成していくという古典的佇まいには映らなくなって来ます。しかし、それを論じていると本稿で横道に逸れますから、「心中天網島」の方は近い内に別の機会に取り上げることにします。本稿ではこのまま「女殺油地獄」の与兵衛の悲劇を論じて行きます。

悲劇というものがそれ(行為の帰結・お吉の殺害)を見て「ああ何て悲しいことだ・何と悔しいことだ」と観客が涙するドラマであるとすれば、「女殺油地獄」の悲劇は殺されたお吉の方に在ることになると思います。殺人を犯した与兵衛には同情の余地さえなく、与兵衛など悲劇の主人公になり得ない。そういう考え方もあり得ることです。しかし、広末先生も指摘しているように、「女殺油地獄」では、お吉には殺さなければならない何の理由もありません。殺しはまったく偶然の出来事のように起きます。お吉の状況が提示され(上)・その矛盾が激化し(中)・そして破滅が起きる(下)ことにはなりません。すると本作は悲劇の形式に嵌まらないということになるわけです。広末先生が仰ることはそう云うことです。

しかし、一幕物とは「拘束された人間のドラマ」である、一幕物の主人公においては悲劇は最初からそこに在り・主体的な意思決定の場は奪われていると考えるならば、「女殺油地獄」のまったく違った様相が見えてきます。悲劇は与兵衛の方に在ることになるのです。与兵衛が置かれた悲劇的状況がはっきりと分かるのは、真っ暗になった豊島屋店先でお吉に向けて短刀を構えた瞬間の与兵衛の・この台詞です。

『オオ死にともないはず、もっとももっとも。こなたの娘がかはいいほど、おれもおれをかはいがる親仁がいとしい。銀払うて男立てねばならぬ。諦めて死んでくだされ。心でお念仏。南無阿弥陀。南無阿弥陀仏。』

まったくどうしようもなく自分勝手な台詞です。「おれもおれをかはいがる親仁がいとしい」という与兵衛の言葉に偽りはないでしょう。これは美しい感情ですが、ならばどうしてこう云うこと(お吉を殺すこと)になるのか、論理としてまったく破綻した台詞なのです。しかし、芝居を見れば分かることですが、与兵衛は自堕落なところはあるが・気のいい男なのです。こんなことさえしなければ、モテるし面白い男だったのです。こんなことさえしなければ。観客はそこに与兵衛の悲劇を見ることになります。ですから、この台詞を聞いた時、「アア人間とは何と愚かしいものか、人は誰でもフトしたことからこのような過ちに陥らぬとは限らぬものだ、人間とは何と哀しいものか、生とは何とあはれなものか」と思わず身震いしてしまうならば、観客は「もののあはれ」を感じたことになるでしょう。

別稿「アアを感じる心」のなかで「妹背山婦女庭訓」のお三輪の「もののははれ」を論じました。「あはれ」と言うのはあらゆる事物のなかにあって「アア」を作り出すものです。「アア」を感じ取ることが「人として」大切なことです。それは肯定でも否定でもありません。例えそれが「悪しき」ことであっても、心が大きく突き動かされるから、思わず「アア」と声が出るのです。本居宣長が「源氏物語」について語るところが、そのまま「女殺油地獄」にも適用出来ます。現代語訳で引きますが、

『それ(この物語)は、作者自らの際立って深く物のあわれを知る心で、世の中のありとあらゆる事のありさま、「よき人あしき人」の心・行為を見るにつけ、聞くにつけ、触れるにつけて、その心をよく見知って感じることが多く、それが心の内に鬱積して胸にしまい込んで置けなくなった多くのことを、作中人物の身の上に託して詳細に書き表し、自分が「よし」とも「あし」とも思う事・言いたい事をも、その人に思わせ、言わせて、鬱積した心を漏らしたものである。(中略)だからこの物語を読めば、こういう物を見聞きした時はこのように思われるもの、こういう事に当たった時の心はこういうもの、「よき人」の行為・心はこのようなもの、「わろき人」はこのようなものというように、すべて世の中のありさま、人の心の奥の隅々までが非常によく分かる。』(本居宣長:「源氏物語玉の小櫛二の巻)

本居宣長:「源氏物語玉の小櫛」(現代語訳・本居宣長全集四、山口志義夫訳)

浄瑠璃とは語り物芸能ですが、音曲でもあります。言霊(語られた言葉が作り出す響き)で以て人の心を根底から揺さぶり「もののあはれ」を感じさせ「アア」と言わせしむるものこそ浄瑠璃です。宣長が言う通り、上掲与兵衛が「オオ死にともないはず、もっとももっとも。こなたの娘がかはいいほど、おれもおれをかはいがる親仁がいとしい」と言うのを聞いて思わず「アア」と声が出ることこそ、もののあはれを感じ取る為の浄瑠璃の聞き方です。この読み方が出来れば、「女殺油地獄」が「拘束された人間のドラマ」であることは一目瞭然なのです。(この稿つづく)

(R5・12・20)


3)魔が差した瞬間

与兵衛の悲劇的状況を示すのは、「オオ死にともないはず、もっとももっとも。こなたの娘がかはいいほど、おれもおれをかはいがる親仁がいとしい」という台詞です。ここには、美しいものと醜いものと、矛盾した感情が入り混じり、これを聞いた観客を思わず嘆息させます。与兵衛がここで思いとどまっていれば、借金に首が回らなくなくなって難儀なことにはなるけれど、少なくとも人殺しの大罪を侵さずに済んだのです。ところが与兵衛は漆黒の闇のなかへコロッと落ちてしまいました。こんなことさえなければ、気のいい男でした。大事なことは、誰でもウッカリすれば・人殺しまではしないまでも・同じような愚かなことをしてしまうかも知れない、それは誰にでも起こり得ると云うことです。闇に堕ちてしまうか・ここで踏みとどまるかはホントにちょっとした差異でしかない、このことに気が付くことです。この時思わずブルッと背筋に冷たいものが走らないでしょうか。これが「もののあはれ」を感じた瞬間です。現行歌舞伎では上演されませんが、下の巻・豊島屋お吉の三十五日法要・「逮夜」の場で捕縛された与兵衛が自分の身を嘆いてこう言います。

『一生不孝放埓の我なれども、一紙半銭盗みといふことつひにせず、茶屋、傾城屋の払は、一年、半年遅なはるも苦にならず、新銀一貫目の手形借り、一夜過ぎれば親の難儀、不孝の咎(とが)勿体なしと思ふばかりに眼(まなこ)つき、人を殺せば人の嘆き、人の難儀といふことに、ふつと眼つかざりし。』

後になって与兵衛に状況を説明させれば、そう云うことになります。それを今さら説明されても観客はもう与兵衛を許すことは叶いませんが、しかし、「アア人間とは何と愚かしいものか、人は誰でもフトしたことからこのような過ちに陥らぬとは限らぬものだ、人間とは何と哀しいものか」と与兵衛のために泣いてやることは出来るかも知れませんね。あはれを感じ取ることが近松の世話物浄瑠璃を聞く時の正しい態度だと思うのです。「オオ死にともないはず、もっとももっとも。こなたの娘がかはいいほど、おれもおれをかはいがる親仁がいとしい」という与兵衛の台詞で近松が描いたものは、どこにでも居る平凡な市井人がフッと魔が差して・漆黒の闇のなかへ落ちてしまう・その寸前、これこそ近松の世話悲劇の本質です。

つまり、近松の世話悲劇が描くものは「状況」であって・「行為」ではないのです。与兵衛がそのような選択をしてしまう状況に置かれていることがそもそも悲劇なのですが、これまでの与兵衛はビタ一文盗むこともせず、借金の期限が遅れても何とか苦労してこれを返して来ました。同じ状況下でも、これまでは何の悪事もせず過ごして来たのです。これからもそうであるはずでした。その時と状況は大して変わらぬようなのに、たまたま(と言ったら語弊があるかも知れないが)フト魔が差す瞬間が訪れてしまいました。与兵衛が置かれた状況が突然牙を剥いた瞬間に、たまたまお吉がその場に居合わせたのです。

元禄のこの時代に近松がよくこんな芝居を書けたものだと驚かされます。普通の(敢えて「凡庸な」と云いますが)芝居ならば「何が何してこうなった」という因果関係のなかで筋の展開をしていくものです。普通ならば与兵衛はいかにも殺しをしそうな不良(ワル)に描かれるものです。ところが「女殺油地獄」は全然そのような構造になっていません。状況が突然牙を剥いて、そこに内包された悲劇の本質を明らかにするのです。まるで現代の心理サスペンスのドラマを見るような冷徹さ・リアルさです。これが近松が「もののあはれ」を以て人間観察を続けて到達した境地なのですねえ。(この稿つづく)

(R5・12・26)


4)伯父森右衛門の役割

広末先生に拠れば、世話悲劇の三段形式では、上の巻でまず基本的な矛盾関係を提示し主人公の葛藤を描く(序)、中の巻ではその矛盾が露わとなって激化する(破)、下の巻で主人公はどうしようもなく破滅へと追い込まれる(急)、この流れで悲劇が完成すると云うことです。そういう構造に「女殺油地獄」はなっていないということは、広末先生が指摘する通りです。

「油地獄」上の巻(徳庵堤の場)では、そう云う惨劇が起こりうるかも知れない「雰囲気」をお吉と与兵衛の間に作っています。しかし、このようなお吉の雰囲気は、彼女が殺害されねばならない直接の原因になりません。この場で起きる目立った事件は、馴染みの芸者小菊をめぐる喧嘩で与兵衛が投げた泥が野崎参りの武士にかかって、その供をしていた伯父山本森右衛門の立場を窮地に追い込んだことです。しかし、この事件もお吉殺しに直接的な関連はしません。中の巻(河内屋の場)では、与兵衛の複雑な家庭環境が描かれます。そこに与兵衛という人物の雰囲気(人間としての弱さ・危うさ)が描写されますが、これとてもお吉殺しに直接関連するものではありません。

上の巻だけで与兵衛の身にこれから起きることを予測するならば、伯父森右衛門から何らかの懲らしめを受けると云うことでしょうかねえ。中の巻だけでこれを予想するならば、与兵衛は銭で首が回らなくって・また実家へ泣きつくと云うことでしょうか。まあいずれにせよ大事(おおごと)ではなく、悲劇にはならなそうですね。このように上・中の巻では「状況」(=広末先生が「雰囲気」と呼んでいるもの)はユラユラして明確な筋の行方を指し示すことがありません。それはどうにでも成り得るのです。ところが下の巻(豊島屋の場)に至って「状況」は突然豹変して牙を剝き出しにします。

ところで先ほど上の巻(徳庵堤)での伯父森右衛門に絡む事件は「お吉殺しに直接関連するものではない」と書きましたが、吉之助にはちょっと気になる点があるのです。現行での「油地獄」場割りではお吉を殺した与兵衛が豊島屋店先から逃げ出す場面で芝居が終わりますから、森右衛門という役がホンの脇役にしか見えません。しかし、原作を見ると、森右衛門はこの芝居のなかで大きな役割を果たす人物なのです。豊島屋での事件後、与兵衛の羽振りが急に良くなります。それで巷では、油屋の女房殺しはもしかしたら与兵衛の仕業ではないかと云う噂がヒソヒソ囁かれています。噂を耳にした森右衛門は不安に駆られて、事の次第を糺さんと与兵衛がうろつきそうな飲み屋街を捜します。(因みにこの時点では観客は与兵衛が犯人であることを承知の上でこれを見るのです。)豊島屋お吉の三十五日法要・逮夜の場では与兵衛が何食わぬ顔をしてやって来て・お悔みを言ったりします。そこへ森右衛門が現れて・お吉殺害の動かぬ証拠を突き付けて、与兵衛はその場で捕縛されます。つまり森右衛門は与兵衛の「引立役」(主人公に対して筋の展開の補助をする役)なのですが、森右衛門の役割はそれ以上の意味を持つかも知れません。

森右衛門は与兵衛の母おさわの兄に当たり、与兵衛の実父(河内屋先代徳兵衛)亡き後・いずれ与兵衛が河内屋を継げるようになるまで・その後見人の立場にある人物です。そのような人物ですから、日頃の与兵衛の素行を見て「何と困ったことだなあ」と苦虫を噛み潰した顔をしていたことと思われます。与兵衛とすれば、それが何とも煙ったい。しかし、伯父がそう感じるのも当然だと云うことも、与兵衛は分かってはいるのです。自分が河内屋の跡継ぎとしての資質がないことを与兵衛はよく分かっています。だから尚更遊びに逃げてしまうのです。

このことが察せられるのは、中の巻(河内屋)での与兵衛がつく嘘話からです。この場には森右衛門自身は登場しません。与兵衛は何と伯父森右衛門の名を騙って継父徳兵衛から金を巻き上げようとします。しかし、徳兵衛はその直前に森右衛門からの手紙で与兵衛の粗相のために浪人せざるを得なくなった次第を知っていたおかげで、嘘話は空振りに終わってしまいました。嘘話の件は、「油地獄」のなかでまったく機能せず・ただそれだけのエピソードで終わったかのようです。しかし、この件は実は与兵衛の心理の奥深いところを突いているのです。

まずここで考えなければならぬことは、何故この段に於いて与兵衛は伯父森右衛門をダシにして嘘話をつかねばならぬのか?と云うことです。金を巻き上げるだけならば「俺が世話になった大の親友が急に金に困ってしまって・・」と嘘話をしたって良いはずです。選りによって先日迷惑をかけたばかりの伯父をダシにする必要はない。伯父に今度会ったらこっぴどく懲らしめられかねないのに、さらに伯父に迷惑をかける嘘話をここでするものでしょうか。普通ならそんなことはせぬものです。それをしてしまうということは、深層心理的に見て、与兵衛にとっての伯父がどのような存在であるか察せられます。これはホントに驚くべきことだと思いますが、近松は与兵衛の心理の奥の奥まで読み込んで芝居を書いているんだなあと感服してしまいます。まるで近松は心理学者であるかのようです。

与兵衛にとって後見人である伯父森右衛門は、或る意味において、親よりももっと煙ったい存在です。伯父は、与兵衛にとって彼が努めなければならぬことを常に教えてくれる存在(というより「強制してくる」と云うべきでしょうか)、そして彼が至らぬことを常に教えてくれる存在(というより「叱りつけて来る」と云うべきでしょうか)です。親から金を巻き上げるための嘘話に伯父を絡めることで、与兵衛は無意識のうちに伯父に反発しているのかも知れませんねえ。「ああ物堅い伯父じゃ、嫌やの嫌やの」と感じているのです。しかしそれが自分のせいであることも与兵衛はよく分かっています。つまり伯父森右衛門とは与兵衛にとって「何らかの不安」である、与兵衛を取り巻く「状況」が彼に与える「何らかの不安」を象徴すると云うことです。この不安こそ「油地獄」のドラマに最初から最後まで一貫するものです。「油地獄」はそのような構造になっているのです。近松が逮夜の場で犯人を突き止める役割を森右衛門に与えたのはそれ故です。(この稿つづく)

(R5・12・27)


5)愛之助の与兵衛・孝太郎のお吉

「女殺油地獄」は享保6年7月大坂竹本座での初演で、客の入りは良かったようです。本作は江戸期に再演がなく(歌舞伎でも上演されることなく)そのまま忘れられていましたが、明治になって近代リアリズムの観点から俄かに脚光を浴びた作品でした。江戸期に再演がなかったのは、本作は所詮際物(三面記事的な事件を即席で劇化する)の扱いであったので、時が過ぎて話題性がなくなるともはや上演価値がないと云う判断がされたからでしょうが、冷静になってドラマを見直すと殺し場の凄惨さと救いようの無さに思いが至るということも、もしかしたらあったかも知れません。近松のリアリズムは当時の作劇の水準からすると、いささか先鋭的に過ぎたと云うことですね。広末先生が「あのまま近松が長生きしていたら、近松はどこまで行っちゃっただろうか」と心配になるのもむべなるかなです。

そこで今回(令和4年12月京都南座)の「女殺油地獄」のことですが、愛之助の与兵衛・孝太郎のお吉・共に等身大の人物に描けていて、とても良い出来です。リアリズムに根差した演技で、本作で近松が描いたものをそのまま、何も変えず・何も加えず、表現出来ていると思います。愛之助の与兵衛はどの場面も上手いですが、例えば上の巻(徳庵堤)でも・中の巻(河内屋)でも与兵衛のその場当たり的な生き方の薄っぺらさをよく表現出来ています。もちろんこれは良い意味で言うのですが、これら二つの場からすればその先にある惨事はとても予想が出来ません。それだけにお吉に向かって短刀を構えて言う、

「オオ死にともないはず、もっとももっとも。こなたの娘がかはいいほど、おれもおれをかはいがる親仁がいとしい」

という台詞にゾッと背筋が凍ります。「もののあはれ」が現出する瞬間です。これが与兵衛の悲劇なのです。この後の殺しはもはや段取りでしかありませんが、真に迫っておりましたね。孝太郎のお吉も十分に哀れな出来です。付け加えれば、このリアルな「油地獄」で観客が救われるためにはやはり最後の「逮夜」までしっかり上演されねばなりませんね。今更それを言っても詮無いことですが。

前章で伯父森右衛門とは与兵衛にとっての「何らかの不安」であると書きました。深層心理からすると、与兵衛は自らの破滅を予感しており、「何かの罰を受けたかった」ということも考えられます。ならばいっそのこともっと早くに・出来ればもっと小さいことで、何かの罰を受けてしまえば良かったのです。そうすれば与兵衛は人殺しの大罪までは犯さずに済んだかも知れません。しかし、こう云うことになってしまったのも、何かの定めなのでしょうねえ。そんなことを思いながら「アア何と愚かしいことだ、アアあはれなことだ」と大きく溜息を付く、これが語り物芸に起源を発する世話物悲劇の正しい味わい方だと思いますね。

(R5・12・28)


 

 


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