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「歌舞伎素人講釈」観劇断想・6  (令和3年〜    )

*観劇随想のうち単発の記事にならない分量の断片をまとめたものです。
記事は上演年代順に並んでいます。


〇令和3年1月歌舞伎座:「菅原伝授手習鑑〜車引」

高麗屋三代共演の「車引」

二代目松本白鸚(松王丸)、十代目松本幸四郎(梅王丸)、八代目市川染五郎(桜丸)、初代坂東弥十郎(藤原時平)


令和3年1月歌舞伎座の「車引」は、三つ子の兄弟を高麗屋三代、白鸚(松王)・幸四郎(梅王)・染五郎(桜丸)が演じるというところが話題です。当然のことかも知れませんが、出来は歳が行った順に良い。白鸚の松王は、慶事に張り切って気力充実、見た目の押し出しの立派さ・動きの力感・台詞の息の良さ・どれを取っても云うことなく、吉之助がこれまで見た「車引」の松王(映像含む)のなかでも特一級と云って差し支えないものです。

幸四郎の梅王も、見る前はちょっと線が細くはないかと危惧したけれど、思ったよりも野太いところを見せてくれました。このところ優男の役どころばかり演じて・ご本人は自身の将来についてどう考えているのかなあと思ってましたが、吉之助としてはやはり「幸四郎」ならばこういう太い役どころをしっかりモノにして欲しいのです。まだちょっと不安定な感じは多少ありますが、まあ現時点で梅王がこれくらい出来れば先行きは見えるというところで、とりあえず安心しました。

染五郎の桜丸は、ちょうど変声期の難しい時期にあるので・仕方ないところがありますが、神妙に演じていると云うよりも・ちょっと元気がないように見えて、全体的に硬い印象に感じます。TVインタビューで染五郎を見ると伏し目がちで、多分内気でよく考え込むタイプなのかなと思いました。しかし、考え込むことは決して悪いことではありません。台詞が棒気味に聞こえるのは、言葉ひとつひとつを丁寧に云おうとしているつもりなのだろうが、言葉は音ひとつでは言葉の体を成さないのです。言葉はふたつ以上繋がった時に・そのふたつの繋がった音の息の上げ・下げの微妙な関係性によって、初めて言葉としての意味を成すのです。最初から台詞を節を附けて発声しようとしないで、まずゆっくりと・できるだけゆっくりと台本をしゃべってみて息の繋がり具合(関係性)をじっくり確認してみることです。染五郎クンはそこの訓練がまだ十分ではないようです。言葉を息に乗せるがコツが分れば、台詞は自然に流れて行くものです。

「車引」は菅原・三段目の端場ですが、梅王・桜丸が吉田神社参拝に向かう時平の牛車を阻止しようとするのを松王が応酬して三兄弟が睨み合うという筋で、筋自体は大したことないものです。この場が忘れられることなく・見せ場としてしっかり位置付けられて残ったのは、やはり歌舞伎の様式化(荒事化)のおかげだろうと思います。菅原を「加茂堤」から通した場合、時平の重圧の凄まじさを観客に感得させる場面は、この「車引」しかないわけです。時平の威勢がどれほどのものか・これに反抗することがどれほど大変なことか、そこがはっきりと知れることで、その後の「賀の祝」での桜丸の別れ、「寺子屋」での松王の別れの重さ・辛さが浮き彫りになってくるはずです。ですから「車引」と云うと、どうしても三つ子の兄弟に注目が行くのはこれは当然のことですが、実はそれ以上に、「車引」は時平の芝居なのかも知れませんねえ。弥十郎の時平は大きな身体が押し出しによく利いて、これからの時平役者として大事な役者になってくれると思います。

(R3・2・3)


〇令和3年1月新橋演舞場:「毛抜」

十一代目海老蔵の粂寺弾正

十一代目市川海老蔵(十三代目市川団十郎)(粂寺弾正)、四代目市川右団次(八剣玄蕃)、六代目中村児太郎(秦秀太郎)、初代中村壱太郎(腰元巻絹)他


吉之助が初めて見た「毛抜」は十二代目団十郎(当時は十代目海老蔵)の粂寺弾正でありました。もう五十年近く前の話です。思い返せば随分長く歌舞伎を見て来たわけだな。団十郎は台詞に独特のクセ(難)があったのは事実ですが、まあ初めてのことだから・それはそんなものなのかと思って見ましたが、団十郎の歌舞伎十八番が良かった点は、元禄期頃の荒事の・のんびりとして大まかな雰囲気をよく捉えていたことだと思います。「おおどかな」と云っても良いですが、それです。ギラギラとはしていませんでした。芝居の細かいところでは他の役者にもいいものはあるのだけれど、細かいところはすっ飛んじゃって茫洋とした器の大きさを感じさせるところでは、やはり団十郎だなあと思うわけです。これは弁慶でも鳴神上人でもそうでした。理屈ではないところの存在感なのです。

ところで吉之助は時折こんなことを思うのですが、歌舞伎十八番というのはそのキャラクターのほとんどが御霊神であったり・何らかの怨念を纏っていたりするわけですが、この「毛抜」だけを単独で抜き出して見た場合、粂寺弾正は怨念を纏った人物とは言えないし、むしろカラッとして明るい人物であるわけです。どういう理由で七代目団十郎は「毛抜」を歌舞伎十八番に加えたのかなということを、ちょっと考えてみたりするのです。まあ二代目が初演した役(寛保2年・1742)ということで、18の数に合わせて入れただけのことなのかも知れず、磁石のトリックを見抜いた科学的推理=超人的な明晰な頭脳ということで・そこに荒事的資質との類似を見たと云うことかも知れませんが、「毛抜」の歌舞伎十八番たる所以は、この時代の芝居の・のんびりとして大まかな雰囲気にあるとして良かろうと思っています。要するに大事なのは、「童子の心」でしょうかね。

だから「毛抜」が歌舞伎十八番だ・荒事だというので、当代海老蔵が弾正の数々の見得をガーッと唸って・目を剥いて・しゃかりきに力をこめてやるのは、もちろんここが弾正の見せ場であるし、海老蔵の役者としての魅力がそこにあると言われれば・それはそうには違いないが、何となくこれが「毛抜」の雰囲気にそぐわない感じがしないか。見得をしゃかりきにやればやるほどやるほど、かえって弾正が小さく見える気がします。ですから海老蔵にとっての目力(めちから)は、両刃の剣なのです。細かいところにこだわらず、むしろそういうところを捨て去ることで(或いは「使い分けることで」と言った方が良いでしょうかね)、海老蔵は「団十郎」に相応しい大きさを獲得できるのではないかという気がしますがねえ。そうすれば海老蔵の弁慶も助六も大きく変わって来ると思います。現在の海老蔵は、いろんな意味で岐路に立っていると思います。

(R3・1・30)


〇令和3年3月歌舞伎座:「雪暮夜入谷畦道〜直侍」

七代目菊五郎・四年振りの直侍

七代目尾上菊五郎(片岡直次郎)、五代目中村時蔵(三千歳)、九代目市川団蔵(暗闇の丑松)、六代目中村東蔵(按摩丈賀)


菊五郎の直次郎は平成29年(2017)11月歌舞伎座以来、約4年ぶりということです。前回とほぼ同じ顔触れですが、芝居は生(なま)ものですから、同じ顔触れであっても年齢・体調その他の条件に拠って舞台の感触が微妙に変わるものです。前回の舞台については当意即妙の世話物の味わいと云うことを書いた記憶があります。これと比べると、今回は古典味が増した感じで、その分いくらか世話がアッサリ風味に変化したかも知れませんねえ。だからと言って悪いわけではなく、もちろん今回も出来としては安定したものを見せていますが、その違いはホンのちょっとしたところです。

例えば蕎麦屋外での直次郎と丑松とのやり取りで云えば、初めは何げない会話であったものが、「互いにつもる身の悪事に」・「氷柱(つらら)のような槍にかかるか」辺りから様式の方へ調子が変化して行って(テンポが畳み掛ける感じに多少早くなって行き)、直次郎の「見えぬ吹雪が」を(ここがクライマックスという感じで)時代に大きく張って・「天の助けだ」で一転世話に流す、その息と色調の変化が黙阿弥の世話物の面白さだと思います。今回の菊五郎の直次郎は、前回と比べると、ここを丑松に対して淡々と受ける感じで色調・テンポをあまり変化させなかったので、それで世話味が後退した印象になったようです。このような菊五郎の印象の変化は今回全体的にあったもので、このため直次郎と三千歳の色模様も、錦絵の古典的な構図にしっとり納まった感じに仕上がったと思いますが、まあこれはこれとして良いものです。

別稿・令和2年12月国立劇場の「河内山」の観劇随想のなかで、明治14年(1881)初演の「天衣紛上野初花」は、当時すでに実体として存在しなかった「江戸」への郷愁を描いた作であり「黙阿弥のリアルさへの追求が若干遠のいている」と書きました。「直侍」自体は世話の感覚が強い題材ですが、そう云う意味においても、大口寮での直次郎と三千歳の色模様での、余所事浄瑠璃の扱いは、なかなか難しいことになるでしょう。清元が醸し出す情緒に身を任せれば踊りの感覚となって、リアルさからは遠くなってしまいます。しかし、そのような絵模様の感覚が多少はないと・この時代の黙阿弥の「天衣紛」の風にならないと云うのも事実かも知れませんねえ。吉之助としてはもう少しリアルの方へ引き戻した方が良いと考えますが、リアルさへの希求と様式との折り合いをどう付けるべきか、菊五郎と時蔵の舞台を見ながら、そんなことなど考えさせられました。

(R3・3・19)


〇令和3年3月歌舞伎座:「隅田川」

五代目玉三郎と清元の「隅田川」

五代目坂東玉三郎(班女の前)、四代目中村鴈治郎(舟長)


玉三郎の「隅田川」は平成17年(2005)6月京都南座が最初のことですが、この時は下座がいつもの清元ではなくて、杵屋勝国作曲の新作長唄による上演でした。当時は「隅田川」と云えば六代目歌右衛門の演し物というイメージがまだ世間に強いものがありました。それで菊五郎家が「助六」を出す時に団十郎家を慮って下座を河東節から清元に変え・外題を「助六曲輪菊」にするのと同じような申し訳をしたものでしょうか。今回(令和3年)3月歌舞伎座は、本興行としては東京で初めての「隅田川」になりますが、下座は清元となっています。今回の演目に「隅田川」が選ばれた背景には、そのことは何も触れられてないようですが、多分、今年(2021)3月が、2001年3月31日に亡くなった歌右衛門の没後20年に当たることがあるだろうと思います。歌右衛門と「隅田川」との繋がりはそれほどまでに強いものがあるし、歌右衛門の後を継いで平成の歌舞伎の女形の頂点に立った玉三郎にとっても歌舞伎座で清元の「隅田川」を踊ることは格別の感慨があるでしょう。

玉三郎の班女の前は、狂女と云うよりも・まだどこかに正気が残っている感じがします。理性的な印象であるせいか、舞踊というよりも・芝居の趣が強いのも前回と同じですが、今回は下座に語りもの浄瑠璃のなかでも情緒性が濃い清元を使用していることが、曲が進むにつれてジワジワと効果を発揮してくるようです。特に後半・舟に乗って隅田川東岸の梅若塚に辿り着いた辺りからは、動きを抑制した玉三郎の所作に、清元がそっとニュアンスを添えるかの如くの相乗効果を見せて、班女の前の哀しみが静かに伝わってくるのをとても興味深く思いました。玉三郎の班女の前は、歌右衛門の印象とはまったく異なります。歌右衛門は指先一本の動きまでもこの情念を描き尽くさずには置くべきかと云う濃密さがありました。玉三郎の場合はそこが淡いと云うか、すくっても手のなかですぐ溶けてしまう雪のような淡い儚さ、子供を亡くした母親の哀しみもやがて幻影のように消えてしまう儚さなのです。そこが戦後昭和の歌右衛門と、平成・令和の玉三郎の芸風の違いでもあるわけで、どちらの「隅田川」も記憶のなかに残しておきたいと思いますねえ。

(R3・3・12)


〇令和3年4月歌舞伎座:「勧進帳」・B日程

十代目幸四郎の弁慶・二代目松也の富樫

十代目松本幸四郎(武蔵坊弁慶)、二代目尾上松也(富樫左衛門)、五代目中村雀右衛門(源義経)


本年(令和3年)4月歌舞伎座の「勧進帳」は、A日程は弁慶が白鸚・B日程の弁慶は幸四郎とダブル・キャストになっています。今回の幸四郎の弁慶は、回数を重ねてだいぶ余裕が出て来て、役が板に付いてきた感じがします。今回は延年の舞いに、普段はカットされることが多い「滝流し」を加えたところにも、弁慶に賭ける幸四郎の意欲を感じますね。初役の時にはニンがどうのと云う声も聞きましたが、もうそう云うことを言う人もいないと思います。今回良くなったのは、勧進帳読み上げから山伏問答の部分で、二拍のリズム感覚が良く出て・歯切れ良く、声もよく通って、ここはなかなか良い出来であったと思います。

ただしそれより前の部分・花道登場から読み上げ直前の富樫との対話までは、何となく謡掛かりっぽく・台詞が伸び気味であって、そこから勧進帳読み上げに入ると、一転して台詞廻しが歯切れ良く芝居らしい調子に変わる(トーンも若干高くなる)ので、何だか様式的に木に竹を継いだ感じがしますねえ。お手本にしているものがそれぞれ異なる感じがします。どちらが良いとか悪いとかではないが、前半の謡掛かりっぽい感じは父上(二代目白鸚)ではないか、後半の二拍の歯切れ良いところは祖父様(初代白鸚)のように思われますが、これは吉之助の憶測ですがね。それにしても花道での「ヤアレ暫く、御待ち候え」をああ云う感じに引き伸ばして拍を全部表で謡われると、「ヤアレ暫く」と言ってる間に四天王はもう二・三歩駆けていそうです。ここは「ヤアレ」の一声で四天王の足をピタッと止めなければならないのではないか。何だか様式的な重い印象だけが残って、目を瞑って台詞を聴いていると情景(ドラマ)が浮かんで来ません。この辺は台詞廻しの様式の統一が必要です。と云うか、勧進帳読み上げでの出来の良さを見れば、どちらの方向に統一すべきかは自ずと明らかだと思いますけどね。

松也の富樫は初役だと思いますが、それゆえちょっと力み過ぎのところがあるのは仕方ないところかと思います。しかし、声はよく通っているし、回数重ねれば良いものになっていくのではないでしょうか。ちょっと気になるのは、身のこなし(所作)・表情が何となく生(なま)に過ぎて・あまり奇麗でない印象がすることです。松也ならばもう少し端正な美しさを期待して良いと思います。ところで「勧進帳」が芝居であるのか・舞踊であるのかと云うことはよく議論になることですが、これはそのどちらでもあるというのが正しいでしょうが、もし「勧進帳」が舞踊であるとすれば、それは弁慶にとってのみ・延年の舞があるから弁慶のためだけのことであると考えてはならないのではないか。富樫にとっても・他の役にとっても、あからさまに踊ることはないにしても、だから「勧進帳」は舞踊でもあると考えて欲しいですねえ。舞踊では身のこなしは大事なのです。それが本行に対するリスペクトにもなると思います。

(追記)雀右衛門の義経については、A日程の観劇随想を参照ください。なおコロナ感染が再び増加したことにより・東京都は三度目の緊急事態宣言発出となり、4月歌舞伎座公演は、25日から千秋楽(28日)までが休演となってしまいました。

(R3・5・3)


〇令和3年7月歌舞伎座:「身替座禅」

二代目白鸚の山蔭右京・八代目芝翫の玉の井

二代目松本白鸚(山蔭右京)、八代目中村芝翫(奥方玉の井)


今回(令和3年7月歌舞伎座)の「身替座禅」の白鸚の山蔭右京は初役で、「身替座禅」自体も昭和61年・1986・4月歌舞伎座で十七代目勘三郎の右京を相手役に玉の井を勤めて以来のことだそうです。ちなみにこの時が勘三郎の「身替座禅」の最後の舞台でした。勘三郎の右京は持ち前の愛嬌がよく生きて、見ているこちらがほっこりとした気分にさせられたものでした。他人が真似できるものではないけれど、先日のインタビューでも白鸚は勘三郎の右京の思い出を語っていましたから、今回の舞台もそのような芸の心を継ごうと云う思いがあるのでしょう。しかし、勘三郎と白鸚とは芸風が異なりますから、今回の白鸚はさすがに愛嬌で勘三郎に似せようとはしていません。敢えて勘三郎との相似を探すならば「嫌らしさ」のないところ、「色好み」の徳とでも云いますか、そういうものをさりげなく目指しているようです。むしろ全体としては本行に立ち返った行儀の良さ・折り目正しさが印象に残るものでした。これは近頃得難い右京であったと思いますね。

一方、芝翫初役の玉の井は、白鸚の右京と印象が真反対です。いかつい風貌で観客を笑わせようとする玉の井はよく見掛けますが、ここまで下品で酷い玉の井も近頃珍しい。芝翫に玉の井の役が振られた理由は本人は承知していると思います(云うまでもないが先年の不倫報道のせいです)。「どうぞ私のこと笑ってください、こんなに怒られました」と自虐ネタで笑わせる魂胆のようですが、やればやるほど本行から離れる。所作板を踏む音がバンバン煩いし、太い男声で叫ぶので、見ているうちにだんだん不愉快な気分になって来ました。右京が襖を取ったら、なかから般若の隈をとった玉の井が現れたならば、もっとカブキ・テイストで観客に受けるからそうやってみれば如何かな?と言いたくなる。これは逆でしょう。心の底から反省しています・・神妙に勤めております・・と云う姿勢をみせた方が良いのではないか。それは本行に対するリスペクトにも通じることだと思います。玉の井はこの場では怒っているから怖く見えるけれども、ご主人を心底愛している・可愛い女房なのです。芝翫も奥さんがしっかりしてるから舞台に立ててるのじゃないの?そこんとこよく考えてみることだと思いますがね。

(R3・7・15)


〇令和3年7月歌舞伎座:「御存鈴ヶ森」

世話物か・時代物か

二代目中村錦之助(幡随院長兵衛)、五代目尾上菊之助(白井権八)


歌舞伎の解説本などで「鈴ヶ森」を調べると、「世話物。・・・権八と雲助たちとの立ち廻り、長兵衛の「お若けえの、お待ちなせえ」の名台詞など歌舞伎の様式美にあふれた舞台・・・」などと書いてあります。「鈴ヶ森」が世話物だと云うことは、これは大事な認識です。しかし、揚げ足取りみたいで恐縮ですが、権八と雲助たちとの立ち廻りを歌舞伎の様式美だと云われると、吉之助はちょっと違和感を覚えますねえ。何でも安直に「様式美」で括るのは、問答無用でそれで良しと済ませているようで、吉之助はどうも好きませぬ。様式的な立ち廻りと云うのは、時代物の、例えば「新薄雪」の清水寺の花見の立ち廻りのようなものを指すと思います。「鈴ヶ森」のような世話の立ち廻りは、これとはちょっと違うと思います。時代の立ち廻りと世話の立ち廻りとどう違うんだい?と正面切って聞かれると、どうもフィーリングの違いみたいな話しになって、どこがどうと具体的に言い難いですが、雲助が権八に近寄って・掴みかかるまでの呼吸の違いですかねえ。権八を掴んで・斬られる段になれば・これは時代の立ち廻りと変わりはないですが、そこに至るまでの写実の感覚です。この違いはなかなか教えられるものではないけれど、そこの違いが分かって欲しいと思います。そこで今回(令和3年7月歌舞伎座)の「鈴ヶ森」の立ち廻りを見ていると、何となく時代っぽいねえ。キチンとやっているようだけれど、あんまり面白くない。と云うか、キチンとやっちゃうから面白くならないのです。

時代っぽいと云えば、錦之助の長兵衛も菊之助の権八も何となく時代っぽい。一番の原因は、二人とも声のトーンが高過ぎることです。声を太く作れと言うのではありません。世話の口調はもっと低調子で作るものです。これは「鈴ヶ森」に限りません。「六段目」だって同じことですよ。何だか「鈴ヶ森」は時代物だと勘違いしてるように見えますねえ。これだから「様式美」なんて言葉を安直に使って欲しくないのです。これだから世話物の感触が時代物と区別が付かなくなってしまいます。

錦之助はどちらかと言えば権八役者でしょうが、無理して柄になく太い長兵衛を作ろうとしていないのは良いことです。しかし、低調子の世話口調になっていないから、台詞に真実味がこもらない。長兵衛の長台詞は何となく七五で割り切れるように感じるだろうが、黙阿弥とは違う。そこをしっかり仕分けること。幡随院長兵衛というのは江戸町民の代表、つまり世話の役なのです。菊之助は柄は悪くないし・形がよく取れているけれど、爽やかな色若衆のような心持ちで演っているのかな。もう少し横顔に暗い陰が差すところがないと権八にはならぬと思います。声が低調子の世話口調になっていないことは前述しましたが、ここにも「鈴ヶ森」は時代物だと云う勘違いがありそうですねえ。七代目梅幸の権八の素晴らしい映像が遺っていますから、これを見て研究して欲しいと思いますね。

(R3・7・18)

(追記)本公演は、当初、偶数日に二代目吉右衛門が長兵衛を、奇数日に錦之助が長兵衛を演じる予定でしたが、吉右衛門が病気療養のため休演となって、全日程を錦之助が長兵衛を演じることとなりました。


〇令和3年11月歌舞伎座:「寿曽我対面」

二代目巳之助の五郎・七代目菊五郎の工藤

二代目坂東巳之助(曽我五郎時致)、五代目中村時蔵(曽我十郎祐成)、七代目尾上菊五郎(工藤左衛門祐経)、五代目中村雀右衛門(大磯の虎)、四代目中村梅枝(化粧坂少将)他

(十代目坂東三津五郎七回忌追善狂言)


十代目三津五郎七回忌追善狂言ということで、巳之助が五郎を初役で勤めます。巳之助は最近猿之助との共演で・重要なパートを任されて、進境著しいところを見せています。今回の五郎も、むき身の隈取がよく似合い、カドカドの形をしっかり決めて・押さえるべきツボはきっちり押さえており、初役でこれだけ出来れば及第点ですけれど、欲を云えば、形から形への移行のなかにタメが欲しいと思いますねえ。工藤にウワッと牙を剥き・十郎にそこを抑えられて腕を下ろし・そこからまたウワッと牙を剥く、そこで腕をあげて工藤に掴みかかる形はよく決まっています。そこはしっかり出来ていますが、その間の形から形への移行に、感情のうねりが見えない。怒りの感情が五郎のなかに湧き上がって来て、それが抑え切れなくなって、その感情がウワッと外面の形になって現れる、そのような感情のうねり・流れをみせてもらいたいのです。これで荒事の形が活きたものになってきます。まあ初役ゆえ今回は形を決めるだけで精一杯なのかも知れませんが、そこを課題にしてもらいたい。「今日は如何なる吉日にて・・」で工藤に詰め寄る場面は、もう少し腰を落して形を決めれば・さらに緊迫感あるものに出来ると思います。時蔵の十郎は、歳の功と云うか・しっとりと落ち着いた十郎で、安心して見ていられます。

それにしても今回感心したのは、菊五郎の工藤です。今回はコロナ仕様であるのか・浅黄幕を振り落とすと高座に工藤が座っており・全員が板付きという演出で・この演出は感心しませんが、工藤は素晴らしい。貫禄がある工藤役者は他にいくらもいますが、菊五郎の工藤は情味を感じますねえ。特に何をするわけでもないのに、兄弟に討たれてやろうと云う度量の大きさが自然と滲み出て来ると云うか、まさに座頭の風格でありましたね。「対面」はずいぶん見ましたが、そのなかでも特に印象深い工藤であったと思います。

(R3・12・5)


〇令和4年3月歌舞伎座:「天衣紛上野初花」〜河内山

十五代目仁左衛門の河内山宗俊

十五代目片岡仁左衛門(河内山宗俊)、四代目中村鴈治郎(松江出雲守)、五代目中村歌六(家老高木小左衛門)、三代目中村吉之丞(重役北村大膳)、初代片岡千之助(腰元浪路)、十一代目市川高麗蔵(近習頭宮崎数馬)他


仁左衛門の河内山は、東京では10年振りのことだそうです。思いの外太い造りで、もちろん報酬も目当てには違いないけれど、それよりも正義感とでも云うか・大名相手に話しを付けるとなりゃあ俺にしか出来ねえよと云う肚があって、難儀な仕事であればあるほど燃えて来るという河内山であるようです。権力を笠に着る奴を懲らしめるのが生き甲斐と云うところでしょうか。したがって愛嬌もあるにはせよ・それが前面に出るわけではなく、広間での松江公との対決の場面は意外とシリアス・タッチに仕上がっており、こう云う河内山もあり得るかと思いました。この場は鴈治郎の松江公も不機嫌なムードを漂わせて、仁左衛門とよく張り合ってなかなか面白く見ました。

ただこれはどの「河内山」にも多かれ少なかれ言えることですが、今回(令和4年3月歌舞伎座)の「河内山」も、全体的にちょっと時代っぽい感触がしますねえ。このところ同じ「天衣紛上野初花」のなかの「河内山」と「直侍」との感触がどんどん離れて行っているように思うのです。もちろん初演(明治14年・1881)の時の河内山を勤めたのは九代目団十郎、直侍は五代目菊五郎ですから、両者の個性の違いが役に出るのは当然であるとは云え、「天衣紛」は世話狂言ではないでしょうか。「河内山」が時代っぽくなり勝ちなのは、これは強請りの現場が大名屋敷であることがひとつの原因に違いありません。河内山も東叡山のお使僧に化けていることだし、格式を出そうとすると感触はどうしても時代っぽい方へ傾いてしまいます。それも分らぬではないけれど、役者全員「河内山」は世話物であると意識して、芝居を世話(写実)の感触へ引き戻すように努めて欲しいと思います。

これは河内山の太い造りと裏腹になると思いますが、仁左衛門の河内山は、総体に何となく時代っぽい印象がします。台詞も七五に割る感じが強いようで、仁左衛門のことだから台詞はよく回って歯切れが良いけれども、この口調はあまり世話とは申せません。そのせいか玄関先の長台詞が開き直りが強い感じに聞こえます。まあここの河内山は確かに開き直ってるのでしょうが、ここで余裕をかませておくと、幕切れの「バカめ!」の印象が大分和らぐと思うのですがねえ。シリアス・タッチなので、今回の「バカめ」はちょっと強い感じに響きますね。やはり河内山にはそこそこ愛嬌が必要なのだろうと思います。

(R4・3・22)

(追記)仁左衛門体調不良(コロナではないとのこと)のため、9日〜15日までを歌六が代演。


〇令和4年5月歌舞伎座:「祇園祭礼信仰記〜金閣寺」

五代目雀右衛門の雪姫など

五代目中村雀右衛門(雪姫)、四代目尾上松緑(松永大膳)、六代目片岡愛之助(此下東吉)、三代目坂東亀蔵(十河軍平)、六代目上村吉弥(狩野之助)、九代目中村福助(慶寿院尼)他


雀右衛門の雪姫は、平成28年3月歌舞伎座での襲名披露以来6年振りということです。女形は立役に対して常に一歩後ろに下がるものだと口伝では云いますが、これは吉之助の持論であるけれど、歌舞伎というのは実は女形芸の変遷に拠って・その形を次第に変えてきた、つまりその時代の女形の在り方が歌舞伎を規定してきたと云って良いくらいのものなのです。だから歌舞伎の女形は現代女性の生き生きした感覚を取り入れて、女形の伝統技法をポジティヴな方向へ向けて行く努力をせねばなりません。女形の感覚がまず変わらなければ、歌舞伎は変わって行きません。(別稿「女形の未来」をご参照ください。)吉之助にとって雀右衛門は同世代であることだし、令和の立女形として頑張ってもらいたいと思っています。吉之助の目から見ると、襲名以後の雀右衛門は、まだまだ芸風が奥へ引っ込み過ぎで・自己主張が乏しいところが抜けきっておらぬと思います。見掛けは立役に対して一歩後ろに下がっていても、決してこれだけで終わらない気持ちを出してもらいたいのです。これが女形の印象をポジティヴなものにします。

しかし、今回(令和4年5月歌舞伎座)の雪姫を見ると、まだ十分とは云えないにしても・自己主張が出てきたように感じられたのは、ちょっと嬉しいことでありましたね。「金閣寺」では短い時間であっても・雪姫がたった独りで舞台を持たせなければならぬ場面(もちろん桜花の舞い散るあの場面のことです)があるわけですから、そういう場面で自分を追い込んだことが良い作用をしたかも知れません。夫の身を案じ・殺された父を思う・その一途な気持ちをポジティヴな情念にまで高めていく、それが爪先鼠の奇蹟を生むということです。ここは決して内輪であってはならないのです。さらに「この思い通さでおくものか」という強いものをもっと前面に押し出せば、雀右衛門の芸もパッと華やかな印象に変わって来るだろうと思います。思えばこれもちょっと寂しい印象があった先代(四代目)の芸風が明るい印象へと変化してきたのも60代半ばを過ぎてからのことでした。これからの数年が当代雀右衛門にとって非常に大事な時期になると思います。

松緑の大膳は悪役の手強いところはそれなりに出来ていると思いますが、スケール感と云うか、国崩しとしての風格の大きさに未だ不満が残ります。国崩しの大きさと云うのは、相手を睨みつけ・大声で相手を威嚇することで出すものではないのです。これを人物の余裕と言い換えても良いと思いますが、「すべての事は・国のことでも女のことでも・我が意のままに成らないものはない」と思う人物の大きさから来るのです。そうすると雪姫との会話にも色気が出てくるはずです。雪姫を脅して我が物にするのでは面白くない。大膳は落ちるものは我が懐に自然に落ちて来るものだと思っています。これは大膳の男としての自信から来るもので、だからこれが色気になるのです。

愛之助の東吉はやることは卒なく・手堅い出来ですが、もうちょっと華やかさを出しても良いかも知れませんねえ。愛之助が小柄なのは・これはハンデですが、これを等身大に見せず・実際よりも大きく見せるのは、これも風格の大きさと云うことに通じますけれど、役の大きさを自分のものとしてどう体現するかと云うことですね。

(R4・6・6)


〇令和4年6月国立劇場:「彦山権現誓助剣〜杉坂墓所・毛谷村」

三代目又五郎の六助・初代孝太郎のお園

三代目中村又五郎(手谷村六助)、初代片岡孝太郎(お園)、六代目上村吉弥(後室お幸)、四代目中村歌昇(微塵弾正実は京極内匠)


6月国立劇場の鑑賞教室は、杉坂墓所と毛谷村の二幕です。筋立ても分かりやすく、芝居が初めての高校生にとっては良い演目ではなかったでしょうか。吉之助が後方の席で見ていた感じでは、ウトウトしていた生徒さんもいましたが・まあ一割くらいのもので・思ったよりも少なく、みんな熱心に舞台を見ていました。又五郎の六助は堅実な芸風が生きて、安心して芝居が見られました。弾正に騙されたことを知って怒り心頭に発する件りは、高校生たちにも芝居がしっかり伝わっていたと思います。と云うことで後半はなかなか良かったと思いますが、前半は六助のお人好しなくらいの人の良さをもう少し前に押し出してくれると、もっと良かったかと思います。のんびりした農村風景と相まって、六助の明るい人柄が伝わって来るともっと良い。又五郎のでんでん太鼓を叩いての物語は手堅い印象が先に立つ感じがしますが、ここはやはり手堅さよりも愉しさを感じさせてもらいたいのです。懐剣を構えるお園を気合いで制止しつつ、六助の洒脱な遊び心と余裕をさりげなく見せる、ここは剣術の達人たる六助の手並みを見せるところなのですから、愉しくあってもらいたいと思います。大事なことは、語りの息の詰めであると思います。先年亡くなった吉右衛門はそこのところが良かったことは、又五郎もよく覚えていると思います。六助については、やはり吉右衛門のことが真っ先に思い出されます。

孝太郎のお園は七代目芝翫譲りのもので、これも安心して見ていられる出来です。前回(令和2年11月国立劇場)所演に褒めた記憶があるけれども、あの時の六助は仁左衛門でした。今回共演の又五郎のように堅実な六助を相手役にした場合には、芝居の華みたいなものは、やはり女形が率先して取って行かねばならぬのではないか。しかし、今回は孝太郎のお園も、手堅さの方が先立つ印象がしますねえ。そこが女形孝太郎の今後の課題になると思います。花道から登場した時にあまり男を強調しなかったのは、芝翫も確かにそのようであった気がしますが、もうちょっと派手さを出すことを意識した方が良いかも知れません。六助が許婚と分かってグニャグニャになるところは、もう少し変わり目を強調して欲しい。例えば大臼を軽々と動かすお園の怪力を見て六助が唖然とするのに気付いて、「アラ嫌だ、私としたことが・・・」と微笑む辺りは、女武道の女形の愛嬌を見せる大事なところですから、客席から笑いが湧き上がるくらいであって良い。そう云うところの工夫の詰み重ねで、孝太郎のお園は、当たり役となる可能性を十分持っていると思います。

(R4・7・1)


〇令和4年9月歌舞伎座:「菅原伝授手習鑑〜寺子屋」(奇数日)

四代目松緑の松王・十代目幸四郎の源蔵

四代目尾上松緑(松王丸)、十代目松本幸四郎(武部源蔵)、六代目中村児太郎(戸浪)、二代目中村魁春(千代)、初代中村種之助(春藤玄蕃)、六代目中村東蔵(園生の前)他

(秀山祭・二代目吉右衛門一周忌追善)


今月(9月)歌舞伎座・秀山祭は、昨年(令和3年)11月28日に亡くなった二代目吉右衛門・「一周忌追善」と銘打たれており、故人所縁の演目が並びます。第1部の「寺子屋」はダブル・キャストになっており、幸四郎と松緑が、日替わりで役を取り替えて演じます。本稿で取り上げるのは、奇数日公演で、松緑が松王、幸四郎が源蔵の組み合わせです。

まず松緑の松王ですが、松緑は風貌として目力があるし、独特の抑揚の癖が強い台詞廻しのこともあって、芸の感触として時代っぽいところがあるせいで、源蔵よりもいくらかしっくり来る感じがします。面白かったのは、奥で源蔵が小太郎の首を打つ音がして・思わず松王がよろけて戸浪にぶつかって「無礼者めっ」と叫ぶ・例の大見得ですが、動きが他の役者と全然違っており・まあそのせいもあったでしょうが、ハッとする鋭い動きを見せました。そこに松王の思いがビーンと立ち上がったところを見た気がしました。首実検は「出かした」と首に向かって云うところを省いて「源蔵、よく打った」と云うやり方ですが、簡潔でストレートな行き方が松緑の芸風には似合っていたと思います。

後半では、「持つべきものは子でござる」を「ゴーザールーーッ」と大声で長く引き伸ばすのは、これはいけませんねえ。台詞の流れが途切れてしまって、これでは後の千代が「持つべきものは子なるとは・・」の台詞を引き継いで行けません。ここは千代が入りやすいように、台詞を抑えて渡すのは、これは当然のことです。技術面から見ればそう云うことですが、演技面から見れば、自分の感情に浸り過ぎだと云うことです。ここは大落としまで感情は抑えなければなりません。まあ総体では松王は独りで芝居を演るようなものかも知れませんが、隣りの千代のことも考えて欲しいと思います。

偶数日公演でも同じような印象がしましたけれど、それぞれの役者がそれぞれの思いで一生懸命演っているのは分かるけれども、アンサンブルのことをあまり考えず、みなさんご自分のペースで芝居をしている感じがしますね。さすがに戸浪(児太郎)・千代(魁春)の女形陣にはそれはないけれども、立役陣は心もとないですねえ。種之助の玄蕃は頑張ってますが、単純な悪役然としていないか。牛飼舎人の松王より、ずっと身分の高い、時平に近い位置にある役人なのですから、それなりの品格が必要です。

幸四郎の源蔵は演っていることはそれなりで・悪くはないけれど、線が細くて・あまり印象に残りませんねえ。源蔵は、身替わりに寺子を殺さねばならぬことに重い罪の意識を感じています。この点は大事なことですが、結果的に小太郎を斬っちゃうのだから、「せまじきものは宮仕え」なんてことを言いながら、自分の身体に火が付けば人殺しでもやるのかと云う批判から、源蔵は決して逃れることは出来ません。だからこそ「御主人大事」の性根が大事になるのです。もっと性根を太く持たなければ、別の言い方をすれば、開き直るくらいの必死さが必要です。そうなることで初めて「せまじきものは宮仕え」の台詞に悲壮感がこもることになります。つまりかわいい子供を殺すなんてカワイソーという感傷ではなく、生きることの根源的な罪の意識にまで至らなければならないのです。幸四郎の源蔵は、情緒に流れた印象で、そこのところが弱い。肚の持ち方を根本から考え直して欲しいと思います。

まあそう云うわけで、別稿で取り上げた偶数日公演(幸四郎が松王・松緑が源蔵)の、納まりが悪い印象を、そのまま裏返したような「寺子屋」でしたねえ。奇数日か偶数日かと問われれば、まあ松緑が源蔵よりも松王の方に幾分しっくり来ていることからすると、強いて云えば奇数日の方でありましょうか。

(R4・10・25)



 

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