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「歌舞伎素人講釈」観劇断想・6  (令和3年〜    )

*観劇随想のうち単発の記事にならない分量の断片をまとめたものです。
記事は上演年代順に並んでいます。


〇令和3年1月歌舞伎座:「菅原伝授手習鑑〜車引」

高麗屋三代共演の「車引」

二代目松本白鸚(松王丸)、十代目松本幸四郎(梅王丸)、八代目市川染五郎(桜丸)、初代坂東弥十郎(藤原時平)


令和3年1月歌舞伎座の「車引」は、三つ子の兄弟を高麗屋三代、白鸚(松王)・幸四郎(梅王)・染五郎(桜丸)が演じるというところが話題です。当然のことかも知れませんが、出来は歳が行った順に良い。白鸚の松王は、慶事に張り切って気力充実、見た目の押し出しの立派さ・動きの力感・台詞の息の良さ・どれを取っても云うことなく、吉之助がこれまで見た「車引」の松王(映像含む)のなかでも特一級と云って差し支えないものです。

幸四郎の梅王も、見る前はちょっと線が細くはないかと危惧したけれど、思ったよりも野太いところを見せてくれました。このところ優男の役どころばかり演じて・ご本人は自身の将来についてどう考えているのかなあと思ってましたが、吉之助としてはやはり「幸四郎」ならばこういう太い役どころをしっかりモノにして欲しいのです。まだちょっと不安定な感じは多少ありますが、まあ現時点で梅王がこれくらい出来れば先行きは見えるというところで、とりあえず安心しました。

染五郎の桜丸は、ちょうど変声期の難しい時期にあるので・仕方ないところがありますが、神妙に演じていると云うよりも・ちょっと元気がないように見えて、全体的に硬い印象に感じます。TVインタビューで染五郎を見ると伏し目がちで、多分内気でよく考え込むタイプなのかなと思いました。しかし、考え込むことは決して悪いことではありません。台詞が棒気味に聞こえるのは、言葉ひとつひとつを丁寧に云おうとしているつもりなのだろうが、言葉は音ひとつでは言葉の体を成さないのです。言葉はふたつ以上繋がった時に・そのふたつの繋がった音の息の上げ・下げの微妙な関係性によって、初めて言葉としての意味を成すのです。最初から台詞を節を附けて発声しようとしないで、まずゆっくりと・できるだけゆっくりと台本をしゃべってみて息の繋がり具合(関係性)をじっくり確認してみることです。染五郎クンはそこの訓練がまだ十分ではないようです。言葉を息に乗せるがコツが分れば、台詞は自然に流れて行くものです。

「車引」は菅原・三段目の端場ですが、梅王・桜丸が吉田神社参拝に向かう時平の牛車を阻止しようとするのを松王が応酬して三兄弟が睨み合うという筋で、筋自体は大したことないのものです。この場が忘れられることなく・見せ場としてしっかり位置付けられて残ったのは、やはり歌舞伎の様式化(荒事化)のおかげだろうと思います。菅原を「加茂堤」から通した場合、時平の重圧の凄まじさを観客に感得させる場面は、この「車引」しかないわけです。時平の威勢がどれほどのものか・これに反抗することがどれほど大変なことか、そこがはっきりと知れることで、その後の「賀の祝」での桜丸の別れ、「寺子屋」での松王の別れの重さ・辛さが浮き彫りになってくるはずです。ですから「車引」と云うと、どうしても三つ子の兄弟に注目が行くのはこれは当然のことですが、実はそれ以上に、「車引」は時平の芝居なのかも知れませんねえ。弥十郎の時平は大きな身体が押し出しによく利いて、これからの時平役者として大事な役者になってくれると思います。

(R3・2・3)


〇令和3年1月新橋演舞場:「毛抜」

十一代目海老蔵の粂寺弾正

十一代目市川海老蔵(粂寺弾正)、四代目市川右団次(八剣玄蕃)、六代目中村児太郎(秦秀太郎)、初代中村壱太郎(腰元巻絹)他


吉之助が初めて見た「毛抜」は十二代目団十郎(当時は十代目海老蔵)の粂寺弾正でありました。もう五十年近く前の話です。思い返せば随分長く歌舞伎を見て来たわけだな。団十郎は台詞に独特のクセ(難)があったのは事実ですが、まあ初めてのことだから・それはそんなものなのかと思って見ましたが、団十郎の歌舞伎十八番が良かった点は、元禄期頃の荒事の・のんびりとして大まかな雰囲気をよく捉えていたことだと思います。「おおどかな」と云っても良いですが、それです。ギラギラとはしていませんでした。芝居の細かいところでは他の役者にもいいものはあるのだけれど、細かいところはすっ飛んじゃって茫洋とした器の大きさを感じさせるところでは、やはり団十郎だなあと思うわけです。これは弁慶でも鳴神上人でもそうでした。理屈ではないところの存在感なのです。

ところで吉之助は時折こんなことを思うのですが、歌舞伎十八番というのはそのキャラクターのほとんどが御霊神であったり・何らかの怨念を纏っていたりするわけですが、この「毛抜」だけを単独で抜き出して見た場合、粂寺弾正は怨念を纏った人物とは言えないし、むしろカラッとして明るい人物であるわけです。どういう理由で七代目団十郎は「毛抜」を歌舞伎十八番に加えたのかなということを、ちょっと考えてみたりするのです。まあ二代目が初演した役(寛保2年・1742)ということで、18の数に合わせて入れただけなのかも知れず、磁石のトリックを見抜いた科学的推理=超人的な明晰な頭脳ということで・そこに荒事的資質との類似を見たと云うことかも知れませんが、「毛抜」の歌舞伎十八番たる所以は、この時代の芝居の・のんびりとして大まかな雰囲気にあるとして良かろうと思っています。要するに大事なのは、「童子の心」でしょうかね。

だから「毛抜」が歌舞伎十八番だ・荒事だというので、当代海老蔵が弾正の数々の見得をガーッと唸って・目を剥いて・しゃかりきに力をこめてやるのは、もちろんここが弾正の見せ場であるし、海老蔵の役者としての魅力がそこにあると言われれば・それはそうには違いないが、何となくこれが「毛抜」の雰囲気にそぐわない感じがしないか。見得をしゃかりきにやればやるほどやるほど、かえって弾正が小さく見える気がします。ですから海老蔵にとっての目力(めちから)は、両刃の剣なのです。細かいところにこだわらず、むしろそういうところを捨て去ることで(或いは「使い分けることで」と言った方が良いでしょうかね)、海老蔵は「団十郎」に相応しい大きさを獲得できるのではないかという気がしますがねえ。そうすれば海老蔵の弁慶も助六も大きく変わって来ると思います。現在の海老蔵は、いろんな意味で岐路に立っていると思います。

(R3・1・30)



 

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