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二代目白鸚78歳の弁慶〜「勧進帳」

令和3年4月歌舞伎座:「勧進帳」・A日程

二代目松本白鸚(武蔵坊弁慶)、十代目松本幸四郎(富樫左衛門)、五代目中村雀右衛門(源義経)


1)白鸚の弁慶

生涯に弁慶を1,600回以上演じて弁慶役者と云われた七代目幸四郎が最後に「勧進帳」を演じたのは、昭和21年6月東京劇場でのことで、この時、七代目幸四郎は76歳1ヶ月でした。今回(令和3年4月歌舞伎座)「勧進帳」で弁慶を演じた二代目白鸚は78歳8か月ということで史上最年長ということになり、通算上演も1,150回を超えたそうです。吉之助も50年近く歌舞伎を見て来て自然とそうなったわけですが、「勧進帳」のなかで一番回数を見たのは白鸚の弁慶だと思います。実は吉之助は、白鸚の弁慶はもしかしたら前回(平成30年・2017・4月御園座)での「勧進帳」が最後になるのかなと何となく思っていました。だからはるばる東京から名古屋へ舞台を見に出かけたわけです。長い歳月を掛けて同じ役者の同じ役をこれだけの回数見ることは、歌舞伎でさえあまりないことです。白鸚も・染五郎から幸四郎を経て現在があり、吉之助も同じだけの歳を経たわけですが、演じる方も・観る方にも何かしら重なる思いがあるものです。今回の「勧進帳」にも胸のなかに去来するものがありました。

白鸚の「勧進帳」ですが、吉之助の記憶では、染五郎時代の昔は、父である初代白鸚(当時は八代目幸四郎)の、「もしかしたら史実の弁慶もあんな人物であっただろうか」と観客に思わせる史劇風の弁慶と云うところから出発したと思います。つまり原点は写実の弁慶であったと云うことです。これは残されている映像などから検証が出来ると思います。しかし、九代目幸四郎時代(幸四郎襲名は昭和56年のことですが、大半は平成期と重なる)に着々と回数を重ねる過程で、白鸚の「勧進帳」は、弁慶の肚の持ち方はそのままに、これをいくらか謡掛かりっぽく・様式の方へ傾斜した形で、現在に至ると考えます。(これについては、平成15年・2003・3月歌舞伎座の観劇随想を参照ください。)このような「勧進帳」の高尚化の方向は、平成期の歌舞伎全体の保守化の流れと無関係ではないものです。良かれ悪しかれ、そこに白鸚の「勧進帳」が及ぼした影響は結構大きいものがあったと考えます。

はっきり申し上げれば、白鸚の弁慶については、吉之助は両手を挙げて賛成する立場ではないのです。吉之助としては、昭和36年2月歌舞伎座での八代目幸四郎の弁慶・十一代目団十郎の富樫・七代目梅幸の義経を、「勧進帳」の一応のベスト・フォルムと考えます。今回の白鸚の弁慶も、例えば義経を打擲する前に・「もったいなくもご主人様を打たせていただきます、ソレデハ失礼します・・」という感じに観念して、目を瞑って一礼し金剛杖を振り落とす箇所など、底を割ると云うか・余りにあからさまで、他の役者には真似して欲しくないところではあります。しかし、これを白鸚が演る時「これをやらないでは私は弁慶を演れません」と云う気持ちは人間として理解しますし、そこに白鸚の役者としての真実があるものと思っています。そこのところは吉之助も、白鸚と云う役者に50年付き合ってきたからよく分かっています。そう云う意味において、弁慶の一挙手一投足が、白鸚の「芸」という域に達していると云う点で、これは六代目歌右衛門の「隅田川」みたいなものだと思います。

本年1月歌舞伎座の「車引」の松王の台詞を聞いて「白鸚は元気いっぱいだなあ」と驚きましたが、これと同じ息で「勧進帳」の長丁場を持たせることは到底無理な話です。当然ペース配分は慎重に取らねばなりません。今回の「勧進帳」の弁慶は声量を抑え・台詞も粘り気味で、観ているこちらがハラハラする場面がないわけではありませんでした。後ろを向いて後見に酸素スプレーをしてもらう場面もあり、幕切れ六方で弁慶が引っ込むまで気が気でなかったのは事実ですが、そう云うところも含めて、これが「芸」の年輪というものですね。(この稿つづく)

(R3・4・28)


2)幸四郎の富樫・雀右衛門の義経

幸四郎の富樫については、平成30年4月御園座(弁慶は白鸚)の時に苦言めいたことを書きましたが、前回・令和元年9月歌舞伎座(弁慶は仁左衛門)については「かなり良くなった」と書きました。しかし、今回(令和3年4月歌舞伎座)は、また台詞が謡掛かりっぽく伸びた感じに戻ってしまいました。台詞にもう少しかつきりした印象があれば、爽やかな風姿が活かせたのに残念だなあと思います。その遠因がどうやら父上(白鸚)の弁慶にあるらしいことは、察せられます。最高齢で弁慶に挑戦する父親を気遣う気持ちは息子として当然である(優しい息子だね)けれども、芸として見ると、弁慶に対し若干「待ちに行っている」感じがしますねえ。

白鸚の弁慶は泰然自若のマイ・ペースで、台詞・演技が微妙に伸びたり・早くなったりする、これはまあこの域にまで行くと確かに「芸」なんだが、富樫の立場からするとやり難い相手ではあります。山伏問答でも、吉之助が見た日(5日)には、ほんのちょっとのことだが・富樫の問いの間(ま)があく場面がありました。これは富樫が待ちに行ったせいかと思います。逆に弁慶の方が富樫の台詞の末尾にかぶせていく感じで、どちらかと云えば問答は終始弁慶ペース。しかし、山伏問答のペースは本来富樫が作るもので、富樫の方から押していくものです。これを待ちに行ってしまうと、良い問答になりません。白鸚のように・二拍の刻みをあまり感じさせない弁慶に対するならば、むしろ富樫の方は、有能な官吏であるのだから冷静に、二拍の刻みで淡々と押して行った方が良かったのではないか。あまり押し過ぎると父上の息が切れちゃいますから・そこは配慮せねばなりませんが、そうすれば問答に一本筋が通った印象に仕上がっただろうと思います。

女形が勤める義経は嫋々とした印象が抜けないことが多く、今回の雀右衛門も例外ではありません。そこはそんなものとして見るから別に良いのですが、憂いが強過ぎて暗い印象さえするのはちょっと困りますね。華々しい戦功を挙げながら・兄頼朝に疎まれ・陸奥へ落ちて行かねばならぬ悲哀と云うのは確かにそういう気持ちがあるかも知れないが、花道七三で弁慶に問いかける台詞の、「かく強力とは姿を変えたり」の箇所で、「こんな情けない姿に身をやつさねばならぬとは実に口惜しい」みたいな感じでグッと声色を暗く調子を低く落したりするのは、ホントに余計なことで、この暗い印象が最後まで付きまとって、よろしくありません。もっと女形本来の「華」を活かしても良いのではないでしょうか。

(R3・5・2)

(追記)令和3年4月歌舞伎座の「勧進帳」はダブルキャストで、B日程は幸四郎の弁慶・松也の富樫と云う配役でした。なおコロナ感染が再び増加したことにより・東京都は三度目の緊急事態宣言発出となり、4月歌舞伎座公演は、25日から千秋楽(28日)までが休演となってしまいました。



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