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五代目玉三郎・久しぶりの阿古屋

令和7年2月歌舞伎座:「壇浦兜軍記〜阿古屋」

五代目坂東玉三郎(遊君阿古屋)、五代目尾上菊之助(秩父庄司重忠)、初代中村種之助(岩永左衛門)、初代尾上菊市郎(榛沢六郎)


1)「形は派手に、気は萎れ」

本稿は令和7年2月歌舞伎座での、玉三郎主演による「阿古屋」の観劇随想です。東京での玉三郎の阿古屋は、令和元年(2019)12月歌舞伎座以来の約5年ぶりと云うことになります。

玉三郎は女形の大役のなかでも難役中の難役と云われる阿古屋を、平成30年(2018)12月歌舞伎座の「阿古屋」公演で児太郎と梅枝(現・時蔵)の期待の若手女形二人に伝授し、翌年12月にはもう一度お浚いまでしました。この時明言はしなかったけれども六代目歌右衛門から引き継いだ重い荷物を下ろして、「これで阿古屋を演じるのを最後にする」と心に決めたのだろうと思っていました。もっともその後玉三郎は京都と名古屋で阿古屋を演じていますが、吉之助は玉三郎が再び東京で阿古屋を演じることはないと覚悟していたので、今回の公演が発表された時には、いささか驚きました。何か心境の変化があったのかな。恐らく歌舞伎がちょうど世代交代の曲がり角に差し掛かった微妙なところなので、玉三郎としてここは一肌脱いだと云うことではないでしょうか。ちなみに歌右衛門が最後に阿古屋を演じたのは69歳のことで、前回東京で阿古屋を演じた玉三郎がその時に同じ69歳でした。令和7年2月時点で玉三郎は74歳になります。そう考えると令和の今玉三郎の阿古屋が見られると云うことは、ホントに奇跡みたいなものですね。

阿古屋の性根は、「形は派手に、気は萎れ」の詞章によく表れています。「形は派手に」とは廓での華美な衣裳で問注所の白洲へ押し掛けると云う、かぶき者・反権力の気風を示すものです。もう一方の「しをり」は、人の感情が滲み出た・しっとりとした情趣のことを云います。このふたつは印象としては相反するものです。硬と軟あるいは強と弱、そのような相反する感覚の狭間での揺れ動きに阿古屋の性根があるのです。

もうひとつ阿古屋の性根を考える時に大事なことは、阿古屋は景清の潜伏先をホントに知らないと云うことです。しかし、このことは「琴責」だけでは分かりません。前場の「五条坂」で兄・十蔵が景清の潜伏先を見打ちしようとしますが、阿古屋はこれを拒否して、

「アア、これこれ、景清様の落ち着く所、わしに聞かせて下さんすな。聞くまいというその心は、如何なる火水の責めに逢うとも、性根乱れぬその内は、隠し抜こうと思えども、心の底に覚えあらば、身の苦しさに気も弱り、口走るものでもなし、わしゃそれが悲しさに、これ求めても聞きたい知りたい夫の行方上の空。」

と言います。「知っていると拷問に耐えかねて口走るかも知れないから聞きたくない」と云うのです。阿古屋が景清の潜伏先を知っているとしても、それならばそれで阿古屋の性根を構築出来ます。この場合の阿古屋には悲壮感が漂うでしょうね。しかし、「琴責」が「兜軍記」の一幕として阿古屋がホントに知らないことを前提にしているならば、「琴責」の状況は色合いが変わってくると思います。

ホントに知らないから、阿古屋は無類に強くなれるのです。夫が生きているか・死んでいるか分からないという状況ではない。阿古屋は景清がどこかで無事でおり、頼朝を討つ機会を虎視眈々と狙っていると分かっています。潜伏先を知らないだけのことです。きっと阿古屋は景清と共に戦っている気分なのです。「やれるものならやってごらんなさい」という強さがあるから、阿古屋は連日の責めにも耐えられる。だから阿古屋に凛とした印象が立って来ると思います。阿古屋は厳しい拷問を主張する岩永に、

「オホホホホホ、そんなこと怖がつて、苦界が片時なろうかいな。

と言い返します。そこに遊女の意気地(プライド)が出ます。玉三郎の阿古屋は何度も見ました。思い返すに総体として玉三郎の阿古屋のイメージは凛とした印象が強いものだと思っています。

しかし、5年前(令和元年(2019)12月歌舞伎座)の阿古屋については「気は萎れ」、つまり情感の表出の方にやや傾斜した印象を受けたものでした。そこで東京での五年後の阿古屋を玉三郎がどう見せるか注目していましたが、今回(令和7年2月歌舞伎座)の阿古屋を見ると、再び凛とした印象が戻って来た気がしました。これはその時のコンディションに拠るものかも知れないし、観る方の吉之助のコンディションにも拠るので正確なところは分かりませんが、花道上で捕り手に対し阿古屋が両手を広げて決まる形など気力が漲って、吉之助には玉三郎が前回よりも若返ったように感じたことは事実です。実際そこは玉三郎が人一倍気を使ったところに違いありませんが、これも日頃の鍛錬の賜物であろうと思います。(この稿つづく)

(R7・2・11)


2)「身は売っても芸は売らぬ」

ここで暫し話が本題から逸れるようですが、深いところで「阿古屋琴責」と関連することになりますから・そのつもりでお読みください。

「身は売っても芸は売らぬ」

この言葉は小説家・高見順が小説「この神のへど」(執筆は昭和28年・1953)のなかで書いた造語であるそうです。このなかに「わたしゃ身は売っても芸は売らないよ」と言い放った枕芸者のエピソードが出てきます。昔からありそうな言葉に思っていたら、何とこれが初出であるそうです。読んでお分かりの通り、これは「芸は売っても身は売らぬ」をひっくり返したものです。元の言葉は辰巳芸者は気風がよくて情に厚く・芸は売っても身体を売らない意気地を示すものとして有名なもので、本稿ではこのこと自体を云々する意図はないのですが、それとは反対の意味になるけれども、「身は売っても芸は売らぬ」という意気地もまた人の道としてあり得るのだと云うことを申し上げたいのです。

高見が「芸は売っても身は売らぬ」と書いた背景には、戦時中に高見が置かれた状況が深く関わるそうです。吉之助はこのことを上野誠著「折口信夫的思考」(青土社)で知りました。どうしてこれが折口信夫と関係するかは説明すると長くなるので、詳しいことは上野先生の本をお読みください。大戦中には当局から文化人に対して「協力」が要請されて、そうでないものは「軟弱」と批判されました。高見が文筆家として時局に迎合することに深く思い悩んでいた時期、昭和20年(1945)1月16日に新橋演舞場で六代目菊五郎が踊る「鏡獅子」を見た時のことを日記に書き残しています。これは高見の思想に深い影響を与えた体験であったようです。

出征・空襲ですっかり客種が変わってしまい、「この困難な戦局にお気楽に芸能でもないものだ」という時期に「菊五郎の踊りをほんとうに楽しむ観客がどれくらいいるのか」、それを思うと菊五郎が気の毒になってくるのだが、菊五郎は手を抜くどころか、以前にも増して必死に踊っている、どんなに必死に踊っても消えてしまうものなのに・・・

『何に支えられて(六代目)菊五郎は踊っているのだろう。いや、なんにも支えられてはいないのだ。そう思いついた。自分の愚かさが反省された。芸とはかくのごときものなのだ。空しいところに芸はある。(中略)逆に、かような芸の空しさが、羨ましくも思われてきた。なまじ、あとに残る文字芸術などに従っているものの、空しさに厳しく直面できぬ不幸、空しい厳しさに鍛えられぬ不幸。(中略)菊五郎の踊りを見て、所詮心に誓ったことは、かくのごとく、業(ごう)のごとくに書け。』(高見順日記・昭和20年1月16日の項)

吉之助は同じことを指揮者ウィルヘルム・フルトヴェングラーにも思いますねえ。大戦前に多くの音楽家がドイツを離れたなかで、フルトヴェングラーは故国に留まりました。このため戦後は戦争協力の罪で裁判に掛けられることになってしまいました。ロナウド・ハーウッド作の「テイキング・サイド〜どちらの側に立つか」はそんなフルトヴェングラーの苦悩を描いたお芝居でした。フルトヴェングラーは自己弁護はしませんでしたが、もし彼の心境を言葉にするならば、「私は身は売っても芸は売らなかった」と言ったかも知れません。フルトヴェングラーはドイツ人の心のなかの一番大切なものを守ろうとしたのです。

「阿古屋琴責」で重忠は琴責について次のように説明しています。

『糸竹の調べは五音四声によく通じ直(なをき)を以て調子とす。まがり偽る心を以て此曲をなせる時は其の音色乱れ狂ふ。なかんづく此の琴、音有る物の司(つかさ)として人の心を正し、邪(よこしま)を禁(いさむ)ると白虎通にも賞じ置きたり。ここを以て重忠が女の心を見る拷問。』

中国の古書「白虎通義」の礼楽の章に「琴は禁なり、邪淫を禁止し、人の心を正す所以なり」とあるそうです。糸の調べは正しい心を以て正しい調べをとる、曲がった心で弾くならば、そのことは調べを聴けばすぐ分かると云うことです。それが嘘であるならば、嘘をつくことの罪の意識・あるいは心理的圧迫が呼吸や指先の乱れとなって、それが演奏のなかに自然と現われるであろう。この理屈は現代の嘘発見器の原理とほぼ同じだと云えます。重忠は心優しい裁判官に違いありませんが、決して手加減しているわけではないのです。

まあそういう理屈であるわけですが、ここに「身は売っても芸は売らぬ」という太夫の意気地が絡んで来ます。この言葉を安っぽい芸術至上主義(芸のためならば何だって許される)みたいに受け取る方がいるかも知れませんが、決してそうではないと思います。高見順が「業(ごう)のごとく」と書いた通り、これは己(おのれ)の存在意義と深く結び付いているのです。ここには遊女の「聖性」、一休禅師が地獄太夫「五尺の身体を売って衆生の煩悩を安んじる汝ら遊女は邪禅賊僧にまさる」と言ったのとまったく同じ思想が感じられます。「太夫は苦界に身を沈めた存在であるけれども、心まで売ることはしない、自分が日頃大切している芸の心を踏みにじることは絶対にしない」という意気地が太夫にあるはずだ、だから阿古屋のなかの・その意気地に訊いてみようじゃないかと云うのが、重忠の琴責の理屈です。ここでは太夫の意気地が問われているのです。だから阿古屋は自分の一番大切なものを守ろうとして戦ったと云うことですね。これが阿古屋の琴責が示すものです。

玉三郎の凛とした風情の阿古屋を見ながら、そんなことが浮かんで来たのですがね。

(R7・2・14)


(追記)

文章の流れ上他の役に言及出来なかったので、ちょっとだけ追記します。

菊之助の重忠は平成27年(2015)10月歌舞伎座以来なので・10年ぶりのことですが、立派な重忠になりました。もともと理知的な印象の重忠でありましたが、グッと良くなったのは風格が増して・ちょっとくらいのことで動じない裁判官(捌き役)の大きさが備わってきたことです。これもこの10年ほど数々の大役に挑戦してきたことの成果が確実に表れたと思います。本年5月歌舞伎座からの八代目菊五郎襲名が迫るなか心強いことです。

種之助の岩永は人形振り(役者が人形を真似る)よりも人形身(人形に成り切る)とでも云えそうな岩永ですが、これは平成30年(2018)12月歌舞伎座での玉三郎の岩永そのままですから、玉三郎からの伝授でしょう。玉三郎の岩永は、役者の名前を伏せれば・これを玉三郎が演っていると判る人は皆無だと思うほど印象がかけ離れて・薄気味悪いほどでしたが、種之助の岩永も頑張っていました。この人形身の岩永が象徴するのは、芸事のあはれを理解することのない人物に対する嫌悪と云うことですが、種之助の岩永はこれをコミカルに表現して観客の受けも良かったと思います。

(R7・2・17)


 

 


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