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六代目児太郎初役の阿古屋・五代目玉三郎の岩永〜「阿古屋」

平成30年12月歌舞伎座:「壇浦兜軍記〜阿古屋」 Bプロ

六代目中村児太郎(遊君阿古屋)、九代目坂東彦三郎(秩父庄司重忠)、五代目坂東玉三郎(岩永左衛門)

比較参考:平成30年12月歌舞伎座:「壇浦兜軍記〜阿古屋」 Aプロ
代目坂東玉三郎(遊君阿古屋)、九代目坂東彦三郎(秩父庄司重忠)、四代目尾上松緑(岩永左衛門)


1)児太郎初役の阿古屋

阿古屋と云えば、琴・三味線・胡弓と三つの楽器をこなし、数ある女形の大役のなかでも難役中の難役とされるものです。戦前から戦後しばらくは十二代目仁左衛門・三代目梅玉・四代目富十郎など阿古屋を勤める女形は少なからずいました。しかし、昭和30年代に入ると阿古屋はもっぱら六代目歌右衛門の専売となってしまいました。何しろ七代目梅幸も四代目雀右衛門・七代目芝翫でさえ阿古屋には手が出せなかったのです。やはり三曲の習得が大きな 障害であったことは疑いありません。(良い意味で)何でも演じたがりの、あの三代目猿之助(二代目猿翁)さえ阿古屋を演ろうとしてコキュウ(胡弓)困難で挫折したとインタビューで語っていたくらいです。幸い吉之助は晩年の歌右衛門の阿古屋を二度ほど見ることが出来ましたが、当時は阿古屋を演じられる役者は歌右衛門で絶えると云われたものです。しかし、有難いことに玉三郎が平成9年1月国立劇場において阿古屋 に挑戦し、これ以後当たり役のひとつとして来たことは御存じの通りです。

それにしても玉三郎の後を継いで阿古屋に挑戦する若手女形は現れるのであろうか、やっぱり阿古屋の芸の系譜も玉三郎で絶えるのだろうかと半ば諦め掛けていたところに、今回(平成30年12月歌舞伎座)、児太郎と梅枝が名乗りを挙げたことは吉之助にも全く予想外で、吃驚と云うか頼もしいと云うか、若手も彼らなりに伝統の継承ということを真剣に考えていたことが分かってとても嬉しいことでした。しかもいきなり歌舞伎座デビューとは思い切ったことで、これには興行サイドへの玉三郎の強い働きかけがあったことは明らかであるとしても、阿古屋は「この役に挑戦してみろ」と云われて「ハイ」と二つ返事で受けられないほどの難役ですから、どれくらいの準備期間があったか知りませんが、とにかく演り通しただけでもよく頑張ったと褒めてやりたいし、これで歌舞伎も二十年くらい寿命が延びたと思って良いのかも知れないと思います。そう考えるとこれは平成歌舞伎の最後の事件なのかも知れませんねえ。

そういうわけで今回は児太郎初役の阿古屋を見て来ました。(時間が取れなくて梅枝の阿古屋が見られなかったのは大変残念です。)児太郎は落ち着いた様子で、初役にしては悪くない出来であったと思います。玉三郎との比較などすべきことではないですが、玉三郎は如何にも太夫らしい凛とした気品と強さ・風格の大きさで際立っており、そういうところは児太郎は今後回数を重ねていくことで備わって来るものだと思います。しかし、児太郎の阿古屋の良いところはしっとりとした優美さと落ち着きのある風情で、これはなかなか得難いものです。阿古屋の花道での竹本の詞章「形は派手に気が萎れ、筒に生けたる牡丹花ん、水上げかねる風情なり」を想わせるものでした。先日(10月歌舞伎座)での仁左衛門の「助六」では児太郎は白玉を演じましたが、これも将来の揚巻を期待させるに十分なものでした。児太郎はこのところ急速に腕を上げているのではないでしょうかね。

三曲に関しては、玉三郎でさえ「初役の時はどうしても楽器の演奏をミスなく勤めることに神経が行ってしまうもので、役の心で楽器を奏でられるようになるのには三演目過ぎたくらいからのことだった」と語っていたくらいですから、今回は無難に勤めおおせただけでも立派なことだと思いますが、最初の琴はちょっと不安気にも感じましたが、三味線は落ち着いた出来でしたし、胡弓についてはなかなか上手いものであったと思います。

2)玉三郎の岩永

演目発表の時にこれはミスプリか?と疑ったのですが、玉三郎の岩永左衛門という配役が本当だと分かった時には大変驚きました。まったく想像も出来ない岩永を玉三郎が敢えて演ろうと思った動機は吉之助には分かりませんが、多分若手の応援のために敢えて人寄せパンダに徹したということなのでしょうかねえ。しかし、実際に目にした玉三郎の岩永はなかなか興味深いものがありました。

玉三郎の岩永は凝りに凝ったもので、人形振りと云うよりも「人形身」とでも云うべき岩永でした。普通立役が演じる人形振りの岩永は、赤面をしていても誰が演じているか容易に判別が付くものです。一方、玉三郎が演じる岩永は瞼に目玉を描き(したがって演技中は目を閉じており)、黒衣の足遣いに義足を任せて身体を浮かせたように見せる工夫を凝らしており、名前を伏せておれば、一見したところでは誰が演じているか、それが玉三郎だと言い当てる者がいると到底思えないほど、まったく印象がかけ離れているのです。動きも普段の人形振りよりも鋭角的にカクカクとした仕草を強調したものでした。人形的な動きをそれらしく見せると云うよりも、人形に成り切ろうとする印象なのです。このため舞台上に人間でないもの(魂が入っていない異形の存在)が勝手に動き回っているような薄気味悪さを感じさせました。これを至極真面目に演じているのが玉三郎だと云うところが興味深く、近頃珍しいものを見せてくれたものだと思います。

ところで「阿古屋」のなかで、岩永の人形振りはどういう意味を持つものでしょうか。「阿古屋」はドラマティックな起伏が少なく風情で見せる芝居なので下手をすると観客が退屈してしまいそうです。だから視覚的な変化を岩永に持たせようという意図が確かにあると思いますが、多分それだけではない。役者が人形の動きをそれらしく真似る行為は、或る種のパロディ的要素を孕むものです。恐らく歌舞伎は、粋(すい)や風雅を解さない岩永という人物を揶揄する為に意図的に彼に人形振りの動きを充てたのです。しかし、更に踏み込んで人形振りではなく「人形身の岩永」と云うことになれば、その視覚的ギャップはさらに強烈なものとなります。これは揶揄と云うよりも、非難・嫌悪に近い感覚になるかも知れません。玉三郎は、岩永を木石同然の人物、歌舞伎の敵だと切り捨てたということかも知れません 。

彦三郎の重忠は、口跡爽やかで一応の成果を挙げています。重忠はもちろん風雅を解する人物ですが、最初から阿古屋の無実を信じ許してやるつもりで対しているわけではありません。観客からはそのように見えかねないところがありますが、決してそうではありません。重忠は重忠なりの流儀で阿古屋から自白を引き出そうとしているのです。そうでなければこの場を責め場、琴責めと呼ぶはずがありません。彦三郎の重忠はそこのポイントをしっかり押さえているので実直な官吏には見えますけれど、それだけだとまだ十分ではないのです。この厳しい場面において優しい言葉を掛けられれば、阿古屋でなくても心がグラ付いて思わず頼ってしまいそうです。そのような「良い人」オーラを重忠は発散しているわけですが、実は阿古屋にとってそこが危険なのです。だから重忠は性根の置き所が結構難しい役だと思いますね。彦三郎は口跡が明解なのは良い点ですが、台詞廻しにもう少し柔らかさ・色気を持たせたい。回数演じてそういうところを体得していけば、彦三郎は良い捌き役になる素質が十分あると思います。

(H30・12・30)



 

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