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五代目玉三郎のこれから

令和5年9月・南青山BAROOM:「坂東玉三郎 PRESENTS PREMIUM SHOW」〜口上と衣装解説

五代目坂東玉三郎(トーク)


1)玉三郎のこれから

9月に入っても相変わらず暑い日が続きますが、南青山BAROOMで行われた「坂東玉三郎 PRESENTS PREMIUM SHOW」を見てきました。吉之助が見たのは「口上と衣装解説」でした。後半日程ではシャンソンを中心とした「スペシャル・コンサート」が行われるそうです。

ちなみにこの企画がプレス発表されたのは、本年6月5日のことでした。この時マスコミが「スワッ玉三郎が大劇場公演から引退か?」みたいに面白おかしく騒ぎました。吉之助は玉三郎が歌舞伎座に出なくなるとまで思っていませんが、吉之助には別に驚きはなかったのです。ここ10年の玉三郎の活動を見れば、少しづつではあるが第一線から身を引こうとする気配は見えていました。どこかで本人が言っていた気がしますが、「気が付いたら舞台から消えていた」と云うのが玉三郎の理想なのではないかと感じていました。むしろ最近2・3年の活躍の方が玉三郎には予定外のことであって、令和2年(2021)に始まった世界的なコロナ禍で各地劇場が休場に追い込まれた後、歌舞伎興行の回復のために玉三郎が一肌も二肌も脱いでくれたおかげで、それで「桜姫東文章」・「東海道四谷怪談」・「ふるあめりかに袖はぬらさじ」などの舞台が実現したことは、我々には望外の喜びでありましたが、これらすべて玉三郎にとって予定外の奮闘であったと思っています。従ってもしコロナ禍がなければ、今回のような小空間での公演企画は今より1・2年早く実現していた気がします。(以上は吉之助個人の推測です。)これは遅かれ早かれ予期されたことで、「気が付いたら舞台から消えていた」という事態よりは、細く長く続けてもらえるわけだから・むしろ望ましいのかも知れぬと思ったりもします。

思えば六代目歌右衛門は、平成に入ってから舞台出演がめっきり減りました。ちなみに平成元年(1989)の時点で歌右衛門72歳でした。女形というのは重い衣装を着てなかなかの重労働ですから、身体への負担が大きいのです。(そう考えると80前半まで矍鑠(かくしゃく)としていた四代目雀右衛門や四代目藤十郎は凄かったですね。)玉三郎(現在73歳)がそのような微妙な時期に差し掛かっているのは確かなことなので、玉三郎も歌舞伎役者として、今後歌舞伎のために自分が出来ることをいろいろ考えていると思います。今回吉之助がBAROOM公演を見に行ったのは、これからの玉三郎が何をするのか・何をしたいのか、そんなところの手掛かりが欲しいなあと云うことでした。と同時に吉之助ももう50年近く玉三郎を見続けてきたわけですから、そこのところ最後までしっかり見届けたいと思うわけです。(この稿つづく)

(R5・9・6)


2)玉三郎と衣装

南青山のBAROOMは、バールームではなく・バルームと呼ぶそうです。円形の空間に包まれて演者と観客が一体となって浮かび上がるイメージを込めた名称だそうです。風船(Ballon)と掛けた造語かも知れませんね。BAROOMはステージを約100人の客席が円形に取り囲む形式で、普段は小編成のジャズ・コンサートなど行なう小空間かと思いますが、バレエと三味線のコラボレーションが試みられたこともあるそうです。このようなシックな小空間で至近距離で玉三郎の姿を拝めることは、得難い機会です。歌舞伎でも一階最前列や花道傍の席ならば至近で役者を見ることは出来ますが、これだと見上げる形になってしまいます。それに客席と舞台には感覚的な隔たりがあります。BAROOMの空間ですとステージと観客席は連続しており、観客もほぼ玉三郎の目線の高さに近いところで・ご対面に近い感じになるわけです。みなさんあまりの至近距離に大感激のご様子でしたね。

そう云えば令和2年(2020)9月・コロナ休場から再開したばかりの歌舞伎座で、玉三郎が「映像X舞踊 特別公演・鷺娘」という企画を出しました。あの時も衣装紹介と若干のトークがありましたが、今回はそれの小空間バージョンと云うことでありましょうかね。あの時も「お客様がこの企画を心底愉しんでいただけているか」という気遣いが伝わるものでしたが、今回は小空間ですから「おもてなし」の気持ちがより強く伝わって来るようでした。至近で見る衣装(「船弁慶」の静御前・「天守物語」の富姫・「廓文章」の夕霧の衣装など10点ほど)はもちろん見事なものでしたが、それらを玉三郎が羽織った形で見せてくれると・衣装の見事さがより以上に映える、と云うよりもやはり衣装は役者に着用されてこそ本当に「生きる」ということを思いますね。玉三郎の解説でこれらの衣装が絵柄デザイン・織りの細かいところまで職人さんたちとの打合せを経て出来上がったものであることを知り、衣装の作り手さんの思いを纏っていることがよく分かりました。

衣装紹介をしながらフト思い出したのか、玉三郎がこんなことを言いました。幼い頃・衣装を作ってくださる職人さんに心付けを渡して「いい衣装を作ってくださいね」と言ったら、それを聞いた父(十四代目勘弥)に後で「襤褸の衣装でも、いい衣装に見せて芝居するのが役者と云うものだ、お前いい衣装じゃないと芝居出来ねえのか」とひどく怒られましたと言ってましたねえ。もちろん幼い玉三郎がそんなつもりで言ったのでないことは分かり切ったことですが、役者の家ではそうやって幼い頃から厳しく躾(しつけ)をするのですねえ。と同時に、「どんな衣装でも役者はこれをいい衣装に見せて芝居をせねばならない」と云う教えと、こうして玉三郎が衣装制作にこだわりを持つことは、ちょっと見は相反することのように見えるかも知れないが、「作り手さんの思いを纏って・この衣装に見合う・もっともっといい役者になりたい」と云う思いで玉三郎が長年役者をやって来たのだと分かる、いいエピソードであったと思いますね。

小空間での催しには、いろんな可能性があると思います。今回のエンディングでは玉三郎が地唄舞「黒髪」の一節を舞って静かに退場という形でしたが、短い一曲で良いから・この濃密な空間でじっくり地唄舞(素踊りで結構)を見せて欲しいと思いました。これからの玉三郎が何をしたいのか、何となくつかめたような気がしましたが、心静かに待ちたいと思います。

(R5・9・8)

(追記)別稿「リサイタルのこれから〜アンドラーシュ・シフ・ピアノ・リサイタル・2023」もご参照ください。


 

 

 


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