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コロナ以後の歌舞伎〜「歌舞伎は今必要とされているのか?」

*本稿は別稿「コロナ以後の生活」の続編みたいなものです。


1)ウィーン・フィル来日公演のこと

タイトルは大仰ですが、結論を付けるつもりはなく、ホンの雑談ですので、お気楽にお読みください。例に拠ってクラシック音楽の話題から始まりますが、そのうち話しが歌舞伎に絡んで来ると思います。

2020年初めに始まった世界的な新型コロナウイルスの蔓延により、世界の演劇・音楽などのパフォーマンス芸術が大きな痛手を被っています。欧米クラシック音楽界に関しては、3月上旬に歌劇場やコンサート・ホールが各地で相次いで閉鎖となり、6月中旬から楽団員の間隔を空けてオーケストラを配置する・客席を間引きして客数を制限するなどの方策を試みながら徐々に再開の方向へ進んでいるものと理解していますが、冬が近づくと共にコロナ感染が再び増え始めて、次第に雲行きが怪しくなってきました。このような状況下では外来オケの来日公演など到底無理なことだと諦めていたら、10月30日に突然ウィーン・フィルが来日公演を当初スケジュール通り11月に実施するとのニュースがあり、嬉しいと云うよりは・ホントに大丈夫か?と驚きました。

楽団からは6月以来楽団員は4日に一度PCR検査を受けており管理万全であること、来日中は演奏会場との往復以外はホテルに終日隔離・外部接触は一切ないということでの、日本・オーストリア間の外交レベルでの合意を得た・特例による来日公演であるというアナウンスがされました。現在日本のオケも演奏会再開には苦労しているし、主席あるいは客演指揮者・ソリストの来日がままならない状況で、ウィーン・フィルだけこの特例扱いは何だと云う声もあるようです。その気持ちも分からなくはない。だからこそ今回の件を単なるお祭り扱いにしたくないと思います。

ウィーン・フィルやベルリン・フィルは、もちろん吉之助の音楽歴のなかでも重い位置を占める特別なオケですが、切符代が高いので・このところの来日公演は敬遠していました。聞きたければインターネットなどで最新の演奏会がチェックが出来るし、同じ切符代で日本のオケなら4回くらい聞けます。そんなわけで吉之助は当初ウィーン・フィル公演に行くつもりがなかったのですが、急に思い直して追加公演の切符を入手したのは、「コロナ封鎖という異常な状況下で音楽が鳴るということはどういうことか」、そういうことを体験しておくことは、こういう批評活動をやってる為の何かのヒントがあるかも知れないと思ったからでした。

人によっては、コロナ下での演奏会(今回のウィーン・フィル公演に限らず、現在市松模様の座席配置で見る歌舞伎座公演だって同じことです)を、第2次世界大戦中・いつ空襲警報が鳴るかも知れない恐怖と緊張の下で行なわれた演奏会に例える方がいらっしゃいます。戦争中の状況とコロナを重ねるのは次元的におこがましい気がしなくもないですが、確かに重なるところが多少でもあるのかも知れませんね。ドイツの批評家ヨアヒム・カイザー(日本で云えば吉田秀和のような存在)がこんなことを書いています。

『死の危険に囲まれ、恐ろしい終末の接近に 怯えながら偉大な音楽に慰めを感じるということが、あの時、そしてその後の数年間、どういう意味をもっていたかを言葉にするのは難しい。戦時中のフルトヴェングラーのレコードの方が、よく伝えてくれるだろう。今、コンサートが終わるとわれわれはどこのレストランに行こうかと考える。あの頃はもう一度音楽を聞くことがあるかどうかが分からなかった。誤解しないでもらいたいのだが、きっと誰しも同じだろうが、私だって死の不安よりレストラン選びの方がうれしい。ただ、いわば運命的な状況で鳴ることが音楽を損ねはしない、と云うことなのである。』(ヨアヒム・カイザー:「非政治的と考えられていた人の政治的伝記」・1980年カイザーのミュンヘンでの講演より〜「フルトヴェングラーを讃えて―巨匠の今日的意味に所収・音楽之友社)

「運命的な状況で鳴ることが音楽を損ねはしない」ということは、結構大事なことであると思います。何となく運命的な状況で音楽が鳴る時には音楽も運命的に響きそうな期待があるのだけれど、そうじゃないのだねえ。まあそういうことを確かめてみましょうかと云うことで、ワレリー・ゲルギエフ指揮ウィーン・フィル公演に行ってきました。正直に申し上げれば、コロナ感染の不安の下での演奏会ということならば、あの時はまだ入り口で検温したり・消毒用アルコールを置く習慣はなかったけれども、吉之助にとっては本年2月16日のイーヴォ・ポゴレリッチのリサイタル(同じサントリーホール)での方がずっと緊張したように思いましたねえ。あの時は吉之助は歌舞伎座2月公演千秋楽の切符を持っていましたが、家族の猛反対もあって、結局切符を反故にしてしまいました。半年間自粛生活で慣れちゃったせいか、今回は淡々とした気分で電車に乗り・演奏会場に入り・席に着きました。座席の間を開けずびっしり満員の光景は、歌舞伎座の市松配置を知る(あれは見やすくて良いけれど)身には異様に見えましたが、これもすぐに慣れました。

演奏はさすがに気合いが入って素晴らしかったです。吉之助はウィーン・フィルのドビュッシーが昔から好きです。ウィーン・フィルのドビュッシーの響きは油絵具のように透明感に欠ける・ちょっと重ったるい色彩感覚ですが、フランスのオケの明晰なラテン的感性とはまた異なる魅力があります。最初の牧神の午後への前奏曲では、吉之助もちょっとウルッと来たことを告白せねばなりません。何となくコロナ前の日常が戻ってきたような錯覚に陥ったのです。しかし、どんな状況下においてもドビュッシーはドビュッシー、ストラヴィンスキーはストラヴィンスキーとして変らず鳴ると思いました。まあ当たり前のことなんですけどね。(この稿つづく)

*2020年11月12日・東京サントリー・ホール
ワレリー・ゲルギエフ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
        交響詩「海」〜三つの交響的スケッチ
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」全曲(1910年版)
J・シュトラウスU:皇帝円舞曲

(R2・11・24)


2)状況とどう対峙するか

前章でヨアヒム・カイザーの「運命的な状況で鳴ることが音楽を損ねはしない」という言葉を引きました。若い頃の吉之助も、第2次世界大戦中のフルトヴェングラーのライヴ録音を、何ものにも代えがたいお経みたいに拝して聴いたものでした。今思えば古い録音の混濁した響きは、運命的な状況をそれらしくメイクしてくれるところがありましたねえ。ダダダダ―ンというのが、フルトヴェングラーではドドドドワーンと響くんですよ。オオこれこそ運命的な響きだと思ったりしたものでした。この呪縛はなかなか強固なものですが、長くいろいろな演奏をとっかえひっかえ聴いてみて次第に分かって来ることは、どんな状況であってもやはりベートーヴェンはベートーヴェンだという当たり前のことなのです。それにしても第2次世界大戦中のフルトヴェングラーのことを話題に出すと、フルトヴェングラーが状況に対してどう対峙したかという問題をどうしても考えざるを得なくなって決ます。

ここで紹介するのは、1942年4月19日、旧ベルリン・フィルハーモニー・ホールでの、ヒトラー生誕前夜祭でのベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」の第4楽章・最終部分の映像です。演奏が終わると宣伝大臣ゲッペルスが指揮台に近づきフルトヴェングラーに手を差し伸べ握手する姿が、バッチリ映像で残されています。これはフルトヴェングラーのナチス協力の証拠として、後々までフルトヴェングラーに圧し掛かった重い事実です。果たしてフルトヴェングラーはナチスに進んで協力したのか・それともやむを得ないことだったのか、あるいは芸術は政治とは無関係に超然と立つものなのか・そうではないのか、などいろいろなことを考えさせられます。

カイザーの「運命的な状況で鳴ることが音楽を損ねはしない」というテーゼを元に考えれば、次のようなことが言えるかも知れません。音楽は状況に関係なく・芸術として超然として鳴る、フルトヴェングラーはその芸術の忠実な使徒であり、彼の芸術活動は時代的状況とはまったく無関係であった、したがってフルトヴェングラーは無罪である。

同じテーゼを元にして、こうも言えるかも知れませんねえ。音楽は状況に関係なく・芸術として超然として鳴る、フルトヴェングラーはその芸術の忠実な使徒であろうとし、「これは自分には関係がないことだ」と彼が対峙すべきであった時代的状況から目を背けた、したがってフルトヴェングラーは状況に対して無責任であり有罪に値する。

どちらとも言えるわけです。ロナウド・ハーウッドの「テイキング・サイド」は、そのような時代的状況に関する芸術家の責任を問うた芝居でした。「・・それで君はフルトヴェングラーを無罪にするか・それとも有罪か、どちらの側に立つか?」と問われた時、長年のクラシック音楽ファンの吉之助さえウッと詰まってしまいます。軽々に答えられない問いなのです。(別稿「どちらの側に立つか」をご参照ください。)

第2時世界大戦の戦争責任とコロナは同次元に論じられないと思うかも知れません(コロナ・ウイルスに協力したいと思う奴はいないだろう)が、些末的なところでは、このコロナ蔓延の状況下で君はマスクを着けるか・それとも断固拒否するかという問題もあり得ます。米国あたりでは、実際それでデモ・小競り合いさえ起きています。しかし、吉之助はそういうことを本稿で言いたいわけではありません。深刻さの度合いはフルトヴェングラーとは全然異なるけれども、現在のコロナと云う時代的状況下で、パフォーマンス芸術の在り方が問われている時、芸術家は状況にどのように対峙せねばならぬのかという点で、次元は違えどフルトヴェングラーと同じことがここで問われているのです。

だから「コロナ封鎖という異常な状況下で音楽が鳴るということはどういうことか」ということが、吉之助にとって大事なことになってくるわけです。(この稿つづく)

(R2・11・25)


)状況に対し「いきどおる」気分

折口信夫が昭和27年に「国民文学の方向」という題で座談会に出席した時、日本の歴史のなかで、時折傑出した人物が登場して大きく転換していく時代に対して「いきどおり」を発することがあるということを言いました。偉大な人物が何か大きなエネルギーを周囲に発散する、そうやって歴史が大きく動かす。しかし、それをみんなで寄ってたかって食いつぶしてしまう、日本人にはそういう悪いところがあるが・・と折口は言うのですが、吉之助は、時代に対して・或いは状況に対して「いきどおり」を発する、歌舞伎でもこれが大事だと思っているのです。吉之助が提唱している「かぶき的心情」もそういうものです。本サイトは歌舞伎のサイトですから歌舞伎役者の名を挙げれば、大きな「いきどおり」ならば、初代団十郎・初代藤十郎・初代富十郎・或いは四代目小団次・九代目団十郎さらには二代目左団次のような役者が発したものです。小さな「いきどおり」ならば、まだまだ多くの役者を挙げられるでしょう。

『日本では初め、「いきどおり」(正確には「憤り」の字に当たらず。発奮・奮発などという意味にある程度近い)を発してその勢いに乗って解決してしまう。時を経て後、これを徐々に行っていくということは、どうもいけなかったようです。だから、そういう人の出た時は非常に幸福だったわけなのです。しかし、不幸なことに、そういう人が出ることなくそのままで過ぎたということが多い。実は、もうひとつ伸びてくれたらよさそうなものが伸びなかったり、思いがけない時にひょっくり立派なものが出てくる。そうしてそれっきりで終わっている。そうしたことが多いのじゃないか。その点日本人はじつにうるさい。何でもかんでも寄ってたかって食いつぶしてしまうのです。大きなものの出た後には、必ずつまらぬものが続いて出てくる。そうして大きなものを食いつぶしてしまう。日本人のこの性質が変わってこない限りは、いけないと思うのです。非常に優れた人間が輩出して、いきどおりを発することをしなければ駄目です。世の中が変わりません。』(折口信夫の座談会:「国民文学の方向」・昭和27年8月)

ここで折口は「いきどおり」は必ずしも「憤り」という字を当てはめず、「発奮する・奮い立つ」という意味であるとわざわざ後注を入れています。歴史を眺めて見れば単純なケースにおいては、世を動かす原初動機は怒りや憤懣であることがとても多いものです。例えば元禄の初代団十郎の荒事もそういうものかも知れませんねえ。怒りの感情こそ混沌とした感情をもっともシンプルにひとつの流れに整理するものです。それゆえ危険でもあるわけです。しかし、感性の流れをポジティヴな方向へ制御出来るならば、これは芸術作品を生み出す原動力にもなるのです。

2020年3月というのは、コロナ蔓延により世界各地で歌劇場やコンサート・ホールが相次いで閉鎖された時期でした。米国フィラデルフィアでは3月12日当日に演奏会の中止が決定されました。フィラデルフィア管弦楽団と音楽監督ヤニック・ネゼ=セガンは中止されたプログラムを同じ日に無観客で演奏し・これをオンラインで世界にライヴ配信することを急遽決めました。下に紹介するYoutube映像はその模様ですが、この演奏には「突然日常をもぎ取られた理不尽さへのいきどおり」が満ちています。これはもちろん特定の誰かに対して憤ったものでは全然ありません。彼らは「理不尽な状況」に対して憤ったのです。

*2020年3月12日・米国フィラデルフィア、アカデミー・オブ・ミュージック
ヤニック・ネゼ=セガン指揮フィラデルフィア管弦楽団(無観客公演)
曲目はベートーヴェン:交響曲第5番「運命」、第6番「田園」

演奏されるベートーヴェンの交響曲第5番では、突然の難聴に襲われ苦悩した作曲家の苦悩と重なり、畳み掛けるリズムがコロナの状況に対する「いきどおり」をストレートに表現しています。一転して後半のプログラム・交響曲第6番では自然への感謝が、いつ戻るか分からないが・やがていつか戻るであろう日常への憧れを誘います。確かにこれは吉之助が好みにしている伝統的なドイツの重厚な響きとは全然違います。好みに拠りますが、キンキンして耳に痛い響きと云う感じもしなくはない。如何にもアメリカ的な響きなのですが、しかし、楽譜に書かれた音符がすべて思い切り鳴っていると云う爽快感もあって、彼らの「いきどおり」が心にビンビン突き刺さる気がします。

演奏が終わると、指揮者と楽団員全員が誰もいない客席に向かって起立します。本来ならば暖かな拍手で満たされるはずの光景ですが、この映像では(無観客公演ですから)無音です。彼らに力いっぱいの拍手を贈りたいのに無音なのです。吉之助はこの映像を見ながらホント悔しい思いがしました。みんなが安心して演奏会に行ける状況が一日でも早く戻ることを願わずにはいられませんでした。この「いきどおる」気分が世界の未来に向けた流れをシンプルなものにすることを信じたいですね。

いきり立って力むのだけが「いきどおり」とは限りません。「いきどおり」にも、いろいろな表現の仕方があるわけです。大事なことは、彼らが状況に対してしっかりと向き合い、毅然とした態度を見せたことです。ベートーヴェンは、どんな状況であってもべートーヴェンとして超然として響く。この映像からは、そのようなメッセージが伝わって来ると思います。(この稿つづく)

(R2・11・26)


4)パフォーマンス芸術の「場」の在り方について

「ゴースト・ライト」と云うのをご存知ですか?吉之助も今回知ったのですが、アメリカの劇場では昔から劇場が稼働していない時、興行中や舞台稽古・舞台セッティング以外で劇場が空っぽの時に、真っ暗なステージ中央に裸電球を灯したスタンドをひとつだけ立てておく習慣があるのだそうです。「ゴースト・ライト」とは、「お芝居が終わることなく・いつまでも続きますように・・・」と云う願いを込めたもので、自然発生的に広まった習慣であるようです。現在コロナ禍のニューヨーク・ブロード・ウェイの各劇場では来年春頃までの休演が予告されている状況ですが、どこの劇場のステージにもゴースト・ライトが一灯燈っていると思います。

ジョン・ノイマイヤーはハンブルク・バレエ団の芸術監督で、バレエ振り付けの重鎮です3月頃からコロナ禍で欧米の劇場が次々と閉鎖されて、それがちょっと下火になってそろそろ劇場再開の動きになってきた頃に、ノイマイヤーが着想したのが、下に紹介する「ゴースト・ライト〜コロナ時代の或るバレエ作品」です。練習場が閉鎖されているので、ダンサーたちへの振り付け指示はリモート(Zoom)で行われたそうです。初演は2020年9月6日ハンブルクにおいてでした。

「私たちは、互いに自由に触れるバレエの表現方法に慣れ切っている。触れるのが当たり前のこと見なしているところがある。パ・ド・ドゥ(pas de deux、男女2人の踊り)やリフト(持ち上げる)の時、皆、どこかしら触れるからだ。だが今は人に触れることができず、距離がある。そのことで新たな緊張感が生まれている。」(ジョン・ノイマイヤーのインタビュー、2020年7月19日AFP)

「ゴースト・ライト」は、バレエに詳しくない吉之助にはよく分からないのですが、ノイマイヤーのこれまでの振り付け作品の数々を断片的に回想する形で作られているのだそうです。例えば冒頭に音楽無しで始まるのは、「椿姫」のマルグリットです。やがてアルマンが現れてふたりは踊り始めますが、そこには歓びも何も見えません。

*ジョン・ノイマイヤー振り付け:「ゴースト・ライト〜コロナ時代の或るバレエ作品」(部分)
ハンブルク・バレエ団
音楽:シューベルト、ダヴィッド・フレイ(ピアノ)

2020年10月20日バーデンバーデン祝祭劇場

ところでここでは音楽はシューベルトが使用されていますが、これでノイマイヤーの意図が明らかです。シューベルトは、18世紀前半の、いわゆるウィーン体制以後の作曲家でした。当時のヨーロッパではフランスか革命・ナポレオンの嵐が吹き荒れて、そのなかで自由民権思想が拡がりました。しかし、王政復古でその夢は破れ、窮屈な世の中に逆戻りしてしまいました。政治権力は、自由民権思想の蔓延を恐れ、出版・集会を厳しく検閲・監視しました。この頃、シューベルトは親しい友人を集めて詩の朗読や音楽の演奏などをして楽しむ自由なサロン(シューベルティアーデ)を催していましたが、このなかにも自由民権思想に染まる者が出て、そのあおりでシューベルトも嫌疑をかけられてしょっ引かれる事件も起きました。(シューベルトはすぐ解放されましたが。)当時の自由民権思想は、権力者にとってコロナ・ウイルスみたいに伝染性を持った危険なものでした。彼らは「三密」を恐れました。人が集まるところは情報が行きかう場所・不審者が潜伏し・密議が交わされる場所でした。つまり「悪場所」です。かつて江戸幕府が芝居街を悪場所と見なしたのと同じことです。

このため市民たちは、自由や理想を追い求めても・それは内なることにして決して外には漏らさず、家に引きこもって趣向を凝らした家具調度品・工芸品・装飾品・衣服を好み、内なる思索と趣味にふけるようになって行きました。この時代の文化をビーダーマイヤー文化と呼びます。(小市民文化と呼ばれることもあります。コロナ後の生活がどう変わるか、これはひとつの参考になるかも知れません。)シューベルトはそのような時代の作曲家で、多くのピアノ曲や歌曲を作曲しましたが、その作品は外見的には個人的で内省的な佇まいを見せてスケールが小さいように見えるかも知れませんが、実はそこに封じ込まれたロマン性は熱く煮えたぎっているのです。シューベルトは、まさに鬱(うつ)の作曲家でした。

ウィーン体制当時の権力者たちが「三密」を怖がったということは、もちろん現在とは全然事情が異なります。現在どこの政府も(少なくとも日本や欧米においては)芸術に対して表立った干渉をすることはありません。「密集を避けよ」ということは、もちろん「ウイルス感染のリスクを減らせ」ということで、それ以外のメッセージはないはずです。しかし、次元は異なりますけれど、見方を変えれば、それは実質的には「演奏会に行くな、劇場を避けよ」ということになり、(現在の興行形態においては)パフォーマンス芸術にとってはそれは「死ね」と言われるのに等しいことになるのです。このロジックは決して我田引水のものではありません。パフォーマンス芸術は不要不急のものとされました。つまり残念ながら演奏会や劇場は、再び「悪場所」みたいに扱われたことになります。(他にも同じような扱われ方をされた業種があるだろうと思います。)

つまりこのコロナ禍においては、演劇でも音楽でも、パフォーマンス芸術にとっては、本来それが表現を披露すべきところの「場」の在り方、或いは表現者と観客との「関係」の取り方が問われているのです。これがノイマイヤーが感じていることです。(この稿つづく)

*三密(さんみつ)とは、新型コロナウイルスの集団感染を防止するため、外出時に避けるべき環境を指し、換気が悪い「密閉」空間、多人数が集まる「密集」場所、身近で会話などする「密接」場面の、三つの「密」のこと。

(R2・11・28)


5)「歌舞伎は今必要とされているのか?」

例えばレストランで食事をして隣のお客が席を立つと、すぐさまお店の方がやって来て・食卓や椅子にアルコールを吹き付けて拭く、これを見ているこちらも何とも感じなくなっているけれど、よく考えてみれば、これは何とも凄まじい光景です。これが去年のことであったならば、「お客さまを何と心得る、バイ菌だとでも思ってるのか」と不快に感じたことでしょう。しかし、コロナ以後はこれが既に当たり前の習慣になってしまったのです。これを不審感というのは適切でないかも知れないが、隣に知らない人が座ると何だか落ち着かなくなる。かと云って知っている人であれば安心なわけでもない。コロナはどこから来るか分からないのです。コロナによって人と人との関係に亀裂が入ってしまいました。ゆえにパフォーマンス芸術においては、表現者と観客との「関係」(表現者相互の「関係」も含めて)の取り方が問われることになります。

さらにパフォーマンス芸術は「そもそもわれわれ表現者は必要とされているのか?」ということも自問自答せねばならない事態となりました。これまで忙しさに追われ・そんなことを考える余裕もなかったのに、コロナ禍の引きこもり中はそれを考える時間がたっぷりあったわけで、これは辛い期間であっただろうと思います。演劇関係者から「演劇は無観客では成り立たない、劇場は継続されねばならない」という意見が出た時に、「芸術は特別だと思いあがっている」とか、巷から激しいバッシングがありました。コロナ感染のなかの職場継続の議論であったはずが、そもそもお互いの論点がズレちゃってるわけですが、これはさながら「劇場・悪場所」論の復活のようにも思われましたねえ。しかし、ここは現代ではすっかりアート然としてしまった芸能が、かつて在った原点を思い起こす機会にはなったと思うべきでしょう。もともと芸能は「ほかいびと」から始まったのです。よそ者だったのです。次元が異なるロジックに思えるかも知れないが、これは非常に大事なことであると思います。歌舞伎はかつて芝居街が悪場所と云われた過去を思い出して震い立たねばならぬ時が来ているのです。つまり「歌舞伎は今この時代が必要としているものを提供出来ているのか?」という問いが再び大事になって来るのです。歌舞伎は今震い立っているのでしょうか。

まあ同じく奮い立つにしても、その表わし方は人さまざまであると思います。そんなことを考えながら、9月歌舞伎座での玉三郎の「映像X舞踊 特別公演・鷺娘」を見たわけです。この特異なコロナ状況下に歌舞伎座へ来てくださるお客を玉三郎がおもてなしするという心遣いが随所に感じられる舞台で、それがsomething specialな佇まいを醸し出していて興味深く感じました。佇まいは静かであるけれども、どこかピリピリした感じもあって、「いきどおり」が玉三郎らしい真摯な形をとって表れていたと思います。吉之助が見たのは千秋楽でしたが、興行中ずっとそうであったかは分かりませんが、吉之助の目には、「観客のみなさんが舞台を楽しんでいただけているか」という不安で玉三郎がずいぶん緊張していたように見えました。玉三郎ほど繊細な感受性を持つ人ならば、この異常な状況下でそんな不安を感じるのは当然だと吉之助には思えました。これはつまり「歌舞伎は今必要とされているのか?」という不安でもあるのです。興行中のカーテンコールは大体3回くらいだったようですが、千秋楽で観客が興奮していたのか拍手が多くて・この日のカーテンコールは5回ありました。4回目までは本舞台上で硬い表情を見せて拍手を受けていた玉三郎が、5回目には花道の方へやって来て七三あたりで、「アア良かった、楽しんでいただけたのね」と云う感じで初めて相好を崩したので、客席がドッと沸きました。(この稿つづく)

(R2・11・30)


6)「歌舞伎は今必要とされているのか?」・続き

8月から再開した歌舞伎座の興行は、異例の四部制で各部役者も裏方も総入れ替えでダブりなし、観客席は市松模様の配置にして収容人員を制限する、入れ替え時には館内の徹底した消毒を行うなど、出来る限りのコロナ感染防止策を採っています。幸い現状歌舞伎を含めてパフォーマンス芸術でクラスターなどの報告はないようであるし、関係者の方々は大変なご苦労をされていることと思います。これならば歌舞伎座での観劇中にコロナ感染することはまずなかろうと云う気もしますが、コロナはどこから来るか分かりません。これで万全ということはないわけであるし、万が一のことがあれば、風評でまたもや「劇場・悪場所」論の復活みたいな事態にもなりかねません。

「劇場・悪場所」論というのは、もちろん「三密回避のため劇場に行くな」という意味に違いありませんが、これは観客にとって「そもそも芝居は私たちの生活になくてはならないものか」ということをハタと考える機会になったかも知れません。吉之助も毎月東京での歌舞伎をせっせと見て、「来月はこんな芝居をやるから見なければ」と思っては切符を買い、「来月は〇〇が初役で◇◇を勤めるから見逃せない」と思っては切符を買いしてきたわけです。5月には団十郎襲名も迫っていました。だからコロナ感染で劇場公演が続くか・中止になるか状況が見えなかった3・4月頃には、楽しみにしていた公演が次々ボツになって、ずいぶんストレスを感じたものでした。しかし、数か月の自粛生活を続けてみるとこの生活にだんだん慣れてしまって、あの時のイライラは一体何だったろうかと吉之助でさえ思いましたねえ。このままずっと芝居なしでも生きていけそうな感覚になってしまいました。人間なんて、そんなものなのです。

それで吉之助はこういうサイトをやっていることもありますが、数か月の自粛生活のなかで、「そもそも歌舞伎は必要とされているのか?歌舞伎は今この時代が必要としているものを提供出来ているのか?」を自ら問い直さねばならないことになりました。もちろんこういう問いは結論が出る性質のものではありません。またコロナで自粛期間が長いから考える問いでもありません。これは胸のなかに常に持っていなければならない問いであったのです。コロナの自粛生活は、このことを改めて考えるきっかけになったと思います。

当事者であるところの歌舞伎役者が同じようなことを感じているのかどうかは分かりません。しかし、いわゆる人間国宝クラスのベテラン役者にとっては、これからの残りの人生・一日一日が大切なわけで、これだけ長い自粛生活が続くと、貴重な人生の残り時間がむしり取られる気分で精神的にキツかったろうと思います。だからこのコロナ状況に関しては恐らくベテラン役者の方に一層危機意識が強いだろうとお察しします。前章で触れた玉三郎もそのような危機意識を舞台で感じさせました。しかし、歌舞伎役者のなかで、「歌舞伎は今この時代が必要としているものを提供出来ているのか?」という問いに対して「震い立つ」ところを誰よりもはっきり見せてくれたのは、吉右衛門であったと思います。

それは吉右衛門が観世能楽堂での無観客上演をオンライン中継した「須磨浦」の舞台(令和2年8月)のことです。もとより歌舞伎の「組討」の熊谷は吉右衛門の至芸と云うべきもので、吉之助も吉右衛門ベストの5本の指に入る役だと思います。失礼ながら大ベテランがオンライン中継に挑戦というのにも大変驚きましたが、今回の「須磨浦」では、素顔で袴を着けての演技が過剰なものをそぎ落とし、歌舞伎の「組討」での感動をそのままに、25分の短い時間のなかに気力を凝縮して見せた印象で、実にインパクトがあるものでした。化粧とか衣装とか大道具とか、そのような芝居を「歌舞伎らしく」見せる為の外面的な要素を出来るだけ排除して、台詞と所作だけで見事に「歌舞伎の熊谷」を演じて見せました。吉右衛門は裸一貫・芝居の原点に立ち返って、そこから歌舞伎役者しか表現できない「かぶき的なるもの」を明らかにしてくれました。若手役者連中がこの映像を見てそう云う何かを感じ取ってくれていたら良いのですが。(この稿つづく)

(R2・12・17)


7)「歌舞伎は今必要とされているのか?」・そのまた続き

同じく奮い立つにしても、その表わし方は人さまざまです。そう云えばオンライン中継の無観客上演ということでは、幸四郎が中心になって企画した図夢(Zoom・ずーむ)歌舞伎:「仮名手本忠臣蔵」全5回(第1回:6月27日〜第5回:7月25日)というのもありました。吉之助はライヴでの視聴は出来ませんでしたが、後日アーカイヴで視聴しました。細切れのダイジェストでの実験上演であるし、Zoomで見る映像はどんなものかとちょっと心配でしたが、案外安心して見ることが出来ました。と云うよりも、画面二分割とか・喧嘩場で師直が平伏するのをカメラが判官の目線で捉えるとか・普段の舞台中継で有り得ないカメラの使い方はしてたけれど、全体としては歌舞伎の定式の舞台セットを使用して、劇場で歌舞伎を見るのとさほど変わらない感覚であったということで、吉之助としてはあまり新味を感じたわけではなかったのです。

これは準備期間があまりなかったようであるし(多分経費のこともあっただろうし)、ライヴ配信(つまり同時性)にこだわったことによる制約もあったわけなので、今回の試みはむしろ「やってみてあまり違和感がなかった」ことを評価すべきだろうと思ってはいますが、吉之助としてはインターネットによるオンライン配信であるならば、「いつでも見れる、どこからでも見れる」、つまりパフォーマンスの「場」の解体こそが「売り」になるべきだろうと思います。同時に、舞台に立つ役者と、客席からこれを見る観客との関係(これも「場」の一部である)も解体されねばなりません。もちろん今回の映像にそれが全然なかったわけでもないのですが、そこまで行かないとコロナ時代の「劇場・悪場所」論に対するアンチテーゼにならないと思うわけです。そういう意味では、吉右衛門が能楽堂で素顔で袴を着けて演じた「須磨浦」の方が、はるかに過激であったと思いますねえ。これと比べれば、今回の図夢歌舞伎は、ちょっと保守的に思われました。だから見やすかったということですが、示唆的ではありませんでした。

別稿「空間の破壊」で、「部外者が歌舞伎で勝負するならば・一番勝ち目のある方法は舞台空間を破壊し・まったく新しい舞台装置で演出することだ」と書きました。これはインターネットによるオンライン配信でも云えることだと思います。平成8年(1996年)5月に鹿児島県の硫黄島の浜辺で十八代目勘三郎(当時は勘九郎)が「俊寛」を演じたことがあり・テレビでもその模様が放映されました。海に浮かぶ赦免船が遠ざかっていくあたりはリアルそのものでしたが、印象的であったのは自然の光景のなかで歌舞伎の演技が負けることなく、歌舞伎の様式性が一層くっきり映えたことです。歌舞伎のバロック的な・反写実の本質は、普段の定式の舞台・化粧・衣装のなかでは違和感なく納まっていますが、実際にはとんでもない過激さを秘めていることに改めて気が付かされました。とすればインターネットという未知のツールで現代に「かぶき的なるもの」の本質で勝負をかけようとする時、普段の定式の舞台・化粧・衣装というのは、もしかしたら却って邪魔じゃないか?ということを、一度は考えて見る価値があると思うわけです。こう云うことを考えて見ることは、再び歌舞伎座の舞台に帰って・いつものやり方で歌舞伎をやる時にきっと役に立つはずです。11月国立劇場での吉右衛門の「俊寛」は、これまで吉右衛門が演じてきた俊寛とも違う・まったく新しい次元の俊寛になっていました。

吉右衛門は芝居を歌舞伎らしく見せている外見的な要素の一切をかなぐり捨てて勝負してみせてくれました。そこから「歌舞伎は今この時代が必要としているものを提供出来ているのか?」という問いに対する答えが見つかるかも知れません。まあこういうことは、繰り返しやってみなければ分からないことに違いありませんが。図夢歌舞伎も次にやる機会があるならば、思い切って定式舞台を解体することをやって見たら如何でしょうか。

(R2・12・21)




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