コロナ以後の歌舞伎〜「歌舞伎は今必要とされているのか?」
*本稿は別稿「コロナ以後の生活」の続編みたいなものです。
1)ウィーン・フィル来日公演のこと
タイトルは大仰ですが、結論を付けるつもりはなく、ホンの雑談ですので、お気楽にお読みください。例に拠ってクラシック音楽の話題から始まりますが、そのうち話しが歌舞伎に絡んで来ると思います。
2020年初めに始まった世界的な新型コロナウイルスの蔓延により、世界の演劇・音楽などのパフォーマンス芸術が大きな痛手を被っています。欧米クラシック音楽界に関しては、3月上旬に歌劇場やコンサート・ホールが各地で相次いで閉鎖となり、6月中旬から楽団員の間隔を空けてオーケストラを配置する・客席を間引きして客数を制限するなどの方策を試みながら徐々に再開の方向へ進んでいるものと理解していますが、冬が近づくと共にコロナ感染が再び増え始めて、次第に雲行きが怪しくなってきました。このような状況下では外来オケの来日公演など到底無理なことだと諦めていたら、10月30日に突然ウィーン・フィルが来日公演を当初スケジュール通り11月に実施するとのニュースがあり、嬉しいと云うよりは・ホントに大丈夫か?と驚きました。
楽団からは6月以来楽団員は4日に一度PCR検査を受けており管理万全であること、来日中は演奏会場との往復以外はホテルに終日隔離・外部接触は一切ないということでの、日本・オーストリア間の外交レベルでの合意を得た・特例による来日公演であるというアナウンスがされました。現在日本のオケも演奏会再開には苦労しているし、主席あるいは客演指揮者・ソリストの来日がままならない状況で、ウィーン・フィルだけこの特例扱いは何だと云う声もあるようです。その気持ちも分からなくはない。だからこそ今回の件を単なるお祭り扱いにしたくないと思います。
ウィーン・フィルやベルリン・フィルは、もちろん吉之助の音楽歴のなかでも重い位置を占める特別なオケですが、切符代が高いので・このところの来日公演は敬遠していました。聞きたければインターネットなどで最新の演奏会がチェックが出来るし、同じ切符代で日本のオケなら4回くらい聞けます。そんなわけで吉之助は当初ウィーン・フィル公演に行くつもりがなかったのですが、急に思い直して追加公演の切符を入手したのは、「コロナ封鎖という異常な状況下で音楽が鳴るということはどういうことか」、そういうことを体験しておくことは、こういう批評活動をやってる為の何かのヒントがあるかも知れないと思ったからでした。
人によっては、コロナ下での演奏会(今回のウィーン・フィル公演に限らず、現在市松模様の座席配置で見る歌舞伎座公演だって同じことです)を、第2次世界大戦中・いつ空襲警報が鳴るかも知れない恐怖と緊張の下で行なわれた演奏会に例える方がいらっしゃいます。戦争中の状況とコロナを重ねるのは次元的におこがましい気がしなくもないですが、確かに重なるところが多少でもあるのかも知れませんね。ドイツの批評家ヨアヒム・カイザー(日本で云えば吉田秀和のような存在)がこんなことを書いています。
『死の危険に囲まれ、恐ろしい終末の接近に 怯えながら偉大な音楽に慰めを感じるということが、あの時、そしてその後の数年間、どういう意味をもっていたかを言葉にするのは難しい。戦時中のフルトヴェングラーのレコードの方が、よく伝えてくれるだろう。今、コンサートが終わるとわれわれはどこのレストランに行こうかと考える。あの頃はもう一度音楽を聞くことがあるかどうかが分からなかった。誤解しないでもらいたいのだが、きっと誰しも同じだろうが、私だって死の不安よりレストラン選びの方がうれしい。ただ、いわば運命的な状況で鳴ることが音楽を損ねはしない、と云うことなのである。』(ヨアヒム・カイザー:「非政治的と考えられていた人の政治的伝記」・1980年カイザーのミュンヘンでの講演より〜「フルトヴェングラーを讃えて―巨匠の今日的意味
」に所収・音楽之友社)「運命的な状況で鳴ることが音楽を損ねはしない」ということは、結構大事なことであると思います。何となく運命的な状況で音楽が鳴る時には音楽も運命的に響きそうな期待があるのだけれど、そうじゃないのだねえ。まあそういうことを確かめてみましょうかと云うことで、ワレリー・ゲルギエフ指揮ウィーン・フィル公演に行ってきました。正直に申し上げれば、コロナ感染の不安の下での演奏会ということならば、あの時はまだ入り口で検温したり・消毒用アルコールを置く習慣はなかったけれども、吉之助にとっては本年2月16日のイーヴォ・ポゴレリッチのリサイタル(同じサントリーホール)での方がずっと緊張したように思いましたねえ。あの時は吉之助は歌舞伎座2月公演千秋楽の切符を持っていましたが、家族の猛反対もあって、結局切符を反故にしてしまいました。半年間自粛生活で慣れちゃったせいか、今回は淡々とした気分で電車に乗り・演奏会場に入り・席に着きました。座席の間を開けずびっしり満員の光景は、歌舞伎座の市松配置を知る(あれは見やすくて良いけれど)身には異様に見えましたが、これもすぐに慣れました。
演奏はさすがに気合いが入って素晴らしかったです。吉之助はウィーン・フィルのドビュッシーが昔から好きです。ウィーン・フィルのドビュッシーの響きは油絵具のように透明感に欠ける・ちょっと重ったるい色彩感覚ですが、フランスのオケの明晰なラテン的感性とはまた異なる魅力があります。最初の牧神の午後への前奏曲では、吉之助もちょっとウルッと来たことを告白せねばなりません。何となくコロナ前の日常が戻ってきたような錯覚に陥ったのです。しかし、どんな状況下においてもドビュッシーはドビュッシー、ストラヴィンスキーはストラヴィンスキーとして変らず鳴ると思いました。まあ当たり前のことなんですけどね。(この稿つづく)
*2020年11月12日・東京サントリー・ホール
ワレリー・ゲルギエフ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
交響詩「海」〜三つの交響的スケッチ
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」全曲(1910年版)
J・シュトラウスU:皇帝円舞曲(R2・11・24)
前節でヨアヒム・カイザーの「運命的な状況で鳴ることが音楽を損ねはしない」という言葉を引きました。若い頃の吉之助も、第2次世界大戦中のフルトヴェングラーのライヴ録音を、何ものにも代えがたいお経みたいに拝して聴いたものでした。今思えば古い録音の混濁した響きは、運命的な状況をそれらしくメイクしてくれるところがありましたねえ。ダダダダ―ンというのが、フルトヴェングラーではドドドドワーンと響くんですよ。オオこれこそ運命的な響きだと思ったりしたものでした。この呪縛はなかなか強固なものですが、長くいろいろな演奏をとっかえひっかえ聴いてみて次第に分かって来ることは、どんな状況であってもやはりベートーヴェンはベートーヴェンだという当たり前のことなのです。それにしても第2次世界大戦中のフルトヴェングラーのことを話題に出すと、フルトヴェングラーが状況に対してどう対峙したかという問題をどうしても考えざるを得なくなって決ます。
ここで紹介するのは、1942年4月19日、旧ベルリン・フィルハーモニー・ホールでの、ヒトラー生誕前夜祭でのベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」の第4楽章・最終部分の映像です。演奏が終わると宣伝大臣ゲッペルスが指揮台に近づきフルトヴェングラーに手を差し伸べ握手する姿が、バッチリ映像で残されています。これはフルトヴェングラーのナチス協力の証拠として、後々までフルトヴェングラーに圧し掛かった重い事実です。果たしてフルトヴェングラーはナチスに進んで協力したのか・それともやむを得ないことだったのか、あるいは芸術は政治とは無関係に超然と立つものなのか・そうではないのか、などいろいろなことを考えさせられます。
カイザーの「運命的な状況で鳴ることが音楽を損ねはしない」というテーゼを元に考えれば、次のようなことが言えるかも知れません。音楽は状況に関係なく・芸術として超然として鳴る、フルトヴェングラーはその芸術の忠実な使徒であり、彼の芸術活動は時代的状況とはまったく無関係であった、したがってフルトヴェングラーは無罪である。
同じテーゼを元にして、こうも言えるかも知れませんねえ。
音楽は状況に関係なく・芸術として超然として鳴る、フルトヴェングラーはその芸術の忠実な使徒であろうとし、「これは自分には関係がないことだ」と彼が対峙すべきであった時代的状況から目を背けた、したがってフルトヴェングラーは状況に対して無責任であり有罪に値する。どちらとも言えるわけです。ロナウド・ハーウッドの「テイキング・サイド」は、そのような時代的状況に関する芸術家の責任を問うた芝居でした。「・・それで君はフルトヴェングラーを無罪にするか・それとも有罪か、どちらの側に立つか?」と問われた時、長年のクラシック音楽ファンの吉之助さえウッと詰まってしまいます。軽々に答えられない問いなのです。(別稿「どちらの側に立つか」をご参照ください。)
第2時世界大戦の戦争責任とコロナは同次元に論じられないと思うかも知れません(コロナ・ウイルスに協力したいと思う奴はいないだろう)が、些末的なところでは、このコロナ蔓延の状況下で君はマスクを着けるか・それとも断固拒否するかという問題もあり得ます。米国あたりでは、実際それでデモ・小競り合いさえ起きています。しかし、吉之助はそういうことを本稿で言いたいわけではありません。深刻さの度合いはフルトヴェングラーとは全然異なるけれども、現在のコロナと云う時代的状況下で、パフォーマンス芸術の在り方が問われている時、芸術家は状況にどのように対峙せねばならぬのかという点で、次元は違えどフルトヴェングラーと同じことがここで問われているのです。
だから「コロナ封鎖という異常な状況下で音楽が鳴るということはどういうことか」ということが、吉之助にとって大事なことになってくるわけです。(この稿つづく)
(R2・11・25)
折口信夫が昭和27年に「国民文学の方向」という題で座談会に出席した時、日本の歴史のなかで、時折傑出した人物が登場して大きく転換していく時代に対して「いきどおり」を発することがあるということを言いました。偉大な人物が何か大きなエネルギーを周囲に発散する、そうやって歴史が大きく動かす。しかし、それをみんなで寄ってたかって食いつぶしてしまう、日本人にはそういう悪いところがあるが・・と折口は言うのですが、吉之助は、時代に対して・或いは状況に対して「いきどおり」を発する、歌舞伎でもこれが大事だと思っているのです。吉之助が提唱している「かぶき的心情」もそういうものです。本サイトは歌舞伎のサイトですから歌舞伎役者の名を挙げれば、大きな「いきどおり」ならば、初代団十郎・初代藤十郎・初代富十郎・或いは四代目小団次・九代目団十郎さらには二代目左団次のような役者が発したものです。小さな「いきどおり」ならば、まだまだ多くの役者を挙げられるでしょう。
『日本では初め、「いきどおり」(正確には「憤り」の字に当たらず。発奮・奮発などという意味にある程度近い)を発してその勢いに乗って解決してしまう。時を経て後、これを徐々に行っていくということは、どうもいけなかったようです。だから、そういう人の出た時は非常に幸福だったわけなのです。しかし、不幸なことに、そういう人が出ることなくそのままで過ぎたということが多い。実は、もうひとつ伸びてくれたらよさそうなものが伸びなかったり、思いがけない時にひょっくり立派なものが出てくる。そうしてそれっきりで終わっている。そうしたことが多いのじゃないか。その点日本人はじつにうるさい。何でもかんでも寄ってたかって食いつぶしてしまうのです。大きなものの出た後には、必ずつまらぬものが続いて出てくる。そうして大きなものを食いつぶしてしまう。日本人のこの性質が変わってこない限りは、いけないと思うのです。非常に優れた人間が輩出して、いきどおりを発することをしなければ駄目です。世の中が変わりません。』(折口信夫の座談会:「国民文学の方向」・昭和27年8月)
ここで折口は「いきどおり」は必ずしも「憤り」という字を当てはめず、「発奮する・奮い立つ」という意味であるとわざわざ後注を入れています。歴史を眺めて見れば単純なケースにおいては、世を動かす原初動機は怒りや憤懣であることがとても多いものです。例えば元禄の初代団十郎の荒事もそういうものかも知れませんねえ。怒りの感情こそ混沌とした感情をもっともシンプルにひとつの流れに整理するものです。それゆえ危険でもあるわけです。しかし、感性の流れをポジティヴな方向へ制御出来るならば、これは芸術作品を生み出す原動力にもなるのです。
2020年3月というのは、コロナ蔓延により世界各地で歌劇場やコンサート・ホールが相次いで閉鎖された時期でした。米国フィラデルフィアでは3月12日当日に演奏会の中止が決定されました。フィラデルフィア管弦楽団と音楽監督ヤニック・ネゼ=セガンは中止されたプログラムを同じ日に無観客で演奏し・これをオンラインで世界にライヴ配信することを急遽決めました。下に紹介するYoutube映像はその模様ですが、この演奏には「突然日常をもぎ取られた理不尽さへのいきどおり」が満ちています。これはもちろん特定の誰かに対して憤ったものでは全然ありません。彼らは「理不尽な状況」に対して憤ったのです。
*2020年3月12日・米国フィラデルフィア、アカデミー・オブ・ミュージック
ヤニック・ネゼ=セガン指揮フィラデルフィア管弦楽団(無観客公演)
曲目はベートーヴェン:交響曲第5番「運命」、第6番「田園」演奏されるベートーヴェンの交響曲第5番では、突然の難聴に襲われ苦悩した作曲家の苦悩と重なり、畳み掛けるリズムがコロナの状況に対する「いきどおり」をストレートに表現しています。一転して後半のプログラム・交響曲第6番では自然への感謝が、いつ戻るか分からないが・やがていつか戻るであろう日常への憧れを誘います。確かにこれは吉之助が好みにしている伝統的なドイツの重厚な響きとは全然違います。好みに拠りますが、キンキンして耳に痛い響きと云う感じもしなくはない。如何にもアメリカ的な響きなのですが、しかし、楽譜に書かれた音符がすべて思い切り鳴っていると云う爽快感もあって、彼らの「いきどおり」が心にビンビン突き刺さる気がします。
演奏が終わると、指揮者と楽団員全員が誰もいない客席に向かって起立します。本来ならば暖かな拍手で満たされるはずの光景ですが、この映像では(無観客公演ですから)無音です。彼らに力いっぱいの拍手を贈りたいのに無音なのです。吉之助はこの映像を見ながらホント悔しい思いがしました。みんなが安心して演奏会に行ける状況が一日でも早く戻ることを願わずにはいられませんでした。この「いきどおる」気分が世界の未来に向けた流れをシンプルなものにすることを信じたいですね。
いきり立って力むのだけが「いきどおり」とは限りません。「いきどおり」にも、いろいろな表現の仕方があるわけです。大事なことは、彼らが状況に対してしっかりと向き合い、毅然とした態度を見せたことです。ベートーヴェンは、どんな状況であってもべートーヴェンとして超然として響く。この映像からは、そのようなメッセージが伝わって来ると思います。
(この稿つづく)(R2・11・26)
「ゴースト・ライト」と云うのをご存知ですか?吉之助も今回知ったのですが、アメリカの劇場では昔から劇場が稼働していない時、興行中や舞台稽古・舞台セッティング以外で劇場が空っぽの時に、真っ暗なステージ中央に裸電球を灯したスタンドをひとつだけ立てておく習慣があるのだそうです。「ゴースト・ライト」とは、「お芝居が終わることなく・いつまでも続きますように・・・」と云う願いを込めたもので、自然発生的に広まった習慣であるようです。現在コロナ禍のニューヨーク・ブロード・ウェイの各劇場では来年春頃までの休演が予告されている状況ですが、どこの劇場のステージにもゴースト・ライトが一灯燈っていると思います。
ジョン・ノイマイヤーはハンブルク・バレエ団の芸術監督で、バレエ振り付けの重鎮です。3月頃からコロナ禍で欧米の劇場が次々と閉鎖されて、それがちょっと下火になってそろそろ劇場再開の動きになってきた頃に、ノイマイヤーが着想したのが、下に紹介する「ゴースト・ライト〜コロナ時代の或るバレエ作品」です。練習場が閉鎖されているので、ダンサーたちへの振り付け指示はリモート(Zoom)で行われたそうです。初演は2020年9月6日ハンブルクにおいてでした。
「私たちは、互いに自由に触れるバレエの表現方法に慣れ切っている。触れるのが当たり前のこと見なしているところがある。パ・ド・ドゥ(pas de deux、男女2人の踊り)やリフト(持ち上げる)の時、皆、どこかしら触れるからだ。だが今は人に触れることができず、距離がある。そのことで新たな緊張感が生まれている。」(ジョン・ノイマイヤーのインタビュー、2020年7月19日AFP)
「ゴースト・ライト」は、バレエに詳しくない吉之助にはよく分からないのですが、ノイマイヤーのこれまでの振り付け作品の数々を断片的に回想する形で作られているのだそうです。例えば冒頭に音楽無しで始まるのは、「椿姫」のマルグリットです。やがてアルマンが現れてふたりは踊り始めますが、そこには歓びも何も見えません。
*ジョン・ノイマイヤー振り付け:「ゴースト・ライト〜コロナ時代の或るバレエ作品」(部分)
ハンブルク・バレエ団
音楽:シューベルト、ダヴィッド・フレイ(ピアノ)
2020年10月20日バーデンバーデン祝祭劇場ところでここでは音楽はシューベルトが使用されていますが、これでノイマイヤーの意図が明らかです。シューベルトは、18世紀前半の、いわゆるウィーン体制以後の作曲家でした。当時のヨーロッパではフランスか革命・ナポレオンの嵐が吹き荒れて、そのなかで自由民権思想が拡がりました。しかし、王政復古でその夢は破れ、窮屈な世の中に逆戻りしてしまいました。政治権力は、
自由民権思想の蔓延を恐れ、出版・集会を厳しく検閲・監視しました。この頃、シューベルトは親しい友人を集めて詩の朗読や音楽の演奏などをして楽しむ自由なサロン(シューベルティアーデ)を催していましたが、このなかにも自由民権思想に染まる者が出て、そのあおりでシューベルトも嫌疑をかけられてしょっ引かれる事件も起きました。(シューベルトはすぐ解放されましたが。)当時の自由民権思想は、権力者にとってコロナ・ウイルスみたいに伝染性を持った危険なものでした。彼らは「三密」を恐れました。人が集まるところは情報が行きかう場所・不審者が潜伏し・密議が交わされる場所でした。つまり「悪場所」です。かつて江戸幕府が芝居街を悪場所と見なしたのと同じことです。このため市民たちは、自由や理想を追い求めても・それは内なることにして決して外には漏らさず、家に引きこもって趣向を凝らした家具調度品・工芸品・装飾品・衣服を好み、内なる思索と趣味にふけるようになって行きました。この時代の文化をビーダーマイヤー文化と呼びます。(小市民文化と呼ばれることもあります。コロナ後の生活がどう変わるか、これはひとつの参考になるかも知れません。)シューベルトはそのような時代の作曲家で、多くのピアノ曲や歌曲を作曲しましたが、その作品は外見的には個人的で内省的な佇まいを見せてスケールが小さいように見えるかも知れませんが、実はそこに封じ込まれたロマン性は熱く煮えたぎっているのです。シューベルトは、まさに鬱(うつ)の作曲家でした。
ウィーン体制当時の権力者たちが「三密」を怖がったということは、もちろん現在とは全然事情が異なります。現在どこの政府も(少なくとも日本や欧米においては)芸術に対して表立った干渉をすることはありません。「密集を避けよ」ということは、もちろん「ウイルス感染のリスクを減らせ」ということで、それ以外のメッセージはないはずです。しかし、次元は異なりますけれど、見方を変えれば、それは実質的には「演奏会に行くな、劇場を避けよ」ということになり、(現在の興行形態においては)パフォーマンス芸術にとってはそれは「死ね」と言われるのに等しいことになるのです。このロジックは決して我田引水のものではありません。パフォーマンス芸術は不要不急のものとされました。つまり残念ながら演奏会や劇場は、再び「悪場所」みたいに扱われたことになります。(他にも同じような扱われ方をされた業種があるだろうと思います。)
つまりこのコロナ禍においては、演劇でも音楽でも、パフォーマンス芸術にとっては、本来それが表現を披露すべきところの「場」の在り方、或いは表現者と観客との「関係」の取り方が問われているのです。これがノイマイヤーが感じていることです。(この稿つづく)
*三密(さんみつ)とは、新型コロナウイルスの集団感染を防止するため、外出時に避けるべき環境を指し、換気が悪い「密閉」空間、多人数が集まる「密集」場所、身近で会話などする「密接」場面の、三つの「密」のこと。
(R2・11・28)
例えばレストランで食事をして隣のお客が席を立つと、すぐさまお店の方がやって来て・食卓や椅子にアルコールを吹き付けて拭く、これを見ているこちらも何とも感じなくなっているけれど、よく考えてみれば、これは何とも凄まじい光景です。これが去年のことであったならば、「お客さまを何と心得る、バイ菌だとでも思ってるのか」と不快に感じたことでしょう。しかし、コロナ以後はこれが既に当たり前の習慣になってしまったのです。これを不審感というのは適切でないかも知れないが、隣に知らない人が座ると何だか落ち着かなくなる。かと云って知っている人であれば安心なわけでもない。コロナはどこから来るか分からないのです。コロナによって人と人との関係に亀裂が入ってしまいました。ゆえにパフォーマンス芸術においては、表現者と観客との「関係」(表現者相互の「関係」も含めて)の取り方が問われることになります。
さらにパフォーマンス芸術は「そもそもわれわれ表現者は必要とされているのか?」ということも自問自答せねばならない事態となりました。これまで忙しさに追われ・そんなことを考える余裕もなかったのに、コロナ禍の引きこもり中はそれを考える時間がたっぷりあったわけで、これは辛い期間であっただろうと思います。演劇関係者から「演劇は無観客では成り立たない、劇場は継続されねばならない」という意見が出た時に、「芸術は特別だと思いあがっている」とか、巷から激しいバッシングがありました。コロナ感染のなかの職場継続の議論であったはずが、そもそもお互いの論点がズレちゃってるわけですが、これはさながら「劇場・悪場所」論の復活のようにも思われましたねえ。しかし、ここは現代ではすっかりアート然としてしまった芸能が、かつて在った原点を思い起こす機会にはなったと思うべきでしょう。もともと芸能は「ほかいびと」から始まったのです。よそ者だったのです。次元が異なるロジックに思えるかも知れないが、これは非常に大事なことであると思います。歌舞伎はかつて芝居街が悪場所と云われた過去を思い出して震い立たねばならぬ時が来ているのです。つまり「歌舞伎は今この時代が必要としているものを提供出来ているのか?」という問いが再び大事になって来るのです。