空間の破壊
平成13年(2001)6月・渋谷シアター・コクーン・「三人吉三」
串田和美演出
五代目中村勘九郎(十八代目中村勘三郎)(和尚吉三)・三代目中村橋之助(八代目中村芝翫)(お坊吉三)・ 九代目中村福助(お嬢吉三)
1)空間の破壊
吉之助が歌舞伎の舞台を見て疑問に思うことのひとつは、どうして歌舞伎の舞台は平面的なのか、ということです。歌舞伎の舞台というのはタッパが低くて、装置はどれも奥行きがありません。これはもちろん当時の劇場が木造建築ということの制約もあったでしょうが、浮世絵と同 じように・どれも平面的な絵面の舞台構図です。なるべく影を作らないようにする歌舞伎独特の照明方法も、やはり舞台面の立体性を意識的に消し去ろうとする方向で使われているよう です。
西欧のオペラハウスへ行きますと、タッパは見上げるほどに高いですし、舞台装置も奥行きをたっぷり取って壮大なスケールを誇るものが多いのです。また、その装置も視覚的に立体性を誇示して、スペクタクル性を持たせようとするものが多いようです。古典歌舞伎での照明は目立たないことが良しです(しかし影を作らないようにするのはあれは技術の要るものだそうです)が、西欧の演劇では照明はじつに効果的に駆使されます。
歌舞伎座だって廻り舞台を備えているのですから、本当は観客に見えていない部分はかなり大きいのです。しかし、この劇場の舞台の奥行きを生かした作品はあまり思い浮かびません。「忠臣蔵」四段目の城明け渡しの場面の引き道具で城門がずっと奥に引かれますと、歌舞伎座ってこんなに広いんだなあと改めて思います。しかし、これほど奥行きのある舞台を見ると、どこかいつもの歌舞伎じゃないような ・映画的な感じに少し違和感 を感じないでしょうか。これは晩年の・つまり明治になってからの九代目団十郎の演出なのですが、なるほど明治という時代をつくづく感じさせるものです。
もうひとつ思い出すのは、昭和62年5月新橋演舞場で猿之助が「ニュー・ディレクション」と称して「義経千本桜」の「渡海屋・大物浦」と「吉野山」を見せた舞台です。これは演舞場の奥行きを存分に使った全く新しい舞台で装置で歌舞伎にダイナミックな視覚的効果を持たせようとしたものでした。舞台に大きな軍船を浮かばせて知盛の戦いの場面を見せたり、舞台一面が花 びらに埋もれたような満開の桜の森を見せてくれたりしました。猿之助はあれから同じような試みをしていないと思いますが、これもちょっと異質な感じがしました。ただ言えることは装置は新しかったけれど、肝心の芝居(演技)の部分がほとんど旧来のままであったことです。これでは装置が新しくなった意味があまりありません。
実は舞台演出というのは装置と密接な関連があるのです。というよりは、舞台芸術は視覚的な要素に大きく依っているのですから、装置や衣装のコンセプトを決めることで演出のかなりの部分が決まると言えます。伝統芸能の歌舞伎の演出(型)に手を入れることは勇気の要ることです。またそれは慎重に熟慮のうえで行なわれなければなりません。特に芝居の約束事や文献的知識も必要な歌舞伎においては部外者が演出をやることは至難なことです。定式の舞台装置のなかで手順の些細な部分を手直しすることはかえって仕勝手の横行を許すようなことにもなりかねません。
部外者が歌舞伎を演出して勝負しようと思えば、一番勝ち目のある方法は舞台空間を破壊し、まったく新しい舞台装置で演出することであると思います。それは自分の領域に敵を引き込む戦法です。歌舞伎の空間を破壊さえすれば、部外者にも勝機はあると思うわけです。
2)串田氏の演出について
本稿では串田和美氏の演出による渋谷シアター・コクーンでの「三人吉三」のビデオを見ながら、その舞台装置を中心に考えたいと思います。これは平成13年(2001)の舞台で、コクーン歌舞伎としては4作目であったそうです。
まず終幕の「火の見櫓の場」が非常に面白いと思いました。舞台背景がまったく取り去られています。清元竹本の音楽もなしですが、これで良かったと思います。三人の吉三郎に雪衣と捕り手(これも白い衣装)の群集をからませて、火の見櫓と町木戸を自在に動かして空間を崩してしまいます。そして、降り積もる雪を蹴散らしながら・とにかく役者たちがひた走る・ダイナミックな動きを舞台に展開させました。吉之助の好みだと舞台に降るドカ雪はチトやりすぎにも思いますが、しかし、まあファン・サービスにはなっているでしょう。
この降り積もる雪と白い姿で舞台一杯に走り回る雪衣と捕り手たちの姿は、三人の吉三郎の運命を翻弄しているようで無情なほどに感じられました。ここでは町木戸が主人公を取り囲む因果のしがらみ・あるいは社会の束縛の象徴であるように感じられます。火の見櫓はそれを突き抜けて何かを見ようとする意思・あるいは変革への希望のようにも思われます。その木戸と櫓が白い雪を蹴散らしながら疾走するのです。白い雪は死のイメージです。降る雪が三人の陰惨な運命を清めようとしている・・・そのようにも思われますが、吉之助にはすべてを無に消し去ってしまう力のように感じられました。最後のシーンで三人の死骸に雪が降り積もるのは印象的です。この幕切れを今回の最大の成果としたいと思います。
遡って序幕は舞台に丸いプールを置いて、その上に掛けた橋を廻り舞台で回転させながら、その上で名刀庚申丸と代金の百両が行ったり来りするドラマが展開します。これは 庚申丸をやり取りするドラマを視覚的にみせて面白いと思いますが、有名な「大川端庚申塚の場」だけを見ていると若干インパクトが弱い感じです。これは普段の歌舞伎の絵面の舞台の印象がそれだけ強烈だからでしょう。しかし、序幕が隅田川の陰惨な黒い流れを背景にしたドラマであると考えればこの装置も十分納得できます。
「庚申塚」のお嬢吉三の有名な「月も朧に白魚の・・・」の長科白の場面では最初はお嬢は客席に背を向ける形になりますが、やがて橋が回転してお嬢は正面に極まることになります。つまり、普通は正面からしか見られない役者を回転させて立体的に見るわけですが、これは実験に留まった感じです。(それじゃどうすりゃいいんだと言われてもアイデアないけど。)しかし、お嬢とお坊を止めに入る和尚吉三が客席から登場してプールをジャブジャブ横切って橋に駆け上がり、二人の間に割ってはいるのはイケマセンね。和尚が自ら隅田川のプールの意味を壊してしまっているとしか思えません。
大詰の「火の見櫓の場」の白を基調にした舞台が生きているのは、そこに至るまでの幕(伝吉内の場・吉祥院本堂の場など)において、登場人物をスポット照明 を当てて・舞台全体を暗めに処理したことです。それにより大詰との対照が際立ってきます。このことも評価したいと思います。これにより「三人吉三」の陰惨な因果の物語の暗い流れが支配していることを象徴的に表現できたと思います。
思えば、黙阿弥の時代の芝居は蝋燭による照明であって現在の舞台とは相当に印象が異なったと思います。好むと好まざるにかかわらずもっと影が強く出て、今の舞台よりずっと立体感があったのではないかと想像します。今の歌舞伎の舞台は明るすぎで絵面の美しさはあるが、アッケラカンとして闇の怖さというものをあまり感じさせません。暗がりからヌッと何かが飛び出してくる怖さが現代の我々には分かりません。(あるいは怖くてそういうモノを見たくないということでしょうかね。)
『(お嬢)アレエ。(とせ)アモシ、どうなされました。(お嬢)今向こうの家の棟を光り物が通りましたわいな。(とせ)そりや大方、人魂でこざりましょう。(お嬢)アレエ。(とせ)何の怖いことがございましょう。夜商売をいたしますれば、人魂なぞはたびたびゆえ、怖い事はございません。ただ世の中に怖いのは人が怖うございます。(お嬢)ほんにそうでございますなあ。(とせ)ヤこりゃこの金を、なんとなされます。(お嬢)なんともせぬ。貰うのさ。(とせ) エエ、そんならお前は。(お嬢)盗賊さ。ほんに人が怖いの。』
今回の「三人吉三」の舞台は闇の怖さのことも少し思い出させてくれました。舞台の空間を闇に消してしまうことで、舞台に立体感を取り戻したと思います。そのことも今回の成果に挙げたいと思います。
先に「舞台の空間を破壊すれば部外者にも勝機はある」と申し上げました。今回の「三人吉三」で串田氏はこの点でかなりの成果を収めたと言っていいのではないでしょうか。
ただし、今回の「三人吉三」のなかでは「庚申塚」だけはちょっとつまらなく感じました。これは舞台装置のせいではなくて、この場だけ三人の吉三郎役者ともいつもの歌舞伎の テンポに戻ってしまっているせいです。いつもの歌舞伎のダラダラした一本調子の台詞回しで役者が死んでいます。せっかくの新しい装置なのだから、もっとテンポを速めた生きた写実の台詞回しを研究してもらいたいと思いました。これについては別稿「黙阿弥の七五調の台詞術」をご参照ください。手順の大筋も旧来の型そのままであると思いますが、これは装置が新しいのにもったいないことです。
新演出が難しいと思うのは、この「庚申塚」のように誰でもそれを知っている名場面です。誰もが既存のイメージに捉われます。観客はもちろんですが、演出家も役者もです。時代が練り上げたスタイルを越えるのは至難の技です 。しかし、装置を変えたからには演技も根本に強引に変えていかねばならないでしょう。これは今後のコクーン歌舞伎の課題です。
3)演劇の原点
今回の串田氏演出の「三人吉三」の舞台ビデオを見ると、串田氏の歌舞伎への尊敬の念を感じないわけにはいきません。作品を勝手次第に思い付きでいじくり回すのではなく、いいところは変えなくてもいいじゃないか・なるべく歌舞伎の良さを残しておきたいねと云うのが基本的態度であるようです。さりげない部分で串田氏の歌舞伎への気遣いを感じます。吉之助のように歌舞伎をふだんから見ている人間には有難い考え方ですが、一方で「庚申塚」のように串田氏はまだまだ歌舞伎に遠慮しているのではないのかと思うところもなくはありませんでした。
しかし、串田氏も次第に慣れてきて大胆になってきたのか、本年(平成15年)6月のコクーン歌舞伎「夏祭浪花鑑」では、幕切れの捕り物の場面で舞台にパトカーが登場したそうです。 舞台奥を開け放って駐車場を団七と徳兵衛が逃げ回り、サイレンが鳴り響くというものであったそうです。この幕切れは若い歌舞伎ファンには衝撃を与えたようです。しかし、ある評論家(名前はあえて伏す)が「あれは70年代のアングラ演劇で散々やり尽くされた演出で、新しくも何ともないです」というような事を言っておりました。あれがアングラ演劇の手法であるのは確かでしょう。しかし、評論家が言うべきことはその着想が新しいか古いかということではないはずです。評論家が論じるべきはその着想が作品の本質を突いているかどうかです。
幕切れのパトカーは、江戸時代の大坂に生きている団七や徳兵衛が実は渋谷の街を髪の毛を金色に染めて携帯電話を片手に肩を怒らせて歩いているジーパン姿のあんちゃんと同じ若者であるということを観客に一瞬にして分からせたのです。若い歌舞伎ファンがそう感じたのならそれは大成功です。
確かに次に同じ手は使えないと思います。このパトカーの幕切れは多分「古典」にはならないし、またしてはなりません。しかし、演劇というのはある意味で瞬間芸なのであって、どんな優れた型であっても初めから「型」になることを 意図して生み出されたものなど決してないのです。実験は続けられなければなりません。今後の串田氏の挑戦に期待したいと思います。
(H15・9・31)
(後記)
同じコクーンでの「三人吉三」を取り上げた別稿「吉祥院の面白さ」もご覧下さい。
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写真 c松竹、2012年5月、平成中村座、髪結新三