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十三代目団十郎白猿襲名に寄せて


先日(1月14日)、松竹から来年(2020年)5月に十三代目市川団十郎白猿を襲名し、歌舞伎座で5月・6月・7月と三か月に渡って襲名披露興行が行われることが発表となりました。第5期歌舞伎座開場直前に、平成25年2月に十二代目団十郎が亡くなってから約7年ぶりの大名跡復活となるわけです。また同時に息子の勸玄くん(5才)も八代目新之助を襲名するそうです。いずれは来ることと思ってましたが、いよいよと云う感じです。

*上のチラシは令和2年2月7日に公開されたものです。

本年1月新橋演舞場での「俊寛」・「鏡獅子」は、これまでの海老蔵と違う雰囲気を感じさせて、興味深い舞台でした。ここ10年くらいの海老蔵の道程はまさにアップダウンの連続で、随分危うそうな舞台もありました。「団十郎」の名跡の重圧は大変なことだったと思います。それを突き抜けたところで、新しい境地を拓いてくれそうな気配を感じました。そんなところでの襲名発表であったので、吉之助は納得できる気分でニュースを聞きました。来年(2020年)は7月末から東京オリンピックが始めるということであるし、これから歌舞伎 界も団十郎襲名にむけて盛り上がって行くものと期待したいと思います。

寛政3年(1791)に五代目団十郎は 名跡を息子の六代目に譲って、自らは市川蝦蔵(えびぞう)に改名しました。この時、五代目が名乗った俳名が「白猿」でした。かつて祖父に当たる二代目が俳名「栢筵」を名乗りました。「はくえん」の読みは同じですが、「猿は人間に比べて頭の毛が3本足りない」という俗説にならって、五代目は字を変えて 自分は「白猿」だと謙遜したわけです。襲名の口上の際、五代目は「私が白猿と名付けたその心は、名人上手には毛が三筋足らぬと申す意味でございます」と述べて、大変評判になりました。

今度の十三代目は「団十郎白猿」が正式な名前となるそうです。先代・先々代には及ばぬという心で俳名の「白猿」を団十郎の名前の末尾に付したそうです。この名前に名跡を受け継ぐ海老蔵の覚悟が表れています。

手元に昭和60年(1985)の十二代目団十郎襲名披露興行の時のチラシがあるので、その画像と三か月の襲名披露狂言を掲載しておきます。当時は昭和の大幹部の多くが健在でしたから、顔ぶれはなかなか豪華なものでした。「勧進帳」と「助六由縁江戸桜」は団十郎襲名に欠かせない演目ですから、配役を変えてそれぞれ2回出ています。5月の「外郎売」の貴甘坊では海老蔵(当時は新之助・7歳)が初舞台でした。海老蔵が台詞をしゃべるのを息を詰めて聞いて、聞き終って何だかホッとしたことを今も鮮明に覚えています。あれから35年経ったら、今度はその息子が新之助の襲名だと云うのだから、吉之助も歳を取ったものです、と云うか、歌舞伎を随分と長く見続けて来たものです。歌舞伎を長く見続けての一番の楽しみは「先代の舞台はこうだったねえ・・・」と一人ブツクサ呟くことですから、やっとその楽しみを味わえる歳になっ て来たということですね。

ところで十二代目の襲名披露狂言は「歌舞伎十八番(荒事)の団十郎」を前面に押し出した感がありますが、現在の海老蔵ならば「鏡獅子」も出せるだろうし、義太夫狂言とか(「熊谷陣屋」でも良い)、もう少し演目にバラエティを持たせることが出来るかもしれません。来年の襲名披露狂言はまだ発表されていませんが、何の演目を演じることになるのか、発表が楽しみです。

因みに当時の料金は、一等席10,000円、二等席8,000円、三等A席4,000円、三等B席2,000円でした。これでも襲名披露と云うことでいつもの月より高い価格設定で、当時は「随分高いなあ」と感じたものでした。もちろん現在と物価水準が異なりますから、単純な比較は出来ません。来年の襲名の1等席料金はいくらになるかな?あまり高くして欲しくないですけどねえ。

昭和60年4月歌舞伎座
勧進帳」  十二代目団十郎(弁慶)、十七代目勘三郎(富樫)、七代目梅幸(義経)
「助六由縁江戸桜」  十二代目団十郎(助六)、六代目歌右衛門(揚巻)、十三代目仁左衛門(意休)

昭和60年5月歌舞伎座
「暫」  十二代目団十郎(鎌倉権五郎)、二代目松緑(清原武衡)
「外郎売」  十二代目団十郎(外郎売)、七代目新之助(貴甘坊・・初舞台)
「勧進帳」  十二代目団十郎(弁慶)、二代目松緑(富樫)、六代目歌右衛門(義経)

昭和60年6月歌舞伎座
「若き日の信長」  十二代目団十郎(信長)、五代目玉三郎(弥生)、二代目松緑(平手中務)
「鳴神」  十二代目団十郎(鳴神上人)、五代目玉三郎(雲の絶間姫)
「助六由縁江戸桜」  十二代目団十郎(助六)、七代目菊五郎(揚巻)、九代目幸四郎(意休)

 

(H31・3・7)


〇十三代目団十郎襲名興行の演目・配役発表(ただし延期)

十三代目団十郎襲名披露興行(令和2年5〜7月歌舞伎座)の演目・配役の全容が、いつまで経っても明らかにならず、何でこんなに遅れるのかと心配してましたが、先日(3月20日)の「歌舞伎美人」サイトにひっそりと掲載されていました。本来こう云う時には興行は大々的にぶち上げて襲名ムードを盛り上けるものだ(何しろもう初日が約40日後に迫っているのです)と思いますが、生憎、新型肺炎コロナウイルスで3月歌舞伎興行が全休決定された(18日)直後で、気分がどん底に落ち込んでいる最悪のタイミングで、この点まったくツイてないとしか言いようがありません。現状ではお練りだって自粛せねばならないかも知れないし、ここから襲名ムードを盛り上げていくのはなかなか大変なことだと思います。

それにしてもコロナも一因には違いないですが、ここまで襲名ムードが盛り上がらないのには、現・海老蔵にも原因はありそうですが、何か他にも根深い問題が梨園に潜んでいそうに思います。襲名興行のラインナップを見ると、編成の方のご苦労が察せられます。まあ要らぬ詮索は止めときますが、それにしても陣形はそれなりに付いているけれども、通常月18千円(一等席)のところ襲名月23千円というお値段に見合う大顔合わせのワクワク感には、残念ながら乏しいと言わざるを得ない。これを見て感じるところは、団十郎襲名と云えども、もはや歌舞伎のそんなに特別なイベントではない、3ヶ月興行なのが目立つくらいと云うことですかねえ。昭和37年(1962)の十一代目団十郎・昭和60年(1985)十二代目団十郎の襲名はそれは豪華な印象でしたが、なまじっか吉之助の脳裏に在る華やかなイメージを期待してしまうものだから、今回は無難だけれども・ちょっと地味な感じに見えてしまいました。

歌舞伎のなかで市川団十郎家は特別な存在だとマスコミは囃しますけど、これはまあ議論があるところだと思います。十一代目・十二代目襲名の時だって、「団十郎と云ったって何が特別なんだい」と内心思っていた方は、多分梨園に少なからずいたと思いますし、それが普通だと思います。役者はそれぞれ一家言あるわけで、そういうプライドの持ち主ばかりです。ただし、あの頃は梨園に共通の「敵」が存在しました。それはつまり映画やテレビのことですがね、そう云う方面に客を奪われて歌舞伎は興行的に危機に瀕していたのです。だから団十郎ばかり特別扱いが気に入らなくても、とりあえず団十郎を旗頭にみんなで一致団結して共通の「敵」に対し歌舞伎を盛り上げていこうよと云うムードが確かにあったと思うのです。団十郎を盛り立てることが、歌舞伎を守ること、自分たちを守ることでもあったのです。令和2年(2020)現在には、そう云う雰囲気があまりないのでしょう。それにしてもせっかくの歌舞伎のお祭りなのだから「みんな一丸となって盛り上げようよ」という気運が梨園全体にもうちょっとあっても良いのにとは思います。戦後75年間のなかで、現在の歌舞伎の状況が、それだけ恵まれているということなのでしょうねえ。

演目は「助六・勧進帳・暫」と云うことで、団十郎ならばこれは当然出来てもらわねばならぬという演目で固めています。その意味では安定路線です。この機会に新たな領域(演目・役どころ)にチャレンジしてみても良かったのでは?と云う気もしますが、襲名とは歴代の芸のイメージのなかに自分の芸を重ねて行くことでもあるわけですから、そこのところを踏まえつつ謙虚な芸の精進の成果をみせてもらいたいと思います。

 

令和2年5月歌舞伎座
「勧進帳」  十三代目団十郎(弁慶)、十代目幸四郎(富樫)、四代目猿之助(義経)
「助六由縁江戸桜」 十三代目団十郎(助六)、五代目菊五郎(揚巻)、四代目左団次(意休)

   

令和2年6月歌舞伎座
「暫」  十三代目団十郎(鎌倉権五郎)、二代目吉右衛門(清原武衡)
「外郎売」 八代目新之助(外郎売・・初舞台)
「勧進帳」  十三代目団十郎(弁慶)、十五代目仁左衛門(富樫)、五代目玉三郎(義経)

 

令和2年7月歌舞伎座
「男伊達花廓」  十三代目団十郎(五郎蔵)
「山姥」  十三代目団十郎(山樵斧蔵)、八代目新之助(怪童丸・・初舞台)、五代目玉三郎(山姥)
「景清」  十三代目団十郎(悪七兵衛景清)
「助六」  十三代目団十郎(助六)、二代目七之助(揚巻)、四代目鴈治郎(意休)

(R2・3・23)

(追記)新型肺炎コロナウイルス感染問題により、本日(4月7日)政府により緊急事態宣言が発せられることが決まり、これを受けて上記・5〜7月歌舞伎座で予定されていた十三代目団十郎襲名披露興行は延期となってしまいました。

(R2・4・7)


 

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