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海老蔵初役の俊寛

平成31年1月新橋演舞場:「平家女護島〜俊寛」 

十一代目市川海老蔵(俊寛)、六代目中村児太郎(千鳥)、四代目市川九団次(成経)、六代目市川男女蔵(康頼)、六代目片岡市蔵(瀬尾)、三代目市川右団次(丹左衛門)


1)俊寛の心情

近松門左衛門の「俊寛」の幕切れについては、歴代の名優が、島に一人残されて泣き叫び岸壁から沖合いを見詰める俊寛の心理描写に工夫を凝らしてきました。幕切れの感動の背景には、俊寛の自己犠牲・すなわち俊寛が自らの意志で一人島に残り(養女と約束した)海女千鳥を代わりに御赦免の船に乗せて送り出すという崇高な行為があります。しかし、さすがの俊寛も船が動き出すと孤独の悲しみに耐えられません。そこが哀れであり、はなはだ人間的でもあり、涙を誘います。

『思ひ切つても凡夫心、岸の高見に駆け上り、爪立て打ち招き、浜の真砂に伏し転び。焦がれても叫びても、哀れ訪らふ人とても、鳴く音は鴎(かもめ)天津雁(あまつかり)、誘ふは己が友千鳥、一人を捨てゝ沖津波、幾重の袖や濡らすらん。』

未来に希望を託して僅かに微笑する俊寛、諦観の情に満たされて静かに佇む俊寛、キッと沖合いを凝視してどこかにまだ生の執念がかすかに感じられる俊寛もあったかと思います。これらはどれが正解でどれが間違いだということではありません。役者それぞれの俊寛があって宜しいことです。幕切れの俊寛の表情はどのようにも読めるのです。観客は人それぞれ自分の感情を舞台の役者の表情に投影して見るのでしょう。

だから観客の関心は、俊寛役者が幕切れの感情表現をどこに置くかというところに行き勝ちです。それは当然のことですが、本稿では、なぜ俊寛は島に残る決意したかということをちょっと考えてみたいのです。「俊寛が乗るは弘誓(ぐぜい)の船、浮世の船には望みなし」と俊寛は言います。「弘誓の船」と云う仏語は、衆生救済の近いによって仏が民衆を悟りの彼岸に導くことを、人を船に乗せて生苦の海を渡すことに例えだそうです。現世にもはや生きる望みはない、自分が乗るのは彼岸へ渡る船だと云うのです。

先ほど吉之助も「自己犠牲で俊寛が一人島に残って、代わりに千鳥を御赦免の船に乗せて都へ送り出す」と書きました。確かに筋としてはそういうことです。そうするとこの俊寛の論理は、千鳥を納得させたうえで船に乗せる為にそう言っているように聞こえなくもありません。これはひとつには後で俊寛の「思い切っても凡夫心」が出て来るせいです。そこに俊寛の人間的な弱さが見えるようです。悟っても悟り切れないのが人間の有り様だと感じてしまうところが、現代人にはあります。どうしても俊寛の決意の揺らぎに関心が行ってしまいます。

しかし、俊寛の気持ちは、まったく正直に彼が言う通りであるかも知れません。俊寛は、自分が千鳥を救うということではなく、島に一人残ることで救われるのは、むしろ自分の方だと云っているのです。千鳥が乗ってくれないと、関所三人の切手に相違が生じて、自分は無理やりに船に乗せられることになる、だから千鳥よ、自分の代わりに御赦免船に乗って、自分を救ってくれ、自分を彼岸へ送り出してくれと懇願しているわけです。それほどに俊寛の絶望は深いということなのです。

このような心境に俊寛を至らせたものが何であるかは、明らかです。それは都に残してきた俊寛の愛する妻・東屋が「清盛公の御意を背き首討たれた」と上使・瀬尾から知らされたからです。俊寛は都へ戻って東屋に再会したいと、それだけを願って鬼界ヶ島の生活に耐えて来たのです。俊寛は「俊寛も故郷に東屋といふ女房、明け暮れ思ひ慕へば、夫婦の中も恋同然、語るも恋聞くも恋」と語っています。愛する妻が死んだことを知ったからには、俊寛は争いや憎しみが渦巻く現世に執着しても仕方がないと感じるのです。そのような生きることの無情に気が付いたところから、俊寛の悟りが開けます。

2)海老蔵初役の俊寛

今回(平成31年1月新橋演舞場)での海老蔵初役の俊寛を、そんなことなど考えながら見ておったわけです。歌舞伎のなかでは「俊寛」はどちらかと云えば小芝居系統で続いてきた演目で、大歌舞伎で頻繁に上演されるようになったのは昭和初めくらいからのことで、そう昔のことではありません。「俊寛」は海老蔵と云うよりも団十郎家にとってこれまで縁がなかった演目です。今回海老蔵が俊寛を演じる動機は、俊寛の気持ちと自身の辛い経験(これは今更説明するまでもないこと)とが重なることが大きいからだということが察せられます。

実は当初の吉之助の予想は、海老蔵ならば目力強く多少ギラギラした感触になっても「思い切っても凡夫心」の感情を生々しく演じる俊寛かと云うところでした。しかし、実際の海老蔵初役の俊寛は、ギラギラを封じ込めて、これまでの海老蔵とちょっと違う自然な感触がありました。リアルということをどういう次元で捉えるかにも拠りますが、先日(平成30年9月歌舞伎座)見た吉右衛門の写実の俊寛とは、もちろん異なるものです。海老蔵の俊寛は壮年期相応のリアリティを感じさせるものですが、ギラギラした感触が抑えられています。まずこの点に吉之助は感心させられました。

これまでの海老蔵の義太夫狂言には不満が結構ありました。今回は台詞も自然で無理がなく、演技が義太夫狂言の枠組みにしっくり収まっています。それはひとつには声の調子を低めに抑えて、不自然な抑揚を付けて張り上げることをしないからです。海老蔵の売り物である目力も最小限に抑えて、これもドラマのなかに溶け込んでいます。こういう余計な力が抜けた淡々とした海老蔵は見たことがない気がしました。指導した人が良かった(海老蔵によれば二代目白鸚の指南を受けたそうです)こともあるでしょうが、海老蔵の内面が変わった気がするのです。去年までの海老蔵には葛藤とか気の迷いみたいなものが感じられましたが、今回の俊寛ではそれが見えません。

例えば前の演目の、海老蔵と三人共演のお祝いの演目・「牡丹花十一代」でも、海老蔵の鳶頭の「待っていたとは有難てえ、でも、(ご見物のみなさまが)待っていたのは俺じゃないだろう(二人の子供たちの方だろう)」と受けを取る台詞でも、強く張り上げることをせず(これまでの海老蔵ならば張り上げそうに思うのです)、声質を低めに抑えてサラリと言うので、「ホウ?」と思ったのです。世話に流した印象になって、そこが良いのです。後の幕の「鏡獅子」も基本をしっかり守って、自己流なところが無く、ストイックな印象さえするものでした。ここにも海老蔵の心境の変化が感じられます。

海老蔵初役の俊寛が自然に感じられるのには、千鳥を含む流人一同がお互いを気遣う一体感がよく出ていることも功を奏しています。おかげで舞台前半がとても良くなりました。俊寛が船から転げ出て「ヤレ待て、船に乗せて京へ遣る」と云うまでの流れが、よく構築出来ています。だから俊寛が自己犠牲の心で「自分が島に残り千鳥を京へ送り届けよう」としたとしても、 まったく自然です。その一方で、瀬尾から「東屋が首討たれた」と知らされた時の俊寛の無念の場面、或いは千鳥の乗船を「これほど懇願しても瀬尾は受けぬのか」と云う時の俊寛の憤りの場面では、海老蔵持ち前の目力が生きていました。

だから海老蔵の俊寛は、結局、ここが肝だということがはっきり分かるのです。後は幕切れの「思い切っても凡夫心」で泣こうが喚こうが、そこは人間だもの、誰だってこういう場面では 取り乱して泣くでしょう、そういうところは仕方ないのです。しかし、「愛する妻が首討たれた」と聞いた時の俊寛の心情は、まったくピュアで強いものです。そこのところに疑いはない。惨い運命に対する無言の抗議が込められています。これがあってこそ俊寛の次の行動(自己犠牲)がある、そう云うことが、海老蔵の俊寛を見ていると実感としてよく分かります。

伝えられるところでは史実の俊寛は、島に置き去りにされた後、ほどなくして(1・2年ほどで)島で亡くなったようです。「俊寛が乗るは弘誓の船、浮世の船には望みなし」という言葉も、俺はもう死んしまって構わないと云う風に取れなくもないでしょう。しかし、悟りの彼岸に渡るというのが、死ぬことだけとは限らないと思います。この世に一人生き続けることも、悟りの境地になることもあると思います。吉之助が今回の海老蔵の俊寛を高く評価するのは、幕切れの「オーイオーイ」と仲間に呼び合う場面も、その悲しみを腹のなかにグッと押し込んで決して騒がしくなかったことです。海老蔵の俊寛はこれからも草を噛んでも泥を啜ってでも生き続ける気がしますねえ。幕切れの俊寛がそうであっても、ちっとも構わないと思います。

折しも昨日(平成31年1月14日)、海老蔵が十三代目団十郎白猿を来年(2020年)5月に襲名することが発表されました。今回の海老蔵の「俊寛」を見た吉之助には「なるほどそういうことだったんだね」という納得できる気持ちでありました。海老蔵には、まだまだ頑張ってもらわねばなりません。歌舞伎の為にも、二人の子供たちの為にもね。恐らく後から見て、あの時の「俊寛」が海老蔵の転機だったということになるのではないか。そうなることを期待したいと思いますね。

(H31・1・15)



 

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