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二代目七之助のお嬢吉三・六代目愛之助のお坊吉三

令和5年2月歌舞伎座:「三人吉三巴白浪」〜大川端・吉祥院・本郷火の見櫓

二代目中村七之助(お嬢吉三)、六代目片岡愛之助(お坊吉三)、四代目尾上松緑(和尚吉三)、初代中村壱太郎(おとせ)、二代目坂東巳之助(手代十三郎)


毎度言いたくないのですが、今回(令和5年2月歌舞伎座)は、さすがに「通し狂言」とは銘打っていませんが、いつもの定形とされる通し上演の形からすると土左衛門伝吉内と報恩寺前伝吉殺しの二場が省かれた端折り上演です。「コロナだから・三部制だから仕方がない」と言い訳しつつ、歌舞伎の総本山であるべき歌舞伎座で、こんな中途半端なことを続けていると、芝居の味わいはますます薄くなり、将来的に観客を遠ざけることにしかならないのではないでしょうか。「大川端」単発は兎も角、「三人吉三」は二部制のために取っておくと云う見識が必要だと思いますね。三部制だから時間に限りがあると云うなら、他にやるべき狂言はいくらでもあるでしょう。今回の端折り上演でも、和尚吉三が吉祥院で伝吉因果物語のあらましを台詞で語りはしますが、観客に伝わることは知れています。これで筋が通せるわけではありません。

結局、伝吉の悪事の因果に絡め取られたのはおとせと十三郎だけではなく、三人の吉三郎も伝吉因果物語の一端をそれぞれ背負わされていたわけです。そして終には三人共に因果の糸に絡め取られて散っていく。これが「三人吉三」のドラマです。それは大川端でお嬢吉三がおとせから百両奪ったところから始まったかの如く芝居では見えますが、実は伝吉因果物語はずっと以前から仕組まれていたことでした。一旦止まっていたシステムがお嬢吉三の盗みをきっかけに再始動したと云うことです。因果の恐ろしさを心底実感する者は、土左衛門伝吉しかいません。伝吉は善心に立ち返り「もう禊(みそぎ)は済んだ」と思っていたはずです。しかし、そうではなかったのです。だから伝吉が登場しない「三人吉三」通しは意味がないと云うべきです。

まあ現代人がこのような因果の様相を好んで見たいかと云うと、そこはどうかとは思います。犬の報いと言っても、現代人にはおぞましいだけです。そこをサラリと流してしまいたい気持ちは、吉之助にもよく分かります。しかし、「三人吉三」の底に流れる・救いようのない暗さは、多分直視せねばならぬものです。それがなければ幕末の・黙阿弥物にならないと思います。ともあれ今回(令和5年2月歌舞伎座)の「三人吉三」は、総体的には悪くない出来に仕上がりました。それだけにいつもの定形の通し上演でなかったことは、惜しいことでした。

前回歌舞伎座での「三人吉三」通し上演(平成元年10月)と愛之助のお坊吉三・松緑の和尚吉三と配役が同じですが、両人とも芸の進捗を見せてくれました。愛之助は1月歌舞伎座の弁天小僧も悪くなかった(若干威勢が良過ぎたところはあった)が、お坊吉三は柄・雰囲気共にさらにしっくり来る感じで、黙阿弥物の人物になりました。お坊らしいおっとりとしたところに、どこかほの暗い陰が差すという印象でしょうか。七五調の台詞もよく出来て、近頃上出来のお坊吉三であると思います。松緑の和尚吉三は、若干二拍子気味のところはあるが、台詞の癖が少し落ち着いて来た感じです。良かったのはお坊・お嬢に対して・和尚がしっかり兄貴分に見えたことです。壱太郎のおとせは、1月歌舞伎座の求女に続いて上出来。2月続きで同じような役なのは気の毒でしたが、壱太郎が登場すると、ぐっと芝居の味わいが濃くなる気がしますねえ。

七之助のお嬢吉三も悪くありません。スカッと割り切れた健康的な印象で、例えは悪いが「風の谷のナウシカ」のクシャナのような感じです。初めて大川端を見た観客には受け入れやすいかも知れませんね。良かれ悪しかれ、こう云うお嬢吉三がこれからの歌舞伎の主流になって行きそうな気もします。しかし、まあ吉之助の好みからすると、ちょっと色気が薄い感じです。1月歌舞伎座の強請場のおさよ同様、もう少ししっとりと内輪なところを望みたい気がします。

(R5・2・22)



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