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十一代目海老蔵の「雷神不動」の五役

令和3年7月歌舞伎座:「雷神不動北山桜」

十一代目市川海老蔵(粂寺弾正・鳴神上人・不動明王他五役)、六代目中村児太郎(雲の絶間姫)、五代目中村雀右衛門(腰元巻絹)、三代目市川右団次(八剣玄番)


海老蔵の歌舞伎座出演は、約2年振りのことだそうです。もしコロナ騒動がなければ、海老蔵は今頃「団十郎」だったはずです。襲名延期と云う予期せぬ事態となって海老蔵も大変なことですが、こうなったら災い転じて福となさねばならぬ。立派な団十郎になる為の準備期間がもっと出来たと云うことにせねばなりません。体調やメンタルな面だけでなく、コロナの自粛期間中にどれだけの自己研鑽をしてきたかが問われます。正直申して「雷神不動」についてはまたか・・と云う感じで、しかもコロナ仕様で前回(平成30年5月歌舞伎座)上演脚本(3時間20分くらい)を1時間ほど切り詰めたということなので、芝居として内容的にも十全であろうはずがない。海老蔵版「千本桜」みたいな酷いダイジェスト版を見せられるのなら叶わんなあ・・という不安もあり舞台を見るのを躊躇しましたが、それでも結局歌舞伎座へ行ったのは、海老蔵がどのくらい成長したか確認したかったからでした。

結論から云えば、あまり成長したところが見られませんねえ。まあ確かにお客さんを愉しませようと一生懸命にやっていると思いますが、芸として成長したところが見えない。相変らずの「海老蔵」であるようです。それでイイじゃん・・・と云う本人の声が聞こえてきそうだが、今頃彼は「団十郎」だったはずだと考えると、これは拍子抜けの感がしますね。芝居(粂寺弾正・鳴神上人)の出来自体も、前回と比べて決して良くなってはいない。まあ格別悪くなったというわけでもないが、成長が見えない。どんな時でも「オッ、以前とは違うぞ」と云う新鮮な発見がある舞台でなければ困る。繰り返しますが、今頃彼は「団十郎」だったはずなのです。付け加えれば、これは他の共演者も(右団次も児太郎もだが)同様です。いつものことをいつも通りにこなしている感じですかね。児太郎の絶間姫も前回(平成31年1月新橋演舞場)より崩れて悪くなっていると思います。

と云うわけで舞台のことを書く気になりませんが、海老蔵の発声についてちょっと触れておきます。吉之助は以前ボイス・トレーナーに付いて発声訓練した方が良いと書いたことがあります。その後ボイス・トレーナーに付いたという報道を耳にして、一時は改善の兆しが見えたこともありました。しかし、多分訓練をすぐ止めちゃったのでしょう。すぐ元に戻っちゃいましたね。ここ数年の海老蔵の発声は良くない方向で固まった印象がします。海老蔵の声は、響きに芯がなくて力強さを感じません。まあ聞こえてはいますが、台詞が心に届かない。喉が開いていない、腹から声が出せていないのです。実は、このような海老蔵の声は、成田屋の家の芸である荒事にあまり向かない声である。このことを本人がどれだけ認識しているのか分かりませんが、吉之助は海老蔵は未だに「自分の声」(舞台のための声)を持てていないと思います。役者にとって「自分の声」を持っているかどうかは、とても大事なことです。極端なことを云えば、例え悪声であったとしても「自分の声」を持ってさえいれば、その声を聞けばこの役者・名調子!となるのです。四代目源之助とか六代目菊五郎などがいい例です。残念ながら、海老蔵は未だにそのような「自分の声」を持てていません。大声を張り上げれば良いわけではないです。「自分の声」を持ててない(つまり喉の正しい使い方が出来ていない)役者が五役を勤めて(口上も含めれば六役だが)五色の声質を使い分けようなんて、若干無理があるのじゃないの?そう云うことは「自分の声」を持っている役者がすることです。三代目猿之助はもちろん自分の声を持っていた役者でした。「飴のなかから猿之助」(何をやっても猿之助と云う意味)と言われたこともありますが、早変わり芝居で十何役勤めてこれを仕分けられたのも猿之助が自分の声を持っていたからです。そういうことが分からないで「雷神不動」五役相勤申候とがむしゃらに頑張るだけでは、またいつぞやの時のように喉のトラブルで声が出なくなったりしますよ。だから今からでも遅くはないから、もう一度ボイス・トレーナーに付いて正しい発声を真剣に学んで、「自分の声」を持つようにしてもらいたい。正直申して、海老蔵の現状は少々心配です。

(R3・7・19)



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